会社勤めを辞めた理由
今年も残すところあと3日。今年最大の出来事といえば24年務めた会社を辞めたことだった。前の会社を含めて27年のサラリーマン生活を自ら終えてしまった。重要なことだから、辞めた理由を一度整理しておきたい。
統計解析風に言うと、まず大きく分けると外的要因と内的要因とがある。外的要因はさらに、長期的要因、中期的要因、直接的要因とに分かれる。
長期的要因というのは、かなり前から、30代の頃から機会があれば転職したいと思っていたということだ。その理由の一つは低賃金。30才時の年収は292万円、月の手取りは15万円にも満たない。40歳で470万円、50歳で551万円。
手取り30万円がやっとだ。パートや日雇いよりはましだが、あまりに安月給だった。
もう一つは、仕事に対する不満。社内でマーケティングの仕事が理解されていないということだ。広告のプレゼンテーションの仕事が入ったら、通常はマーケティングが調査して商品ポジショニング、ターゲットを分析して、基本コンセプトを立案してから、制作、媒体選択に取りかかるものだが、この会社では最初に制作や媒体が決まっていて、このアイデアが
正しいというデータをくれ、この媒体が一番いいというデータをくれ、という程度の扱いだった。世の中、ただの思い付きを保証してくれるデータなんかそうあるわけがないし、各社我が社のアイデアが一番というデータを持って
きて鉢合わせということになってしまう。こんな仕事を続けているから、大きなプレゼンテーションの仕事はなくなってしまった。
中期的要因としては、組織的な居づらさ。会社に入った時、企画部という企画と調査を行う部署に入って、その当時部員6人にアルバイトの女性2〜3人いて、主に調査の仕事に従事していた。企画部は時に名前を変えたりしたが、多い時で10人以上の部員を抱え、自分でも部下3人を預かっていた時期もあったが、バブルの崩壊後の希望退職で一人、二人と去っていき、気がついたら部長と自分の二人だけになっていた。部長は社長に嫌われているので飛ばされてしまい、一人になってしまった。一人で部というわけには行かないので、名前だけの部を与えられて適当な人間の下に付き、仕事とまったく関係ない人間のハンコをもらって働くようになっていた。そして、その名前だけの異動が毎年のように繰り返され、つくづく嫌な気分になってきていた。
直接的要因は、今年の異動による仕事面と環境面での不満。いつもは名前だけの異動だったが、今年3月にインターネット事業部という所へ場所も仕事も異動することになった。そもそもインターネット広告は2000年(6年前)に
自分で資料をまとめ、社内でプレゼンしてやろうと呼びかけたのに、付いてきたのは若手の2〜3人だけだったという経緯がある。何が今さらネット広告だ。既に各社ビジネスノウハウが確立し、顧客の
陣取りも完了している。若手だけの事業部の仕事自体煮詰まっていて新たに入り込む余地はないし、従来の調査の仕事もしなければならない。
仕事以上に我慢できなかったのがオフィス環境。事業部と言っても営業部の真ん中に席を置いているだけなので、狭くて座れば椅子の背と背が当たって、人が通る時は椅子を寄せて身をよじらなければならない。大量のアンケートや資料を扱うのに机も小さい。さらに、一日パソコンに向かっているので、昼はできるだけ早く済ませて15分ほどうたた寝して午後の仕事に望みたいのだが、狭くて人の出入りも多い環境ではそれもできなくなってしまった。もう一つ重大な問題は冷房。狭いオフィスにOA機器や自販機が設置されて暑いのは確かだが、営業なのに一日席で世間話している連中がいて、そいつらが毎日暑い暑いと大騒ぎして、ビルの空調とは別に天井にエアコンを設置させてしまった。その吹き出し口がちょうど頭の上だった。セーターを着たり、膝掛けをしたりしたが、一日パソコンに向かっているので、夕方になると頭がキンキンに冷え
て頭痛がしてくる。こんなところにいたら、そのうち心身ともにおかしくなってしまう。年齢的に転職はほぼ無理だが、株のトレードをシミュレーションすると何とかやっていけそうだ。長年積もり積もったものもあるし、えーい辞めちゃえということになった。
(2006.12.29)
昨日に引き続き、会社を辞めた理由。今日は内的要因のほう。
昨日書いたとおり、前居た会社は仕事上も待遇上も環境上も不満だらけだった。一日中部屋にいておしゃべりしている営業、右から左に伝えるだけで仕事している気になっている制作、会社の規模や実態に合わない制度を押し付けてくる管理部門、データも満足にないマーケ(自分の部署)。会社にいると何から何まで嫌なことばかりだ。毎日毎日嫌な気分で過ごし、それは会社のせいだ。そういう、嫌なことを人のせいにして嫌な気分で過ごすこと自体が嫌になってしまったのだ。それなら嫌な要因をなくしてしまえばいい。つまり会社をなくしてしまえばいいわけだ。自分から会社をなくすということは、自分が会社を辞めるということだ。楽しいことは自分自身で作り、嫌なこと
は自分の責任で引き受けて生きたい。他人や環境に依存せず、自分自身の人生を生きたいと思うようになったのだ。
もう一つの理由は、これまでの人生、どちらかといえば、あんなことしちゃいけない、こうしなきゃいけない、と自分自身に枠をはめて生きてきたように思う。例えば、学生の時フォークソング同好会に入って日曜日大学近くの喫茶店にいた時、他の客に国費で遊んでいられていいねと言われて、やめてしまった。一人で佐渡へ行った時知り合った女性から写真を送ってもらい、飛騨高山へ遊びに来るよう誘われたが、何となく不安で行けなかった。友人に卒業旅行を誘われた時も、借金してまで遊びで海外旅行なんかするわけにはいかないと断った。社会人になってしばらくして、アメリカへ留学してMBAを取得したいと思った時も、部屋や荷物をどうするんだとか、帰ってきて再就職できるのかとか、不安が先に立って結局できなかった。今も、何があってもネクタイを締めて会社へ行かなければならない、名刺を持って、自分の身分を維持しなければならない、という自己規制だけで生きるようになっていた。今まで我慢してきたいろいろなこと、そろそろ好きなようにやっていいんじゃないかと思うようになってきた。もちろん、定年まで無事勤めて、それから少し働いて退職金と年金で暮らすというのがまっとうな道だろうが、そんないわゆる余生を楽しむのではなくて、今現在の人生を変えてしまいたいのだ。
現況は、収入確保のため株のトレードで悪戦苦闘しているところだが、落ち着いたら自分のしたいことを探してやっていきたいと思っている。究極の目標は、自分の生きた証として一冊の書物と残すこと、そして憧れのエーゲ海へ行くこと。その前に、飛騨高山とか、国内あちらこちらをさすらってみたい。
とりあえず会社人生を一応総括し終えたので、これからは後は振り返らず、前を向いて生きていきたい。 (2006.12.30) |