2011年6月




私はよく自分とフィーリングが合わない人と出会うと


その状態を解決するために


いつも思い浮かぶ方法は


できるだけ距離を持つ事だったり


その方がいないスペースへ


自分が移動する事しか浮かばないのだけれど


その様な方法は一時的な避難になっても


時間が進むとまた同じ問題に


出会ってしまうように感じているの


私は社会生活と縁がない事から


その様な方法へとすぐに流れてゆけるけれど


社会生活を送る方の中では


どうしても好きになれない方がいて


その会社を辞めて他の場所へ移っても


必ずと言っていいほどそこにも好きになれない方が一人はいて


どこに自分を移動させても


その問題を解決できない


体験をされた方もいると思うの


私はよくパートナーと話している時に


パートナーから社会の形や営みを聞く音があるのだけれど


パートナーの会社にも誰からも受け入れられない方が


一人いて誰もがその方と仕事をしたくないようで


会社でもその方をどのようなポジションに配置したら良いのか


悩んでいるようだったの


その方が多くの方から受け入れられない理由の一つに


その方はその会社で誰よりもしっかりと仕事をされ


スピードも持っているので


自分と同じものを周りにも求め


相手がついてゆけないときつい口調で思いを伝えたりするので


みんながそばにはいたくないようだったの


そしてみんなが避けるために組む相手が


必然的に優しい私のパートナーになる事が多くなり


パートナーも少しストレスが重なっていたの


でもそんな時パートナーは


変えられない事・変わらないものに


自分の心がいつまでも反応している事は


自分にとって何も良い事にはならないと思ったようで


良い意味で自分をだます事を始めたの


パートナーは相手の事を好意的に思っていると自分で思い込むために


相手の良いところをとにかく探し出し


言葉には表現しなくっても


心の中で「すごいな」とか思ったりするようにしていたようなの


そうすると不思議なもので


言葉には一度も表現していないのに


相手が自分にはとても優しくなっていったそうなの


その話を聞いて


何となくわかる気がしていたの


私も少ない社会経験の中で大きなクラブで過ごしていた時


多くの方から避けられている方がいたのだけれど


仕事と言う事もあって


その日その日その方と同じ席に着く事があって


そんな日は周りの方も私も


とっても辛い一日になっていた事がったの


でも頼まれた期日までそのスペースで


過ごさなければならなかった私は


ちょうど知り合いから精神世界の学びなどについてを教えられて


実験的にそのスペースを使ってみようと思い


すぐに始めたの


よく日本では同じ穴のむじなという言葉があるけれど


自分が今過ごしているスペースは


どんなに自分が否定しても


自分と同じtレベルの人しかいないのだという思いを認識し


相手を否定すればするほど


自分も大した事のない人間だという事を


表現しているのと同じ事なのだと感じ


そこから自分の思いを変えていったの


なぜならば相手を否定する時って


多くの場合自分よりも相手は・・・と


自分の方が優れているという思い違いから


表現したり思ったりしている事が多いと思ったから・・・


そして初めに言葉ではなく心の中から


相手を好意的にに思うように意識してみたの


そうすると無意識の場面でも


私の瞳が相手へ好意的な表現をしていたのか


相手が私に対して様々な配慮をしてくださったり


時には頂き物をもらったりと


今までの彼女では考えられない表現が見えてきて


初めは意識して好意的に思おうと思っていた事が


次第に意識しなくっても好意的に見えてくるようになっていったの


そうして私は苦痛だったはずの日々が


自然と消えて名残惜しいくらいにまでなっていった事があったの


私が感じているのは


昔から日本では目は口ほどにものを言うという言葉があるように


思いが無意識に表情や言葉の端はしに感じられるのだと思うの


私たちは人とふれあっている時って


鏡を見つめながら話をしているわけではないから


自分の表情は見えないけれど


相手からはしっかりと思いが表情から


伝わっているんじゃないかなって思うの


今私はフィットネスクラブに定期的に通っているけれど


親しい相手ではなくっても


小さな動きやしぐさ・言葉の表現で


何か面白くない思いを抱えている方や


不平不満を秘めている方が何となくわかるの


でも本人はその様な事は意識していないので


普通に過ごしているつもりでいるけれど


そういう思いを抱えている方は


ちょっとした何かのきっかけで


無意識に抱えているフラストレーションを解放しようと行動してしまい


小さな出来事にいつまでもこだわり


周りにも同じ思いを手渡してしまう事もあると思うの


かと思うと真逆に


何か喜びや幸せを秘めている方は


何気ない事であっても


相手に喜びや幸せを感じさせてくれる


言葉や行動をしてくださるの


でも何か面白くない思いを抱えている方や


不平不満を秘めている方であっても


その思いから自分を解放してあげたい気持ちがある方の場合は


周りのちょっとした優しさや行動によって


心が軽くなり笑顔が輝く事もあると思うの


言葉では上手に表現できないのだけれど


何か面白くない思いを抱えている方や


不平不満を秘めている方の多くは


他者から手渡され


その思いを生み出すきっかけとなったのだからと


深い部分では思っている事もあって


その思いの解消も他者からもたらされる事を


無意識に望んでいるので


そのタイミングが合えば


周りの何気ないきっかけで重い思いは


溶かされてゆく事もあると思うの


ただいつでもベストなタイミングで


周りの方が自分の心のお掃除を手伝ってくれるわけではないから


そうなるとやはり自分の思いを変えて


今自分に与えられている問題の答えを見つける事が


大切なんじゃないかなって感じているの


事実として問題を作ったのは


自分以外の人だったとしても


その動かせない問題に出会った事にも


何かしらの意味や精神的な成長のために与えられた


自分では望んでいない問題かもしれないと思うの


そして与えられる問題が自分にとって大きいと感じる時


ほとんどの場合


自分が次のステージへと登る時が多いように思うの


解決できない・どうする事も出来ないと


心がパニックになるような時でさえ


私たちは無意識に全身全霊で答えを探し


その迷路から出る出口を見つけるために


様々な事を考え行動するけれど


そのすべてが後になって見つめて見ると


意味のある事になっていて


幸せな未来の糧になってゆくように思うの


この地球上は多くの方が様々な使命と学びのために


この星で過ごしている事もあって


自分の価値観の中では理解できない人や


なぜこんな人がこの世界に存在しているのだろうと


怒りや絶望感を感じてしまうくらいの人もいるけれど


それも大きく見つめる事がもしもできたならば


きっと意味があって


自分の人生に瞬間でも登場したり


知ってしまったりするのだと思うの


それは通常語られる類友とは違い


人間が本来だれにでも秘めているけれど


その部分が必要ないから知らない部分を


そういう方を見て知る機会だったり・・・


人間は繊細で退化したとはいえ


様々な言葉では表現できない才能・能力を秘めている事もあって


小さな変化に心が保てなくなったり


逆に小さな事でも希望の光が急に見つけられたりもする


生き物だと思うの


その繊細さが自分の心を傷つけてしまう事もあるけれど


人間に与えられた繊細さは


本当は瞳には映らない心のエネルギーを


感じるために与えられていて


決して自分を傷つけるために


秘められているものではないと思うの


そう思って見つめて見ると


自分に備わっている個性や可能性を


ちゃんと必要な部分に重ねられているかなって


時々考えて見るのもいいんじゃないかなって


感じているの











最近フィットネスクラブに通いだした事もあって


様々なライフスタイルの方と出会う機会が増えて


心が追いつかないくらいに


様々に感じる事が多いの


多くの方は自分のために


自分が望む事へと一生懸命なのだけれど


その方たちは良い意味で自分に意識を向けていて


他の誰かにこう思われたいとか


誰かのためにという思いがないとは思うのだけれど


ただただ自分らしく生きているその姿から


周りの方々は希望を感じたり


モチベーションが上がっていったり・・・


フィットネスクラブで仲良くなった同じ年代の方と


トレーニング後良く話すのだけれど


今までの身近な人たちの間では


「年齢だから仕方がない」というような表現が多く語られていて


周りをふっと見つめてみても


確かに・・・と思う事が良くあったのだけれど


フィットネスクラブに通うようになってから


自分が知っていた親世代や60台を超えられた方とは違い


エネルギー溢れ


小さな夢をいっぱい持っていて


後ろから見ると私たちなんかよりもスタイルがよく


仲良くなった友人とその方たちを見るたびに


希望が湧いてくるの


時には私と友人がハードなトレーニングプログラムに


躊躇して参加を迷っていると


きっと定年を迎えられたような年齢の男性が


そばに来て


「初めは誰でもできないんだから


できなくったって恥ずかしくないよ


上手な人を見つけてまねしてたらできるようになるよ


私だって出るんだから出よう」って


よく誘われるうちに


友人と私は自分の意志だけで選び取っていた時よりも


色々な体験ができるようになったの


若さから放たれる美しさや輝きというのはではないけれど


年齢を重ねた方から溢れる輝きは


何となく与えられていた若い頃の不安定な輝きとは違い


内から溢れている強い光を感じているの


その方たちの姿を見つめながら


改めて年齢は地上で暮らしている年数であって


同じような老いではないのを感じていたの


よく老いは心からくるもので


多くの方は25歳くらいで精神的にはこの世に存在していなく


埋葬されるのはもっと後なだけだという言葉があるように


楽しみに思う時間が消えた時


様々な器官が使う必要がなくなったと認識し


ゆっくりと心身が思うようにならなくなってしまうんじゃないかなって


感じていたの


私自身


母がよく毎日が長いと表現するくらい


心動くような出来事がない中で過ごしていて


とても心配していたのだけれど


弟の所に授かった天使たちがいつも遊びに来ては


忙しくしているようなので


ちょっぴりホッとしていたの


私の母は長い間一人になりたい思いを持っていて


煩わしい子育ても終え


子供たちも家庭を持ち安堵の思いと同時に


あれほど願っていた静かでゆっくりした時間が


与えられたはずなのに


その後軽い鬱のような状態になってしまったの


私たち子供が一緒にいた頃は


母は自分の時間をなかなか持てず


大変だっとは思うのだけれど


そのような時間が長く過ごすうちに


自分が生きる意味と責任というものが


生きがいの一つになっていたのだと思うの


今も文句を言いながらも弟の元に授かった天使たちを


世話しながら元気になっているの


そして母と時々会うと


色々な雑誌や本がたくさんあるので


尋ねてみると


「私は毎日退屈な生活しているから


少しでも自分と違う生活の人を見たり


新たしいものを見るようにしているの


世の中ではお勧めできない生き方をしている人って


魅力的だし


生活感のない人や物は見ているだけで楽しんだよね」と


私よりも最近の情報を知っていて


私に教えてくれるの


ある時には「めんどくさい事をひとつずつ減らしてゆくのは


もうおばさんになった証拠だよ


若い時は何時間もかけて髪の毛をセットしたり


化粧したりおしゃれをするけど


あんたもしなくなってきたでしょ


めんどくさい事を続けられたら若くいられるよ


結局心から老いは始まるんだよ」と表現していて


妙に納得していた事もあったの


今私は周りに自分がこれから歩んでゆく道を歩いている


年代の方が多く


その方一人ひとりがただ自分らしく


輝いている姿を見る事ができるだけで


間接的ではあるけれど


見えない不安に包まれる事もなく


未来のプランを考え歩んでゆく元気を


たくさん与えてもらっているの










よく何かを成し遂げられた方を


意志が強いと表現したり


成し遂げられなかった方を


意志が弱いと表現されていて


どんな時でもその一つの思いが


何よりも大切なように伝えられているけれど


私が感じているのは


意志というものは多くの柱で支えられていて


その柱が強く多い場合に


意志というものが保たれるんじゃないかなって


感じているの


なので意志という一つの思いは


いくつもの小さな思いが束になったもののように


感じているの


たとえば女性が美しくなりたいとダイエットされる事があるけれど


その場合でも


自分が思い描くところまで辿りつけるかどうかは


意志を保てるかどうかなのだけれど


スタートラインは同じ思いで始めた時


その意志を支える柱がどれだけ多くあるかによって


達成できるかどうかが変わってくるんじゃないかなって


感じているの


ただ綺麗になりたいという思いだけでは


柱は一つで意志が保てず


時々心が揺らいでしまい


他の楽しみ事へと心が移ってしまい


何となく3日坊主に終わってしまうと思うの


たとえばそこにどうしてもそのスタイルになった後


したい事や予定があるという柱があると


柱は強くなったりして


モチベージョンが上がり


目的が達成しやすくなると思うの


私が感じているのは


どんな事柄でも意志というものだけではなく


その思いを支える柱が


何よりも大切なように感じているの


少しお話は違うかもしれないけれど


私の父は60過ぎてから禁煙を始めたのだけれど


心揺らぐ事もなく


今でも続けているのだけれど


その理由はあと20年は健康に生き


大切な孫が大人になる姿を見たいという


強い思いと


大切な孫への健康に影響を与えてしまう事を


配慮したからだったようなの


その思いは漠然としたものではなく


リアルに父は感じていて


その思いが大きいから意志が保たれているのだと思うの


もしも禁煙が健康を考えてという


漠然とした目標の場合は


健康に不安がない時に考えて始めていたならば


きっと続けられなかったんじゃないかなって


思うの


そして人は頭では良いとわかっている事であっても


自分にとって最も必要で大切かどうかを


無意識に意志で測り


成し遂げるかどうかを決めているから


3日坊主で終わってしまう事は


それはそれでその目標以上に


心惹かれる事があるのだから


意志が弱いと自分を責める事はないんじゃないかなって


感じているの


誰でもこうなったらいいなって


何となく思い描く事はあるけれど


それが意志という思いの束になるかといえば


ほとんどの場合


わかっているけれど続かない事だったりすると思うの


最近フィットネスクラブで仲良くさせてもらっている


お友達は様々なフィットネスクラブに通った


経験を持っているのだけれど


入会して数日は一生懸命に運動をするそうなのだけれど


時間の流れと共に


お風呂だけの利用になり


しだいに行く回数も減り


退会する流れだったそうなの


今は「こんなに楽しいとは思わなかった」と語るほど


自分なりのペースがわかり


週に数回運動をしているの


それまでの彼女はただ漠然と健康的に美しくなりたい思いから


フィットネスクラブへ入会をしていたようなのだけれど


健康に不安がない状態で


健康維持を考えても思いが持続しないと思うの


でも今回はありがたい事に


私とお話をする事を楽しみにしてくれて


足を運んでいると伝えてくれたの


そして苦手なプログラムも


二人だと心強くって参加できる事もあって


私も自分で考えていた以上に


がんばる事ができているの


何でもそうだけれど


仕事ではない限り強制力を持たない


多くの時間は


自分が行動するかしないかで


続くかどうかが変わってしまう事もあるから


どれだけ自分が成し遂げたい目標に辿りつけるまでの間


楽しみや幸せを感じる事を


いくつも見つけられるかが


何よりも大切なんじゃないかなって感じているの


意志の強さや弱さは


本当は関係なく


何でも続けたい思いになる出来事を


いくつ見つけられるかどうかなだけのように


感じているの


意志というものにも


定期的に栄養を与えなければ


やはり枯れてしまうと思うの


強い意志で何かを貫かれる方は素敵だけれど


その方はきっとその意志を保つ


いくつもの思いの柱を持っているから


そうできるのだと思うの


なので無理に意志だけで続けようとし


続けられなくっても


ある意味で当たり前の事なのだから


何をしても続けられなくっても


自分を責める必要はないように思うの


それよりも強制されなくっても


続けたい事を


自分に与えられた時間の中から過ごされる方が


心身共に輝きを取り戻す事ができるんじゃないかなって


感じているの








最近自分でも驚くくらいに


ヨガがマイブームになっていて


フィットネスクラブで行える


ストレッチメインのヨガから


ヨガを専門に行っている様々な施設にまで


足を運んでいるの


ただ初心者の初心者なので


ほとんどができないポーズなのに


嫌になる事もなく


なぜだか楽しい気持ちに包まれているの


教えてくださる方によって


決められた時間内で


ヨガを行う事によっての身体の作用や


ヨガの精神性など


その先生の個性によって


ヨガの奥深さが教えていただきながら


身体と心が瞬間的ではあるけれど


一致した時感動してしまうの


私は本来はなまけものなので


いつも心が前に進まないところがあって


身体まで心に合わせさせ


身体が満足する時間を作る事が少ないのだけれど


ヨガを行っている時間は


心と身体が一致しながら


言葉を超えた気づきを与えてもらえるの


先生によっては


様々なヨガのポーズを行い


プログラムの終わりには必ず


瞑想の時間を大切にされていて


みんなが静かに瞳を閉じて


自分の呼吸に集中するのだけれど


私にとってはこの時間も心地よくって


いつも一人で瞑想するのとはまた違い


多くの方の呼吸の中で


なぜだかあたたかい気持ちの中で


素敵なインスピレーションが届けられる事が多いの


ただヨガは宗教的な側面もあって


その部分を強く押しつけられるのは


好ましくはないけれど


古代から伝えられているヨガだったりフラダンスなどは


ポーズなどに様々な自然からの学びが


織り込まれていて


何となく心地が良いの


まだまだ私にはヨガの奥深さはわからないのだけれど


日々瞑想している私にとっては


小さな変化がいくつもあって


改めて人間の中に秘めた神秘を感じているの









人との関係は


改めて難しいなって感じる事があるの


私はどちらかというと


お友達になりたいなって感じた相手には


すぐに心開き仲良くなりたい事を


表現する事が多いのだけれど


最近知り合いを通じて知り合った人がいて


その方と会った時にも


心開き楽しい時間を過ごしていたのだけれど


メールをしても返事が来ないので


自分が何か問題のある事を表現してしまったのかなって


心配になって知り合いに


その事を相談してみたの


そうしたらその知り合いはその相手からも


私とは違う不安を話していたようなの


その不安に感じたこととは


初めて会ったのにあんなに心開いて何でも話し


気がつくと私のペースに入っている気がしたそうで


それだけならば楽しいだけだったそうなのだけれど


その方が一番心配した事らしいのだけれど


その方は過去に私のように心開き


その方のペースで楽しく過ごして仲良くなったのだけれど


その後仲良くなった後も相手のペースの流れの中で


化粧品など自分にとって必要のないものを


なんとなく購入する流れとなり


仲良くしたかったその方は


いつもその関係を保つために購入していたそうなの


なのでその方からすると


初めて会ったのに積極的に心開き


楽しい時間を作る方が怖いそうなの


そのお話を聞いて


私は自分が原因だったのではない事を知って


違う意味でほっとしたの


でもこのお話を聞いて


今の現代の人間関係や繋がりを


感じていたの


よく年を重ねた方が


「今の人は人と付き合いたがらない」というような


ニュアンスの表現をされる事があるけれど


多くの方は孤独でいたいと思っているわけではなく


様々な煩わしさや今以上に複雑になってゆくつきあいを


イメージしただけで


積極的には人と繋がりあえないんじゃないかなって


感じていたの


私も過去にとっても親切で優しい人と出会い


仲良くなるにつれて


その方が委託販売をしている話の流れになり


何となく断りずらい空気になって何度か購入した経験があるの


自分に自信がなかった私は


数少ないやっとできた友達だからと


その当時は思っていたけれど


今思うと残念だけれどただ利用されていただけだったのだと思うの


ただその友人は悪気があってそうしているわけではなく


ある部分で販売元の洗脳に近い形で


良い事をしているとさえ思いこんでいたの


人との繋がりは若い頃は利害関係なく


ただ心惹かれる相手と親しくなり


同じ時を過ごしていたけれど


大人になってから知り合う人たちは


背景がわからない事もあって


積極的に関わる事を怖れてしまうのも


仕方がない事なんじゃないのかなって感じていたの


もちろん私の知り合いは


私は何かをすすめたりする事もないし


ただ楽しく過ごしたいだけの人だと


説明をしてくれていたの


そして知り合いには


私がアクセサリーを制作している事は伝えないように


お願いしたの


以前マッサージを受けに行った時


私が身につけているブレスレットを


施術してくださっている方が


とっても気になったらしく


ブレスレットのお話をされていたの


そして石のお話などをしていたのだけれど


とても深く尋ねてくるので


実は自分で制作して販売している事を話したの


そうしたら急に今までの話は何もなかったように


当たり障りのない話へと変わった事があって


私は少し驚いたのだけれど


すぐに相手の思いに心を重ねて見ると


相手が何かを販売している場合


強く勧められたならばお客様だし・・・という


思いが働いたのかなって感じたの


そこでその方は少し前までのキラキラした瞳で


楽しそうに話すのをやめ


急に近所にできたショップの話や天気の話をしていたの


それ以来


自分からアクセサリーを褒められても


お店で購入したというようになったの


最近フィットネスクラブで仲良くなった方にも


ありがたい事に


身につけているロザリオを褒められ


その方も欲しいそうなのだけれど


やはり言い出せないまま


身につけているロザリオをプレゼントしたの


その友人はとっても喜んで毎日身につけてくれていて


それを瞳に映すたびに


私は大きな喜びと元気をもらっているの


人と繋がる事は大きな喜びや


一人では味わう事の出来ない奇跡を


体験できるけれど


本当に笑顔で利害関係もなく


繋がりあえる人に巡り合う事は


現代では難しい時代になっていて


多くの方が自分を守るために


過剰にセンサーを働かせているのだと思うの


その事で大きな失敗もないけれど


何となく小さな孤独感を


日々感じ過ごしているんじゃないかなって


感じているの


でもこれから少しずつでも


自分を守るために


過剰にセンサーを働かせている事と同じくらいに


自分と魂が繋がりあっている相手を


見極めるセンサーを働かせることができたら


きっと誰もが心豊かな


人との関係を楽しめるのになって


感じていたの













この間フィットネスクラブで


年を重ねた女性が


みんなが使いやすくなるために


少しでも改善になればと


スタッフにアドバイスされていたの


その事をそばで見ていた私は


私も気づいた事をこの女性のように


伝えられるようになりたいなって


思いながら見つめていたのだけれど


その女性が伝えているニュアンスとは違い


なぜかスタッフの方は


「いくらこうしてもなかなか難しいんですよね


自分たちも見張っているわけにはいかないですし・・・」と


女性が伝えたい思いとは違う音で言葉を返していたの


その時その女性はきっとすぐに


そのスタッフが何を怖れているのかを


感じとったのか


ストレートに「私は特に困ってもいないし


注文やクレームではないのよ


黙っていようと思ったけれど


みんな不便そうにしていたから


もしも改善できたらなって相談に来ただけなの」と伝えていたの


そうしたら急にスタッフの表情がやわらぎ


「そうなんですよね


本当はそうできたらいいんですけど」と笑顔になっていたの


その時何となく感じたのは


人は日々何気ない事であっても防衛本能が働いていて


何かのきっかけで自分のせいにされては・・・とか


自分の立場が悪くなってしまうのではないかと


過剰に突き放すような表現をしてしまう事も


あるんじゃないかなって


感じていたの


ただ伝えていた女性が


すぐに相手の思いに心を重ね


自分が伝えたい事をきちんと受け取ってもらうために


立場などを消して


思いを素直に表現した事によって


スタッフの恐怖を取り除かれたんじゃないかなって


感じていたの


よく人と議論している時


表現の仕方や受け取り方の違いもあって


責められていると感じた相手は


怒りと言うベールを纏い大きな声で受け答えする事があるけれど


そんな時冷静な方が


「あなたを責めているわけではなく」と


何か表現する時に重ねるだけでも


伝わり方が違ったり・・・


私たちは時々感情的になりすぎるあまり


本当に伝えたい事を後回しにしてしまい


何で怒っているのかさえ忘れて


ディスカッションしてしまう事があるけれど


そんな時はきっと自分の心が自分の中に広がりすぎてしまい


相手の思いに心重ねる事が出来ていないんじゃないかなって


感じていたの


相手が感情的になる時には


多くの場合怖れからそのように


表現を選択してしまうのだと思うの


たとえば自分と違う意見に感情的になられる方は


その意見の違いだけに


感情的になっているのではなく


自分の人格的なものまで否定されてしまう事を怖れ


必死に自分の意見の正しさを


表現していたり


とっても小さな事だけれど


ある人が良いお店があると一緒にいた時


相手がそのお店に対してあまりいい印象ではない事を


表現したならば


連れていった相手はそのお店の良さをアピールされたり


中には「連れてきたみんな気に入っていたけどな」と


自分の価値観の正しさを静かに伝えられたり


逆に何度もあやまるかたもいたり・・・


中には少しイライラしながら


「じゃーもう連れてこないよ」と表現する方もいたり・・・


でも冷静に考えれば


自分が経営しているお店ではないのだから


相手から高評価を得られなくっても問題はないのだけれど


自分の価値観が否定された気持ちに


包まれてしまうのだと思うの


人間は自分の思いで繋がる範囲を


すべて無意識に自分の領域のものとして


感じている事もあって


様々に張り巡らせた広い範囲で


様々な感情と出会っているのだと思うの


ただ今回感じたのは


人に何かを伝えたい時


ほんの少しでも心にスペースを作って


相手の思いに心重ねる余裕を持つ事で


スムーズに伝えたい事が伝わる事を学び


すぐに感情的になってしまう小さな私は


反省と共にお勉強になった


一日だったの










私の知り合いの中には


必ずと言っていいほど


人と真逆の意見を表現する人がいるのだけれど


私はいつも悩みや不安に心揺れる時に


話す事が多いの


迷いや不安がある時って


自分が考えているのとは違う答えが見つからなかったり


心や頭ではわかっているけれど


自分以外の人の声によって


再確認できるとj自分で思っていた以上に


すっきりして前に進める事もあると思うの


ただその方はとにかく人とは違った意見を


表現する癖を持っているので


自分が自信を持って前に進んでいる時には


真逆の作用があるので


意見は聞かないようにしているの


改めて人って様々な人がいるなって


日々感じる事が多いの


たとえば私は人から変わっている・変というニュアンスの表現をされると


伝えた相手が予想をしていた以上に落ち込み


その後何時間も「私のどこか人と違っているんだろう」と


思い煩う事が多いのだけれど


私の友人は私とは違い変わっている・人とは違うという


表現が嬉しいようで


私が相手を尊敬し褒める表現として


常識的だし人から愛され


社会人として人として当たり前の生活ができている事を


称えると「え~私ってそんな人間じゃないよ


いつも人と違うからいつもはみ出していて・・・」と


私から映る彼女とは違うアピールをし


あまり嬉しそうな表情にはならないの


それまではよく自分がされて嫌な事はしないように・・・と


昔から人を思いやる表現で語られてきた言葉を意識して


私自身が変わっていると表現される事で


心がダメージを受けてしまう事から


相手にはそのような表現をしないようにしていたのだけれど


すべての人がそれぞれの個性を持っているように


傷つく事も嬉しい事も


人それぞれなんだなって


とても感じていたの


そう考えると万人に愛されようと


できるだけ無難に合わせ


他者からのアクションに依存してしまうと


それはとっても不安定な事だなって感じていたの


私自身


幼いころから個性的で情緒が安定しない母に


育てられた事もあってなのか


その時々母の気分によって


子供の私は一日の幸福度が変わるくらいの時期が長く


その深く刻まれた感覚があるのか


自分は自分が思ったように行動してもよいという事を


頭ではわかっているのだけれど


意識として強く持てず


そのせいなのか友人や知り合いが出来ても


相手の動きや言動によって


いつも自分の予定を変更したりしながら


相手の心が満たされてゆく事を優先してしまう


クセを持っているの


それは思いやりや優しさからではなく


私の中にある深く刻まれた感覚的な癖で


その後成長してからも


自分を出せなくなってしまう事も多いの


でも人から映る私は自然体で


何の我慢もせず好きなように生きているように


感じているみたいなの


私の中ではこの意識的な癖を克服してゆこうとして


何度かうまくいった事もあったのだけれど


その様な時期が短く


すぐに自分らしく過ごせなくなってしまうの


そして私の一番問題なのは


きっと無意識に表現している


何気ない言葉が人の感覚には調和していなく


不愉快にさせてしまっていたり


しているように思うの


この感覚って誰にでもある感覚だとは思うのだけれど


自分にとっては優しさやなごみを手渡すつもりで


表現した事が


相手によっては不快に思ったり重荷に感じたり


様々だと思うの


私の場合は様々な機会によって


人と出会う機会が多い事もあって


いつも同じ表現をしても


受け取り方が人によって違うので


自分自身どのように人とかかわっていったらよいのか


考えすぎてしまい


最終的には人との縁を遮断する事しか


できない時期もあったの


でも人の縁は自分が望む望まないに限らず


届けられるものだと感じるようになってからは


人との縁を自分の思いだけで


続けようと頑張る事は少なくなり


お互いに必要な学びが相手にあれば


自然に縁は深まってゆくだろうし


何か許せない感情やフィーリングが合わないと思えば


相手が正しいかどうかの基準ばかりではなく


縁は自然になくなってゆくものだと思えるようになったの


この間友人が話していた事なのだけれど


子供が幼いころからずっと仲良くしていた友人がいたのだけれど


子供の成長と共に会う事がなくなって


とても寂しいと表現していたの


彼女にとっては同じ年代の子供がいた事もあって


長い月日よく一緒に行動していたりしていたので


自分は親友のように思い何年も付き合っていたそうなのだけれど


相手は彼女とは違う思いだったと


最近気づいたそうなの


その話を聞いてどちらの思いも何となくわかる気がしていたの


彼女の場合は何年もの間


共通の話題も多く心開いて


親友だと思っていたけれど


相手は子供を通じて繋がる縁で


小さなコミニティで過ごす間は


仲良くしていようと思いもしかしたら


彼女が思う以上に気を使い過ごしていたかもしれないなって


感じていたの


でもある部分で共通の心惹かれる事によって


繋がりあう縁は


その心惹かれる事がいつも同じだったり


変化の時期も同じじゃないと


お話していても楽しいと感じない事も多いから


どちらかの人格に問題があったわけでもなく


ただ一緒にいる時期が終わりを


迎えただけなんじゃないかなって


感じていたの


誰でも経験があるとは思うのだけれど


過去を思い起こしてみると


今では信じられないくらい一緒にいて


何でも話し合い


本当に仲が良かった友人っていたと思うのだけれど


どうして縁が消えていったのか


わからない人っているんじゃないかなって思うの


気がついた時には互いに引っ越しや携帯電話が変わり


連絡をしないままになって


わからなくなっていたり・・・


そういう大好きだった相手であっても縁は何かを果たし


自然に終わりを迎え


次の新しい縁が結ばれて


今日と言う日を迎えているように思うの


縁は多いからよいという事でもなく


出会った相手を通してしか知ることのできない


自分の内側に宿るものに


気づく大切な機会でしかないんじゃないかなって思うの


たとえ相手に好意を持ってもらえなかったとしても


そのままストレートに落ち込むのでもなく


自分を変えようと違った努力をするのでもなく


自分の個性を知ったりして


その部分を人生の中で輝くものに変えてゆけるよう


表現は違っていたとしても


一つのアドバイスとして


自分で生かして行けたらいいんじゃないかなって


感じているの











ここ数日


「人生の転機/キャロル・アドリエンヌ著」の本を読んでいて


色々と心惹かれる事が書かれていて



その中に人はらせん階段のように


上へ上へと成長をしてゆく周期に沿って生きていて


新しい方向性が見つかる時期(1個人年)から


基礎を築く時期(4年個人年)


収穫の時期(8年個人年)を通過して


完成の時期(9年個人年)に至るそうで


今の自分がどこにいるのかを理解するのに


役立つ秘数術があったの


この流れを知る事で


今自分が与えられている課題や


迷いが少しでも和らげばいいなって思ったので


お伝えさせていただきますね


初めに自分が生まれた月日を書き留め


その数字に現在の年号を足すだけなの


たとえば私だと


9+6+2+0+1+1=19=1+9=10=1+0=1になります


毎年一月になると


個人年は次の数字に移ってゆきます


全体


計画作成・新事業の開始・引っ越し


新しいチャンス・明晰性・選択・独立


独創性・知的活動・執筆・企画


指導・新しい事業に適した年。


{注意}


傲慢・臆病・混乱・恐怖・自信喪失


注意散漫・聴く事。


{行動月}


4月・9月



②{全体}


人間関係・提携・協力・調整


合併・細部・ゆるやかな変化


包容力・愛情・総合・自分を大切にする事


心を開く事・交渉に適した年


{注意}


恐怖・忍耐・怠惰・細部の見落とし


過度の服従


{活動月}


3月・8月・12月



{③全体}


幸運・社交的催し・創造性


チームワーク・困った時の友人の援助


自己改善・全般的幸福


短い旅行・妊娠または出産


若者と交流・独創的な努力や販売に適した年


{注意}


楽観のしすぎ・注意散漫・嫉妬


過剰な活動・うつ状態・浪費・解雇の怖れ


{行動月}


2月・7月・11月



{④全体}


計画作成・将来の報酬のための土台作り


建築・健康や自己イメージの回復


仕事を大切にする・再組織化・慎重な投資


個人や企業への献身・修理・庭いじり


創作に適した年


{注意}


健康への不安・借金・


成果を出すための過度のストレスや精神的重圧


制限や官僚的形式主義


{活動月}


1月・6月・10月



{⑤全体}


急激な変化やとっさの決断


新しいチャンス・自由・恋愛関係


体調の変化・公的な活動・頻繁な旅行


販売・販売促進・多くのプロジェクト


生命力・セックス・改善のための変化に適した年


{注意}


支払い能力を超えた債務や投資


注意散漫・不安・変化への抵抗


借金・副腎の疲労


{活動月}


4月・5月・8月・9月



{⑥全体}


責任・多くの義務や他人への援助


結婚または離婚・・社交的催し


愛情や安心感・指導・家の改善


ボイストレーニングまたは話し方のレッスン・ローンの返済


地域社会での活動やチームワークに適した年


{注意}


自分を犠牲者や殉教者のように感じてしまう事


憤り・罪の意識・無理のしすぎ・締切期限


楽しみより必需品に使う金銭


休養がなくなるほどの仕事


{行動月}


4月・8月



{⑦全体}


熟考・霊会との繋がり


悲観主義の人間との別離ややる気の起きない計画中止の選択


充電期間・教育・もっと有意義な選択


自然の中で過ごす時間・分析・研究


執筆・作曲・個人的・霊的成長


瞑想に適した年


{注意}



自己欺瞞・懐疑主義・悲観主義・疑惑


燃え尽きる事・損失・詐欺


{活動月}


3月・6月・12月



{⑧全体}


喪失したパワーの回復・人からの承認


目標の達成・昇進・土地への投資


免許の交付・収入の増加・編集・スポーツ


土地の売買


過去8年の成果の収穫に適した年


{注意}


金銭面での強い利害関係・法律問題


権力闘争・人生のバランス


無理のし過ぎなど


{行動月}


2月・6月・10月・11月



{⑨全体}


すべての分野の完成・よりよい方向への変化


チャンスの増加・発展・直感の高まり


心身の癒し・教育・遠距離旅行や海外旅行


霊的発達に適した年


{注意}


感情の浮き沈み・損失・深い悲しみ


許し・忍耐・手放すこと・


次の段階になかなか踏み出せないこと


{行動月}


1月・5月・9月・10月


少しでも前に進む参考にしていただけたら


嬉しいです