角田光代

キッドナップ・ツアー 幸福な遊戯 まどろむ夜のUFO 空中庭園
対岸の彼女 八日目の蝉 ツリーハウス  

キッドナップ・ツアー 2003年11月26日(水)
 夏休みが始まって、小学五年生の少女ハルはいきなり誘拐される。犯人はしばらく姿を見ない父親だった。父親といっても、朝起きるともういないし、眠ってから帰ってくるという具合で、もともと存在感がない。二人になって何を話していいかわからず、ハルはむやみにおしゃべりになったり、黙り込んだりする。
 車は借り物で、お金も乏しく、安い旅館、民宿、お寺と泊まり歩き、キャンプ場で野宿し、最後は放置自転車を盗んで公園のベンチで寝る。そんな生活を続けながら、ハルはどこか成長していく。「ガラスに自分の姿を移してまじまじと眺めていた。あんたはだれ、と、ガラスに薄く映る子供に向かって私は言いそうになった。それほど、すぐ目の前にいる女の子は、私の知っている私の姿とかけ離れて見えた。」
 そして、天井に穴の開いたテントに横になって、「星の合間の私たちは、おたがいまだであう前の、親子でもなくきょうだいでもなく、知りあいですらない、ただ切り離された一つのかたまりとして、それぞれの存在なんかまったく知らないもの同士として、ぷかりぷかり夜空に浮かんでいるような気がした。」と思う。
 これは、別れた親子が数日一緒に過ごして、親子の絆を取り戻すというような甘いお話ではなくて、少女が自立していく過程を描いた作品だ。

幸福な遊戯 2004年2月13日(金)
 「キッッドナップ・ツアー」を読むと児童文学作家かという感じだったが、この作品集は「海燕」新人文学賞受賞作で、若い女性作家らしい作風だ。
 「幸福な遊戯」は、大学を留年したサトコが、以前からのルームメイトの大学院生立人とその友人で高校卒業以来アルバイトで暮らしているハルオと3人で共同生活を始める物語。荒涼とした 実家を出て結婚した姉は、すでに幸福な家庭を築いている。サトコにとって、この3人での生活が幸福な家族という遊戯。
 「無愁天使」では、母親の長期入院で爪に火をともすような生活を送っていた一家が、その死で多額の保険金を手に入れた瞬間はじけて、パーティーと買物の日々 に明け暮れるようになるが、気がつくと父親は海外旅行に出て、妹は恋人の部屋へ行ってしまい、物であふれた家に一人取り残され、銀行の残高もなくなっていく。
 「銭湯」は、もしかしたらこの中ではもっともむごいかもしれない。 子供だけが生きがいの平凡な母親から逃れて大学へ進んだ八重子は学生劇団に入り、就職しないで芝居を続けるつもりだったが、土壇場で食品会社に就職を決めてしまう。学生時代からのアパートから銭湯に通い、隣にお湯をかけないよう気を使い、話好きの老婆に話しかけられれば付き合ってしまう。そして、いつもたっぷり時間をかけて身体を洗っている自由奔放に見える女、その女に密かに憧れている。
 幸福な家族への憧れ、崩壊した家族からの自立へのもがき、平凡な家族からの逸脱へのあせり。家族というものがこの作品集のテーマのようだ。

まどろむ夜のUFO 2004年9月1日(水)
 「まどろむ夜のUFO」、「もう一つの扉」、「ギャングの夜」の3篇からなる作品集で、野間文芸新人賞受賞作。
 「まどろむ夜のUFO」:女子大生の主人公の元に、夏休み弟のタカシがやってくる。母はUFO病がぶり返したのではと心配するが、本人は転校した彼女に会いに来たと言い、彼女のためにクッキーやジャムを作り出す。来る途中知り合ったという恭一は、無職で得体の知れない人間。主人公はボーイフレンドのサダカくんと5日に1回会って、きっかり90分食事をして5日間の話をする。
 「もう一つの扉」:派遣社員の主人公のルームメイトが、いつの間にかいなくなっていた。そこへ、背広に眼鏡の男性が彼女を訪ねてきて、どうしても探したい、彼女とカッパを見たから、と言う。
 「ギャングの夜」:主人公が小学生の頃、よくおばに連れまわされて、不動産屋で部屋探しをしたりした。おばは、実家で母と暮らし、時々部屋を借りて出て行ってはまた戻ったりを繰り返していた。そして現在、主人公は彼と同居するためにアパートを探しているが、なかなか決めることができない。
 登場人物はすべて変な人物。そして、なぜか主人公は皆アパート暮らし。アパートというのは仮の宿、そしてサダカくんとかルームメイトが主人公を不安からつなぎとめているもののようだ。 そこに不思議な人物たちがそこに入り込んで、主人公を仮の居場所から解き放し、主人公も現実感を失っていく。自分の居場所探しの物語なのかもしれない。「きっとここだ、私を待っていたのはきっとこの部屋に違いない・・・」

空中庭園 2005年10月7日(金)
 田畑とインターにディスカバリーという大型ショッピングセンターがあるだけの郊外の、ダンチと呼ばれているマンションに暮らす京橋家。貴史、絵里子の夫婦に、高校生のマナ、中学生のコウの4人家族。この家族には、かくしごとをしないという家庭の方針があった。
 作品は、各節ごとにマナ、貴史、絵里子、絵里子の母、貴史の愛人ミーナ、コウの視点で語られている。既にわかるとおり、実際はみな秘密を持っている。この家庭自体が、母から逃れたい絵里子が自分の思惑で作った家庭だった。しかし、絵里子の母から語られるのは絵里子の思い込みであり、読み進むうちにバカ女のミーナやアブナそうなコウのほがまともで冷静であることがわかってくる。
 ちょうど今映画が公開されている。「幸福の遊戯」にみられる家族へのこだわりとか、「まどろむ夜のUFO」にみられるちょっと変な人たちとか、この作家の特徴的なところがよく出てい て、ある意味集大成的な作品なんだろう。婦人公論文芸賞受賞作。

対岸の彼女 2007年12月12日(水)
 職場での対立が嫌になって、結婚して仕事をやめていた小夜子は、今また公園の派閥に入れず、子供のあかりを連れて公園ジプシーをしていた。働きはじめればすべて解決できると思った小夜子は、求人誌を買って面接を受け続ける。そして、採用の電話がかかってきたのは、プラチナ・プラネットという雑居ビルの中の2LDKの旅行会社だった。社長の葵は同い年で、大学もいっしょだった。夫の無関心や子供を預かってもらう義母の嫌味を背に、小夜子は新規事業だという掃除代行の見習いを始める。
 葵は、中学でいじめにあって不登校になり、横浜から母の実家のある群馬に引っ越した。入学した女子高校で、葵はナナコという髪を短く切った小さな子と知り合う。ふつうの女の子たちのグループに入った葵は、どのグループにも属さないナナコとはいつも学校の外で会っていた。二年になって、夏休みの間、葵とナナコは伊豆のペンションにアルバイトに出かける。
 現在、三十五歳の小夜子の仕事と育児の格闘記と、葵の高校時代の友情物語が並行して続く。小夜子と葵は、同い年で同じ大学という以外に、もう一つの接点があった。
 「私たちの世代って、ひとりぼっち恐怖症だと思わない?」「ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね。」角田光代の初期の作品は、自分の居場所探しがテーマのような感じだったが、この作品ではたくさんの傷を負った青春を経て大人になった今、また関係作りに戸惑う女性たちがテーマになっているようだ。 どこか、干刈あがたを感じ させる作品。直木賞受賞作。葵とナナコの逃避行が、ちょっと切なかった。「ずっと移動してるのに、どこにもいけないような気がするね」「もっとずっと遠くにいきたいね」
 「なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。」

八日目の蝉 2011年4月11日(月)
 自分を裏切ったた男と、嫌がらせの電話をかけてきた女の子供。見るだけだと思って忍び込んだが、赤ん坊が笑うのを見て、この子を知っている、この子も私を知っていると希和子思った。胸に抱くと、やわらかく、あたたかく、もろくて強い。私があなたをまもると希和子はつぶやき続けた。赤ん坊を抱いて走り、薫と名づけ、友人の靖枝、そして新幹線で名古屋まで行きそこで声をかけられた女の家で世話になり、エンジェルホームというあやしい集団の施設に逃げ込む。そこで三年過ごすが、警察の捜査が入ることを知って再び逃げ出し、ホームで一緒だった女の実家である小豆島へ渡る。
 前半は希和子の逃亡劇だが、後半は親の元に戻され、あの女を憎むことで自分を守って生きてきた恵理菜(薫)の物語。恵理菜も結婚できない男の子を宿していた。そして、ホームで一緒だった千草が事件のことを書きたいと声をかけてきた。
 読み終えてこの作品の主人公は恵理菜なのかなと思う。最後のすれ違いは少し寂しい感じもするが、二人とも同じ海の光を見ている。中央公論文芸賞受賞作。

ツリーハウス 2013年8月5日(月)
 新宿、翡翠飯店。その日定休日で、藤代家は良嗣ひとりだった。父慎之輔、母文江、、父の弟太二郎、祖母のヤエはみな出かけていた。テレビではバスジャック事件が起こり、家で寝ていた祖父泰造が息をしなくなった。父の妹でバーをやっている今日子がかけつけ、姉の早苗はお腹を大きくして戻ってきて、大学を中退して海外放浪をした後家に寄りつかなかった長男基樹もひょっこり戻ってきた。藤代家には墓はないし、親戚づきあいもなかった。会社を辞めてアルバイトで過ごしている良嗣だが、うちってなんなんだろうと思うようになり、ヤエを祖父母が出会ったという満州に誘う。
 戦中を生き延びた一家の歴史を、戦後のさまざまな事件、風俗を絡めて描いている。それがうまくはまっていておもしろい。伊藤整文学賞受賞作。
 「根っこがないと、ずっと思っていた。自分たちの家族には、どっしり重い根がないと。…祖母も祖父も何も持たずに出会ったのだ。愛も語らず財産も持たず、身を寄せ合って逃げ帰ってきた。でも今、家族を作るものは根っこではないのではないか…いっせいに花の咲く異国の春、祖母はたぶん希望を見たんだ、ぼくらの最初はそこにあるんだ。」