阿部和重

アメリカの夜 無情の世界 グランド・フィナーレ シンセミア

アメリカの夜 2006年10月18日(水)
 中山唯生は映画専門学校を卒業した後、シナリオを書いていこうと思い、百貨店の文化催事ホールでアルバイトし、もっぱら読書にふけっている。「映画の人」が「読書の人」になったのは、映画をやるうえで言葉の必要性に気づいたからだ。唯生は影響されやすい人間でもあり、読んだ本から自分の誕生日が光と闇の境である秋分の日であることに自分を「特別な存在」と確信するが、闇から光への境である春分の日との闘争を意識する。読む本ごとに「模倣する人」となり、ドン・キホーテを読んで「気違い」になろうと決意する。
 同じ映画学校を卒業して一緒にアルバイトしている武藤が映画を撮ろうとすることから、唯生の妄想に拍車がかかり、ドタバタ劇へ進んでいく。
 というのがだいたいの内容だが、作品のもう一つの次元が語り手である私=唯生と語られる唯生とか、文芸批評に形を借りた文体とかといった外形の部分。学生の頃、ヌーボーロマンだとか、構造主義だとか、言語論だとか、エクリチュールだとか、わけも分からず読んだり語ったりしていたようなもので、今にして思えば児戯に等しい。永遠のトートロジー。こんな部分を剥がしたのが、「無情の世界」のような作品につながっているようだ。最近話題作を発表している芥川賞作家のデビュー作で、群像新人文学賞受賞作。

無情の世界 2004年3月19日(金)
 「トライアングルズ」は、コミュニケーション障害と思われる青年が一目ぼれした女性をストーカーし、その不倫相手の家庭に家庭教師として入り込み、その生徒である学習障害と思われる小学生が女性に当ててその顛末を手紙に書いているもの。
 「無情の世界」は、妄想癖のある高校生が公園で露出狂らしき女性に出くわし、いつの間にか殺人犯に疑われていく話。
 「鏖」(みなごろし)は、店の品物に手をつけて追われてファミリーレストランに入ると、相席で座った男が液晶テレビで妻の不倫の現場を盗撮していて、あとは「パルプフィクション」の世界が展開する。緊迫した場面で流れてくる音楽、「There was a time when I was・・・」オリビア・ニュートンジョンの「そよ風の誘惑」だ。なんというセンスの良さ。
 無関係なさまざまな人間が、妄想や短絡的な感情や本能的な行動で、出会い、絡み合い、思わぬ事態へ展開していくという短編集で、野間文芸新人賞受賞作。論理が妄想的に飛躍していったり、感情的な反応が思わぬ行動の連鎖を引き起こしたり、といったところがおもしろい。

グランド・フィナーレ 2007年11月1日(木)
 主人公は離婚して妻子と別れ、勤めていた教育映画製作会社も辞めて実家に引きこもっている。娘の誕生日、上京してプレゼントのドレスを買うが、手渡すことはできない。娘のちはるや少女たちのポルノ写真を撮っていたのがばれて、接近禁止命令を受けて会社も解雇されていたのだった。友人たちにも真相が知れ、実家の文房具店の店番で過ごしていた主人公の下へ、小、中の同級生が訪れて、子供クラブの芸能祭のでの演技指導を依頼する。
 ロリコン趣味ですべてを失った男が、田舎の少女とたちとの出会いで自分を断罪し、立ち直ろうとしていく・・・、解説風に言えばそういうことになるかもしれない。しかし、その最後の展開が唐突で、あまりリアリティが感じられない。もとからそれほど好きな作家ではないが、この作品はそれほどおもしろみもない。
 デビュー10年、すでに大きな文学賞も受賞している作家が、なぜか受賞した芥川賞受賞作。

シンセミア 2013年10月16日(水)
 山形県東根市神町。戦後、占領軍が駐屯して風紀が乱れたこの町で、アメリカの間者を引き受けたパン屋の田宮とヤクザの麻生は勢力を拡大し、裏で町を支配し、代替わりしてもその状況は続いていた。産廃処分場の設置をめぐって町が二分している中、反対派のリーダーの高校教諭、広瀬正俊が列車に轢かれて死に、自動車整備工、相沢光一が運転中心筋梗塞で死に、農家の松尾孝太が行方不明になるという事件が立て続けに起こった。相沢の友人である田宮の三代目博徳は、松尾の縁戚の丈士、麻生興業の孫、和哉、笠谷建設の三男、保宏らの盗撮グループに加わっていた。同じく友人である交番の警官、中山正は幼児性愛を成就させるために警官になった男で、中学生と淫行していた。交番に入り浸る新聞配達夫の星谷彰夫はUFO信者で、町の情報を集めていた。
 登場する男たちは皆ろくでもない連中だが、女も麻薬にふける妻、不倫をして盗撮の手助けをする妻、ヤクザと交際する高校生、とまともな人間は一人もいない。後半、洪水から破滅的に収束していく様は圧巻。おもしろかった。毎日出版文化賞、伊藤整文学賞受賞作 。