小野正嗣

にぎやかな湾に背負われた船 九年前の祈り    

にぎやかな湾に背負われた船 2005年12月25日(日)
 女子中学生の「私」は、警察官の父の転勤で「浦」と呼ばれる地方で暮らすことになる。駐在所にはミツグアザムイというアル中男がやって来て、酒を飲んで酔いつぶれると元教師で万年落選候補の川野先生が連れて帰る。「浦」にはトシコ婆というひどい容貌のおばあさんがいて、子供達が家に花火を打ち込んでいたずらしている。他に、毎日のように暇な老人4人組がやってきて、駐在所の前で一日昔話をしている。そして「私」は、中学の教師との性遊びにふけっている。
 物語は、3つの部分からなっていて、「浦」の人々をめぐる猥雑でユーモラスなサーガ、その真実が明らかになる戦前、戦中の出来事が語られるゴシック体の部分、そして「私」と中学教師が会っている部分。それぞれトーンが異なっていて、ゴシック体の部分では悲惨な戦中の体験が語られ、中上健次やフォークナーの世界を連想させるが、「私」が語る部分は中学生の意識には不釣合いなレトリックな文体となっている。三島賞受賞作。
 朝日新人文学賞受賞作の「水に埋もれる墓」も同じように「浦」を舞台とした、カズコ婆という老婆の話。一緒に住んでいる孫息子のフミは道路工事現場に泊り込んでいて、休みの日にしか帰って来ないので、普段は「色の黒い小さな人」が来て焼酎を飲みながら話し相手をしている。途中、カズコ婆が入院したという知らせで東京の孫の女性がやってくるが、バスに乗ってそのまま作品からフェイドアウトしてしまい、唐突にヘルパーの女性が登場して終わる。
 2つの作品に共通して言えるのは、作品が物語の部分と作者の言語表現という2層構造になっていることで、この辺はヌーヴォーロマンの影響があるのかもしれない。物語自体や登場人物にはあまり意味がないし、戦前、戦中の事件もそれが何かを主張しているわけでもない。物語や登場人物に似つかわしくない文体は、作者の表現する行為を意識的に浮き上がらせているように思える。

九年前の祈り 2018年4月6日(金)
 作者の故郷である大分県のリアス式海岸の入江の町を舞台にした、「九年前の祈り」、「ウミガメの夜」、「お見舞い」、「悪の花」からなる短編集。それぞれの作品に共通する人物名が出て、最後まで読むとこれが連作短編集で、ある人物がキーパーソンだということがわかるけど、それがどうしたという感じもするし、いまいちピンとこなかった。芥川賞受賞作。