絲山秋子

イッツ・オンリー・トーク 海の仙人 沖で待つ  

イッツ・オンリー・トーク 2006年6月27日(火)
 「イッツ・オンリー・トーク」:山手線に乗って路線図を見ていて「蒲田」という文字が頭に飛び込んで、優子は直感で蒲田に住むことにした。新聞記者時代の貯金で絵を描いて暮らしている優子だが、友人の事故死をきっかけに精神を病んで入院したことがあり、現在もいろんな薬を飲んでいる。街を歩いていて友人で都会議員の本間に再会し、遺書メールを送ってきた福岡の いとこ祥一を呼び寄せ、ネットで知り合った鬱病同士のヤクザの安田と飲み、本間の選挙を手伝いに来ている友人で自分に惚れている小川とドライブし、出会い系サイトで知り合った痴漢のkさんと痴漢プレイを楽しむ。
 「第七障害」:群馬県の馬術大会で障害の飛越に失敗し、乗馬は安楽死させられた。それ以来、順子は馬を殺したことを苦にしていた。付き合っていた警官の義宏も嫌になり、東京へ出て仲の良かった義宏の妹美緒と一緒に暮らし始める。三軒茶屋で暮らして一年、雑誌で見て入ったケーキ屋で、乗馬のライバルだった年下の篤と再会し、順子と美緒の部屋に篤が訪ねるようになる。
 躁鬱病で働きもせずに生活し、男とは寝てしまったほうが自然で楽で、その結果周りから男友だちが姿を消していく優子。馬の死に病み、ただ働いて三十過ぎるのかと思い、群馬に帰りたいと思うけれど帰る場所がすり減っていくと感じる順子。深刻といえば深刻な テーマなのだけれど、軽く淡々と流れていく。「いろいろあるけどなんとか私は生きてるよ。・・・なんかさ、みんないなくなっちゃって」「ロバート・フリップがつべこべとギターを弾き、イッツ・オンリー・トーク、全てはムダ話だとエイドリアン・ブリューが歌う」芥川賞受賞作家の、文學界新人賞受賞作。

海の仙人 2007年10月2日(火)
 四年前、銀座のデパートの店員をしいてた二十九歳の河野勝男に、宝くじ三億円が当たった。やりたいことが何もない彼は、会社をやめピックアップで旅に出て、最後に 気に入った敦賀に戻って一人暮らしを始めた。そんな河野の前にファンタジーが現れた。神の親戚のようなもので、中でも一番 できが悪いと言い、居候を始める。河野は、ファンタジーが運命の女が走ってきたと言っていたジープの女性中村かりんと港で知り合う。一方、デパートで同期で仲のよかった片桐妙子が、リフレッシュ休暇で敦賀を訪ねてきた。金沢、新潟と友人を訪ね歩くという片桐に便乗して、河野も新潟の姉のもとへ祖母の遺品を届けに行くことにする。河野の孤独には大きな秘密があった。
 岐阜の住宅会社に勤めるかりんは、二週間に一度は敦賀にやってきて一緒に過ごすようになり、水戸へ転勤しても月に一度はやってきた。そして、名古屋へ転勤して半年過ぎる頃、かりんは取り乱して敦賀に来た・・・。
 短い小説だが、長い時の流れと人の生の変遷を感じさせる作品だ。二重の三角関係といえるかもしれないが、前半は河野と片桐のロードムービー、そして短い後半にかりんと河野に思いがけない運命の転換が起こる。でも後味は悪くないかもしれない。しみじみとしてしまった。芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞作。
 「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか?外との関係じゃなくて自分のあり方だよ。背負っていかなくちゃいけない最低限の荷物だよ。」

沖で待つ 2009年2月25日(水)
 「勤労感謝の日」:実業中の三十六歳の恭子に、隣の長谷川さんが見合いの話を持ってきた。勤労感謝の日、大安吉日にやってきたのは、紫色のジャケット、黄緑色の靴下、やや太り気味、ガムを噛んでいる野辺山氏だった。失礼なことばかり言う野辺山に、恭子は「出掛けますので」と言って席を立つ。
 「沖で待つ」:住宅設備機器メーカーに同期入社し、一緒に福岡営業所に配属された太っちゃんが、飛び降り自殺の巻き添えであっけなく死んだ。太っちゃんとは、「先に死んだ方のパソコンのHDDを、後に残ったやつが破壊する」と約束していた。
 あらすじをたどってみてもどこがどうということもないのだが、それほど饒舌というわけでもない骨太な語り口がどことなくおもしろい。2つの作品に共通しているのは、総合職をやってきた女性の鬱屈と、裏腹な豪胆さだろうか。