車谷長吉

塩壺の匙 赤目四十八瀧心中未遂  

塩壺の匙 2003年5月20日(火)
 「私小説」というのは文学が文壇という狭い世界で成り立っていたから存在しえたものであって、現代のように親子、兄弟で訴訟しあうような世界では発表すること自体が困難なはず。というか、多少の文章を書ける人間はどこにでもいるので、個人的な感動話は何とかヒューマン大賞とかで事足りてしまう。
 この作品は、旧漢字や旧い言葉遣い、方言、地方の地名が多くて、非常に読みにくい。同時代の作品とは思えないほど感覚が古くて、アナクロ的だ。しかし、これが確信犯であることを表している。この作品に描かれている作者や家族のことが事実だとすれば、この作者は犬畜生のような世界を生きてきたことになる。あとがきによれば、「詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。・・・にも拘らず書きつづけて来たのは、書くことが私にはただ一つの救いであったからである。・・・書くことはまた一つの狂気である。」トートロジー気味。
 しかしながら、読んでいておもしろいのは事実だ。もう2、3冊読んで、おもしろいと思うのか、うんざりするのか。

赤目四十八瀧心中未遂 2006年11月7日(火)
 「私」は尼ケ崎で、伊賀屋という焼鳥屋の女主セイ子に雇われてアパートの一室で屍肉を切り串に刺すという日々を過ごしていた。務めていた東京の広告代理店を何のあてもなく辞め、 二年の失業生活の後、関西へ流れて旅館の下足番、料理場の下働きと転々とした果てのことだった。隣の部屋は女達が男を連れ込むのに使われ、向かいの部屋は彫り物師の彫眉 の仕事場でいつもうめき声が聞こえて来た。下の階には彫眉の子と美しい愛人のアヤ、ゴミ箱をあさる老夫婦が暮らしていた。
 セイ子には「あんたなんでこんなとこにおるんや」と言われ、アヤには「あなたはここでは生きて行けへん人よ」と言われる。「私」は 「無能(すかたん)」「突ッ転ばし」「腰抜け」と答えるだけだ。主人公生島の無一物となった転落人生とニヒリズムのような人生観は、次のように 表現されている。
 「その日その日、尻の穴から油が流れていた。私が私であることが不快であった。私を私たらしめているものへの憎悪、これはまるで他人との確執に似ていた。」
 「夜、アパートに一人座っていると、得体の知れない生への恐れが立ち上がって来た。恰も『物の怪。』に取り憑かれたかのように−。私は露出していた。流失とは、自分にとって大事なもの・必要なものが流れ落ちて行くと同時に、いらないものが流れ落ちて行き、己れが己れの本性だけに痩せ細って行くことである。・・・やがて私はこの物の怪に立ち迷い、安定した生活をしていることが苦しくなってきた。」
 「人の生死には本来、どんな意味も、どんな価値もない。・・・こういう文章を書くことの根源は、それ自体が空虚である。けれども、人が生きるためには、不可避的に生きることの意味を問わねばならない。この矛盾を『言葉として生きる。」ことが、私には生きることだった。」
 ある夜、部屋にアヤが入ってきて、二人は激しくまぐわう。 その後、アヤの周辺で何かが起こり、セイ子に暇を告げられると、部屋にアヤからの呼び出しの手紙が置いてあった。
  「私」の虚ろな生、尼ケ崎という「温度のない町。」の人々、危うい仕事、アヤとの恋情が、臭いや温度や湿度を感じさせる古風で癖のある文体で描かれている。私小説であるだけに、 なおさら凄絶な物語だ。 映画化されて話題になった直木賞受賞作。