2013年10月





今日朝急に父から電話で



母が倒れた事を知らされたの



私は状況を聞きながら



とても大変な状態だと感じ



父が



救急車を呼ばない事を



不思議に思い



尋ねると



父も母も



大げさになる事を好まず



何よりも



今まで病気一つした事のない事から



静かに時を待てば



収まると感じていて



苦しい中でも母は



心配かけたくない思いから



誰にも知らせないようにと



父は



伝えられていたようなの



1時間以上たってもよくなるどころか



どんどん状態が悪化している事で



父は元々



一人で不安を抱えている事が



できない人なので



私にこっそりと



電話をしてきたようだったの



私はとにかく



救急車を呼ぶ事を伝え



私は私で



病院に必要かなって思うものを



用意していたの



そうしたら最近忙しくって



会う時間がなかった親友から



突然朝から電話があり



焼いたパンをいくつも届けてくれて



その時



母の状態を伝えると



友人も心配してくれたのと同時に



友人自身



今日の自分の不思議な行動の



答えを受け取ったようで



私に



「今日どうしてなのか



どうしてもさーちゃんに



電話したかったんだよね」







偶然の一致を伝えてくれたの



その時私も友人にふっと



「一人で過ごしていたりすると



何かあった時を思って



不安になる事もあるけど



きっと何か見えない力が



誰かに伝えてくれて



ちゃんと心配ないものなのかもね」



って



表現していたの



私自身の事を思いだしてみても



ここ最近まるで



今日と言う日を迎えるために



過ごしていたのかなって



思えるような出来事が多くって



本来ならば今日は



最近仲が良くなった友人と



会う予定でいたのに



急に会えないとのメールがあって



どうしちゃったのかなって



思いながらも



最近なぜか



掃除がしたくなていてたので



掃除をすることにしたの




なぜか最近は



誰も気づかないような場所を



とても掃除していて



ある時には



わざわざドライバーを使い



分解をしてまでの



大掛かりな事をしていて



なぜだろう?って



掃除をしている私が



不思議に感じていたの



「神無月」だからかなって



ふっと感じていたの



私の母方の家系は



元々神道で



だからなのかは



分からないのだけれど



10月に



この世の学びを終える方が多く



常づね母は



「私のうちの家系は10月は



気をつけなきゃだめだよ」



って



伝えられているから



自分なりに無意識に



場所を清めたい思いが



働くのかなって



感じていたの



病院についてすぐに



自分が日頃使っている



時計を見ようと



バックから取り出すと



なぜだ



かガラスのまん中から



まるで釘でも刺したかのように



ヒビが広がり割れていて



それを見た時に



この現象も



生命に関わる



出来事が届けられたのに



助かった時に



よく体験してきた出来事を



思い出したの



以前弟夫婦の元に授かった



一人の天使が



たまたま何かのきっかけで



食べ物をのどに詰まらせ



見る見るうちに



顔が青ざめ呼吸も



止まった事があって



その出来事は



様々な幸運が重なり



無事だった時



ふっと台所に行くと



その天使のお茶碗だけが



真っ二つに割れていて



後で思うと



物が身代わりに



なってくれたのかなって



みんなで話していた事があって



今回もそうだたらいいなって



思い



今も過ごしているの



病院と言う場所は



健康な方にとっては



日常からかけ離れた場所で



運・不運が大きく命を左右するほど


医師の実力も



心使いや優しさも



均等ではなく



ちょっとした事が左右する



所のように感じたの



母が救急車で運ばれた病院では



なぜか3時間もの間



息もできず



苦しむ母が



処置されていなく



私が病院についた時には



救急にもかかわらず



朝からずっと待たされたままの



ご家族が何組も



ご家族が待たされていたの






父と私は



学位もなくあらゆることに



まずは理解する事から始まる



流れを持っているので



反論したり



質問できるまでの



知識がない事もあって



ただただ



お医者様から伝えられた事を



何にも抵抗せずに



母の命が



小さくなってゆくのを



どうする事もできずにいたのだけれど



私は



このまま何もしないままでいるのは



何か違う気がして



心配かけるから電話を



しないように



父から伝えられていたのだけれど



弟にすぐに電話をし



来てもらったの



そうすると弟夫婦は



私や父とは違い社会の中で



様々な経験をし



人と臆することなく対等に



医師を伝えあえる



能力に優れている事もあって



疑問に思う事や希望する事を



様々なデータ―を元に



強い強い口調で伝えていたの



そうしたら



今まで7時間近く



何も施される事のなかった母が



別の病院で受け入れてもらい



手術をしていただける事になったの



その時初めて



自分にはないものをたくさん持っている



弟に


長い間コンプレックスを感じたり



幼い頃は周りの大人から比較され



時に弟がいなければ・・・って



思った事さえあったのに



今日ほど



優秀な弟がいた事に感謝と



行動力と知識レベルの高い



お嫁さんが家族に加わってくれた事に



ありがたさを感じた事はなったの



倒れた後ICUで母と面会した時



今まで抑えていた思いが溢れて



涙が止まらず



今日は何度も何度も



泣いてしまったの



いつかは順調に進めば



いつかは



両親と会えなくなる日が



来るのは知っているけれど



それはあくまでも



頭では知っているだけで



現実的に考えていたものではないし



初めて経験する事も多く



通常両親は二人だから



多くて人生で2回しか



経験しない出来事だから



両親の命の灯を感じた時の動揺は



自分でも想像以上で



自分が心配になるほどだったの






まだ母の意識は戻らないのだけれど


きっときっと


まだ母を必要としている人が多くいるから


生還してくれると信じて


毎日病院に足を運ぼうと思っているの










願いが叶わず



母はこの世の学びを終え



魂が肉体から離れてしまったの



その瞬間



父や弟は私とは違い



ずっと気丈にしていたのだけれど



こらえきれず



涙と共に声も溢れていたの



私はまだ母に希望が



持てるかもしれないと



思える時から



ベッドの上で



様々な機械やチューブなどが



繋がれた姿の時点で



普通に立っていられないくらい



ショックで



いつも誰かに支えられながら



母を見つめていたの



もうこの世の学びを終えているのに



これ以上頑張らせてしまうのは



どうなのかと家族で話し合い



受け入れられないけれど



意識では受け入れる事にし



その日母は



安らかに眠りについたの



今もそうなのだけれど



意識では特に変わりないと



思っているのだけれど



ボーっとして何も考えていない時



急に涙が溢れて



そんな自分に驚いていたり



家族もそうなのだけれど



何気なくいつものように



楽しい話をしている時に



家族の誰かの瞳に



涙が溢れそうになっていたり・・・



意識と無意識が



はっきりと分かれているような状態で



とっても不安定な時間を



共有し合っているの



母親というのは



本当に太陽のような存在で



家族にとっては



どんな姿になっても



たとえ世の中でわかりやすい



価値を持っていなかったとしても



地球上の中で



最も特別で絶対に



変わりのいない



あらゆる数値では



測る事の出来ない



存在だと思うの



この世にいる時には



当たり前に思い



自分一人では成し遂げられない事を



いつも何気なく支えてくれて



みんなの笑顔を守る事に



多くの時間を注ぎ



過ごしていてくれた事を



今更ながら



家族は時の流れと共に



深く感じているの



あまりのショックに



どうしても食事ができず



眠る事も出来ず



そんな私を



弟夫婦や私のパートナーに



支えてもらいながら



過ごしているの



私は元々



多くの方のように社会経験から



受け取る



あらゆる学びを



省略している事もあって



今回の出来事は



今まで生きてきた人生の中で



最も辛い出来事のようで



心身もその事に



対応する事ができずにいるの





その時ふっと父が



「母さんがいなくなったら



何のためにこれから



生きたらいいかわかんない



母さんがいないなら



この家だっていらないし



釣りに行っても



母さんがいないなら



帰ってきた時



喜ぶ人もいないし・・・



俺は母さんがいたから



色々してきたのに・・・」







表現していたの






誰かがいるからっていう思いが



本来の自分以上の力



を生み出したり



前に進む原動力に



なっている事も



あるんじゃないかなって



感じていたの





ここ数日



弟と私は毎日



父と長い時間過ごしていて



母の気持ちが



理解できる事も多くあるの



母はどちらかと言うと



不平不満が多く



いつも大きなストレスを



抱え過ごしていた人で



母は人よりも



前向きに物事を



とらえられない人なんだという



勝手な決めつけが



あったのだけれど



数日長い時間



父と共にいて



弟も私も



母がどれだけ大変だったかを



思い知る事となったの



悪気はないのだけれど



父は



自分以外の誰かの気持ちを察したり



思いやるスペースが



人よりも小さく



今のような大きな悲しみの中では



今まで以上に



自分の事しか考えられないようで



その時々の言動や行動に



弟は疲れ



私はイライラしてしまう事が多いの



私たちはたまたま今



できる事を



させてもらっているだけなのだけれど



母は毎日



共に過ごしていたのだから



どれだけダメージを



日々受けていたのかと思うと



本当に言葉にならない



思いに包まれるの





今は母が



この世の学びを終えてすぐだから



父も私たち以上に



普通の日常に戻る事は



時間がかかるから



仕方ないかなって思い



サポートさせてもらっているの













私には



とっても仲が良い



伯父家族がいて



私も憧れていたのだけれど



その伯父が



この世の学びを終え



肉体から離れた時



家族は家にあった伯父のものを



すべて処分し



次に足を運んだ時



何一つ



伯父のものがなかった事があって



その時私は



あんなに



仲が良かったのになぜ?って



不思議な気持ちと



いなくなった人だからって



割り切れる気持ちが



理解できなかった事があったの



でも今回



母が急にこの世の学びを終えて



肉体から離れる体験をして



父が真っ先にした事は



同じ事だったの



もちろん父は



何にもしない人だから



私と弟夫婦で



片づけをしたのだけれど



片づけをしていると



つい



「あ!これ母さんがいつも着てたよね」






手が止まり涙が溢れたり



場所を変えても



「あ!これお母さんみんなで出かけた時



かぶっていた帽子だよ」



といって



涙が溢れて



なかなか捨てられなかったの



ただ母の場合



今年になってから



身につけるものが



なくなっちゃうんじゃないかと



心配になるくらい



自分のものを処分していたようで



箪笥を開けても



棚や引き出しをあけても



数着の衣類や下着しかなかったの



母はこの世の学びを終える時期が



近づいている事を



何となく感じていて



でも信じたくない



信じられない思いの中で



過ごしていたのかなって



思っていたの



母は人の学びを終える時期がわかる



特殊な能力を持っていたから



きっと自分の学びを終える時期も



何となく感じとっていたのかなって



思うの



数か月前には



突然



母から



私が生まれる前に



母とつなげてくれていた



へその緒を



「これはあんたのものだから返すわ」と



手渡されていたの







母がこの世に学びを終えた後



そういえば・・・と



思える出来事が



それぞれにあって



最近よく語り合っているの



弟夫婦の元に



舞い降りた天使の一人が



ずっと



「ばあちゃんちに行きたい」と



毎日毎日



しつこいくらい言っていたそうで



理由を尋ねると



ただ



「アイスクリームが食べたいから」と



答えたそうなのだけれど



その時



2日前に私の実家に



行ったばかりだから



またあと何日たったら



週末にまたお泊りする



予定だったそうなの




今思えば



理由は何気ない事だけれど



呼ばれていたのかなっていう思いと



あの時行っていればと



後悔の思いを伝えてくれたの



私は私でパートナーが帰ってくる



タイミングで



年何回のシーズンに会うのだけれど



9月の終わり頃



急に特に理由はないのだけれど



話しがしたくなって



その事をパートナーに伝えると



「行けばいいしょ」







言われたのだけれど



「今じゃなくてもあと何週間後



近くに行く用事があるから



その時行こうかな」と



答えたの



そして母が



この世の学びを終える数か月前



突然左足親指の爪が



真っ黒になり



ぶつけた記憶も痛みもなく



不思議に思っていたり



ここ数日



明日会う予定の友人が



急にキャンセルになったり



何となくお腹が痛かったり



体験した事のない



疲労に包まれていて



無意識にそういう



出来事の前触れを



肉体は感じていたのかなって



感じていたの



そのような変化を受け取りながら



私は直観に従わずに



先送りしてしまったの







母の魂が肉体から離れた形で



家に戻ってきた時



急に弟の元に授かった天使の一人が



「あ!ピンポンって鳴った」



といい



玄関に走って行ったの



その瞬間



その場にいた全員が???



チャイムは誰にも聞こえなく



その子だけに



聞こえていたようなの



その子は2歳で



言葉もまだ話せる単語も少ない頃



私の所に生まれてくる



予定だったけれど



私のお腹が破れているから



生まれられない事を



告げるくらい



不思議な能力を秘めているから



今回も色々と



感じているようだったの



今は色々と見えたり



聞こえたりしないようなのだけれど



元々秘めている能力があるから



もっとゆっくりしたら



母がその子を通して



私に何か伝えてくれるかなって



楽しみにしているの



私は今



何かするたび・何かを表現するたび



母の受け答えが



頭の中に広がる



不思議な感覚のおかげで



寂しさがゆっくりと



癒されているの



ただ瞬間的に



もう瞳に映し



声を聞く事が



できない現実を感じると



今までの体験した事のない



深い深い言葉では表現できない



悲しみに包まれるの









今回の人生での大きな出来事で



大きな悲しみと



日頃受け取る事のない



大きなストレスの中でも



一生分の



感謝したのではないかなって



思うくらい



母と過ごした中での



様々な言葉・行動・思いに



感謝が重なりあっていたの



慣れない体験の中で



動揺し悲しみや不安の中で



ふっとゲストブックを見ると



母の容体を心配し



良き流れになる事を



祈ってくださる方たちの言葉を見て



ありがたい思いを感じたり



弟があらゆる知恵と行動力で



手助けしてくれた事



そして弟のお嫁さんや



私のパートナーが母を思い



涙してくれる愛に



感謝でいっぱいだったの



やっと移る事ができた病院でも



私が母と対面した時



あまりのショックで立っているもの



大変な時



背中を抑えてくださった看護師さんにも



ありがたい想いで



いっぱいだったの



ふっとどんな時も



母の存在を感じていたの



感謝は心身のダメージを癒し



パワーを与えてくれるエネルギーだから



母が形を変えて



私をあらゆるダメージから



守ってくれているような



気がしていたの



こういう時



日頃は見えないけれど



人が秘めている本来のものが



見える事が多くあって



今回家族だけで家で



母を送り出す事になったのだけれど



母の事を知った方たちが



お参りに行きたいと



何人もの方から電話を頂き



そのたびに家族だけで



母を送りたい事を告げ



ご遠慮願ったのだけれど



せめてお花だけでもって



行ってくださり



気がつくと



今日だけ



お花屋さんができるんじゃないかと



思うくらい



お花が届いたの



母は元々そんなに



交友関係が広い方ではなく



母自身



好き嫌いがはっきりしていて



出会う方たちの方も



母を大好きな人と真逆の人に



はっきりと分かれるタイプで



母の事が大好きな方たちにとっては



他にはなかなかいない



個性的なところに惹かれ



仲良くなってゆくのだと思うの



同じものを好むからなのか



母が好きになる人たちも



とっても個性的な方が多いの



たとえ正しいといわれる事でも



そういう常識で苦しむくらいなら



自分が苦しまない方法を



提案し表現する事がよくあって



逆に母を好ましく



思わない方たちにとっては



そのような部分がもっとも



受け入れがたかったんじゃないのかなって



思うの



母はよく



「こうしなきゃならないっていう



常識を語る人がいるけど



そんなのは



昔急に誰かの都合で



決めた事で



みんなに合うわけじゃないんだから



気にする事はない



人間はみんな同じように見えるだけで



同じように動くわけじゃない



同じもの見ても



同じように感じないんだから



自分らしく楽に生きたら



それでいいんじゃない」






よく表現していたの



母は人生で体験した事をすべて



次に生かすだけの知識と



能力に優れた人だったから



自分なりの



人が楽になれる知恵を



生み出していたのだと



思うの



そのような人柄もあってなのか



年代に関わらず



母とふれあい仲良くされている方も



多くいた事を



今回知ったの



私がまだ幼かった頃の母は



とってもまじめで



ルールブックに書かれた事を



実践しているような



人だったのだけれど



本に書かれている事や人からの



アドバイス通りにしているのに



子育ては思ったように行かず



大変な時に



父は現実から離れ



別の女性たちの元へ行き



周りには良きお母さん



常識的ないい人を



演じていたから



本当の自分の思いを



解放する機会がなく



そんな時



つい子供を叱る時に



叩いてしまい



叩いてしまうと止まらなくなり



その後



深く自分を責める日々が続き



やがて子供の私も大きくなり



力で動かす事ができなくなり



母はそれから



ルールブックを捨て



人から否定されても



自分なりのやり方で



子育てをする事を



始めたのだと思うの



私が中学生くらいの時に



急にあれほど何をしても



叱り・私の人格を否定していたのに



一切そういう表現は消え



私が何をしても何も言わず



ただ一言



「私が生きている間は



人の命を奪う事さえしなければ



何をしても



私が責任を持つから



したい事は何でもしなさい」







伝えられたの



そう言われると中学生の私は



なぜか急に



意味なく抵抗していた思いが



すべて消えていったの



ただその頃から母は



子供を甘やかし過ぎると



周りの方たちから



非難されるようになっていったの



でも母はめげることなく



「人間一人育て上げるのに



みんな同じようになるはずがないのに



これが正しいって



みんないうけど



本当にそうなら



世の中警察も



裁判所もいらいよね



無責任に人は色々言うけど



責任はとってくれないんだから・・・



私は私のやり方で



子供に合ったものを



与えるからいいの」



って



その頃から



必要以上に人に合わせり事もやめ



今の個性的な母になっていったの



私が病で将来的に



母親になれない事を知った親戚が



「子供いなかったら



将来どうするの



子供いないと寂しいよ」







私に伝え



私の表情が曇ると母は



その方に



「子供がいていなくなったら



寂しいけど



初めからいなかったら



何も変わらないんだから



心配するほど



寂しさ感じないんじゃない



子供いて幸せな人もいるけど



苦労して子供さえいなければっていう



人生もあるんだから



人の事は口出さない方が



いいんじゃない



子供の事はデリケートな問題だから」







はっきりと思いを



表現してくれていたの



その様な価値観は



あらゆる場面であって



世の中でよく語られている



嫁姑問題も



母とお嫁さんの間ではまったくなく



私よりもお嫁さんと会う機会が多く



お嫁さんも距離を持たず



本当の親子のように気遣い0で



お嫁さんが



過ごしやすいようにしていたの



そういう事もあって



今回お嫁さんと話すたびに



私よりも母の好みや


母の事をいっぱい知っていて



教えてもらう事が多かったの







様々な人たちと共に過ごす地球上には



ルールはあるけれど



人の生き方には



その人それぞれに合った



価値観があるのだから



枠にはめようはまろうと



努力をするのではなく



許し合う努力が大切なのかなって



感じていたの









この数日間



様々な事を受け取る事が多く



その事を



自分の人生の栄養にしなければって



思う事が多いの



初めての経験の中で



今まで自分が持っていた



あらゆる偏見に気づかされたり・・・



今回の経験で



父は本質的な自分が溢れ



制御できない状態となっていて



すべてに攻撃的になっているの



父は昔からわかりやすい



パターンを持っていて



初めは被害者意識で



人からのエネルギーを集め



それでうまく行かなければ



脅迫者のように怒りや暴力的な事で



周りを支配してきた人だから



今回もその様な流れになって



周りが心配する程



衰弱してはいないのは



よかったかなって



思ってはいるの





人は誰でも誰かの支えとなり



力になれる事がったならば



喜んで力になろうとするけれど



その周りの支えや力を



ありがたく感謝として



循環しあえる方と



言葉の表現は



よくないかもしれないけれど



自分のために使えると思うと



どこまでも甘える人がいると思うの



そうなると



支える力を与えている方たちは



どんどん



心身からエネルギーが奪われ



それでも何もしないわけにもいかず



何もしない事は



深く強い罪悪感を



生み出し辛くなるから



共に限界まで過ごし



今度はそれに抵抗しようと



エネルギーを取り戻すための



様々なパターンを



生み出してしまうと思うの



私と弟はまだ少しは



自分の気持ちを



親だから表現しやすいけれど



お嫁さんやパートナーは



思いを伝えにくいから



母がいなくなった今は



私と弟が言いにくい事を



伝えながら



自分の家族を守らないとって



思っているの



父は無意識に全ての出来事を



してくれて当たり前という前提で



人生を歩んでいるから



たとえばちょっとした事でも



出会うすべての人が



笑顔で接してくるのが



当たり前だと



思っていたりする所があって



そうではなく淡々とした方と出会うと



意味なく怒っていたり・・・



そのたびに弟が



「ここはサービスを提供する場所じゃなく



ただこっちが依頼した事を



淡々とこなす場所だから



そんなんで怒っていたら



どこに行っても疲れるよ」



など



弟は弟なりの労わりで表現すると



子供にそう言われたという事にも



怒りがこみ上げ



永延と自分の正しさを



語りだしたり・・・



多くの家庭でも



そうかもしれないけれど



長い年月



家族として共に歩んできた



記憶や思い出には



親から手渡された愛情だったり



笑顔だったり



言葉だったりするけれど



父との個人的な想い出は



思い出すたび



心が曇るものばかりで



それでもいつも



父の横にはいつも



母親がいてくれたので



家族という形が



整っていたのだと思うの







母と話せない今は



静かに母を思い過ごせそうなので



少しの間は涙が枯れて



虹が見られる日を



心待ちしたいと思っているの










母が肉体から抜けて



魂の自由を得てから



初めて感じる事が



流れの中に



ちりばめられていて



ふっとした時



寂しい・悲しいの後必ず



「ありがとう」が



溢れてくるの



寄り添い歩んでいる時には


いい事ばかりではないけど



不思議に



よい事しか浮かんでこないの



母はいつも何か表現する時



多くの方が共感し



評価してくれるかの基準ではなく



その方が一番



心軽く楽になれる事を基準に



表現していて



その母が語っていた言葉が



これから



私の生きてゆく上での



あらゆる迷いや不安から



手を差し伸べてくれる



言葉になってくれるかなって



思っているの



母の慈悲深さが



とってもなつかしい



今私の部屋は



もしかしたら



母が遊びに来てくれるかなって思い



たくさんのお花とキャンドルで



幻想的に飾ってみたの



毎日



私の部屋に遊びに来ているのか



どこからともなく音が聞こえたり



時には小さな小さな話声が



どこからともなく聞こえたり・・・



私は子供もいないし



瞳に映る幸せを



計る基準に重なるものが



何一つない事もあって



心配していたそうだから



きっと私のそばに



きているのかなって



感じているの






弟は以前から



母が好きだった場所などに



日々母の写真を持って



足を運んでいるようで



それを聞くたびに



よかったなって



感じているの



母は自分の人生を楽しむ



自分の時間を



結婚してから持つ事ができず



いつも「私はコンビニと一緒だ



24時間休みなしだからね」







表現していたから



やっと今あらゆるものから解放されて



幸せなんじゃないのかなって



感じているの



何となくなのだけれど



私たちがいつまでも悲しみ



母が心配するような時間が



長く続いてしまうと



母が安心して



次のステージへと進めず



光のように軽く慣れないんじゃないかと思い



できるだけ



いつもと変わらない日常に



戻れるように



ちょっぴりがんばろうって



思っているの



母も私も精神世界を信じていて



あらゆる不思議な体験や知識などを



よく話していたので



その知恵をこういう時だからこそ



実践できたらなって



思っているの



いずれはこういう体験を



受け取らなければならない事を



知っていたけれど



おかしなもので



そう思いながらも



何となく永遠に



私の人生に



寄り添っていてくれるような



錯覚があって



母の魂が肉体から抜けて



自由になった時



後悔ばかりが溢れて



戻らない時間の大切さが



重く私に重なったの



でも母がもっと長く肉体に魂が



宿ってくれていたとしても



そんなに大きな事は



出来ていなかったと思うの



訪問に来てくださる方たちが



母を懐かしみ語る会話の中で



母が必ず



私の話をしていたようで



「誰といるよりも



娘と会うと



身体が軽くなって楽なの



面白い子なんだ」



って



母がよく表現していた事を



伝えてくれたの



世の中の基準では



何の自慢になる価値を持たない私を



母は自慢していた話を聞いて



言葉にならない思いと



涙が溢れてきたの



母親って



絶対的に見方でいてくれる存在で



いつも子どもたちが生きやすい方を



選択できるように



楯となってくれていたと思うの





私たちは静かに



母とのあたたかな時間を思い出しながら



自分たちなりに



これからの歩みのために



心身が整えられると思うの









今回の大きな出来事を経験して



頭ではわかっていたけれど



なかなか



実感できなかった事が



ずーっと自分の中に



入ってくる事が多いの



たとえば



何気なくすれ違う方や



ふっと瞳に映る全ての人は



他の方たちにとっては



特に何も感じる事が



ない人であったり



時には好意的に



思われない方で



あったとしても



きっと必ず



この方がこの世に



いてほしいと願い



大事に思っている方たちが



重なり存在しているんだろうなって



思うと



その瞳には映らない



人たちの思いを感じ



人の見方や感じ方が



変化しているの



母の魂が肉体から抜けて



自由になってからは



自分の心を癒す意味や



母が今どうしているのかが



気になって



臨死体験が書かれた本を読んだり



魂が自由になってからの



世界が気になって



心惹かれているの



母の魂が自由になって



2日目から



母の夢を



毎日のように見ていて



生きている時よりも



頻繁に会っていて



毎日私のそばに



母がいるのを感じているの



母がいなくなってから



私の身体が



今まで体験した事のないほど重く



時には痛みもあって



もしかしたら



母がそばにいるのかなって思い



心の中で



「もしもこの重さや痛みが



母さんがそばにいて感じるものだったら



せめて腕だけにして」と



唱えると



すぐに腕だけに重さを感じたり・・・





しばらくの間はまだ



母はこの世界と繋がり



ダイレクトに思いが伝わり



そして私にも



伝えられるんじゃないかなって



思うの



母親って存在してくれているだけで



まるでお守りのような



パワーを持っていたから



その存在がいなくなって



母と繋がりあっていた人たちにとっては



今まで感じた事のない



不安や寂しさが



生まれているいると思うの



そして時間と共に



不安というものは



癒されては行くけれど



寂しさは



母を思う時



必ず生まれ



時を重ねても



色あせる事はないのかなって



感じているの



今は少し



現実逃避している部分があって



母の事を思う時



まるでまだ



元気に今まで通りいるかのように考え



過ごしているの



でもたまたまふっと



母親に似たシルエットの方を見かけると



「母はもういないんだ」って



歩きながら



急に涙が溢れてきたりして



今はこのようなアンバランスな状態と



つきあってゆかなければ



ならないのかなって



感じているの








今も母の姿を



瞳に映す事ができない事を



受け入れているようで



受け入れられていないのか



ふとした瞬間に母がまだ



実家にいるような思いでいたり



かと思うと



現実的に



この世に母がいない事を思うと



急に胸が苦しくなって



涙が溢れてきたり・・・






私の母の姿を瞳に映す事ができなくなって



色々と考える時間が



与えられていて





「幸せ」ってあまりにも曖昧で



だからこそ



わかりやすい形あるもので計り



人から



「あの人って幸せね」



って



思われるようなものを求め



人生の多くの時間を注ぎ



過ごしてしまうけれど



「幸せ」って」



本当は



持つもので



計れるものでも



周りからも



わかりやすい形あるものだけででは



わからないもの



なんじゃないかなって



感じていたの



母は日頃から



不平不満を語る事が



多かったけれど



その人生を手放さなかったのは



きっと不平不満を



躊躇なく語れる



家族を持てた事が



若い頃に



親を天国に送った母にとっては



大きな幸せでもあったのかなって



思っているの



いつも母が語る不平不満を



まっすぐに受け止めていた私は



どうにか



母を楽にできないかを考え



一人で暮らせる方法などを



教えたりもした事が



あったのだけれど



そのたび母は



「子供がいるから・・・」



という理由を語り



やがて月日がたち



私たちが大人になった後も



今度は



「私はこの人生をあきらめているから(笑)」







様々な理由を語りながら



変わろうとはしなかったの



二人にしか分からない事も



あるんだろうなって・・・



最近父や母が若い頃過ごしたであろう



風景や物語などを見るたび



気がつけばふっと



父と母はこの時期恋愛し



将来を夢見て



語りあったりしていたのかなって



思うと



涙が溢れてくるの



最近は母が若い頃の写真が



実家の中に溢れていて



それを見るたびに



父にとってはかわいくって



毎日会いたかった



恋人の頃の印象が



深い部分には宿っていて



私たち子供には



わからない時間が



流れているんじゃないかなって



感じていたの



幸せってあまりにも曖昧で



形がないから



つい確実で多くの方が示す幸せを



積み重ねることに



一生懸命になる事があるけれど



その時々



私たちの心は



「これは本当にあなたにとって必要な幸せなの?」



って



まるで問うように



多くの方が示す幸せを



持っているはずなのに



むなしさや満たされない思いによって



自分が本当にしたい事や



心惹かれる事へ導かれながら



自分らしい幸せを



人生に加え



限りある人生を



満たしてゆくものなんじゃないかなって



感じていたの