梨木香歩

裏庭 西の魔女が死んだ からくりからくさ 家守綺譚
f植物園の巣穴      

裏庭 2003年9月19日(金)
 住む人のいないバーンズ屋敷と呼ばれる洋館の庭は、近所の子供たちの格好の遊び場となっていた。双子で知恵遅れの弟が亡くなってから、両親の愛情を感じられずにいた少女照美は、友達のおじいさんから聞いていたその屋敷の秘密の裏庭に入ってしまう。そこは、異世界で、元の世界に帰るためには、崩壊しそうなその世界を救わなければならない。そして、仲間を得て冒険の旅に出ることになる。というと、「ネバーエンディングストーリー」のようだが、アーサー王伝説にしても「指輪物語」にしても、「スターウォーズ」や「ドラゴンクエスト」にしても、主人公が冒険を通して成長していくというのが、ファンタジーに共通したパターンなのだ。
 この作品では、主人公と母、母とその母という、3代にわたる親子関係と心の傷が重要なモチーフとなっている。「鎧をまとってまであなたが守ろうとしていたのは何かしら。傷つく前の、無垢のあなた?でも、そうやって鎧にエネルギーをとられていたら、鎧の内側のあなたは永久に変わらないわ。確かに、あなたの今までの生活や心持ちとは相容れない異質のものが、傷つけるのよね、あなたを。でも、それは、その異質のものを取り入れてなお生きようとするときの、あなた自身の変化への準備といえるんじゃないかしら、『傷つき』って。」

西の魔女が死んだ 2004年3月9日 (火)
 「西の魔女が死んだ。」こんな印象的なフレーズで始まる物語の主人公まいは、中学に入って学校へ行けなくなってしまう。母親は理由を聞こうともせず、おばあちゃんに預けることにする。魔女というのは、このイギリス人の祖母のこと。こうして、自然の中で暮らすおばあちゃんとの生活が始まる。庭の畑から野菜を採ってサンドイッチを作り、鶏小屋から卵を採り、野いちごを煮てジャムを作り、ハーブティーを作って農薬代わりに野菜にかけ、シーツを踏み洗いしてラベンダーの上に広げて干す。
 まいは、母親が電話で「扱いにくい子」、「生きていきにくいタイプの子」と言っていたことがわだかまっているし、父親に「死んだら、もう最後の最後なんだ、何にもなくなるんだ」と言われたこと にも、夜ひとりでおびえていた。そんなまいに、おばあちゃんは自分たちは魔女の家系だと言い出し、魔女の修行を教え、魂と肉体についての考えを話し、ある約束をする。
 ちょっとした出来事がきっかけで、「おばあちゃん、大好き」と言えず、「アイ・ノウ」という返事を聞けず分かれて2年後、おばあちゃんが倒れたという知らせがあって駆けつけると既に亡くなった後だった。しかし、おばあちゃんは約束を忘れず確かに果たしていた。surprise!そのページをめくった瞬間、中学生の女の子になってウェーンと泣いてしまいたかった。
 「いちばん大切なのは、意志の力。自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力」引用したい言葉はたくさんあるが、魔女の修行という形を借りて、まいに大切なことを伝えている。それは、もちろん大人にも響く言葉だ。

からくりからくさ 2006年10月12日 (木)
 祖母の四十九日が済み、蓉子は祖母が暮らしていた古い家に入る。家の掃除をし、電源のブレーカーを上げ、そして祖母の喪に服してひきこもっていた「りかさん」を押入から取り出した。リカさんはまだ目覚めていなかった。りかさんは九つの誕生日に「リカちゃん人形」のかわりに祖母から贈られた人形で、取扱い説明書にしたがって朝晩の食事を一口ずつよそってあげていると、七日目に言葉を交わすようになっていた。
 蓉子の両親は祖母の家を女子学生の下宿にすることにし、蓉子が住むことになった。蓉子は大学へは行かず、植物染料の工房に通って勉強していた。下宿人は、そこで知り合った鍼灸の勉強のため日本に来ているマーガレット、美大で織物を研究している紀久と与希子に決まり、古びた民家での染色と機織を中心にした若い女性4人の静かで穏やかな共同生活が始まる。
 人形の作者をめぐって混沌としたミステリーの中に投げ出されたり、紀久、与希子、マーガレットの3人それぞれに大きな出来事があったりしてストーリーと人物が錯綜していくが、物語の根底にあるのは全てを抱き込みながら永遠に伸びていこうとする唐草模様の生命のエネルギーだ。
 「自分の与り知らぬ遠い昔から絡みついてくる蔓のようなものへの嫌悪といとおしさ。蔓はこの限界を越えようと永遠を希求する生命のエネルギーだ。・・・呪いであると同時に祈り。憎悪と同じぐらい深い慈愛。怨念と祝福。同じ深さの思い。媒染次第で変わっていく色。経糸。緯糸。リバーシブルの布。一枚の布。一つの世界。私たちの世界。」

家守綺譚 2008年2月15日 (金)
 綿貫征四郎は卒業後売れもしない文章を書いていたが、ボートで行方不明になった親友高堂の父親から家の守をしてくれないかという話が来て、春から越してきた。和風の庭には草木が伸び放題で、疎水からの用水路の途中が池になっている。サルスベリが満開になり、すべすべとした木肌を撫でてやるのが日課になった。嵐の夜、床の間の掛け軸の中からボートに乗った高堂が現れた。「サルスベリのやつが、お前に懸想している。」と言うのだった。商店街で肉を買って歩いていたら犬が後を付いて来た。また高堂が現れて、ゴローと名前をつけた。池の水の面に緑色の皿のようなものが浮いていて、山寺の和尚に相談に行くと、河童だと言う。ゴローは和尚に言われて、河童を滝壺まで運んでいく。隣のおかみさんに話したら、よくあることですと頷いた。
 こんな感じで、移り変わる季節の中で、サルスベリの精とか、河童とか、狸とかいった超自然現象をめぐって、征四郎と亡くなった高堂、隣のおかみさん、和尚との漂々としたやりとりが繰り広げられるファンタジー。

f植物園の巣穴 2012年11月20日 (火)
 歯が痛むので早朝歯医者へ行こうとすると、家主がもう昼過ぎですがと言う。わかりやすい名前のf郷歯科に行くと、犬が働いていた。前世犬だった家内が、忙しいと戻ってしまうのだという。鍵を忘れて時間つぶしに入った洋食屋の女給の名は千代といった。子供の頃なついていたねえやも千代といい、いつの間にか姿を見せなくなっていた。病で亡くなった妻の名も千代だった。〈私〉の仕事は、f植物園の園丁で水生植物園が担当。そして、そこの大木のうろに落ちたことを思い出したが、そこから出た記憶がない。川の岸辺で体が傾いて川に落ち、そこでカエルのようなものにである。帰り道を聞いてついていくと水の中へ入っていき、そこに子供の頃の家があった。
 物語はうろに落ちた後から始まっているので、最初から異界の世界に入り込んでいる。そして、園丁は幼児の封印した記憶を呼び起こし、失ったはずの妻を取り戻す。これは、大人の成長の物語だった。久し振りに印象に残る作品。