桐野夏生

柔らかな頬 OUT 東京島 残虐記
メタボラ 日没    

柔らかな頬 2005年9月21日(水)
 自分が自分であることを主張したいという強い気持ちから、カスミは高校を卒業すると北海道の海辺の寒村を捨てて、東京へ家出する。何年かして、写植会社の社長森脇と結婚し、会社を手伝いながら娘二人を育てるという日常が続いていた。そんな閉塞状態からの脱出をかなえさせてくれたのが、取引先の広告会社のデザイナー石山との不倫だった。石山は二人で会うために、北海道支笏湖の近くに別荘を買う。夏休み、家族で別荘を訪れ、深夜石山と一緒に過ごした翌朝、娘の有香が姿を消した。警察が捜索するが見つからず、カスミは一人残って1ヶ月探し続ける。
 4年後、テレビの行方不明児の特集を出たことから、視聴者の情報が寄せられ、それを頼りにカスミは再び北海道へ向かう。一方、ガンで余命半年の元刑事の内海が協力を申し出てきた。
 話題作を数々提供している桐野夏生の直木賞受賞作。何も解決しないだろうということが最初からわかっているミステリー。どう展開するのか興味深かったが、カスミと内海が垣間見た夢という形でいくつか仮説が示されるだけだ。この作品は、事件の真相探しではなくて、カスミが心の決着を探す旅の物語と言えるだろう。

OUT 2008年5月29日(木)
 深夜の弁当工場で働く4人の女。死んだ夫が残した寝たきりの姑の介護に追われ、娘の修学旅行費用も用意できない逼迫した五十半ば過ぎの吾妻ヨシエ、ブランド品や外車を買ってカード破産状態の二十九歳の太めの城之内邦子、夫が酒とギャンブルにのめりこんで給料を家に入れず喧嘩が絶えない美人の山本弥生。そして、四十三歳の香取雅子の家庭では、高潔な夫は仙人のように自室に閉じこもり、高校を退学さ せられた息子は一言も口をきかなくなっていた。夜十一時の出勤前、雅子に弥生から電話があった。夫を殺したのだという。車で駆けつけた雅子は、弥生を助けることにした。車で死体を家に持ち帰り、金に困っていたヨシエを引きこんで、死体をバラバラにして捨てることにする。邦子に見つかって仲間に引き入れるが、いい加減な邦子のせいで死体が発見されてしまう。容疑者として、弥生の夫が通いつめていた歌舞伎町のクラブとバカラ賭博の店の経営者佐竹が逮捕された。佐竹には女を凌辱して殺した前科があった。
 4人の出口のない状況やキャラクター(特に邦子の気持ち悪さ)、深夜の弁当工場が生々しく描かれている。そして、雅子と佐竹の心の闇。映画やドラマになっているのでおおよそは知っていたが、それ以上に強烈だった。日本推理作家協会賞受賞作だが、推理小説、犯罪小説の枠を超えている。
 「佐竹とも、ヨシエや弥生とも違う、自分だけの自由がどこかに絶対あるはずだった。背中でドアが閉まったのなら、新しいドアを見つけて開けるしかない。」

東京島 2010年6月12日(土)
 清子は夫の隆とクルーザーで世界一周の旅に出たものの、わずか三日で嵐にあって無人島に漂着した。それから三ヵ月後、今度は与那国島のバイトから逃げてきた二十三人の日本の若者が島に流れ着いた。若者たちは島をトウキョウと呼ぶようになった。その二年後、十一人の中国人が船から置き去りにされた。夫の隆はすでに亡くなっていて、清子はカスカベと再婚し、カスカベが崖から落ちて死ぬと、それから抽選で選ばれた男と結婚することになった。日本人グループが、シンジュク、シブヤ、イケブクロと名付けた集落で数人ずつ固まって暮らしているのに対して、ホンコンと呼ばれるようになった中国人グループは、たくましい生活力で共同生活していた。漂着してから五年、四十七歳になった清子は、たった一人の女であることとクルーザーから持ち出した物を持っているということで、島の女王のように振舞ってきたが…。
 閉ざされた無人島で、病む者、狂っていく者、さまざまだが、清子の都合のよさ、自分勝手さ滑稽なくらいだ。鏡がないということに象徴されるように、自分を客観視することができなくなっていくのだ。ラストの落ちもおもしろい。果たして、どっちが幸せ何だろうか。谷崎潤一郎賞受賞作。 

残虐記 2011年2月11日(金)
 作家「小海鳴海」こと生方景子が、「残虐記」という原稿を残して失踪した。景子は十歳の時安倍川健治という二十五歳の工員に誘拐拉致され、ケンジが務める工場の二階の部屋に一年間監禁された。「残虐記」には、景子が失踪するきっかけとなった出所したケンジからの手紙に続いて、事件の発端と監禁生活が描かれていた。景子は、出来事の記憶の検証と自分自身に対する考察をしたかったのだと書いていた。
 解放された後、精神科医や検事の宮坂が執拗につきまとうが、景子はかたくなに口を閉ざし、想像の世界で生きていく。監禁生活の真実は何だったのか、「残虐記」には事実と異なる記述もあるし、夫も異なる推測をしている。おそらく当事者でさえ一言で結論づけることはできないものだし、この重さが桐野夏生らしいところかもしれない。現実の監禁事件にヒントを得ているらしいが、まったく関係ないだろうし、余計な詮索はするなということだろう。柴田錬三郎賞受賞作。

メタボラ 2016年6月19日(日)
 「ココニイテハイケナイ」という言葉が脳内で繰り返されて、深い森の中を必死に逃げていた。やっとアスファルトの道路に出てしばらくすると、光が近付いてきた。男は昭光と自己紹介した。僕は名乗ろうとして、自分の名前が思い出せなかった。森を彷徨っていた理由、その前に何をしていたのか、自分が何者なのか、一切記憶がなかった。荷物も、携帯も財布も持っていなかった。昭光に「ギンジ」という名前を与えられて、昭光は「ジェイク」と名乗ることにして、立ち寄ったコンビニ店員のミカのアパートにもぐりこんだ。ギンジとジェイクはそれぞれ、自分の居場所を見つけていくが…。
 安住の地を見出そうとしても、どこまで行っても階層や社会の網の目に組み込まれてしまう。ワーキングプアを題材にした作品だが、ラストは映画「真夜中のカウボーイ」を連想させた。

日没 2024年1月17日( 水)
 エログロを描くエンタメ作家マッツ夢井に、「総務省文化局・文化文芸倫理向上向上委員会」というところから召喚状が届いた。出版社の編集者に聞くと知らないというし、以前審議会への出席依頼が届いたとき捨てなさいと言った作家の成田は入院していた。弟に連絡すると、最近作家がよく自殺するという噂を聞くという。以前同棲していた男に連絡すると、やはり自殺したという。C駅で降りると、車で海辺の断崖に建つ療養所へ連れていかれ、そのまま軟禁される。抗議や反論をすると直ちに減点されて収容期間が延長される。所長の多田は社会に適応した小説を書くように言い、医師の相馬は統合失調症だという。断崖の下に隠れている一人の収容者は施設の事情を教えてくれ、枕の中には施設の実情を暴いた遺書があった。
 政府が秘密裏に文化を統制するようになったディストピアを描いた作品。主人公は自己を曲げないからますます窮地に陥っていくが、「更生」したふりをしたからといってどうなるものか。「ヘイトスピーチ」と「表現の自由」をトレードオフにするやり方は、現実にもう始まっていると言えるだろう。