2013年7月





私の周りには


とっても時間の使い方が上手で


24時間を有効に使い


充実した毎日を過ごしている方が多く


話を聞くたびについ


「私って・・・」って


人と比べては


自分のスローペースな部分に


コンプレックスを感じる事があって


私の周りはたぶん


1時間単位で予定を立てていて


その時々したい事


しなければならない事をこなし


1日を大事に


過ごしていると思うのだけれど


私の場合は


1週間単位で物事の予定を立てていても


あわててしまうくらいなの


気持ちはせっかちなのだけれど


行動がスローで


そんなフィットしない


自分の性質が好きになれなかったり・・・


でもよく神様は何か意味があって


私の中にその様な部分を


宿してくれたんじゃないかなって思うと


なぜだろって


深く長く自分に問いかけてみたの


初めはまるで私の問いが


届いていないかのように


何の答えも受け取れなかったの


そんな時たまたま友人にランチに誘われて


話す機会があった時


もしかしたら神様が友人の肉体を通して


何か答えをくれたらいいなって思い


私が受け入れがたい自分のスローな行動について


話してみたの


そうすると友人は


「え~私は逆でせっかちにせわしなく動いているけど


結局時間に流されているだけで


振りかえると


何も心に残る事がないから


一日を満たしているというよりは


時間に追われているだけだと思うよ


たぶんさ~ちゃんは


人生の1コマ1コマを


毎日ゆっくり大事に過ごしているから


人よりもたくさんの事が


出来ていないように感じるけど


結局人生を満たせているかどうかは


予定をいっぱいこなす事では


ないと思うよ


ゆっくりしていて何も問題がないなら


いいんじゃない?


私の方がその様な要素を


少し分けてもらいたいよ(笑)」と


伝えてくれたの


その言葉を聞きながら


私が気づかずに誤解していた部分を


気づかせてもらった気がしたの


私は流れる時間の中で


何もしない事に


持つ必要のない罪悪感が湧きあがり


無理に何かしなくっちゃって思いながらも


心惹かれる事があると


その事に長い時間注いでしまう所があるから


器用に気持ちを切り替えて


たくさんの事が出来ないのだから


それはそれで


私の歩み方なのかなって


とても納得できたの


そして自分が好きになれない部分は


実は自分が気づいていないだけで


自分の人生を豊かにしてくれている事も


あるんじゃないかなって


感じていたの


たとえば


自分の気持ちを伝える事が苦手で


つい周りの人が望む事を優先してしまう事も


とってもそんな自分が好きになれなかったり


時には自分の人生が


自分の意志とは違う


他者に委ねられているような


不安定な感覚に包まれていたりもするのだけれど


人生を振り返ってみると


自分が好きになれない


そんな部分があったおかげで


今思えば自分ならば選択しない体験を


たくさん経験できていたりして


人生を色鮮やかにしてくれた


とても大事な要素になっているようにも


思うの


きっと


自分の中で納得できない特徴や


受け入れがたい個性は


見る角度を変えて見ると


実は自分が好ましく思う部分よりも


自分の人生を豊かにしてくれている事も


あるんじゃないかなって


感じていたの


常々思っていることだけれど


完璧な神様が創造した人間は


私たちの計りしれないレベルで


必要があってあらゆるものを宿し


様々な出来事を人生にちりばめて


くれているんじゃないかなって思うと


きっと自分が好きになれない


自分の特徴や個性も


大事な意味があって


備えてくれているんじゃないかなって


感じているの










私たちは


何かを選び取る時


つい過去の記憶に臆病になってしまい


新たな選択をしずらかったり


自分の経験が


全てになってしまう事があるけれど


よ~く考えて見ると


過去の自分と今の自分は


あきらかに変化しているし


環境や状況も違うのだから


過去と重なる同じような出来事が運ばれてきても


同じ結果を導き出す方が難しく


同じ選択をしても結果は違うのだから


今の自分が選び取るものが


今の自分はもっともフィットした


必要なものとなる事が


多いと思うの


でもつい怖れから


過去の記憶を紐解き


こうなった時は・・・って


一度経験した道を安全だと思い込んで


選び取ることがあると思うの


私たちは自分をより安全に


自分の人生を続けるために


色々考えながらも


逆に自分が最も望んでいない


結果を導きだしてしまう事もああったり・・・


たとえば人間関係でも


こうしたらこうなってしまう・・・って


予想しても


相手も変わるし


相手も心のお天気によっても


まるで受け止め方が違うから


全ての人に好感を持ってもらえる事の方が


少ないんじゃないかなって


思うの


私の周りでも様々なタイプの方がいて


たとえば


自分が入院した時


心配してお見舞いに来てくれる事を


望まれる方もいれば


自分が元気ではない顔を見せたくないから


誰にも知らせない方もいたり・・・


そして友人たちも


形にこだわりお見舞いに伺いながらも


帰ってくると


時間を作り頑張って行った自分に


疲労した話をする人もいたり


かと思うと


自分がお見舞いに行けば


相手が気疲れする事を考え


あえて行かない人もいたり・・・


ただどちらの場合も


互いの相性のようなものによって


受け止め方も違ってくると思うの


私が数年前に病で入院した時には


パートナー以外


誰一人お見舞いには来なかったのだけれど


私の場合は


その深い気遣いがありがたかったの


親友はちゃんと気にかけている事を


伝えるためなのか


「今日は雨が降っているから


行かないけど


退院したら


盛大にお祝いしようね」って


メールをくれて


私はそのメッセージを読みながら


自分をよく見せるためにあれこれと


表現する事もなく


あえて自分のきまぐれのように装いながらも


長い間付き合いのある私が


どうして欲しいのかを


考えてくれているのを


わかって


そうしてくれたのを


とても感じた事があったの


人によっては自分が大変な時に


来てくれないなんてって


思われる方もいるかもしれないけれど


私の場合は


おめでたい事での入院ではなく


女性にとってはちょっぴり


複雑でデリケートな事での


入院だったから


私には気づかれないような気遣いを


周りの人たちがしてくれたと


感じているの


瞳には映らない心は


周りにもそして時には


自分でも


わからない事が多いけれど


何気ない日々運ばれてくる時間の中で


心の痛みを秘めている方は


その心の痛みをかたときでも忘れ


自分を楽にしてあげたいと


無意識な防衛本能から


自分にとってまるで関係のない


誰かの噂話や


人のトラブルに巻き込まれたりしながら


自分の心の傷にふれずにいられる時間を


作ってしまうと思う事も


あると思うのの


私たちは大人になるにつれて


高度な技で自分の気持ちや感情を


悟られずに装う事ができるけれど


自分にはうそはつけず


本当に辛い事は言葉に


できなかったりすると


思うの


人生を


長く歩んできた方ならば


何かしら忘れたい事や


言葉に出して表現できない記憶を


持ちながら


それが人を思いやる種となっていたり


良い意味で立ち止まり


考えるための


機会を与えてくれている事も


あるんじゃないかなって


感じているの








よーくオーラって


どんなものなのだろうって


考える事があるのだけれど


確かに瞳には映らないけれど


オーラというものはあって


それは


まるでスクリーンのように


その方の個性や人生を映していて


それを私たちは自分に備わった


魂や心の瞳で感じとりながら


その方に魅力を感じたり


深いご縁を繋いだりしているのかなって


感じているの


天界の世界を卒業し


次のステージとして地上へ送られ


まだ地上での生活が


短ければ短いほど


オーラの光が強く輝き


そのオーラが人を引き寄せ


自分の人生の力となってもらえる


機会も多く


本当に恵まれている事を


実感されてきた方も多いとは


思うのだけれど


地上でのライフスタイルが進んでくると


備わっていたオーラの輝きは


やわらかくほのかな光となってきて


その方それぞれの色や光の強さに


調整されて


ゆくように


感じているの


年を重ねるごとに本来ならば


光が弱くなってゆくはずなのに


その逆に


光増してゆくように感じる方もいて


その多くは


何かを成し遂げた方だけが持つ


オーラが重なってきたりして


若い頃と変わらない


オーラの輝きを持たれる方もいたり・・・


そしてオーラが輝き素敵だなって


感じる方のライフスタイルを伺うと


無意識なのだろうけれど


運を上げる行動や言動が多かったり・・・


そして


意識はしていないとは思うのだけれど


運を授けてくれそうな人に


何気なく話しかけていたり・・・


オーラを輝かせてくれるような事が


何気ない時間の中に


ちりばめられているの


そして何か目的・目標という


先を歩む理由や意味を持つ人たちも


オーラに光を注いでいて


ただ漠然と呼吸し


生きている方とは


あきらかに違う輝きを感じるの


私たちは日常とは少し違う


時間の中に行く時には


よく日頃はしないおしゃれをしたり


スキンケアなどをして


少しでも豊かで幸せな自分を


演出する事があるのだけれど


私たちが他者に時々感じるように


瞬間的な取り繕いは


何気なくわかるもので


言葉で語らなくっても


相手がどんなライフスタイルを


送っているのかを


感じとりあうものだと思うの


それは瞳に映るもの以外のものから


何かを感じとっているからだと思うの


良く香りでも


自分が毎日包まれている家の香りは


慣れ過ぎていて気づかないけれど


周りの人からは感じる事が


よくあるけれど


そんな風に


自分では気づかないオーラは


周りにはとても感じるものなのかもって


思うの


謙虚で控えめな方であっても


内なる自信を秘めている方は


行動や言動とは真逆に


オーラの輝きや大きさがあったり


その逆に


自信あふれた言動や行動をしているのに


何となくその方を信頼しきれない


何かを感じたり・・・


そう思うと人って


無意識に日頃から


すご~い能力を意識せずに


当たり前に使っているんだなって


感じているの


私たちは瞬間的に人から


様々なものを読みとる事があるけれど


それは魂やDNAが判断するもので


たとえば初対面の時には


あまりよい印象ではなかったけれど


付き合ううちに


自分が相手を誤解していた事を


感じる事があるけれど


それはきっと


私たち自身が人生を歩む中で


培ってきた


愛の知恵から


生み出した思いだと思うの


魂やDNAが判断するものは


前世からの関係性だったり


先祖代々進化を遂げるために


必要な関係性かどうか


自分とは違う次元で


感じとったりしているんじゃないかなって


感じているの


よくひとめぼれで始まった恋愛は


離婚率が少ないと語られているのも


きっと頭で考えて


繋がりあうものとは違うからなんじゃ


ないかなって


思うの


一見何にも考えず


縁を繋ぐのはどうなのかなって


思うかもしれないけれど


何の確証も持てない事は


何だか不安だけれど


その確証のない自分でも不思議に思う


行動や言動の多くは


何か別の力が働いている事が


あるんじゃないかなって


感じているの


私たちは時に


自分の幸せを自分なりに考えすぎて


好きではないものを


好きだと思い込もうと


必要のない努力をして


本当に自分が求めている


幸せや喜びを


遠ざけている事もあったり・・・


説明のできない感性で感じるものを


大切に人生を歩んでゆく方が


人生がより豊かになる事もある思うの


女性は男性よりも


感覚的感性が豊かで


瞳には映らないものを


受け取る感受性もあるから


瞳には映らないものに敏感で


努力だけでは開かれない


人生の扉を開くために


運を拓くための知恵や知識を


日常の中で


大事にされている方も


多いと思うの


最近流行しているパワースポットや


開運行動なども


女性の感性にとてもフィットしたものだから


多くの方が足を運ばれていると思うの


実際にパワースポットと


呼ばれている場所の多くは


空気が違い


神聖なものを感じる事も多く


そこに立つだけで


あらゆる穢れが洗い流される感じがして


それだけでも


オーラがクリーニングされると思うの


ただ今パワースポットが流行り


観光のために


作り上げたパワースポットもあって


特に効果もなく


効果どころか


災いがある方もいるので


ちゃんと調べて足を運ばれた方が


良いと思うの


よく縁結びに効果のある神社などがあるけれど


縁結びと聞くと


恋愛に心惹かれない人にとっては


あまり関係ないように


思われる方もいるかもしれないけれど


縁は恋愛だけではなく


人や仕事・物質etc


あらゆるものは縁がなければ


出会えないものだから


自分が望む縁を結んでいただくのには


とても良いと思うの


そして神社などに足を運ぶ時って


多くの場合は悩みや願い事があって


足を運ばれると思うのだけれど


そういう時って


波動が高い状態ではない事が多いから


できればパワーストーンや


自分の中で波動の高さを感じるものを


持参してゆくといいと思うの


私が感じているのは


神聖な存在たちと


同じ波動になれなければ


願い事を聞き入れ


サポートしたいと思ってくれていても


近づく事も出来ないように思うの


なので自分の気持ちが曇っていたりしても


持っているもので


整えれば


神聖なものからの


サポートが受けやすいんじゃないかなって


感じているの


そして神聖なものたちは


その場所だけで神妙に祈りをささげる


私たちの姿だけではなく


ここに来る前の過ごし方も


知っているから


やはりその場だけではなく


日頃が大事なんじゃないかなって


感じているの


人生はある意味で平等だから


全てに満たされている人も


全てが欠けている人もいないと思うの


今現在


特に困った事がない方は


願い事よりも


日頃の感謝を伝える方が


より幸せが倍増してゆくから


安易に願い事をしない方が


良いんじゃないかなって


感じているの


私の小さな経験なのだけれど


特に強く願いを伝えたい事がないのだけれど


お天気が良いから


神社へ足を運んだ事があって


その時


ただこうしていられる事に


感謝を伝えたの


そうしたら


数日後から私の周りで


幸せな出来事が


届けられた


友人や知り合いからなぜか報告があって


その時


「何か嬉しい事で


自慢に聞こえたりして


誰も心から喜んでくれないけど


さ~ちゃんは本当に


喜んでくれそうだから


つい電話しちゃった」って


その様なニュアンスで


伝えてくれる方も多くいて


私はその時


自分が大切に思う人たちから


そんな風に思ってもらえている事を


知る事が出来て


本当に本当に


嬉しく幸せな気持ちに包まれたの


その時


自分が意識している幸せの形を


いつも願ったりするけれど


こういう形での幸せもあったんだなって


思うと


神様に委ねてみることも


良いのかもって


思ったの


この間


伊勢神宮へ足を運んだ時には


いくつもあるお社に出会うたびに


日々の感謝と


この場に導いていただけた事への


感謝だけを伝え歩いていたのだけれど


ある一か所だけ


なぜか他とは違う空気感を感じ


願い事を聞き入れてくれるところだと感じたので


私に関わる人たちの幸せと


可能であれば


私のアクセサリーを


受け取ってくださった方たちに


石を通して


様々な豊かな体験を


届けてくださるように


祈ったの


一緒に行った友人は霊感などはないのだけれど


そんな友人でも


感じるものがあったようで


「空気が違ったよね」って


神聖な場所に行った事で感じる


神秘体験から生まれる


未来への期待でいっぱいになっていたの


日本人は


言葉にしない無言の会話があって


それを互いに読み解きあいながら


過ごす事に慣れているから


あらゆるものから無言のささやきを


聞き入れるスペースがあると思うの


だからこそ


神聖な場所に行くと


それだけで心が休まり


癒されるんじゃないかなって


思うの











この間


母と何気ない会話の中で母が


「自分はたいした経験もないし


知識もないんだけど


自分の知っている事とか


大事な事を子供には


伝えておこうと思って


生きてきたんだけど


この年になって感じるんだけど


何にも特別な事がなかった私の人生でも


そこから得た知識とか大事なことって


あんがいあって


生きている間には


伝えきれないんだよね」と


母が表現していたの


その言葉を聞きながら


親になったからこそ


溢れる思いは


きっと年を重ねるごとに


増してゆくものなのかなって


感じていたの


私は親になる経験のプログラムが


人生の中には組み込まれていなかった事もあって


母のような気持ちになる事は


できないので


ずっと母親という位置以外の見方で


女性の人生から感じるものがあって


よく友人たちと語るたびに


「神様はなぜ


全ての女性が望み


大きな自信となっているものを


年を重ねるごとに


ひとつずつ奪ってゆくのだろう


その逆ならば


これほど幸せな事はないのにね」って


話す事がって


その問いにみんなで


正解のない答えを表現しあう事があるの


でも不思議なのは


最終的に年を重ねて行く事の不安を


あれこれと言葉に乗せた事で


晴れない思いも手放せたのか


「でも何だかんだいっても


今が一番いいよね」って言葉に


みんなで納得しちゃうの


言葉では上手に表現できないのだけれど


40代・50代は


とても複雑で微妙な年代で


年を重ねて行く事からの


変化も感じやすく


だからといってあらゆることを


受け入れるには


まだ早く


だからといって若いという年代でもなく


ほんの少し頑張れば


どうにかなるかもって思ってみたり・・・


そういう年代で過ごしている方たちは


それ以外にも


家族というグループでも


年々考えなければならない事が


増えてきていて


なかなか心休まる時間を


意識的に作らなければ


持つ事も難しかったり・・・


でも人間って不思議な部分を秘めていて


今自分の心を曇らせている問題や


これさえ解決したら・・・と思い


日々時間に追われている事を持っている方は


自分が幸せだとは


実感しずらいとは思うのだけれど


実際に問題が全てクリアにできないからこそ


それが


目的を持って毎日を頑張る


原動力になっていたりして・・・


私の母が年を重ね


ある意味で長い間


強く願っていた


何も問題のない人生が訪れてみると


今度は


「子供が小さい時は


早く大きくな~れって


毎日自分の時間が持てる日を

毎日・毎日望んで


子供が思春期で大変な時には


毎日毎日


自分の子育てが


間違っていたんじゃないかって


周りから言われ


自分を責めたり


恥をかく毎日で


早く子供が自立する事を願っていたのに


人間って面白いもんだよね


今思うとあの人生で一番大変だった頃が


自分の人生で一番輝いていた


時代なんだよね


もし戻れるなら


あの大変だった子育ての時期を


また経験したいくらいだもん


あの頃は寝る時間もなく


経済的にも大変だったけど


夢と希望がいっぱいだったの


もし子育てをもう一度できるなら


きっと今度は成功すると思うよ


でも人生は先に進めても


後ろには戻れないんだよね」って


母が表現する事があって


それを聞きながら


その渦中の中にいる時には


心に余裕を持つ事が出来ず


必死で時間に追われている事もあるけれど


人生の後半にたどり着いた時には


良いものと思えない時間や出来事が


人生を色鮮やかにしてくれていたり


自分の精神性を高め


人生をより深く素敵な物語に


してくれていた事を


感じる事もあるのかなって


感じていたの


そう思って人生を受け止めてみると


今思い煩う事は


自分を困らせるために


届けられた問題ではなく


その逆で


それがあるから


自分に備わっている力を


思っている以上に


発揮できていたりもするんじゃないかなって


感じているの









ここ数年


フィットネスクラブに


足を運ぶ機会が増えた事で


様々な人と出会い


何となく会話を交わす方も多くいて


その中でも


他の方よりも


ほんの少し親しくしていた


友人がいたのだけれど


その友人は子育ての中で


時間が空いた時に


通われていたのだけれど


自分のタイミングに合う


リーズナブルなコースがあって


それで通われていたのだけれど


今回その友人にフィットしたコースが


なくなる事になって


退会してしまったの


最後のレッスン後に


まだまだ話したかった私たちは


近くのカフェで話す事にしたの


たぶん無意識なのだろうけれど


お互いに今まで


必要以上に相手に気を遣いすぎていて


よそよそしかったり


無難な会話ばかりを選んで話していた事を


その時感じるくらい


初めてお互いに


心ふれあう会話ができたの


日本人の多くは


自分の生活圏の中では


できるだけハプニングが起きないように


過ごす事がって


楽しい・面白いという感情よりも


無難に波風がないように


気を配る事があると思うの


それが生活圏とは関係ない場所や


人たちとの間では


驚くほど社交的で楽しい会話ができたり・・・


私たち日本人は繊細でそして


先読みする予測的な不安から


こうなったらこうなって・・・って


考えすぎてくると


できるだけ人とは距離を作り


近づきないように


そして笑顔で人と繋がろうと


してしまう事があると思うの


本当は心から信頼し合い


その時最も話したい話題を話しながら


笑顔で付き合える人を望みながら・・・


今回


友人が退会してしまうという事で


友人も本当の自分を表現して


フィットしないと思われたとしても


自分が過ごす生活圏が


脅かされる事もない事から


自然に自分を表現してくれていたと思うの


その友人は私が思っていたよりも


本当は陽気で個性的で面白い人だったの


そして私はフィットネスクラブに通っていた時には


少しよそよそしい事があったので


距離を保ちながら


楽しい時間を過ごす事を


意識していたのだけれど


その日相手も私に対して


同じ思いを持っている事を伝えてくれたり


「私は何をしても続かないから


姉や親から驚かれているほど


続いたのも


さ~ちゃんと会えるのが


楽しみだったからだと思う」って


言ってくれて


その言葉も嬉しさと共に


意外な驚きを感じていたの


なぜなら


スタジオではそんなに話す機会がないほど


運動に集中しているように


私には映っていたから・・・


私たち日本人は


少し過剰なのかなって思うほど


相手の事を考えて


思いや行動を抑える事があるけれど


それがかえって


お互いが望んでいる時間が


過ごせなくなっていたりして


時にはちゃんと言葉で


伝える事も大切なんだなって


とても感じていたの


その友人は社交的で誰とでも仲良くなれる人で


そして何となくキュートで


うらやましい部分もあったのだけれど


その友人にその事を伝えると


そういう風によく周りから


伝えられる事があるたび


自分では違和感があったそうなの


その友人は


「話をする人は子供繋がりのママ友で


深く話す事はないし


個人的な付き合いができる人は


いないよ


だから本当にさ~ちゃんと出会って


この年で友達が出来るなんて


嬉しいんだよね」と伝えてくれて


確かに年齢を重ねると


たとえ多くの方と会ったり囲まれていても


個人的に繋がりあえる友人との縁は


なかなかないものだから


特に女性はお話をする事で


心が満たされる部分があるから


自分が話したい事を


ためらうことなく話せる人は


本当に貴重で大切に


なってくるものだと思うの


結婚されている方ならば


パートナーがいるけれど


パートナーに友人たちと話している会話をしても


半分くらい聞いていなかったりして


余計にイライラしてしまったり(笑)


そんな時


同性の友人って


互いに共感や新たな情報交換などで


心満たしてくれる事も多いと思うの


女性はライフスタイルが違っていても


一個人になれる時間の中では


妻でも母親でもなく


元々この世に誕生した時から秘めている


個性で繋がりあえると思うの


そしてその個性が求めている部分が満たされると


様々な役割・ポジションの自分まで


スムーズに整ってくるもの


なんじゃないかなって


感じているの


女性は年を重ね


容姿も時を重ね時の流れが刻まれ


周りから映る姿は


あらゆることを経験し


もう何も望まず


家族のために人生の大切な時間を


注ぐことだけが幸せな


成熟した大人に映るかもしれないけれど


心の中は20代の頃とそう変わらないくらい


好奇心もあるし


きれいなものを見れば


うっとりする感性豊かな部分もあると思うの


ただその思いを感じる時間を


持てないだけだったり・・・


昔は「らしく」という表現を


年齢を重ねるごとに


半強制的に与えられ


キラキラした心を持っていても


その年代らしく振舞う事を


しなければならずにいたけれど


今の時代は


そのような事も緩和されてきて


逆にらしくない部分が


いい意味でのギャップになって


素敵に映る事もあると思うの


私たち日本人は世界でもまれなほど


人間として進化した


精神性を持っているがゆえに


自分の心のささやきだけに集中できず


無言の周りのささやきまで受け取り


どんな些細場場面であっても


誰一人


傷つかないための選択を


あれこれと考え


それでもどうしてもの時には


相手の思いを優先し


自分が自分を傷つけてしまう事もあるほど


深すぎる間違った愛情表現を


してしまったりしてしまうくらい


無意識に同じ時代


同じ空間で過ごす人を


無意識に思いやる


世界でもまれなほどの


魂の進化を遂げているから


他の国で暮らす人たちには理解しがたい


大変さもあるけれど


繊細な人たちだから感じる


ささやかな神様からの贈り物に


日々感じたり


神様からのメッセージを


無意識に受け取りながら


素晴らしい時間が過ごせていると思うの


日本では無宗教の方が多いのも


私が感じているのは


形のない神様を感覚的に感じる


能力を秘めている方が多く


改めて説法などによって


正しい道を示してもらわなくっても


一人ひとりの中の真実に従い


過ごす事ができるからだと思うの


よく災害などがあるたびに


犯罪的なものが驚くほど少ないのも


私たち日本人の多くは


人が見ているかどうかではなく


人が見ていなくっても


自分の心の中に神々と繋がりあう


真実を通して判断・選択をできるので


世界で起こるような流れには


ならないんじゃないかなって


感じているの


ただ私たちは時々


間違った思い込みがあって


言葉では上手に表現できないのだけれど


あらゆる場面で


人を傷つけてしまうよりも


自分を傷つけてしまう事の方が


罪がないように思いこんでいるけれど


自分と言う存在は


自分が感じている自分以外にも


幾ついもの時代を経て


様々な知恵や経験など様々なものが詰まった


魂のバトンを手渡されて


今自分が感じている自分が


次の時代の人に


また魂のバトンを手渡すまでの間


その前の時代の魂が成し遂げられなかった事を


プラスする事を


託されている事を思うと


私たちは自分を傷つけるという事は


魂のバトンを受け取った


何人もの人生をも否定し


傷つけてしまう事になって


それをよしとしている自分が


次に私たちから魂のバトンを受け取る誰かも


また同じ苦しみを重ね手渡してしまう事に


なってしまうと思うの


そう思うと


自分は自分だけのものではなく


現実的なDNAを分けてくれた


何代も続いた人たちの願いも込められている


存在なのだから・・・


だからこそ自分を大切にする事は


罪悪感を感じる事でもなく


瞳には映らない多くの存在を


大切にすることにも重なるんじゃないかなって


感じているの













私は面白い事に


野球のルール―を


あまり知らないのにもかかわらず


高校野球が大好きで


何年も同じ流れを見ているはずなのに


いつも見るたびに


人生の大切なものに


気づかされる事も多いの


私たち人間は結果にこだわり


結果が思っていた形になれば


今よりももっと自分が輝き


もっともっと人生が満たされるのではないかと


思い過ごしているけれど


本当はそうではなく


いつでも何か希望と目標を持って


その希望と目標に瞳を向けて


進んでいる時が


最も人は輝いているように思うの


学生時代までは


自分が好きならば


どんな事でもチャレンジし


続ける事ができるのだけれど


大人になると好きであっても


多くの人にその能力を認めてもらえないと


続けたくても続けられなかったりして・・・


自分が好きな事が


勝敗に関わる事だと


本当に厳しい部分があったり・・・


高校野球の場合


目指す場所へ辿る着くチャンスは


ほんのわずか数回で


そのために多くの人の中から


レギュラーになる事から始まり


レギュラーになった後も


今度はチームメイトと同じ目標に向けて


数回のチャンスの日のために


毎日毎日練習を重ねていると思うの


私たちが瞳に映すのは


地区予選を勝ち抜き


全国の同じ目標に向け集まった方たちとの


試合の日だけで


見ている方は簡単に


色々な事を表現し


その方たちがここにたどり着くまでの時間を


何も感じることなく


瞳に映す事もあるけれど


これは勝敗がわかりやすい世界に


限ったことではなく


私たちが何気なく暮らす世界の中でもそうで


瞳に映した瞬間だけで


その人を判断したり


悪気なくあれこれと表現する事があるけれど


よく昔から「人には歴史あり」と


表現されているように


どんな方にもそういう部分があると思うの


私たちはこれをしよう!って思った時


はっきりとした目標があって


それが自分が思い描いた通りに


なったかどうかで


その事に注いだ時間が


意味のあるものだったかどうかを


自分の中で計る事があるけれど


それはあくまでも


今現在・瞬間的な判断で


たとえ思い描いた通りにならなかったとしても


それが本当に無意味だったかどうかは


人生の長い流れの中では


まだ真実の答えにたどり着いていない事も


あるんじゃないかなって


よく感じているの


私たちは無意識に人生を


まるでパズルのピースのように細かく見つめ


一つ一つ人合わせながら


たまたま手に取ったピースが


その瞬間重ならなかっただけで


人生の美しい大作が作れなくなったわけでもなく


もう少し時間をおいてみたならば


自分の与えられた人生の大作は


自分が思い描いて予想したものではなく


別の方向で感じる


心満たされ幸せ色の大作だったり・・・


私はよく感じている事なのだけれど


何かを成し遂げられなかった時


努力が足りなかったとか


運がなかったというような表現をされるけれど


私が思うには


多くの方は自分の力以上に


努力をしていると思うの


それが周りからどう映っていたとしても


生きているという事は


一人ひとり


それぞれに頑張っているから


今日と言う日を迎えていると思うの


それでも自分が願う方向に


人生が向かわないのは


その方の人生には


その事がプログラムされていないから


ただそれだけなんじゃないかなって


感じているの


同じスタートで同じような環境であっても


同じような人生の流れにならないのは


人が思いつく原因ばかりではないと思うの


だからもし


人生が自分が思い描くよう流れになっていなく


その事で自分を責めている方がいたならば


もう自分を責めずに


自分の人生を別の角度から


紐解いてみてあげるのも


いいんじゃないかなって


感じているの









この間


友人宅で楽しく会話している時


突然隣の方が尋ねてきて友人に


申し訳なさそうに丁重に


日々のお洗濯を干される時の


柔軟剤のにおいが


お隣の窓辺に流れてくるそうで


具合が悪くなるようで


気をつけてほしい事を


伝えられていたの


それを聞いて友人も私も


驚きながらも


友人は


おだやかに気をつける事を


伝えていたの


それを聞きながら


最近マンションなどで


ベランダで喫煙される方の煙や


においが問題んなっている事が多いと


以前知り合いに聞いた事がった事を


思い出していたの


確かに香りなどには好みがあるから


みんなが心地が良いと


感じるものばかりではないけれど


このような問題はあくまでも


人の流れの変化の一つを


表しているだけなんじゃないかなって


感じているの


私が幼い頃は


あらゆる場所であらゆる匂いが漂っていて


瞬間的に心地が良いかどうかを


感じたりはするけれど


その事にこだわり続けているほど


時間や精神的な余裕がなかったからなのか


気にもせず


日々過ごしていたけれど


今の時代はよい意味でも


繕っていた集合意識から解放され


自己主張が許される時になったからこそ


今までにはなかった問題が


生まれている事もあると思うの


ただ中には


ベースとなっている


最低限の配慮を持たずに


過ごされている方もいて


ランダムにあらゆる人が


学びの場として地球で過ごす中では


あきらかに相手方が非常識であっても


日々顔を合わせ過ごす人たちだからと


我慢ばかりを重ね過ごされている方も


多いと思うの


私自身もお隣さんが個性的な人が多く


え!?って思うような事はよくあって


ある時にはきっとお隣さんがベランダに


ゴミを置いているのか


風が強く吹いた次の日には


うちのベランダがたばこの吸い殻や


カップめんの容器などが


たくさん流れてきていたり


日々の事で言うと


夜遅くまでTVを見ながら大声で


毎日笑っていて


そのたびに何がそんなに楽しいのだろうと


感心してしまうくらいなの(笑)


初めのうちは


相手の非常識さが気になり


イライラしたりして


自分の人生の中にその様な時間が


いっぱいに広がって


辛かった事もあったの


でもそんな気持ちはお隣さんは知らず


毎日毎日


大声で笑い声が響き


引っ越しも考えたのだけれど


そんな時


パートナーが遠い街への


単身赴任や出張が多くなり


引っ越しをする事が難しくなり


ただただ辛い思いでいたのだけれど


場所を変える事もできないという事は


この問題は別の意味があるような


気がしていたの


そんなある時


言葉では上手に表現できないのだけれど


私はこの問題を解決しようと


向き合っているけど


私が向き合わなければならないのは


自分の人生のような気がしたの


そして私は家で過ごすのが好きで


そうする権利もあるのだからという


思いがあったのだけれど


とりあえず


お隣から届く音から


自分を守ってあげるのに


今まで以上にフィットネスクラブに通ったり


外で過ごす時間を増やしていったの


そして風が強く吹いて


ゴミが流れてくる事も


非常ドアの下の隙間に


植物いを置く事で止める事ができたの


初めは何で私がこんな思いをしなければ・・・って


思いがなかったわけではないけれど


どっちにしても


私は私の人生を外からの影響によって


曇らせてしまう事は避けたかったの


そうしてゆくうちに


あらゆる問題がベールのように


重なり見えないようになっていた


一番下にある問題が


ゆっくりと解消されていったの


その問題とは私が病によって


服用していたホルモン剤によって


なかなか戻らなかった体重や体系によって


自分が思い描いている


自分の姿とはかけ離れ


ただそれだけで心から


楽しめなくなっていた部分があったのだけれど


その部分が少しずつ解消されて行く中で


ふっと


自分の心煩わせている問題が


いつも人生の真ん中で一番の問題だと


感じているけれど


本当は問題でも不運でもなく


自分の見つめる角度さえ


変える事ができたならば


人生の良いきっかけとなる


ターニングポイントとして


受け取る事もできるんじゃないかなって


感じていたの


この地球では誰もが学びの場として


ここにいいるから


あらゆるレベルの上下で


いら立ちを感じ合う事などもあるけれど


必ず守らなければならないのは


自分の人生を大切に歩む事を


どんな理由があっても


やめてはいけないんじゃないかなって


感じているの










今の時代は


様々なデータ―ガ新たに出てきて


それに沿って


非の打ちどころがないほど


きちんとしたライフスタイルを


送っている方も多く


きちんとなりきれない私は


いつもそういう方と出会うたびに


意志の強さに尊敬を重ねているの


ただよく感じることなのだけれど


発表されているデータ―は


必ずしも絶対的な正しさから


発表されたものではなく


ある角度から見つかったデーターに過ぎず


また別の方が研究され


別の結果がもたらされる事も多いから


一つのデーターだけを信頼し


受け取ってしまうのはどうなのかなって


感じているの


最近では糖質が老化の原因のように伝えられていて


炭水化物もとらず


今までは美容や身体にも良いと


伝えられていた果物さえも食さず


過ごされている方もいるのだけれど


どうなのかなって感じているの


私の周りには


とても真面目で決めた事は必ず達成する方がいて


その方の食生活はある意味


今はやりの糖質をとらない食生活なのだけれど


いつもちょっとした事にイライラしたり


ストレスを過敏に


感じやすくなっているのを感じるたび


せっかくの努力が


ストレスによってよい効果を


もたらさないのではないかなって


感じたり・・・


私たちはストレスを感じると


あらゆるホルモンを分泌し


身体を守ろうとするけれど


その事が慢性的になると対応しきれず


脳や身体の細胞にダメージを


与えてしまうらしいので


どんなに素晴らしい行いや努力も


過剰にストレスを感じる中では


何もしない時よりも


よくない状態になってしまう事もあるんじゃ


ないのかなって


感じているの


人間は感受性豊かだから


人生を歩む中では


ストレス0と言う事はありえないけれど


ストレスを重くするか軽くするかは


自分の意識で変える事ができるんじゃないかなって


感じているの


この間知り合いとショッピングに行った時


友人は今はやりのチュニックという


少し長めで体系が出ない


ブラウスよりも少し長めで


ワンピースよりも短めのものを着ていて


その様な洋服ばかりを見ていた時


店員さんが友人の事を


ご懐妊だと思い込んでいたようで


その様に話されていた時


友人顔がだんだんと曇り


突然「私太っているだけで


妊娠していませんよ!」と怒り出し


その場から立ち去って行ったの


そのあとも友人はずっと怒っていて


相手の非常識さと配慮のなさに


なかなか怒りが収まらないようだったの


その時私はふっと感じたまま


「でもさ~


妊娠しているって思ったって事は


普通に考えて40代後半には


見えなかったから


あんなに笑顔で


おめでとうっていってたんじゃないの?


私も昔


妊娠可能年齢の時には


ふわっとしたような服を着ていて


妊婦さんと間違われた時


怒りを感じた時もあったけど


今言われたら嬉しいかも」って


表現すると


急に友人の表情が笑顔になっていったの


同じ出来事でも


感じ方でさっきまで不愉快だった事も


喜びに変えられる出来事も


あると思うの


私の母は私が出会った中でも


ナンバーワンじゃないかと言うくらい


ストレスに過敏で


誰も気づかない些細なことでも


ストレスに変えてしまうくらいなの


自分ではどうする事も出来ない


天気が自分の望むものかどうかから始まり


今日はストレスがなく良さそうだなって思うと


わざわざ昔の不快だった思い出を語りだし


自らストレスの中に身を置こうとしているの


人よりもストレスを感じやすい


デリケートな部分があるから


母が表現するように


人生はとっても辛いものと


感じていると思うの


ただ母も初めから


そういう人だったわけではないとは思うの


若い頃は努力をすれば


必ずよい結果がもたらされるという考えの中


実際に自分が思い描く人生を


歩んでいたとは思うの


ただ結婚し本来ならば自分の意志では


繋がりあい出会う事のない人たちと繋がりあい


自分の努力ではどうにもならない事を


多く経験してゆく中で


自分の意志でこうしたいと思う事が


苦しみの始まりだと思い込んでしまったのか


自分からは何も望む事はなくなり


流れのままあきらめの中


長い間人生を過ごしているから


自発的に思う事は


不平不満ばかりになって


しまったんじゃないかなって


感じているの


ただそんな母でも唯一


人生で最も素晴らしかった体験は


母親になれた事で


それはどんな時にも変わらず


時々私を娘だと忘れているのかなっていうくらい


私の前で私の自慢をするの(笑)


でも私が幼い頃は


いっぱいいっぱいだった母も


今でいう虐待のような事もあって


長い間


そのわだかまりは互いになったのだけれど


私が病になってあまりの辛さに


周りへの気遣いにまで


心配りが難しかった頃


母に私は過去のあらゆる出来事から


辛かった気持ちや


こうしてほしかったという思いを伝えた事がって


その時は疎遠になるほど


お互いに思いもよらないほど


傷ついたのだけれど


やはりそこは親子だからなのか


いつもどこかで歩み寄りたい思いがあったから


周りがきっかけをくれて


今は普通に仲良くできているの


母は思った事を自分の内にしまいこみ


我慢しすぎてしまう所があるのだけれど


それを知らない方にとっては


突然の不平不満や怒りは


不思議に映ると思うのだけれど


本人にとってはそれまでの過程があって


心の器から溢れ出てしまったものだと思うの


日本人は本来デリケートで繊細なのだと思うの


海外では雑音に聞こえるといわれる


虫の音や鳥の声に


心和む感性を持っているのだから・・・


日常の何気ない事にも立ち止まり


意味を見いだす事ができるからこそ


海外の方に比べて


意識的にあらゆることを


ストレスにしてしまわないようにする事も


大切なのかなって


感じているの


社会の中では仕事自体よりも


そこで関わり人間関係に


ストレスを感じる方も多く


たとえ仕事から離れても


人と関わる場面は多く


だからといって人と関わる事を避けても


違う形で


新たなストレスを


生み出してしまうものだと思うの


それならばやはり


自分の叡智と繋がり


自分の人生を素晴らしい


輝くものにしてゆく事に


心を注ぐ事が


大切なんじゃないかなって


感じているの


世の中には自分にとっては残念なことだけれど


思い描いた通りに


ならない事も多くあるけれど


それが本当に実現しなかった事で


自分の人生がすべて曇り


意味のないものになるわけでもなく


もっと時間を進める事ができたならば


多くの場合


思い通りにならなかった事で


ホッとしたり


得られる心の体験も


多いと思うの


自分で願いながらも


叶わなくってホッとするという表現は


少し不思議に思われるかもしれないけれど


人は日々進化し成長していて


数年前に真剣に願っていた事さえ


今の自分が見つめると


何であんな事を思ったのだろうという事も


あると思うの


人の幸せは


その時々で計る事があるけれど


長い時間で見つめると


その時涙をのんだ体験が


後になると


よい流れになった


ターニングポイントだった事を


感じたり・・・


人生はとても面白いもので


もう自分の人生には


自分にとって特別な


希望や望みを持つ事ができず


ただ時の流れを遠い瞳で見つめ


過ごされていたとしても


ある時突然どんな素敵なハプニングが


用意されているのかは


誰にもわからないと思うの


そしてそのハプニングの多くは


一人では生まれないから


出会いと言う何かのきっかけによって


人生が次々と紐解かれてゆく事も


あると思うの


この地球を学びの場として選んだ方の多くは


きっかけがあれば


誰かのために手を差し伸べ


力になれるだけの能力と心が


宿っている方が多いので


一人ひとりの奇跡の鍵を


手渡してくれる事も多いから


自分が願う事望む事は


何気なくであっても


言葉として表現してゆく事も


いいんじゃないかなって


感じているの


そうする事で言葉と思いは


自分の元を離れ動き出し


その言葉を聞いた方が無意識に


どこかで受け取った望みや願いと


近い話題に出会った時


何かの力添えとなってくれると思うの


その行動は人それぞれだけれど


情報を教えてくれたり


人との縁を繋いでくれたり・・・


様々な形で愛の能力を


働かせてくれると思うの


私たちは様々な人たちの愛の元で


自分の愛の能力も育みながら


無意識に誰かの奇跡の鍵のある場所が


書かれた地図を


持ち手渡し合っているんじゃないかなって


感じているの


ストレスはストレスとしてではなく


必ずその問題の中には


ユーモアで解決できるものや


時には自分の受け取り方で


喜びに変えられる


宝石も隠されていたり・・・


いつも真正面から見つめるだけではなく


他の角度からも


見つめて見るのも


よいんじゃないかなって感じているの











私は幼いころから


石が大好きで


今でも日々大好きな石にふれあいながら


過ごしているのだけれど


何をしてもあきやすい私が


なぜ飽きることなく


心注げているのかなって


考えて見ると


どんなに色々な事を学んでも


新たな情報や知識を知る機会があって


もっと知りたいという気持ちが


小さくなる事がないからなのかなって


感じているの


今地球では鉱物が掘り尽くされていて


鉱山が閉鎖していたりして


リーズナブルに手にできるもののほとんどは


名もない石を染料で染めたり


石の破片に熱を加えて


アクセサリー用の球体に加工されたものも多く


石が大好きな私にも


見分けがつかない事もあるの


そんな時には宝石関係のお仕事をしている


信頼している方から


探してもらったり


あとは自分の言葉では説明のできない


感覚的なものを大切にして


石を迎え入れているの


石の破片に熱を加えて作られた球体は


手をかざすと


やわらかな微妙な波動として


エネルギーが強くないので


ある意味で


石とのふれあいに


慣れていない方が身につけるには


よいんじゃないかなって


感じているの


石を身につける時


何となくパワーの効能書きを見て


パワーが強い方が


自分の人生の大きな影響を


与えてくれる気がして


傷一つなく


高価なものを購入される方もいるのだけれど


石にはパワーがある分


私たちを取り巻くエネルギーを


変える力も宿っていて


自分が望む幸せに必要な流れに


整える事から始まり


そのステップを考えることなく


ただ漠然と幸せを望んで手にされた方は


身につけてから


いつもの自分の流れと違う流れに戸惑い


よい事どころか


その逆のような感覚に包まれ


せっかくの石との出会いも


思い描いたようにならない事もあると思うの


石とのふれあいも


人生の時を刻むように


時間を重ねてふれあう事も


必要なんじゃないかなって


感じているの


そして大きさも大切で


何となく大きい意志の方が


パワーが強そうだからって


選んでしまわれる方もいるとは思うのだけれど


大きな石を多用すると


そのパワーに耐えられる人ではないと


災いを引き寄せると


伝えられているので


石からのサポートを受けて


人生を豊かにしたいと望まれる方は


効能書きや大きさに惑わされず


自分の魂から溢れる


直感的なものを大切に選ばれるのが


いいんじゃないかなって


感じているの


石の多くは様々な効果が


メインで語られているけれど


それも多くの人がわかりやすく


心集めるために伝えられている事で


石の多くが秘めている


本来のエネルギーは


人生を歩む中で知らず知らずに


人生の光のドアを開けられない


自分の内あるトラウマを癒し


最終的には


自分が自分を愛する手助けをしてくれ


自分を愛せるようになると


やがては


自分以外の人にも


愛の循環をしあえるようになって


そのベースが整えられた上で


石が持つ個性ともいえる


カラーや波動がプラスされてゆくように


感じているの


そしてエネルギーって電気信号のようなものだから


人から溢れる電気システムにも


影響を与えてくれると思うの


最近も新たに知った鉱物に心惹かれ


色々勉強しているの


でも本当に不思議なのは


あんなに学ぶ機会を与えられた


学校時代


こんなに勉強していたならば


きっと凄かっただろうなって思うの(笑)