久間十義

世紀末鯨鯢記      

世紀末鯨鯢記 2007年9月19日(水)
 「石丸−いしまある−イシマエル」。スナックで知り合ったフィリピン女性は、彼のことをそう呼んだ。メルヴィルの『白鯨』の語り手の名(イシュメール)となった名前だ。新聞記者である石丸は、取材のため調査捕鯨船に乗り込むことになる。次第に石丸の内部に、<石丸−いしまある−イシマエル>という《確信》が育ってくる。そして、彼、石丸である私は、彼に忠告し、彼を私自身に奪還するつもりだ。こうして石丸、彼と私は捕鯨母船「第三日輪丸に乗船し、南氷洋を目指す。
 思弁的な作品なのだが、捕鯨船の活動と反捕鯨団体の抗議行動を描いた海洋冒険小説の中に、統合失調症患者を置いただけと言えなくもない。 妄想にとらわれている彼と正常な私、正常な私と間違っている客体、小説の中の現実と物語の世界、そして何か暗示するような言葉も、分裂や妄想 の描写だと思えばそれまでのことになってしまう。平成2年の三島由紀夫賞受賞作。