村上龍

村上龍映画小説集 イン・ザ・ミソスープ 共生虫 半島を出よ
歌うクジラ      

村上龍映画小説集 2006年6月7日(水)
 村上龍自身の分身と思われる「ヤザキワタル」の、18歳の頃を描いた連作短編集。米軍基地のある佐世保から上京して美術の専門学校に入り、ブルースバンドの仲間と共同生活をし、その後一人アパートを借り、画材店でヨウコというセックス狂の痩せた女と知り合い土日を過ごすようになる。美術学校の仲間とロック喫茶に入り浸り、麻薬類をやるようになる。吉祥寺のロック喫茶と知り合ったキミコという人妻と福生で暮らすようになり、その生活も破綻してしまう。そんな「限りなく透明に近いブルー」のバックグランドとなるエピソードが、映画とからめて紹介される。連載なので、各編ごとに同じ紹介がされて、内容もほとんどだぶっている。学校へも行かなくなり、働きたくもない、だけど他のアルコールやドラッグに入り浸っている連中とは違う。そのあたりに作家の道を選びたいという意志が隠されていたのだろう。
 村上龍の作品は「コインロッカー・ベイビーズ」以来。ほぼ同年代で同じ頃上京しているので、懐かしい思いがした。もちろん、ドラッグもセックスも無縁ではあったけど。ただ、時々ロックやフォークのライブハウスへ寄ってはそんな気分を求めていたことはあった。いつでもTシャツ、ジーンズで、小柄で髪の長い女の子がいて、その子に会うのが楽しみだった。そんな時代が甦る。平林たい子賞受賞作。

イン・ザ・ミソスープ 2006年9月21日(木)
 二十歳になったばかりのケンジは、外国人観光客の風俗のアテンドをしている。十二月二十九日、アメリカ人のフランクという男から電話があって、大晦日まで三日間9時から12時まで案内をすることになる。ホテルで待ち合わせたフランクは、違和感を覚えさせた。顔を見て年齢がわからないし、皮膚の感じが人工的な感じがした。なぜかその日読んだ、殺された女子高生の新聞記事を思い出してしまった。話すことは嘘くさいし、時々目から人間的な表情が消えることもあった。 そして、次々と疑惑を感じさせる出来事が起こる・・・。
 フランクは、悪魔的な破壊者だった。「社会生活を拒否するのだったらどこか他の場所に行くべきだ、何らかのリスクを負うべきだ、・・・彼らは罪さえ犯せない、退化している、ぼくは、ああいう退化している人間達を殺してきたんだ」それは、「特にこの国はでたらめだ。何がもっとも大切かという基準がない。・・・口では、人生は金だけじゃないなどとえらそうなことを言うが、生き方を見るとやつらが他に何も探していないのがすぐにばれる。」というケンジの直観とシンクロしそうだが、ケンジは納得できなかった。
 初期の何を書きたいのかよくわからない作者の意志が、強く明確に表現された作品だ。読売文学賞受賞作。

共生虫 2007年4月24日(火)
 ウエハラは中学二年のとき不登校になり、精神科に連れて行かれ、今は自宅近くのアパートに引きこもっている。ウエハラには秘密があった。入院していた祖父と同室の老人が死ぬ直前、鼻からヒモのような細い虫が這い出して、ウエハラのからだに移ってきて目から入り込んだのだ。テレビでサカガミヨシコが病原微生物について言っているのを見て、彼女のホームページのボードにメッセージを打ち込む。自分の秘密について書き込むと、『インターバイオ』というグループからその虫は『共生虫』であるというメールが入った。「共生虫は、自ら絶滅をプログラミングした人類の、新しい希望と言える。共生虫を体内に飼っている選ばれた人間は、殺人・殺戮と自殺の権利を神から委ねられているのである。」すべての鍵穴に鍵が入り、扉が開き、本当の自分が現れ、昂揚感に包まれて、ウエハラはアパートを出る。
 社会現象としての引きこもりや家庭内暴力、ネット・コミュニティを題材としていて、陰惨な暴力と狂気が描かれ、 ウエハラの覚醒は鏡に映したように負のほうへ向かうのだが、停滞して無自覚的に流されていく社会や人間に対する拒絶を訴えたいようだ。「誰も矢印を見ていないが無意識のうちにその一つに従って進んでいる。矢印はいつの間にか無意識の深いところに植えられ埋め込まれる。・・・そうやって人々は矢印に沿って歩き出し、他の人間と交叉する。矢印から外れるのは恐怖だ。そういう人には罰が用意されている。矢印が示す方向から外れた人間としてさらし者になるのだ。」谷崎潤一郎賞受賞作。

半島を出よ 2010年1月9日(土)
 2011年、日本経済は崩壊し、国際社会から見捨てられ、ホームレスが急増していた。親米路線へと政策を変更した北朝鮮の、反乱軍と称する9名の部隊が福岡ドームを占拠した。その2時間後には輸送機で500名の後続部隊が到着し、福岡市はこの高麗遠征軍の支配下に落ちた。人質の安全とテロ活動への危惧から政府は為すすべもなく福岡を封鎖し、アメリカも中国も国連も救いの手を伸べることはなかった。12万人の応援部隊の到来を控えて、反乱軍による統治が進んでいく一方、テロリストだったと噂されるイシハラという詩人が預かっている過去に凶悪事件を起こした若者たちが、武器マニア、爆弾マニア、毒虫マニアといったそれぞれの生きがいを武器にして戦いに乗り出した。
 民主党による政権、経済の崩壊、米中接近といった背景は非常に現実味があるし、北朝鮮のコマンドたちの内面もリアルな感じがして、迫力があっておもしろかった。イカレタ若者たちの世界も村上龍らしい。冒頭に厖大な登場人物紹介があって一瞬引いたが、作品の中で登場する都度説明があるので問題なかった。野間文芸賞、毎日出版文化賞受賞作。

歌うクジラ 2015年3月21日(土)
 二○二二年、グレゴリオ聖歌を歌う一四○○歳と推測されるザトウクジラが見つかり、その細胞と遺伝子から不老不死の遺伝子SW遺伝子が発見された。ノーベル賞受賞者、宇宙飛行士など高い社会・国際貢献を認められた人たちにSW遺伝子が組み込まれ、大量殺人者、性犯罪者などに逆に使われるようになった。最上層、上層、中層、下層と階層化され、情報と交通を遮断され、文化経済効率化運動で敬語が禁止され、総合精神安定剤入りの棒食だけが食料という社会。性犯罪者とその子孫が隔離された新出島で生まれ育ったアキラは、罪を着せられ急速に老化する刑を受けた父から、SW遺伝子の秘密の入ったICチップを老人施設に住むヨシマツという人に渡すよう託された。父が管理するデータベースで大量の知識を持ち敬語を使うアキラは、突然変異で毒を出すようになったクチチュと呼ばれる人種のサブロウと一緒に島を脱出した。
 階層が固定化され対立がなくなり、犯罪は総合安定剤で抑止され、最上層は不老不死を得た理想社会のはずだが、その行き着いたところはは意外な現実だった。毎日芸術賞受賞作。
 「生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ。そして、移動しなければ出会いはない。移動が、すべてを生み出すのだ。」