2013年11月





母の魂が


肉体から自由になってから


自分でも抱えきれないほどの


悲しみと後悔で


涙があふれない日がないくらいの


時間に包まれていたのだけれど


そのたびに


人の慈悲溢れる優しさに支えられ


今日と言う日を迎える事が


できているの


hpでも温かい書き込みを頂き


母がいない事を実感し


寂しく胸が痛くなるたびに


何度も読ませて頂いたり


親友やパートナーも


程よい距離感で


私にこれから生きる喜びとなる


目標となる予定を提案してくれたりして


改めて


自分が多くの方のおかげで


人生を続けられている事を


感じているの


今は心身のコンディションが


なかなか保つ事ができていないのか


呼吸が整わず


なぜか息苦しさを感じたりして


今まで意識することなくしていた呼吸も


今は意識しなければ


呼吸ができていない事もあったりして


初めての事に


戸惑っているのだけれど


そのたびに


ストレスの怖さを感じているの


この現実を受けとめるには


まだ未熟な私にはあまりにも大きすぎて


耐えられない時


「今は自分を守ってあげるためにも


今までにないくらいに自由に


したいことだけをして


過ごしてみるといいよ」って


数年前に母親を魂の故郷へ送った


知り合いにアドバイスを受けて


そうすることにしたの


でも自分が日頃から大好きな読書も


深くイメージできず


数ページ読んでは


閉じてしまったり・・・


そんな時


母の事でお待たせしていた


アクセサリー制作をさせていただこうと思い


いつものように瞑想し


その中で受け取ったメッセージに導かれながら


形として行く中で


瞬間的ではあるけれど


母の事を考えず


いつもの自分と繋がる事ができて


本当に救われたの


今まで人生で何一つ


長く続ける事ができなかった私が


唯一続けられている事だから


きっと自分が感じている以上に


なくてはならない


時間になっているのかなって


感じていたの


そして石とのふれあいは


私を深く癒してくれているようで


今まで以上に深く


地球が育んだ石について


心惹かれているの


今回の大きな出来事を受け取り


もっとこうしていれば・・・とか


どうにかする事はできなかったのか・・・とか


なぜ今なのかまど


思いが巡っていたのだけれど


きっと神様がプログラムした事なのだから


今の自分には理解できなかったとしても


この出来事がもっと早くても遅くても


私にとってはベストではなく


今の自分のままでは


前に進む事ができないから


神様が計画した流れなのかなって思うと


涙の中でも


この出来事がきっと


人として魂をもっと豊かに


限られた人生を輝かせてゆける


大きな出来事となってゆくんじゃないかなって


感じているの


年を重ねると人生の限られた時間で


出会う方たちとの縁の尊さや


大切さなどを感じる経験と共に


別れを繰り返すけれど


それでも広い世界で


互いに魂が求め見つけ


出会える奇跡を体験できるのは


この地球での学びだけに与えられた


最も素敵な時間なのかなって


感じているの


今回の人生で私が母と親子として


この地球で過ごす事ができた事は


言葉では表現し尽くせないくらいに


愛を吸収し


今の私が幸せに過ごせるように


育んでくれたのだと思うの










ここ数年から加速的に


時代の変化が訪れているのを


感じているの


あらゆるスペースで計算を超えた


愛から生まれるものの大きさや


愛をベースにしたものの大切さが


全てのスペースに流れ込んできていて


その事を無視して


豊かさは生まれてこなく


なってきているんじゃないかなって


感じているの


たとえば


経済で見つめてみると


昔は上の方たちが豊かに満たされ


初めて下へと豊かさが届くというような


流れができていて


何十年もの間経済的に豊かで


安定した企業が


自分たちのプランだけを


多くの方たちに与えてきていたような


部分もあったけれど


今の時代はそのような流れから


新たな流れが生まれ


多くの企業が思うようにプランを成し遂げられず


やむをえない形で


自分たちの流れにこだわる事を


手放さざる終えず


豊かさを得るには


多くの方たちが望んでいる事を知り


その部分にほんの少しの愛で


見えない相手の人生をよりよくできる事を考え


形とされる企業だけが


これからも豊かさが育まれてゆくように


なってきていると思うの


そして提供する側は今まで


多くの方から奪う事だけに


意識が向いていたけれど


その部分も


これからの時代は


真逆になってきていると思うの


たとえば人の命を繋ぐ


食物を提供する人たちも


そうなのだけれど


誰かの人生や未来を支え輝かす


心身の栄養や大切な思いで未来に


自分たちが提供するものが


寄り添いある事を感じ


誰かの人生に関わらせてもらっている事で


携わる方たちの


健康や笑顔を守りたいと思えば


すぐには


大きな利益がすぐには出なかったとしても


時間と共に


大きな信頼と利益は


長いベースで生まれてくるんじゃないかなって


感じているの


2000年を迎えてから


多くの方たちは


自分の意識とは別に


知らず知らずに変革を受け入れていて


ネームバリューにこだわり


盲目になっていた意識も


ゆっくりと溶かされ


多くの方が自分の価値観や感覚を大切に


自分の人生に様々なものを迎え入れ


過ごすようになってきていて


その事で生まれる疑問も


早いスピードで答えとなって届けられていると


思うの


その事によって


今までにはないくらいに


一見不祥事が生まれているように


映るかもしれないけれど


それは多くの方の意識が


あらゆる部分に光を届けられる力が


生まれたからこそ


様々なものの本質が


受け取れるようになっているんじゃ


ないかなって


感じているの


提供する側は


利益だけを求め


その様な流れが整ってきたのだと


思うのだけれど


今の時代は


知識などではわからなくっても


意識を超えた感覚的なものが


高度に進化してきている人が


世の中に溢れてきている今は


あらゆる計算などでは乗り越えられないものが


集合意識の中で


愛というキーワードによってだけ


開かれる扉が用意されているように


感じているの


多くの方が人生の質にこだわり


人からの評価や


持つもので測るわかりやすい幸せではなく


自分が求める幸せの形を大事に


過ごされている方も


増えてきているように


感じているの


今の時代はわかりやすい価値観を


みんなで共有する事は


少なくなってきてはいるけれど


それでも


自分と違う価値観の方の生き方も


認めあえる素晴らしい時代を


迎えているように


感じているの


言葉では上手に表現できないのだけれど


人間は自分の歩みや思考・価値観を統一し


自分がどんな人間かを


日々感じる事で


人生をプランしやすいから


無意識に毎秒・毎分・毎時間


あらゆる出来事や人と出会うたび


自分とは違うフィーリングのものは


否定したり拒否する事で


自分が思う自分を保っている部分があるから


つい自分とは違う価値観の形を


受け入れづらくなっているけれど


そのとっても難しい人間が持つフィルターを


今の時代は通過し


色々な過程を経つ事なく


自分を保つ事ができる


細胞レベルで進化した方が


多くなってきているから


自分とは違う生き方をする方を


否定することなく


だからとって受け入れすぎる事もなく


いられるようになってきて


いるんじゃないかなって


感じているの


もちろんまだまだ進化の途中なので


一歩・ニ歩先へと進んでいる方と


そうではない方はもいるけれど


最終的に向かう方向は同じなのだから


先を歩んでいる方と出会っても


進化のスピードが思うようにならなくっても


焦りや


批判的な思いに包まれる事なく


歩んでゆく事が


大切だと思うの









毎年お正月に瞑想し


その中でその年の流れを


伝えてもらうのだけれど


今年は運と言う流れがお休みし


自分の本質と向き合う年となる事を伝えてもらい


今まで運だけに支えられていた方は


本来の自分と向き合い


次のステージをどう過ごすのかを考える


ワンクッションとなる年だと


知っていたけれど


私の場合


改めて今まで自分の実力以上に恵まれて


人生を過ごし


時には錯覚していたところも


あったとは思うのだけれど


今年は自分の小ささと弱さ


そしてどれだけ多くの人のおかげで


生きてこられたのかを


実感した年となっているの


運って凄いパワーがあった事も


改めて感じているの


よく母が生前言葉にしていた事なのだけれど


「努力をしていない人はどこにもいない」って


表現していて


努力の方向性やタイミングの違いで


努力が足りないと映る方であっても


生きている以上


誰もが自分を今よりも幸せにしたいと願い


様々な形で努力を重ねているけれど


そんな時でも


運が大きく作用している事も多くあって


運とタイミングはいつも寄り添いあっていて


直感的に無意識に


ベストなタイミングに行動し


その時様々な出会いや出来事によって


あらゆることが動きだしたり・・・


これから届けられる事を感じとってなのか


もしくは引き寄せる力が強いのか


どちらが先かはわからないのだけれど


無意識の部分が


いつも時の流れの一部に繋がっている時


運の流れを


最も感じ活かしている時なんじゃ


ないかなって思うの


ただ多くの方から見つめて運がよく映る方でも


その事に気づかず


自分には運が宿っていないと


思い込んでいる方もいると思うの


その場合


多くは自分がピンポイントで求める部分に


運を感じられないからだと思うの


たとえば


今恋をしていて相手との関係の深まりを


最も願い意識し過ごされている方は


たとえそれ以外の多くの部分で


運が働いてくれていても


恋する相手との縁が深まらなければ


運の恩恵を感じにくいと思うの


でもそのような流れの中だと


感謝という最もパワーがあるものを


活用できなくなってしまうから


引き寄せの流れを思うと


どんな小さな出来事であっても


運の良さを自分が感じとる事で


運の流れがなかった場所にも


運を届ける事が


できるんじゃないかなって


感じているの


たとえば恋する相手と話す機会がない日も


ただ残念に思うのではなく


「今日見れただけでもラッキー」とか


「人を好きになれる自分って素敵」と


感じてみるだけで


良き流れのために


この出来事があると


受け止められるクセがつくと


運の流れも


変わってくるんじゃないかなって


思うの








半月ぶりくらいに


父に会いに行ったの


父は元々生きる力に溢れた人だから


本調子ではないけれど


それでも誰かに教えてもらったレシピを


がんばって作って食べていたり


お部屋も母がいた時よりも


きれいに整えられていたの


それを見ながら


少し安心しながら


ふっと壁に掛けられた絵を瞳に映しながら


父が書いたであろう絵を見つめながら私が


何気なく


「相変わらず父さんは絵が上手だよね


でも絵が全体的に暗い


色って5歳くらいまでの間に


肌を通して修得するものだから


幼い頃どのように過ごしてきたかが


すべてのものに影響するんだって」と


表現すると父が


「そうだな


俺は子供の時・・・」といった後


言葉を詰まらせ


急に咳き込むように泣きだし


自分が貧しさの中でみじめで大変な人生を


歩んできた事を


まるで小さな男の子に戻ったような言葉と仕草で


話しだしたの


その時いつもならば


親子としての照れから


言葉を挟んでしまうのだけれど


何となく瞬間的に


父は今まで長い間


一生懸命に生きる事に必死で


記憶を整理する機会がなく


過去の自分を癒す事なく


奥に奥に辛い記憶をしまいこんでいるから


きっと今良いタイミングで


その時が来たのかなって思い


ただただ聞いてみる事にしたの


父はソファーに横になり腕で瞳を多い


無意識ではあるけれど


深い催眠に入っているかのように


その時の辛い出来事を言葉にしていたの


その時の父は


娘がそばで聞いているという感覚はなく


よく何かで見たような


カウンセリング風景と


重なるものだったの


父は子供だったから


両親の人生にただただ寄り添い


自分の意志ではどうする事も出来なかった時代


母親(私にとっては祖母)が一人で


5人の子供を育てていて


貧しさと男性社会・村社会の中で


ばかにされ


その地域のストレス発散になっていたようなの


母親(私にとっては祖母)の実家は


とても経済的に豊かで


何人もの使用人もいたくらいなのに


なぜか母親(私のとって祖母)は


両親から愛されず辛く当られ家を出され


それでもどうにもならなくなった時


幼い父の手を引いて


お米をもらいに玄関先で


土下座をし頭をさげもらいに行ったのだけれど


両親に「帰れ!」と足蹴りされ


それでも何度も何度もすがるようにお願いしてもだめで


奥に行ってしまったそうなの


その時玄関先に幾つもあった瓶の中に


お米があるのを知っていた母親(私の祖母)は


幼い父が見ている前で


袋に入れ盗んだそうなの


その話をする時


父は感情が溢れすぎて


言葉がとぎれとぎれで


聞き取れない部分もあったのだけれど


父は自分の母親が


子供が見ている前で


そんな事をした事


そしてそうしなければならなかった


自分たちの人生が


言葉にならないほど辛かったようなの


そして


教科書を買うお金も衣服を買うお金もなく


兄弟のお下がりでボロボロになった衣服や


長靴を短く切って使い


冬は北海道の寒さに耐えて過ごすために


近くの商店や工場などの熱が


トタンに伝って温かい部分を探し


身体をくっつけて暖を取ったり


天気の良い日は日が差す窓のそばで


体育座りをしてあたたまっていたようなの


そして母親(私の祖母)は


生きるために必死で


家にはほとんどいないので


子供たちだけで明日食べるものを得る事に


多くの時間と知恵を使い


過ごしていたのだけれど


ある時隣町の裕福なお宅で


後を継ぐ男の子を望んでいた事を聞いた


母親(私の祖母)は


家族の事・そして幼い父の事を考えて


そのお宅に養子に出す事にしたの


幼かった父も家族の事を考えて


そうすることにしたのだけれど


転校した学校では「もらいっ子」といじめられ


養子になったお宅では


養父の本当の子供の女の子に


毎日いじめられ辛く


家の近くを走る線路のそばで


毎日母親(私の祖母)が汽車に乗って通る姿を


草木に隠れ見る事で


がんばっていたようなの


そんなある時


いつものように母親(私の祖母)が乗る汽車を


草木に隠れ見ていると


母親(私の祖母)が窓から身を乗り出し


父の名を叫びながら


紙にくるんだお金を投げたそうなの


でも父は母親(私の祖母)の顔を見たいから


どこにお金が落ちたのかを見ていなく


いつも見つけられなかったようなの


幼い父が草木に隠れ見ていた事を


母親(私の祖母)も気づいてはいたけれど


里心がつくと幼い父も辛くなり


自分も悲しくなるから


初めのうちは気づかないふりを


きっとしていたと思うの


でもお互いに耐えられずに


そういう行動になたと思うの


そういう出来事が続いたある時


父は人生に絶望し


ある日線路の真ん中に横になり


泣いていると


汽車の汽笛が遠くに聞こえ


歯を食いしばり覚悟を決めていた時


汽車が急停車し


幼い父の事が大きな問題となり


学校の先生も


幼い父の未来を心配し


養父と母親(私の祖母)と話し合い


元の生活に戻す事を望み


結局元の生活に戻る事になったようなの


戻っても貧しさには変わりなく


辛いはずなのに


幼い父には自分の母親(私の祖母)といるだけで


幸せだったそうなの


私の父にとっては強く深く辛かった記憶が


この頃に集中していたようで


この話しで多くの涙を流した後


ゆっくりと次のステージの話へ流れて行き


父が就職し働きだした15歳へと


移って行ったの


その頃が父にとっては


自信と生きる希望が持てた時期のようで


その時期の話をする時には


今までソファーに横になり


腕で瞳を覆っていた姿勢から


急に上半身を起こし


自身溢れた感じで


語りだし


母と出会うまでの間の話は


さらっと短いものだったの


そして次のステージは


若き母と出会い恋をしていた頃の話で


話を聞いているのが娘だという事を


まるで忘れているのかと思うくらい


その当時の若者風の語りで


「俺の女はマブくて優しいいい女だから


絶対結婚しようと


向こうは他に男がいたけど


押しまくったんだ」など


驚くような表現が続いていたの


そして私を宿すまで母が身体が弱く


子供を望めない事を


お医者様に伝えられていたけど


父はそれでも一緒にいたいから


何度も命を宿しながら


生まれる事のなかった命のは申し訳ないけれど


母がそれで助かった事に


父はホッとしていたそうなの


私を宿した時にも


お医者様から子供をあきらめるように伝えられ


絶対に産むと頑張る母に


あきらめる事を何度も説得したようなの


でも初めて臨月まで育つ事の出来た命に


母は「この子は私を母親として


生まれようとしている


だから私も覚悟をする」と言って


絶対に譲らなかったようなの


父は出産の日


不安で仕事が手につかず


本当に長い二日間を過ごし


やっと生まれた時には


二人で涙が止まらず


24歳の若い両親は「二人の宝物」っていいながら


二人で毎日幼い私の笑顔を見たさに


労力を厭わず


日々過ごしていたそうなの


私が幼かった事の話は


まるで昨日の事のように


どんな小さな事も覚えていて


時折「自分が子供の時に味わった


辛い思いをさせないように


与えられるものは何でも与えたいと思って


その事を母さんに初めて


お前を育てる中で話したんだ」と


表現していたの


そしてそのすべての思いでには


優しく微笑む若くて美しい母が


寄り添いいる印象が


父の中にはあって


何かの想い出を語るたびに


その時の母の記憶も一緒に


語っていたの


そして弟の元に天使が3人舞い降りた頃に


話が流れ


孫たちとの楽しい思い出を語りながら


やはりその時にも


母がこういったとか


こうしたなどの


母から怒られた話を嬉しそうに


語っていたの


そしてここ5年くらいの間の


不思議な感覚と出来事を


語り出したの


父はここ3年


時折不思議な夢を見ていたそうで


母が突然いなくなり


いくら探しても母の姿がなく


目を覚ますと涙が流れていて


ふっと居間に目を移すと


母がいつものように座っていて


ホッとしながらも不安が抜けず母に


夢の事を語ると母が


「お前は本当にちっちゃい男だな~(笑)


逃げられるような事しているから


不安になるんじゃないのか


私はどこにも行かないから


安心しなさい」と


毎回伝えられていたそうなの


その夢は3年の間に


数えきれないほど見ていて


その事は母から以前聞いていたので


知ってはいたけれど


今思うと予知夢だったんだなって


感じているの


そして昨年秋頃


私の家にかけてある


陶器で作られた父と母の名前が書かれた


表札がなぜか落ちていて


三つに割れていたそうなの


その表札は父と母が夫婦になった記念に


40年以上も前に作った大切なもので


もちろん落ちることなどはありえないのに


そのような出来事があったそうなの


母がこの世とのお別れを迎えるまでの間


今思うとたくさんの虫の知らせとも思えるような


出来事がいくつもあったの


その様な事に誰よりも敏感な母が


何も感じていない事はありえず


もう残された時間が短くなってきている事を


誰よりも感じていたのだと思うの


両親と私で話している時


不安症の父はよく「俺は死にたくない」と


何も特にないのに


よく言葉にしていると母はいつも


「あんたそんなに死にたくないの?


私はいつ死んでもいいけどね」と


自分の人生に未練を持つ事もなく


語っていたの


そして父は幼いころから


最近の記憶を繋ぎながら


癒しと整理をしてゆく中で


最終ステージとなる


母が魂の故郷に戻った記憶に辿りつき


急に咳き込んだように泣きながら


「俺はもうだめだ


もうどうでもいいんだ


母さんがいなくなったら


生きていても意味がない」と語り


ただただ数分泣いていたの


このステージにたどり着くまで


親子の照れから言葉を挟む事なく


耳を傾けていたのだけれど


何となくふっと


「貴方は頑張ってここまで生きてきたんだから


最後まで人生を全うしなきゃね


二人で築いてきた子供がいるんだから


じゃないと頑張った意味がないんだから」と


勝手に言葉が溢れてきて


それを聞いた父が泣きながらも顔を上げ


「わぁ~なんか今母さんがいた気がした」と


言葉にしたとたん


まるで催眠から覚めたように


父親としてのいつもの父へと戻ったの


私にとってもこの日は


とっても柔らかな不思議な感覚の時間で


初めて母が父と様々な出来事がっても


別れる事なくいた気持が


理解できた気がしたの


父は最近


「女の人は凄いわ


仕事して家の事もして食事を作って


それを何十年も休みなくしてるんだから


最近ゴミ出しに行く時


近所の人と会うたびに


「奥さんに感謝した方がいいよ」って


つい余計なこと言っちゃうんだよな~」と


今更ながら


女性たちの秘めたるパワーに


尊敬に似た感情が生まれているようなの


昔はよく父が思う価値観としての


良妻イメージを押し付け


叱られることがよくあったのだけれど


今では


「女の人は特別な事をしなくっても


人生を照らす太陽だからな~」と


仲良く元気に過ごしているだけで


いいんだっていう


新たな価値観が生まれているの


母がいる時にそう思えたらなって


思えなくもないのだけれど


人は生きている間に気づく事ができたならば


何歳であっても


遅いという事はないのだから


父にとっては今まで先送りしていた


気づきや学びが


毎日届けられているんじゃないかなって


感じているの


年は重ねているけれど


初めての事に溢れている父を


無理なくできる範囲で


支えながら


互いに魂の成長を


続けて行けたらいいなって


感じているの











ここ数年は


コミニュケーション能力の大切さと


重要性を伝えられてきたけれど


これから数年は


その真逆のように


流す能力が大切になってくるんじゃ


ないかなって


感じているの


今の時代は情報に溢れ


人との関わりも多く


あらゆるものが両手で


受け取れないほどに溢れていて


全てを受け取る事も関わる事も


時間的にも精神的にも難しく


そんな時


上手に流す事が


人生に求められてくるんじゃ


ないかなって


感じているの


私自身NOと伝える事が


実際に受け入れるよりも


上手にできないところがあるので


流すという事は


意識的に努力をしなければ難しく


ついよく思われたい気持ちから


無理なスケジュールを組んでしまったり


したくない事を抱え込んでしまう事がよくあって


そのたびに


私は何をやっているんだろうって


せっかく頑張った自分を


褒めてあげられない事もよくあるの


そんな時


友人たちを見ていると


何の違和感もなく上手にNOを伝える姿を


瞳に映すたびに


流すというのも


能力の一つなんじゃないかなって


感じているの


たとえば情報でもそうだけれど


私たちは時に


自分に不必要な情報を


何気なく瞳に映しただけでも


意識できない深い部分に納めてしまい


その事で


自分に本当に必要な情報を納める


容量を埋めてしまい


無意識に


自分が人生では望まない事の情報で


自分の人生を誘導して行ってしまう事も


あるんじゃないかなって


感じているの


今回母の出来事を受け取り


私自身は今までどおりの生活に戻そうと


意識が向かっていたのだけれど


なぜか偶然のように開いたサイトに


同じ体験の中で過ごす方の言葉が溢れていたり


また偶然のように立ち寄ったお店では


レジでお店の方とお客さんが


私と同じ体験をされている方のようで


労わりあう会話が聞こえてきたり・・・


何気なく開いた動画で見た映画が


同じ体験の中立ち直って行くお話だったり・・・


その様な出来事が


毎日のように届けられた時感じたのは


よく引き寄せの法則で


語られている事だったの


多くの場合


意識して自分が望むものを考えイメージすると


引き寄せると伝えられ


ダイレクトにわかりやすく語られているけれど


その意識している事が


無意識になるまでの到達しなければ


引き寄せは働かないんじゃないかなって


思ったの


私は母の事ばかり考えずに


立ち直らなきゃって思い過ごしてはいたけれど


無意識に母の事がいつもあって


その思いが


驚くほど豊富に様々な出来事を


引き寄せたのかなって


感じているの


頭ではわかっている事も


実際に体験して感じてみると


あらためて


人生の神秘を感じているの


よく人生は自分が作っていて


自分が選び取ったのもを受け取ると


伝えられているけれど


多くはそうなんじゃないかなって


感じているの


ただ自分が人に手渡したものを忘れているだけで


時間が流れた時


同じもの同じ波動のものを


受け取っている事が


多いと思うの


私は若い頃


なぜかすることすべてが裏目に出て


生きて行くのが困難に感じていた時期が


長くあったのだけれど


自分が人に手渡したものと同じものや


同じ波動のものを受け取るという


法則を知って


過去を振り返ってみると


私はずっと被害者だと思って過ごしていたけれど


本当はそれ以上に


人に涙を生み出す出来事や言葉


あらゆるものを与えてきた事を感じたの


その時には


自分ってなんてひどい事をしてきたのだろうって


顔をそ向けたい思いで


いっぱいになったのだけれど


その時


今までの分を受け取った後は


今日からでも遅くはないのだから


未来を創造してゆこうと思って


意識を変えてみたの


その頃は自分の意識を変えても


すぐには過去の分を消化できていない分


思ったような喜びは


少なかったのだけれど


年々思いもよらない人から親切にしていただけたり


救いの手や言葉が差し伸べられる


機会が多くなり


その時遠い過去の清算が


終わろうとしているのかなって


感じていたの


ただ私が感じているのは


自分の行いとは関係なく


経験しなければならない出来事


出会わなければならない人々など


自分の意志では変えられない


宿命的なものが


それぞれに与えられているから


あくまでも変えられる部分しか


変えられないと思うの


私たちにはそれぞれに


神様が与えてくれた下絵を持っていて


その絵の色やその絵に何かを加える事は出来ても


大きく絵を変える事は


できないと感じているの


ただ絵も色が違うと


まるで違う印象のものになるように


人生は私たちが彩る自由の中で


夢を描いてゆけるものだと思うの


色は必ずしも単色でなければならない事もなく


ところどころ違う柄や模様でもよいのだし・・・


決まった下絵しかないと思うと


落胆してしまう方もいるかもしれないけれど


下絵がどんなものかは


色付けが進んで行かないとわからない事を思うと


やはり人生を終えるまで


知る事は出来ないんじゃないかなって


思うの


ただ私の小さな体験の中では


自分が与えたものを


自分が受け取っているような気はするの


神様は人生に


私たちが簡単に解けない法則と流れがあるから


複雑に絡み合って見えるけれど


愛に繋がってみると


本当はもっとシンプルに


自分が幸せになれる方法を


教えてくれていると思うの









自然体っていう表現がよくされるけれど


その自然体っていうのも


本当は人の数ほど


あるものなんじゃないかなって


感じているの


たとえば


田畑を耕しのどかな場所で生きる事が


人間として自然な生き方と


表現される方もいるけれど


そう思われる方の多くは


そうする事の中に


自分にとっての幸せの価値観を


満たしてくれるものがあって


だから今の時代では不便そうに感じる事でも


昔の人間の生き方に近い時間を


自然に受け入れ


過ごしていると思うの


でも人によって自然たいというものも


様々な形があって


「え!なぜそんなに忙しくしているの?」って


思うくらい


ゆっくりとした時間を持たない方でも


そういう方が


よく表現されるような


リラックスした時間を作り過ごす事は


なんだか落ち着かず


考えなくてもよい事を


あれこれと考えてしまい


全然リラックスできない事も


あると思うの


私の知り合いに経済的にも豊かで


思いつく事は迷わずに


実現できる方がいるのだけれど


元々心配性で無理なく


ライフスタイルを過ごせていても


あらゆるものが自分の元から


飛び立ってしまっても問題がないくらいに


コンパクトに暮らしていて


周りからは車を持てばとか


もっと広い所に暮らせばって


伝えられてはいるの


以前は誰もがうらやむくらい


華やかに暮らしていて


みんなの理想を


そのまま歩んでいるような方だったの


それが数年前


病で1~2年の間に両親を


天国に送り出し


様々な事を考えたそうなの


それまでは色々と見栄や無理もあって


人の上のラインを維持することだけで


自分の価値観ではない


社会や誰かの価値観に基づき


不必要なものを維持するために


日々何となくプレッシャーあったようで


そのすべてを


変えてみたい気持ちになって


今のようなコンパクトなライフスタイルを実現し


改めて様々な思いから解放されて


本当の意味での自然体で


過ごせるようになったそうなの


そのお話を聞きながら


とっても響くものがあったの


私自身も今回人生の中で


もっとも大きな存在の母を


魂の故郷へ送り出し


その時に人としての価値は


持っているものでは測れず


その人の残した時間の中で感じたり


残された方も


今あるすべてのものを手放して


もう一度で会えるならば


迷いなくそうするであろうと思うような


表現や行動にふれて


私も急に人生を


見つめ直す時間を受け取り


何となくかるくかるくなる事を望み


自分の幸せの価値観とフィットしないものは


すべて手放し


残ったものと言えば


人から頂いた手紙やはがき・写真など


人から見ると何の価値も感じないものが


やはり私にとってはとっても大事なもので


人から見つめると価値のあるバッグや靴なども


自分にとっては幸せの価値観とはフィットせず


リサイクルショップへ持ってゆき


その時に受け取ったお金で


チープに映るただただ便利に毎日使えそうな


リュックなどに変えたり


あとは弟たちの元に舞い降りた天使たちが


父の元に遊びに来た時に


笑顔になれるよう


ちょっぴりリッチなアイスクリームを


たくさん買ったりして


みんなが笑顔で喜んでくれているのを


瞳に映しながら


何だか嬉しかったの


私の中で母を魂の故郷に送り出した事は


私の人生の中に


本来の私の価値観や自然体


気づかせてくれた


大きな大きな贈り物と


なったと思うの


今も私のライフスタイルは変化していて


もっとシンプルにできる事はないかなって


思ってしまうの


今暮らしているスペースも


パートナーと離れ暮らしている私には


贅沢なくらい広く


少しずつ大事なものが見えてきた今は


共に過ごしたいアイテムも少数だから


春ごろには妥協ではなく妥当なスペースへ


シフトしてゆこうかなって


思っているの


ひとつ前の時代ならば


今よりもアイテムが増える事が


豊かさや幸せの象徴のように


語られ計られてきたけれど


今の時代は個人個人がそれぞれの


自然体に戻り


その中で幸せの価値観を大事に


過ごす時代になってきているんじゃ


ないかなって


感じているの


人によってはどうしても


ここだけはこだわりたいものには


こだわる豊かさがあったりして


経済的な豊かさだけではない


心の豊かさを満たす時間を


大切にされている方も


多いと思うの


私は地球が育んだ石たちが大好きで


様々な石とふれあい過ごしているけれど


ある知り合いは


コーヒーや紅茶が大好きで


お店が開けるんじゃないかなって思うくらい


お部屋に世界中のコーヒーや紅茶があって


ある人たちから見ると


無駄なものにお金を注いで・・・って


思われるかもしれないけれど


私と知り合いにとっては


その時間が何よりも


心を豊かにしてくれる時間なの


でも逆もあって


その様に表現した方たちが


大事に思うものを見た時


やはりその方たちと


同じような気持ちになる事があって


それが誰にも計る事の出来ない


価値観なんだろうなって


感じているの









地球上の多くの生命体は


太陽エネルギーを用いて光合成し


生命維持をしていたり


燃料として使っている石油や石炭


天然ガスも


何百万年も前の動植物の分解物が


蓄えられたエネルギーで


太陽光エネルギーの変形したものと


伝えられているように


私たち人間も


太陽エネルギーがいっぱいの食物などから


エネルギーを頂いているけれど


今の時代はそれだけでは満たされず


全身を光で満たす事が


できていない事も


あるんじゃないかなって


感じる事があるの


その感覚は言葉では


上手に表現できないのだけれど


作物も太陽エネルギーに変わる


紫外線ライトのようなもので


瞳に映る形は


大地で作られるものとは何も変わらない


生産性をあげたものが


流通しているけれど


やはりまだまだ文明が進化しても解明されない


エネルギーが与える影響を


後回しにされたままになっているから


なんじゃないかなって


感じているの


そのようにエネルギーを頂き


満たされていない時には


いくら食べてもまだ不足感から


必要以上に食べてしまったり・・・


でもいくら食べても


本当に必要としているのは


お腹を満たす事ではなく


瞳には映らないエネルギーだから


わかりずらいと思うの


そんな時には以前何かの本で読んだのだけれど


太陽を囲むように


両手を合わせ三角形にし


その三角形の真ん中に太陽が来るようにして


深く呼吸を何度かし


イメージとしては太陽エネルギーを


呼吸と共に自分の中に吸収するイメージで行うと


それだけで太陽エネルギーが


体内に吸収できるそうなの


私が感じているのは


だんだん人が進化してくると


実質的な食物は少量でも問題なくなり


その代わりに光を栄養とできるように


なってきているように


感じているの


地球上のあらゆるものが太陽エネルギーや


光を自分のエネルギーに変換して


生命を維持しているように


人間も同じで


人間の場合はもう少し高度になっていて


心や魂にも光となるものが必要で


それは希望や夢・幸せな気持ちだったりが


生きてゆく上では大きな光となり


歩む道を照らしてくれるものとなると


思うの


その夢や希望がたとえ叶わなかったとしても


その方向へと瞳を向けている時には


自分では気づけないかもしれないけれど


とっても輝き自分の人生も


そして周りの人生にも光で照らすほど


素敵な自分へとシフトしていると思うの


その逆に


夢や希望・幸せを感じる時間を持たない人生は


まるで闇の中を彷徨い


夜明けの来ない真夜中に


ずっと佇んでいるようなものだと思うの


よく少し否定的な側面から語る方を


とても現実的でしっかりと


地に足のついた人に映るけれど


その事が必ずしも


人間の人生に良い影響を与えるとは限らず


否定的なあるテーマを語っている流れが


その波動のまま


あらゆるものにも否定的なエネルギーで


見つめるようになって


自分自身の細胞にも


知らず知らずにダメージを与えている事も


あるんじゃないかなって


感じているの


一つ何か不安な事を語り考えた時


その事から


どんどんと不安要素が広がって


最終的には


人生が無意味に思えてきたりして


少しずつ気力もなくなり


エネルギーを奪ってゆくように思うの


ただ


私たちが否定的ととらえているものの中には


間違った思い込みもあって


ポジティブなものも多くあると思うの


たとえば


何かの意見に対して違う側面で表現し


その意見は多くの方と共感しない場合


人との関係に角が立ち


その意見をまっすぐに見つめる事をせず


ただ人と調和していないという感覚から


ネガティブなものだと


受け止めてしまうけれど


良き流れを望み意見される事は


たとえ多くの方と調和しなくっても


それは前向きなものだと思うの


たとえ時にその思いがよくないと表現される


怒りとしての表現であったとしても・・・


一見ネガティブに映る事であっても


その多くは


自分が歩む先を良きものにしたい思いから


湧き上がるもので


この地球での学びを続けるいように溢れている事を


再確認できる機会となる事も


あると思うの


よく私の母が


人との出会いの中で


学ぶ事は年齢と関係なく


学べない人は幾つになっても気づく事ができないと


表現していた事があって


その言葉を思い出すたびに


共感すると同時に


私は漠然と輪廻を信じているので


現世でたとえ学び気づく事ができなかったとしても


何にも問題なく


現世という短い人生で


前世よりも成長し進歩で来た人は


ラッキーなだけだと思うの


よく太陽の寿命が54億年と伝えられ


地球の寿命も130億年くらいと


伝えられているから


それまでの間に


輪廻を終え


新たな世界へと導かれるのならば


いつ気づきや学びがあっても


まだまだ大丈夫なんじゃないかなって


感じているの


人生の中でちょっぴり難しいのは


国や地域でのルールやそれによる価値観もあって


みんなが同じ答えへとはならず


優しさや思いやりもそうで


表現や受け取り方も様々で


統一するものばかりではないから


あくまでも


自分の中でのフィルターを通してしか


手渡し受け取る事が


できないと思うの


ただ人間には素晴らしい解明されていない


能力が秘められていて


自分とは違う表現であっても


その中に相手の愛情が込められていると


すぐには気づけなくっても


時間と共にその気持ちには気づけたりして


自分とは違うサイズの愛情でも


受け取れるようになってくると思うの


私自身


母を魂の故郷に送り出し


その事で不安定な心を抱えた家族の間では


元々あらゆる価値観やライフスタイルが


違っているだけれど


それでもたったひとつ共通している


大きな悲しみという出来事によって


互いに相手の事を案じ


思いやっている気持ちだけが


伝わりあっていて


その時家族って世代や


性別あらゆるものが違っていたりして


それによって表現や行動も違うけれど


それでも相手を思う気持ちだけで繋がりあい


わかりあえているものが家族なのかなって


感じているの








今日私の事を案じてくれている


知り合いたちと話す機会があって


久しぶりに


心が晴れる時間をもらったの


友人たちは特にスピリチュアルな事に


そんなに心惹かれている人たちでは


ないのだけれど


毎年私が瞑想によって受け取った


一年の流れを意識しているようで


年の終わりに検証し合っているの


今年は運と言うものがお休みして


その人自身の宿る力だけで


過ごす年になるので


運が何よりも強く味方し


運が良かった方ほど


今年は大きな転換期となって


今年は本当の自分を見つめ


次に待っている


新たな時代へシフトしてゆく年だから


私の周りも自分が思っていた以上に


運というエネルギーに


支えられていた事を


改めて感じている方が多かったの


来年の流れはまだ分からないけれど


今年の過ごし方が


新たに迎える時代での流れが


大きく変わってくるのは


感じているの


今日は来年に向けて知り合いたちから


アクセサリーのオーダーを受け取り


望む思いやエネルギーを


何気なく尋ねていたのだけれど


誰もがいつもの自分と何も変わっていないと


思っているようだったのだけれど


毎年望む事や受け取りたいエネルギーを


聞いている私にとっては


今年ほどみんなの何かに


変化を感じた年はなかったの


ある知り合いは


ずっと一人で人生を謳歌する事を念頭に


人生設計をしてきて


何の問題もないように


整え過ごしてきたのに


なぜか来年には


好きになれる人を見つけたいと


とっても大きな変化を迎えていたり


ある知り合いは


今まで自分の人生を後回しにし


それでもあらゆる部分で保障されていた


結婚生活から卒業し


大変だろうけれど


自分の足で歩いてゆきたいなど


今までには考えられないくらいの


大きな決断をしている方が


多かったの


それはきっと瞳には映らない


エネルギーの流れにある意味で


自然に寄り添った結果なのかなって


感じているの


来年は新たな時代の幕開けとなる年だから


今までの自分では考えられなかった


視野の広がりを


感じられる方も


多くなると思うの


私自身も母を魂の故郷に送り出してから


ある意味で


初めて自分の人生と向き合い


大きな不安から呼吸が整わず


戸惑う事もあったけれど


そんな中でも今までにないくらい


関わる方たちへの感謝が深く


心の底から


自分ができる事をさせてもらう機会を


探している自分に


驚いているの


もちろん多くの人が当たり前に


できる事さえできない私にとっては


きっとやっと当たり前の事が


できるようになるだけかも


しれないのだけれど・・・


母の事を通して


改めて人生は与えられた時間の限りの中で


自分に何をできるかを


考えさせられる出来事だったの


そして人との関わりも


たとえ短い間の繋がりであっても


互いに限られた人生という時間で


せっかく出会えたのだから


瞬間的にでも


幸せを感じるものとできたらいいなって


思ったり・・・


父ともいつまで


過ごせるのかがわからない事を思うと


ストレートに優しさを


表現した方がいいのかなって


思ったりもしたのだけれど


父はもうとってもとっても大人の私に


上から叱ったり心配したりする事で


父親として心の何かを保っているようで


私はそのポジションでいる事も


ひとつの優しさなのかなって


感じているの


親子関係だけではなく


子育てでもそうだけれど


ふれあう相手の個性や特徴に合わせて


繋がりあう事が


とても大切なように感じているの


私の父は


元々生きる力の強い人だから


周りに頼れないと思うと


驚くほどパワーが湧きあがり


何でも自分でできるように


頑張る人なの


ただ元々秘めている不安症があるから


少し先に予定があると


その日まで不安を解消しようと


あれこれ考えすぎて


疲れすぎてしまう所があるから


今回も49日を終えたら


きっと今度は意識が年末に向かっていて


初めて母がいない事もあって


お料理の事など


色々考えてきっと不安に


なっているかなって思い


買い物や料理をパートナーと私と父で


朝から一緒にしようって


父に電話で伝えると


私が思っていた以上に


その事を不安に思いいたようで


大きな安堵と感謝を


伝えてくれたの


自分にできる事は小さな


小さな事ではあるけれど


自分自身も何か力になれている事が


とっても嬉しいの


今回は弟の元に舞い降りた天使たちが


笑顔になれるお料理を


作ろうとおもって


かわいいキャラクターなどを


モチーフにしたレシピを検索し


あれこれとイメージしているの


このような機会でもなければ


母親になるという人生のプログラムがない私には


知る事のない世界で


ワクワクしているの










世の中には


様々な出来事に対して


様々な答えが


用意されていると思うの


たとえば


大切な人とのお別れの体験をした方で


辛すぎる方が受け取る答えも


いくつもあって


たとえば


生きている人たちがあまりにも悲しみ


辛そうにしていると


旅立った方が心配でなかなか


あの世に行けないという


アドバイスもあったり


かと思うと


無理に忘れようとすればするほど


その思いが強くなり


もっと辛くなるから


自然に忘れられるまで


想い出したいだけ


想い出した方が良いという


アドバイスもあると思うの


その二つのアドバイスは


受け取る方の個性によって


フィット感がまるで


違っていると思うの


世の中には必ず真逆に感じる


答えやアドバイスがあるけれど


どれも自分に合ったものを


選び取ればいいんじゃないかなって


感じているの


たとえば将来に対するアドバイスも


スタンダードな歩みを


若い頃から築く事の大事さを


語られたものもあれば


人生は限られた時間しかないのだから


できるうちにやりたい事をする事の


大切さを説いたものもあると思うの


どちらも正しく


どちらもどうかなって


思える事もあると思うの


それはそれを受け取る方の今の個性や価値観


考え方によって


フィットするものも


違ってくると思うの


私の母の家系は短命家系という事もあって


したいことは後輪ましにせず


将来への蓄えをしないけれど


借金をしてまでも何かをする事もなく


ある意味で


与えられた運命にフィットした


人生を歩んでいると思うの


私の父の家系はわりと長寿で


それゆえに未来への不安が大きいのか


今を楽しむ事を後回しにし


生きる事に必要のない事に意識を注がず


過ごしているのだけれど


今父は母を送り出し


将来に備える事ばかりで


母や私たち子供には苦労させたと


後悔をしているところもあるの


でも父は遺伝子的に


長い未来を予測して選択してきた事は


間違ってはいないと


思うの


私たちは無意識に


自分に宿る運命や宿命を感じとり


自分の価値観や考え方として


様々な選択をしているんじゃ


ないかなって


感じているの


そして輪廻を信じている


私が感じる事なのだけれど


前世で成し遂げられなかった事や


夢に見た事などを


現世に持ち込んで


自分さえもなぜか理解できない


惹かれる事や


流れのままに辿りついた場所が


その人それぞれに


あるんじゃないかなって


感じているの


言葉では上手に表現できないのだけれど


私がよく感じるのだけれど


以前ならば


パワーストーンに心惹かれ


身につけられている方は


ちょっぴり怪しげな雰囲気の方だったり


そうではない方であっても


あるごく一部の方たちだったけれど


2000年前後から


多くの方が気軽にわかりやすい効能に惹かれ


手にする機会が訪れたけれど


その事も一見


自分が望み選択したように感じているとは


思うのだけれど


そうではなく


太古の昔はお金の役割をしたり


特別な人しか


身に着けられなかった石へのあこがれや


石に宿るパワーで


前世の自分や魂が満たされる事を


無意識にキャッチした方たちだけが


石を求めるようになったんじゃ


ないかなって


感じているの


その事で現世で豊かさを実現した事を


前世の自分や魂に伝え


今の自分が前世では


成し遂げられなかった事を


成し遂げた事の証となっていて


その事で多くの方が前世での集合意識として


秘めている


豊かさを実現する事を消化し


次へとシフトしやすくし


自分個人の人生へと


歩みやすくしてくれているように


感じているの


人によっても違って


私の知り合いはエジプトに心惹かれるのか


エジプト関連のアイテムを集めていて


そのアイテムを見ているだけで


エネルギーが湧いてくるそうなの


ただあまりにもエネルギーが強くなりすぎて


イライラし無意識に


人を上から見ては批判的なエネルギーに


包まれているの


それを見ていた知り合いが


「もしかしたら前世で


エジプトで権力者だったのかもよ」と


冗談を表現していたのだけれど


それを聞いたエジプトアイテムを


集めている知り合いが


たまたま出張で東京へ行く事になったので


退行催眠を受けて見たいと思い


受けたそうなの


そうしたら


みんなが思っていたものとは違い


エジプトで貧しく病なのに


権力者にいつも命令され働かされて


絶望的な人生を過ごし


そのまま人生を終えたそうなの


催眠中涙を流しながら


「自分がされた仕打ちは絶対に忘れない」と


何度も唱えていたそうで


帰ってきてから


その時の事を話され


「私はずっとエジプトが好きで


もしかしたら私クレオパトラか何かの


生まれ変わりだったのかもって


思ったりもしたけど


本当は権力者にひどい目にあわされて


その恨みを忘れないために


自分の意識していない


前世の自分がこういうものを集めて


いたのかもって・・・」と表現し


全てのアイテムを手放したの


そうしたら急にすーっと身体が軽くなって


周りから見ても


まるで違う人のようにやわらかな


優しい雰囲気になっているの


その出来事を知り合いと


時々話すのだけれど


その逆のパターンのお話もあって


どうしても欲しいものがあって


お金を貯めて


やっと手にしたその日から


自分の意識を超えて


人生が動き出した方もいるの


それはきっと


自分に必要なものを取り戻し


それはまるで欠けていた部分が補正され


完全になったような感じなのかなって


思うの


その知り合いは主婦で大金を必要とする


そのアイテムを手にする事を伝えた時


周りはその金額に反対したのだけれど


それでもそのものを手にするために


初めてパートまでしていた姿に


家族はOkしたそうなの


そのお話は5年くらい前の事で


今は元々趣味でやっていた洋裁が


人生の大きな意味と目的になっていて


家族も協力をし


海外に移住してしまったの


それでご主人も元々自分がしたかった


木工のお仕事をされ


息子さんはミュージシャンになり


家族全員が


魂が求めしたい事に気づき


5年前には考えられない


ライフスタイルを


送っているそうなの


そのお話を聞くたびに


ものを持つ事の怖さと


神秘的な大きなエネルギーに


ふれたい思いに


包まれるの


その方は特に苦労もなく


ただただ魂に導かれるように


その様な流れがあって


その流れに乗って行ったら


そうなったそうなの


自分の事に重ねて


自分の人生を見つめて見ても


確かに自分の意志だけでは


体験できない事や


辿りつけない場所に


今いるようには感じているの


20年前の自分が


今の自分を予測できたかと言えば


出来ていない事を思うと


もうそれは自分の意識を超えた世界へと


ゆっくりと気遣いない速度で


進んできたからだと思うの


20年前の自分は若さという


多くの事を超越できるパワーによって


不安は少なく


その時々を楽しんで生きてはいたけれど


未来を思い描くと


何となく漠然とした


不安はあったと思うの


様々な方と出会い恋をしたりしても


実を結ばない現実の中で


将来誰かと人生を歩む事は


難しいのかなって思ったり


だからといって


一生人生を支えるだけの仕事を


してゆけるとは思えないし


考えれば考えるほど


見えない未来に不安がったと思うの


でもそんな時


すべての逃げ道となってくれていた


母親がいたから


深刻に悩む事はなかったと思うの


我儘な私は


せっかくパートナーと巡り合い


結婚にたどり着いても


自分のリズムや考えを変えることなく


人と寄り添い歩む事の煩わしさの方が


強く感じる事もあって


パートナーには特に問題がないのに


一人になりたがっていた事もあったの


でも不思議なもので


そんな思いがありながらも


そうならなかったのは


急に長期出張で


一年のほとんど離れて暮らす事となって


一人で暮らしのような


感じになったからなの


そして今年10月に


母を魂の故郷に送り出すという


大きな大きな出来事が届けられ


自分でも想像を超えた悲しみで


今までできた事も出来ない中で


パートナーがつかの間


帰ってきてくれたそれだけで


長く続いていた悲しみや絶望感が


溶かされてゆくのを感じたの


その時


言葉では上手に表現できないのだけれど


瞳には映らない存在たちが


この時を迎える事を知っていて


支えてくれるパートナー緒の縁を


ずっと繋いでくれていたのかなって


感謝でいっぱいになったの


自分の人生なのに


何かへんかも知れないのだけれど


すべて自分の意志で選んで


人生を創造しているように思っていても


多くは何か瞳には映らない存在が


未来を見据えて


今と言う時を与えている事もあるんじゃ


ないかなって


感じているの


よく合理的に考えると


結婚によってのメリットは何もなく


経済的な事で多くの事が解消できる


今の時代では


意味を持たないように


語られる方もいるけれど


私にとってはお金では解消できないものを


家族は与えあえて


損得では測れない


素晴らしい縁だと


感じているの