新井満

ヴェクサシオン      

ヴェクサシオン 2005年7月8日(金)
 フリーになったCF演出家の雨宮が事務所兼住居とした古い洋風アパートは、ドアを閉めると開かなくなってしまう。撮影が長引いて部屋での打ち合わせに遅れてしまい、明け方帰ると部屋のドアが閉まっていて、こじ開けて入るとソファーで女性が寝ていた。これが耳の聞こえない絵コンテ画家遥子との出会いだった。彼女が弾いた曲をきっかけに、雨宮はエリック・サティにのめりこむ。CF制作の業界話、サティの音楽、不思議な感性を持つ遥子が一つになって物語が進んでいく。野間文芸新人賞受賞作。
 「苺」も主人公は学生の雨宮で、ほぼ作者とだぶる人物の連作小説ということになる。こちらは、アンドリュー・ワイエスの絵が底流に流れている。
 感じのいい作品集だが、どこか業界男の思い上がりが感じられなくもない。斜視で緊張が失われると右と左が別々に見えてしまうというのが象徴的だが、どちらの作品も主人公が自分の感傷に浸るだけで、相手の女性の存在はいつの間にか希薄になっている。悪く言えば、ただの男女の物語に芸術的な雰囲気をふりかけた引用小説と言えなくもない。サティがブームになったのが30年ほど前だったと思うので、18年ほど前の作品でサティを発見したかのように熱狂するのはリアリティがない。