瀬尾まいこ

天国はまだ遠く 幸福な食卓 戸村飯店青春100連発 そして、バトンは渡された

天国はまだ遠く 2006年12月20日(水)
 仕事も人間関係もうまくいかず、身体も心もどんより重い毎日を続けていた千鶴は、終りにしようと決めた。鞄に一晩だけの荷物と貯金を解約したお金を入れて、日本海地方をめざして北に行く特急に乗る。駅に降り立ち、タクシーに乗ってさらに北へ向かうと、木屋谷という集落の民宿を教えられる。民宿を訪れると、若くてがたいが大きい、髭が伸びて髪もくちゃくちゃの男が出てきた。千鶴は、つきあっていた久秋に最後のメールを送って、二週間分の睡眠薬十四錠をむせ返りながら飲み込んで、布団に入り眼を閉じた。目覚めは爽快。三十二時間眠って死に損なってみると、死ぬのはやはり怖い。千鶴は、田村という男が作る食事を食べて、集落を見て歩くという日々を過ごすようになる。
 頼りなげなわりにどこか無垢のパワーがある千鶴のとぼけたキャラクターがおもしろい。千鶴は、畑を耕し鶏を飼い魚を釣るという日々をおくる田村や集落の人々の生活になじんでいくが、逃げ着いた場所は休むところではあっても、結局生きるべき場所ではなかった。
 「簡単で明快な生活だ。身体に従って行動すればいい。考える隙間がないし、何かに心を費やすこともない。生活すること以外にすることはない。悩まなくて済むのだから、いいことかもしれない。これが、本来の生活なのかもしれない。だけど、私はなんとなくそんな日々に違和感を持ちはじめていた。完全に身体に仕切られてしまう日々に戸惑っていた。このままこんな生活に埋まりきってしまうのは、なんだか怖い気もした。」「でも、さびしかった。すてきなものがいくらたくさんあっても、ここには自分の居場所がない。するべきことがここにはない。だから悲しかった。」

幸福な食卓 2007年6月30日(土)
 「『父さんは今日で父さんを辞めようと思う』春休み最後の日、朝の食卓で父さんが言った。」佐和子の家では朝食は家族全員がそろって食べ、重要な決心や悩みを告白する。みな優しい家族で、努力し、いたわり合い、尊重し合い一緒に暮らしている。だが、こうして父は中学教師を辞めて、大学の薬学部を目指して受験勉強を始める。母は家を出て、一人でアパート暮らしをしていて、時々料理を届けに来たりする。6歳上の兄、直は地域でも評判の天才児だったが、勉強には充実感を覚えないと言って大学には行かず、無農薬野菜を作る農業団体で働いている。中学生の佐和子も、梅雨になると、心の中のどろどろを呼び起こされる。五年前の梅雨、父が自殺を図って風呂場に横たわっていた。そして母は家を出て行ったのだった。
 直は何度も失恋を繰り返し、今度は小林ヨシコという最悪な女の子を連れてくる。佐和子も、塾で大浦君と知り合う。
 「幸福な食卓」、「バイブル」、「救世主」、「プレゼントの効用」という連作集だが、実質的には一つの作品。登場人物や一つ一つのエピソードは、かなりとぼけていて笑える。優しいが、どこか空虚が隠されている家族の再生と、少女の成長の物語。 吉川英治文学新人賞受賞作。
 「『父さんが死んだ頃、ちょうど俺にもゆがみが出はじめていたんだ。子どもの頃から、なんでも完璧に、正しくこなしてきたのに、少しずつ、ずれが出はじめた。・・・ゼロに戻すには、死ぬしかないんだな、って。・・・父さんは真剣ささえ捨てることができたら、困難は軽減できるのにって書いていた。その通りだと思う。俺はその方法を使った。だから、二十一歳になってもまだ生きている』・・・だからだ、だから直ちゃんはすぐに失恋するんだ。どうして私は直ちゃんの大きな欠落部分を見逃していたのだろう。」

戸村飯店青春100連発 2012年6月29日(金)
 戸村飯店は大阪の庶民的な中華料理店。ヘイスケとコウスケは1つ違いの兄弟。要領はいいが店になじめないヘイスケは、小説家になると専門学校へ入るため東京へ出る。東京では、あれほど嫌だったのに乗りのいい関西人して受け止められるのだった。コウスケは家業を継ぐことを覚悟しながらも、野球、合唱祭の指揮と、高校生活を満喫する。学校をやめてカフェでバイトして、専門学校の教師と付き合うヘイスケ。進路が決まらないコウスケ。そんな二人に転機が訪れる。
 最初のイメージとは逆転して入れ替わる意外な結末。表題は読み終えてもいまいちピンとこないが、感じのいい作品だった。坪田譲治文学賞受賞作。

そして、バトンは渡された 2021年11月21日(土)
 優子は高校二年生。進路面談で「困ったことやつらいことは話さないと」と先生に言われた。優子は、水戸優子から、田中優子、泉ヶ原優子を経て現在は森宮優子。父親が三人、母親が二人いて、家族の形態は十七年で七回も変わった。優子は不幸とも困難とも思わないので答えようがない。ほんとうの母親は三歳の時亡くなっていて、思い出は一つもない。今の父、森宮さんは高校三年の始業式の朝、はりきってかつ丼を作ってくれる…。
 ストーリーの組み立てがうまい。友だちとのトラブルから、ブラジルに赴任する父ではなく、小学校の友だちと一緒にいられる後妻の梨花さんとの生活を選んだこと、合唱祭でピアノ伴奏をすることになって、ピアノを弾きたいと言い出したら梨花さんがピアノのある不動産会社の社長と結婚して中学の三年間暮らしたことがわかる。梨花さんは、泉ヶ原さんとも森宮さんとも離婚して、優子は二十歳離れた森宮さんと暮らしている。
 なんということもないけれど、登場人物がそれぞれ魅力的だし、優子と森宮さんのやり取りもおもしろい。本屋大賞受賞作。