奥田秀朗

ウランバーナの森 イン・ザ・プール 空中ブランコ 家日和
オリンピックの身代金      

ウランバーナの森 2004年11月8日(月)
 この前の直木賞受賞作家のデビュー作。
 ジョン・レノンそのものである、ポップスター・ジョンが主人公で、音楽活動をやめてから4年、ケイコと息子のジュニアとともに軽井沢で夏を過ごしている。ある日、街で「ジョン」と呼ぶ母の声が聞こえて目で追うと、後姿が母そっくりの女性だったが、顔を見るとまったくの別人だった。しかし、その日からジョンに変化が起こる。腹が重苦しく、息苦しさに襲われ、過去の悪夢にさいなまれるようになる。医者に診てもらうと、便秘していることに気づく。薬は効かず、医者は夏休みで出かけてしまい、悪夢はさらに続く。心配したケイコに、夏の間だけ開いているという「アネモネ医院」を紹介されて訪れてみる。森の中にあるこの医院で診療を受けるとなぜか快くなるのだが、帰り森の中の道を歩いていると深い靄の中で過去の亡霊と遭遇する。そして、それがお盆の間中続く…。
 作者は、空白の4年間のあとジョン・レノンの作品がまったく変化していて、この4年間に何があったのか知りたい、そんな思いで書いたのだそうだ。日本のお盆とからめていて、「ウランバーナ」とは盂蘭盆会の原語だそうだ。ストーリーの中にいろんな秘密が隠されていて、それらが解きほぐされていくと温かい感情があふれてくる。英語がわからないお手伝いのタオおばあさんと、日本語はうろ覚えのジョンの、日本語と英語で通じ合う会話のシーンもおもしろかった。

イン・ザ・プール 2007年1月31日(水)
 「イン・ザ・プール」:下痢、腹痛に悩む和雄は「伊良部総合病院」へ連日通いつめるが、とうとう精神科へ回される。地下1階の精神科をノックすると、「いらっしゃーい」という声が聞こえ、中には四十代前半と思われる太った医師がいて、胸の名札には「医学博士・伊良部一郎」とあった。いきなり心身症、ストレス性の体調不良と言われ、露出狂の無愛想な看護婦に注射をされ、毎日来るように言われる。運動を勧められたので、水泳を思いつき、水着を買って区民体育館に通う。久し振りに泳いで みて、和雄は近年味わったことのない幸福感に満たされた。そうして、和雄は水泳へのめりこんでいき、伊良部も誘ったのだが・・・。
 「勃ちっ放し」:勤め先の同僚と不倫して家を出て行った妻の夢を見た朝、本棚から落ちた広辞苑が股間に命中して以来、哲也の性器は勃ちっ放しになってしまった。病院へ行くと陰茎強直症と診断され、神経科を紹介される。
 「コンパニオン」:ストーカーの視線を感じるようになったコンパニオンの弘美は、警察に行くが相手の姿を見ていないので相手にされず、友人の勧めで神経科を訪れる。
 「フレンズ」:ケータイのメールと打つ回数が一日二百回を超えた高校二年の雄太は、父にケータイを取り上げられると左手が震えはじめた。父に病院へ連れてけと言われ、母が予約を入れた神経科へ行く。
 「いてもたっても」:ルポライターの義雄はタバコの火の始末が気になり始め、五回六回と部屋に舞い戻るようになり、ついに仕事に穴を開けてしまった。商売柄図書館で調べると、「強迫神経症」の「確認行為の習慣化」という言葉にたどり着いた。
 直木賞を受賞した精神科医伊良部シリーズの第一作。一言で言うと、おもしろすぎる。治療やカウンセリングは一切なし、お坊ちゃまでオタクで、とんでもないことばかり言う精神科医。そして、患者と共体験しながらいつの間にか憑き物を落とすように癒している。いろいろな風俗を取り上げて嘲笑させ、温かみも感じさせてくれる。

空中ブランコ 2008年1月19日(土)
 伊良部総合病院の地下1階の精神科、ドアをノックすると「いらっしゃーい」と素っ頓狂な声がして、部屋に入ると太った中年男がソファーにかけている。カウンセリングもなしにいきなり胸の谷間が見える看護婦がビタミン注射を打ち、それを興奮して眺めている。精神科医伊良部一郎のシリーズ2作目で、直木賞受賞作。
 今回は、受け手が外から入ってきた人間に替わったとたん失敗するようになったサーカスの空中ブランコ乗り(「空中ブランコ」)、先端恐怖症で短刀で指を切って血判を押すことができなくなったやくざ(「ハリネズミ」)、医学部長である義父のかつらをはずしたいという衝動を抑えられない強迫神経症になった伊良部の同窓の神経科医(「義父のヅラ」)、甘いマスクで同じポジションのルーキーが入団してから送球ができなくなるイップスになったベテラン三塁手(「ホットコーナー」)、作品を書くたびに前に同じ設定を使っていなかったか気になって、心因性の嘔吐症になった恋愛のカリスマと呼ばれている女流作家(「女流作家」)。新たな患者が来るたびに、子供のような好奇心と資力にものを言わせて患者たちの世界に入っていって、かえってストレスを与えてしまうが、最後には癒されている。
 一作目ほどのインパクトはないが、笑えて泣けた。

家日和 2010年9月9日(木)
 「サニーデイ」:不用品をネットオークションに出したら売れて、しかも良い評価も受けた。気づくと目の下の皺も消えていた。
 「ここが青山」:会社が倒産して、働き始めた妻に代わって主夫業に専念してそれなりに充実しているのに、あちこちで「人間いたるところに青山あり」と励まされるのだった。
 「家においでよ」:妻と別居することになり家具も何もなくなったので、自分の好みのものを買い揃え、それがオーディオ、サラウンドシステムとグレードアップしていくと、いつのまにか会社のロック好きの同僚のたまり場になっていた。
 「グレープフルーツ・モンスター」:内職先の担当が礼儀知らずの若い男に替わると、なぜか淫靡な夢を見た。それ以来、その夢を期待するようになる。
 「夫とカーテン」:突然夫が会社を辞めてカーテン屋を始めると言い出した。もう何度めだろうか。同時に、なぜかイラストの仕事の評判が良くなっていった。
 「妻と玄米御飯」:妻が"ロハス”というものにはまり、玄米御飯を食べさせられるようになり、子供たちにも不評だ。短編の締め切りに追われたあげく、ロハスの人たちを面白おかしく書くことにする。
 のめりこむ人たちの喜劇という点では、伊良部シリーズと同じ。それが家族の力で落ち着くところに落ち着くというところが「家日和」ならでは。「サイン本の著者は奥山英太郎という聞いたことのない作家だった。…早速買って読むと、愚にもつかないお笑い小説であった。」というところが笑えた。 柴田錬三郎賞受賞作。

オリンピックの身代金 2015年5月30日(土)
 昭和39年、オリンピックを目前にした東京。出稼ぎ先でオリンピックに向けた工事現場で働いていた兄が急死し、東大大学院生島崎国男は同じ現場で夏休みの間働くことにし、貧しい田舎と過酷な労働の現実を知る。そして帰省の列車で知り合ったスリの村田とオリンピックを人質にして身代金を奪うことにした。島崎の同窓生でテレビ局に勤める須賀忠は、実家の近くで島崎とすれ違い、その後警察官僚の父と住む実家で爆発が起きた。本郷の古書店の娘小林良子は、要塞を習いに行っている中野で、店の客である島崎と会った。その後、中野の警察学校で爆発が起こった。警察には草加二郎を名乗る人間から脅迫状が届いており、二つの事件は秘密のうちに捜査が始まる。
 事件と捜査の記述が先行し、島崎の行動はその後から明らかにされるので、一種の倒叙ものと言える。捜査の最初から島崎の名前が出るので、どう展開するのかと興味深く読める。反映する東京と貧困の地方の落差、オリンピックの成功と戦後の復興への期待、刑事部と公安部という警察内部の対立など、いろんな要素が絡み合っておもしろい。吉川英治文学賞受賞作。