2011年4月







私はいつも人と繋がりあう時間があって


初めて自分が感じている事をに気づく事が多いのだけれど


その中で日頃は感じないトラウマになっている事を


知る事があるの


私は幼いころからほとんどの行動や言動が


わけがわからないまま叱られたり


「あの子はおかしい」とか「あの子はだめだ」


「あの子は変だ」というような


ニュアンスの表現を伝えられてきた事もあって


大人になった今でも無意識に


人にそう言われたくない思いが強く


自分で意識し気づける範囲で人に合わせ


自己表現をしないように


心掛けてはいるつもりでいても


無意識の部分で私と言う存在の


個性が溢れてしまっている事もあって


「なんか変わってるよね」と何気なく伝えられた時


驚くほど自分の心が怖がり


傷ついているのを感じる事があるの


相手はそんな私が好きだと表現してくれているのに


私の中では過去から刻まれた傷が痛くなるのか


泣きそうな表情になっているようで


表現した友人の方が驚いてしまう事もあるの


そして私は人との違いに怯え傷ついてきた過去からの経験が


さらに間違った優しさを生み出してしまい


人に思いを言えなくなってしまい


それがどんなに小さな事であっても・・・


今日友人と食事をしていた時


ふっと気づくといつも私は食事を終えるタイミングが遅い事もあって


待たせてしまっていると感じ友人に


「私って食事終わるの遅いかな」って伝えると笑いながら


「さーちゃんは歩くのも遅いよね


いつも何かを話す時なぜか立ち止まるよね」と


まるで幼子を愛でるような表情で伝えてくれたのだけれど


なぜか私は表情が曇りちょっぴり泣きそうな表情になってしまい


友人はとても驚いた表情になったの


その時私は自分が思っている以上に


幼い時に刻まれた傷の深さに気づいたの


そしてその事を友人に伝えていると


友人がふっと「私はもう子供を産む事はないとは思うけど


大人が何気なく言った言葉が


こんなに大人になった今でも苦しめてしまうんだね


子供には絶対にそんな言い方はしちゃいけないって


勉強になったよ


でも私はどんなさーちゃんでもがっかりしないし


何かあったら真っ先に助けに行こうと思ってるくらい


大切な人だよ」って伝えてくれて


また違う意味で泣きそうになっていたの


私の人生には幾つもの課題があって


その多くは恥ずかしいくらい多くの大人の方にとっては


当たり前のレベルことだったり・・・


でも何かのせいにして悔んで過ごすのも


ずっと後悔を表現しながら過ごすのも


私自身は望んでいないから


ゆっくりだけれど


ひとつずつ克服している最中なの


たとえば特に意味はないのだけれど


一人で乗り物に(自動車やタクシー以外)はなぜか怖くて乗るには


とっても勇気が必要だったのだけれど


最近では列車や地下鉄には乗れるようになってきて


パートナーがいない時にも


一人で行動できるようになってきたり


あらゆる場面で尋ねたいことがある時の電話や


必要な手続きも


すべて誰かに頼んでいた事を


今では自分でできるようになってきていて


自分なりにちょっぴりは進歩してきているのかなって


嬉しくなるの


私は心のエネルギーが下がってくるとまるでそれを知らせるように


トラウマから


人と比べてしまう弱さが強く溢れてきて


益々自分を悲しませてしまう事が良くあるのだけれど


そんな時いつも私の心の中で


「神様は完璧なのだから


その神様が作った私はこの状態でも


きっと神様のシナリオ通り完璧に進んでいるんだ」って


私のトラウマに抵抗するように


その言葉が広がってくるの


私の中で何度も何度も幼いころ伝えられ刻まれた


心の傷を


癒してゆける力が少しずつ育まれているのか


昔のようにただ落ち込んでしまうのではなく


落ち込みと同時に


別のメッセージが心の中に幾つも広がっていたり・・・


それもすべてきっと


傷ついた以上に多くの素敵な言葉や


素晴らしい知恵など


私に伝えてくれた方たちのおかげだと思っているの


耳や目は脳にダイレクトに様々なものを伝えてくれる器官で


自分が意識しなくっても


何度もリピートされた行動や言動・考え・想いは


脳が生きるのに必要なこととして


良い事とそうではない事の区別なく潜在意識に刻み


無意識でも行動したりできるようにしてくれるそうだから


私は幼い日に強く刻まれた言葉など以上に


今は多くの光溢れた別の知恵を見聞きする機会に恵まれ


過去の伝えられた心ない表現がもう正しい事実ではなく


たまたまその頃の大人の方の感情や思いなだけであったと


少しずつ自分が思えるところまできているのかなって


感じていたの


もちろん今でも少ない社会的な繋がりの中では


幼いころに聞いてきた言葉を表現される方もいるけれど


今の私は幼い頃とは違いお互いが


付き合う人を選択でき許されているのだから


あまりに呼吸が自然にできない方とは


無理を重ねる必要もないのだし・・・


そしてそういう時には昔母が伝えてくれたように


「陸にいるクマと海にイルカが


自分の場所に無理に相手を呼ぼうとすれば


どちらかが息ができず命がなくなるのだから


どっちが正しいとかではなく


陸と海の境目に歩み寄って


お互いの無理のない範囲で話し合えばいんだよ」って思うようにしているの


なので今は自分の意見の正しさを証明するために


私の間違いを必要以上に表現し


自分の思いを遂げようとされる方とは


繋がらないようにしているの


それが心の弱い私の唯一の対処法になっているのかなって思うの


そしてやがては繋がる手前で縁を終わらせるのではなく


自分でも思いを伝え


どんな方たちとも心繋がりあえるような


強い人になってゆきたいなって思っているの








術後初めて


数カ月ぶりにフィットネスクラブへ足を運んだの


久しぶりに足を運んだ


フィットネスクラブにいると


自分自身の波動が今どんな状態なのか


実感できる事もあって


今回はまだまだ重い心身である事を


何となく感じていたの


毎日通っていた頃は心身が軽くなる事もあって


小さなこだわりが溶かされて


人と自分を比べる事もなくなり


自分と言う存在に意識を集中できる精神へと


整っていたのだけれど


今回はまだまだなんだなって


感じていたの


ロッカーからスタジオに向かう時


何人もの知らない方に話しかけられ


答える時にも必要以上に緊張してしまって


笑顔でいるだけだったの


それはきっと今の自分の波動と


その空間やそこに過ごされている方たちの波動が違うから


そのまぶしい光溢れたオーラに


ちょっぴり私の波動がびっくりしちゃっていたのかなって


感じていたの


言葉では上手に表現できないのだけれど


毎日楽しく幸せな気持ちでは過ごしてはいるけれど


その幸せは何となく私を包んでくれているもので


外側のものなの


私の内側から湧き上がるものとは違っていて


フィットネスにいた方たちの多くは


自分の内側から湧き上がるエネルギーに溢れていて


自分なりに目標や目的があって


そこで過ごされている方たちだから


強い光溢れたオーラになっていたと思うの


私って色々な体験や心惹かれる事があっても


ほとんどが目標や目的もなく


ただ心が楽しいという感覚だけで続けて


その感情が消えるとひとつの時間が終わり・・・と


いうような感じなので


あてもない旅を楽しんでいるような人生なの


長い間続けてきた事であっても


目標や目的のないまま続けているので


はっきりとした結果を手にする事はないの


私の友人は最近フィットネスクラブに通うようになったのだけれど


通ううちにすぐに目標や目的を見つけ


それに向かいがんばっている事もあって


すぐに大会で優勝したりと


はっきりとした結果を受けとりながら楽しんでいるの


そして会うたびにエネルギー溢れた友人から


光を分けてもらいながら


気づかされる事も多いの


人は漠然とした幸せは自分から生み出す幸せとは違い


漠然としすぎていて


実感がしにくく


贅沢なほど今ある幸せ以上に実感できる形での幸せを


外に外に求め


なかなか実感として心満たされるのを難しくしてしまう事が


あるんじゃないかなって感じていたの


私はそういう部分が病になってから


思い通りに行動できなくなってからあって


自分から何か予定を立てても


目覚めたときの身体のご機嫌によって


思いが何度も何度も遂げられなくなる事を経験を重ねてゆくうちに


今日一日の予定だけを体調に合わせて過ごすようになって


目標や目的を持たない過ごし方が長かった事もあって


治った今でも


クセとなって残っていているんだなって


感じるているの


同じ行動であっても目標や目的を持つ事で


その方向性が自分の内側に宿り


それに反応した脳が


今度は無意識な時であっても


その方向性へと繋がる体験や場所など


あらゆる場所へと誘導してくれるようになる事もあって


自分の意識では偶然のように感じた形で


次に進んでいったりできるのだと思うの


よくある事を何となく考えていた時


偶然にいいタイミングで見つけたとか


偶然に思いだしたという感じで


一度定めた目標や目的に繋がるようなアクションがあって


時には忘れていた目標や目的にまで繋がっていたりするくらい


方向性を定める事は


とても大切なことだとは思うの


それは夢と言う形のものとは違い


自分の行動で近ずく事が


何となく可能な思いが重なることが


目標や目的だと感じているの


同じ行動をしていても目標や目的を持たず行った方と


そうではない方とでは


受け取る結果までのスピードが違ったり


目標や目的を持たず行った方は


迷いも多く感じやすくなるように思うの


そして時には人の意見が惑わされやすくなっていたり


心が傷ついてしまったり・・・


もしも自分の中で目標や目的がはっきりしていたならば


周りの方が何を表現しようと


自分の方向性と違うアドバイスであれば


心が吸収することなく


まるで防水加工された傘のように


つるんっと流れていってしまうものだと思うの


少しおかしなお話なのだけれど


まるで地球に初めて飛来した人間のように


今までもすべてが学ぶ事ばかりで


少しでも人と違和感がないようにする事ばかりに


意識を注いでいて


まるで幼子のように


こういう時にはこういう表現をするものなんだ~とか


こういう行動をするものなんだって


たとえそれが自分の心とは違っても


そうすることが大人になった自分が違和感なく


人と付き合ってゆける事なのだと思い


色々学んではいるのだけれど


すべての大人が同じ感情や価値観を持っているわけではないから


どんなに違和感なく人と付き合う事を学んでも


当然の事だけれど


最終的には自分の感じる意見が必要になり


違和感全開になってしまうの(笑)


その事を悩んだ時


親友に相談した事があったのだけれどその時親友は


「さーちゃんのお母さんって少し個性的な人だって言ってたでしょ


そのお母さんの話を実家に住んでいた時


ずっと付き合っていたから


無意識にそれに慣れているから


心地はよくなくっても


人間って慣れた事や習慣が楽に感じて


わざわざそういう人を引き寄せているのかもよ」と伝えられ


はっとさせられたの


私はずっと自分の個性や考えがすべての問題で


その個性や考えを他の人のものと入れ替えようと


変な努力を繰り返してきたけれど


もしも友人が伝えてくれている無意識の引き寄せがあるのならば


私はわざわざ私を傷つける表現や行動をする人と繋がり


過去の長い間の習慣から解放されていないのならば


直すという考えではなく


理解してくれる人を見つけられる心の瞳を開けるように


努力することが大切なんじゃないのかなって


感じていたの


ありがたい事に少数ではあるけれど


私の何かを変えようとする事なく


良い意味で面白がってくれる人はいるのだから・・・












今・日本では自分が日頃意識していなかった


感情を多くの方が体験しているんじゃないかなって


感じているの


大きな災害があってから


私自身も自分や周りの思いに驚く事が多いの


たとえば日頃思いやり溢れていて優しい方が


「毎日災害の話題ばかりで飽きてきた


別に私には関係ないことだし


何でこんなに長い間騒いでいるのかわかんない」と表現されたり


逆に日頃人の事に関心はなく


自分の事でいっぱいいっぱいに見えていた方が


自分のできる範囲で何かしたいと表現されたり・・・


ここ数年


決まった仕事に就けずにいた知り合いは


せっかくたくさん時間があるからと現地に向かい


ボランティア活動をしていたり・・・


改めてこんな時だからこそ


その方たちの本質に秘めている感覚が


目覚めているのかなって


感じているの


被災地ではなくっても停電などを求められている


地域に暮らしている方たちは


わずかな時間であっても


電気と言うものが使えないという不便さから


日頃の何気ない営みが


ありがたいと大きく実感されている方もいると思うのだけれど


その実感と言うものが


今後の未来に大きな幸福をもたらしてくれる


種となってゆくように感じているの


私たち日本人には


大きく分けると二つの形の思いやりがあって


相手の悲しみや辛さに心重ね


自分の喜び事や楽しみを自粛する流れと


今悲しみや苦しみの中にいる方に


元気を分けたいと


自らが楽しく元気いっぱいになって


そのエネルギーを手渡される方がいると思うの


どちらも形は違うけれど


相手を思う気持ちは同じで


その二つの形の思いやりがあるからこそ


こういう時でも悲しみや辛さだけで暗くなる事もなく


優しさに導かれて


心重ねてくれる人のおかげで


存在していられるんじゃないかなって


感じていたの


最近意味もなく落ち込みやすい私は


その意味が知りたくって


知り合いの引退した占い師の方と話をしたをさせてもらったの


そうしたら笑いながら


「そりゃ~そうさ


今は大地が普通のエネルギーじゃないんだからね


霊能力とかある人にとっては


ちょっと体調が良くなかったり


いつもならすぐに判断できる事ができなかったり混乱するの


大地と一緒で不安定だからね


やっぱりあんたは霊能力があるんじゃないの


もしも今霊能者で繁盛している人がいたら


間違いなく偽物だよ


こんな時期に普通の状態でいられるんだから(笑)」と表現していて


なんだかほっとしたの


それと同時に私のHPに来てくださる方の中には


ご自身が感じていなくっても


感性的な能力が高い方も多くいるから


もしかしたらいつもの自分と違う感覚を感じられている方も


多いんじゃないかなって


感じていたの


その引退した占い師の方は西暦が変わる


少し前に辞められたのだけれど


その理由は時間の流れがつかみにくかったり


それと共に人の気持ちも早いスピードに寄り添うように


変化してゆくので


そのすべてを感じる事に疲れてしまったようで引退されたの


きっと21世紀少し前から


時空のうねりのようなものがあって


本来ならば3カ月と判断できる事が1年後だったり


逆に3日後だったりするのかなって


感じていたの


確かに私の周りを見つめていても


会うたび会うたび以前話していた事がまるでなかったかのように


違う事に意識が向かっていたり


様々な出来事が運ばれ処理する時間が短く


とても速いスピードで時が流れているのは


感じてはいたの


特に私はスローなのでここ数年は3年くらいが1年くらいの感覚で


でも実際には時をきちんと刻んでいて


その時その時自分は何か行動をしているのだけれど・・・


時の流れの感じ方が


以前とは違っては来ているの


よくそういうのを年齢を重ねたからと伝えられているけれど


私の知り合いのお子さんたちも


同じような事を表現されているので


この時代の流れはやはり早くなっているんじゃないかなって


思っているの


そして21世紀を迎えて


今まで置き忘れたままになっていた問題が


これから表に溢れてくるとは思うけれど


そのすべては


クリアにして本当の意味で新たにスタートするための


準備期間として与えられる事だと思うから


問題が表に溢れた時


怒りや驚きでまた置いたままにならないように


意識される事が大切なんじゃないかなって


感じていたの


私たちはみんな集合意識によって繋がり


この地球で生きているから


ダイレクトに直感として何かを感じなくっても


後にして思えば


あの時見た広告が・・・とかあの時あの人と話した事が・・・など


必ず何かアクションを受け取っている事を


感じられると思うの


これからの時代は自分の意思とは別に


必要に迫られる機会を重ねてゆくうちに


直感的なものを開花させてゆく方が増えて


行くんじゃないかなって


何となく感じているの


私の小さな体験ではあるのだけれど


才能や素晴らしい資質に恵まれ秘めているのに


それをスムースに表現できていない方が


とっても多いように感じていて


その多くは


周りから与えられた思考によって


選択を狭められてしまった結果


自分の才能や資質に気づく機会がないまま


何となくいつも不足感を感じ過ごされていたり・・・


何となく運のタイミングがフィットせず


努力が実を結ばなかったりする事を多く体験してゆくと


自分は夢を見る価値さえないのでは・・・と


自分を否定するようになって


オーラ全体が輝く光を失っていたりされている方が多いの


でもこのような心の体験は


可能性や素晴らしい資質があるからこそ


体験できるものだと私は感じているの


この間たまたま何気なくTVのスイッチを入れた時


話されていた方が表現していたけれど


人はジャンプするときには必ずしゃがんだり


かがんだりしなければならないように


次に上がる時にはしずむ事も必要だというニュアンスの表現をされていて


私も本当にそうだと思うの


しずみが低ければ低いほど勢いがつき


ジャンプ力も上がると思うの


内側に自分の意思とは別に秘められた


使命や素晴らしい資質・才能がある方は


どんなに幸せな状態であったとしても時折立ち止まる


機会が与えられ


人はそれを悩みや迷いと感じ取っているだけで


本当は心と魂がコンタクトをしていて


私たちの意識が入り込めないだけの時もあるように思うの


そう思うと迷いや考えるという事も


悪い事ではなく


無理に解決を急ぐ事もなく


そのまま静かに心の混線を感じている事も


良いんじゃないかなって思うの


私たち人間は何層もの層でできていて


自分が意識できる領域以外でも


自分の人生で果たそうとする事へと軌道修正してくれていたり


時には一見望まない方向へ進み


自分で選んだはずの事なのに迷いや悩みとして感じ取り


そこから大きな大切な事に気づき


一気に進む道へと歩んで行けたり・・・


自分の予想を超えた形で働いてくれていると思うの


私たちは自分の人生を振り返ってみると


たくさんの奇跡としてしか表現できない


不思議な縁や出来事によって


今ここにいると思うの


その奇跡としか今は表現できない事も


これからもう少し月日が流れると


一人ひとりがその意味をわかるくらいの能力が開花し


多くの言葉を必要としない


思いの交流ができるようになるんじゃないかなって


感じているの









私たちは幸せになるために


この世に送り出されて迎え入れられたはずなのに


なぜこんなに辛く大変な世の中を作ってしまったんだろうって


ふっと思っていたの


そうするとやはりひとりひとりの心の中の思いや行動が


ゆっくりと広がって


目の前に広がる世界を作ってしまったんじゃないかなって


感じていたの


私たちの中ではこの世界の辛く大変なものを


小さくしたものがあって


何気ない無意識な怒りや人を裁く事


そして問わ直す事のないほど


当たり前と思い込まされている常識の中にも


人の心を傷つけ自分も傷つく知識があると思うの


人を裁く時には


心が感じたことと言うよりも


正しいと思い込まされている判断で


自分の人間性の素晴らしさや正しさを


アピールする機会となっている事もあると思うの


たとえば多くの方が好ましくないと思っている方を


自分はそうは思っていないと表現すると


多くの場合


その方と同じ価値観の人なのかなっと思われたり


時にはその方の良くない部分を


一生懸命に説明し


皆と同じ判断ができるように


説得される事さえあると思うの


その行為は時に良いことだとさえ思い


そのようにされる方もいると思うの


でももしもほんの少し客観視できる能力が


その方にあったならば


もしもが相手の立場だったら・・・と考える事が出来たり


もっと精神性が高ければ


自分の瞳に映るすべての問題が


自分の人生にどのように関わっているのか


考える時間を望まれる方もいると思うの


でも人間は繊細でとっても弱く強い存在なので


子供のように人からの評価を気にせず


自分らしくいる事が大きなマイナスになると思い


日々何気なく表現したり行動している事で


人を傷つけ


自分を持傷つけているんじゃないかなって


感じていたの


人は目の前の人には色々と偽る事が出来るけれど


自分はそのすべてを知っていて


その時々表現した言葉や行動を


一人で過ごす時にも


今度は自分にもあてはめて


自分を許すという心が持てなくなってしまうと思うの


人は体験によってしか実感として


心と体が重なり知恵として受け取る事が出来ないから


どうしても何度も何度も気づくまで


一見理不尽な体験をしながら


次のドアを開けてゆくと思うの


少しお話は違うのだけれど


私の友人で自分を本気では愛してくれない相手に


何年もの間誠心誠意尽くしていて


つい最近その恋も終わり心沈んでいたの


その時他の知り合いは


「あんな男に貢いだりつくしたりすること自体信じられない


ほんと学ばないよね「男に尽くす事自体理解できない


考えればわかる事じゃない」と表現したりしていたの


確かに表現している事は正しい表現なのかもしれないけれど


私たちは人を愛する時


ある部分で損得を考えないくらい


相手が望む方向へと歩めるよう


サポートしたいと思い行動してしまうと思うの


たとえばこれが恋というものではなく


自分の結婚したパートナーだったり


大切な子供だったならば


時には自分の力以上に力になりたいと


様々なものを注がれると思うの


たとえばお子さんを産み育てられている方の中には


自分の物を購入する事を控えても


子供の夢を叶えてあげたいと


心身共に疲労していても時間も費用も捻出し


子供の笑顔を守りたいと思われると思うの


男性に尽くし恋が終わった知り合いの場合は


もしかすると


私たちが考える愛情の範囲よりも


大きな範囲なんじゃないかなって


感じていたの


その知り合いはその後会社の方の紹介で


小さなお子さんがいる方と結婚し


とっても幸せに過ごしているの


その姿を見つめながら


この方だったら血縁関係や損得という視野で


判断しない大きな愛があるから


きっと今一緒に過ごされているお子さんにも


大きな愛情を注がれているんだろうなって


感じていたの


人はだれでも現実に自分が体験はしていなくっても


見聞きした事によって生み出された怖れを抱いていて


その事が時に過剰に反応してしまい


人生を小さな小さなものにしてしまっている事もあると思うの


本当は心の中で


もっと自由に笑顔で過ごしたいと思っているのに


自分が思う正しい人でいるために


たくさんの線引きがあって


なかなか一歩外へと出られなくしてしまっている事も


あるんじゃないかなって感じているの


私は昔から感じていた事なのだけれど


正しいといわれる事を語り


人を批評している方で幸せな方を見た事がなく


でもその方はその方で一生懸命に


自分を幸せにしようとされているの


その方だって自分が心から楽しいと思える時間を


持っているとは思うのだけれど


その時間を自分が思う正しい形でなければできず


一人でも批判を受けるであろう形ではできない事もあって


その楽しい時間がなかなか持てず


そんな時自由に笑顔で楽しまれている方を見るとまたつい


「結婚しているのにこんな時間までいていいの?


ご主人かわいそう」とか


「子供家にいるの?誰か見てくれる人いるの


いいわね今の人は結婚しても


何にもしなくっていいんだから」とチクチクっと


表現していたり・・・


よく幸せな人は周りをも照らすと表現されるけれど


そうではない方もまた逆に


人の心を曇らせてしまうと思うの


そしてその様に表現された方が


自分の心で消化できるほどのものがない場合には


相手から手渡された想いをおうちに持って帰ってしまい


家族や友人にその事を怒りと重ね表現してしまい


聞いている方もまたあまり心地の良くない思いを手渡され


最初に手渡した方がいなくなった後も


心に残像が残ってしまう事さえあると思うの


でも本当はなぜそのような方と出会ったのか?


一呼吸置いて考えられたならば


色々な自分にフィットする答えを受け取れると思うの


人にっては「私は今幸せだってことなんだな」って感じとったり


「私もあんな時があったかも気をつけなくっちゃ」って


反面教師的な考えが生まれたり・・・


そして集合意識で繋がる私たちは


たとえ人に表現しなくっても


心で思う事を瞳には映らない方法で


誰かに送り誰かが受け取って


その同じ思いがある一定数になった時


良い事であってもそうではない事であっても


多くの方が望んでいるとエネルギーたちが感じ取り


その思いが広がりやすい世界を


作り上げているんじゃないかなって


感じているの


上手に言葉で表現できないのだけれど


たとえば「私はこんな社会を望んでいない」と


意識では思っていても


自分の小さな環境の中で


否定しても


それに代わるものは考えていないという流れであったり


時には意識していないかもしれないけれど


それによってその恩恵を受けていたり・・・


私たちは大きな世界ですべてを見つめると


何となく自分にはどうする事も出来ないと感じたり


自分には関わりがないと


思われたりする方もいるかもしれないけれど


本当はそうではなく


ひとりひとりが心で思う思いが送信され


集合体となった時


目に見えて変わるだけなんじゃないかなって


感じているの


不平不満が持つエネルギーは


たとえ正論であったとしても


良い流れを作るエネルギーにはならず


今よりも状態を悪化させてしまう


波動のエネルギーだと思うの


時々私たちは意見と不平不満を


間違えている事があると思うの


意見と言うのは改善に向けての希望と共に


それに代わる提案を重ねたもので


不平不満は上手に意見のようにコ-ティングしていても


最終的には嫌な思いだけが残るものなんじゃないかなって


感じているの


私たちすべての人間には形こそ違っていても


心に愛情がわかるセンサーや


自分が進む道を示すセンサーがあると思うの


そのセンサーがちゃんと作動するためには


自分と言う存在を感じる時間がとても大切だと思うの


そうするときっと自分が思っている以上に


自分は愛情が深く偏見なども作りだしてはいない事に


気づけるようになると思うの


自分の中で自分を好きになれない事の多くは


人から手渡された価値観に合わせている自分であったり


自分の心の声を知っていても


それを実現してあげられない自分だと思うの


一人ひとり心を開いて自分を見つめて見ると


幼いころから何も変わらない純粋な部分を


残したスペースがあるのだけれど


日常の中で目の前の事に適応させようと


自分にいつも無理をさせすぎてしまい


自分の事を見つめ感じる事が少なくなって


気がつくとしたい事さえ分からないくらい


自分と言う存在が自分の中から消え


時には人が言いたい愚痴や価値観を


自分が表現させられている事に気づかなくなっていたり・・・


私たちは一人ひとり違うのにはちゃんと意味があって


この世に誕生し迎え入れたれているのだから


自分が自分でいる責任と義務があるんじゃないかなって


時々感じているの


どんなに人から心地の良くない表現で批評されても


それが与えられている行動で役割ならば


その言葉を消化してゆ強さとく知恵を生み出す事も


大切なんじゃないかなって感じているの


私自身もとってもこの言葉は


心のとどめておきたい言葉となっているの











最近昔よく読んでいた


精神世界の本を改めて読み返しているの


ここ数年は新たな知恵を受け取ろうと


前に前に進む事を意識して


たくさんの本を読んでいたのだけれど


私の場合


いつも同じ課題に出会う事が多く


問題は違っていても


いつも同じ訓練が必要になるので


過去に読んで心惹かれた本をまた読み返しているの


私の課題ははっきりとイエス・ノ―が表現できず


イエスと言った後もすっきりせず


だからといってノ―を言うのにも


大きな力が必要で・・・


その根源になっているのは


自分自身なのだと思うの


自分が人からノ―を言われても


その事で不快に思ったり


傷つかないおおらかな人ならば


自分と照らし合わせて何の躊躇もなく


ノ―がはっきりと伝えられると思うの


でも自分への自身のなさや


過去に自分が経験した傷つく思いを


人には体験させたくないという


形が違う思いから


ノ―が言えなくなっていたと思うの


昨日読んだ本に書かれた言葉なのだけれど


「私がノーと言ったら


友人を失うのではないかと怖かった


でも


私には友達などいなかった事に


気がつきました


誰も本当の私を知らないのだから」とあって


とても心に響いたの


そしてその本の中には他にも


「常にすべての人を満足させておこうとする


そんな事は今すぐやめる事


あなたは誰かを幸福にしたり


あるいは不幸にしたりする権利もなければ


力もないのですから


本人のみがそうすることができるのです


相手はある気持ちを感じたいために


あなたを言い訳に使うかもしれません


しかしだからといってあなたが原因なのではありません


毎瞬・毎瞬


どの人も自分自身の体験を


自分の考えを・自分の選択


そしてその出来事に対する解釈によって


作り上げています


不幸な人は宮廷に一陣の塵が舞っただけで


文句を言います


しかし幸福な人は掘建て小屋を


宮廷にする事も出来るのです」と書かれていたの


それを読みながら


特に目新しい表現ではないし


頭ではわかっている表現ではあるのだけれど


自分の外の意見として受け取れる事で


自分だけの考えではなく


この考えが一つの知恵として存在している事を


確かめられた事に


喜びを感じていたの


私たちはいつの日からか


大切な平和で穏やかな気持ちを保とうと


人と意見が重ならない時があっても


その気持ちを抑え


表面的には調和を保ち過ごしていたのだけれど


本心から作られた調和ではなく


あくまでも表面だけなので


自分の内の部分では葛藤がいつも広がっていたりして


時には相手に沿いイエスを伝えたのに


相手の予定が変わり


変更になった時


すぐに怒りを感じたりする事があるけれど


冷静に考えて見ると


ノーと言ったならばの結果になって


良かったはずなのに


怒りが収まらないのは


初めは相手のいいかげんさだったりするかもしれないけれど


本当は自分のしたい事思いがわかっていながら


そうできなかった自分への怒りだと思うの


私自身表面的には人とのコミにケーションが大好きで


その事が自分の長所のように感じてさえいる事もあるけれど


実際には本質的なコミにケーションは苦手なのだと思うの


それは自分の心の弱さがそうさせるのだと思うのだけれど


人と親しくなりすぎる事で


私の苦手な課題となっている


ノ―と言う訓練が多くなってくることが予想されるので


どうしても心から楽しめなかったり・・・


本当は私がノ―と伝えるだけで良いだけなのに・・・


相手が望んでいる事が


幼い時から必要以上に感じてしまう所があって


ついそのように行動してしまうの


だからといって好感をもたれるばかりではなく


99のイエスを伝えたった1のノ―を伝えただけでも


思い通りにならない事で


怒りを感じる方は


あれこれと自分の心を正当化する言い訳を考え


相手を否定するものなのだと思うの


そのすべての軸となるのは


やはり自分自身で


すべての人は自分を軸にすべてを見つめ感じ


価値観と言うものを秘めていると思うの


自分がおおらかな人間ならば


自分を許すのと同じように人も許せたり


自分の自由を認められるから


人の自由も尊重されたり・・・


私の場合はとても恥ずかしいのだけれど


きっと心の深い部分で


「本当はノ―なのイエスと言ったのに


何であなたは・・・」という思いが勝手にあって


変な方向から相手の行動を許せなかったりしているように思うの


それは自分を我慢させている事で


相手にも無意識に我慢する事を


要求しているんじゃないかなって


感じていたの


人は自分というスペースですべての判断をし


生きているから


私と言う存在が変われば


すべてがゆっくりと変わってゆくと思うの


その時人間関係にも今までとは違う変化が


もたらされるとは思うのだけれど


それは失うという事ではなく


真実の自分が受け取れるものを納めるために


作られたスペースだと思いながら


歩んでゆくためには


何よりも自分を愛し信頼し許してあげる事が


大切なんじゃないかなって


とても感じていたの











いくつになっても


目の前に届けられた出来事を受け入れる事は


とっても難しくって


いつも心が騒いでしまうの


でもそれはある意味で正常な心の反応だそうで


よく重い病になったかったちの


心の流れを伝えられていて


それは心理学的な知識なので


私たちの心の動きにも重なる部分があるように思うの


大きな問題が目の前に届けられると


初めに


「そんなことありえない!」「何かの間違いに決まっている」と否認し


次には怒りへと進み


「どうして私だけがこんな目にあわなければならないの!」


「なぜあの人は元気なのに、私だけが!」というように


初期の段階では受け付けない姿勢なのだけれど


次に進むと今度は


何かを条件にすることで


回復の奇跡を期待し


神にすがっったり


何かのよい行いをすることで奇跡を得ようとする取引へと流れ


次の段階ではゆっくりと受け入れてゆく入り口に立ち


その事から今までにない絶望感から


今まで築いてきたものすべてを失う喪失感に包まれるのだけれど


そういう時間を長く過ごしてゆくうちに


運命をそっと静かに受け入れ


最後のときを穏やかに過ごそうと受容という位置にたち


自分の人生を自分で整え納得して


すべてを受け入れられる状態になるそうなの


もちろんすべての人が穏やかな気持ちで


受け入れて行くまでにたどり着くわけではないそうだけれど


大きな病ではなくっても


私たちは自分にとって大きな問題だと感じるものが


届けられた時


このような流れを辿る事もあると思うの


その間によかれと思い安心させよう元気づけようと


周りが様々な愛の言葉を手渡しても


この心の体験は本人が納得するまで


進められる事だから


見守るという愛も大切なんじゃないかなって感じているの


子育てであってもそうだと思うのだけれど


私の母はなぜ良くないのかなどを


すべて説明する事がなかったのだけれど


大人になってから良く伝えてくれるのだけれど


自分も両親に自分で考えて答えを見つけてゆくように


育てられた事もあって


自分で考える時間を与え見守る事を大切にしていたそうなの


一人ひとりが誰とも違う使命と目的を持って


この世に生まれてきているから


自分で答えを探し見つける事も


きっと大切で


周りはあくまでも答えを見つけられるよう


ヒントのようなきっかけしか与えられないのだと思うの


私自身も自分の力のなさから


持つ必要のない罪悪感に苦しんでいた時


このHPを見てくださっている方から


「どんなに相手を思っていても


相手の人生を変わってはあげられない


そしてあなたの人生も変わってもらう事は出来ないのだから」と


短いメッセージをもらい


頭の中ではわかっているはずの事なのに


理解をしていなかった自分に気づかせてもらった事があって


今でもその言葉を大切にしているの


私にとっては学生時代が自分の判断で少なかった事もあって


HPを始めてから


すべての人が人生の先生になっていて


それもおしつけなどではなく


まるで神様がその時々使者としてその方に託したように


心があたたかくなる言葉であったり


真っ暗になっている心に光の灯を与えてくれたり・・・


私は多くの方のように学び過ごす時間が


ほとんどなかった事もあって知らない事も多く


だからといって何でも素直に受け入れられるほどの寛容さもないから


どうしても自分の小さな心のサイズにあった


噛み砕いたものしか受け入れられないのだけれど


私をあたたかい瞳で見つめ


見守ってくださる方がいる事を知ったことで


生かされている気がしているの


だから心繋がりあってくださっている方たちは


この世に存在してくれているだけで


尊い存在なの












私の友人はここ数年の間に


いくつもの会社からヘッドハンティグを受けていて


その話を聞くたびに色々な思い込みが溶かされたり


新たな真実を感じているの


友人は独身女性であと数年で40代になるのだけれど


メディアなどでは


友人のようなポジションの女性は希望を持てないような表現や


与えられた環境などにもよっては


輝き過ごす事が難しいような思いこみを刷り込むような


表現が多く


私自身も無意識ではあるけれど


そういう感覚を少なからず刷り込まれてはいたと思うの


でも友人は決して恵まれた環境で過ごしていたわけでもなく


新入社員の頃には


何かと上司が相性の合わない彼女のすべてを否定し


精神的にも耐えられず精神的な病になり会社を一度やめ


朝から晩までアルバイトを重ね


それでも正社員の頃よりも手にする金額は少なく


大変な時期もあったり・・・


でも彼女はどんな時も自分を喜ばせてあげる時間は作っていて


その時々自分ができる範囲で


人生を楽しんでいたの


その保たれた波動のおかげなのか


合わなかった上司が自営へと歩む事になり


会社を退社したからと職場の方たちからまた招き入れられ


数年の間にそのスペースのトップへと歩んでいったの


彼女は今でも落ち込みスイッチが入りそうになると


すぐに自分が喜ぶ事を考え行動し


波動が低下しないように過ごしていて


いつも与えられたスペースで自分が納得する形で働いているの


彼女を見つめながら客観的に教えられる事が多く


その中には


よくうまくゆかない事を場所が・・・とか経済的になど


様々な理由を考える事があるけれど


輝く人は都会や有名な会社などでなくっても


ちゃんと自分が


与えられたスペースで努力を重ねていれば


必ずその光に気づいてくれる人が現れ


自分にふさわしい場所へと


導かれてゆくんじゃないかなって


感じていたの


そして私たち人間の究極の使命は


一番簡単そうでなかなかできない


自分をいつも笑顔にしてあげることだと思うの


そうすることでその笑顔を作っている


自分の内から宿るパワーが人を照らし


また誰かに幸せを叶える素晴らしさを


手渡してゆけるんじゃないかなって感じているの


もしも自分が笑顔溢れる気持ちでないとしたならば


人を思いやり何かをしてあげても


どこかでしてあげたという思いがあって


どこかでその方からだけではなくっても


見えない何かに見返りを期待した行動となり


見返りがなければ


不満や愚痴を生み出してしまう事になってしまうと思うの


自分の心が満たされた時であれば


した事はさせてもらったという発想に変わり


その事をできた自分が嬉しいと思い


した相手への見返りを考えないように思うの


見返りを期待する時には


多くの場合本当はまだ


心からそうしたい思いにはなっていないのに無理があったり


良い人だと思われたい


人間の本能的な欲求によって行動した場合が


多いように思うの


そのすべては自分を笑顔にする事を後回しにし


他者の笑顔を作る事を先に行う事が


何となく日本では良い事のように伝えられている事もあって


自分のために何かをする事に


持つ必要のない罪悪感を感じ


その罪悪感の重さに耐えられず


心はなく形だけで親切な演出をする事に


心身が疲労している方も多いと思うの


私の小さな世界ではよく親切で優しい方ほど


愚痴や不満を言葉にされているのをみるたびに


今度はその言葉を受け取った方たちの心身の状態にも


あまり良い影響を生み出さないように感じているの


自分の心を満たす事が最終的には


人のためにもなる流れに繋がっているんじゃないかなって


感じているの


誰もが自分の幸福を願いながらも


そうならない事が多いのは


いつも外に自分を幸福にしてくれるものを求めていて


時には社会から与えられた価値観で自分を計ったり


無理に合わせようとする事で


どんどん気づくと笑顔が小さくなってしまっている事もあると思うの


この間フィットネスクラブに行った時


とてもかっこいい女性がいて


その方は鍛えられた肉体という事もあって


一般的な女性が望むスリムな体型ではないのだけれど


とても輝いていて素敵だなって思っていたのだけれど


それはきっとその女性が自分に満足し


自分に合うものをちゃんと知っていて


そういうものを選んでいるからなんじゃないかなって


感じていたの


もしもその女性が自分の価値観ではなく


周りの価値観から


女性たちが憧れるものに自分を合わせようと思っていたならば


今のように鍛えられた体は


とても好きにはなれず


今のように輝いてはいなかったと思うの


その方とお話をしたわけではないから詳しくはわからないけれど


その方は自分が笑顔になれる場所を見つけた事によって


周りの評価は不必要になり


自分が自分を受け入れ愛せる喜びに


満たされているのだと思うの


その気持ちが周りにいる私たちにも注がれていて


とっても小さな事なのだけれど


スタジオなどでは限られたスペースという事もあって


早くから場所取りのような感覚を持たれ待っている方もいて


少し遅くに入ると


スペースを譲ってくれない方もいるのだけれど


その方がいる時にはその方が近くの方たちと共に


少し遅くに入ってきた方にスペースを作り


呼んでいるのをよく見かけるの


この小さな親切を受けた方たちにとっては


その日一日の過ごし方が変わるくらいの


感謝や喜びの始まりになる事さえ


あるように思うの


そしてその小さな親切を受けた方たちが今度は立場を変えて


誰かに小さな親切を手渡されてゆく


そして親切は手渡された方が別のスペースでも


同じように満たされた心から自然に溢れる愛を


無意識に手渡してゆくと思うの


この時受けた方も受け取った方も


心地よく幸せな気持ちになると思うのだけれど


それが本当の親切で


瞳には映らないけれど最も大切なエネルギーの


交換なんじゃないかなって


感じているの


優先順位はその時々違うけれど


多くの場合はやはり自分を満たしてあげる事を


何よりも優先することで


すべてに愛を届けられる使者の一人に


なれるんじゃないかなって


感じているの



そして人間がいつも漠然と願う幸福に


すぐに出会える方法なんじゃないかなって感じていたの










ツイているツイていないという


運を感じる時って


多くの場合その瞬間得をしたと感じたり


自分が考えたようになった時だと思うのだけれど


本当運でツイていたのかどうかは


後にならないとわからない事が多いんじゃないかなって


感じているの


たとえ自分が考えた通りになった時でさえ


それが良かったかどうかはわからない事があると思うの


なぜならば人の進化・成長は


数日・数カ月で変化してゆく事もあるのだから・・・


自分で運がないとかツイていないと


感じられる体験をされている方の中には


後になるとその流れがあったからこそ


良かったと後になって感じる方もいると思うの


私の知り合いの中には


強い意志からなのか


自分が考えた通りにいつも物事が運ぶのだけれど


なぜか幸せな笑顔で過ごしてはいなく


日々悩んでいるの


言葉では上手に表現できないのだけれど


その方はその時々早いスピードで自分の考えも変わるので


多くの出来事が考えた通りに行く事が逆に


問題を多くしてしまい


最終的には自分がどうしたら良いのかわからなくなり


様々な占い師の方に信頼を寄せて相談しては


問題をまたさらに大きくしてしまい


今も大変な中で過ごされているようなの


でも瞬間瞬間を見つめていると


その方は損得だけで考えると得をしているように映る場面が多いの


その逆にある知り合いは


自分が考えた通りにはならない事が多く


ある時には並んで何かを購入しようと並んでいると


自分の目の前で整理券が終わったり


友人に誘われギャンブルをしても勝った事がなく


いつも自分はツイていないと感じていたようなの


でも整理券がもらえなかった時には


とってもがっかりはしたのだけれど


後になってもっと良いものをリーズナブルで見つけられたり


ギャンブルで勝てなかった経験も


だからこそその事に興味が注がれる事なく


過ごせているのだから


長期的に見つめて見ると本当は運があるんじゃないのかなって


感じる事があるの


運があるかどうかを計る目安が


何となく得をしたのかどうかで測る事が多いけれど


人生は長い時の積み重ねだから


もっと時間を進めなければわからない事もあるから


瞬間だけで運があるかどうかを


決めつけない方がいいんじゃないかなって


感じているの


人には備わったバイオリズムがあって


その流れは自分でコントロールできるものではなく


そのバイオリズムを感じ寄り添いながら


それに合わせた行動が大切なんじゃないかなって


感じているの


向かい風が強い時にがんばって進もうとしても


わずかしか進めないけれど


風が追い風に変わる事もあって


そう感じた時ならば普通に歩いているだけでも


いっぱいいっぱい進んで行けると思うの


冬に種をまいても花が咲き実らないのと同じで


すべては時期やタイミングが大切だから


向かい風が吹いている時に


自分の人生を考えてしまったり悩んで


自分は運に恵まれていないとか


決めつけないほうがよいんじゃないかなって思うの


ある著名な方が表現していたのだけれど


人は平等に運を持っていて


オ―ディションではあえて運のなさそうな人を選ぶそうで


それはそういう人というのは


使っていない運がたまっていて


これから何かの幸運を呼び寄せる可能性があるかららしいの


そして実際にそのような流れになっていて


いくつもの大きな幸運に恵まれていったそうなの


私の父は私が幼い頃


何かで落ち込んでいると必ず


「今どれくらい落ち込んでいるんだ」と尋ねてくるので


まだ人生経験が何もない私はよく


「人生で2番目くらいに悲しいかも」と表現すると


「じゃ~そろそろいい事があるかもしれないぞ


人間はうまくいっている時ほど気をつけなければならないんだ


でも落ち込んでいる時はあるところまでいけば


上に行くしかないんだから


お前は今一番幸せに近い場所にいるのかも知れんぞ」と


良く伝えられていたの


その頃はただ嬉しかったり楽しかったりする事が


良い流れなのだと思っていたけれど


人生をトータル的に見つめられるようになると


必ずしも悩みや不安・迷いがあるからといって


人生がバラ色ではなくなったわけでもなく


自然には季節や天気が変わる事があるように


人生にも誰の責任でもなく


そういう時期が訪れる事はあって


その時どう受け止めて答えを出してゆくのかで


ジャンプする幅が違ってくるように感じているの


人はその場の空気を考えたり見栄から


あまり自分が置かれている現状を語らない事が多いから


一人ひとり


自分だけが運に恵まれなくツイていないと思いがちだけれど


本当は語れなければ語れないほど


深く大変な体験の中にいる方も多いと思うの


そして同じ時期に同じ悩みや不安を持つ方も少なく


共感という安定剤となる時間も過ごす事が


出来ない場合もあるとは思うの


でも運というものは有効期限があるわけでもなく


無期限なのだからあせらず


もしもまたツイていないなって思うような事に出会った時には


「運を使わなくってよかった」って思うくらい


前向きに受け止める事が出来たならば


本当に運の貯金をおろせる日がきっと来ると思うの


それには自分なりに正しいと思う形で


日々歩んでゆく事も大切だと思うの


幸運が目の前にやってきた時


受け取る準備を整えておかなければ


望んでいた事であっても


いざ受け取る段階になると


躊躇して後ろの下がってしまうから・・・








私たち人間は繊細で複雑に形成されていて


時々自分が自分でコントロールできなくなる事も


あるんじゃないかなって


思うの


私たちは肉体と心がまるで別の存在のように感じる事もあって


どちらのささやきにも


ふたつが答えてあげてあげていなければ


時々忘れたころに小さな反乱をおこしたり・・・


現実的な部分で見つめると


心よりも肉体の方が何かを実現するために動くという


大きな行動ができるのだけれど


そのたびに心が肉体に寄り添い


心はいろいろ部分で譲り過ごしているけれど


時に心が小さなささやきをする事があって


もしもその心のささやきを肉体が叶えてあげないと


今度は肉体がどんなに頑張って努力を重ね


何かをしていたとしても


最後に心が「私は知らない」ってそっぽを向いてしまうと


肉体は続けるモチベーションを失い


続ける事ができなかったり・・・


私自身


その二つの存在をよく感じる事があるの


とっても小さな事なのだけれど


たとえば私の心が本を読みたいなってささやいた時


肉体が「めんどくさいから嫌だよ」と


心のささやきを叶えてあげず


肉体は肉体で自分が何かしているのだけれど


最終的には心の力が必要になり


心にささやきかけるのだけれど


その時には心は


「だってこの間本を読みたいっていったのに


図書館に連れて行ってくれなかったでしょ」って


力になってくれず


肉体だけでは成し遂げられなくなる事がよくあるの


心のささやきは肉体がその場所へ連れて行ったりしなければ


叶えられず


どんなに心がささやいても


肉体がその思いを受け取り行動できなければ


心のささやきをだんだんと小さくなり


聞こえなくなってしまう事もあって


そんな時病などになったりする事もあると思うの


肉体と心は一見肉体の方が大きな力を持ち


形としてゆけるようではあるけれど


人間には大切な心が備わっているから


肉体だけで努力を重ねても


必ず最終的には心の力を必要としていると思うの


その二つが一致した時には


人は自分でも思ってもいなかった力が


湧きあがってくるものなんじゃ


ないかなって感じているの


私たちは目に見える豊かさを必要以上に追い求め


肉体優先で過ごしていて


心のささやきが聞こえなくなっている方も多いと思うの


心はあんなところに行ってみたいなとか


あんな事をしてみたいなって


すぐにできる範囲での望みを伝えていても


肉体は「忙しいからできない」


「疲れているからできない」と


心のささやきを遮断して過ごすうちに


豊かさを求めていたはずが


様々な事を犠牲にしている事に


気づかされる事もあると思うの


人間の心には人生の地図で秘められていて


肉体は地図を見ながら心を運ぶ存在だと思うの


どんな時でも自分の心を正直に見つめたならば


どんな問題も解決できるし


自分が何を望み


何を幸せだと感じるのかもわかると思うの


よく肉体的な疲労だと思っている事も


本当は心から伝えられている事も多くて


慢性的な疲労感の中には


心を少しの間優先してねっていうサインだったり・・・


私の友人には驚くほど体力がって


仕事終わりやお休みの日にも


運動をしている人がいるのだけれど


そんな彼女も数年前までは


いつも何となく笑顔が少なく


今よりも行動的ではなかったの


そして仕事の往復でお休みの日も特に何もせず


身体を休め過ごしていたのだけれど


ある時引っ越しをし


引っ越したことで今まで暮らしていたところよりも


ガスの料金が高かったようで


お風呂タイムが楽しめないと何気なく話していたので


「歩いて3分くらいの所にフィットネスあるよね


そのくらい料金がかかるなら


毎日お風呂も運動もできて今よりも安く済むよ


運動しなくっても毎日大きな


お風呂入れるしいいんじゃない?」と


提案したところ彼女はすぐに申し込みをし


通いだしたの


そして彼女はプールやスタジオで運動するようになって


置き忘れてきた何かを思い出したかのように


生き生きと輝きだしたの


私は驚いて尋ねてみると


学生時代は水泳や他の競技で記録を持っていたり


学生時代はアルバイトで


子供たちに教えていた事を教えてくれたの


彼女は自慢する人ではなかったので


長い間お付き合いしているけれどしらなかったので


思わず「すごーい」と叫んでしまったくらいなの


彼女はその秘められた能力を閉じ込めたまま


毎日仕事で疲労していたのだけれど


本当は心が求めていたのは


毎日感じる達成感が得られる


運動をする時間だったのだと思うの


それ以来年代別の大会に出場したりして


すぐに高成績を残していて


本当にすごいなっていつも尊敬しているの


それでも中には


「そんなに頑張ったからといって意味があるの?」


ささやく方もいるようなのだけれど


そう言ってしまったら


私たち人間そのものの


意味がなくなってしまうように思うの


だって私たち人間は


必ずいつかはこの学びの場を離れ


天に召される事を知っていて生きているのだから・・・


私たち人間は心のささやきを満たす事で


肉体にもパワーを宿してくれるから


あまり頑張りすぎて


心のささやきを無視してしまわず過ごす事が


大切なんじゃないかなって感じているの


何か問題を早く解決したいと思ったり


何かを早く済ませたいという思いがあっても


そんな時だからこそ心を優先させてあげる日を


作ってあげる事が


大切なんじゃないかなって感じているの


人生は自分が考えているよりも


多くの時間を用意してくれているのだから


その中のたった一日自分がしたいように過ごす日があっても


良いと思うの


その心を満たした時間が


今後自分が思っていた以上の報酬を


与えてくれるんじゃないかなって


私は感じているの