北村薫

六の宮の姫君 朝霧 スキップ ターン
リセット 街の灯 玻璃の天 鷺と雪
覆面作家は二人いる 太宰治の辞書    

六の宮の姫君 2003年8月17日(日)
 読書好きな女子大生が出会う不思議な出来事を、大学の先輩でもある落語家円紫師匠が鮮やかに謎解きしてみせるシリーズの第4作。謎解きもおもしろいが、それ以上に登場人物の感性とか趣味のよさに惹かれる。出会いや物語の始まりのきっかけの書き方もうまい。北村薫という作家は、実に博学多才な感じである。
 今回の作品では、主人公も4年生。卒論に芥川龍之介を選んだところに、老大家の全集編集のアルバイトの話が舞い込む。その作家の、芥川を訪れた時に「六の宮の姫君」について言ったという《あれは玉突きだね。……いや、というよりはキャッチボールだ》という言葉から、その謎の探求を始める。円紫師匠に話すと、「菊池寛を容疑者のリストに入れてみませんか」と言う。そこから菊池寛に関する本を読み、芥川との関係を調べだす。国文学に多少とも知識や興味がないと、後はついていけないかもしれない。この作品は、文学的な知識をひけらかして、浮世絵の高橋克彦のような謎解きを披露してみたかったのだろうか。それとも、芥川と菊池寛の友情を描いて、主人公の社会人への旅立ちへのはなむけにしたのだろうか。作中人物のために作品を書くというのは変な話だが。

朝霧 2004年5月3日(月)
 女子大生だった主人公も卒業して、出版社で働くようになる。「山眠る」は、まだ卒論を書いている頃の出来事で、小学校の同級生だった女の子の父親で校長だった人が町の本屋でエロ本を買いあさっていったという話。「走り来るもの」は、仕事でかかわるようになった編集プロダクションの女性が書いたリドルストーリー(結末が書かれていない物語)の結末を当てる話。「朝霧」は、祖父の日記にあった謎の言葉を解き明かす話。この作品集では俳句が大きなウェイトを占めていて、作品も各短編が独立しているのではなくて、前作から続いて大きな物語を作っているし、謎もこれだけではない。落語や歌舞伎の話も加わって、ストーリーがさらに複雑になっている感じだ。就職してつまらなくなると思ったが、次回作もおもしろくなりそうだ。

スキップ 2008年1月26日(土)
 一ノ瀬真理子は千葉の九十九里浜近くの女子高に通う17歳の高校生。《シャボン玉ホリデー》、グループ・サウンズといった言葉が出てきてエッと思うが、時代は昭和40年代初め。9月の体育祭が仮装行列でガリバー旅行記を終えた後雨で中止になり、親友の池ちゃんと別れて家に帰った真理子はレコードを聴いているうちに眠ってしまった。目が覚めると違う服を着て、知らない部屋にいた。家に入ってきた女子高生に「どなたのお宅なんですか」と聞くと、「ふざけてるの?−お母さん」と言われた。「一ノ瀬真理子です」と言うと、彼女は真理子のことをよく知っていた。17歳の真理子は、25年後42歳の桜木真理子にスキップしていたのだ。中年の肉体への嫌悪感、夫である男性への羞恥心、それ以上に自分のいた世界に帰りたいし、失われた25年がいとおしかった。しかし桜木真理子は高校の国語教師、今は春休みだが、4月から学校へ通って生徒に教えなければならない。
 北村薫がなんでSFをと思ったが、《円紫さんと私》シリーズと通じるものがあった。それは、主人公の女性の強さ、繊細さを備えた美しさだろうか。SFやミステリーというよりは、42歳の青春小説といったほうがふさわしい。昭和40年代と現代の対比もおもしろいし、学校でのいろいろな出来事もおもしろかった。
 「昨日という日があったらしい。明日という日があるらしい。だが、わたしには今がある。」

ターン 2008年8月30日(土)
 森真希は、29歳の売れない銅版画家。7月の午後3時過ぎ、車で事故にあい、逆さになって意識を失った。そして、自宅の座椅子で目が覚めた。私は死んだのだろうか、それとも夢だったのだろうか。気が付くと、畳の上の本は昨日読んでいたもの、着ている服は昨日来ていた服だった。電話をかけても誰も出ず、町に出ると人の姿は一人もなかった。そして次の日の3時15分、再び座椅子で目覚めた。日記を書いても絵を描いても、前日の3時15分に目が覚めると消えている。時間の《くるりん》の中に入り込んでしまったのだ。そして、150日目家の中で電話が鳴った。真希は子供の頃から、心の中で聞こえる声と会話しながら生きてきた。奇跡の電話の相手は、真希の版画を作品の中に使おうと思ったイラストレーター。彼の声が次第に心の中の声に重なっていく。
 「スキップ」に続く「時と人」三部作の2作目。主人公の女性がいつもながら北村薫らしく魅力的で、さわやかな作品だった。 
 「この地球さえ、いつかは形を失う。永遠であるというなら、一瞬でさえ永遠だ。こんな当たり前のことを、わたしはどうして忘れていたのか。顔青ざめて、毎日が不毛な繰り返しだといっていたわたし。不毛なのは《毎日》ではなく《わたし》だった。そういう人間が、どうして生きている世界に戻れよう。身内に湧き上がる力を感じた。」

リセット 2009年6月1日(月)
 戦前の芦屋、小学生の水原真澄は父の勤める会社の社長の娘の従兄弟結城修一と出会う。『啄木かるた』の読み手にかりだされたのだ。修一が真澄に似ていると示した一枚には、≪ことばはいまも≫と書かれていた。真澄が幼い頃獅子座流星群を見たと話したことから、修一は『愛の一家』という本を貸してくれた。戦況が進み、東京オリンピックが中止になり、女学校に進んだ真澄もやがて勤労動員で飛行機工場で働くようになる。ある日、工場のジュラルミンで作ったフライ返しを修一に渡しに行き、『田舎の食卓』という詩集を借りる。そこには、≪春に五月は一度しか来ないだろう≫とドイツ語で書かれた一枚の紙がはさまれていた。
 入院した村上和彦は、持ってきてもらったラジカセにマイクがあることに気づき、語っておきたいことがあるという思いが込み上げてくる。小学生の村上は、自転車で路地を走っていて、≪本を借りたい小学生は、日曜日に来て下さい≫と書かれた札のある家を見つけた。訪ねると、水野真澄という出版社に勤めているおばさんが出てきた。真澄の家に通うようになった 村上は、頼まれて花の特別切手を毎月買って届けるようになる。中学生になった村上は、真澄の昔の話を聞いていて『啄木かるた』を見せてもらう。
 時と人のシリーズ第3作。 「スキップ」では女子高生が目覚めると25年後の自分になっていて、「ターン」では若い版画家の女性が交通事故をきっかけに毎日前の日の3時15分に目覚めるようになる。この作品ではどうなるのだろうと思って読んでいると、戦中の女学生の話と、戦後の小学生の思い出話が続くだけ。いつになったら なにかが始まるのかと思いながら読んでいたら、最後にそれが来た。リセットとはそういう意味だったのか。これも良かった。
 「幾度も星は流れ、そして時はめぐる。地上では詩が生まれ、歌が作られる。人々は、絶えることなく、それぞれの物語を、各々の言葉で語り続ける。そして時は流れ、星はまためぐり続ける。」

街の灯 2009年10月8日(木)
 花村英子の父は財閥系列の商事会社の社長。お抱え運転士の車で華族の娘たちと同じ学校へ通っている。運転手の一人が辞めることになり、新しい運転手が来るが、なんと二十歳ぐらいの若い女性だった。別宮(べっく)という名前に、読んでいた「虚栄の市」の主人公からベッキーさんと呼ぶことにする。なぜか刀も銃も使いこなし、文学の素養もあって、英語もできるらしいベッキーさん。検事を務めながら探偵小説も書いている叔父の影響か、不思議な出来事に興味を持ち、その謎を解こうとする英子。いいところまで行くが詰めが甘いところに、さりげなくヒントを示すのがベッキーさん。「虚栄の市」では自分で穴を掘って毒を飲んで自分を埋めたという事件の謎き、「銀座八丁」では待ち合わせ場所を示す暗号として送られてきた品物の暗号解読、「街の灯」では映写会の最中に急死した女性 をめぐる疑惑。
 直木賞を受賞した「鷺と雪」のベッキーさんシリーズ第1作。昭和初期の上流階級を舞台にした謎解き物。ベッキーさんがカッコ良かった。 どういう素姓の人なんだろう、そちらのほうが大きい謎だ。

玻璃の天 2011年4月29日(金)
 「幻の橋」:花村英子は学校で内堀百合江に相談を持ちかけられた。パーティで知り合った男性と祖父同士が兄弟だが、犬猿の仲なのだという。
 「想夫恋」:「あしながおぢさん」を読んでいるのを見かけて声をかけた清浦綾乃さんは琴の名手。その綾乃さんが姿を消し、暗号のような手紙が残されていた。
 「玻璃の天 」:資生堂パーラーで知り合った末黒野邸で、自由思想を排撃する思想家が天井のステンドグラスから落ちて死亡した。そのステンドグラスは、末黒野氏の友人で風変わりな建築家乾原氏が制作したものだった。
 昭和初期、令嬢の<わたし>とお抱え運転手の別宮(ベッキーさん)さんが謎解きをするシリーズ第2作。3話は独立した物語だが、荒熊と呼ばれている思想家は共通して登場していて、それがベッキーさんの正体に関連している。本筋の謎解きのストーリーとは別に、ベッキーさんの能力が発揮されたり、英子が若い将校と知り合うエピソードもある。文学、音楽、映画の話題も豊富で、感じのいい作品だ。 

鷺と雪 2011年11月17日(木)
 「不在の父」:昭和初期、財閥系の商事会社の社長の娘、花村英子の兄が浅草の暗黒街で滝沢子爵みたいなルンペンを見たという。友人の名家桐原家の令嬢道子と転居先を訪ねると、五年前神隠しにあうように姿を消したのだという。
 「獅子と地下鉄」:英子の叔父夫婦が懇意にしている室町の和菓子の老舗の受験生の息子が、夜中上野を歩いていて補導されたという。当日の日記には《ライオン》、《浅草、上野》と書いてあった。
 「鷺と雪」:英子の学友千枝子が修学旅行に持って行くためのカメラを友人の八重子についてもらって服部時計店で買い、その時撮った写真に国内にいないはずの婚約者が写っていたという。
  昭和初期、両家の娘英子と女性運転手別宮(ベッキーさん)が身辺の不思議な出来事の真相に迫るシリーズの最終作。事件らしい事件だけに焦点を絞ると単純なストーリーだが、本、音楽、映画、能、写真その他話題も豊富で、英子の周辺で交わされるこうした話題、起こる出来事が重層的に関連しあって伏線となっており、作品の長さ以上に拡がりが大きい。そして、最後昭和十一年二月二十六日につながっていく。おもしろかった。直木賞受賞作。

覆面作家は二人いる 2012年8月10日(金)
 岡部良介は『推理世界』の編集者。双子の兄は警視庁の刑事で優介という。新妻千秋という名前の投稿原稿を読まされると、非凡だがところどころ妙だった。自宅を訪ねると、明治の元勲でも住んでいそうな邸宅で、執事に案内されて部屋に入ると、十九歳の絶句するほどの可憐な美貌の女性だった。雑談のついでに、自宅の隣の全寮制の女子高であった殺人事件の話をすると、こうしてはいられないと女子高へ赴くのだった。
 「覆面作家のクリスマス」は女子高の寮で起こった殺人事件、「眠る覆面作家」は奇妙な誘拐事件、「覆面作家は二人いる」は万引事件。一歩外へ出ると豹変してしまうお嬢様探偵。キャラクターが魅力的でおもしろかった。

太宰治の辞書 2017年3月12日( 月)
 期待を膨らませた久し振りの《円紫さんと私》シリーズの新作。女子大生、そして新米編者者だった《私》も、中学生の母。中身は、芥川龍之介から太宰治へとめぐる文学談義だった。これなら、小説の主人公の《私》ではなくて作者自身の「私」のエッセイにしてもいいのではないかと思う。それだったら最初から買っていないけど。「白い朝」だけが、謎解きミステリー、といってもおそらく《円紫さん》が中学生の時の出来事。