大道珠貴

背く子 しょっぱいドライブ 傷口にはウォッカ  

背く子 2004年12月16日(木)
 春日は三歳の女の子。父母をダーリン、マミーと呼ばされている。父は自衛官で、弱虫のくせに見得張りで家族や親戚にはいばりちらす父。そんな父に耐えている母は、時々春日に暴力を振るう。夜の子作りに子供も巻き込むような 両親や、近所に住む親戚の奇妙な人々、幼くてバカな子供達の世界を、博多弁でユーモラスに物語っている。たかが三歳でも、言葉にはできないが感じている。過去を回想し、未来を予測し、親を軽蔑し、批判する。「かんじる」「おもう」とひらがなにしてあるのは、そんなところを表わそうとしているのだろうか。
 登場人物やエピソードが多すぎて要約できないが、小学校入学を前にして父のことは完全に見限っていて、母親にはしばらくついていこう、そして二十歳になったら家を出て働こうと決めている春日。子供が主人公とはいえ児童文学などというものではなくて、この春日もどうしようもない男と結婚して子供を産んで育てていくんだろうなと思わせる、何か女の一生を感じさせる作品だ。

しょっぱいドライブ 2006年2月25日(土)
 「しょっぱいドライブ」:三十四歳のミホは60過ぎの九十九さんとドライブしている。幼い頃から家族が世話になってきた人で、ミホも借金をして返しに行ったりするうち付き合うようになっていた。芥川賞受賞作。
 「富士額」:イヅミは相撲取りとラブホテルにいる。中二の夏休みの後そのまま不登校を始め、アルバイトで働いた大相撲の売店のおばちゃんに紹介されたのだ。
 「タンポポと流星」:ミチルにとって嬉野鞠子は幼稚園以来の腐れ縁。いつも付きまとわれて呼び捨てにされている。逃れるために成人式の後、東京へ出て行くが、連絡がまったく来なくなり、そうするとまた気になってしまう。
 30代、10代、20代という違いはあるが、どの作品の女性もだるそうというか、主張がないというか、不感症というか、好きなのかなでも気持ち悪いかなといった感じで、流れに任せるままの不思議な人物。毒のあるようなないようなとぼけた表現で、非常にユニークではある。

傷口にはウォッカ 2008年8月7日(木)
 永遠子は40歳、未婚。父に送金してもらってマンションに住み、時々清掃の仕事をしている。実家にいると、顔が似ていて好きな弟と、妹1、妹2が子供を連れて帰ってきている。小学三年の時仲良くなった万葉とは今でも腐れ縁が続いている。十代でセックスと夜遊びを経験し、二十代で痔の手術をし、三十代で結婚寸前までいった人がいて、今は寿一郎という恋人がいる。
 特にストーリーということもなく、永遠子の周りの人たちとのエピソードが語られる。「背く子」や「しょっぱいドライブ」と同じような、ゆるくてだるい、よく言えば自然体の女性。子供たちから見れば変なおばさん、親から見れば困った子。でも、人間なんてこんなものかもしれない。 ドゥマゴ文学賞受賞作。
 「わたしは、今から、なにをやらなければならないんだろう。やらなければならないことなんてない。じゃあ、なにがしたいんだろう。いっぱい、ある、ある。ささいなことだけれども。」「もう四十歳なんて晩年期じゃないだろうか。死が宣告されたようなものだ。死が、近づいてくる。自分からも、近づいて行っている。それで、生きることへの執着が、なまじっかじゃない。…『これが中年というものか。』と腑に落ちる。中年女性になったとて、ちっともショックを受けない。笑うでもない。ただ、受け入れる。」