佐藤友哉

フリッカー式 1000の小説とバックベアード デンデラ  

フリッカー式−鏡公彦にうってつけの殺人 2008年4月4日(金)
 アパートで独り暮らししている鏡公彦の携帯に、母親から妹の佐奈が自殺したと電話があった。家に駆けつけると母親はすでに壊れていて、人の未来を予言する姉の稜子にはアンタやばいことをしでかすと言われる。公彦のアパートに大槻涼彦と名乗る若い男が現れて、ビデオを見せた。その中で、佐奈は3人の男に凌辱されていた。大槻は3人の男の名を告げて、3人の娘や孫娘の写真と行動表を残していった。公彦はスタンガンを持って3人の追跡を始め、一人を誘拐して廃業した幽霊病院に監禁する。そんな公彦の行動を兄の創士は逐一知っていて、携帯で話しかけてくる。公彦の幼なじみ明日美は、突き刺しジャックと呼ばれる連続少女殺人犯の、犯行の瞬間の目に接続してしまうようになった。一度見覚えのある幽霊病院に駆けつけた時姿を見られてしまい、それ以来犯人から手紙を送られていた。
 2001年のメフィスト賞受賞作。公彦はどうするのか、大槻はなぜ現れてビデオを見せたのか、なぜ創士に公彦の行動が見えているのか、突き刺しジャックは誰なのか、といったミステリー要素はあって、最後は驚くような収束をするが、どちらかというと阿部和重とか、中原昌也とか、舞城王太郎などと共通する雰囲気、カタストロフィー小説とでも言えばいいのだろうか、そんな作品。作者は島本理生と結婚していて、三島 由紀夫賞を受賞しているそうだ。

1000の小説とバックベアード 2010年1月24日(日)
 片説家はグループを組み、みんなで考えみんなで書き、一人の依頼人に向けて物語を制作する職業だ。二十七歳の誕生日に僕はその仕事をクビになった。気がつくと文字の読み書きができなくなっていた。そんな僕のアパートに、配川ゆかりという女性がやってきた。一つは小説を書いてほしい、もう一つは失踪した妹のつたえに渡した片説を読ませてほしいということだった。人探しは探偵に任せることにして、興信所の一ノ瀬を訪ねて、『うしなわれたものがたり』という片説の残された1ページと、ジャポニカ学習帳と入れ替わっていたトーカイグラフィック学習帳を見せると、その学習帳には『これ以上かぎ回ると、頭と体がばらばらになるよ。バックベアード』と書いてあった。
 「フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人」でメフィスト賞を受賞した作家の、三島由紀夫賞受賞作。読み始めてすぐ、村上春樹風のミステリアスなところと伊坂幸太郎風のドタバタなところがあって、これはおもしろそうだと思った。小説家に対する「片説家」、小説を消滅させようとする「やみ」、小説からの「失格者」、「失格者」が閉じ込められる地下の図書館。たつえが一緒に暮らしているという『日本文学』とは誰なのか?確かにおもしろい。これはメタ小説といっていいのだろうか。

デンデラ 2011年7月5日(火)
 七十をむかえた老人は年明け早々の冬に『お山参り』をするという『村』の決まりごとに従って『お山』に棄てられた斎藤カユは、『お参り場』に立ち極楽浄土へ赴くことを祈りつづけた。気がつくと家の中にいて、外へ出ると家があり、人がいた。老婆ばかりで、どれもが見覚えのある顔だった。『山』に棄てられた老婆たちが、『村』とは反対側に『デンデラ』という村を作って生きていた。『デンデラ』の人々は、長の三ツ屋メイをはじめとする、『村』に復讐しようとする『襲撃派』と、平和に暮らそうと願う『穏健派』に分かれていた。極楽浄土だけを願っていた斎藤カユは苛立つだけだった。
 「姥捨山には続きがあった」とあって、どう展開していくのか楽しみだったが、熊との戦いで終わってしまったのは、ストーリー的にはいまいちという感じもある。北海道と思しき寒村の老婆たちが、デスマス調の標準語で思弁的な会話を繰り広げたり、熊の意識が描かれたりというあたりに、ストーリーを超えた意図的なものが感じられる。