保坂和志

プレーンソング 草の上の朝食 この人の閾 季節の記憶
未明の闘争      

プレーンソング 2004年10月6日(水)
 女の子と一緒に住もうと思って引っ越ししたらふられてしまい、2LDKの部屋に一人で住むことになる。その部屋に子猫が何度か現れて、えさをやろうとするのだがその度に逃げてしまう。彼女がいないと週末が暇になり、年上の友人と競馬場通いをする。そんな生活の中に、映画を作っている友達の仲間が泊まりに来る。こんなほとんど意味もない生活の模様を、たんたんと描いていく保坂和志の世界。
 「戦争が終わって十年かそこらで生まれて、東京オリンピックや大阪万博や札幌オリンピックがそれぞれ一つの時代の区切りのようにしてあって、大学に入ると学生運動の残りかすが意外に大きいのかやっぱり小さいのか計測しがたいものとしてあって、中上健次が芥川賞をとるまで『戦後生まれには文学はできない』などと言われ、つねに日本や世界の大状況が出来事の中心にあるように言われていて、どうしてもそこから何かを考えることしかできなかった。」主人公が学生時代の友人の女性に電話で話す言葉だが、この辺が保坂和志の文学観の根底にあるのかもしれない。
 この電話の相手というのは、どことなく芥川賞受賞作「この人の閾」に登場する女性のようだし、最後の海でのゴムボートの上の会話はまさに保坂ワールドという感じ。

草の上の朝食 2005年5月20日(金)
 西武池袋線中村橋に借りた2DKのアパートに、部屋が取り壊されることになった島田が住み込み、さらに写真をやっているヒカルがよう子を連れてやってきて、4人の生活が始まる。デビュー作「プレーンソング」の続編。島田は仕事もやめたのに毎日朝出かけて夕方帰ってくる。よう子は近所の猫に1日2回エサをあげて歩き、ヒカルはギャーギャー騒いでいる。本人は毎週競馬場へ出かけて石上さんと馬券を買い、会社を抜け出して喫茶店で同じ会社の三谷さんの競馬理論を聞かされる。そして、その喫茶店でアルバイトしている派手な感じの工藤さんと付き合うようになり、その工藤さんも部屋に居つくようになる。
 と、20代後半の若者(?)の生活を淡々と描いているのだが、ドラマも何もない小説、どうやって終わるのだろうと思っていると、工藤さんに似ているサチという子を呼ぼうというところで終わる。続編がいくらでもできそう。登場人物の変人ぶりがおもしろいし、淡々とした表現やせりふも味がある。野間文芸新人賞受賞作。誰か文芸評論家が、何とか派とか名前をつけるんだろうな。

この人の閾 2003年12月26日(金)
 掴みどころのない、というか言葉でたとえると「飄々」とした感じの作品集である。どの作品でも、登場人物がそぞろ歩きながら、とりとめのない会話ともいえないような話をするだけで、物語が始まりも終わりもしない。
 芥川賞受賞作の「この人の閾」は、仕事で小田原を訪ねると約束をすっぽかされて時間が空いてしまい、ふとこの町に大学時代の映画サークルの先輩の女性が住んでいたことを思い出し、家を訪ね、庭の雑草を取ったりビールを飲みながらあれこれ話をする。「この人の閾」というのは、「真紀さんのいる場所はいまのこの自分の家庭の中心ではなく、家庭の"構成員”のそれぞれのタイム・スケジュールの隙間のようなところで、それでは"中心”はどこにあるかといえばたぶんそんなものはない。」というところさしているようだ。
 「東京画」では、玉川上水遊歩道を歩いていて見つけたマンションに引っ越し、一人であるいは隣の夫婦と寂れた商店街を歩きながら、夕涼みする年寄りや閉店していく店を眺める。「夏の終わりの林の中」では、幼なじみの女性と自然教育園の林の中を歩きながら、植物やなんかについて話をする。「夢のあと」では、鎌倉に住む友人を女性と一緒に訪ね、友人が子供の頃遊んだ場所を一緒に歩く。
 「おいでよ、おいでよ」といったそっけない反復する言い方が、どこか小津安二郎的な雰囲気を出している。「大人はダメだね」「いいじゃない」「そう?」「うん。こんなもんじゃないの?」・・・「そうでもないんだよ。じつは。まあ、そんなもんだけど。」「何、それ?」「だから、そんなもんなんだよ。」「変なの。」こんな、反論も肯定もない言葉のやりとりがとりとめもなく続く。ある意味、ドラマも何もなく生きている時間を切り抜いたリアリズムなのかもしれない。

季節の記憶 2005年11月2日(水)
 離婚して、僕は鎌倉の稲村ガ崎で息子の圭太(クイちゃん)と暮らすようになる。近所の松井さんと美紗ちゃんと親しくなり、午前中は美紗ちゃんと3人で散歩し、午後家で編集の仕事をし、夜は松井さんのところで食事をしたりという生活を送っている。そこへ、美紗ちゃんの幼馴染のナッちゃんが離婚して帰ってくる。どこか構えた感じが不自然だ。ゲイの二階堂が訪ねてきたり、和歌山の蝦乃木から電話がかかってきたり。そして、あれこれたいして意味もない会話を繰り広げる。いつもの保坂パターンなのだが、この作品では話の内容がより思弁的になっている。といっても、話している内容に一定のテーマが流れているわけでもないのだが。でもこの感じは、もしかして現代 版「草枕」なのかもしれない。谷崎潤一郎賞、平林たい子賞受賞作。

未明の闘争 2016年8月6日(土)
 会社員時代の死んだ同僚が生きて歩いている夢を見て、編集者との打ち合わせに出かけてそのまま中国人の女の子がいる店に行って、夜中友人が訪ねてきてそこに隣人の若い奥さんもやってきて、というのがストーリーといえばストーリーだが、唐突に少年時代飼っていた犬や、妻と飼っていた猫との話が何度も繰り返され、さらに会社の女の子と浮気行した話が挿入され、戻ってきた山下公園の描写が延々と続いたりして、友人が餌付けしていた猫の話で唐突に終わる。
 「私は」という前後がつながらない主語が頻繁に使われるのは、何か常軌を逸した雰囲気を醸し出すためだろうか。好みの問題だが、つまらない上に上下2巻なのでまったく時間を無駄にしてしまった。野間文芸賞受賞作。