笙野頼子

タイムスリップ・コンビナート 二百回忌  

タイムスリップ・コンビナート 2003年7月16日(水)
 「なにもしていない」で野間文芸新人賞をとった作家の、芥川賞受賞作。いわゆる「ひきこもり」的な私生活の一断面を核として、ひねた視点と屁理屈のロジックと言葉遊びで言語世界を展開して、妄想の中に作者の文明観のようなものを覗かせるのがこの人の特徴。確かに非常にユニークな作風だ。「タイムスリップ・コンビナート」と「下落合の向こう」は、これだけのことでよく一篇の小説が書けるなという妄想力には感心するが、たったこれだけで芥川賞?というのが正直な感想。川崎の工場街と四日市のコンビナートの幼少時代をダブらせたのが、審査員には文学っぽく感じられたのかもしれない。「シビレル夢ノ水」は「なにもしていない」と同じような、気持ち悪くなるほど強烈な作品。女性はたくましいと思う。

二百回忌 2003年5月23日(水)
 「私の父方の家では二百回忌の時、死んだ身内もゆかりの人々も皆甦ってきて、法事に出る。」親とは縁を切っている《私》だが、聞き続けてきた代々のものを自分の目で確かめたくて、定期を解約しても行くことにする。その法事では、時空にゆがみが生じ、普段と違う出鱈目なことをしなければならない。参列者は赤い喪服を着、僧侶は烏の鳴き声で読経する。そして、変な夢を忘れずに詳細に描いたような、奇妙な出来事が繰り広げられていく。
 言語空間へのトリップ感覚を味わうことになるのだが、笙野頼子の場合は伊勢という出身地が影響しているのか、宗教的、習俗的な雰囲気が濃厚だ。
 三島賞には、この作品以降、幻想的という言葉のニュアンスとも少し違う、シュルレアリスム的な支離滅裂な作品が選ばれることが多くなる。「笙野頼子三冠小説集」として刊行された文庫本の中の一編。