2013年12月





10月に母を魂の故郷に送り出してから


私の心で様々な変化を感じているの


初めは母へもっと何かできたのではないか


もっとしたかった思いから


後悔の思いが強く


心が締め付けられるくらい


日々辛く悲しかったのだけれど


ある方から


「今あなたは自分からお母さんを見ているけど


もしちょっと気持ちに余裕が持てるなら


お母さん側から


貴方を見つめて見るといいよ


私も両親を亡くした時


暗い迷路から何年も抜けられなくって


心療内科に通っていた時


そういう風にアドバイスされて


そうしてみたの


そうしたら


ゆっくりだけど


元の自分に戻れたから」と


アドバイスを頂き


私も初めて


母側から私を見つめて見る事にしたの


そうしたら


私がずっと感じていた後悔の思いは


母にとっては苦しく


母はこうなって何もできなくなった私を


逆に辛く悲しいものにしているのを


感じたの


そして母が人生をかけて守りぬき


大切にしていた私を


私自身が今度は


大切にしなければ


母の人生までも意味のないものに


してしまうんじゃないかなって・・・


私にとってお守りとなっていた


母がいなくなって


言葉では表現できない感覚に包まれながらも


自分の内側の盲目的だったあらゆる部分が


開眼してゆくのを感じ


今までとは違う深く広い


安らぎが生まれているの


人生はいつこの世の学びを終えるのか


誰にもわからない事なのだから


自分が心惹かれる事は


後回しにしたりせず


そして人とのふれあいの中でも


どんなに相性がフィットしない方と出会っても


「この方にも


この方が絶対にこの世にいてほしいと願う人が


いるんだろうな」って


思うと


自分の価値観や思い込みの鍵が外れて


一人の人間として


受け入れたれたり・・・


この間父と話している時


私が母に何もできなかった事を


後悔していると父が


「親孝行はやる方の満足でやっているもので


俺はこれだけやったからって


少しでも自分を納得させるための


ものだと思うぞ


親孝行なんて


これだけやったからこれでいいとは


思えないものだろう


それにやってもらう方が


一番望んでいる事を


本当にできているかって思うと


そうじゃない時も多いからな


母さんは元々どこかに行きたい人でもないし


何か欲しい人でもないから


周りが色々してもらってたけど


あの人も合わせてただけで


本当に嬉しかったのは


お前が家に来て


何だか色々一緒に夜中まで話した事が


あの人にとっては


とにかく楽しい事だったんだ


お前が来た日から2~3日は


お前の話を楽しそうに話していたからな


形で何かする事だけが


親孝行ではないから


お前は十分母さんを楽しませたんだから


もう気にするな」と


伝えられたの


母はとっても個性的な人で


スタンダードな考えや人生の方よりも


そうではない方を好む傾向がって


世の中で風当たりの強い場所に立つ方を


応援して縁を持つ事が多かったから


私も母の元を選んで


生まれてきたんだろうなって


改めて感じているの


母の事を知ってお参りにこられた方たちは


一見すると普通に映る方たちなのだけれど


話すととっても個性的な考え方の方だったり


母と変わらない年齢で


大学へ通われていたり


50代から憧れのバレリ―ナにあこがれて


ダンスを始められた方だったり・・・


その方ったいのお話を伺うと


家族や周りには反対されたけれど


私の母だけが


「人間は夢と希望がなければ


生きて行けないんだから」と


自分の事のように喜び応援してくれた事を


尋ねてきた方が表現していたの


私は今までとても心に視野が狭く


母のような人生を歩みたくない


母のようにはなりたくないと


母を傷つけるような事を


よく表現していたのだけれど


初めて母のような人になりたいなって


感じているの


今母に伝えたい事


話したい事が溢れているけれど


これからは私の心に宿る母との対話で


母からのメッセージを


受け取れるから


考え方を変えれると


今まで以上に母を近くに感じられるのかなって


思うの








今回母を魂の故郷へ送り出してから


急に母に繋がる先祖が守り続けてきた


神道について心惹かれて


様々な本を読んだり


母方の親戚に話を聞く事が


多くなったの


私自身宗教に属してはいなく


両親も特に何かしていた


わけではないのだけれど


なんとなく母方の先祖は


長い間神道を信仰し


小さな神社を守っていた事から


私自身


特に意識はしていなくっても


母からの何気ない教えだったり


母の生き方も何となく


理解できるかなって


思っているの


神道というと国家神道のイメージは強く


あまりよいイメージを持たれない方も


いるかもしれないのだけれど


神道はいくつかの分野に


分けて見る事が出来て


ある意味で無宗教だと思っている方の多くも


神道の教えを何気なく活かし


生き方をされている事も


あるんじゃないかなって


神道の事を知るたびに


感じていたの


日本人にとってはあらゆるものに


神聖なものを見いだし


物言わない存在から


気づきや学びを受け取る能力が宿っているので


世界的に伝えられている宗教のように


特定の人物やシンボルにこだわらず


自然界や先祖などをベースに


崇めてきたと思うの


そして日本人が自分の思いを


強く表現しないのも


言霊の力を大切にしてきたからのようなの


そして日本人は世界的に見ても


きれい好きと表現されているのも


神道では大切にされている穢れを


いつも浄化し


いつでも神聖な存在たちと繋がれるように


無意識に整え過ごされているからなんじゃ


ないかなって


神道を学ぶ中で感じていたの


世界的な宗教との大きな違いは


ある一つにこだわり


自分が信じるもの以外は排除するような所がなく


自分が理解できないものであっても


どうにか理解しようと努め


調和を生み出そうとしようと


される流れが


本来の神道では教えとしてあるから


その事を多くの日本人に


重ねて見つめて見ると


性格的なものとは別に


その教えが狭い日本では


必要な教えだったように


感じているの


諸外国からは消極的で


はっきりと物を表現できないと思われ


誤解されているけれど


そのベースとなっているものは


主張する事で災いが生まれ


その先にあるものを


見通す能力があるから


控えめに映っているだけで


だと思うの


言葉では上手に表現できないのだけれど


日本人は自然界や先祖の体験から


学び悟り


精神性が高い方が多いから


争いや災いを生む事で


失うものの大きさを


知っているのだと思うの


なのである意味で抵抗するよりも


流れに任せてしまう所が


あるんじゃないかなって


思うの


その事で脅迫者タイプの人たちからは


弱者のように映るかもしれないけれど


私たちは自然界に生きる動物たちよりも


一歩先へ進んだ人間なのだから


相手が恐怖を抱くような流れを作り


支配するような繋がりは


卒業し


もっと先に待っているスペースへと


進むために


精神性の成長って


とっても大切だと思うの


地球は学びの場とよく表現されているように


様々なレベルの人が様々なスペースで


あらゆる歩幅で


成長し過ごしているから


理解しあえない波動の人もいたり


生き方・考え方あらゆるものが違いすぎて


出会う事もなく


同じ地球で過ごしている方もいるけれど


辿りつくゴールはみんな同じで


ただそのゴールへ辿りつく


速度が違うだけのように


感じているの


私の知り合いで


若い頃よくないと思うような行いをするたびに


すぐに誰かに見つかったりして怒られたり


立場を変えてすぐに


自分の元に戻って来る体験をした話をしながら


「私ってついてないんだよね」って


表現していたのだけれど


私はそのお話を聞きながら


逆についているから


すぐに気づくくらい早く


自分がした行いが戻ってきているんじゃ


ないのかなって感じていたの


多くの場合は


自分では気づけないくらいもっと


月日が流れて


様々な出来事が戻ってくるから


何も気づけないし


魂の成長も難しく


してしまっていると思うの


でも私の知り合いのように


すぐに気づけるタイミングで


自分の行いを考えたり


それに関わる方への思いなど


一つの問題をあらゆる角度から見つめられる


心の瞳を持てる事で


気づいたその日から


人生の視野が広がっていったり


来世まで持ち込むことなく


カルマを消化し


本当の意味で生まれてきた意味や使命を


生きる事ができると思うの


私の母はよく届けられる出来事を避けることなく


不平不満を表現しながら


受け取っていて


その姿を見つめながら私は


「そんなに嫌なら断れば


いい人でいる事をやめたほうがいいよ」って


伝えた事があったのだけれど


母があらゆる出来事を受け入れてきたのは


私が感じていた以上に


深い悟りや考えがあって


そうしてきたのかなって


今は感じているの


ここ数年はよく


「今回の人生はあきらめているから」と


表現していて


きっと母なりに


自分に課せられたカルマや使命を果たす事に


今回の人生は重ねて行こうと


何となく漠然と自分なりに考えて


そうしてきたのかなって


感じているの


この間母の知り合いの方が尋ねてきて


母とのお別れに泣きながらも


母のように前の日まで何も気づかず過ごし


お迎えが来るのは理想だと表現され


そう生きられた母を


「本当に行いのよい人だから


神様がもういいよって


迎えに来られたんでしょうね」って


語られていたの


もしも生まれ変わりがあって


また巡り会えるのならば


今度は親友として


人生を長く共に楽しく過ごしたいなって


思っているの









よく「欲」があまりよいものではないような


表現がされる事が多いのだけれど


私が感じているのは


「欲」というものは


気の元=元気と同じように


意欲を生み


人生のあらゆる方向で


魂を満たす体験へと繋げてくれる


なければならない


感情の一つなんじゃないかなって


感じているの


今回母を魂の故郷に送り出した後


自分では気づかなかったのだけれど


おしゃれもしなくなり


スキンケアも何もかも


どうでもよくなり


おいしいものが大好きなはずなのに


食事も忘れ


心配してくれる周りの方の言葉を聞きながら


このまま消えてなくなるなら


それでもいいって


思うくらいだったの


そして家にいても


特に母との想い出と重ならない


過去を感じるものであっても


何だか辛く


見たり聞いたりする事が嫌で


音楽も自分の知らない曲を聞いたり


お洋服などもほとんど


手放してしまったの


今までよく友人たちと


「やりたい事・欲しいものがありすぎて


本当に困るよね


物欲がありすぎて


どうにかしなきゃね(笑)」って


語るほどだったのに


実際に欲と言うものが


消えた経験をして感じたのは


欲と言うものは生きるベースにあるもので


その欲が明日への活力となり


たとえ気の進まない事であっても


自分の糧となる事へと変える力も


あると思うの


あれがしたい!これが欲しい!って


思える気持ちは


生きようとする心の声と重なる


波動だと思うの


やっと最近急に真夜中に


チョコレートが食べたくなった自分に


少しずつ回復している事を感じ


ホッとしながら


今度は食べ過ぎないように


心配しているの(笑)








今年もいつもながら早いもので


終わりを迎えようとしているけれど


今年は今までにないくらい


深く深く自分の人生を見つめ


反省と後悔と感謝に溢れた


貴重な年となったように


感じているの


自分をこの世に生み出してくれた


母を魂の故郷へ送り出し


その事で自分でも


意識していなかった感覚に出会い


たとえ日頃会っていなかったとしても


ただただ同じ空の下にいてくれるというだけで


大きな力となっていて


私のお守りのような人だった事を


改めて感じ


そのお守りがなくなって


急に大きな不安や迷い・絶望感から


何もできない時間が流れて


毎日毎日涙を流すだけの日々が


続いたけれど


ほんの少し心にスペースができた時


母の事を思えるようになってきて


今の自分を母の瞳から見つめられるようになると


私自身が母の人生の多くの時間


愛情を注がれた作品として見つめてみると


私がこのまま小さく小さく


消えてしまいそうになってしまうと


母が私に注いだ人生そのものが


報われないんじゃないかなって


ふっと感じられて


そう思えるようになってから


一歩一歩


スローではあるけれど


周りの多くの方に手を差し伸べられた


思いを借りて


立ち上がりまた人生を歩めるようになったの


極度な衝撃的なストレスによって


自分でも初めて体験すような


心身の状態の中で


気づかされる事も多いの


たとえば私と共に過ごしている


みゃ~と鳴く私の娘は


人間ではないから言葉として何か


私に表現してくれるわけでもなく


特に何か行動として


私を助けてくれるわけではないけれど


今回極度の不安とストレスに


包まれ過ごす私には


ただただすこやかに眠る姿を


瞳に映すだけでも


心に作用する大きな役割を担ってくれていたり


日頃から気心の知った親友は


特に言葉で何かを


伝えてくれるわけではないけれど


私が無理せずに心ほどけるように


わざわざ私のおうちの近くまで来てくれて


私が行き帰りが楽にできるように


配慮をしてくれているのを感じ


ありがたい気持ちになったり・・・


私の周りは私が持っていないものを


たくさん持っている方が多く


よく自分と比較しては


自分の人生があらゆるものが足りなく


不足したような感覚があって


何となく自分の人生は恵まれていないような


錯覚があったのだけれど


自分のレベルに重ねてみると


こんな私でも


本当はあらゆることに恵まれ


ここまで辿りつく事ができたのを


改めて感じているの


私に素晴らしい出会いをもたらしてくれた


神々に感謝と


そして繋がるすべての方に


いっぱいいっぱい


ありがとうって


伝えたい年になったの






最近


自分の何かが変化を迎えていて


この感覚はまだ独身の頃


よくあった感覚で


私は昔から体験が先に来て


知識はあとに受け取るタイプなので


今はその感覚がよくわからないのだけれど


急に勘のようなものが冴えわたり


ちょっぴりなれない感覚に


こわいの


私は日頃から石とふれあい


過ごしているのだけれど


気になった石と出会うとその石だけと


長い間共に過ごし


その石から届けられるメッセージを受け取り


メモなどをしたり


自分とのフィーリングを感じたりしながら


多くの場合


石の個性とメッセージを感じとり


私自身も心惹かれても


石と私の相性というのか


フィーリングが重なるものが少なく


誰かと石のご縁を結ぶためだけの


ふれあいとなっている事が多いの


その様な体験から


ふっと気がつくと


私の周りには


水晶とラブラドライトがいつも寄り添いあって


水晶やラブラドライトで作った


アクセサリーをお守りのように


身につけていたのだけれど


ラブラドライトは


今までネックレスやリングなどで


身につけてはいたのだけれど


今回なぜだかブレスレットとして


初めてラブラドライトで身につけたくなって


身につけるようになったの


そうしたら


言葉では上手に表現できないのだけれど


左腕からスーッと冷たい風のようなものが


登ってきて


心地よさを感じ


「やっぱりこの石とは


相性がいいんだなっ」って


感じている時


たまたま友人から電話があって


いつものように何気ない会話をしている時


急に「左足のすねが


縦に3cmくらい切れている」って


言いたくなって


何の会話の繋がりもないのに


そのまま言葉にしたの


そうしたら友人が


「え!?何それ?」と尋ねてきたので私は


「何かわかんないんだけど


急に言いたくなっただけ(笑)


ごめん変な事言って


最近急に意味もなく


言いたくなる事が突然来るの」と


伝えると友人は


「え~こわいんだけど・・・


私昨日飲みすぎて気づかなかったんだけど


どっかにぶつけて


左足のすね切れているの


今日気づいたの


や~何でわかったの~」と


伝えてくれたの


その日から何度も


似たような事がよくあって


ちょっぴり慣れない感覚に


私自身もこわいの


この体験は初めて


ラブラドライトのブレスレットを


身につけるようになってから


急に始まったの


改めてパワーストーンの神秘を


感じながら


本当に相性の合う石との出会いは


人生に大きな力と


神秘の世界への扉を開いてくれる


地球からの素晴らしい


贈り物だと感じているの







昔何かの番組で


ペットがご主人さまが


帰ってくる少し前に気付いて


玄関にお出迎えするのを


監視カメラで映していて


なぜ?ペットはご主人さまが帰ってくるのを


感じとっているのかを


検証した番組があったの


その趣旨の番組はいくつかあって


ある番組では


ご主人様が会社から帰る少し前に


家をイメージし歩きだした時


家にいたペットもまるで


ご主人様の思いをキャッチしたかのように


ゆっくりと玄関に向かったの


その番組では考えた事を


ペットがキャッチしていると


伝えていたのだけれど


またある番組では


人にはそれぞで事なる電磁波を発していて


たとえご主人様の匂いのする衣服などを


他の方が身につけていても


その方それぞれの電圧をキャッチして


ちゃんとご主人さまを見ずにして


わかると伝えていたの


その番組を見た時


ペットに限らず


生命を持つものたちは


無意識に電圧や電磁波を読みとりあって


波調が合うかどうかを


瞬間的に感じあっているのかなって


感じていたの


こんな事を表現するのは


どうかとは思うのだけれど


どんなに歩みより理解しようと互いに思いやっても


どうしても理解できず


何度も自分の考え方を改めても


わけもなく好きになれない人って


世の中には存在していて


それはもしかすると


その方それぞれに発してる電磁波の波長から


そう感じているんじゃないかなって


感じていたの


同じ時代同じような環境で過ごしている方でも


出会うことなく


まるで別次元で過ごしているかのように


それぞれの歩幅で


学び進化をしている事ってあるように


私たちは自分が発している


信号にあったものしか


見聞きできない事もあるのかなって


思っているの


たとえばテレビやラジオなどには


決まった周波数があって


その周波数を合わせると


その番組が見聞きできるように・・・


動物や人間には


微量の電圧や電磁波などを感知する


能力が備わっていて


無意識にその場のエネルギーや


残留しているエネルギーを受け取り


説明のできない感覚を受け取りながら


意識的な感覚とは別の意識によって


危機回避をしたり


自分にとって不必要なものから


自分を守っているんじゃないかなって


思うの


エネルギーに敏感な方は


たとえこの感覚が


人と共感できなくっても


自分が感じる感覚を大切に過ごせば


瞳には映らないけれど


自分の周りに自分をサポートしてくれる


エネルギーで満たす事が


できると思うの


私自身何となくの感覚を


できる範囲で意識して過ごすようになってから


選び取るものにも変化が表れて


たとえ価格がリーズナブルであっても


それ以上に瞳には映らない部分で


ダメージを受けてしまう事を思うと


数十円~数百円違っても


できるだけ作り手がわかるものや


それを販売されている方の


心のエネルギーを大切に


あらゆるものを選んでいるの


以前科学者の方の実験で


近くにいる方の発する電圧や電磁波が


周りに影響を与え


本来ならばそれぞれ違うはずの電圧や電磁波が


同じになる事を知り


気にするようになったの


確かに仲良しの友人や


時には好ましくない相手であっても


長く少していると


口調や口癖が似てきたり


否定しながらも同じような方向で


話すようになってくる事が


あると思うの


それはきっとその方から発するエネルギーに


影響を受けて


同じ周波数になっているから


なんじゃないかなって


感じているの


この地球上では


自分の意識を超えて


あらゆるエネルギーと繋がり


影響を与えあっていると思うの


そう思って見つめて見ると


せめて自分とふれあう人たちには


よいエネルギーを手渡したいから


日々自分の内で思う事や考える事を


自分で保つ事が


大切なのかなって


感じているの







自分を知る事の大切さを


最近とても感じているの


よく自分が出会う出来事の答えは


必ず自分の内に宿っていると


表現されているけれど


本当にそうだと思うの


私たちは様々な出来事によって


不安や迷いで小さなパニックになって


冷静になれず


それゆえにすぐにその感覚から


解放されたい思いから


つい外に外にと答えを


求めてしまう事があるけれど


近道だと思っている方法が


本当はもっとも遠回りで


周りの誰かがどんなに素晴らしい答えを


手渡してくれたとしても


本人にしか分からないフィットする答えを


受け取れるまで


何人にも自分が思うメッセージと


フィットしなければ


そのために多くの時間が必要になって


益々迷いや不安が強くなってしまう事も


あるんじゃないかなって


思うの


そう思って見つめてみると


不安や迷いが生まれても


ほんの少し頑張って


自分の心にスペースを


作ってあげられたならば


ダイレクトに自分の内側から


自分に最もふさわしい答えを導きだし


光へと続く道が


見えてくると思うの


私たち日本人は


人を思いやる事を何よりも


大切な教えとして受け取り


その事で大きな誤解をし


何よりも他者を優先し


自分の事を後回しにする事だと


誤解してしまい


それによって多くの方が


最も長く近くで繋がりあう自分の事よりも


他者の事ばかり考え


自分の事を知らず


自分以外の誰かの事は


よく知っているという事も


あるんじゃないかなって


思うの


そしてそれが優しさで親切な行為だと


思いこんだまま


本質的な自分の問題を後回しにし


自分の人生を見つめないまま


過ごしてしまう事もあると思うの


人はとても複雑で繊細だから


自分でもあらゆることを複雑にしてしまい


読み解ずらくしてしまう事があるけれど


そんな方であっても


心に静寂を広げスペースを


作る事ができたならば


必ず


自分に最もフィットした答えを


受け取れると思うの


人生のあらゆるヒントや答えは


必ずしも人に表現し


共感を得なければならない


わけではないのだから


自分が腑に落ちる形で


納得できるものを見つけられたら


それでよいんじゃないかなって


思うの


言葉では上手に表現できないのだけれど


この人生はそれぞれが限られた時間の中で


心の体験の中で


その方それぞれの成長をしてゆくために


与えられた


素晴らしい機会なのだから


心で何を感じ


その事によって進む方向や


スピードを変えたりしながら


この人生で自分がどれだけの事ができたかが


計られているようなものだと思うの


人の多くは


速度や形は違っても


今よりも幸せになるという事を目標に


ゴールに向かって


無意識に歩んでいるいると


思うの


それはエゴではなく


みんなに与えられた


使命の一つだと思うの


一見自分さえ幸せになればいいの?って


思われる方もいるかもしれないけれど


自分の心が満たされないまま


人に施しをされている方は必ず


受けとり手に


ストレートに感謝できない


重いものを感じたり


与える方も心満たされていないのに


形だけで施しをしても


心の深い部分で自分が思い描く


見返りがないと


せっかくした施しより


不平不満などによって


益々よい流れになれないと思うの


その逆に心満たされた方は


何気なく出会った方との


何気ない会話の中でも


いつも無意識に愛を重ねて


受け取り手にエネルギーを


与えられると思うの


そう思うと


多くの方が自分の心を満たし


過ごす事ができていたならば


意識を離れても


人へ愛溢れた何かを与え


過ごせるようになると思うの


自分を満たす事はやがて


出会うすべての方にも


心豊かになれるエネルギーを


分け与えられるようになると思うの


そして私たちは魂という


奇跡的な素晴らしいものを乗せた


肉体を持つ人間だから


心だけではなく


肉体のコンディションによっても


大きな影響を受けてしまうから


肉体や心に影響を与える脳へ


信号を送る首や肩などの


コンディションもとても


大切なように思うの


首や肩のこりによって


信号がうまく届かないと


心にまで影響を与え


人生を歩むためのエネルギーも


湧かなくなったり


それによってネガティブな部分が生まれても


自分の性格が原因だと思い込み


益々迷路に迷い込んでしまう事も


あると思うの


私たちはもっと人へ与えるのと同じくらい


もしくはそれ以上に


思いやりと優しさを持って


自分を労わり癒してあげる事が


大切だと思うの