乙一

夏と花火と私の死体 GOTH 暗いところで待ち合わせ

夏と花火と私の死体 2004年4月27日(火)
 わたしは五月、9歳の女の子。弥生ちゃんは同級生の友達で、健くんはそのお兄さん。いつものように木に登って遊んでいて、「私も健君のことが好き」と言ったら、弥生ちゃんが背中を押し、そして木から落ちて私は死んだ。そのことを知った健くんは、なぜか死体を隠そうとする。ここに隠すと見つかりそうになり、別のところに移すとまた見つかりそうになり、とその後はホラーというよりはハラハラドキドキショーの連続。読んでいくうちにある程度結末は予想できるのだが、死んだ「わたし」が語り手になっているところが最後のオチに効いている。
 もう一編の「優子」は、鳥越家という旧家にお手伝いに入った清音という少女と、主人である政義との不思議な物語。政義は妻の優子と二人暮らしなのだが、清音は一度も優子に会わせてもらったことがない。それに食事も二人で半分ずつの量でいいと言われる。そして、以前鳥越家で働いていた静枝を訪れると、奥様は2年前に亡くなったと言われる。作品の中にヒントは出ているのだが、どっちが本当なんだろうと思ってみてもおもしろいかもしれない。
 作者16歳の時の作品だそうだが、年齢とは関係なくおもしろいし、うまい。

GOTH 2005年7月22日(金)
 悲惨で残酷な事件、死体、犯行現場、そういった人間の暗黒の面にひかれる僕と級友の森野夜。その二人の周囲で、連続猟奇殺人(「暗黒系」)、子犬が行方不明になる(「犬」)、生きたまま手首だけ切り落とされる(「リスカット事件」)といった事件が起こり、興味を持って近づいた二人が事件に巻き込まれ、そしてごく近くにいた犯人に行き当たる。「記憶」では森野の秘密が暴かれ、「声」では僕の正体が明らかになる。
 どちらかというと森野が犯人に出くわし、僕が謎を解くという役回りになるが、僕は犯人を突き止めることにも、犯行を防ぐことにも興味はない。ただ、犯人を、犯行現場、死体を目撃したいだけなのだ。たまたま森野を救うことになるが、本当は森野の死体を見たかっただけだ。この辺がブラックでおもしろいところかもしれない。やっぱり夏はホラーだな。本格ミステリ大賞受賞作だそうだが、ミステリーという点から見ると、ほぼ全編に共通しているトリックというかキーは「誰が誰か」ということ。

暗いところで待ち合わせ 2006年11月1日( 水)
 ミチルは三年前事故にあって徐々に視力を失い、母とは幼い頃別れ、父も昨年亡くなって、駅のホームの裏にある家に一人住んでいた。たまに小学生の時からの友人であるカズエと一緒に外へ出て買物をする以外は、居間の畳に寝転がって胎児のように体を丸めて、自分が世界と一切何の関係もないように思いながら過ごしていた。
 アキヒロは同じ駅から通う印刷会社の先輩松永を憎んでいた。その朝もホームで見かけ、殺意を覚えて背中に近づき、線路に落下する松永と視線が交錯し、咄嗟に逃げ出した。そして、視覚障害者の女性が一人で住んでいることを知っていたミチルの家に入り込み、居間の窓辺に座り込んで気づかれないようにじっと過ごした。アキヒロも、学校でも会社でも一人でいることを望み、群れになっている人々を自分とは違う生物のように思い、自然と孤立して生きてきた。
 次第にミチルは部屋の中に誰かいることに気づくが、危害を加えられることを恐れ、気づいていないふりをすることにする。しかし、あるきっかけからアキヒロはミチルが気づいて気づいていないふりをしていたことを知り、ミチルも気づいていることを知られたとわかる。こうして、二人の奇妙な生活が始まった。その生活を通して、ミチルの心にもアキヒロの心にも温かいものが生まれてくる。
 この作品はサスペンスであり青春小説でもあり、そしてミステリーでもある。なぜアキヒロが居間の窓辺に座り続けていたのか、そこに気づくと推理は鮮やかに回り始め、哀しい結末も予感されるのだが・・・。
 「かつて自分は、・・・いつも居心地の悪さを感じていた。・・・はたして自分のいていい場所はどこなのだろうかと、考えたこともあった。しかし必要だったのは場所ではなかった。必要だったのは、自分の存在を許す人間だったのだと思う。」