2013年8月





毎年年初めに


深く瞑想し


今年の特徴や流れを受け取るのだけれど



今年は運と言うものがお休みし


その方本来持っているものが強く働く年で


今まで実力があっても


タイミングや運などで


本来ならば受け取れる


あらゆるものが受け取れなかった方にとっては


とても満たされ


その逆に運と言うものが


人生の中で大きな働きをし


実力以上に恵まれた時間を


与えられてきた方にとっては


ある意味で謙虚に


自分と言う存在を見つめる機会が与えられる


年になると受け取っていたの


数カ月がたちやはり


深い瞑想で受け取ってきた事が


私自身もそして周りでも


現れているの


私の周りでは次々と転職や


新たな土地に移り住む方など


今まで以上にとっても


大きな動きになっているの


そして私自身も


やっぱり!って思ってはいたけれど


元々実力は驚くくらいない私は


これまで幸せに過ごせていたのは


ただただ運に支えられていたとは


思ってはいたのだけれど


やはりそうで


今年はその運と言うものがお休みする年なので


いつもとは違う違和感を感じているの


特に何か問題があるわけではないけれど


いつもならば自分の思い描くままに


行動すると


それが自分が思い描いていた以上に


実りあるものとなっていた事が


多かったのだけれど


今年は


運のお休みによって


時間の流れがいつもとは違うものを感じる事が


よくあるので


様々な事をあらかじめセーブして


今まで幸運だった事に感謝し


流れのまま過ごす事にしているの


今までならば


私はこうした言って思いによって


日々過ごしていたのだけれど


今年に限っては


直感的なものよりも


今までの経験値や実力が備わっている方に


寄り添い


学ぶ時期かなって感じているの


来年には


ある意味で新たなスタートの始まる年で


今年のワンクッションが


次に進む方向性を決めるようだから


今年は数年後の予定や目標を


漠然とでも良いから


イメージする事が


大切だと思うの


私たちは自分が願い希望した事でさえも


日々の忙しさや


心変わりで忘れているだけで


多くの事は自分がその時々


望んだ事を引き寄せ


願いを叶えているものだから・・・


私自身


時々ふっと


何一つ人よりも優れたものもなく


それよりも


多くの方が当たり前にできる事さえ


できない事も多く


知っているはずの事を知らず


特に知らなくてもよい事には


とても知識があったり


生活に関係するものには興味を持たず


なくても困らないだろうと


思うようなものに


心惹かれてみたり・・・


人ととってもずれていながらも


特に辛い事に包まれる事もなく


何となく面白おかしく


人生を過ごせているのは


運が良いとしか考えられないの


その運の中には


よい人と巡り合う運だったり


物事のタイミング的なものだったり・・・


世の中には様々なニュースがあって


その様な事を見聞きするたびに


いつもふっと自分に置き換えて


見つめて見ると


ニュースに登場される方たちが


特別何かをしたわけではない場合も多く


そう思って見つめて見ると


私の幸せはあらゆる人たちのおかげである事を


感じる事も多いの


もしも身近な方が


自分の幸せに無関心でいたならば


その関心を別の方向に求め


トラブルの元となる事を生み出したり・・・


そんな風に巻き込まれてゆく事も


あると思うの


そう思って見つめて見ると


ありがたい事に私が出会った方たちは


一見わがままで自分の事しか


考えていないように映る方も多いけれど


そうして自分の幸せに思いを注いで


過ごしてくれているおかげで


あらゆるトラブルを生み出さずに


互いに繋がりあう事が


できているような気がしているの


私自身


自分が病で日々痛みと寄り添い


過ごしている時には


言葉に表現するのも躊躇してしまうくらいに


自分以外の人すべてがうらやましく


ちょっとした事で僻みと妬みを生み出して


いたと思うの


その頃の私は自分の幸せなどは


もうどうでもよいくらいに


心身にダメージを受けていて


人はそうなると


そんなに強いものではないから


人生のあらゆることが


まるで自分を苦しめるために


用意されていたもののようにさえ感じ


過去も未来も


そして現在も否定し


本来ならばもっとも


人を美しく見せる笑顔が


好きになれなかったこともあったの


そんな時に自分の心惹かれていたものは


自分以外の人の事だったように思うの


それは自分と向き合っていると


あまりにも辛く


まるでそれは自分の目の前鼻先すれすれに


大きな岩の壁があるような感覚だったから


その閉鎖した感覚から逃れるために


つい自分以外の人に


心の瞳を向けていたのだと思うの


ただ人生の中では


大なり小なり誰もがそういう時期があって


様々なきっかけや方法によって


その様な時期を乗り越え


広く明るいスペースに


辿りついていると思うの


私の場合はHPで出会い繋がった方が


何よりもの支えで


今思いだしても瞳がウルウルしてしまうくらいなの


目の前に広がる世界では


女性としてタイムリミットを迎え


味わった事のない


様々な心の体験で


押しつぶされそうになっている中


本来の私でいる事を許し


受け入れてくれる人の存在は


ありがたく


今日命があるのも


そういう方たちのおかげだと思っているの


昔ならば目の前に広がる小さな世界が


人生のすべてで


常識もルールも


小さなスペースの中で有効で


それに添わなければ


生きにくくなってしまっていたと思うのだけれど


今の時代は


光で繋がりあう方たちと


自分の思いが引き寄せあって


早いスピードで巡り合い


自分に必要なものを循環し合い


高め合う事が可能になった時代だから


数十年前から見つめると


アニメーションや夢の世界が


現実になっているようなものだと思うの


インターネットでは


自分が気になる事や思いがある事を


検索する事によって


簡単に自分の好奇心を満たし


同じ価値観や思いの方と出会う事も出来て


改めて


凄い時代なんだなって


感じているの











今まで以上の幸せを受け取りたいと願い


パワースポットに足を運んだのに


恋人と別れたり


急な環境の変化が与えられ


ここに来たからよくなくなったと


思われる方もいるようなのだけれど


私たちはあくまでも


短い時間の刻みでしか


自分の未来や人生を見つめられず


今の幸せが永遠に続く事が


無難できっと幸せなのだという思いで


過ごしているけれど


神々は私たちの誕生から


この世の学びを終えるまでの


私たちの人生を


長いベースで見つめ知っているから


このタイミングで


大きく軌道修正として


ちょっぴり私たちが望んでないような


急な環境の変化を


与える事もあると思うの


私事なのだけれど


若い頃から恋人ができると


必ず祖父母のお墓参りを一緒にしていて


そのたびに不思議と1週間以内に


別れる事が多くあったのだけれど


祖父母が私の幸せを願っていないわけがないのだから


好きな人と別れる事にはなって


とても辛い流れになってはいるけれど


きっとこれは私が幸せになるためには


長いベースで見つめて


色々な部分でフィットしないとわかるから


そうしてくれているのだと


信じていたの


だからその事で


私が幸せになれない


逆パワースポットのようには


思ってはいなかったの


そして今のパートナーにもその話を伝え


お墓参りをしたのだけれど


その時には今までとは違い


数日の間に周りの様々な後押しや


セッティングによって


私自身考える暇もないくらい


急速な流れで


出会って間もなく結婚し


あったと言う間に結婚15年も過ぎたの


そのたびにやっぱり


私自身にもわかっていない


未来の幸せのために


過去には様々なちょっぴり悲しい出来事や


変化を与えられていたんだなって


感じているの


20年くらい前に


知り合いのお店で短期間アルバイトを頼まれ


社会勉強を兼ねて働かせていただいていた時


まだ珍しかった


パワーストーンのブレスレットを


私が身につけているのを


そのナイトクラブで知り合った人たちが見つめ


作ってほしいと伝えられ


その方が望むカラーや効能を考え


作らせてもらった事が多くあったのだけれど


ある方は恋愛を成就させたく願っていたのに


身につけてから彼女にとっては


望んでいない流れが次々と訪れ


婚約者とは別れたり


本来出会いが多くあってその事で


本人的にはモテるという


大きな喜びも消え


そうしているうちに


ふっと気がつくと


石たちが欠けていて


不安になった彼女は疑問いっぱいで


私に尋ねてきたの


欠けた石を手で包みながら


彼女の話を聞いていたのだけれど


私が感じたのは


彼女は石の力によって


ある意味人生の無駄な回り道をせずに


近道へと誘導してもらっていたんじゃ


ないかなって


感じていたの


彼女は出会いが多くモテている


喜びから自信を育んではいたとは


思うのだけれど


いつも相手は彼女を大切には思ってはいなく


その時々の都合によって


キープされているにすぎない事も多く


短期間にスタートして終わるだけで


愛を育むものではなかったの


私はその時も石について


本当に愛を感じて


自分を犠牲にしてまで


持ち主の人生に影響を与えようとしている事に


感動していたの


その後


私の漠然とした感覚で


彼女は自分にとっても能力があるのに


何となくスタンダードな女性の幸せを


手にするために


いつも相手に気に入らようと


相手に無意識に


粗末に扱われてもよいかのように


演出しているように感じ


将来的に素敵な恋愛をしたいのならば


今の自分のままで出会う人たちとの


恋愛成就を望むよりも


ある意味で元々秘めている


自分の能力を育み


もっとレベルを上げて


その時に出会う相手との方が


幸せに近づけるんじゃないのかなって感じ


彼女に伝えたのだけれど


元々自分の意志が強く


自分が思った事は変えない方だったので


何度も何度も彼女が望む形で


ブレスレットを作らせてもらったのだけれど


そのたびに何度も石は欠けたり割れたり


時には突然消えてしまったり・・・


何度も何度もその様な事を繰り返すうちに


私自身も石がかわいそうになって


作る事をやめたいと伝えると


彼女の方から


私が思ったままのものを作ってみてって


伝えてくれて


初めて恋愛とは違う思いを込めて


作らせていただいたの


それ以来石が欠けたり


消えてしまう事はなくなったの


そして半年後


本人も


急になぜだかは分からないのだけれど


昔から住みたかった街に住もうという思いが


強くなって


仕事のお休みの日に飛行機に乗って


住む場所も仕事も決めてきた話を聞いて


とっても思いきった行動に


やっと彼女の幸福への未来が


始動しだしたのかなって


感じていたの


私たちは自分を昨日よりも


幸せな笑顔になれるように


あれこれと考えて


様々な方向で見つめ過ごしているけれど


私たちが見通せる範囲はあまりにも狭く短く


その時の小さな瞬間で


幸せかどうかを計るけれど


時には


人生の冬の時期を通りすぎなければ


辿りつけない春もあったり・・・


私が感じているのは


人の人生は意味あって


様々なものが用意されていて


時になぜ?こんなことが私に・・・って


思うような出来事が届けられる事もあるけれど


その多くは


その方の力量・器に合ったものしか


受け取れない事を思うと


自分にとってとても大きく感じる


大変なことや辛い事は


自分が思っている以上に


自分が大きな存在で


必ず


自分ならば解決できると


神様は知っているから


与えているものなんじゃないかなって


感じているの


ただまっすぐに向き合い


立ち向かう事は大切だけれど


人にはそれぞれの心身の体力的なものが


満たされている時期とそうではない時期があるから


もしも向き合う事が


辛いなって思うのならば


また必ずめぐってくるタイミングがあるのだから


避けてもよいと思うの


それは問題から逃げるというのとは違い


自分の人生のコンディションを


優先し


時には今の自分よりも


もう少し時間が進み


心の視野が広がり知恵が


育まれている自分の方が


よりよい判断ができる事もあるのだから


その時問題に向き合えなかったとしても


そんな自分を責める必要もないと思うの


その時々人は


一生懸命に人生を歩んでいるのだから


ただ存在しているだけでも


十分なのだから・・・


先々を考えても


その時になってみなければ


自分がどう感じ


どのような行動をするのか


わからないのだから


もしもできるのならば


考える事から離れる事は


思っている以上に


よい運びとなる事もあると思うの


未来を考える時って


ただ漠然と明るく楽しくイメージできる事は


大人になると少なく


それはあらゆることに


知識と視野が


広がり成長した証として


不安要素がリアルに見つけられるように


なるからだと思うの


そして本来ならば


不安要素を未来へ進む前に


消去するために


不安と言う形で心で感じるのだけれど


不安という感情に


強く反応してしまう事も多く


不安要素を消化するという流れを


適切ではない形で焦りから


早くこの感情から解放されたい思いで


よくはない決断を


してしまう事もあると思うの


なので考えるという事を


お休みさせてあげるのも


自分の幸せには有効な


選択だったりもすると思うの


私たち人間は誰に強制される事なくても


日々あらゆることで考え


フィーリングに寄り添い


風のように過ごす事が苦手で


全てをコントロールし


予測の範囲で安定した時間を


維持しようとしすぎて


ほんのちょっとでも


自分の予想と違う流れになると


漠然と不安に包まれやすくなって


自分の周りの人や時間etc


あらゆることを自分の予測の範囲に納めようと


無意識にコントロールし


自分も周りも窮屈な


時間を過ごしてしまう事になってしまうと


思うの


私がいつも感じているのは


どんなものを選び取っても


そんな自分を許し


他者に日々与えている


優しさや思いやりを


自分にも与えてあげる事が


大切なんじゃないかなって


感じているの


そうする事で自分が満たされてゆくと


自然にあらゆる流れを許し


ありのままの流れに恐れがなくなるんじゃ


ないかなって感じているの


私たちは自分の基準に


あらゆるものを見つめているのだから・・・










私がよく感じることなのだけれど


知識が豊富なのと


能力があるのはまた別で


私たち人間はつい容姿や


話し方などの印象で


その人を決めつけ


思いこんでいる事があって


上手に思いを言葉に変換できないだけで


あらゆる能力を秘めた方も多く


逆に饒舌に知識溢れた語りを


される方の中には


どこかで覚えた言葉を語られているだけで


その方自身から溢れる体験でも言葉でもなく


心に響かない事も多いの


特にスピリチュアルな能力は


あくまでも私の小さく狭い


出会いの中だけなのだけれど


自分では特に能力を持っていないと思い


暮らしている方の方が


ライフスタイルの中に


精神世界的な教えを


実践に行っていたり・・・


以前スピリチュアルな知識豊富で


様々な事を教えてくれる方との出会いが


何人もあったのだけれど


その方たちから学ぶ知識も多く


まるで本を読まずして


その方の音霊を通して


伝えてもらっているような感じで


いつも私は自分にフィットした知識だけを


心に納めていたの


でも互いに長く過ごす時間が多くなてくると


教え伝えるモードから


自分に戻るモードにも


触れる機会があると


先ほどまで語られていた知識が


ライフスタイルの中には


活かされてはいない事も


多いの


それは精神世界だけではなく


宗教的なものでもよくあって


私が出会ってきた


無宗教の方の方が


意識せずに人への思いやりや


優しさを自然に


人生の中に溶け込ませていたりするのだけれど


それは彼らにとっては


あまりにも当たり前で自然なことだから


その事について特に意識して


饒舌に語らないだけで


愛の知恵溢れた


大いなる能力を秘めている方だと思うの


人は人を判断する時に


何となく話し方や容姿などで


自分の中にイメージを作り上げてしまうけれど


実際にはイメージと


本質的な能力は違う事も


多いと思うの


昔から詐欺師などは


「らしさ」を作り上げ


服装や話し方などから


人の意識に入り込んでくるように


占い師の方でも


見た瞬間からそう見えるように


演出されている方もいたり・・・


私たちは無意識に


自分の中にある少ないデーターによって


何の確信もなく


人を決めつけ思いこんでしまう事も


あるんじゃないかなって


感じているの


私自身


精神世界・スピリチュアルな事に


心惹かれ


物ごころついたころから


ちょっと変わった価値観を


持つようになっていったのだけれど


自分でも不思議なのは


同じ事に心惹かれあっている


精神世界・スピリチュアルな事


宗教に関わる方の多くとは


長く話しているうちに


尋ねたくなる事


教えてもらいたい事が溢れてきて


尋ねてゆくうちに


私が求めているものとは違うかもって思って


深く縁が結ばれず


益々元々秘めている疑念が深くなって


年を重ねてきた気がするの


不思議な世界が大好きで


大好きだからこそ


本当の事を知り出会いたい思いから


つい疑り深くなってしまったり・・・


私はあまりお利口ではないから


難しい事はわからず


心が曇った時


その曇りを解放してくれるのは


多くの場合


高尚な知識な言葉ではなく


特にその様な知識を持っていないはずの


周りの方だったりするの


それはたぶん人間としての


輝く素晴らしい愛の知恵という能力で


言葉で上手に語るわけではないのだけれど


心と心で感じ受け取りあう


瞳には映らない感覚なの


言葉では上手に表現できないのだけれど


今の時代は


昔とは違い


社会的に評価をされるだけの


能力を秘めた方たちが


あえて平凡に映る生活を選び


過ごしている事も多くいて


すべての水準が高くなっているように思うの


それでも自分には特に


能力がなく感じている人も


いると思うの


能力ってきっかけが与えられて初めて


その能力に気づくもので


特にきっかけがなければ


静かに秘められたままだと思うの


なので本人は気づいてはいないのだけれど


能力の多くは


周りが気づき


その方向に導いてくれるもののように


感じているの


私の小さな狭い出会いの中で


不思議な能力を強く感じたのは母で


母自身も言葉では上手に語る事は


出来ないのだけれど


いつも何かきっかけがあると


急に様々な事を伝え出すの


その多くはまるで霊能者か占い師のように


とても具体的で


いつも驚かされるの


そしてそのほとんどが当たっていて


今でも友人に「お母さんに聞いといて」と頼まれ


母と会うと友人の事を


尋ねたりしているの


でも母はよくいる霊能者や占い師の方のように


断言とは違い最後は私に


「あんたはどう思う?」って


尋ねてくるの


それはきっと母が持つ能力と


私が持つものが違うから


よい意味で違う方こそ


それでも重なるものが


答えだと思えるの


この間も母に会った時


「あんた最近変わった事あった?


なんかあんた輝いているわ


何かに守られているのかな?


誰かがあんたについて回っているみたい」と


伝えられ


私は伊勢神宮へいった話をしたの


そうすると母は


「あんたの事が好きな人がいて


あんたについて周ると楽しいから


ずっとついている人がいるように思う


その人がいつも一緒だから


結果的に守っている事になるんだと思うよ


この間会った時よりも


あんた何か光が強いっていうのか・・・」と


母が伝えてくれていると父が急に


「あ!それはオ-ラだな


そういうのオーラっていうんだべ


お前たちだったらそういう話好きだな(笑)」って


いつものように


母を怒らせ楽しむ父がいたの


父はそういう事を信じないと


表現しながらも


人生長く生きていると


何度考えても説明のできない


不思議な出来事を経験していて


時々それを思い出し話す事もあるの


昔親戚の葬儀を終え


火葬場について休んでいた時


小さな焼却炉のようなものがあって


幼い私は何にでも興味を持って


ふたの空いていた焼却炉に近づくと


なぜか焼却炉の中から石が飛んできて


驚いていると


隣にいた父が静かに


「お前はまだ若いから早いって


言っているんだな(笑)」と言い


その場を離れたのだけれど


家に帰ってから


本当は父も驚き怖かったのか


母にさっきあった事を語り


その焼却炉で火葬していた事を聴き


今度は幼い私に「お前何かしたのか?」など


何が知りたくて尋ねてきたのかは


分からないのだけれど


しばらくはその話をしていた事を


時々思い出しては話すの


日本の中には


昔から因縁があって


変えられない土地などもあって


近代的な場所なのになぜ?って


不思議に思うくらい


そこだけ昔と変わらないままになっている


場所がったりして


そういう場所に出会うと


怖いようなホッとするような


複雑な思いに包まれるの


ホッとするという表現は


少しへんかも知れないけれど


私は瞳に映らないエネルギーが


あると思える事で


言葉では上手に表現できないのだけれど


その方それぞれからあった


行いや思いが報われる事を


示しているようないがして・・・


因縁や怨念というとちょっぴり


怖いような気がするけれど


それは別の角度から見つめると


思いと言うものがそう作用している事を思うと


良き行いには良きものが・・・って


思ってしまうの











いつもよく


友人が初めて私のおうちに


遊びに来ると


トイレのドアが全開に開いているのを見て


不思議がる事があるの


確かにどこのおうちも


おトイレのドアは閉まっているから


不思議に感じるのかなって思いながらも


いつも「なんとなく」って


答えになっていない答えを


表現しているの


私がおトイレのドアを開けるようになったのは


独身の頃からで


私が実家に暮らしていた時からなの


実家で私がおトイレに入ろうとしたら


内側から鍵がかかっていてという事が


度々あって


おトイレのそばにマイナスドライバーを


いつも置いていたくらいなの


でもなぜか私の時だけだったの


その現象は一人暮らしをした時も同じで


急いでおトイレに入ろうとした時


またおトイレの鍵が内側からかかっていて・・・と


そういう現象がどこで暮らしても


消えなかったから


漠然と引っ越した場所や土地に


問題があるのではなく


私自身に関わることなのかなって


感じながら


今現在もおトイレのドアを開けたままにする


習慣のまま過ごしているの


その事で実家に暮らしている時に


母が私に


「あんたに存在を気づいてもらいたがって


いたずらしているだけで


心配するものではないと思うよ」って


伝えられていたので


あまり恐怖は感じていないの


ただ以前


知り合いのおうちに遊びに行った時


私がおトイレに行くと


内側からカギがかかっていて


知り合いに


「内側からカギがかかっていて入れないよ!」って


伝えると


知り合いは驚いた表情で


「え!?なんでこんなこと初めてなんだよ


どうしよう・・・」と


泣きそうになっていたの


もちろん私はいつものように


マイナスドライバーを用意してもらい


無事に使う事ができたのだけれど


思っていた以上に


知り合いが怖がり


パートナーが帰ってくる次の日まで


一緒にいてほしいと伝えられ


知り合いのおうちで


一緒に過ごしていたの


その知り合いは理由を知りたがり


私に尋ねてくるのだけれど


私は人から変だと思われる事に


恐れを持っている事もあって


「ドアを閉める時にノブを回しちゃって


鍵がかかったんじゃない?」と伝えると


「え~それはありえない


今まで人生で一度もないもん」と


とても怖がっていたの


少しお話は違うのだけれど


以前引っ越しを考えて


不動産屋さんに足を運び


担当してくれた方がいて


その方に物件を紹介してもらったのだけれど


あきらかに何十年も人が住んでいないような


物件ばかりで


ある時には入る前から


間取りにも違和感を感じるような家で


入ってみると


押し入れが半分開いていたのだけれど


その部屋に入る瞬間


押し入れの中に小さな女の子がシュっと


入るのが見えて


不動産屋さんに


「押し入れに今人がいるのが見えたんだけど・・・」と


伝えると


不動産屋さんは怖がりながらも


押し入れに近づこうとしたその瞬間


押し入れがしまったの


その時私とパートナーと不動産屋さんは


言葉もなくすぐにそこを


立ち去ったの


そして日を改めて


また物件を紹介してもらうために


待ち合わせの場所に少し早く着いた


私たちは何となく周りを見渡していると


パートナーが突然


「もしかしたらあの家かな・・・


なんか薄気味悪い所ばっかり


あの人紹介するしさ」と話していると


不動産屋さんが来て


パートナーの予想通り


その薄気味悪い家だったの


私たちは入るのを断り


次の物件へと向かうと


そこはまたもや薄気味悪い家で


日が照る事のない家だからなのか


カビの匂いが広がり


お風呂などはタイルが壊れ


使える状態ではないほどだったの


その不動産屋さんには


いくつもの物件を紹介してもらったのだけれど


どれも普通では考えられないくらいのものだったの


それでも時々


物件が見つかったと言っては


電話をくれていたの


なかなか良い物件に巡り合えない私たちは


別の不動産屋さんへ足を運び


初めに見た物件は


今までとは違いよい状態のもので


ホッとしていたのだけれど


なぜか昔は駐車場にしていたという


地下の物置に車を下ろすために


使っていたであろう


自動システムに乗り下りると


そこにはなぜか部屋数よりも多い


小さなドアがいくつもあって


住民がそれぞれに物置として


使っているようなのだけれど


不動産屋さんも初めてのようで


「薄気味悪いですね」とささやき


パートナーも


「早く出た方がいいんじゃない」といい


私も怖くなり


「何かでそうだよね」と言いた瞬間


急にどこかのドアがバタンと閉まり


不動産屋さんが「やばいですよ!出ましょう」と


言葉を終わるか終らないくらいに


急に自動システムが勝手に上にあがって行き


私たちは地下の物置に閉じ込められた形に


なってしまったの


不動産屋さんはあわててボタンを押したのだけれど


なぜか動かず


3人で怖がっていたの


なぜか私は恐怖が強くなると


自分でもおかしな行動をする所がって


その時大きな声で


「私たちはあなたたちの邪魔はしない


でも私たちに危害を加えたら


絶対に許さない」と


叫んでいたの


私はあまりの恐怖で


その思いを通り越してしまうと


急に怒りの方が強くなる習性をもっているの


真っ暗で湿気でしずくが落ちる音が響く


地下の物置は


今思いだしても怖いの


それから数分たってやっと


自動システムが動き出し


私たちは外に出る事ができたの


そのあとも不動産屋さんは怖がっていて


「さっきの何だったんでしょうね


あんなこと初めてですよ」と


表現していたの


その時の事を


パートナーと良く分析するのだけれど


その当時暮らしている場所が


なぜか私たちに引っ越しをさせないでおこうとする


見えない力を感じていたの


理由はわからないのだけれど


だからあえてそういう物件ばかりを


提示するよう


周りに働きかけていたり・・・


まともな物件は予想を超える


予算を超えたものばかりだったので


何カ月も躊躇していたのだけれど


急にパートナーも私も


見えない力の妨害に


意地になり


ちょっと背伸びをした物件へと


移り住んだの


そして不思議なのは


初めに担当してくれた不動産屋さんが


あれほど色々と物件を探し


電話をくれていたのに


決まったとたん


教えたわけでもないのに


一度も電話がなくなったの


そして気になったので


名刺に書かれていた電話番号に電話をすると


退社したという事を聞き


パートナーに伝えると


「何かあの人変なものついていた気がする


霊感はないけど


感じたもん


そういう人いるんだなって





初めから何か怖かった」と


伝えてくれたの


確かに今思えば


生気を感じない人ではあったけど


私は自分がこうしたいと思うと


不都合な事を見ないようにし


見えなくなってしまう所があるから


きっと気づかなかったのかなって


感じていたの


人にはその時だけなのか


ずっとなのかは分からないけれど


様々なエネルギー隊が重なり


そのエネルギー体が時に


自分よりも力を強め


あらゆることに影響を及ぼす事も


あるのかなって


感じていたの









私にとってアクセサリーは


装飾品というよりは


自分を守る


プロテクターのようなものになっていて


身につけていないと


落ち着かないの


以前友人が信頼する


精神世界に通じる方のアドバイスで


私はブレスレットを右につける方が良いと


伝えられ


身につけていた事もあったのだけれど


いつの間にか


左につけるようになっていたの


きっとその方は意味があって


その様にアドバイスをしてくださったのだと


思うのだけれど


私って周りに映る印象と


実際の私にはとても大きなギャップがあるから


感じたまま


アドバイスをしてくれたのだと思うの


周りの方によく伝えられるのは


私は自信に満ち溢れ


迷う事のない竹を割ったような人だという


印象のようなのだけれど


本当の私はそんな事はなく


いつも小さな事に怯え


人の影響を受けやすく


自分でも驚くほど単純で


見聞きしたことが強く残るので


何気なく見聞きすることにも


気をつけているくらいなの


本来周りの印象からすると


周りに影響を与える存在だから


右にブレスレットを身につける事が


フィットしていると思うのだけれど


本当の私は周りから届けられるあらゆることに


影響を受けやすく


自分を保てなくなってしまう所があるから


私に入ってくる前に


よいものとそうではないものを


自然に選択し受け取れるように


左に身につける方が


本当はフィットしていると思うの


通常エネルギーは左手から入り


秘儀手から出て行く流れだから


何か人に伝える仕事の方などは


浄化されたエネルギーの上に


言葉だったり音楽だったり


様々な表現方法を重ねる事が多いから


右手に身につける事で


自分が伝えたい以上のパワーと表現力が備わり


自分をサポートしてくれるように思うの


そして左は


あらゆる場面で


人と思いを重ね


共鳴しやすく


人と多くで会う方には有効で


人と会うとつい


自分の事ではない事であっても


相手の今の気持ちや思いと共鳴したりしやすく


時にはその影響で


一人になってからでも


まるでその人にでもなったかのように


思いが残るような方にとっては


自分自身を守るためにも


そして目の前にいる方に


最もフィットした言葉を手渡す時にも


相手から手渡された思いを浄化し


ある意味で循環しあうのに


とても大きな働きをしてくれるように思うの


そしてイヤリングやピアスなどは


脳に近く


耳から入ってくる言葉で


信号を全身に送り


それに心身が反応するダイレクトな場所だから


できるだけよい言霊だけに


ふれていたいけれど


社会の中では


様々なタイプの方がいたり


見聞きするニュースなどもあるから


選ぶ事は難しいと感じる時に


とても良いと思うの


身体の中を通る前に


自分の意識できない範囲で


言葉を浄化し


自分にとって良い方に


変換し納める助けをしてくれたり


よい意味で忘れる・想い出せないという形で


不必要なエネルギーを持っているものを


長く深く納めないように


力を貸してくれるように感じているの


そしてネックレスなどは


総合的役割を担ってくれるもののように感じていて


大きな勇気と自信を育めるように


様々な角度から整えてくれて


いつも思うのは


古代からヒーラーやマスターと言われる人が


ネックレスなどの


パワーあるものを首に身につけているのも


わかる気がしているの


私の場合


ネックレスは日常的には


身につけてはいなくって


どうしても力を貸してほしい時や


祈りの時など


自分の内側に関するエネルギーに関わる時に


用いる事が多いの


ブレスレットは


お風呂や海やプールに入る以外は


身につけていて


新月の1日に前から浄化とパワー充電のために


水晶のクラスターの上に


置いているの


そしてそれでもまだパワーが弱く感じる時には


満月の日に月の光を吸収するために


窓辺に並べて


パワー充電をしているの


石とのお付き合いは


人によって様々だと思うのだけれど


ただただ美しさを愛でるだけでも


石にはその波動は伝わり


パワーが強まり


益々持ち主を感動させてくれる


新たな輝きを見せてくれる事も


あると思うの


石は人との関係と同じで


相性があるから


その相性を知るのも楽しいと思うの


自分がどんなに好きでも


相性が合わないものもあれば


初めは興味を持てなかった石でも


ふれあう時間が長くなるにつれて


好きになる事もあったり・・・


私は昔


高貴な色で美しいアメジストに


心惹かれた時期がって


アメジストのクラスターを玄関に飾って


いた事がったのだけれど


ある時ふっと見ると


欠けて落ちた石のかけらがいくつもあって


不思議な思いと悲しい思いに


包まれた事がったの


そこに飾ってから一度もふれていないのに


なぜ欠けたのかも不思議で


毎日見るようになったの


そうしたら日に日に


買った時にはあった輝きが消え


色までも変わってきたの


その時このままでは何となく


あまりにもかわいそうで


友人にその話をすると


友人は石を持った事はないけれど


是非と言ってくれて


友人のおうちに嫁いでいったの


それから見る見る美しい輝きと色が蘇り


ある時には内側に虹色に


ヒビから生まれるインクルージョンが


現れてきたりして


石が友人の元にいる事を喜んでいるのを


とても感じたの


その時ふっと


なぜ?私は自分と相性の良くないものを


わざわざ招き入れたのだろうって


考えていたの


そうしたら答えはすぐにやってきたの


石は地球が何千年もかかって


育んだエネルギーを形にしたもので


昔から石が持つ人を選ぶと言われているから


もしかしたら


石は初めから友人の元に来る事を選んでいて


石と元々縁のない友人の元に行くには


石に興味があり


日頃から石を手にする機会が多い


私を通して辿りつこうとしたのかなって


感じていたの


石はただの物質ではないから


様々な形で人を動かす力を秘めていると思うから・・・


石はエネルギーの記憶もできるから


素晴らしい場所・パワースポットなどに


一緒に連れて行ってあげると


その時のエネルギーを記憶して


その後も癒しとパワーを


与えてくれると思うの


ただ石を浄化知ると


新たなパワーを納められるように


クリアになるので


石から強くパワーを感じられたり


今現在


希望通り物事が運んでいる時には


わざわざ定期的な浄化や充電は


する必要はないんじゃないかなって


感じているの


まだ持ち主と出会っていない石たちが


赤い糸で結ばれた相手の元に


辿りつく日を待って


山の中で長い時間を経て


出会える日を夢見ていたり


どこかのお店で偶然に見つけてくれるのを


待っていたり


そうかと思えば


何気なくプレゼントと言う形で


自分の元に辿りついたり・・・


そして縁のない所からは


突然姿を消したり・・・


言葉を持たない石は


様々な形で私たちにささやき


かけていると思うの












私たちは時々


誰よりも無意識に自分に厳しく


誰に強制されたわけでも


批判されたわけでもないのに


自分にあらゆる事を強制し


安らぎの時間を


手放してしまう事が


あるんじゃないかなって


感じているの


たとえば


何気なく明日の予定を


何となく軽い気持ちでイメージし


次の日


特に予定を変更するような事は


何もなく


ただ気分が優れなく


前の日にイメージした通りの


流れにならなかった時


まぁ~いっかって


思えるならば問題はないのだけれど


一生懸命に人生を


無意識に頑張りすぎている方は


ほんのわずかであっても


自分がイメージする自分への理想が高く


その理想に日々自分が重ならないと


「何で自分は・・・」って


つい自分を責めてしまったりして


今と言う瞬間を


台無しにしてしまう事も


あるんじゃないかなって


思うの


別に心のままに


臨機応変に生きる事は


問題どころか


とても大切な事で


心があらゆるものから


自分を守ってくれる事も多く


頑張りすぎてしまう方にとっては


つい無視しがちだから


気分が優れない事は


怠け者なのでもないし


特に言い訳を考え表現する必要も


ないと思うの


私事なのだけれど


私は自分が思っている以上に


暑さが苦手で


私が暮らす北海道では


25度過ぎると暑さを感じる方も多く


今年は暑く感じる日が多く


私は日々フィットネスクラブに


足を運んでいるのだけれど


夏になると


驚くほどお休みする日が増えるの


数年前ならば


せっかく入会しているのに・・・から始まり


私って自分で決めた事さえ


やり遂げられなくって・・・と


どんなに気分が過ぎれなかったり


体調が優れなかった時でも


無理して足を運んでいた事も


多かったの


でもそんな時は運動によっての


リフレッシュで気分は整うのだけれど


その後


体調は足を運ぶ前よりも


優れず


最終的には体調の波動が


心にまで広がってきて


足を運ぶ前よりも


色々と問題が出てきたり・・・


なぜフィットネスクラブに


通っているのかと言えば


心身のコンディションを整え


人生をより豊かにするため


だったはずなのに


変に頑張りすぎて


お休みする勇気を持てなくなっていたの


そんな時


ふっと病と寄り添っていた時期の自分を


ふっと思いだした時があって


その頃は


女性だけが人生の定められた時期だけ


与えられている


毎月訪れる


その時には


痛みが訪れる前に予知して


薬を飲まないと


痛みを感じてからでは


薬が効きにくく時間もかかるので


3時間おきに目覚ましをかけ


寝ぼけたまま


薬を飲む時間が長くあったので


その当時は


個の痛みから解放されるならば


何も望まないと思うくらいだった事を


想い出し


今は痛みから解放され


自由に過ごせる幸せに包まれているのに


その事に感謝する事を忘れ


せっかくの自由を喜ぶ事も


忘れていたなって感じ


それからは


自由を満喫する事を


自分に許し


暑さに弱い私は


夏の時期


フィットネスクラブに足を運ぶ事が


少なくなっても


自分を責めずに


その時したいなって思う事が


少しずつできるように


なっているの


私たち日本人の多くは


自分では意識していなくっても


自分がイメージする自分という枠に


自分を無理にはめようと


してしまう事もあって


その無理から


心に小さなダメージが生まれ


その心のダメージを無意識に修復しようと


心の病から


摂食障害や依存症などと寄り添い


今度はその事に悩み心が注がれ


それによって根本的な問題を


見つめる事もなくなり


ゆがんだ形で


自分が定めた理想の自分という枠に


自分をはめる事に


努力を続けられている方も


いると思うの


でも私たちが描く


理想的な自分になれたとしても


それが必ずしも自分が望む


幸せと繋がっているとも


限らないと思うの


私たちが様々な事に努力し続けているのは


歩幅や形は違っていても


幸せになりたいという思いからだと


思うのだけれど


幸せって心が感じる感覚だから


どんなにあらゆるものに満たされたとしても


心が幸せを感じられなければ


永遠に幸せとは巡り合えないと思うの


本当は私たちの内側には


人から見つめて


ささやかな事であっても


至福を感じられる能力があって


日々ふっと溢れる笑顔によって


無意識に心に栄養を与えていると思うの


でもそれはあまりにも


小さくささやか過ぎて


そのふっと生まれる時間が


幸せの種だとは


気づいていないだけだと思うの


人生ってとっても不思議で


楽しんでいたり


喜んでいる時って


自分の力以上の力が発揮出来たり


時には予想もしない


更なる喜び事が運ばれてきたりと


黙々と努力するだけでは


得られない不思議な法則も秘められているから


私たちが意識的に


努力をしなければならないのは


物理的なものばかりではない


どんな場面でも


心で楽しむ・喜ぶという事なんじゃ


ないかなって


感じているの










私たちは時々


運という瞳には映らないものを


言葉では表現できない


感覚的な能力によって感じとり


運の流れがあまり思い描いた


流れではないと感じると


運を向上させてくれる


自分が知っているあらゆる方法を


行うと思うの


でもすぐには思い描いた結果にならないと


益々心は焦り


でも反比例するように


何を行っても結果ができない事で


あきらめから


無気力になったり・・・


私がいつも感じているのは


運というものは


貯金のようなもので


運の流れが良い時には


たまたま自分が今まで積んできた


運の貯金をおろせる時期であって


おろせる時期が巡ってくるのは


運を貯める時期を過ごしてきたからだと


思うの


よく私たちは人間関係の中で


無意識に小さな損得を感じ


わかりやすい形で得を感じると


とてもうれしく喜びを感じ


その逆に誰かのために


時間や知恵を使ったのに


それに見合ったもの


(感謝の言葉・物質)を


受け取れないと何となく


自分だけが損をしたような


なんとも言葉に表現できない


モヤモヤとした怒りさえ


生まれる事があるけれど


人生の運というものを重ねて見つめて見ると


誰かのために時間や知恵を使い


様々なものを手渡し


たとえ何も受け取れなかったように映っても


運という瞳には映らない次元では


大きなものを受け取っているんじゃないかなって


感じているの


運って物事がうまく流れていない時ほど


未来のために運の貯金をできる時期で


見る角度を変えると


本当は人生で


とっても大切な時期なんじゃないかなって


感じているの


そんな時にどうせ何をしても意味がないしって


何もせず


過ごしてしまうのは


とてももったいないことだと思うの


この時期は運を貯蓄する時期だから


運の向上をすぐに望み


結果が現れるかどうかを


あまり気にしない方がいいと思うの


運って字のごとく


風のように運ばれてきて


そして季節のように


人生の中で巡り


その時のタイミングで


泣いたり笑ったり


何かに気づき学び


人生を飽きることなく


過ごせているんだと思うの


運は何もなく天から降り注ぐものではなく


運の良さを感じる時には


偶然でもたまたまでもなく


ある意味でその方自身の


実力なのだと思うの


ただその運はずっと


留まっているものではないから


運をよく感じないと感じる時には


焦る事もないし


自分の何がいけないんだろうって


考えすぎて


自分を責める事もないと思うの


運の流れが良い時には


何も意識せずに


まるで音楽のように心躍り


出会う方にも自然に


笑顔で愛を手渡していたり


時には嫌な出来事さえ


心に残すことなく流せる難しい事が


自然にできるけれど


逆に


何をしてもうまくゆかないと感じている時には


あらゆることに必要以上に


過敏に反応してしまい


自分の抱えた不安や焦りから


解放されたい思いから


無意識に小さな出来事に


いつまでもこだわってしまったり・・・


とっても難しい事ではあるけれど


あまりよい流れではない時ほど


運がどんどん貯蓄される事を思い


瞳に映る損得で測ることを手放し


自分が感じる


よい行いをしてみるのも


よいと思うの


たとえばあえて誰かのために


大切な時間や労力を使ってみたり


風水的な知恵を実践してみたり


パワースポットに足を運んだり・・・


どんな事でも


即効性を求めるのではなく


運を受け取り


ためるために・・・








私って驚くほど単純なのに


自分が納得するまでは


あれこれと様々な角度で


時にはとってもひねくれた流れを


通ってからじゃないと


前に進めない事も


多いの


その中でも長い間


私の中で頭では理解しているのに


心から納得できなかった事があって


それは物事をよい方向に考えると


そのようになるとか


自分の考え方を変えると


幸せになれるという事なの


中学生くらいの時


その様な知恵を知ったのだけれど


私の中ではそれって


自分の気持ちを変えるだけで


実際には何も変わらないんじゃないのかなって


思っていて


気休めに近い感覚のように


ずっと思っていたの


でもある時


パートナーがコーヒーを入れてくれて


いつものように飲んでいた時


パートナーが「なんかおかしいと思わない?」と


尋ねてきたの


私は何のことかわからないまま飲んでいると


パートナーが「それってコーヒーじゃないよ」と


表現したとたん


私は今まで何の違和感もなく飲んでいたものが


急にコーヒー味から


ほうじ茶の味に変わったの


その時私の中で長い間


疑問を感じていた事の


意味がわかったような気がしたの


自分の心が思い込んでいるように


全てが見えるから


気持ちを変えると全ての見え方が変わって


今まで流れていた現実は


何も変わっていないはずなのに


不思議と自分の思い込んでいる


思いにフィットしたものが


見えるようになるのかなって


感じたの


たとえば人間関係の中で


ある人の事を好意的に思えないでいる時には


無意識にその人のよくない部分を探し


時にはよいものを手渡してくれたとしても


それはたまたまだって思ったり


何かあるのかなって


絶対にその方を


自分が思っているような人だと


思う事で


自分の思いの正しさを


確認してしまう事も


あると思うの


その逆に自分が好意的に


思っている方に対しては


どんな表現も行動も


すべてよい方向に見えてきたり・・・


私が昔親しくしていた


女性と話している時


その女性がふっと


「人の人生は映写機で映しだしているものを


見ているだけで


その映写機から映し出される映像は


自分が宇宙に送り出した


イメージとか思いなんだって


だから現実にその映像が下りてくる前に


無意識に送る自分の考えや思いに


気をつけなきゃだめなんだって」って


教えてもらった事があったの


それから単純な私は


自分がふっと考える事


何気なくイメージする事などに


あまりにも過敏になりすぎて


ちょっぴり疲れてしまった事もあったの


それはきっと


自分が思っている以上に


日々自分が望まない事を考えていたり


表現していたからなんじゃないかなって


感じていたの


たとえどんなに前向きな方であっても


人生を歩む中では


人間だけが秘めている未来の予測できる


危険回避のために考える時間が


備わっているから


その様な時間が長かったり


あまりにもリアルにイメージし


そのイメージに心まで重ねてしまうと


その思いは望んでいることと


そうではない事を判断できない


宇宙はすべてを望んでいると判断して


それを現実の世界に


映しだしているのかなって


感じていたの


現代に生きる私たちには


自分が経験を通さずに


様々な知恵を授かっていて


よい事・望む事をイメージすると


その物事を引き寄せるという知恵を


知っていて


意識的にその事をイメージし


日々のライフスタイルの中に


頑張って前向きに過ごそうと


されている方も多く


それなのになかなか望む形が整わず


不思議な感覚の中で


受け取った知恵を


実践し過ごされている方も


いると思うの


私の知り合いの中にも


とても努力されていて


あらゆる能力に恵まれ


逆にその方が望む成功に


到達できない事の方が不思議に


映る方がいるのだけれど


その方はまっすぐな性格で


自分だけではなく


周りにも自分が実践している


前向きに過ごすという知恵を


よかれと思い手渡そうとしているのだけれど


時にそれが人から自然に溢れる


表現の自由や学びのペースを


許せず無意識に否定してしまい


彼女が本来唱えている


前向きなものとは


真逆の流れになっている事も


よくあるの


そのたびに本当の意味での前向きさって


難しいなって


感じていたの


何でもかんでもYESというのが


前向きなのかと言えば


そうではない事もあったり・・・


何でも受け入れているように映っていても


ただ自分の意見を表現して


嫌われてしまう事を


怖れていて


納得せずに相手を優先しているだけで


一人になると


そんな自分を愛せなくなっていたり


相手のせいにしていたりする事もあるから・・・


前向きの捉え方も様々だと思うの


不思議なもので


意識すればするほど


自然な自分の良さから


離れて行く事もあると思うの


私が感じている前向きさって


言葉だけにこだわるものではなく


一見ネガティブに映るかもしれないけれど


無理に自分を変えることよりも


ありのままの自分を愛し


その秘めた個性にフィットした


どんなに小さな幸せを


受けとっても


感謝できる気持ちがある事かなって


感じているの










私たち人間の人生は


一見あらゆる場面で数字として平均値が


伝えられているけれど


その平均の枠にはまっていなければ


何だか自分が人よりも劣っているような


錯覚に包まれたり


不安になったり・・・


時にはがっかりしたり・・・


この間何かのデーターで


40代で結婚できる確率は1%くらいにまで


少ない確率だという事を見たのだけれど


私個人的には


本当にそうなのかなって


とても疑問が多いの


私の小さな世界の中では


40代になって結婚された方が多く


ある意味でその年代からの結婚は


離婚も少なく


理想的に映る事もあるの


女性の人生は母親になれる


可能席を秘めた時期を超えると


今までの不安や迷いも消えて


若い頃よりも


自分らしく輝ける時間を


過ごされている方も


多いように思うの


社会の中では表現は控えているけれど


女性の価値は年齢と共に


少なくなってくるのは


単に


未来に命のバトンが手渡せる可能性に


割合を計っているだけで


その部分にこだわりを


持たない方にとっては


いくつになっても


女性に対して感じる


魅力の価値基準は変わらないし


変わらないどころか


若い年代では理解できない事や


許す気持ちなどが育まれていて


あえて


成熟した女性を好まれる方も


多くいると思うの


美しさはすべてを超越できるくらいの


力を持ってはいるけれど


人間は最終的に


心や魂という


計りきれないものを秘めているから


心通い合う感覚が


美を超越する事も


多いと思うの


たとえば自分の周りの


親しく繋がりあっている方や


両親などは


どんなに年を重ね映る姿が変化し


社会で表現される価値がないとしても


繋がりあう方にとっては


誰かと変える事ができないくらい


計る事のできない


大切な価値ある人だと思うの


今の世の中はアンチエイジングが


ライフスタイルの中で


当たり前のように溶けあっていて


多くの方が実際の年齢よりも


若く美しく


時には医療的な進歩によって


瞳に映る老化のスピードを


送らせることができていると思うの


この間何かの記事で読んだのだけれど


映画監督さんたちが


最近とても困っている事があって


それはハリウッドの女優さんたちは


誰もかれも医療的な施術によって


シワやしみもなく


若々しく美しさを保つ事によって


女優さんたちが30代~40代に見える容姿で


もっと年齢を重ねた


重厚な年代を演じられる女優さんがいなく


よい作品を作る事ができない話を


されていたの


それを見つめながら


日本でもその様な流れはあるけれど


美しさよりもストーリーのリアリティーを


大切にされている女優さんも多く


過剰な美容施術をされている方は


少ないと思うの


最近何となくテレビを見ていた時に


ある方の出演しているドラマを見た時


何となくほっとした感覚を


感じた事があって


なんでだろうって思い考えていたのだけれど


それはきっと


最近メディアに出演されている方は


周りにはいないような


ちょっぴり不自然な美しさの方が多く


たまたま見たその方は


年齢相応で


表情が動くたびに


自然にできるしわなどが


ある意味で人間的な魅力を感じ


ホッとしたのかなって


感じていたの


ただインターネットなどでは


自然であればあるほど


人工的な美に慣れてきている人にとっては


劣化したなどの表現が


されたりするけれど


本来年齢を重ねるという事は


変化して当たり前で


たとえシワもシミもなく


美しさに溢れていたとしても


本当に若い方と並べばやはり年齢相応だし


若く見えるのと


魅力的なのはまた別な事のように


感じていたの


私が足を運びフィットネスでは


年齢に関係なく


美容や健康を意識し過ごされている方も多く


中には美容施術をされているのかなって


思われる方もいたり・・・


私自身も元々秘めている


容姿のコンプレックスにプラス


年齢的なもので急に感じる


様々な変化によって


ちょっぴり心が曇る事もあって


美容施術などの事をあれこれと


調べた事もあったのだけれど


フィットネスクラブで会う


たぶん美容施術を受けられているであろう方を


見るたびに


やっぱりこのままでいいかなって


思う事が多くなったの


その方は顔のあちらこちらに


筋肉の動きを弱める施術をされているのか


どんなお話をしても無表情で


声のトーンでその方の表情を


読み取る事をみなさんされているのを見て


その事でたとえシワができなくっても


魅力的には感じられないの


かと思えば


シワやしみは年齢相応にあるけれど


嬉しい時には表情豊かに笑い


「わ~またシワができちゃう」って


笑うたびに両手で顔を抑え


気にされている方が


私にはとても魅力的に映ったの


その小さな体験から


教えられた気がしたの


私も少し過敏に自分の事を気にする


部分があるけれど


自分が思っているのと


周りに映る魅力はまだ別だったり・・・


それからは若く映る事を意識するというよりも


その年齢に応じた


きれさを保ちながら


年齢を重ねて行けたらいいなって


思っているの


美意識って人それぞれで


私の周りでは健康をベースに


女性としてというよりは


人間的な魅力溢れる人に


思いを寄せているせいなのか


マラソンやアウトドアレジャーなどを


楽しまれている方が多く


その方たちが表現するには


「しみとシワは気になるけど


だからってこんないい季節に


部屋にこもってまで


美白でいたいとは思わないな~


人生を楽しむ事をやめてまで


見た目の美しさはいらないかな


まあ私が女優やモデルなら別だけど(笑)」と


表現する方も多いの


友人たちは小麦色にきれいに焼けた肌で


見ている私まで元気に


してくれるの