中村文則

土の中の子供 遮光 掏摸
迷宮 教団X 悪と仮面のルール 私の消滅

 2006年9月29日(金)
 冷たい雨の夜、とりとめもなく歩いているうち、私は荒川の橋の下で死体を発見し、その傍らに落ちていた拳銃を拾って部屋に持ち帰った。拳銃には圧倒的な美しさと存在感があり、私の中に変化が起こる。手に持って磨き、そのうち持ち歩くようになり、撃ちたいという欲求につかれていく。
 偶然拳銃を手に入れた大学生の、内面の変化を描いている。幼い頃父から虐待を受けて施設で過ごしていたという背景は、直接影響してはいないようだが、友人や女子学生や実の父に対する態度はどこか離人症的で、警察にいったん目をつけられながら、自分の都合のいい論理に流されて異常化していく過程はおもしろい。ただ、「私」が語る文体と主人公の存在が一致しないように思える。
 芥川賞受賞作家のデビュー作で新潮新人賞受賞作。

土の中の子供 2008年2月7日(木)
 バイクでたむろしている男達に煙草の吸い殻を投げつけ、全身を蹴られる。マンションの最上階へ続く階段の踊り場の壁から上半身を外へ乗り出させる。遠くから聞こえる踏切の音に神経を集中し、今から死ぬのだと思い、吸い寄せられるのだと思う。その先にあるものを《私》は待っている。《私》は何かほかのものになるのではないか・・・。《私》は両親に捨てられて遠い親戚に引き取られ、そこで虐待を受けて過ごしていた。保護された施設で、精神科医が「恐怖が身体の一部になるほど侵食し、それに捉えられ、依存の状態にあるんです」と言ったという。土に埋められそこから這い出た体験が、今も27歳のタクシー運転手の心を蝕んでいた。
 その先にあるものというのは、土の中から生き返って野犬に遭遇した時に感じた、生への強烈な意志なのだろうか。第133回芥川賞受賞作。
 「これで終わるのだ、と思った。世界は、最後には、自分に対して優しかったのだと思った。だが、何か、私の中に騒ぐものがあった。・・・何か、おかしいのではないだろうか、本当に、これでいいのだろうか。この納得のいかない気持ちが何であるのかを、私はまだ、地上に上がって考えていかなければならないのではないか。」

遮光 2010年2月28日(月)
 黒いビニール製の袋で覆われた瓶を取り出し、中身を確認する。専用のバッグに入れて持ち歩き、撫でたり摑んだりする。友人に会うといつも恋人の美紀のことを尋ねられ、その度アメリカ留学からまだ帰っていないと答える。美紀は事故で死んでいて、瓶には安置所から持ち去った美樹の指が入っていた。友人とも携帯にも作り話を重ね、衝動的に執拗な暴力をふるう青年。
 後のほうで両親を失って人の世話になる幼少時の体験が語られ、納得のいきすぎる展開となっているが、これがあることで、どこか許されるような悲しい印象が残る。「銃」や「土の中の子供」と共通する部分があるようだ。野間文芸新人賞受賞作。

掏摸 2013年7月13日(土)
 金持ち専門に掏摸を働いているが、時々とった記憶のない財布がポケットに入っている。昔一緒に仕事した石川は、今どこにいるのかわからない。スーパーで万引きしようとしている母子を見かけ、なぜか助けてしまう。ある日、裕福そうな男を見かけて財布を指で挟むと腕をつかまれた。石川と一緒に危ない仕事をさせられた木崎だった。木崎は三つの仕事を命じる。失敗すれば殺すし、引き受けなければあの親子を殺すという。木崎は裏の世界で権力の構造にかかわっているようだった。
 掏摸の描写がリアルだと思ったら、参考文献にそういった本が列挙されていた。現実の世界と、主人公の内面の世界と、木崎の世界観が重なり合っていて、軽く読める部分と重い部分がある。大江健三郎賞受賞作。海外でも注目された作品だそうだ。

迷宮 2015年5月17日(日)
 バーで出会った、昔同じ中学に通っていた女性の家に泊まり、職場の法律事務所を出ると、探偵事務所の男に声をかけられた。彼女、紗奈江と親密な男性が不正経理に関わって失踪して、彼女の部屋のベランダのプランターの中に入っているかもしれない。そして、彼女は一家惨殺の迷宮事件の遺児だ言う。昔僕は陰鬱な子供で、心の中にRという分身がいた。紗奈江は自分を殺して欲しいと言う。僕は事件に引き込まれていく。
 ミステリーとして読めば密室殺人事件の謎ということになるが、紗奈江が告白してもそれが真実とは限らない。内面に暗部を抱える者達が事件に惹きつけられ、その心の迷宮が事件の真相なのかもしれない。

教団X 2017年10月13日(金)
 楢崎は、自殺をほのめかして失踪した立花涼子探して、探偵事務所に勤める友人に調査を依頼し、ある宗教団体をたずねた。そこは、松尾という老人の話を聞く会だという。そして、かつて沢渡という男が松尾の資産と集まる人の一部を奪って、名前のない宗教団体”教団X”を作り、立花涼子はその詐欺を働いた一人だという。松尾の講話のDVDを見て屋敷を出た楢崎は若い女から声をかけられ、教団Xに連れていかれる。一方、教団の幹部、高原は外部の何者かの指令を受けて、教祖沢渡を裏切ってテロの準備をしていた。
 様々なコンプレックスを抱えて教団に集まる者たち、日本の右傾化を謀って”外敵”に目を向けさせ、教団を生贄にしようとする政権と警察。2014年の作品だが、今日現在を語っているような内容 だ。ただ、高原が訴えるアフリカなどの飢餓の問題、沢渡のアフリカでの活動での性癖に大きな部分を割いているのは、どうかと思う。

悪と仮面のルール 2018年10月11日(木)
 日本で隠然たる権力を有する久喜家に代々伝わる「邪」として生まれた文宏は、顔を手術で変え、新谷弘一という男になり、探偵を使って、子供の頃一緒に過ごし愛し合った香織を探す。そして、クラブで働く香織に付きまとう男がいることがわかり、その男に近づく。ある日、愛だという男が現れる。文宏がなりすました新谷を探っている刑事だった。また、伊東という若い男がから金を要求される。彼は久喜家の傍系の同じ「邪」で、テログループで活動していた。
 いろいろと出てくるわりに、ストーリーは意外とシンプルで、いわゆるノワールでもない。東野圭吾の「白夜行」と比べてもピュアな感じがする。ウォール・ストリート・ジャーナルでベストミステリー10に選ばれて、映画化 もされた話題作。

私の消滅 2020年2月8日(土)
  僕は小塚亮大という成り代わろうとしていた。しかし小塚の部屋にやってきた男が、あなたは小塚亮大だと言った。小塚は心療内科の医師だった。トラウマを抱えたゆかりの診療にのめり込んで、睡眠療法を試みていた。前の医師に電気ショックを施されたゆかりには記憶障害があった。小塚の元から消えたゆかりは自殺し、小塚は一緒に住んでいた男から恐ろしい提案を受ける。
 読んでいるうちに僕が誰だかわからなくなってくる。ミステリー仕立てで最初はおもしろいのだが、次第にうんざりしてくる。興味を引かれたのは最後の最後だけ。最近新聞で連載している小説もそうだが、この作家は袋小路に入り込んでしまったではないだろうか。Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞作。