佐伯一麦

遠き山に日は落ちて ショート・サーキット 鉄塔家族  

遠き山に日は落ちて 2005年10月20日(木)
 作家斉木は、妻子と別れ、草木染作家の奈穂とともに宮城県蔵王山麓の町の古びた家で暮らし始める。斉木は喘息を患っているし、他にも躁鬱病の治療も受けているようだ。奈穂は生活費を稼ぐため、家庭教師を何軒か始めている。これは町の人々との交流や、移り変わる自然の営みの中で生きる、二人の穏やかな生活を描いた連作短編集。どうということもないが、ほのぼのとした気持ちで読めた。木山捷平文学賞受賞作。

ショート・サーキット 2006年2月16日(木)
 第一創作集「雛の棲家」、第二創作集「ショート・サーキット」、五冊目「木の一族」から抜粋された作品集。
 主人公の名前が「斉木」とあるように、20歳の頃からの10年間の生活の後を記した私小説集だ。「木を接ぐ」はスナックで女性と知り合って、子供ができて結婚してアパートを引越する頃のこと、「端午」は末の男の子が川崎病で入院している頃のこと、「ショート・サーキット」は仕事である電気工事の様子、「古河]は緘黙症になった長女のため郊外に転居して工場勤めを始めた頃のこと、「木の一族」は東北地方へ移り、作者自身のアスベスト被害による喘息の治療や小説で家族のことを書いていることから別居し、離婚する頃のことが描かれている。ところどころ私小説らしい露悪的なところがあったりするが、子供達のこと、電気工の仕事、妻との微妙な関係が淡々と描かれていて興味深く読めた。
 「木を接ぐ」は海燕新人文学賞、「ショート・サーキット」は野間文芸新人賞受賞作。

鉄塔家族 2010年6月24日(木)
 東北地方の百万都市にその「山」はある。西北面の傾斜地に広大な自然植物園があり、頂上にはテレビアンテナ用の鉄塔が建っている。バスターミナル、茶店風の店、五階建ての分譲マンションと学生用のワンルームマンションがあり、南東の斜面には団地がある。「山」では、デジタル放送用の新しい鉄塔の工事が始まっている。分譲マンションに賃貸で居住している作家の斉木と草木染め作家の奈穂を中心に、マンションに住む放送局へ単身赴任中の黒松さん、野鳥を愛する老婦人、団地で畑を耕す磐田さん、草木染めに興味を持つ浅野さん、野草園に隣接した家に住む西多賀さん、売店のお姉さん、喫茶店「衆」のマスターと早絵さん、居酒屋「一合庵」のおかあさん、野草園の長峰さん、クリーニング店の箱崎さん、退職したバス運転手の伊東さんといった、多様な群像が鉄塔工事を見守りながら、植物、野鳥と触れ合う日常を描く。
 この作品では、様々な人々に視点が移って、それぞれの生活の背景にも触れている。斉木の鬱病の遠因や両親、姉の問題も明らかにされる。いわゆる私小説なわけだが、斉木以外の視点で描かれた部分は、取材したのだろうか、それともモデルはいても創作なのだろうかとふと思ってしまう。しかし、野鳥や植物といった自然への思いが心地よく味わいのある作品で、自分自身も作品の世界に入り込んでいるような感覚を覚えた。一人静かに暮らす老婦人と、対照的に明るい売店のお姉さんが印象的だった。大仏次郎賞受賞作。