2013年5月











母と久しぶりに会うと


近況報告を終えた後


いつも昔話になる事が多いの


その昔話も


近況報告が何かの記憶を紐解き


それから様々な記憶と繋がって行くの


この間は


私の弟の元に舞い降りた天使の事で


元々優秀な弟夫婦は


勉強をしない事・成績があまりよくない事を


気にして時には口うるさく


表現しているのを母たちは聞いていたのだけれど


夫婦の考えがあってそうしているのだからと


何も口を出さずにいたのだけれど


ある時


学校の先生が弟夫婦の家に尋ねてきて


その天使たちについて


お話を聞かせてくれたそうで


その中に


クラスにいる難病の女の子がいて


その女の子のお母さんから


なぜか弟の元にいる天使といると


病状がからくなる事もあって


どうしてもうちの弟の元にいる天使と


できるだけ一緒にいられるように


配慮してほしいと


その子のお母さんから先生がお願いされた事を


弟夫婦が聞き


その事を聞いた母は


突然私の幼い頃の事を思い出し


「ねえちゃんを見てごらん


勉強どころか何をしても続かず


周りからも色々言われた事もあったけど


子供の時から困った子供を連れてきては


何かしてあげるこの子を


私はちゃんと見てあげなきゃいけないって


思ったんだよね


人間として大事なものは


この子の中に伝えられているんだから


親としてはそれだけで十分かなって思ってさ


子育ては気長に育てて行くものだから


今だけで決めつけちゃだめだよ


姉ちゃんは今


人に恵まれ


たくさんの人に助けられて


幸せに暮らしているしょ


だから勉強や成績ばかり見ないで


人にやさしくしてあげられる


素晴らしい部分を見てあげなさい」と


弟夫婦に伝えたそうなの


母は私の幼いころから


今の私に繋がる話を


時々まるで誰かに自慢するかのように


私に話すのだけれど


その様な話を聞くたびに


言葉では上手に表現できないのだけれど


母の子供イコール私なのだけれど


私自身は自分の事を話しているようには感じず


母が子供の事を話すたびに


ある時には


子供を褒めたり・・・


客観的にみるとおかしい事なのだけれど


母の記憶の中では


今の私は幼子の記憶の子供とは少し違い


そして誰にも自慢できなかった私を


いくら自慢しても問題のない私に


今になって表現しているように


感じているの


私自身はあまり覚えていない事も多いのだけれど


20代の頃


偶然のように必然的に


人と出会う事がよくあって


ある時


社会勉強の機会となる


友人からの依頼でナイトクラブで


働いていた時


たまたま入ったラーメン屋さんで


そのお店に勤めている男性が


「○○さんじゃないですか?」と


突然尋ねてきて


驚きながらも「そうですけど・・・」と答えると


瞳を潤ませながらも笑顔で


幼い頃


私の両親によくしてもらった事を


私に話してくれたの


私が幼い頃は


今では想像できないくらい


大変な生活をしている人がいて


その方もそうで


長屋のような場所に兄弟何人もで暮らし


両親はなぜかいなく


弟や妹はまだ小さく


洗濯や食事も命に問題が出ないくらいの


ギリギリの感じで


その男の子は学校でもいじめられていて


幼い日の私は何か気になったのか


うちに誘ったら


弟や妹がいる事を気にしていたので


みんなも誘って遊びに来るように伝えると


初めは2人だったのが


次には5人になり・・・と


たくさんの兄弟がいる事がわかったの


私の母はその話になると


楽しい記憶と重なり爆笑しながら


記憶が鮮明になってくるの


その子供たちが遊びに来た時には


母はその子たちの洗濯をし


その間私と弟の洋服を着させ


食事を用意していたの


そして私の父は元々若い頃


映画の看板を描く


アルバイトをした事があったくらい


絵が上手だった事もあって


子供たちの似顔絵や得意の馬の絵などを


書いてはプレゼントしていたようなの


その絵は大人になった今でも


彼は大切に持っている事を


私に教えてくれたの


そしてある時は


学生時代の同級生と遭遇した時


「私あんたの母さんに


お姉ちゃんと一緒に遊びにいった時


顔を拭いてもらって


洋服ももらったりしたんだよ」って


学生時代の話をしていた時


突然言われ


少し意味がわからなかった私は


「なんで?」と尋ねると


「うちの親はパチンコとか飲み屋に行ってて


ほとんど家にいなくって


そんな時遊びにおいでって言ってもらって


いったら


きっとあんたの母さんが私たちの姿を見て


何か感じたんじゃない


おばさんがお母さんだったら


いいのにって


お姉ちゃんとよくいってたんだよ」と伝えられ


その日母にその事を伝えると


そういう子がたくさんいたから


誰がだれかは分からないと表現しながらも


嬉しそうにしていたの


今思うと


母方の祖父が神社を守り


時には病を治したりして


どこで噂を聞いたのか


遠方から人が尋ねてくるような人だったから


きっとその祖父の教えが


母の深い場所に宿っていたのかなって


感じているの


幼いころから


母には


「自分がしてあげられる事はしてあげなさい」と


よく伝えられていたので


母自身がその言葉通りに


生きていたのかなって


感じているの


だからといって母は聖母のような人ではなく


母が若い頃は


自分では背負いきれないほど


様々な事が重荷になって


心が抱えきれなくなると


抑えきれない不安やイライラなどを


幼い私にぶつけてくる事も多くあったの


でも両方を見せてもらった私は


人間には一つの側面では測れない事を


教えられた気がしているの


母は育児には向かないタイプだと


良く表現しているけれど


それでも人生を振り返ると


母親になった時の感動があったから


色々な我慢が出来たと言っているの


母がこの間


「あんたインターネットっていうのをやってるんでしょ


それなら母さんからのメッセージ書いて」と言われ


紙を渡されたの


母の字は達筆すぎて


正しく読めているのか少し不安のなのだけれど


書かせてもらいます


「今子育てをしている人は


母親らしく母親らしくって


自分をころして頑張りすぎちゃうけど


子供にとって一番望んでいるのは


母親の笑顔なんだよね


子供って大人が思う以上に


凄い力を持っていて


幼いながらも人間にとって


大事なものだけみているの


だから母親が笑顔になる時間を


作ってください


私の経験上


幼いころの記憶が全て消えても


残るのは


親と暮らした時の愛情のかけらで


それがその子供の人生を


ずっと支えてくれるから


先回りして心配しなくても


子供は立派に大人になるから大丈夫よ


ありのままの姿を見せてあげるのも勉強


あなたの子供なのだから


道をそれても必ずわかってくれる時が来るから。


後から振り返ると


こんなに素晴らしい輝く体験を


感謝できる日がくるよ


私もまた悩んで迷って過ごした


あの日に帰りたいもん(笑)」と


書かれていたの


もし誰かの心に届いてくれたら


嬉しいな










私たちは時々


自分が選び


周りから与えられた偶然に


いつも流されて生きていると


思っている事があるけれど


本当は未来に続く道へ繋げるために


DNAや魂が


招いてくれているんじゃないかなって


感じているの


自分たちが考えたり意識したりする事がない


領域で・・・


時々私はなぜこんな事をしているのだろうとか


何の意味もないように映る事も


もう少し先に進まなければ知る事のない


大きな意味がある事もあると思うの


たとえばふっと何気なく


過去を回想すると


何気ない自分の思い月の行動がなければ


今のライフスタイルがなかった事に


気づかされる方もいると思うの


私自身も精神世界的なものには


幼いころから心惹かれてはいたけれど


それがなぜそんなに心惹かれるのか


わからずにいたけれど


時折母に


「あんたは私の父親に似たのかもね」と


母が生まれた時から


神社を守り定職と言うものはなく


それでも独学で様々な事を学び


不思議な力を持っていて


母たち子供たちは体調が悪くなると


必ず祖父が手をかざし治していた話や


電話もない時代なのに


どこからか噂を聞いて病を治したり


今でいう所のカウンセラーのように


人の悩みを聞いていた事を知って


今自分が選び行動していると思っている事も


本当は祖父に導かれて


祖父の途切れた未来を


私が生きているのかなって


感じているの


今の私にたどり着くまでに


偶然のようなきっかけはたくさんあって


私が幼い頃


若かった母が自ら命を終わらせた父への思いから


宗教に加入し


毎月二人くらいの大人が尋ねてきて


そのたびに母は


経済的に豊かではないのに


何万円ものお金を手渡し


それを見ていた私は母に


「おじいちゃんがやっていた神様じゃないのに


どうしてあの人たちに頼むの?」と


疑問に思い


幼い私は家にあった祝詞が書かれた本を読み


何となくそれらしい口調で


おじいちゃんの写真が飾られている


箪笥の上に作った小さな祭壇に向かい唱えていると


母は何かを感じたようで


宗教から離れたの


そして月日が流れ


その時代特有の若者らしく


遊ぶ事に忙しく反抗的な子供になっていたのだけれど


なぜかその頃も


友人ができるたびに


私の暮らす街から4時間もかかる


祖父や祖母のお墓参りをよくしていたの


会った記憶もなく


なぜ自分がそうするのかさえ


自分でもわからなかったのだけれど


そうしていたの


20代になってからも深く仲良くなった友人から


精神世界の知識や知恵が書かれた本や


話を聞く機会があって


深く様々な事を知りたくなって


本などを読む事も多くなる中で


なぜかその頃知り合った方から


ブレスレットを作って欲しいと頼まれ


ノウハウもなく自信もなかったのだけれど


その時私がずっと大好きだった石か


伝えてくれるままに


作らせてもらったの


今では普通の事なのだけれど


その頃のお守り的なブレスレットは


おばあちゃんが身につけるような


石やデザインがなかった事もあって


その知り合いが身につけてくれたおかげで


その知り合いを通して


たくさん制作させてもらうようになったの


その時


今まで体験した事がないくらい


楽しくって自分の何かが満たされてゆくのを感じる


何の依頼もなくっても


石たちと時間を紡ぐ事が


私のライフスタイルになっていったの


それと共に特に理由がなくっても


神社へ足を運ぶのも


私の意志とは別に行っている事なの


多くの方が


今当たり前にある日常も


自分の一見何気ない行動の辿りついた場所だと


思っているけれど


本当はちゃんと未来に繋がるように


自分とは別に力によって


創造された時間だと思うの


そして華やかでドラマチックな方を見つめては


自分の人生があまりにも平凡に感じ


何か意味のないように思われる方も


いるかもしれないけれど


実際には平凡な人生を生きている人は誰一人いなく


一人ひとりにとっては


貴重で大切な人生で


その時々


人と重なる体験や共感もありがらも


やはり独自の個性的な部分もあったりして


その方それぞれが神様が描かれた物語の


主役として生きていると思うの







この間知り合いと話していた時


その方がパワースポットに


最近よく足を運ぶのだけれど


まるで何も感じなく


時には足を運ぶたびに


小さなトラブルが運ばれてくる事に疑問を持って


その方にとっては私が精神世界に


とても詳しいと思われているようで


尋ねられたの


私はどちらかというと自分で感じたりしないと


自分の中に深くしまいこめないタイプで


人からの情報や知識を


そのまま信頼できない疑り深い部分があるから


人が良いと教えてくれた場所にも


何度も足を運び


自分が感じた事を大切にしているんだけれど


霊場やパワースポットには


確かに強いエネルギーを感じる場所が多く


「ほんとだ」って思う事が多いのだけれど


神様って清らかな波動なので


その波動に近い方は


その場のエネルギーと溶け合い


御利益があったり何かを感じたりしやすいと


思うのだけれど


簡単に後利益を得たいという気持ちから


足を運ばれる場合には


まるで境界線ができたように


その場の素晴らしいパワーを


吸収しずらいのかなって


感じていたの


私が良く昔から感じているのは


初詣の時だけ10円くらい入れて


驚くほど膨大な願い事をされ


それでも忘れたころに叶っていたとしても


感謝やお礼参りもせず


時には願い事が叶わないと


表現される方に出会うと


どうなのかなって


感じる事がよくあったの


私が感じているのは


おさい銭の金額は神様に捧げるものではなく


その場所の神社の維持費に使われるから


自分の心の拠り所として神社を支える気持ちと


日々の感謝に対して捧げるものなので


金額は関係なく


言葉では上手に表現できないのだけれど


そこに立つまでの過ごし方などは


神様はすべて見通していると思うから


日々努力をし


あと指一本分の力添えが必要な方に


大きな変化と希望が叶えられたと感じる


結果がもたらされるんじゃないかなって


感じているの


今パワースポットがブームで


様々なスポットに人が多く


足を運ばれているようなのだけれど


全員が同じように願いが叶えられないのは


そこの霊場やパワースポットが


原因ではないと思うの


以前何かの記事で読んだお話なのだけれど


よく流れ星を見たらお願い事をすると叶うと


昔から伝えられているけれど


ほとんどの方が「あ!」って思った時には


願い事を考える間もなく消えていて


難しいけれど


あれはたとえ話で


流れ星を見て瞬間的に願い事を言える人は


その事をいつも考え努力しているから


いつでもチャンスを手にできるという


例えらしいのだけれど


霊場やパワースポットに足を運ぶ時にもそうで


自分の中であとひと押し必要な時に


神々に力になってもらう気持ちで


足を運ばれるのが良いんじゃないかなって


感じているの


人間に生まれいた以上


向上心と寄り添うように


欲と言うものが備わっていて


それがなければ


時に生命の維持を持できない事もあるわけだから


欲が良くないという事ではなく


欲の前に常に感謝を感じられるように


過ごせている方は


神々と波動が重なりやすいんじゃないかなって


個人的には感じているの


特に有名な霊場やパワースポットは


足を運ぶのは簡単な事なのだけれど


その場所に波動と合うまでに


何となく段階があるような気がしているの


私の小さな体験なのだけれど


数年前


心身が病のため優れず


そのために寄り添っていたパートナーも


辛くて現実から少し離れた時間が欲しかったのか


会社の女性と私に内緒で会っていて


それを知った私は


あらゆることに絶望的になり


誰と話す事も出来なくなって


気がつくと近くの神社に足を運んでいたの


その神社は大きな神社でも


パワースポットとしても紹介されてはいないので


人に会う事がないくらいの神社なので


周りから見ると祈っているスタイルで


いつも自分の心に広がる思いを話し


聞いてもらっていたの


何回か足を運んでいた時


社殿の前でいつものように話をしている時


急に私がパートナーの事を否定してばかりいると


その思いを願い事と誤解され


パートナーに何かあったらどうしようっていう


思いが急に広がり


怖くなった私はとりあえず


「パートナーを許します」と


その時はまだ心が追いついてはいなかったけれど


そう宣言していたの


そして急に神様に言い訳するように


パートナーの良いところや


私の人生にとっても必要な存在だという事を


伝えていたの


そして私は許すための方法を


私なりに私が納得できる方法を


考え過ごしていたの


そんな時突然たまたま見た雑誌に載っていた沖縄に


強く心惹かれて


気づいたら3日後には予約をし


次の月には沖縄に足を運んでいたの


何の知識もなかった私たちは


沖縄と言えば海って思っていたはずなのに


今思っても不思議なのだけれど


色々な場所を思いつきでドライブしている時


たまたま辿りついた場所が


斎場御獄でそこから見えた島にも心惹かれて


どちらも足を運び


旅行中この二つの場所に行くために


呼ばれたのかなって思うくらいだったの


後になって調べて見ると


その場所は聖地で


それを知った時


自分の波動が整ったから


呼んでもらい


最後の仕上げに私の何かを


整えてくださったのかなって


感じた事がったの


その体験から


その土地がその方を呼んでいる事も


あるんじゃないかなって


感じたの


実際に沖縄の聖地に足を運んだ時には


何となく漠然とだけれど


ここに来る事はずっと前から


決まっていたような気がしたの


そしてその場所に立った時


歓迎され迎えられている空気感を感じたの


元々霊体験などを何度も体験しているのに


慣れない私は


斎場御獄の強いエネルギーが


私には強く感じすぎて怖くなって


言葉では「ありがとう」と言いながらも


早くその場を離れたい感じだったの(笑)


きっと私はまだまだなんだなって


その時感じたの


久高島に行った時には


その小さな島を歩いていると


小さな子どもたちが「こんにちは」って


笑顔で声をかけてくれたり


なぜかお菓子をくれたり


とても不思議な感覚を感じたの


漠然とだけれど


今年もどこかの場所に呼ばれているような気がしているの


ただまだはっきりとはわからないのだけれど


今までは世界の神々や神話に


心を惹かれていたのだけれど


なぜか今は日本の神々の事が気になって


勉強不足の私にとっては


何一つ知らないのだけれど


元々ベースには祖父が小さな神社を祀り守っていて


母方の家の信仰は神道だから


何か漠然とその時が来たのかなって


感じているの


よく神社へのお参りの際


様々な作法があって


鳥居の真ん中を歩いてはいけないという


お話があって


それは神様が真ん中を歩くからだという説があるけれど


神様はお祀りされた場所から


勝手にお散歩に行く事はないから


気にされる事はないんじゃないかなって思っているの


そして自分の心身のコンディションが優れない時に


神様におすがりしたい気持ちがある時


つい最も力があって


有名な場所を選びたい気持ちになると思うのだけれど


有名な霊場やパワースポットほど


自分がその場所と同じ波動でなければ


逆に災いとなる事もあるようだから


いつも近くで守ってくれている


一番近くの神社などに足を運ばれるのが良いと思うの


そしてその様な場所で


心身の経験値が整った時


大きなパワーが宿る場所が


迎えてくれるんじゃないかなって


感じているの


ちょっとお話は違うのだけれど


私の父はお参りなどをした事がほとんどなく


それというのも


人生で初めてお参りをした時


その帰りに大きな事故を起こしたり


その次の年にもお参りに行ったら


今度は高熱に見舞われ


その様な事が続きすぎて怖くなって


神社には足を運ばなくなったようなの


なので全ての人に


聖地やパワースポットが


良い働きをしてくれるわけではないようなの


父は人間としてとても情に厚く


良い部分もあるけれど


育ち方があまりにも複雑すぎたために


私たち家族でも理解しがたい


深い闇を持っている人で


それがあまりにも強すぎて


整地やパワースポットとなる場所では


何かが反発し合うのかなって


話を聞きながら感じていたの


ただそんな方でも必ずフィーリングや波動が合う


場所や神々があると思うの


そういう個性を持った方の場合は


一般的な情報から伝えられる


聖地やパワースポットではなく


自分で足を運び感覚的にほっとする場所や


そのあとすぐに良い事があったりした時には


歓迎されているサインだから


そういう場所を大切にされるといいと思うの


意外と身近に自分にパワーを


与えてくれる場所を


見つけて見るのも楽しいと思うの







以前


私の弟夫婦の元に舞い降りた天使の一人が


幼い頃お医者様から


「学習障害」だと伝えられた事があった事を


時々懐かしく笑い話のように


語る事があるのだけれど


天使が幼い頃はみんなで深刻に考え


どうなってしまうのかと


不安に包まれた事もあったの


弟夫婦はとてもまじめで優秀なので


ある基準と違うと考えすぎてしまう所がって


協調性がなく人の話を聞かず


言葉も周りの子供よりも少し


遅かっただけなのだけれど


不安になって病院へ連れて行くと


その様な病名を告げられたの


私の母は


「私もこの子も(私を指して)


もしかしたらそうだったのかな(笑)


ただ私あっちに似ているだけなんじゃないの


子供はもっと成長しなければ


わからない事もあるから


あんまり考えすぎないで


いつも通りにしていればいいんじゃない」と


母は伝えていたの


そして月日が流れて


その頃の不安がうそのように


少し個性が強いだけの


かわいい女の子になっていったの


協調性がないのも


良く考えれば


自分の意見をちゃんと伝えられる長所だし


人の話を聞いていないように映る事で


集中力がないと伝えられた事も


良く考えれば


自分の事に集中しすぎて


自分にとって意味のない話が


入ってこないだけかもしれないしね


言葉が遅れていたのは


マニアル通り全ての人間が生きていない事を


表していただけで


今ではおしゃべりが大好きで


聞いている周りが大変なくらいなの(笑)


協調性も自分の好きな人のお話は


ちゃんと聞いているから


日本人的な社交ができないだけで


考え方だと感じているの


親にとっては病名が告げられただけで


どれだけ将来を案じ


不安だったかと思うと


お医者様の安易な判断も


どうなのかなって


感じているの


時に人は自分の痛みよりも


変わってあげられない痛みの方が


辛くなるほど


深い愛情があるから


大切な大切な存在が


未来に光溢れた場所で過ごせている


イメージが出来ないのは


本当に辛いと思うの


瞳に映せない


心や精神的なものは


一生変わらないものばかりではなく


何かのきっかけで変わるものもあれば


成長過程で変化してゆくものもあるから


悲観するものでもないのかなって


感じているの


私たち大人であっても


自分でも信じられない心の病になる時もあれば


どんなにお薬を飲んでも治らなかった病も


素晴らしい出会いによって


深く癒され完治する事もあると思うの


心や精神的な病で細胞レベルで


生み出されている以外のものの多くは


人と違った視点を持っていたり


強い個性を持っているのに


周りと無理に歩調を合わせようとして行くうちに


病になる事も多いんじゃないかなって


思うの


それはまるで心の酸欠のような感じで


辛くなってしまうんじゃないかなって


思うの


私たちは常々


人はみんな違っていていいんだっていう事は


頭ではわかっていても


その思いをいつも自分のライフスタイルの中で


活かして過ごしているかと言うと


そうではない場面も多くあって


それは無意識だから


なかなか気づかないけれど


つい自分と心重ならない相手と出会うと


自分の正しさを自分や周りに表現するために


「あの人○○なんだよ


おかしくない?」と


表現してしまっていたり・・・


日本人は長い間


小さな島国だから


協力し助け合い


できるだけぶつかる事なく


過ごす事を大切にしてきた事もあって


ほんの少しでも


自分と違う意見を言う人も


受け入れられなかったり


逆に自分が自分の思いを伝えるのも


あれこれと相手の事を必要以上に考えすぎて


表現する事が難しく思えたりするのも


DNAレベルに刻まれているのかなっとさえ


思う事もあるの


たとえば本などを読んでいてもそうなのだけれど


著者が海外の方の場合は


ストレートに自分が幸せになれる方法的なものが


書かれているけれど


私たち日本人にとっては


それはわかっているけれど・・・って


方法の前に必ず


新たな勇気が前段階で必要な事が


多いと思うの


私たち日本人はとても繊細で


言葉にしない思いもあって


複雑だから


欧米の知識や体験が


重ならない事も多いのだから


必ずしも歴史が長く古いものが


正しいとも限らないんじゃないかなって


感じているの







人は何かを決断する時


期待と大きな不安が寄り添い


様々な方に答えを求める事があるけれど


多くの場合


自分が不安に感じている想像が広がる


答えやアドバイスを受け取り


せっかく自分が新たにジャンプアップし


より自分が幸せを感じる体験を


不安に押されて


今現状にとどまる事を


選んでしまう事があると思うの


人は誰でも未知なるものに怖れという形で


自分を安全な形で未来へ運ぶように


恐れは備わっているけれど


その怖れが過剰に働いてしまうと


別の働きをしてしまい


自分のせっかくの能力を働かせる事なく


一生


自分を過小評価と否定的な思いで


過ごしてしまうと思うの


私たちが今日という日を迎えられているのは


安全な道ばかりを歩いてきたからでもなく


分かれ道にたどり着いた時


必ず自分の直感を信じて


自分を信じたから


今日という日を迎えていると思うの


ただ今の場所から


ちょっと背伸びしなければ届かない場所に


辿りつくためには


人によっては幾つもの梯子のとうなものが必要で


その梯子となる体験を


あえて選ばなければ


登れない事もあると思うの


誰でも恐れから


初めに感じた直感や喜び溢れるイメージよりも


無難で安全そうに映る答えを


選んでしまうけれど


それがもう少し時間が進んでみると


その逆になる事もあると思うの


私たちはみんな誰でも


今選び取る選択が絶対幸せな選択なのかは


分からないけれど


私の小さな体験では


不思議と自分が心惹かれる方を直感で選び


不安を大きくしてしまうけれど


そちらを選んだ時の方が


今思うとよかったって


思える事が多いの


それは周りの人たちを見ていてもそうで


その時は今よりも色々とリスクがあったり


デメリットもあるのに


どうしてなのか


そうしたい気持ちが強くなって


大きな不安の中でも


自分を信じてそちらを選んだ人たちは


数年たってみると


安全そうで無難な方を選んでいたならば


怖いくらい望まなかった形になっている事がって


驚かされる事もあるの


その方たちは日々意識してはいないし


自分が選んだものが


自分にとって正しいものを選び取る


能力がある事さえ


感じてはいないのだけれど


私は日々


人の人生や自分の人生の動きにとても


心惹かれる事もあって


見つめているから


感じる事も多いの


もしも自分が心惹かれる事を選んだのに


後悔に似た感情が生まれてくるような時には


たぶんどちらを選んでも


あまる望まない流れを通らなければならない時で


選ばなかった人生を見る事は出来ないけれど


たぶん


選んだ道の方が通らなければならない


望まない道が


ショートカットされていて


光へ辿りつくのが速いはずだと思うの


なぜならば


自分の中にはそれぞれが


自分の人生の地図を持っているから


他の方に理解できない事であっても


自分自身も意識を超えて


地図を見ている事もあるし


何より自分を誰よりも幸せにしたい


自分が選んだ事なのだから


自分が心惹かれる事がなんであれ


自分が思う以上に


自分ができる・選べる選択肢の多さを


教えてくれていると思うの








時々ふっと


今ある現実とは別に存在すると


伝えられている


パラレルワールドについて


考えていたの


それはまるで映画やドラマのような世界のように


感じるけれども


たとえば


同じ時代・同じ場所で生きている人であっても


人生で出会う人・起きる出来事など


様々な事が違っている世界を


生きている事を思うと


私が感じている現実と並行している世界があっても


不思議ではないんだろうなって


感じていたの


身近で考えると


お隣で暮らしている人は


きっと私とは関わりを持つ事のない


世界を生きていて


互いに見えていないけれど


微妙な時間軸の違いの中で


進化を遂げるために


生きているのだと思うの


私がよく感じているのは


私たちが選ばなかった人生もまた


別の次元では並行していて


時々その並行している世界と


今目の前に広がる現実が


何かのタイミングで


クロスしたり入れ替わったりする事も


あるような気がしているの


それはなぜかというと


私たち一人一人は


特徴と言う個性を持っていて


何かを選択する時に


習慣や考え方の癖などがあるから


たまたまその時には選ばなかった


選択に戻る事も


よくあるから・・・


そんな時にはいつもの自分とは違う


違和感を感じたり


人によっては瞬間的に


覚えていない記憶があったり・・・


昔からタイムマシンに乗って


未来や過去に行くストーリーのものが多くあって


その中でも印象にの追っているのは


未来人がツアーで


地球上での過去の歴史的な出来事などを


見に行くものがあったのだけれど


これは物語だけれど


実際に地球上で大きく伝えられる


出来事がった場所には


未確認飛行物体を


目撃される人が多い事を思うと


この物語も本当にあったりしてって


空想好きな私は


心惹かれるの


ここ数年では


未確認飛行物体を見る人が増えているのも


地球以外にも生命体がいる事を


理解できるくらい


知識レベルも未知なるものへの


イマジネーションレベルも


高まってきているからだと思うの


今年は様々な分野で特別な年で


たとえば風水では9年サイクルの始まりの年で


今年の過ごし方が


これからの9年間を定めると伝えられていたり


日本で言うと


伊勢神宮では20年に一度の式年遷宮という

正殿を新たに建て替え


御神体を遷す


永遠性を実現する大切な年で


出雲大社では


60年に一度の平成の大遷宮で


5年間の修復を終え


御本殿にお還りになる年で


共に強いパワーを持つ聖地が


重なりあうこの年は


日本にとって


きっと大きな意味を持つ


年なのかなって


感じているの


今地球上では


様々な価値観や波動レベルの方たちが


共に暮らしていて


それが時に


高いレベルの方たちにとっては


心傷つく出来事と出会う機会もあって


そのたびに


思いやりあふれる高いレベルの方たちは


相手を責める以前に


責める必要のない自分の至らない部分を探したり


相手に必要以上に歩み寄る事で


生きにくさを感じ過ごされている方もいるとは


思うのだけれど


2000年からゆっくりと少しずつ


私たちがわからない速度で


グループ分けのようなものがなされてきていて


今の時点でも


同じ時代・環境で過ごしていても


まるでクロスする事のない人々・出来事が


多くなってきていると思うの


たとえば波動レベルが高い方は


「あれ?最近見かけないけどどうしたんだろう」って


思う事がった時


波動レベルが高い方からは


もういないのかなって思っているけれど


本当はそうではなく


波動が違ってくると自然と


その方とクロスする機会が少なくなり


そう感じるだけで


その方は今まで通りのライフスタイルを


過ごしていると思うの


私たちは瞳に映るものをあまりにも


強く信頼しすぎて


瞳には映せない感覚的なものは


全て偶然として流してしまうから


気づかないまま


進化をされている方も多いと思うの


2000年からゆっくりと


グループ分けされてきた速度が


来年から少し早くなり


人生の変化の速さに


考える余裕を持てなくなりそうなの


そんな時


無意識の自分が様々な事を判断し


選択してゆくから


どうしても頭で考えるという事ではない


愛から選択できる


波動レベルが必要になると思うの


そのためにある意味で


昨年の12月から新たな時代を迎え


次に新たな時代のために


ワンクッションとして与えられた


今年に新たな時代にフィットする


自分を創造してゆく事が


大切なんじゃないかなって


感じているの


ある意味で旧時代にとどまる方と


新たな時代へと歩みを進める方が


2015年を境にはっきりとしてきて


今までならば


ふっと「あの人どうしているんだろう?」って


突然何の理由がなくっても


会わなくなった方などの事を


考えていたけれど


これからはその様な事が進んでくると共に


新たな出会いや新たに受け取る出来事に溢れ


波動次元が違う方が見えなくなるというのか


想い出す暇がないというような


流れになるので


寂しい気持ちを感じる事はないと思うの


私自身も時々とっても感じるのだけれど


波動が高い方たちは


無意識にテレパシーのように


交信し合っているからなのか


互いに同じタイミングで同じ事を考えていたりして


話しの答えを出すのが速い気がするの


本来ならば長い時間かけて


話しあい相手を理解し


自分の事をわかってもらうという


前段階がなくっても


魂レベルでの感覚を


大切にしているからなのか


言葉での説明を必要以上に求める事もなく


ピンポイントで問題だけに焦点を当て


解決してゆくのも早い気がしているの


この間書かせていただいた事なのだけれど


漠然とどこかの土地から呼ばれている


気がしていて


でも無理にそれを探す事はせずに


過ごしていたのだけれど


偶然のようにツアー会社から


ダイレクトメールが届いていて


特に意識する事もなく


パラパラとめくっていると


たまたま見た伊勢神宮に


強く心惹かれたの


私はよく何かを決めかねる時には


「3日間の間に


私がどうしたらよいのか


わかりやすいサインで教えて」って


私を守護してくれているであろう


存在に伝え


その時に感じたものを大切に


過ごしているのだけれど


この時にもそうで


まず私は何に悩んでいるのかをはっきりさせて


それから答えを待つの


今回の問題はなかったのだけれど


小さな望みがあって


長い間同じ成長の中で過ごしてきた友人と


せっかくだから一緒にいきたかったの


でも彼女は責任あるポジションでお仕事をしていて


とても仕事でお休みを作る事は不可能だから


それとは別に


今回行くタイミングだよって


私を守護してくれているであろう存在が


サインを送ってくれたならば


頑張って一人でも行こうと思っていたの


そう決めた次の日


友人が突然


新たなステップのために転職する事になった


お話を聞かせてくれて


今よりも自由に未来設計が立てられそうだったので


喜びを表現しながら


何気なく私が伊勢神宮に行こうと


思っているお話をすると


「私も行きたい!」って話しになって


急きょ6月に行く事になったの


それから伊勢神宮の事を調べてゆくうちに


今年が特別な年だと知ったの


その時ふっと頭の中をよぎったのは


会った事もない母方の祖父で


祖父は小さな神社を守っていたから


生きていたならば


きっと一度は足を運びたかっただろうなって


思ったら


急に胸が熱くなって


今回は私がと言うよりも


私の肉体を通して


祖父や大好きな伯父などを連れて行く


孝行旅行なのかなって


感じていたの


そう思っていると今度は


数ヶ月前に企業の商品開発のアイデアの募集がって


何となく心惹かれて書いたものが


採用されたらしく謝礼として


数百円の誤差はあるものの


旅費となるものが


届けられたの


この時「これ!これ!」って


私の心と魂が重なったの


私たちは物事を最も安全に


最も確実に手にするために


瞳に映るものに信頼を強め


時には言葉を巧みに表現し


心と思いが重ならない中で


自分が望むものとは別のものを


選択してしまう事があるけれど


自分の心を開き


自分がどうしたいのかをはっきりと望み


そのあとの事は


任せる事もできると思うの


ただその時の自分の波動に合わせたものや


形でしか受け取れないので


どんなときにもベースは必要だとは思うのだけれど


私が感じている波動レベルが高いかどうかは


精神世界の知識が豊富で賢く優れている人を


指しているのではなく


心根の問題のように思っているの


私の小さな体験ではあるのだけれど


宗教などに属していたり


精神世界の地き豊富な方であっても


その知識を人生の中で生かす事なく


ただ語り


自分を優れた人間に映るような演出のように


感じる人も多く


その様な方たちは知識は豊富だけれど


角度を変えて


知識を持たない人を否定していたり


見下していたりするのを見ると


真逆に精神世界的な知識を


何一つ知らなくっても


人として関わる人を思いやる心や


謙虚な気持ちを持つ人の方が


愛情と言う最も高い波動レベルを


持っていると思うの


なので波動に合わせての


グループ分けが進んでいる中で


知識が豊富な方の中には


自分たちは知識も豊富なので


今自分が否定し見下している人たちを


憐れんでいる人もいるかもしれないけれど


知識の量でグループ分けが


なされるわけではないから


人として大切な愛を


自分の人生の中で実現してゆく事が


何よりも大事なんじゃないかなって


感じているの


私も自分勝手で良い意味でもそうではない意味でも


人の事を考えるスペースが小さい私は


恐れを手放し


ふれあう人々の対して


愛を表現できるようになりたいなって


思っているの










人生の中には


何をしても運が


動かない時があると思うの


何となく運の動きが弱いと感じると


人は誰でも


自分の内側にある知恵を活かし


運が宿る場所に足を運んだり


お部屋をお掃除したり


自らを清めるために


様々な行動を重ねると思うの


そうする事で多くの場合


停止していた風のような運が動くのを


ほのかに感じられるものだと思うの


でもなぜかまったく何も


変化を感じない時期も


人生の中にはあると思うの


そんな時には何となく焦りが生まれ


答えが見つからないと


過去のスムーズにいかなかった記憶を引きだし


自分の何がいけないのだろうとか


私はいつもこうなってしまうって


自分の人生が滞りばかりのように感じ


落ち込んでしまう方もいると思うの


そして運を整える力も失い


もっと自分が望まない


光を感じない時間を過ごしてしまうと思うの


でも私が感じているのは


こんな時ほど


徳と言う貯金が詰める時だから


あえて自分の心のままに


したい事をしたり


誰かの幸福のために時間を


作られたりすると


やがては今積んでいる貯金となっている徳を


活かせる時が訪れる


気がしているの


私たちはスピードを求め


それに対応する流れに慣れ過ぎていて


こうしたらこうなるという結果も


早くに求めすぎてしまう所があるけれど


宇宙は意味のない動きを


人間には与えないから


停止しているように映る事にも


必ず意味があるんじゃないかなって


感じているの


私たちはあまりにも


瞳に映らない力を後回しにして


信頼する事よりも


目の前で動く


自分の思考や行動に依存しすぎていて


それが様々なエネルギーと


切り離されて


思考も行動も時に停止してしまうと思うの


そんな時には


全ての答えは自分の内側に


用意されているのだから


その答えを見つけるひとつとなる


自分の心躍る時間を見つけ


過ごしてみるといいと思うの


私たちは自分が喜びを感じる


行動や考えをする時って


気持ちや時間に余裕がある時で


その逆の時には


なかなか難しいかもしれないけれど


そういう時だからこそ


自分のためだけの時間を


作って過ごす事が


大切なんじゃないかなって


感じているの


そしていつも感じている事なのだけれど


運が良いかどうかは


その時々ステージを進んでゆく中で


受け取り方・感じ方も変わってくるから


本当に運がよくないかどうかは


疑問だと思うの


たとえば若い時には


恋愛に比重を置いている事もあって


たとえ健康や経済が満たされていても


自分が望む恋愛に光が見えないと


運が良いとは感じにくく


年を重ねると健康が当たり前に


あるものではない事を


感じるようになってきて


健康をベースに経済や人間関係へと


望む事にも


変化してきたり


その方の感情や状況によって


満たされたいと願う事も違うから・・・


そして大まかには


経済的なものが豊かに保たれていると


運の変動に気づきにくく


たとえ


他の運のバランスが保てなくなっていたとしても


気分転換に経済を注ぐ事ができるので


あまり運の変動を感じにくいと思うの


私が感じているのは


運と言うものはバランスで


ほとんどの方は気づいていないけれど


運のバランスが良いのに


運がよくないと感じていると思うの


多くの場合


経済的な事やたまたま自分とは違う


価値観の人と出会い


心が揺れる体験を重ねると


そのように感じてしまうだけだと


思うの


私の小さな経験なのだけれど


仕事や経済的にも


人並み以上に満たされているように


映る方の多くは


私たちにとって当たり前になっているものへの


運を持っていなく


仕事や経済的な部分に多くの運が


注がれている事も


あるように思うの


私の周りでも


ビジネス的な成功によって


その報酬で様々な豊かな


体験をされていたけれど


なぜだか


恋愛になるとうまくゆかず


何度も傷つき


なかなか心から繋がれる相手に


出会えない人も多く


ある方はそんな時


初めて仕事が思うように行かなくなって


いくつかあったお店を


閉める事になったの


その時とても深刻に悩んでいたのだけれど


元々前向きな方なので


時間と共に


「一人で生きてくのに問題がないくらいで


お店が残せたらいいわ」って


吹っ切れていったの


それから1年くらいたったある日


時間に余裕もできた事もあって


ずっと心惹かれていた陶芸教室に


通うようになって


そこの先生と結婚する事になったの


そのお話を聞かせてくれていたその方が


「色々手放してわかったけど


あれもこれもは


かかえられないんだなって思ったの」と


表現していて


それを聞いた私は


もともとその方は勘の良い人だから


瞳には映らない運のようなものの


バランスを感じていたのかなって


感じていたの


その方は今あえて


大きくビジネス展開しないようにしていて


それは今ある幸せを


大事にしたいからなのだそうなの


それを聞きながら


運がよくないと思っている時って


感謝を忘れ


あらゆるものが見えていないけれど


本当は自分が意識が及ばない部分にまで


運は自分を支えてくれていたり


運のバランスが変化するだけで


決して


自分が幸福から遠ざかってゆくために


そうなっているのではない事を


感じていたの


よく退屈を感じている時ほど


幸せな証拠だというように


運の流れを感じられない時ほど


安定した時なのかもって


思うの


何かが足りないと思う時ほど


後になると


幸せで次に進む準備ができる時だった事を


感じるものだと思うの


運と言うのは


バランスと


今の自分が望むものへの変化を


どう感じるかどうかで


運が良いかそうではないのかを


感じるだけで


全ての運がよくない方もいなければ


全ての運が良い方もいないんじゃないかなって


感じていたの










来月


念願かなってィゼ神宮へ足を運べる


機会を与えていただき


それに向けて


様々な準備をしているの


今やっている事は


私のアクセサリーを


迎え入れてくださった方たちにも


ほんの少しでも恩恵を届けられたらって思い


名前や住所などを書いた紙を


持参して行こうって思っているの


ただ伊勢神宮では祈祷やお祈りなどはせずに


日々の感謝を伝えるだけなので


御祈祷する時とは違って


ダイレクトに何かを


届けられるかどうかは


わからないけれど


神聖な場所で


具体的に私が多くの方の支えによって


今日まで生きてこられた事を


神様にお伝えしたくって・・・


6月の24日・25日に


足を運ぶ予定なので


もしお時間がある方は


私のアクセサリーにふれ


アクセサリーを通して


神聖なエネルギーを受け取っていただけたら


嬉しいです


思いは光のエネルギーと同じように


場所も時間も問わずに


届くと信じているので


今から楽しみなの


私のアクセサリーと共に


過ごしてくださっている方には


そのアクセサリーを受信機として


素敵なエネルギーを


時々小さなイベントとして


送れたら嬉しいなって


思っているの







この間


時々足を運ぶサロンで


私を担当してくださった方が


漠然とどこかで会ったような気がして


色々と考えていたのだけれど


想い出せなかったので


その方に


「私と会った事ないですか?


何となくどこかで会った気が


するんですけど・・・」と



伝えると


その方は


「私も初めて会った時に


どこかで会った気がしたんですけど


想い出せないんですよね


ただいい印象だけは感じているから


きっと昔何かで


お世話になったのかなっとは思うんですけどね」と


伝えてくれたの


私もその方も


結局思い出せないままだったの


その方とは8歳くらい年齢が違うから


若い頃遊んだとも考えにくく


その方自身


職歴も今のサロンが初めてのようだから


他のお店ででたった事も


考えにくいし


お互いにモヤモヤしながら


想い出せたら教え合う事で


お別れしたの


その不思議な出会いの後


何度も何度も同じ夢を見るので


次に会った時に


その話を伝えると


「私も不思議な夢を見るんですよ


小さな男の子が出てきて


その子がニコニコしながら


私に何かをくれるんだけど


何かはわからないの


その夢の中では


私も子供で


ほんとに不思議なの


その夢を何度か見てて


私どうかしちゃったのかと


心配になってたの」と


伝えてくれて


その方は心の中で理解できない感覚を


理解したい思いを持っているのを感じた私は


変な人だと思われないように


ジョークのようにユニークな音色で


「意外と前世の繋がりだったりして」と


ささやくと


驚いた顔で


「そういう事って本当にあるんですかね


もしそうなら


なんか嬉しい


だって引き寄せ会ったってことですよね


その意味が知りたいな」と


神秘的な事に


ワクワクしているようだったの


確かな事はわからないけれど


もしそうならば


本当に神秘的で


この世界中に溢れる人の中で


互いに会う約束をして


この世で出会っていると思うと


意味がわからなくっても


縁を大切にしたい思いに


包まれていたの







最近なぜか急に


スピリチュアルな会話を


する機会が多いの


ある時には


たまたまマンションの備え付けの物の


定期検診にこられた方が


私のおうちにある大きな水晶を見て


「こんな大きなものは初めて見ました」と


驚きながらも興味を持っているようで


急に自分が持っているブレスレットを


ポケットから出し


「こんなこと言うとへんかも知れないんですけど


僕少しこういうのに興味があって


これってどう思いますか?」と


尋ねられたの


私はブレスレットを見つめながら


「あなたはどう感じているの?」と尋ね返すと


「まったく何も感じないんですよね


ただいいって言われて


作ってもらったんですけど」と答えたの


そのブレスレットは金運を


上げるために作られたようで


何の石かわからないものやポピュラーな石を使い


黄色をベースに作られていたの


いつも感じている事なのだけれど


精神世界の知恵にもあるように


自分が心地が良いかどうかが


何よりも大切で


その自分の気持ちが


持つもののパワーを目覚めさせ


相乗効果で


幸せが育まれてゆくように感じていたから


その方自身が


瞳に映して楽しい気持ちや


心強いものを感じなければ


それはただの物質でしかないんじゃ


ないかなって感じて


そのまま伝えたの


そのあとも


その方が日々疑問に感じていて


でも人に尋ねられないであろう


精神世界に近いお話の答えを


私に尋ねてきていたの


その時


きっと本当は一般的な暮らしをしていても


心に神聖なものを宿し


暮らしている方が多いんだなって


何だか嬉しくなっていたの


そしてある時には


いつも足を運ぶフィットネスクラブで


頬笑み返しをするくらいの


知り合いの方に突然


「いつも素敵なブレスレットをしているけど


こういうものに詳しいの?」って


尋ねられたので


驚きながらも変に思われたくない私は


「みんなが知っているレベルの事なら知ってるかな」と


答えるとその方は


「あのね突然変だと思わないでね


ちょっと聞きたいんだけど


私来週出雲大社に行くんだけど


いつも身につけているこれを


つけていこうか悩んでいるの


これって宗教的に違うような気がしてて」と


ブレスレットを見せてくれたの


そのブレスレットは天珠で


チベットで聖なるお守りとして


今も愛されているものだったの


この天珠はその方の望みに合わせて


様々なタイプがあって


私自身も持っているので


効果が高いのを知っていたの


ちょうど私も6月に伊勢神宮に足を運ぶので


新たに自分にブレスレットを作り


伊勢神宮のパワーをいっぱい受け取り


祈りや感謝する時だけのため用に


身につけていこうと思っていたので


この偶然に一致に


自分の心を改めて問われているような


感じがしていたの


私が感じているのは


神様は人間が考えるような小さなものではないので


何を身につけていても


区別・差別するものではないと思うの


ただ大切なのは


本人の感情だと思うの


もしも違和感を感じるのならば


その気持ちを大切にくみ取って


あげるのもいいと思うの


気持ちって説明のつかない


直感などが宿っている場合があるから・・・


私が感じたのは


宗教的な問題でそのブレスレットを


身につけて行く事に


違和感を感じているというよりも


その方の場合


どんなときにもそのブレスレットだけを


大切に身につけているようだったので


きっと用途に応じて


必要な時期を迎えているんじゃないのかなって


感じていたの


言葉で上手に表現できないのだけれど


石が連なったブレスレットを


手にする時って


自分の望みも歩む方向も


漠然としている時が多くって


石たちもその方の


その時々変わる望みや願いを


サポートしながら寄り添っているけれど


本当ははっきりと具体的に


その方の意識と気持ちが確かなものの方が


強くサポートし導く事ができると思うの


人は何かのきっかけで


気持ちや願い・望みも


自分でも覚えてないくらいに


くるくると変わるから


願いを叶えるには長い間


変わらないくらいの望みを持たれている方が


石もピンポイントで


その部分にエネルギーを注ぎ


導く事ができると思うの


その方の場合


ここい1年くらいの間に


自分が一生続けていきたい事が見つかり


その願いや守護を願い


出雲大社へ行くようだったから


その望みに合わせたものが


きっと新たに必要になっているだけのように


感じていたの


聖なるものたちは


いつも私たちが幸せになるために


喜んで手を指しのべたいと思っているけれど


本人が何を望み何を信じるかで


目の前に広げる世界が変わってくるから


自分の気持ちが望む事願う事が


はっきりとしてくると


新たなものを受け取る時期を迎える事が


多いんじゃないかなって思うの


たとえばファッションだってそうだけれど


ふっと気がつくと


あんなに気に入って


毎日のようにきていたお洋服やバックも


特に嫌になったわけでもなく


捨てた記憶さえないのに


気がつけば新たなものに置き換わっている事を


感じる事があると思うのだけれど


私たちは無意識に


今の自分に最もフィットした物を


選び取り


人生に彩りを与えていると思うの


そして必ずしも自分が好きなものを


選び取っている事ばかりではなく


たとえば体系的に自信を持てない部分が多くなると


その部分を隠してくれる


ふわっとしたお洋服を選んで着る事があるけれど


自分の美意識とはフィットしないけれど


今の自分にはフィットしているから


選んでいる事もあると思うの


私たちは今の自分にフィットしたものを


選び受け取っていて


それがやがて自分の本当の気持ちとライフスタイル


すべてが重なった時


至福の喜びの中で


人生を歩んでゆけるんじゃ


ないかなって感じているの


ただ人生には自分の意識や意志を超えて


様々な出来事が届けられるから


時に自分が望まない出来事が届けられても


そんな時には


人生の冬の時期をできるだけ


ユーモアを持って


春が来るのを信じて


その時できる事を


自分のペースでできたらいいんじゃないかなって


感じているの