いしいしんじ

ぶらんこ乗り 麦ふみクーツェ トリツカレ男 ポーの話

ぶらんこ乗り 2004年8月18日(水)
 高校から帰ると、おばあちゃんが麻の袋を出してきた。その中には、古いノートの束があった。弟が四歳の時から物語を書き続けてきたノートだった。「姉は器量よし、弟は天才」と言われるくらい、弟は頭が良くていろいろユニークな物語を書いた。ある日サーカスを見に行った後、弟はぶらんこにのめり出す。しかし、事故にあって以来声を出さなくなり、庭のぶらんこで暮らし始め、動物から聞いた話を書き始める。動物がやってきて、その「ふるえ」が伝わってくるのだという。
 「わたしたちはずっと手をにぎってることはできませんのね」「ぶらんこのりだからな。」「ずっとゆれているのがうんめいさ。けどどうだい、すこしだけでもこうして」と手をにぎり、またはなれながら、「おたがいにいのちがけで手をつなげるのは、ほかでもない、すてきなこととおもうんだよ」
 最後の、「最後のおはなし」と「冬の動物園」はとても印象的だった。

麦ふみクーツェ 2005年10月4日(火)
 厳しく音楽を追求する祖父、素数にとりつかれた父、とびぬけてからだの大きいぼくの三人暮らし。以前は別の国に暮らしていて、その時は母もいたが、ひどい出来事があって、今は大きな島の港町に暮らしている。
 真夏の蒸し暑い夜、夜中に目が覚めると父も祖父もいなくて、「とん たたん とん」という音が聞こえてきて、窓の外を見ると、玄関先にへんな姿をした人が足元の土を踏んでいた。クーツェと名乗るその人は、麦ふみをしているのだという。それ以来、しばしば「とん たたん とん」という音を聞き、クーツェを話をするようになる。「いるといないとは、距離のもんだい」、「でかいものは目立つ、けれど、でかすぎるとそれはときにみえなくもなる」「いいこと?わるいこと?みんなおなじさ、麦ふみだもの」といった具合に。
 主人公は、離れた町の音楽学校に入って盲目の元ボクサーと知り合い、その縁で生まれた国の盲目のチェロ奏者のもとで学ぶことになる。その間、ファンタジーの世界で、とっぴもない出来事や災難がとりとめもなく続くのだが、最後まで読むと 、父と祖父のこととか、麦ふみのこととか、音の正体とか、いろんなことが一つにつながってくる。
 「はじめからわかってた、方向図なんてないって。目が見えようが見えなかろうが、ひとは地図のとおりに歩くことはできない。・・・そして、いくら風景がかわっても、ひとはその先へその先へと、歩いていかなけりゃなんない。」「へんてこで、よわいやつはさ。けっきょくんとこ、ひとりなんだ。ひとりでいきていくためにさ、へんてこは、それぞれじぶんのわざをみがかなきゃなんない。・・・それがつまり、へんてこさに誇りをもっていられる、たったひとつの方法だから。」

トリツカレ男 2006年9月27日(水)
 ジュゼッペはみんなから「トリツカレ男」ってあだ名で呼ばれている。一度何かにとりつかれると、徹底的にとりつかれてしまう。オペラにとりつかれれば、会話は全て歌。そして、三段跳び、探偵ごっこ、昆虫採集、外国語、なぞなぞ、カメラ、潮干狩り、つなわたり、腹筋に背筋運動、サングラス、ハツカネズミの飼育 ・・・。そんなジュゼッペが、公園で風船を売っている少女に出会う。外国から来た少女の名前はペチカ。ジュゼッペが次にとりつかれたのはペチカだった。友達になり、毎日話をするようになるが、ペチカの笑顔の底にくすみがあることにだんだんと気づき始める。飼育している言葉を話すハツカネズミにそのわけを探ってきてもらって 、これまでとりつかれた数々の特技(?)を駆使して解決する、ということを何度も繰り返すが、ある日ほんとうの理由を知ることになる。
 とんでもなく途方もない人物達が登場してドタバタ劇を繰り広げるファンタジーは、いつものいしいしんじワールドだが、この作品はジュゼッペとペチカの思いに焦点が絞られていて、たわいなくも純情な恋愛物語になっている。

ポーの話 2008年11月24日(月)
 北から南へ緩やかに流れている泥の川。川をさかのぼった街はずれの浅瀬に、うなぎ女たちがあらわれ、手探りでうなぎを捕る。そのうなぎ女たちに赤ん坊がうまれた。そばにいた二羽の白い鳩がポー、ポーと鳴き、うなぎ女たちもその赤ん坊をポーと呼んだ。泥の川で生まれたポーには、水の中で長い時間泳ぎ続ける特技があった。水路の底を徘徊しながら日用品を集めてまわるのが、十四歳になったポーの日々となっていた。夏、街は五百年ぶりという土砂降りに見舞われ、ポーは平底船に乗って下流へと流されていく。
 街では、その日の天気をいいたててまわる「天気売り」や昼は電車の運転士、夜は泥棒を働くメリーゴーラウンドとその妹ひまし油と知り合い、流されていった下流では漁師の犬じじとその孫の足の悪い少年と出会う。さらに下流では、廃棄物処理の「埋め屋」と女房で鳩飼いの大女に捕らわれる。そして、さらに下流へ流れついに海へたどりつく。
 ポーの身体の色が白から黒へ、黒から白へと変容するように、ポーが出ある人々も善人もいれば悪党もいる。メリーゴーラウンドにならって泥棒を始めたポーは嫌な感じにおそわれる。ひまし油にそれは「罪悪感」だと言われ、メリーゴーラウンドに「つぐない」を教えられる。
 うなぎの稚魚が海で生まれて川をさかのぼるように、どこか輪廻を感じさせる作品。