浅田次郎

地下鉄に乗って 霧笛荘夜話    

地下鉄に乗って 2004年2月1日(日)
 浅田次郎というと「鉄道員」が有名で、これは幽霊の出てくる短編が多く、それもホラーとかではなく、近親者の幽霊が現れて主人公を癒したり助けたりするというものだった。
 「時間というものの蓋然性について考える。母を見るにつけ、時間というものはそれほど絶対的に、着実に流れているとは思えない。記憶という暗い流れの中で、孤独な人間を乗せて行きつ戻りつしている小舟が、時間というものの正体だ・・・だから正確には、時間を共有している人間など一人もいないのだ。」
 この作品では、主人公が地下鉄の階段からタイムスリップして過去を訪れて、自殺した兄の真相や、憎んで別れた父親の過去を知っていくことになる。同じ会社の愛人もそこに現れて、同じような体験をしていく。二人が同じ体験をするというのは、どういうサインなのだろうか。これが父親を許し、二人が結ばれるというのであれば、ホロッとくる人情話なのだが、最後にすべての真相が明らかになり、その結果起こる出来事はあまりにも悲しい。
 戦前の銀座、東京オリンピックを目前にした活気のある東京、そして鋼鉄のボディの地下鉄・・・。レトロの雰囲気もあり、しみじみ味わいながら読めた。吉川英治文学賞新人賞受賞作。

霧笛荘夜話 2008年6月14日(土)
 暗い運河のほとりに建つ奇妙な意匠の建物。人目を避け、闇を求めて歩けば自然とそこへたどりつく、半地下と中二階とでできているアパート、霧笛荘。管理人の太太という纏足の老女が、6つの部屋を案内して住んでいた人間の物語を語る。嵐の夜、死に場所を探しあぐねるうちにいつしかアパートの前に立っていた星野千秋の港の見える部屋。「吉田よし子」という名とともに社長夫人の立場と子供を捨ててホステス尾上眉子として生きた女の鏡のある部屋。頭が弱くていいように利用されてきた、半チクなやくざ鉄夫の朝日のあたる部屋。足の悪い美しい姉の応援を励みに、バンドの成功を目指した四郎の瑠璃色の部屋。人を好きになったこともなく、植えかえられて生きることに懐疑し続け、「花子」という名を捨ててオナベになったカオルの花の咲く部屋。特攻の生き残りの園部幸吉の過去を、船員としての記憶に換えて生きてきたキャプテンのマドロスの部屋。
 前章で登場した人物の過去が次の章で明かされる形式になっていて、そのため最初の星野千秋の事情だけが不明のまま。「瑠璃色の部屋」の四朗と姉の物語が、美しくて悲しかった。「港の見える部屋」と「マドロスの部屋」は、死ぬべき人間が入れ替わってしまう皮肉がおもしろい。
 幽霊こそ出てこないが、浅田次郎らしい、生きて死ぬことを、死んで生きることを選んだ人たちの物語。