2013年9月








今年は運がお休みをする


時期という事もあってなのか


いつもとは違う流れを


とても感じているの


言葉では上手に表現できないのだけれど


まるで真空管の中にいるような


風の動きを感じないような


不思議な感じなの


時間の流れも今までならば


羽根が生えているかのように


速いスピードで飛ぶ立つ時間の流れが


ちょっぴりスローだったり・・・


そして10年ぶりくらいなのだけれど


信じられないくらい寝ても寝ても眠たく


また次のステージへと移行してゆく


時期なのかなって


感じているの


私は本来睡眠が浅く睡眠時間が


短いタイプなので


何か自分のステージに変化を迎えている時


心身にわかりやすい形で


変化が現れるの


10年くらい前にも同じような事があって


新たな大きな体験が待っていて


そのステージは


今振り返ると人生にはなくてはならない


時間と体験が溢れていた


ステージだったように


感じているの


今まで自分が感じた事のない気づきや学びと


自分の認めたくない


みにくい思いなども


まっすぐに見つめなければいけない時期で


何度も何度も立ち止まり


何度も何度も涙を流したけれど


その時期を通り越し


心豊かな人生の春を迎え


そしてまた次のステージへと


運ばれてゆくのを感じているの


新たな始まりを迎える来年は


どんな年になるのかは


年初めの深い瞑想でしか


受け取れなのだけれど


多くの方にとっても現時点では予想もできない


新たに開かれる扉が


きっと待っていると思うの


ただいつでもどんな時でも


大切な軸となるのは


自分が自分を好きでいられる事を大切に


過ごすことだと思うの


たとえそれが誰かの求めるものとは


違っていても


そうできた自分を愛せたならば


その方にとっては正解だと思うの


私たちは無意識に誰かが求めている事


望んでいる事を


自分が望み求めている事として


表現したりして


周りに評価してもらえたとしても


自分の中で違和感や罪悪感などで


自分を愛せなくなるようならば


その方にとっては


それは違うものだと思うの


世の中には正しいと表現されているものや


その真逆のものに溢れているけれど


多くの方が心から思っていないけれど


多数意見を予測して


表現しているだけで


本当の思いは違う事も多いと思うの


それはある意味で


繋がりあう方たちに不安を与えずに


自分自身も理解できる範囲の


人間だという事を


伝えあう機会になているから・・・


でも世界中にこんなに


人間が存在しているのに


誰一人として


同じ人間がいないのには


神々の大きな計画と意味があっての事だと


思うの


それは地域や国籍・性別が同じであっても


微妙な個性と言う違いを持つ事が


世界には必要だからだと思うの


すべてが同じタイプの人ならば


もめ事もなくスムースなのにって


思ってしまうけれど


それ以上に私たちの予測を超えた


必要性によって


私たちはみんなある部分で


多数意見に重ならない部分を


秘めていると思うの


その違いが世界を色鮮やかにしていて


人生を退屈することなく


続ける事ができていたりすると思うの


私たちの中には不安定にいつも


少し風が吹くと揺れるくらいの


バランスを保つものがって


それゆえに


不安から自分と同じ意見を


必要以上に求め探し


時には押しつけてまで


同じ思考になるまで


語る事もあるけれど


内に秘めた不安定にバランスを保つ部分は


どんなん事をしても


揺れを止める事は出来ないんじゃないかなって


感じているの


なぜならば


その不安定な揺れを保つ部分は


人間として生きてゆく上で最も必要な


愛を生み出したり・愛を感じたり


感謝を感じたりもできる部分だから・・・


自分が感じる好きになれず


受け入れられない部分であっても


きっと見方を変えると


よい意味で必要があって


備わっている事もあると思うの


私の友人は何でも分析してしまうがゆえに


素直に喜んだり楽しんだりできない自分が


長い間好きになれずにいたそうで


もっと単純に人生を楽しめたらって


望んでいたのだけれど


どんなに努力をしても変えられず


高校を卒業する時に進路を考える時期に


何気ないお友達の言葉で


「何でもしつこく納得できるまでしないと


気が済まないタイプって


接客業はムリだと思うよ


○○みたいな人は病院とかいんじゃない?


いい加減さがないからさ


私が何かあったら絶対


○○にかかりたいな」と


表現したそうで


その一言で医療関係へと進む事を決め


それ以来


自分が好きになれなかった部分で


周りから褒められる機会も多くなって


少しずつ自分が好きになれなかった部分が


自分にとっても周りの誰かにとっても


役立つ素晴らしい資質だったと


感じたそうなの


そのお話を聞いた時


確かにそうかもって


感じたの


友人関係ならば大らかでこだわりもなく


ユーモアがあって楽しい方が


人気者ではあるけれど


職業などによっては


その様な事と真逆のタイプの方の方が


望まれ適している事もあるから・・・


以前病の時に手術を


担当してくださった方がそうで


年齢的にも若く


話した感じでは


どうなのかなって思うような


淡々とした感じの方で


特に感じのよい印象もなかったのだけれど


その方は自分なりのこだわりが強く


私はよくわからない事もあって


特にこだわりを持たずに


安全に済ませてくだされば


傷が残っても構わない事を


伝えたの


そうしたらその方が


「それならば他の病院でも簡単にできるから


別にここじゃなくてもよいと思いますよ」と


伝えられ


その言葉を聞いた私は


「開腹手術がMAXの病院よりも


最終的に腹腔鏡で無理だった時


開腹手術をする場合


腹腔鏡がメインでしてきたあなたなら


きっと開腹手術は


とても簡単な事でしょ


私は安全に手術を終えられたら


それでいいの」って


伝えると納得してくれて


手術を迎えたの


手術は予定では3時間くらいだったのだけれど


8時間かかって終え


目覚めた時お医者様が


私の元を尋ねてきて


ぐったりした表情で


「がんばりました」と一言


表現した時


お医者様がとってもとっても努力とこだわりで


傷を最小限に納めてくれた事を知り


感謝でいっぱいだったの


その方は言葉で上手に優しさを


表現できない方ではあったけれど


行動がすべて優しさや


思いやりと繋がっていて


誠実さを感じたの


人はつい浅い関係の場合は特に


表面的な言葉や印象だけで


判断をしてしまう事があるけれど


言葉で上手に優しさや思いやりを


表現できない方であっても


行動が優しさと思いやりに結びついていたり


こだわりが強く時に頑固で


多くの方にすぐに愛される


タイプではなかったとしても


そういう方がいてくれるおかげで


守られる命や順序やルールが守られ


よりよい社会になっていたりする事を思うと


友人や恋人を選ぶ基準とは違う心の瞳で


人を見つめたならば


全ての人が必要でいてくれなければ


困るくらい


うまく組み合わさって


世界は創造されているのかなって


感じていたの







数日前


初めてパートナーのお母さんと


二人だけで


近くの日帰り温泉に行ったの


その日は私の誕生日と言う事もあって


誘ってくれたの


私とお母さんは


結婚前から小さな行き違いと


受け取り方の違いで


何となくぎこちない感じで


結婚して間もなくの間は


小さないじめなどもあったりして


初めの頃は泣いてばかりいた私も


少しずつ強くなり


他の人には絶対に表現しないくらい


吉い言葉を返し


時にはお母さんを


泣かせてしまうくらいになっていたの


でも人間って不思議なもので


よい思い出が少ないはずなのに


どこかで相手を知りたいとか


自分をわかってほしい思いから


ぶつかりあう事を重ねてゆくうちに


何となく関わりが深くなっていて


お嫁さんの中では最も


きっとお嫁さんの中で


最も仲が良くない私となぜか


よく話しているのだと思うの


私はお母さんが一個人として


私と繋がりあってくれる時


年齢や立場を忘れ


少女のようなお母さんの部分にふれ


お互いに笑顔で過ごせるの


お母さんは70代なのだけれど


私が身につけているものや使っているものに


興味をいつも持っていて


「あきたらちょうだい」って


伝えてくれるの


以前友人がお姑さんの話をしていて


何かと目新しいものを持っていると


無駄使いしないように


いつも伝えられるので


親戚や家族と会う時には


着古したものをわざわざ


身につけて行く話をしていて


結婚して間もなかった私は


そういうものなんだって思った私は


あえておしゃれをせずにいたら


私の母からもパートナーのお母さんからも


「若いんだからもっとおしゃれしなきゃ」って


うるさいくらいに伝えられるようになって


今ではどこにおでかけするの?っていうくらい


少し華やかな装いをするようになったの


女性って


いくつになっても


鏡の前に立った時


自分が自分を見た時「素敵!」って


思えただけで


その日が何だか特別な時間になったりして


急にお出かけしたくなったり・・・


それが時に自分と一緒にいる人の中に


見つけた時にも


何だか嬉しい


説明のできない感覚に包まれたり・・・


女性同士って何かと気になり


ぶちかり合う部分も多いけれど


年代を超えて共感しあえる


不思議な部分を秘めてもいると思うの


今月遠くで暮らす


父の兄が北海道に訪れ


幼い頃に暮らしていた街に


父たちは足を運ぶそうで


その際に父のお兄さんが再婚された


奥様も一緒に来るそうで


母から「あんた昔来ていた華やかな洋服


○○さんにあげたいから持ってきて」と


伝えられ


私が来ていたのに少し変なのだけれど


どこに着て行くの?って


不思議に思っていると


その女性はプロの歌手の方で


華やかなものを着る機会が多く


欲しがっている事を


教えてくれたの


ここ数年は私も私の周りも


ほんとに必要なものとそうではないものを


整理整頓する事が日常になっていて


何気ない会話の中で


欲しいものを何気なく伝えあっておく事で


誰かが必要を終えたものが


届けられ


手放した方もスペースができてうれしいし


受け取った方も


ありがたい思いに包まれているの


私の母もパートナーの母も


「もう年だから身の回りの整理を


しておかないとね」って


よく表現していて


その言葉を聞くたびに


人生の限りある時間が


頭で理解している以上にリアルに感じ


せつない気持ちになるの


年々時間に羽根が生えたように


早いスピードで時間が飛び立ってゆくのを


感じてはいて


それでもいつも見慣れた


友達や知り合いといると


時間が止まっているかのように


感じるけれど


ふっとたまに会う甥や姪などに会うと


時の流れの速さを実感するの


そんな時ふっと


何だか私って何も成し遂げることなく


年ばかり重ねちゃったなって


寂しい気持ちになるのだけれど


忘れているだけで


私は私でその時々精一杯頑張って


今日にたどり着いているんだよねって


思ったり・・・


人生って人と比べられない


人それぞれのペースとタイミングで


上昇し前進し


時に忘れ物を取りに道を戻り


その時々気づきと学びを繰り返し


その方それぞれに


限りある人生と言う時間の中で


魂の成熟迎えてゆくんじゃないかなって


感じているの














よくブーメラン現象というものがあって


自分が考える事思い・行動は


時間を経て


自分の元にまた戻ってくると


伝えられているけれど


本当にそうだなって


感じているの


そのブーメランによって帰ってきた時


自分が過去にした事を急に思い出し


反省し


相手を許したりしながら


また人生を新たにされる方もいると


思うの


時間を経て帰ってくるから


思いだせない事も多く


ただの不運として


流してしまう事もあるけれど


多くの場合


自分が外の世界にはなった


思いや行動だったりする事が多いように


感じているの


私はそんなに素晴らしい思考だけで


過ごしているわけではないから


時に中のよい友人の何気ない言葉や行動に


怒りを感じたり不快な思いを生み出す事が


あるのだけれど


その時には言葉にはしないのだけれど


何年も縁が繋がりあうようになって


心開きあうようになった時


友人から


過去の出来事の中で私が表現した言葉が


とても気になり傷ついたけれど


それが意識的になされた事ではない


人柄だと分かった時


私の考えすぎだったんだなって


思った話を聞いて


すぐに過去の事が蘇ってきて


最近私に届けられた出来事の意味を


理解できたの


人が変わっても


私が放つ思いや行動は


戻ってくるんだなって・・・


心の中で何を思っても


何を考えても


言葉にしない限り


わからないと思いがちだけれど


私たち人間にはまるで電気信号で


交信しあえる


特殊な能力が備わっているから


様々な方を経由して


自分の元にまた戻ってくる事は


あるんじゃないかなって


感じているの


そのブーメラン現象を時々思いだすたびに


できるだけ


自分が受け取りたい事を考え行動するように


しているの


私は欲張りだから


人から愛されたい思いがあるから


できるだけ


自分の価値観で人を決めつけずに


その人のよい部分を探すようにしたり


自分が作るアクセサリーを


喜んでもらいたいから


誰かが好きな事に


エネルギーを注いでいる時


その方が笑顔にられるような


言葉を送ったり・・・


自分が受け取りたいと思う事を


できるだけ実行しているの


以前癒しの言葉で見たのだけれど


「自分が与えられないものは


受け取れない」という


言葉がったのだけれど


本当にそうかもって


感じているの


今は一人でいる時間でも


できるだけ自分が何かを


与えられる機会を考えたりしているの


ただ人間だから


いつも心晴れ渡り


健やかな時ばかりではないから


そんな時には感情を無視しても


その感情は静寂の中で


膨らんでゆくものだと思うから


早い段階で溶かすために


私がしている事は


思いを思いとして秘めるのではなく


一人の時にその思いを言葉にするの


たとえば


「○○ちゃんは何で私にあのような事をするの!」って


怒りの気持ちがった場合


その怒りの思いを言葉にしながら


最後の方では


自分が○○ちゃんにどうして欲しかったのか


望みを言葉にするの


そうすると何となく怒りが溶かされゆき


望む事を表現する事で


怒りはただの怒りではなく


きちんと望む形が見えて


宇宙にオーダーで来ているように思うの


怒りだけではなく


辛い事・悲しかった事も同じで


初めに正直に素直に


感情を言葉にして


最後には必ず望む形を


言葉にするの


そうすると無駄に思えた感情が


自分が望むものと強く結びつく機会として


働いてくれるような


気がしているの









私は図書館が大好きで


時間ができるとつい


足を運んでしまうほどなの


その日も特に何かを借りる予定はなく


図書館の中でいつものように


心惹かれたものを手にして


読んでいたの


バタフライ効果というものについて


書かれたもので


その中には


極めて小さな差が


やがては無視できない


大きな差となる現象のようで


蝶の羽ばたきが

そこから離れた遠い場所の


将来の天候に影響を及ぼすという内容を


表す現象のようだったの


その言葉を読みながら


私たち人間にも重なる部分も


あるんじゃないかなって


感じていたの


私たちは日頃


一個人として切り離された存在のように


自分を感じていて


時に自分のような無名で無力な人間が


何をしても特に


変化をもたらすほどの力がないように


思いこんでいるけれど


この理論を重ねて見ると


私たち一人ひとりが


何気なく表現する事・行動する事が


知らない誰かの人生に影響を与え


やがては自分の全く知らないところにまで


影響を与える事さえ


あるんじゃないかなって


感じていたの


言葉では上手に表現できないのだけれど


たとえばなのだけれど


私たちが何気なく入った本屋さんで


何気なく購入した本を


次に入ってきた方が購入しようとした時


購入できなかった事によって


予定していたその方の


少し先の未来に変化が与えられ


その方は暇つぶしにその本を家で読む事を


予定していたのだけれど


予定が変わり


友人たちと遊びに行こうと


友人たちに電話をしても


みんな予定があって難しく


最後に特に仲が良いわけではないけれど


ある異性の知り合いしかいなく


たまたま遊びに行く事になって


初めて深く話す事で


互いに惹かれあい


恋が始まって行ったり・・・


そして本を購入した私たちにも


もう一つのストーリーがあって


何気なく本を読んでいる時に


友人から電話があって


本を購入した話をすると


偶然にもその友人が読みたい本だった事を知り


それならばと手渡すために


会う事になって


いつものように近況報告や


何気ない会話をしている中で


自分が知りたかった情報を


知る事ができたりして・・・と


いうように


私たちは知らず知らずに


多くの方に影響を与えるだけの


存在感を兼ね備えて


いるんじゃないかなって


感じているの


私たちは時々


一人で過ごす時間が長くなると


一人だけ取り残されたような


孤独感を感じる事があるけれど


本当は常に


地球上のすべてと繋がり


私たちが今あくびをしただけでも


何かかが変化しているんだと思うの


私はいつもつい自分の心のささやきを


聞き入れず


相手のペース・呼吸に合わせ


それが人と仲良くなる方法だと


長い間思いこんできた方法なのだけれど


その話をパートナーにしていると


パートナーが


「たぶんさーちゃんは


自分以外の人は他人だと


思っているんだよね


だから自分がどう表現して良いのか


決められないんだと思うよ


他人は他人ではないんだよ


自分だと思ってみたら


そうしたらどうしたらよいのか


わかるし迷わなくなるよ


自分が受け取りたいものを


相手に与えればいいだけなんだから」と


伝えられ


とっても単純な私はそっか~って


少し軽くなっていたの


その次の日


仲良しの友人とフィットネスクラブで


楽しく過ごしている時


ふっと「最近筋トレしていないから


筋トレをしたいから


次のプログラムは出たくないな」って


思っていたの


私はそんな小さな意思表示さえ


相手に伝える事に躊躇してしまう事が


よくあって


その日も特に強く自分の予定をクリアしようとは


思っていなかったのだけれど


突然友人が


「次のプログラム出るのやめようか~


マシンで筋トレしない?}って


伝えてきたの


その時のあまりのタイミングに


え!!まさか


私が心で思った事


私無意識に声にしちゃってたかなって


疑うほどだったの


その後も「少し甘いものが欲しいな


あめ持ってくるのを忘れちゃったし・・・」って


何気なく思っていると


その友人が「はい」って


あめを手渡してくれたの


その日は前の日に


パートナーから


アドバイスしてもらった事を


意識していて


「相手が自分だったら」って


思いながら


小さな出来事たちと向き合っていて


いつもならば正当な理由がある時には


私はこうしたのに


なぜあの人はこうするの!って


どうしても怒りに近い感情で


反応する事が多かったのだけれど


その日はいつもと少し違っていたの


でもその思いを言葉にしたり


したわけではないのに


本当に不思議で


改めて


全ての人は繋がりあっていて


自分の内側が変われば


外の世界にもその事が


伝わるんだなって


感じていたの


遠い場所で起こっている


大きな出来事に不安になったり


怒りを感じたり


ある人はその事をどうする事も出来ず


ただ眺めている自分に


無力感を感じられる方も


いるかもしれないけれど


私たちは直接ではなくても


自分の心や行動が時間を経て


地球や地球で起きる出来事を


変えて行く事ができるんじゃないかなって


思うの


私たちにとって大切な事は


一見わがままやエゴに映るかもしれないけれど


自分を愛する事ができるように


日々過ごし


深く宿る愛の周波数を広げて行く事


なんじゃないかなって


思うの


そうする事で他人は他人ではなく


もう一人の自分として


気づきや学びを循環し合いながら


小さなスペースで育まれている


素晴らしい波動が


ゆっくりと時代を創ってゆくんじゃ


ないかなって


感じているの