重松清

ナイフ エイジ ビタミンF 流星ワゴン
十字架 ゼツメツ少年    

ナイフ 2003年5月26日(月)
 短編5編中4編で、小学生・中学生のいじめが子供の視点で描かれている。いじめられている子は親や先生に知られたくないし、傍観している側もゲームの参加者なのだから先生に知らせたりしてはいけない。立ち向かえるくらい強ければ、最初からいじめられたりはしない、ということでは救いようもない。世の中には、自分の道を生きる人間と、それにちょっかい出すだけのくだらない人間の2種類がいるんだと言ったところで、学校と家庭しかない子供に大人の達観を押付けることもできない。
 「完全なコドモじゃないから、やってはいけないことや悪いことは、たくさんわかってる。でも、やっぱりコドモだから、わかってることをうまくやれない。「ごめんなさい」なんて照れ臭いし、「私たちが悪かったんです。反省します」なんて嘘っぽい。わたしたちは悪いコかもしれないけれど、照れ臭さや嘘っぽさに平気でしらんぷりできるような偽善者になりたくない。サイテーの自分より、嘘つきの自分のほうが、いまは嫌いだ。」「生きることって楽しいのかな、つらいのかな。ときどきわたしはそれがわからなくなる。・・・でも、考えをずーっと煮詰めていって、じゃあ生きるのやめる?どうする?って訊かれたら、迷わない、生きることを選ぶ。」「今日みたいなキャッチボール日和には、世界中のみんな、優しくなれたらいい。・・・一番大切な人とキャッチボールすればいい。たいせつじゃない人ともキャッチボールすればいい。」「キャッチボール日和」の最後の一節。いろんな環境で精一杯生きている子供たちと家族を描いた作品集だ。坪田譲治文学賞受賞作。

エイジ 2004年2月19日(木)
 エイジは14才、中学2年の2学期の中学生活の真ん中。膝を痛めて、好きだった部活のバスケもやめて宙ぶらりん。成績はいいが、優等生タイプではない。まじめなのか、まじめじゃないのか、とりあえず「ふつうの中学生」かなと自己分析する。住んでいる郊外のニュータウンでは通り魔事件が連続していたのだが、ある日犯人が逮捕されて、その犯人は同級生、前の席に座っている奴だった。マスコミは中学生の犯罪に騒然とするが、エイジの心では「目の前にふわふわ浮かぶ「わかる」がうっとおしい。そして、胸の奥には、「わからない」がたまっていく。」同級生の心を考えるうちに、「「その気」になるかどうかの境界線があやふやになっていく。「その気」が少しずつ近づいてくるのがわかる」ようになっていく。
 「「キレる」っていう言葉、大人が考えている意味は違うんじゃないか。我慢とか辛抱とか感情を抑えるとか、そういうものがプツンとキレるんじゃない。自分と相手のつながりがわずらわしくなって断ち切ってしまうことが、「キレる」なんじゃないか。」
 「ただ、「好き」で結ばれたつながりは気持ちいいな、と思う。人間はつながりを切れないんだったら、チューブはすべて「好き」がいい−なんて思うそばから照れて、うひゃあっ、と頭をかきむしりたくなるけど。」
 この作品では少年犯罪を扱っているが、分析したり批評したりというのではなく、少年たちの心に近づいて共感しようとしている。理解できないことは多いし、人のことなんか所詮理解できないのかもしれないが、共感することはできるかもしれないのだから。

ビタミンF 2004年9月3日(金)
 主人公は皆30代後半から40代前半の父親。子供との関係も妻との関係も微妙になり、改めて同じ年代だった頃の父のことを思い出す。そんな短編集。
 「ゲンコツ」:年を意識する37歳の主任。夜遅い帰りにはオヤジ狩りを恐れたりするのだが、自分が防犯委員だと知らされる。
 「はずれくじ」:妻が入院して息子と二人になると、どう接していいかわからなくなり、改めて父のことを思い出してしまう。
 「パンドラ」:中学生の娘が万引きして捕まった。フリーターの男と二人で。しかもその男のことが好きなのだそうだ。
 「セッちゃん」:中学生の娘が転校生のセッちゃんという子の話をするようになった。その子は転校してきていきなりみんなに嫌われるようになったのだという。
 「なぎさホテルにて」:家族を連れて訪れた伊豆のホテルは、二十歳の誕生日別の恋人と過ごしたホテルだった。ちょっとしてきっかけでそのことが妻にばれてしまう。
 「かさぶたまぶた」:私立中学に合格した優等生の娘の様子が、卒業を前にしておかしくなる。
 「母帰る」:父と別れて出て行った母の相手が亡くなって一人になると、父がもう一度一緒に暮らそうと言い出したと知らされ、故郷の父を訪ねる。
 いじめとか非行とかといった話題も入っているが主人公は父親で、中年に入った心の揺れや、会社での立場、家族との関係、自分が子供だった時の父との関係といったことがテーマとなっている。ビタミンFというのは、そんな心にはたらくビタミンのようなもの。 直木賞受賞作。
 50過ぎた今となって振り返ると、40代はもう年だからと遠慮する必要はなかったし、30代はヤングじゃん。

流星ワゴン 2005年10月26日(水)
 末期ガンで入院中の父を見舞いに故郷へ日帰りし、戻った駅前の広場でウィスキーのポケット瓶をすすりながら、もう死んでもいいかなと思った。妻は離婚届をつきつけて家を空けるようになり、中学生の息子は受験に失敗し不登校になって家で暴れるようになった。そして自分は、38歳でまさかのリストラにあってしまった。気がつくと、ワインカラーのオデッセイが止まり、助手席から男の子が早く乗ってよと声をかけてきた。それは、5年前に交通事故で亡くなった橋本さん親子だった。大切なところへ連れて行きますと言われて気づいたところは、人生の分岐点となる場面だった。そしてそこで、自分と同い年の父に出会う。
 結末がわかっているのに同じことを繰り返してしまうつらさ。同い年の父と話すことで、改めて思い浮かんでくる父と自分の関係。そして橋本親子の父と子の事情。次第に過去を変えようとしていくのだが・・・。過去を変えることはできないけれど、今を変えることは確かにできるんだと思わせる作品だった。

十字架 2013年1月29日(火)
 元号が昭和から平成に変わった年の二学期が始まってすぐ、中学二年の同級生フジシュンこと藤井俊介が庭のカキの木で首を吊って自殺した。遺書には僕の名前が親友として書かれていた。いじめていた三島と根本の名前のほかに、誕生日プレゼントを贈ろうとして断られた中川さんの名前もあった。フジシュンとは幼なじみでしかなかったし、札付きの三島と根本がフジシュンのいじめに向かうことで、クラスのほかの生徒は助かっていた。フジシュンの父親は、「親友だったら……なんで、助けなかった……」と言った。僕と中川さんは重い十字架を背負って、生きていくことになる。
 いじめによる自殺のその後を描いた重い作品。吉川英治文学賞受賞作。
 「十字架の言葉は、背負わなくちゃいけないの。それを背負ったまま、ずうっと歩くの。どんどん重くなってきても、降ろすことなんてできないし、足を止めることもできない。歩いているかぎり、ってことは、生きてるかぎり、その言葉を背負いつづけなきゃいけないわけ」

ゼツメツ少年 2016年11月8日(火)
 夏が終わる頃、小説家のセンセイは中学二年生のタケシからの手紙を受け取った。そこには<僕たちを助けてください><僕たちはゼツメツしてしまいます><センセイの小説の登場人物にして、物語の中に隠れさせてほしいのです>とあった。僕たちというのは、タケシと小学五年生のリュウという男子とジュンという女子だ。不登校児童を支援する会の化石発掘イベントで出会った三人は、タケシの誘いで家出することになった。タケシは出来のいい兄によって、学校中で公認のいじめられっ子にされていた。リュウは母を病気で亡くした後、いじめられている同級生を助けようとして自分がいじめられる側に回っていた。ジュンは、両親に自分が生まれる前に亡くなった姉の代役をさせられていた。
 最後のほうで、この物語の真相が明かされ、もう一度読み直してみないとよくわからないな、という気持ちになる。毎日出版文化賞受賞作。