2011年3月








今日は



購入したまま



貯めていた石と



コンタクトをしながら


自分が身につける



アクセサリーを作っていたの



貯めていた石とは



一般的には商品とならないような



でこぼこだったり傷などがある石たちで



その中には形こそ整ってはいないけれど



とてもエネルギーを感じるものや



違う角度から見つめると



美しいものなどがあって



そのような石から無言で



色々な事を魂や



心に伝えてくれる事が多く



あえて形が整っていない石を好んで



身につける事が多いの



職人さんの腕もあるのだけれど



一見形は整っていても



エネルギーに沿って



穴をあけていない場合も多く



エネルギーの軸がずれていたり



どんなに腕の良い職人さんが形を整えても



個性が強すぎてなめらかにならず



自然からそのまま持ち込んだ姿が



感じられる部分を残した石もあったり・・・



石も人と似ていて



一般的に受け入れられるために



一般的に問題のないよう整えられるけれど



それでもどうしても良くもわるくも



個性を消す事の出来なかったり



石でも傷があるほど



その部分が虹色に輝き



一般的に整えられた石にはない



感動を与えてくれたり・・・



人も同じように



人生の中で



色々と研磨される様々な体験をし



丸くきれいに



大人になるよう導かれてゆくけれど



それでも時には



傷つきある部分が欠けとなり



何かを手放し形を変えてゆくけれど



その傷や欠けから



美しい虹色の光が放たれていると



思うの



そして多くの方が



周りに受け入れてもらいやすいよう



自分を演出したり時には



偽る事もあるけれど



人間は面白いもので



がんばって整えたのに愛されなかったり



逆に欠点だと思っている部分が



人に愛される要素に



なっていたりすると思うの



私が感じているのは



長所というのは



多くの方が問題ないよっていう



評価の一つで



欠点と言うのは



好き嫌いが分かれるけれど



それがその方に



与えられた個性だと思うの



個性というのは



人と違う部分を表現する言葉だから



批判される事もあったり



面白がってくれる人もいたり



様々な反応を受け取れる部分だと思うの



そして不思議なのは



欠点だと思う事でに失敗よりも



長所だと思う事での



失敗の方が



人生では多いように感じているの



たとえば私の場合



人と出会い話す事が大好きで



社交的な部分が長所だと



自分は思っているけれど



長所だと思っている部分には



何の根拠もなく


変に自信を持っているせいなのか



配慮が足りず



しゃべりすぎてしまい



相手の話を聞く耳を持てていなかったり



みんなを楽しませたいと思う気持ちで



話しているつもりが



気がつくと



自分の意見や思いばかりを



表現する場になっていて



思いとは
別に


本当は周りはつまらない思いを



させてしまっている事も



あると思うの



そして私の欠点だと思っている部分は



ものを知らない・学歴がない



社会生活経験が



ほとんどない事なのだけれど



欠点は



日頃から



自分の意識にあるからなのか



どんな仕事の人であっても



社会生活をされている方を



尊敬している気持ちが



いつもあるので



多くの方が無意識に



見下ろしている仕事に対しても



私の中には



存在しない事もあって



様々な職種の方から



色々な事を学べる事や



ものをあまり知らない事もあって



多くの事が



初めての知識が多く感動できたり・・・






日本では自分の良い部分を謙遜から



自己肯定する機会が少なく



時には



自分を好きだと表現すると



「あの人は自分好きだよね」って



否定的に受け止められることも



あると思うの




その逆に



自分の好ましくない部分を



表現する機会はわりとあって



その何気ない癖が益々



自分の自信を消し去ってしまう時間と



なってしまうんじゃないかなって



思うの



私の知り合いの中に



人にはなかなかわからない



優しさを持っている人がいて



周りからは空気を読めない人と



表現されているのだけれど



私から見つめるとそれは逆で



空気を読みすぎるくらい読んでいるから



こうしたんだろうなって



思う事が多いの



思いやりや優しさの形を



わかりやすい形で



表現し伝える方もいれば



そうではなく



時には自分が悪役をかってでて



その場を収めたり



自分以外の周りが



団結しやすく整えている人も



いると思うの



周りから見つめるとその姿は



その方の欠点に



映っていると思うのだけれど



別の角度から



見つめられる人から見ると



とても素晴らし部分だと思うの



この地球には



様々なものあって様々な人がいて



色鮮やかな世界がある事を思うと



必ずしもみんなが同じ方向を見ていなくっても



よいんじゃないかなって感じているの








今日は何となく



自分の中に浮かんでは消える



小さなストレスとなっている事を



書き出してみたの



書きだした多くのものは



客観的に見つめて見ると



何でこんなことで



私は悩んでいるの?と



いうものばかりなのだけれど



自分の弱さや持つ必要のない罪悪感から



手放せないものばかりだったの



書きだした問題が



もし友人が悩んでいて



相談されたならば



ストレートに



「自分が必要だと思う方にチェンジした方が良いよ」



とか


「相手の事考えるのも大切だけど



自分の直感も大切だよ」



って



きっと伝えられているはずなのに・・・




私は物心ついたころから



無意識の課題となっているのが



自分の意見を



きちんと相手に



伝えるという事のように感じていて



このような事はいつも形を変えて



私の元にやってくるの



たとえば



漠然とこれから



自分の体調を整えるのに



これからの予定を立てて



数日実行していると



その予定が続けられないような



誘いがあった時



なんとなく意味もなく



つく必要のないウソをつき



断ろうとするのだけれど



そのあと相手が



とてもがっかりしているのが伝わると



つい無理して誘いを受けてしまい



後になって体調がすぐれず



気持ちの弱い私は



言った自分を責めた後



相手にもあまりよい感情を



持てなくなってしまう事さえあるの



でも冷静に見つめると



すべては



自分の内から湧き上がる自信のなさから



このような結果へと



自ら導いてしまっているんじゃ



ないかなって感じているの



他の事であっても



ひとつのものが



もしもフィットしないなって思っても



そこしかないわけではないのだから



他を探せばよいだけなのに



大人になるにつれて



良い意味でもそうではない意味でも



慎重になりずぎて益々



決断力が小さくなっているように



感じているの



それで今回自分で浮かんでは消える



小さなストレスとなっている事を



書き出し



その事を



解決するにはどうしたらよいのかを



漠然と思うのではなく書き出す事で



自分自身に



形として伝えようと思ったの



そうすると不思議なもので



自分が強い決心をしたわけでもないのに



思いと言う形のないものから



文字にして形にした事で



早く解決したい思いが湧きあがり



早速行動に移してみたの



そうすると



自分が思い悩んでいた時間は



なんだったんだろうと思うほど



多くの問題は光が見えてきて



心が軽くなってきたの















子宮の手術をする数か月前



不思議な流れがあったの



今まで通っていた病院で



何の問題もなかったのだけれど



その時期たまたま



行くたびに担当医が変わる中で



毎回手術について



同じ相談をするのだけれど



言葉にできない不安や



信頼できない気持ちが湧いてきて




私のは珍しく



行動的に



別の病院を探してみたい気持ちになって



インターネットで



調べたりしたのだけれど



特に心惹かれる事もなく



そんな時



私の暮らす北海道で



無料のがん検診のクーポンが届き



そのクーポンを使える病院が



いくつも掲載されていて



なぜなのか



今でもわからないのだけれど



自宅から遥かに遠い



病院を選んで行ったの



そうしたら



その病院はドラマの白い巨塔のように



とてもポジションの高い方が



1分くらい診察し



お話もないまま終わるような所で



縁を感じないまま



別の科で別の検診を受けている時



その先生が



「わざわざこんな遠くまでこなくっても



近くにも病院あったでしょ



今日は天気も悪いし大変だったんじゃない」と



話しかけてくださったので



その時



私は子宮の病について話し



相談したかった気持ちを伝えたの



そうしたら



その先生は



「そうだったんですか



今私がすぐに手配しますから



安心して」と



伝えていただき



婦人科の診察は



時間的にもう終わっていたのに



婦人科へ連絡をしてくださり



別の先生に



話を聞いてもられる事になったの



その時私は



自分の思い込みから



「こんな若い先生で大丈夫なのかな」って



不安いっぱいになって



今思えば失礼なのだけれど



「もし手術をするとしたらあなたがするの?」と



尋ねると



「他の先生も立ち会い数名で行います」と



答えられ



変に安心したくらいなの



でも今思えば



自分が幼い頃は



お医者様は



みんなすごい大人に見えているけれど



自分が年齢を重ねてゆけば



みんな若く感じるし



技術に関しては



昔覚えたまま



止まっている事もあるのだから



年を重ねた貫禄とは別に



最新技術をいくつも体験し



今を生きる若いお医者さんでも



良い結果になるかもしれないって



今思っても



どうしてその病院に決めたのか



はっきりとはわからないのだけれど



自分が何かに納得したから



そうしたのかなって感じているの



そう思うとすべての事は



たとえどんな結果になっても



自分が納得した形で選び取る方が



自分の人生すべてを



肯定できる力になってゆくんじゃないかなって



感じていたの











今日はとても



大きな出来事が



日本中で起きていて



とても怖かったの



人間は危機的な状況になると



無意識に



一番必要で大切な選択を



瞬時にするからなのか




気がつくと



電話をしたりメールをしたり・・・



私に連絡をくれた家族や友人



知り合いなどは



日頃私が感じているよりも



私の事を大切に



思ってくれているのかなって



ありがたく心強い気持ちに



包まれていたの



私の親友の実家が今回



大きな地震を受けた



場所だった事もあって



想像できないほど大変なようで



改めて地球上では



人間が最も優れ優位にいるような感覚を



無意識に持っているけれど



普段は静かな自然が



ちょっといつもと違う動きをしただけで



私たち人間は



無力に近くなってしまい



色々と考えさせられる事が



多いと思うの



友人の実家が今回



大きな地震を受けた所という事もあって



色々なお話を聞いたのだけれど



停電で近所は真っ暗で



多くのお店は



やっていなかったのだけれど



真っ暗中



懐中電灯を手に



コンビニに人が集まり



様々なものを



購入していたようなのだけれど



その時友人も私も



真っ暗中で



何も見えなく



あらゆる良くない想定もできるのだけれど



そんな事をする方は人もいず



暗い中で小さな明かりを頼りに



いつも通りに行動している事を聞いて



こういう時



もっとも日本人の持つ



慈悲や道徳などに感動し



日本人の素晴らしさを感じるの



そして今は今の時代らしく



インターネットなどで



現状を報告し助けを求める方がいると



そのメッセージを見た方は



警察に伝え



救助をお願いされる方などもいて



自分のできる形で



自分の力を素晴らしい形で



注がれている方もいて



よくメディアで伝えられてきた



ネガティブな若い方のイメージとは違い



冷静にできる事を



探し行動しているのを知り



日本人に宿る素晴らしいものは



受け継がれているのを



感じていたの



メディアでは



いつも



極端なタイプの方が



いつも映し出される事が多く



そういう人ばかりのように



思ってしまいがちだけれど



逆に今までの若者よりも



押し付けや見返りを期待しない



さりげない



愛ある行動に



感動する事が多いの



今日友人とニュースを見ていて



まるで映画を見ているような



映像ばかりで



怖くなっている所に



自分の元にも揺れが来て



そのたび友人と私は怖くなって



なかなか電話を切る事が出来ず



切っても



何度もまた電話で話していたの



遠い街に暮らす



パートナーはのんきで



こんなに大変な事になってるとは



知らなかったようで



家族から電話があって知り



「こういう時



自分の事大事に思ってくれている人が



わかるよな



会社の人間からは



電話一つかかってこない(笑)」と



表現していたの



でも数時間後には



電話があったようなの






できる限り多くの方が


与えられた人生をまだまだ歩んでゆけるよう


救出されるよう


今日は眠らず祈っていようと思っているの









今回大きな地震の中で



今まで日本が行ってきた様々な愛情が



ちゃんと



世界中に人の心に



伝わっている事を



改めて知ったの



政治的な面では



愛情や思いやりが



あまりよい形で



表現されずにいた事もあったけれど



それはやはり



すべてメディアに登場する



トップの印象が



それぞれの国のイメージになっていただけで



どんなにメディアで



情報操作などがされていたとしても



一人一人



自分で考え感じた事実があって



世界のメディアで伝えられる



評価とは真逆に



日本と言う国を愛してくれている



様々な国がある事を知り



日本に生まれ



日本に暮らす日本人として



涙溢れそうなくらいに



あたたかい気持ちに包まれているの



年々昔とは違い



世界が遠いものではなくなり



繋がっている



意識を持たれている方も多く



自分ができる事を



考えたり探されたりしながら



行動されたり



無意識ではあるけれど



自分が見たニュースなどを



知らない方に話される事も



ひとつの貢献のように思うの



意識が高まり



多くのエネルギーが集中する事で



その土地へエネルギーが注がれ



大地が元気になり



その大地の上にいる人々にも足元から



エネルギーが送られてゆくように



思うの



今無意識に



多くの方の心が



その場所に注がれていて



多くの方が祈りにも似たエネルギーで



癒されていると思うの



今回は



日本の広い範囲で



大きな揺れや津波などがあって



リアルに被災地の方の気持ちに



共感しながら



今後の歩みを考えさせられている人も



多いと思うの



高層マンションに暮らす



知り合いは



驚くほど揺れて



とても怖かったそうで



一戸建てに引っ越しを考え



被災地が



停電のニュースなどを見つめながら



オール電化に暮らすの知り合いは



現代の便利さの中で



色々考えさせられたようだったの



親友の実家が被災した街で



停電になり



何もできない状況だったそうなのだけれど



唯一使わないまましまっておいた



マッチなどで点火する



昔ながらの灯油ストーブが



物置にあったことを思い出し



近所の方と



それで暖をとり



東北の寒さを癒しているのを聞き



私自身も電気だけに



依存した生活の中にも



電気を必要としないものも



生活の中にとりいれておく事も



大切なのかなって



考えさせられたの








今回の大きな地震では



今まで気づかなかった事に



気づかされたりする事が多いの



親友は何日も被災地に暮らす父親と



連絡がとれずにいたのだけれど



やっと電話がつながり



ホッとしたようで



その事を私にも伝えてくれたの



親友の父親は



山登りが趣味だった事もあって



日々わざわざ不便で困難な環境の中に



身を置く事に慣れているのか



今回の地震でも疲労感なくいたようで



親友はストレートに



日頃口にする事のない



父親への尊敬を言葉にしていたの



親友の父親はずっと一人暮らしで



一見自由に勝手気ままに



暮らしていたそうなの



でも



私が感じたのは



自分の事を



いつでも自分でできるように



整える事は



結果的に



娘たちに



迷惑をかける事なく



いられるから



今まで必要以上に体を鍛え



過ごされていたんじゃないのかなって



思ったり・・・



その大きな愛情を



今回親友は何となく



元気な父親から



感じたのかなって感じていたの



親友の父親は



幼い頃にも



大きな地震と津波の経験があるそうで



だからなのか



色々な対策がされていたようで



電気が止まっている中



暖房器具が使えないので



寝袋を2枚重ねで使い過ごし



山へいつも行く事もあって



保存食もあるようで



何一つ



いつもと変わらない生活



をしていたそうなの



年を重ねなければ



得られない生きる知恵の



大切さを感じていたの



今回津波の情報では



あまり大きな波ではないような情報が



早くに流されていたようなのだけれど



ある方は



前のチリの地震で



大きな津波が来た事を



記憶していた



お年寄りの方も多く



家族は大丈夫だとゆっくりしている中



すぐに高台へゆくよう促し



家族と共に



早くから逃げられ助かった方も



多かったのを聞き



昔あったと伝えられる



姨捨山の風習の話を



思い出していたの



昔は60歳を超えた人や



身体が弱い方は負担でしかなく



山に置いてくるという流れが



あったのだけれど



その当時



お殿様が国民に



よその国との交渉で



必要な知恵はないかと募ったところ



風習に反して



親を隠していた息子が



母親に何気なく尋ねると



悩む事なく良い知恵を授けてくれ



その知恵をお殿様に伝え



その国は救われ



その時



風習に反して親を隠していた息子が



そのすべての知恵は



母親が教えてくれたことだと伝えた所



現実には



労働力とならない世代でも



今までの経験から



多くの知恵を持つ事を改めて知り



そこから



心豊かで知恵満ち溢れた



国になっていったそうなの



今の時代は形こそ違うけれど



やはり年齢を重ねた方が



今までの体験から得た生きる知恵が



私たちの世代には必要な時も多く



危機的な状況の時



無意識にとる行動の多くは



良い意味で



親から何度も何度もうるさいくらいに



刷り込まれた



生きる知恵のベースがあって



今日まで生きられているように



感じているの



私も親友も



今になって気づかされる



親から手渡された



大きな愛情を感じる事が多いの



日頃伝える機会がない



こういう時にはこうするという選択も



幼いころテレビを見つめながら



何気なく伝えられていた事など



無意識の中に刷り込まれているのか


今になって



自分が体験せずに得られた知恵に



感謝が溢れているの



親は大きな愛情で先々を考え



自分がいなくなっても



子供が生きてゆけるよう



自分が生きている間に



色々な知恵を手渡そうとして



時には



子供にとっては



今必要じゃない知恵も多く



うるさく感じる事もあるけれど



まだまだ



様々な成長をしている幼い時期に



手渡す事で



それが無意識のスペースに刷り込まれ



長い間その知恵が生きる事を



昔の人たちは



何となく感じていたのかなって・・・



人はどんなに



自ら様々な体験をしても



良い事もそうではない事も



幼かった頃



吸収した知恵や



価値観がベースとなっている部分があって



それは消える事なく



大人になった



今でも様々な節目節目で



立ち止まる機会を



与えてくれていると思うの



時代は周り繰り返される事が多く



今の時代は形を変えて



労働力とならない



年齢を重ねた世代を



若い世代が



排除できないかと考え



思われている方も



いるようだけれど



今回のように



文明の進化が



役に立たない出来事に出会うと



頭では知識を



いっぱい持っていても



現実的に



動けるかどうかはまた別で



やはりアナログ的と



表現される世代の方の生きる知恵や



行動力から



得られる事も多いように思うの



私自身も



小さな揺れでも



不安に包まれている時



両親から電話をもらい



不安な気持ちを話していると



「大丈夫だ



何かあっても発電機もあるし



食料もあるから



何かたったら迎えに行くから



○○ちゃんも



一人暮らしだから



一緒に来ればいんだ



俺がいる間は



何も心配しなくてもいいから」と



父に伝えられ



友人も私も



とても心強かったの



昔の世代の父は



今の世代の男性よりも



えばりんぼで



嫌な部分も多かったけれど



こういう時頼りになって



ちょっとかっこいいなって思ったの








今日知り合いが



寄付について話していて



その知り合いは



今月両親の事で



多くのお金が必要で



とても寄付できないと話されていて



持つ必要のない



罪悪感に包まれていたの



私はその時



この優しい思いやりあふれる



日本人気質に



何だかホッとしたのと同時に



時には苦しまなくてよい人も



心曇らせてしまう事が



ある事を感じていたの



その時あま一般り常識のない私は



「何もしてないっていうけど



ほんとはそんな事無いと思うよ



たとえ目に見えて寄付しなくっても



国が援助すると表現す時



そのお金は



みんなが納めている



税金と言う事なんだから



個人的に寄付いしなかったとしても



国を通して



自分のお金を寄付しているのと



同じなんじゃないのと



表現すると



その知り合いは



ふわっと笑顔になり



「じゃー私も少しは役になっているのかなって」って



優しい表情になったの



私は少し物事を斜めに見る所があって



災害などがあると



今まで聞いた事もない企業や個人が



急に寄付を募る事があって



そのたび何の根拠もないのだけれど



これを機会に



自分たちの赤字の補てんをされたり



儲けにつなげられる人も



いなくはないんじゃないかと・・・



私の元にも



赤十字からというメールで



寄付を求めるものがあったのだけれど



赤十字とは長い間関わりがあったので



メールで寄付を募る事にも



疑問があって



ホームページを見て見ると



まだその様なページは



開設されていなく



今回は



現地への派遣などが



早くからされていて



事務的なことが



追いついていないようだったの



今回の災害では



政府の早い対応によって



今までにないくらい



早くに派遣要請などもあって



現実的な行動の方に



力が注がれているのを見つめながら



勉強不足の私は



ただ寄付を募り



そのために少しの行動を



アピールする団体ではないんだなって



改めて感じていたの



日本人の優しい思いやり溢れる善意が



ちゃんんとした形で



手渡されるよう祈りながら



自分もできる事を探し行動ながら


しばらくの間は過ごそうと思っているの










今回の地震で改めて



日本人が秘めている辛抱強さや



団結力などを見るたびに



日頃は表現する事がないけれど



良い意味で



DNAに刻み込まれている



資質を感じる事が多いの



今回の地震でも受け取るものは



それぞれに違うけれど



感性豊かな方たちは



この状態から



色々と考えさせられる事も



あると思うの



今様々な不安から



買い占めなどが



多くなっているようなのだけれど



人はだれでも



予想できない不安に包まれると



冷静に判断できない事もあって



とりあえず



思いつく事に意識を注ぎ



そうすることで



わずかでも安心を得られるから



その行動も



仕方がないのかなって



感じているの



私の暮らす街では



大きな地震はないけれど



連日テレビなどを



見つめているうちに



不安に包まれる方が多いのか



保存のできる食品などの棚には



商品がなくなり



それを見た人が



益々不安を感じているようだったの



人は災害だけではなく



人生のあらゆる場面で



不安を癒すために



必要以上に備えてしまう事が



あると思うの



今回数年前に出会った



神戸で被災された方の事を



ふっと思い出していたの



その方は



その大きな体験の中で



意識が変わり



今まで死ぬまで行きたいと



思って行かなかった場所や



できなかった事を



何よりも優先する選択をし



過ごそうと思ったらしく



毎年



北海道に来るようになったそうなの



ご近所では



何よりも壊れた個所を直す事を



優先しているのに



その方は



地震の体験をしてからは



なくしてもおしくないもので十分と



今までのような



高級な食器などは買いなおす事なく



玄関先のステップが



壊れたままだけれど



不便はないからと



そのままにしているらしく



「ご近所では壊れたおうちを直したりしているのに



何もせんと



北海道ばっかり行って



あそこの奥さんはあほちゃうかと



言われていると思うよ」と



笑っていたの



今まで築き上げたものを



もう一度立て直す方もいれば



残り少ない人生



物への執着がなくなり



心を満たすために過ごされる方



同じ体験でも



得るものはそれぞれで



その方は



性格までも変わった



とよく表現されていたの



今までは予想できる



幸福のために



時には



息苦しくなるほど子供たちにも



正しいと思う道を外れないよう



伝えられていたそうなのだけれど



地震以来



すべては



生きてこそだという思いからなのか



嫌なものを



我慢してまでする事はないと



伝えたり



ある時には



それだけが人生ではないと



驚くほど



おおらかなになっていったそうなの



その方が震災にあわれたとき



一階で寝ていた時



大きなタンスに挟まれ



出られなくなっていた時



ずっと自室に



引きこもっていた息子さんが



「かーちゃん大丈夫か!!」って



大きな声で探してくれて



タンスをどかしてくれたそうなの



そのお話を聞きながら



愛情はいざという時にしか



見えないものだったり・・・



この方の場合は



災い転じて福となすという



言葉が重なるように



その日以降



息子さんの引きこもりは終わったそうなの










私自身



ずっと子宮の病によって



痛みと共に暮らしてきたので



その痛みから解放されてみると



大変さを経験したからこそ



受け取れる幸せも多いの





大変な体験がなくっても


日々幸せと感謝を



感じられる人と違い



私のようなまだまだな人間は



いつもとは



少し違った体験がないと



気づけない事も多くって



今になると



大変な体験があったからこそ



今幸せを感じられていると思うの



病から解放される前は



女性だけに与えられた



嬉しくない毎月のイベントには



薬の効果や時間を考え



3時間おきに



目覚ましをかけ薬を飲み



女性だけに与えられた日が



やっと終わったと思っても



また数週間後には



訪れるその日を思い



心が曇るだけではなく



恐怖さえ感じていたり・・・



そのたびに



いつもそんな痛みもなく



健やかに過ごす方が



ただただうらやましく



時には何で私だけ・・・と



悲しくなった事もあったの



でも今はみんなが当たり前に感じている



毎日を過ごせるだけで幸せで



そのおかげで



小さな不満は溶かされてゆく事も多いの



きっと今回災害にあわれた方たちも



今はとても


大変で辛く悲しい時間を



過ごしていると思うのだけれど



必ず今まで以上に



何気ない時間の尊さを感じられたり



今の私などでは



受け取ることのできない



悟りに近い



幸せを感じる事が



出来る日が来るように思うの



そして私たちは



間接的にではあるけれど



今回の状況を見つめながら



一人ひとりが



色々と考えさせられた事もあったと思うの



感性豊かな方たちは



イマジネーションの中で自分を重ね



家族が共に過ごせるだけで



幸せなのだと感じたり



日々思いもしない



あたたかな空間で



プライバシーに守られ



過ごせるだけでも



ありがたいことだと感謝したり・・・



行動力のある方は



自分にできる事を



様々な形で行っていたり・・・



それぞれが眠っていた感性を目覚めさせ



今を過ごされていると思うの








地震が起きてから



私は例のごとく眠たくて眠たくて



体調に変化を受け取っているの



数年前にもあったのだけれど



意識がシフトチェンジする時って



寝ても寝ても眠たくって・・・という時期を



通る事が多かったので



今回もそうなのかなって



感じていたの



そして地震という大地の磁場に変化があるからなのか


まるで秒数を刻んでいるようなリズムでおなかがちくちく痛く


友人にその様なお話をしたら


友人も地震が起きてから眠たくて眠たくて


起きているのが大変だったようで


私の話を聞きながら安心していたの


地震などの大地の磁場が変わる時には


敏感な方は頭痛がしたり


心身に異変があって


その時はわからず


わけもなく落ちこんでしまったり


原因もないのに大地と同じように


フラストレーションを感じていたりする方もいるのだけれど


地震が発生した後には


元に戻り地震が原因?って感じられていた方もいたと思うの


よく地震発生前には


動物たちは大地の磁場の変化にすぐに気づき


いつもと違う動きをしたりするけれど


人間にも秘めた危機管理システムがあるから


形を変えて


自分に伝えようと残っている能力なんじゃないかなって思うの


私が暮らす地域は大きな地震はないけれど


何となく頭の中が揺れているような不思議な錯覚が何度もあり


離れた場所ではまだ揺れが起きているのかなって


そのたび感じているの


今回の出来事でさらに日本というスペースには


感謝と言う最も高尚な意識を持った方たちが増え


次の進化へシフトチェンジしてゆく方たちが


多くなるように感じているの


このような出来事が起こると世界では


日本人の思いやりと辛抱強さと礼儀正しさに驚かれるそうで


暴動などがおきない原因を


ジャーナリストの方たちに尋ねられるそうなのだけれど


その多くの方は特に答えはなく


なぜと問われれば日本人だからと答えられるそうなのだけれど


やはり私も同じ答えに辿りついてしまうの


日本人は自分では意識してはいないけれど


ふれあう事のない人であっても


同じスペースで過ごす方を信頼する事から


すべてが始まっていて


海外はその逆の事が多く


相手に何かされるかもしれない前提で


その守りとして銃があったり・・・


私たち日本人は理由はないけれど漠然と


心に神が宿りあっているという前提で暮らしていて


もちろん時にはそう感じられない方もいるけれど


大多数が自然や経験などから何かを学び悟り


そうできなかった方には


両親や友人などふれあう方たちが


愛情や思いやりの大切さを手渡し


そこで愛情や思いやりというかけがえのないものを知り


それがずっとチェーンのように繋がっていて


世界から見る日本人という特色になっているのだと思うの


私たちは受け取るばかりの豊かさだけではなく


与えられる事の豊かさも知っているから


気がつくとその思いが循環されていて


互いに心身が健やかでいられるのだと思うの


私の周りでも自分が誰かからもらった得があると


分け与える豊かさを持っている方が多く


いつもおすそわけしてもらう事が多く


物質自体も嬉しいけれど


それよりなにより


私の事をその時に思い浮かべてくれたこと自体が


大きな喜びになっていて


感謝という素晴らしいエネルギーが湧きあがるボタンを


押すタイミングを与えてもらっているの


私自身は常識から形だけでお返しする事を好まない事を


知っている人たちとのお付き合いなので


昔のようにランダムにお付き合いをしていた時とは違い


非常識だと責められる事はないのだけれど


私j自身はいつも自分が最もお役にたてるタイミングで


相手が一番求めている事をお返ししたい事もあって


瞳に映るお返しは少ないのだけれど


よくあるのは周りは社会生活を送っていて


なかなか時間が作れない事も多く


そんな時いつでも自由時間が多い私は


瞬間的に聞いた相手の知りたい事を調べたり


時にはまるでオペレーションセンターのように


昼間にどうしてもしなければならない事を伝えられ


代わりに用を済ませてあげたりする形で


感謝のお返しをさせてもらっているの


これだけ物質的に豊かな時代になると


多くの方は欲しいものは自分で購入する事が出来るようになったけれど


それ以外の購入できない何かに


大きな必要性を感じられたり


喜びと感じる事もあると思って


そうさせてもらっているの


最近特に感じるのだけれど


誰かと縁がつながっている事にとても喜びを感じる事が多く


それもこちらからだけ思っているのではなく


相手からも自分の必要性を感じさせてもらうたびに


意味もなく私は生きていてもいいんだなって


小さな自信と心強さに包まれるの


そう思うのもきっと私は多くの方とは違い


社会で働いたり・子孫を残したり


目に見えた貢献が何ひとつない事に


申し訳ない気持ちがいつもあるからなのかなっとは思うの


唯一私を最も必要としているのは


みゃーと鳴く猫の娘かな


私がいなければ餌が入っているふたが


開けられないから・・・(笑)








今日久しぶりに声を聞く知り合いと会い


色々なお話をしている中


急に知り合いが


「さーちゃんが言っていた通り


東北に災害があったね」と伝えられ


私は???だったの


その知り合いの話を聞いてみると


私が数ヶ月前にオカルト的な感じで


世界の災害がある時


いつもある国にとってベストなタイミングで


訪れていて


今TPPなど日本が加入する事を望まれているけれど


日本は長い間大切にしてきた唯一の自給となっている


お米を作る方の事もあるし


簡単には進まないように思い


その時何となく以前に


ある国が力をつけ自分たちの思い通りにならない


主張を多くしていた時


なぜかある国にとってはベストなタイミングで


大きな地震があって


その事を重ねながら


私が知り合いに


「もしも東北でお米が作れなくなったら


必然的に輸入に頼らざる終えなくなるし


農家さんを説得する手間もなくなるから


そういう時地震などが来て・・・」と話したそうなの


私は何気なく話したお話だったので


忘れていたのだけれど


知り合いは憶えていて怖くなったそうなの


以前大国でオリンピックがあった時


その国が天気を変えられる兵器を持っている事に


多くの方が驚いたけれど


それを思うと先進国では大地を揺るがす兵器があっても


不思議ではないように


私は感じているの


そして私は幼いころから


正義感溢れヒーローの多い国に対して


時々世界の問題の中心はその国で


その国のごく一部の人たちが出てこない方が


世界が平和に済むんじゃないかなって


思った事もよくあったの


私のような未熟で何の知識もない人間が思うのだから


言葉にこそしないけれど


世界中で多くの方がそう感じているようにも思うの


いつも大きな災害を紐解いてゆくと


ある国が影のように寄り添い


その国が思い描くように進まざる終えなくなってゆく事が多く


いつも不思議だったの


でも証拠があるわけでもないし


つきとめようとする勇気を持った方たちは


いつも言葉や命を失い


私たちの元には届かないから


本当の事はわからないのだけれど・・・


ただいつも感じていたのは


世界の中でもとってもとっても小さな国なのに


その小さな国が自由に行動する事を


あの大きな国はいつも恐れているのだけは感じているの


なぜなのかいつも不思議なのだけれど


私的に考えて見ると


日本人はあらゆる部分で平均レベルが高く


通常その様な場合


個人主義になりやすいのだけれど


日本人は日頃はその様に過ごしながらも


いざという時の団結力や結束力が強く


そして忍耐力はよく世界中で驚かれるくらいあるから


あらゆることでその部分をこわしてゆこうと


様々な方法で長い年月をかけて誘導してきたように思うの


私が幼い時よりも年々学力が低下し


自分でものを考え行動しない人が増え


社会の中では


今までの日本ならば仕事を分け与えたりしながら


助け合い平均的な生活を営めるよう


無意識にみんなが過ごしていたけれど


いつもある国がきっかけで困窮する事になり


そのうち余裕が持てなくなった社会は


自分の事で精一杯になり


ある国のように格差が広がってきたと思うの


それはある国が思い描いたストーリーだと思うのだけれど


今回災害の中で


日本を自分たちの思い描いた通りに進んでいると思っていたのに


人々は昔と変わらない


団結力と結束力


そして良くいかどうかは別にして


一人ひとりが物を考えメディアで伝える事だけをうのみにせず


備蓄したりしている姿を見て


ある国は自分たちが長い月をかけてあつかいやすいよう


誘導してきたはずなのに


本質はそうなってはいない日本人を感じ


必要以上に恐怖を感じ


連日・日本が自分たちの思い描く通りではない行動をしないよう


様々に形を変えて


意見を伝えている文書を見ながら


改めて日本と言う国は


私たち日本人が感じている以上に


凄い国なんじゃないかなって感じていたの


今日とても不思議な夢を見たの


街の中にたくさんの親子の熊や大きなクマが溢れていて


街の人たちはそのクマをなでたり拝んだりしていたの


夢だから不思議な場面でも


不思議には感じなかったのだけれど


その夢の中で私は


「この大地には神様がいるからよかった」って言葉にしていて


目が覚めたの


その時ぼんやりした頭の中で次々と様々なキーワードが溢れてきて


紙に書くのが忙しかったの


意識をはっきりさせてしまうとキーワードが受け取れないから


眠ったり起きたりしながら


日頃夢日記を書くような感じで書き出してみたの


そうしたら世界中の先住民にとっては熊は


神の使い


ずっと警告していた


大地の言葉を伝えていたのにと


目が覚めて紙を見ると書いていたようなの


そう思い振り返ってみると


昨年の秋ごろは日本中で熊が街に下りてきていたり


人の前に姿を現していたと思うの


熊は臆病だから自分たちから人間に姿を見せたりする事は少なく


熊の方で人間の気配を感じたら


出会わないようにさけているはずなのに


昨年は動物たちのいつもと違う行動に


驚いてはいたの


ただこんな中でもありがたいのは


友人や知り合いが


私のオカルト的な話に耳を傾けてくれる事なの


幼いころから自分の心が感じる事や


見えないものが見えた時に


その様な事を表現することで


私自身が違う意味で心配されたり


違和感を生み出してしまう事を


何よりも怖れ


必要以上にスピリチュアルな話は避けていたのだけれど


今ではどんな事も一つの情報として


受け取り選別する能力が多くの方にはあるから


昔のように心に抱えきれないほどの思いに溢れる事は


少なくなったの


今回自分が思っていた以上に幸せに包まれていた事を


再確認する事が多くって


ありがたいい気持ちがまたひとつ増えているの


私にとってはインターネットは


スイッチをON/OFFにしたらそれで終わりの


仮想空間ではなく


出会った人たち・言葉をくれた人たちすべての安否が


今回とても気になり


私にとっては瞳に映る友人たちと同じで


時には現実に目の前にいる人たちよりも


心は近く


よく知り合いにに「インターネットって・・・」と否定的な


表現をされた時


「私の所は世界中のいい人だけが集まっているのかなって


思うくらい感動する事が多いよ」と表現してしまうくらい


私にとっては色々な事を教えてくれる先生となっている人や


私のような未熟な人間が役に立っていると思わせてくれる


見えない力で前に進む力を与えてくれる人など


現実の限られたスペースでは出会えない


教養と愛情に溢れた方が多いように感じているの


私たちはこれからも与えられた人生の中で


知りたくない事や見たくないものにも


出会ってゆく事があるかもしれないけれど


影のように寄り添う恐怖よりも


その影よりも強い光の存在によって


必ず大きな笑顔の花を咲かせ


学びの場として与えられた地球を光で包む事が


できると思うの


そして多くの偉人達も表現していたように


世界に光をもたらす種族として語られている


日本人に生まれた事を誇りに持って


みんなが幸せな気持ちで過ごせるように


お互いが相手を思い祈る力は


きっと何よりも強いと思うの










今回の災害で


関東方面でも様々な影響が広がっていて


大きな不安に包まれ


過ごされている方も多いと思うの


原発の影響でそれぞれ色々なことを


調べたりされていると思うのだけれど


その中には知識とは別に


想像を重ね


被災された方たちを新たに傷つけてしまうものもあると思うの


ある街では被災された方の受け入れを断られていたり・・・


その理由も放射線が移るものだという誤解から


生まれていたり・・・


この事を知った時


昔日本では原爆を投下され被爆した方たちが


知識のない方の想像力によって


移るという根拠のない思いを手渡してゆくうちに


被曝された方たちは


肉体の傷と同じくらいの心の傷を抱え


傷が癒えた後には


その偏見が怖くって


被爆した事を誰にも語らずにいた方もいたりした事を思い出していたの


夏になると必ず被曝された方にスポットをあてた


特別番組があるけれど


きっとその番組の中で


いわれのない差別をされてきた方に心重ね


差別をしてきた方を正義感から


責めたりもしたかもした方もいたかもしれないけれど


こんなに時代が進み


あらゆる情報がある中であっても


恐怖のあまり冷静な判断ができず


あの頃のように差別をしてしまっている方もいると思うと


ちょっぴり悲しくなるの


エイズというものが伝えられた時にも


ちゃんとした知識を持った方がまだ少なく


誰かの伝え聞いた事だけで


今では信じられない事なのだけれど


その当時は空気感染するとか


そばにいるだけでも移るような表現があったけれど


その様な表現をされる方の多くは


何も知らないのではなく


ほんの少し読み間違いや聞き間違いから


どんどんと広げてしまった事も多いと思うの


いつも感じる事なのだけれど


人にはそれぞれの価値観や思いがあるけれど


このような災害にあった場合は


多くの方が絶望的な感情に包まれ


たとえ地震や津波で命が救われても


今度は自ら生きる事をリタイヤしたい気持ちになってしまうくらい


辛い状況になると思うの


その時ほんの少しでも


良い意味で想像力を働かせ


もしも自分だったら・・・って考えて見ると


個人個人の価値観によって多少の違いはあっても


手を差し伸べてもらいたいと


思うと思うの


そんな時にどこも自分を受け入れてもらえないとしたならば


本当に絶望的になってしまうと思うの


そして昔被曝された方のように


今後大好きな故郷の出身であることを語らず


辛い思いだけを抱えて


過ごされる方も現れてしまうと思うの


私たちは今回の事で大きな優しさを学ぶ時期なのかなって


感じているの


昔被曝された方たちを何となく遠い遠い昔の出来事で


その方たちの苦しみを


ある部分では物語のように見つめてきたけれど


今の日本では原発が多い事もあって


誰にでも遭遇する可能性を秘めているのだから


昔から学ぶ事も大切なのかなって


感じていたの


少しお話は違うのだけれど


私の大好きな伯父がいて


その伯父は難病だったのだけれど


兄弟たちからそばにいると病気が移ると表現していて


伯父の家へ来た時には


みんな伯父の家のものは使用せず


足も遠のいていた事があったの


その頃から無知なあまり恐怖心が薄い私は


母に「本当に移るのかな


でも私は伯父さんを悲しませる態度は違う気がするから


伯父さんと同じ食器も使うし


今まで通り泊まりに行くから」と伝えると母は


「移る病気じゃないと私は思うよ


うちの兄弟は学もあって頭がいいはずなのに


こんな事もわかんないのかね


同じ兄弟なのに


あんなひどい態度できるよね」と表現しながら


泣いていたの


実際には伯父の病は移るような病ではなかったのだけれど


勝手な思い込みが


強く伯父を傷つけていたと思うの


私にとってはその事が今でも心にあって


医学的な知識がないものの場合は


できる範囲で自分で調べ


そして自分の心が苦しくない選択をするようになったの


よく昔マザーテレサが語っていたのだけれど


病で残された時間が僅かの方たちと共に過ごしていて


中には感染症の方もいるのに心配ではないかと聞かれると


そのたびに


正しい事ならば神様が力を与えてくださっているから


その様な心配はないというニュアンスの事を語っていたけれど


私はその深い愛情溢れた言葉を信じているし


もしもそうならなかったとしたならば


それも運命だと受け止めるしかないかなって思っているの


一番問題なのは


恐怖から広がるイメージだと思っているの


私の友人の職場の方は


色々なものをストックするために


毎日のように色々なお店に足を運んでいるそうなのだけれど


私が感じているのはほどほどのストックは


心の安定剤になるけれど


過剰なストックは逆に今と言う大切な時間を自由に行動する事を


困難にしてしまうんじゃないかなって感じているの


そして究極的には災害の多くは


家自体がなくなってしまう事も多く


そうなったならばストックしたものもなくなってしまう可能性もあるし


たとえ持ちだす事が出来たとしても


それはごく一部になってしまうと思うの


今回おさない子供にはどうしても安全な水が必要で


お子さんを持つお母さんたちは


一生懸命にわが子のために水を探しているけれど


手にできない方もいると聞くと


改めて毎日何気なく飲んでいる水が豊富で恵まれた


日本に感謝が生まれてくるの


数年前から中国が日本の水脈などを購入しているのを


聞いていたけれど


世界的の中でも


水質がよく安全でおいしい事もあって


中国以外の国なども注目している事を知って


この大切な自然からの恵みを


守る事も大切なのかなって


とても感じていたの