中村彰彦 |
二つの山河 |
二つの山河 2006年12月27日( 水) |
日本は同盟国イギリスの要請に応え、ドイツの租借地青島を陥落させ、四千六百余名のドイツ人俘虜を国内に輸送して収容することになる。各地の収容所のうちの一つ、徳島県の「坂東俘虜収容所」の所長松江豊寿中佐は、「かれらも祖国のために戦ったのだから」と、俘虜たちに対して人道的に接するよう求めた。その結果、俘虜たちは文化・技術の多様な領域で地元民と交流した。「敷島パン」、銀座の「ローマイヤー」、神戸の「ユーハイム」も彼らが関わったものだった。なんだ、「バルトの楽園」じゃないかと思ったら、盗作問題が持ち上がっていたらしい。松江の父は会津藩士であり、松江も軍隊では会津藩差別にあっていた。また、彼は韓国駐在経験があり、隣国の人々に屈辱を与える役目を荷うことになり、そのためか「戦歴ハ不要ト認メラレ候ニ付記入不致候」としていた。この作品の主眼は、ドイツ人俘虜への人道主義や交流というよりは、そこに至った松江の内面をたどることにあるようだ。 下総結城藩の国家老小場兵馬が佐幕派へ傾倒する主君を抑えて勤皇を立場を守ろうとする「臥牛城の虜」、会津藩藩士とりたてを目指して薩摩藩邸に潜入する「甘利源治の潜入」。この作品集自体が、幕末の会津藩と薩長の佐幕派、尊攘派の争いの中で翻弄される人間を描いたもののようである。直木賞受賞作。 |