奥泉光

石の来歴 ノヴァーリスの引用 雪の階  

石の来歴 2003年7月8日(火)
 この作家は、以前「その言葉を」という作品を読んだことがあって、その重く暗い手触りが印象に残っていた。
 「石の来歴」は、戦中レイテ島の洞穴で上等兵から聞かされた「河原の石ひとつにも宇宙の全過程が刻印されている」という言葉から、石の収集にのめりこむ男の物語。家族を次々と失い、独り夢幻の中で秩父の洞穴がレイテ島の洞穴とつながる。これも芥川賞受賞作。「三つ目の鯰」は、キリスト教と土俗的な風土、あるいは合理性と非合理性、あるいは田舎と都会といった対立の中で揺れる心境を感じさせるような、自伝的な雰囲気もする作品。
 重苦しい手触りというのは、音読みの熟語が多く、段落の非常に長い古風な文体のせいかもしれない。4つの中編小説を読んで、宗教的な解釈をするのは簡単かもしれないが、これがテーマだと共通する要素は単純には言えないような気がする。

ノヴァーリスの引用 2004年2月4日(水)
 恩師の葬儀を機会に、経済学部の大学院時代の研究会仲間4人が再会し、居酒屋へ赴く。そこは他に客も訪れない暗く静かな店で、話はいつしか十年前図書館の屋上から墜死した仲間の話になる。最も若くミステリーマニアの松田が、あれは殺人ではなかったかとトリックを披露する。しかし、議論するうちに多くの記憶違いが明らかになり、さらに新しい記憶がよみがえり、推論は混沌としていく。フリーのライターになっている進藤が、死んだ石塚が傾倒していたというノヴァーリスと亡くなった恋人について言及し、彼の思想や心理を想像していくと、いつか物語は幻想小説の趣きを見せ始める。主人公の当時の記憶には、研究室の建物に入った時、奥に人がいたこと、研究室に間違い電話があったこと、隣の部屋に誰かいたこと、といったことがよみがえってくる。
 石塚のノヴァーリスの引用からなる修士論文のコピーを送ってもらって読んだ後、再び4人が集まり、成り行きでキャンバスで花見をするが、寒さと暗さで研究室へ移ることになる。酔いと頭痛で一人になった主人公が 足を踏み入れる世界は・・・。
 奥泉光の作品は、重くて暗い語り口が特徴だが、今回は登場人物が大学の助教授や講師なだけに、古風でアカデミックな言い回しで、ミステリアスな雰囲気を一層強めている。事件の真相は・・・どうなんだろう。野間文芸新人賞受賞作。

雪の階 2021年5月21日(金)
 昭和十年、笹宮伯爵の令嬢、数えで二十歳になる惟佐子は、来日したドイツ人ピアニストの演奏会に招かれた。誘われた友人の宇田川寿子来ていず、そしてピアニストのカルトシュタインからの手紙を渡された。ドイツに渡った伯父白雉博充の友人だという。寿子の行方は知れなかったが、仙台の消印のある葉書が届いた。しかし、寿子は富士の樹海で陸軍士官とともに死体で発見された。惟佐子は、幼少時の「おあいてさん」で、今はカメラマンをしている牧村千代子に調査を依頼する。千代子は知り合いの新聞記者蔵原誠治と、列車で仙台へ向かう。そして、惟佐子はとんでもない行動に出る。
 二・二六事件を背景にしたミステリー。 神秘体験に民族浄化論に天皇機関説論争、謎の寺院、ヤクザの息のかかった男、惟佐子の兄の陸軍士官など、思想、人物が入り乱れて錯綜する。真相は果たして出尽くしたのだろうか。柴田錬三郎賞、毎日出版文化賞受賞作。