伊坂幸太郎

オーデュボンの祈り ラッシュライフ 陽気なギャングが地球を回す
重力ピエロ アヒルと鴨のコインロッカー グラスホッパー
死神の精度 終末のフール ゴールデンスランバー
夜の国のクーパー サブマリン  

オーデュボンの祈り 2004年4月21日(水)
  ミステリーというよりは、ファンタジーと言ったほうがいいかもしれない。失業してコンビニへ強盗に入り、捕まってパトカーから逃げ出し、気がつくと伊藤は見知らぬ部屋で寝ていた。そこは150年も外界から交流を閉ざしている島で、どこか変な世界だった。言葉を話し未来を予知するカカシ、事件が起きて犯人を察知すると銃で殺すことが許されている男、ただ一人外の世界と交易する男、太りすぎて市場の店に座ったまま暮らす女、嘘しか言わなくなった画家、地面に横になって心臓の音を聞く少女、美しい妻を持つ純朴な郵便屋、そして伊藤を世話するちょっと変わった男・・・。そして次の日、カカシがばらばらにされ、頭を持ち去られていた。また、伊藤の前にこの島を訪れていた嫌われ者の男の死体も見つかる。カカシは自分の死を予知できなかったのか、知っていて防げなかったのか。また、この島には欠けているものがあるという言い伝えがあったが、それはなんだったのか・・・。
 登場人物の一人一人がカカシにちょっとした頼みごとをされていて、それがすべて一つになると真実が見えてくる。そして欠けているものはなんだったのか・・・。実は、そのヒントは作品の中に何度か出てきている。何だ、そんなものかという感じだが。寺山修二のような世界で、面白く読めた。

ラッシュライフ 2005年7月13日(水)
  黒澤は泥棒だ。ターゲットを綿密に調査して、忍び込んで100万円のうち20万しか取らず、泥棒に入ったとメッセージを残していく。河原崎は父が自殺した傷を抱え、超能力者「高橋」の団体に入り、ある日幹部から声をかけられ、「高橋」を解体すると言われる。京子は心理カウンセラーで、サッカー選手と不倫していて、夫と相手の妻を殺そうと計画している。豊田はリストラにあい、40社目の不採用通知を受けた。こうして、いろいろな人物が自分の事件に巻き込まれていく間に、それぞれがどこかですれ違っている。
 読んでいくと、それぞれの時間が微妙にずれていることがわかってくる。その時間を揃えていくと、その連鎖が見えてくる。なるほどという感じだ。全体をエッシャーのだまし絵に収斂されたり、河原崎の赤いキャップ、京子の膀胱炎、野良犬とその首輪、「高橋」が予言した当たりくじといった小道具の使い方もうまい。「オーデュボンの祈り」も姿を見せるし。ただ、大団円で収束するということはなく、それぞれの人生で終わるというのが物足りない感じもする。それはそれでいいのかもしれないが。「ラッシュライフ」というのは英語の4つの意味をかけていて、確かにそれらしい。うまい作品だ。

陽気なギャングが地球を回す 2006年6月19日(月)
 人の嘘がわかる市役所職員の成瀬、成瀬の学生時代からの友人であることないことしゃべり出したら止まらない喫茶店マスターの饗野、すりの名人の久遠、そして正確な体内時計を持ち車を盗むという特技を持つ一児の母雪子。この4人はふとしたきっかけで知り合い、ふとしたきっかけで銀行強盗をするようになった。その日も計画通り銀行強盗を成功させて車で逃走する途中、1台の車と衝突しそうになる。そして、その車から出てきた男達は拳銃を突きつけて、車ごと金を奪っていった。彼らは現金輸送車襲撃犯だった。久遠が一味の一人からすった免許証を手がかりに、金を取り返しにかかる。
 奪われた金を取り返そうとする過程で明らかになっていく事情の謎解き、そして陽気なギャング映画らしい(小説だった)どんでん返しがあってそれなりに面白いが、何よりいいのがこの4人、そして饗野の妻祥子、合鍵その他偽造もろもろを引き受けるオタクの田中、といった登場人物のキャラクター。そして彼らが交わす皮肉に満ちた社会論や人間論も。ウィスキーでも飲みながら読んでも良かったかもしれない。

重力ピエロ 2006年8月23日(水)
 泉水(いずみ)が務める遺伝子情報を扱う企業のビルが、弟の春の予言どおり放火される。春の父は、母を強姦した未成年の男だった。春は美しい容貌とは裏腹に、女性との交際を嫌い、ガンジーの平和主義を敬愛している。父は平凡な公務員で癌を病んで入院しており、美しい母は数年前に亡くなっている。泉水が春と会って話をすると、連続放火が 街の落書きとリンクしているという。そして落書きの言葉と放火の場所を頭文字から、DNAの二重螺旋をなぞっていることがわかり、遺伝子に関心のある泉水と父はこの謎解きを乗り出す。そして、泉水の前に郷田順子というなぞの美女が現れ、春の精神状態が不安定だと訴えるのだった。
 放火事件の謎を考え、春とともに予想される放火場所を見張ったりする一方で、泉水は葛城という美男だが傲慢な男の遺伝子検査を引き受け、ある企てを持っていた。
 平凡だが強い意志を持つ父、美しいが突飛な母、いつも一緒の兄弟、風変わりだが小説ではありがちな設定の家族像が優しく描かれている。村上春樹風の軽い警句やジョークに満ちた文章や、「オーデュボンの祈り」の主人公や「ラッシュライフ」の泥棒が登場したりするのも、いつもの伊坂ワールドでおもしろい。
 「ふわりふわりと飛ぶピエロに、重力なんて関係ないんだから」「楽しそうに生きてれば、地球の重力なんてなくなる」

アヒルと鴨のコインロッカー 2007年1月17日(水)
 現在、僕・椎名は大学に入って引っ越してきた町のアパートで隣室の河崎に会い、いきなり本屋襲撃を持ちかけられ、いつのまにかモデルガンを持って書店の裏口に立つはめになっていた。
 二年前、わたし・琴美は行方不明になったペットショップの犬をブータン人留学生のドルジと一緒に探しているうち、連続ペット殺しの犯人と思しき若者達と遭遇してしまった。
 現在のあどけない椎名と二年前の活発な琴美の物語が並行して進み、ペットショップの美しい店長麗子と琴美の元恋人女たらしの河崎が共通して登場する。ミステリーを読みなれていると、途中で事件の真相は想像できるのだが、登場人物のトリックはわからなかった。あちこちにきちんとヒントは埋め込んである。うまい。
 タイトルの「アヒルと鴨」は「アヒルは外国から来たやつで、鴨はもとから日本にいるやつ」、「コインロッカー」は「神様を閉じ込めて、全部なかったことにしてもらえばいいって。そうすれば、ばれない」という琴美の言葉から。このタイトルが何か暗示するようなしないような、微妙なところ。ジョーク満載の文章も相変わらずおもしろい。そして、結局悲しい結末。吉川英治文学新人賞受賞作。

グラスホッパー 2007年11月10日(土)
 鈴木はフロイラインという、若い女性に化粧品や健康飲料を売りつけるまともじゃない会社で働いていた。妻を轢き殺した、社長寺原の馬鹿息子に復讐するためだった。しかしその馬鹿息子は、鈴木の目の前で車道へ足を踏み出して轢かれた。鈴木は上司の比与子に、その場から立ち去ろうとする男を追うように命じられる。鯨はホテルの二十五階の部屋で、議員秘書の自殺に立ち会っていた。鯨は、彼に会うと自殺したくなるという能力を持つ「自殺屋」だった。その窓から鯨 は交通事故を見ていた。人々の中で別の方向へ進んでいく姿が見えた。「押し屋」だった。蝉は、水戸である一家をナイフで殺していた。蝉は岩西に指示されて仕事をこなす殺し屋だった。蝉は、自分を岩西の操り人形のように感じていた。鈴木は「押し屋」を家まで追跡し、次の日家に乗り込む。鯨は、かつて一度だけ仕事を先取りされた「押し屋」と決着をつけようと思う。鯨の殺人を依頼されて、遅刻して果たせなかった蝉は、「押し屋」の話を聞いて自分で捕まえようとする。「押し屋」の居場所を教えようとしない鈴木は、比与子の誘いにのってあっさりと捕まり、フロイラインのビルへ連れて行かれる。鯨と蝉もそれぞれそのビルを目指す。
 鈴木以外は殺し屋業界の悪役ばかりだが、それぞれキャラクターがユニークで魅力的だ。鈴木と妻とのエピソードもおもしろい。伊坂幸太郎の作品の登場人物は、皆独特の哲学(単なる屁理屈かも)とかライフスタイルを持っていて、そこもおもしろい。「グラスホッパー」とはバッタ。「どんな動物でも密集して暮らしていけば、種類が変わっていく。黒くなり、慌しくなり、凶暴になる。気づけば飛びバッタ、だ」という「押し屋」の言葉から。

死神の精度 2008年4月1日(火)
 みんなが寿命で死ぬのを待っていたらバランスが崩れる。それで私たち死神が、選び出された人間と一週間前に接触し、二、三度話を聞いて調査し、「可」または「見送り」と報告し、八日目に「死」が実行されるのを見届ける。調査は儀式的なもので、よほどのことがない限り「可」の報告をするので、時間ができるとCDショップで好きなミュージックを 試聴して過ごす。選び出された対象は、「死神の精度」ではしつこいクレーマーに悩まされている大手電機メーカーの苦情処理係藤木一恵、「死神と藤田」では兄貴分を殺した対立組員を狙っているやくざの藤田、「吹雪に死神」では当選して招待された洋館で夫が毒死してしまった田村聡江、「恋愛で死神」では向かいのマンションに住む古川朝美に恋しているブティック店員の荻原、「旅路を死神」では母を刺し若者を刺殺して逃げている森岡、「死神対老女」では美容院に明後日十代後半の男女4人ぐらい の客を連れてきてくれと依頼する新田さん。それぞれに、しつこいクレーマーの正体、吹雪の洋館で起こる連続殺人の推理、特定の日に客を増やそうとする理由、といった謎解きが用意されていて、さらに「死神の精度」、「恋愛で死神」は「死神対老女」につながっていく。
 第57回日本推理作家協会賞短編部門受賞 した連作短編。人間の事情に通じていない死神の会話が、とぼけていてクリティカルでおもしろい。伊坂幸太郎はこれで7冊目だが、「オーデュボンの祈り」、「アヒルと鴨のコインロッカー」と本作が良かった。他は、ちょっと忙しなさすぎる。

終末のフール 2009年9月18日(金)
 八年後に小惑星が衝突して、地球は壊滅状態になる。ある日突然そんなニュースが流れ、人々は仕事をやめ、より安全な土地を求めて去ったり、自殺したりし、町は暴徒による略奪と暴動で荒れた。それから五年たち、町にも落ち着きが戻ってきた。仙台市郊外の団地ヒルズタウンにも、残った人々がそれぞれ残された三年を生きていた。三年しか残っていないのに子供を授かった夫婦、両親が自殺して残った父の蔵書を読んで生きてきた娘、事件報道を逆恨みされ遺族に押し入られた元アナウンサー、妻を殺されその復讐を果たして死のうとしている夫。
 「フール」にちなんで「ール」の韻を踏む9編の短編に、ほとんど同じマンションの住民だから、どこかで同じ人物が出てきて、何号室の誰それさんということもわかってくる。「冬眠のガール」の天然ボケの美智、「演劇のオール」の偽家族を演じる倫理子のほか、主人公以外にも「太陽のシール」の進行性の病気の子供のいる土屋、「鋼鉄のウール」のストイックなキックボクサーの苗場など、魅力的なキャラクターが多い。エンターテインメントではあるが、死を迎える時どう過ごすかなんて想像してしまった。
 「死に物狂いで生きるのは、権利じゃなくて、義務だ」「じたばたして、足掻いて、もがいて。生き残るってそういうのだよ、きっとさ」

ゴールデンスランバー 2010年2月7日(月)
 仙台でパレード中の公選で選ばれた首相が、ラジコンヘリコプターの爆弾で暗殺された。そして、翌日には容疑者が特定された。青柳雅春という宅配運転手で、二年前強盗に襲われたアイドル歌手を救ったことで話題になった男だった。仙台市街地にはセキュリティポッドという情報監視システムが配置されていて、次々と証拠映像が明らかになった。証言者、関係者の多くが事件後不審死していて、事件の真相は二十年後も明らかになっていなかった。事件の前、青柳は学生時代のサークル仲間の森田森吾と会っていた。森田は、「おまえ、オズワルドにされるぞ」「とにかく逃げて、生きろ」と言った。
 ケネディ大統領暗殺事件を連想させるが、事件の真相や背景がどうというよりは、学生時代のファーストフーズ友の会のメンバーの森田森吾、元恋人の樋口晴子、後輩カズ、その他登場人物のキャラクターやエピソードがおもしろい。特にラストが良かった。山本周五郎賞、本屋大賞受賞作。

夜の国のクーパー 2015年10月17日(土)
 妻の浮気に悩み、パソコンで少額の株の売買をする役所勤めの私は、仙台港から小舟で釣りに出たのだが、舟がひっくり返り、気が付くと見覚えのない土地の草叢で蔓で縛られて横たわっていて、トムという名の猫に話しかけられた。隣国の鉄国との戦争に負けて、兵士に支配されて国王の冠人が殺されたという。この国では、十日か二十日かかる場所の杉林の杉が年1回蛹になってそのうちの1本がクーパーという生き物になって国を襲うので、複眼隊長がクーパーの兵士を選んで戦いに行っていた。クーパーの兵士は、クーパーを谷底に落とした後、クーパーの体液を浴びて体が透明になり、国の危機の時は助けに来ると言われていた。猫は、一緒に来て僕たちの国を救ってくれないかと言うのだった。
 猫に襲われる鼠が条件を交渉に来るが、これで何となく仕組みがわかってしまう。しかし、猫はなぜただの平凡な一人の男に期待するのか。とんでもないどんでん返しが待っている。デビュー作「オーデュボンの祈り」以来の魅力的なファンタジー。

サブマリン 2020年9月14日(月)
 家庭裁判所調査官の武藤が今度担当したのは、無免許で車を盗んで運転して人を撥ね殺した十九歳の少年だった。その少年棚岡は、何を聞いても「はい」としか答えなかったが、彼の両親も幼い頃交通事故で亡くなっていた。とんでもない性格で迷惑この上ない上司の陣内が資料を見ると、「二度あることは三度ある」と呟いた。ネット上で脅迫文を投稿していた相手に逆に脅迫文を送って保護観察処分になっている高校生、小山田が事件のことを探っていて妙なことを言い出す。棚岡が経験したもう一つの事故の加害者若林青年と会い、陣内の友人で盲人の永瀬の協力を得たりして、武藤は事件の真相に迫ろうとする。
 ミステリー的にはなるほどそうかという展開で、登場人物のキャラクターもおもしろいのだが、少年事件だけに一件落着というわけにもいかない。伊坂幸太郎というよりは、重松清か天童荒太かという感じの作品だ。