川上弘美

蛇を踏む 溺レる センセイの鞄 水声

蛇を踏む 2003年4月25日(金)
 かなりシュールな物語、作者言うところの「うそばなし」である。芥川賞受賞作の「蛇を踏む」は、藪で蛇を踏んでしまうと、その蛇が女性に変身して、私はあなたの母よ、と部屋に同居し始め、蛇の世界にいらっしゃいと誘われるという話。「消える」は妙な習慣を持つ家族が住む妙な団地で、妙な家族たちが家族構成員を交換し合う物語。「惜夜記」は、夜の始まりから終わりまで、動物が主役の悪夢のようなショートストーリーをはさんで、科学用語をタイトルにした少女との物語が進行していく。作者が生物学出身のせいか、動物の描写がリアルで気味悪い。隠された意味があるようで、実は何もないのかもしれない。

溺レる 2004年11月18日(木)
 幻想的というよりは、シュールと言ったほうが合いそうな感じ。「蛇を踏む」ほど、イメージが氾濫するわけではないが、登場する女と男のありようが、つげ義春や鈴木清順監督の作品のように現実離れしている。
 8つの短編集だが、どの作品も40ぐらいの女と年上らしき男の、カタカナの名前の二人が登場する。女は、どれがどちらでもいい、虫みたいな、つまらない女。男は、温厚そうな顔でいながら有無をも言わせず女を引きずりまわす男。
 「さやさや」では、会合でよく顔を合わせる男に誘われて蝦蛄を食べ、どこともわからずくらい夜道を二人で歩く。「溺レる」は、二人で逃げている。男はリフジンものから逃げる、ミチユキ、チクデンだと言うが、女は何から逃げているんだかわからなくなっている。「百年」では、男に誘われて情死するが一人死んでしまい、生き残った男のまわりを漂っている。「無明」は、五百年生きている男女の話。女流文学賞・伊藤整文学賞受賞作。

センセイの鞄 2005年2月4日(金)
 駅前の飲み屋で料理を頼むと、隣の老人も同じものを頼み、どこかで見た顔だと思っていたら、「大町ツキコさんですね」と声をかけられた。高校の国語の教師だった。これが「センセイ」との出会い。それ以来、37歳の独身OLと70歳近いやはり一人暮らしの元教師との微妙な付き合いが続く。いつもきちんとした服装で鞄を持ち歩き、教壇で話すような口調のセンセイ。飲み屋で一緒に飲み、市に出かけ、キノコ狩に出かけ、花見に出かけ、といううちにツキコはセンセイに恋心を抱くようになっていく・・・。
 シュールなシーンは「電池」と「干潟」の部分ぐらいだが、ツキコ、センセイ、そして二人の付き合い自体が現実離れしていて、季節の流れとともに淡々とゆったりと流れ、時に子供のように反目したり、おもしろい短編連作集だった。谷崎潤一郎賞受賞作。 というほどではないと思うけど。

水声 2017年9月30日(土)
 わたし、都と陵は一つ違いの姉と弟。私が高校一年、陵が中学三年の時、ママの実家を継いだ武治さんが、パパはほんとうのパパじゃないんだよ、あの二人はきょうだいなんだと教えてくれた。美人ではないが誰もが魅了されたママが死んで十年、地下鉄サリン事件があった年、陵が一緒に住もうと言ってきて、無人だった家に再び住むようになった。そして、眠れないという陵の求めに応じて、一緒に寝るようになる。
 都が十一歳の1969年、ママが死んだ1986年、都と陵が一緒に暮らし始める1996年、そして現在の2014年、時をさかのぼり、その時々の社会の出来事を絡めながら、不思議な家族の物語が語られる。読売文学賞受賞作。