雪の数  雪のサイズ  雪の速度  雪の揺れ  風(+右)
 雪質(0:そのまま 1:透明 2:軌跡 3:Glow 4:影1 5:影2 6:波
 フィルター関係色(雪質 3,4,5の時使用)


2011年12月







今年も年末を迎えようとしている時に


新たな年を迎えるための準備なのか


慌ただしく次々と色々な出来事が届けられていて


改めて初心に戻る事の大切さを


感じる機会も多かったの


この間オーダーアクセサリーの御注文を頂いていた方と


意識を繋がり


アクセサリーを制作しようと瞑想を始めていた時


急にパソコンの画面が真っ暗になってしまい


何も反応しなくなりあれ?って思い


何度も何度も立ち上げて見たのだけれど


反応がなく


パソコンのない時間に耐えられるかなって不安に思いながらも


修理に出したのだけれど


修理を受けてくださる方から


発売されてから年数がたっていない事もあって


何もせずにそうなる事が少ないからなのか


何かパソコンにアクションを


起こしたのかどうかを聞かれるくらい


ちょっと不思議な現象だったの


私はいつもオーダーアクセサリーを


制作させていただく時に


瞑想して受け取ったイメージを


頭の中で記憶して


その記憶が消えない間


集中して作る事をしているのだけれど


私の思いでは


何となくなのだけれどエネルギーと言うのは


電気と水に深くかかわっている気がしていて


誰かと意識をつなげたい時には


水辺だったり


パソコンの画面を通して意識を


繋がりえるような気がしているので


その時もそうしていたの


その事で日々当たり前にあったパソコンから離れて


本やラジオなど


少しふれる事のない時間に包まれながら


色々と気づく事もあったの


パソコン生活が当たり前になっていた私は


何となく色々な事を知っていて


知識も深まっている気がしていたのだけれど


パソコンの場合は


自分が興味のある事や


心惹かれる事を検索し出会う事が多い事もあって


知りたい事については


知識は深まってゆくのだけれど


逆に特に意識していない情報は


まるで何も知らないも多くあるのを


今回とても感じていたの


もちろん知ったからといって


特に何かすぐに生かせる


情報ではないかもしれないけれど


自分が出会う事のない


感性を思った方たちのお話しや


地域の情報など知った事で


いつもフィットネスクラブでごあいさつ程度で


笑顔を交換し合う方たちとも


ごあいさつ代わりに交わす言葉も


すぐに用意が出来ているのか


いつもよりもちょっぴり深く関わりあえる時間を頂いていたの


そしてよく聞く言葉だけれど


失って初めて自分にとって大切なものに気づくと


表現されているけれど


本当にそうだなって感じていたの


私にとってパソコンは


電源をON/OFFする事で広がる世界で


現実の生活とは別の世界だとは思ってはいなく


目の前に広がる世界と同じように


私の魂や心の玄関のようになっていて


会った事もない方であっても


私自身・勝手に


思いや情を重ねて繋がりあっている事もあって


パソコンがない数日


優しい方が訪れる事が多い私のHPでは


今回の事で


心配かけてしまっているかなって気になったり・・・


無事にまた大好きな方たちと


繋がりあえる日を迎えられて


今大きな幸せを感じています


ご心配してくださった方


本当にごめんなさい


そして本当にありがとう


















直感と瞬間的な思いつきは


とても区別が難しく


多くの場合は


瞬間的に浮かんできた思いつきの場合も多いと思うの


本当の直感って


自分の内から何度も何度も


自分にささやきかけてくるものなのだと思うのだけれど


効率的に生きる事を


人間として優れ大切なことだと


思い込んでいる事もあって


本当の直感への意識も


感じにくくなっている事もあると思うの


いつも自分が直感だと思っている流れや


感覚的な価値観を


ちょっとの時間でもお休みさせてみる事も


面白いんじゃないかなって感じているの


私自身


心身に影響を与えてくれる


様々な体験に心惹かれる事もあって


最近生体電流に興味を注がれる出来事があって


心身に不思議な体験をしているの


生体電流とは


人間は誰でも流れていて


その微量な電流が様々なものに影響を受けて


体調を整えたり修復しているそうなの


女性にはよくある


ストレスによって食欲が増してしまうのも


脳の疲労から誤作動を起こして


働く作用だったり・・・


そのお話を聞きながら


いつも足を運ぶサロンで


お試しとして


生体電流に近い微量の電流を


流してくださる事になって


受けて見たの


身体には何も感覚はないまま施術が終わったので


どうなのかなって思っていたのだけれど


その日から連日ふわふわとした


私にとっては少し強いリラックスに包まれ


二日に一度しか眠らないサイクルの私が


毎日お子様のように


早い時間から毎日眠りについているの


たぶん私自身生体電流によって


一般的な人間が本来持つサイクルが


整いつつあるのかなって感じているの


その事で心にも大きな影響があって


一つの形の答えにこだわらない自分を何度も感じ


ちょっぴり戸惑いながらも


今は過ごしているの


言葉では上手に表現できないのだけれど


自分の中での直感的なものを日々


ささやかな事であっても幼いころから


常に働かせ過ごしてきたのだけれど


あまりに深いリラックス状態の中だと


その部分がお休みになるというのか


いつもの自分ではない感覚を感じて


戸惑う事も多かったの


何となく私が感じているのは


もしかすると直感や霊感的なものは


その方自身が何となく無意識に


大きな漠然とした不安を避けるために


危機回避能力が常に働く事で


身についていたり育まれたりするのかなって


感じたり・・・


それゆえに霊能者の方などは


人よりも困難な人生を歩んできた方が多いんじゃないかなって


感じたり・・・


そしてその直感もある部分で


絶対的な信頼を寄せすぎてしまうと


思いこみかもしれないのに


他からのささやきを聞こえなくしてしまったり・・・


以前海外の霊能者の方がMRIに入った事で


能力が消えてしまったという訴訟があって


認められた事を思い出し


霊的なものや直感は


電気のように流れているものだから


電磁波などの影響によって


人間の場合は


大きな変化があるのかなって思っていたの


霊現象は水の宿る場所に多いのも


水のように電気を通すその作用を使いながら


つねに水にうるおされている


人間と共鳴しながら


人間界と別の世界を繋ぐ


パイプとなっているようにも感じていたり・・・


その水を流れる電流は


自分の意識ではコントロールできないけれど


波動レベルが変わると


心身が何かしらの変化を伝え


私たちが気付いた時には


意味もなくイライラするとか


些細な事にこだわっている事に


敏感な方ならば気づかれるんじゃないかなって


感じているの


人間に宿り備わっているものは


まだまだたくさんの広い可能性を秘めていて


説明のできない感覚的なものも多いと思うの


人間は人生を歩んでいる間


細胞レベルで


無意識に個性を育んでいるから


すべての人にフィットする事がないからこそ


ビジネスの世界でも


テーマは同じでも様々なものがあるように


流れるエネルギーの周波数によって


同じ時代・同じ地域に住んでいても


自分に映る世界・受け取る世界も


違うんじゃないかなって感じているの


人間に流れ帯びている電流は


とってもデリケートで心身から影響を受けたり


周りの様々なものから影響を受ける事も多く


自分が意識できない事もあると思うの


ある人といると特に会話に


問題があったわけではないのに


気がしずむとか


何気なく足を運んだ場所に行った日には


心身に何か


いつもの自分とは違う感覚を感じるのも


きっとその場所から溢れる


エネルギーの周波数と自分の周波数の微妙な違いから


感じる感覚だと思うの


よく幸運を願いパワースポットに


足を運ばれる方がいるけれど


その中には運を向上させるために行ったはずなのに


体調が優れなくなったり


次々と問題が運ばれてきたという


お話を聞いた事があるのだけれど


私が感じているのは


その場所場所に周波数のようなものがあって


そのエネルギーとの差が大きい場合


体調が優れなくなったり


願う事とは逆に問題が次々運ばれてくるんじゃ


ないかなって感じているの


もちろんその状態でも忍耐強く


足を運べばそのうちその場にあった


周波数になるかもしれないけれど


その事に耐えながら荒行のように


過ごすよりも


私が感じているのは


まずは少しずつ上昇した波動に整えながら


大きな幸運とフィットする周波数に


調整していった方が


無理なく幸運体質へと


整うんじゃないかなって感じているの


その場合有名なパワースポットではなく


ごく身近なエネルギーが宿る場所を


見つけてみるといいと思うの


はっきりとそういう場所がわからない方は


日常の何気ない時間のすべての時間に


ちょっと意識をしてみると


必ずあの人と会った日はいい事があったとか


あの場所に行った日は何か元気を感じるなど


気のせいかなレベルであっても


必ず感じる時間があるはずだと思うの


そのような時間を見つけたならば


意識して何度かそのような感覚を感じて


確信できるようになったならば


意識して人や場所にクロスする時間を作ってみると


自然にライフスタイルに


今までとは違った色鮮やかな時間を


感じるようになってくると思うの


そしてそのような良いものと


波長が重なる事に慣れてきてから


誰もが知っているパワースポットなどに足を運ぶ事で


その場所に宿る強いパワーと


共鳴できるようになって


全身全霊で


加護してくれる大きなパワーを


受け取れるようになるんじゃないかなって


感じているの









私はパートナーと離れ離れで過ごしていて


年末年始・ゴールデンウィーク・お盆にしか


長く一緒に過ごせないのだけれど


いつも一緒に過ごしている時よりも


照れずに愛情表現を


電話やメールでできるせいなのか


結婚してから10年以上たつのだけれど


今が一番パートナーにときめき


今まで見えなかった良い部分が


ピックアップされているの


離れているからこそ


毎日会う時のように


後回しにしてしまう事もなくなり


その時々解決してスッキリするように心がけているの


そうしなければ


離れているからお互いが不安になったりしないように


思いやりを共に意識できているのかなって


思ったり・・・


離れている事で


信じる事を覚え


そして忘れていた感謝が育まれているの


何もかもがスムーズに運んでいる時には


エゴからなのか


一人でも大丈夫って思っていた事も


あったのだけれど


でもちょっと何か問題にであると


結局パートナーに知恵を借りたり・・・


昨年私が病で手術をした時にも


そんなに心配している姿ではなかったから


パートナーはあまり私の事を


考えていないのかなって


思っていたのだけれど


電話で今年を振り返る何気ない会話をしていた時


パートナーが急に


「あの時の事を考えると


本当に今年は元気になってよかった


それだけで今年はいい年だったな」って


本当は大きな不安と心配をかけていた事に


気づき


ありがとうを感じていたの


つい一緒にいると何でも受け止めてくれる


家族だからと甘えからか


優しくない言葉を手渡してしまったり


照れから相手を思いやる表現を


できない時もあったけれど


限られた人生の時間の中で


深く長く繋がりあってくれる大切な人には


他の誰よりも感謝と愛情を重ねた


言葉や表現をしてゆく事の大切さを感じ


来年は今まで以上に


家族や友人・繋がりあってくれている人に


照れずに想いを素直に


伝えられるようになったらいいなって


思っているの











今の時代はインターネットのおかげで


色々な方との出会いの幅が広がったり


昔仲が良かった友人の近況を


偶然に知る機会もあって


終わった過去と現在がクロスしながら


不思議な位置にいる人も多いと思うの


この間中が良い親友から


過去にとっても仲が良く


旅行にも行くくらいの付き合いだった人たちが


ブログやホームページなどをしているのを


偶然に見つけたようで教えてもらったの


そして10年以上も会っていない


過去の仲良しの友人のブログや


ホームページ読んでいたの


そうすると変わらず元気に過ごしている友人


まるで違うライフスタイルで過ごしている友人の


日常が何となくずっと見てきたように


気がつくと画面を見ながら対話していたの


その後メールや電話をしようとしない自分が


とても不思議だったの


親友とも話していたのだけれど


会ってはみたいけれど


何を話したらよいのかが浮かばず


何となくそのままにしているの


その時


私の中で時折ささやきかけるメッセージで


「学びが終るとその方との縁も終わる」という言葉が


私の中で広がっていたの


あんなに仲が良かった人なのに


やはり縁がなくなったその時に


どんな理由で縁がなくなったかに関わらず


その方との学びやカルマの解消など


様々なものが消化されているから


それはそれで良いのかもって


感じていたの


私の今の親友とは17年くらいのお付き合いなのだけれど


不思議なほど


その時々心惹かれる事


行動などが重なる事が多く


フィットしない時期がなく


今日まで仲良くしてきたの


でも私の優しさが足りなかったり


お互いに相手の事をまだまだわかっていなくって


知らず知らずに傷つけてしまったり


傷つけられたと心が重ならず


甘えからお互いに傷つけてしまう言葉を


表現してしまっていたりして


17年の間に半年くらい会わなかった時もあったりしながらも


最終的には優しい思いやり溢れる友人が


絶対に私が連絡くれる方法として色々考えて


アクセサリーの注文ページから


送り先・名前・希望アクセサリーの名前だけで


何も言葉はなく送ってきてくれて


私もきっかけを待っていたからなのか


嬉しくってその日に電話をかけて


気がつくと今まで通り


話が尽きる事なく


何日も続けて会ったり・・・


この様な縁ってそんなに多いものではなく


人間は進化し成長をしてゆくから


そのタイミングでベストな縁をその時々


運ばれ無意識に選び取り


気がつくと人生の節目節目に


忘れられない人がいたり・・・


だからといってそんなに大切に


今でも思う相手であっても


現在で過ごす自分は


会う事を望んではないなかったり・・・


その様な縁ってあるけれど


私の場合はどんな場面でも


その親友がいて


今の自分になるまでの思い出したくない自分も


全部なんとなくお互いに見てきたから


言葉足らずであっても


何を言おうとしているのか


何を表現したいのかがわかるの


この縁はお互いに前世から


繋がっているのも感じていて


笑ってしまうのだけれど


今から親友やパートナーと来世での計画を


話しあっているの(笑)


時には性別から友人になるのか


家族として生まれるのかまで・・・(笑)


もちろん思ったポジションで


生まれるのかどうかもわからないのに・・・














いつも精神世界の本を手に取るたびに


何となく書かれている知恵や学び方などは


読む前から予測がつくほど


頭の中にはたくさんの知識を吸収し


わかっているはずなのに


現実の自分の歩みを見つめて見ると


時々ふっと


たくさんの知識があって知っているのと


現実にその知識や知恵を生かし


歩めるのかは


また別なんじゃないかなって


感じているの


元々行動はスローなのに


反応は少し過敏なくらいに


早い反応をしてしまう私は


気がつくと必要のない感情の整理が先になる


流れを持っているのか


その問題に向き合う事を後回しにして


感情的になって


冷静に考えると自ら


解決する時間を遅くしてしまっている事がある事に


ふっと気づかされる事があるの


そんな時にはできるだけ


「自分がどう感じたいのか?」を


できるだけ意識して考えるようにしているの


そうするとその時々


「私は次にこうしようと思ったのに


この事が原因でできない」と初めに


心のささやきを感じ


今度はもっと深く冷静になると


では次の流れが閉ざされてしまったのだから


どんなに感情で漠然と見えない何かに


訴えても変わらないという事を


難しいけれど受け取る事が出来ると


やっと自分が描く形とは別の流れで


物事を見つめ考える視野の広がりが


必要とされて行くと思うの


私たちの多くは


問題への解決や視野の広がりを


冷静に心整える事が出来たならば


すぐにできるのに


つい感情豊かな人間は


後になると無意味とも思える


感情と自分との折り合いに多くの時間が


必要で


その時間が短く済ませられるのならば


もっと人生がスムーズに流れて行くのかなって思うの


この間知り合いの方のパートナーが


体調不良が続き会社を退職する事になったそうで


当たり前のことではあるけれど


知り合いは小さなパニックと動揺で


会話の間の中に


自分がパートナーと結婚した事までさかのぼり


後悔に似た言葉を表現していたの


ただその方はたぶん


これから待っている先の歩みの不安が大きかったから


先の事を見つめるのが怖く


過去を見つめて思ってもいない言葉を


表現していただけだと思うの


そう感じた私はあえて


「そういう事を言うもんじゃないよ」などの言葉は避けて


「そうなんだ」「そうなのかな」って


相手が感情と自分の心の折り合いがつくまで


話を聞いていたの


お昼頃にあって気がつくと


もう地下鉄がなくなるような時間まで


一緒に過ごしていたのだけれど


おうちについてからその方からメールが届き


「とりあえずどうにかしなければならないから


できるだけ色々調べて


自分が出来る事を始めるわ


もし私が独身だったら


こんなにゆっくりしてられなかった事を思うと


旦那に感謝だよね」って


私と会っている時とはまるで別人のように


前向きに頑張ろうとしている言葉が


幾つも流れるように


綴られていたの


それから数日後


彼女の心が整った事で


進む方向を宇宙に無意識にオーダーしたからなのか


日頃付き合いがそんなになかった知り合いや友人たちと


話す機会が増えて


彼女は様々な見栄やプライドにこだわらず


自分の現状を話したそうで


今まで無意識に人との間に作っていた


壁にも気づき


初めて人を心から信じるあたたかさと


その事によって


思いもよらぬ人からの助けに感動する日々だと


伝えてくれて


私もその言葉を聞きながら


私自身も些細な事であっても


人との間に壁となっているものを作っているのかなって


考えさせられたり・・・


自分はフレンドリーに人と心開きふれあっているのに


相手の方が同じようにならない時など


私は深く詮索し考える事をしない事もあって


すぐにあの人はそういう性格なのかもって


勝手に答えを出し


自分が感じたいように表現や


行動をしてくれない相手に


問題があるように


心を納得させる事もあったの


自分の何気ない気づけない表現や言葉の中に


現実の自分よりも良く見せたい思いから


スーッと相手の心に入ってゆかない


表現をしている事も


ありかもしれないなって


思い起こしていたの


昔人生で驚くくらい経済的に大変だった時


習慣なのか見栄なのか


パートナーをかばう思いからなのか


周りにはどうしてもその思いを表現できず


過ごしていた事があったのだけれど


その頃の私は


うらやましいなって


素直に表現できない状況だった事もあって


自分がうらやましい出来事


体験をしている人を見ては


「私はあんなものは欲しくない」とか


「結局自分に自信がないから


そういう事を自慢するんだよ」と


人の喜びを共に喜ぶ余裕は


心のどこにもなかったの


そのくせ「あの人は何もしてくれない」とか


周りに救いを求めていたの


そのたびに自分がなにも素直に表現せずに


無言で相手にあれこれと求めてばかりいた私は


仲が良く付き合っている友人に対しても


勝手に「友達って言っても


いい時だけのお付き合いだから…」と


まるで相手は冷たい人で信頼できない人のように


思いこもうとしていたの


でもある時なぜだか


いつも誘ってくれる人へのお断りに


そのまま今の現状を伝えたの


そうしたら数日後


友人の知り合いのビルオーナーなどの繋がりで


偶然に招待と形で


楽しめる機会があるという事を伝えてくれたり


ある時には飲食店に勤める友人は


私のプライドが傷つかないようにと


きっと配慮してくれたのだと思うのだけれど


「試作だから食べて」と


たくさんのおいしいものを持ってきてくれたり・・・


でも実際にはそのおいしいものは試作ではなく


そのお店の定番メニューとなっているのを


私は知っていたの


その小さな思いやり溢れる愛に包まれて


感謝と同時に


私も早く人に豊かさを


分け与えられるような人になりたいと思い


ありがたい事に今では


ほんの少しではあるけれど


ちょっとしたおすそわけをさせて


いただけるくらいにはなれたかなって思っているの


私は自分が気づかないレベルで


傷つく事を怖れ


人を深く信頼し繋がりあっていない部分があって


そのわりには


心の深い場所で


心開き何でも表現しあえる相手を求めていたり・・・


私が感じているのは


やはりどんな事でも


自分が求めている愛や思いやりを


受け取りたいと思ったら


何もせず待ち望むだけではなく


まずは自分から幾つもつけている鎧を外し


相手が与えようとしてくれている


愛や思いやりのぬくもりが


ちゃんと伝わる準備も必要なんじゃないかなって


感じていたの













この間友人たちと何気なく


「能力」というテーマで話していて


ある方が自分が勤める会社にいる


女子社員について


「かわいいだけで何の能力もないのよ」っと


表現されたのだけれど


その時ここ最近


綺麗になりたいと頑張っている私はつい


「かわいいのもの能力だと思うよ


わかいいでいるのも大変なんだから」と表現すると


みんな大爆笑になりながらも


納得しながら


会った事もないそのかわいい女子社員を


会話の中でイメージしながら


かわいい・美しいは能力なの?から始まり


ある方は「親からもらったものだよね」と問いかけ


その問いに次々と答えを重ねたり・・・


私たち人間は美しいものに


強く心惹かれるような性質を秘めていて


それは瞳に映るものだけではなく


人からの優しさにも


心ふるえたり


形がないものであっても


受け取ったよって


心身が反応したりもできると思うの


「能力」って


多くの方が感じているのは


あくまでもわかりやすい分野で語られる事が多く


仕事や運動・分析・etc


でも人間には今の現代社会では評価に登っていないから


「能力」として認識されていないものも


多いんじゃないかなって感じていたの


さきほど表現したかわいい・美しいも


初めは与えられたものであっても


日々の感情によって少しずつ


人の顔が変わってゆくように


造りは決して整っていないはずなのに


かわいいと感じる方がいるのは


その方の能力の一つだと思うの


人にそう感じるような表情だったり


話し方だったり


雰囲気はその方の能力と繋がるものだと思うの


そして能力に重なるように寄り添うのは


努力で


どんな能力であっても


錆つかないように磨いているのは


その方自身だと思うの


仕事の分野でも同じで


どんなに昔から仕事ができた方でも


新たに参入してくるものに対応できるように


磨いていなければ


現状維持が難しいと思うの


老舗の多くは


人々に変わらない安定感を与えながらも


本当は微妙にその時代が求めるものを


気づかない程度にプラスしながら


長い間続けている事が多いそうなのだけれど


そのような与えられた何かがない方にとっては


何の努力もなく


安定している事がうらやましく


映る事もあるかもしれないけれど


能力と同じくらいに


努力も重なっていると思うの


あと能力として評価に登らない事の中には


人からの評価を求めず


何気ない親切が出来てしまう人だったりも


大きな能力だと思うの


私たちが日常の中で


何も変わらないと思えるのは


多くの場合


その場所が清掃されているからだったりもすると思うの


清掃と言うほど大げさなものではなくっても


自分がゴミを見かけた時


何気なくゴミ箱に捨てるのに


コンビニまでの少しの道のり


持ってゆかれる人がいるおかげだったり・・・


おうちでもそうだけれど


一度掃除をしても数日すると


どこから運ばれてくるのか


ほこりが目に見えるようになったり


食べた食器なども


そのたびごとにかたずけるから


いつも見慣れた状態になるけれど


もしも何もしなければ


いつもの当たり前の状態は維持できないように


自分が暮らす街の中でも


飽きるほど見慣れた何でもない風景は


様々な方の能力によって


支えられているんじゃないかなって


感じていたの











私はいつも


心に余裕を持って過ごしていないせいなのか


今現在多くの体験の中から


学び気づく事よりも


過去を何気なく回想する時


過去の自分から教えられる事が多いの


そして今頃になって


あの時は勇気がなくって


こうできなかったって反省したり


その時には気づけるだけの


体験の視野がなかった事で


人の優しさや思いやりに


気づけなかったりした事を思い出し


反省や落ち込みな・恥ずかしい思いばかりではなく


そう思える今の自分は


ほんのわずかであっても


心の視野が広がっているのかなって


自分を褒めてあげたり・・・


そう思うと何気なく過ごしている今の自分が


やがて未来の自分の勇気になっていたり


落ち込みや反省になるのかなって思うと


今からでも


未来への自分へ手渡すプレゼントになるのだから


その場その場だけで


流されるのではなく


たとえぶつかり合う事があっても


自分が納得した時間を作る事が


とっても大切なように感じていたの


自分の軸は生まれた時から


未来へ繋がっていて


たとえ色々な体験の中から


様々なものへの価値観や考え方が変わっても


すべてのストーリーを見守り知っている自分には


偽る事が出来ないのだから


時間が流れた後も


自分の心が曇る事・心が重くなる事を


少しでも未来に少なくできるのは


きっと今の自分なんじゃないかなって


感じているの


私自身


過去の自分は今以上に生き方が上手ではなく


思いも自分が秘めている言葉の数に合わない事も多く


誤解をされてしまう言葉を選んでしまい


相手を不快にしてしまったり・・・


そして不快になっている相手を


瞳に映しながら


表現した自分が戸惑ってしまったり・・・


その様な事も多かったけれど


何だかその様な生き方で大変そうだった


過去の自分が


今では愛しく


ある意味で今よりも宇宙と直結していたように思うの


周りの方たちと上手にお付き合いできなかった私は


人に頼るという考え方が今よりもなく


まるで風のように


ささやきかけてくるほんのわずかな


自然からのアクションや


たまたま偶然のように耳にしたキーワードなどに


意識を止めながら


自分がどのようにしたらよいのかを


教えてもらい受け取っていたように思うの


今は昔よりも


人とのふれあい方に慣れてきた事もあって


気がつくと無言の宇宙に


耳を傾ける漠然と信頼よりも


何となくすぐにはっきりと反応を感じられる


人へ意識が注がれ


初めのうちは


宇宙との繋がりと同じように


私に伝えたい言葉を


誰かの口を借りて伝えてくれている事と


そうではない事を判断し


心静めて人と繋がりあっていたのに


気がつくと


自分の心がその様な波動にフィットしする時間が


少なくなってきて


自分の内側に意識を注ぐ事から


外の世界の動きや反応ばかりが気になってきて


多くの人に受け入れられる言葉や行動を


嫌々ながら演じてしまう自分に気づいたり・・・


そうしてゆくうちに


逆の作用があって


人からは好感をもたれる機会が多くなったはずなのに


波動は下がり


自分の人生なのに自分で判断できなくなったり・・・


そんな時


やはりまた過去の自分が


何となく今の自分を励ましてくれたり


自分らしくいる事の大切さを教えてくれるの


ディスカッションって人によっては難しくって


違う意見を表現しあって深まる縁もあれば


違う意見をどうにか


自分よりの意見になるまで頑張る方もいたりするので


その見極めが出来ない私は


つい相手に合わせて


自分が望まない時間を過ごしてしまう事も多いの


ただ本当に仲が良い人たちの中には


意見が違うなって思うと


本当は「それっておかしいよ!」って


言いたい思いを抑えて


最後まで聞こうとしているのか


誰からもわかるように首をかしげながらも


「そういう意見もあるんだね


でも私は・・・」と


上手にディスカッションしてくれたり


ただただ私の意見や考え方を


面白がってくれるので


ちょっとした不一致が


お互いを知るための更新にはなっているので


シンクロする事も多く


昔深まっていた宇宙との繋がりを


思い出させてくれる事も多いの


昔はよく常識がないと表現される事があって


たとえば年賀状を出す出さないとかの


小さな事から様々・・・


でも最近になって友人に伝えられたことなのだけれど


「実はさーちゃんがそういう事やめてくれたおかげで


年末年始の忙しさから解放されて助かったんだ~」って


伝えられたり・・・


数年前から私はお年玉廃止運動のような


発言をよく表現するようになって


もちろん今ある流れがある間は違和感から


反論も多くあるのだけれど


私は幼いころからその違和感はあって


昔からお年玉を受け取った記憶がないの


日本の風習の多くは


初めの意味から少しずつ変化して


残っている事があると思うのだけれど


その思いが強くなったのは


ここ数年である方が表現していた言葉だったの


その方は生まれ育った土地から離れ


暮らしているのだけれど


御兄弟が3人いて自分以外の兄弟は


みんな結婚し子供がいるのだけれど


年々独身の自分は足を運びずらくなっているという


お話だったの


それは気持ちだけではなく


表現しずらそうに戸惑いながら話してくれたのだけれど


甥や姪が10人近くいて


実家に帰る費用以上にお年玉も必要になり


日々つつましく過ごしている


その方にとっては大きな負担となっていたようなの


でも年齢を重ねた両親の事を思うと


あと何回会えるんだろっていう思いがあって


できるだけ足を運んではいるのだけれど


ここ数年は年末年始には


実家へ帰らず


その時期を外した時に帰っているのを聞いた時


私の中でまた何か感じるものがあったの


日本人は形を重んじる事もあって


気がつくと本来大切なものが


そこになくなっている事もあると思うの


私が感じているのは年末年始は


社会で働く方たちが


まとまったお休みがあって


その機会に日頃会えない方と


心温め合ったりできる機会として


お互いの無事を喜び


その年の出来事を伝えあったりしながら


過ごす時間なのに


何かが負担となって足を運べなくなってしまうのは


どうなのかなって感じ


批判は多いけれど


私はお年玉廃止運動を小さく


表現し続けているの


私一人がこのように思っても意味がないように


思わないではないけれど


人と人は不快無意識の部分で繋がっているから


もしかしたら


私よりも先にそう思われた方やそう表現されている方がいて


その方の思いをキャッチした私が


共鳴し合ってそうなっているのか


その逆にこれから


同じ思いを感じた方たちの点が繋がれて


ゆくかもしれないなって思っているの


私は言葉の表現が上手にできない事もあって


自分の思いが思うように


相手に手渡せず


またまた誤解をされてしまうかもしれないのだけれど


今の時代は少し前の時代とは違って


年齢だけで判断できるほど


スタンダードな歩みの方ばかりではなく


今までにはなかったスタイルで歩まれている方も多く


それはその方が望んだものばかりではなく


与えられている部分もあって


計れなくなっている中


社会から与えられるプレッシャーの上に


本来安らぎの空間になるはずの時間の中でも


負担が与えられてしまうのは


どうなのかなって感じているの


私は子供を持つ事が出来なかったから


親御さんの気持ちや思いは


想像を超える事はできないから


「子供が楽しみにしているのに・・・」って


不快に思われる方もいるかもしれないけれど


その思いは大人も同じで


本当は心の中で


「みんなと会えるのが楽しみなのに・・・」って


思いながら


大人としてかっこがつかないから


あれこれと理由を考えて


会うのをやめられる方もいるんじゃ


ないかなって感じているの


以前私が実家でその様な話をした時


父が「できる人はやればいいし


やれない人はやらなければいい」と


表現していたのだけれど


その時私は父に


「じゃ~自分があげられない人だった時


それでも行くの?」っと聞くと


急に無言になりしばらくすると


「それならおれは行かない」と表現したの


その時多くの場合


あげることに負担を持たない立場の方や


まさか自分がそうできない立場になるなど


考えられない方にとっては


今まで長い間続いてきた風習を


やめる事は非常識に映るのだと思うの


少しお話は違うのだけれど


マザーテレサが多くの方の心の救いになったのは


行動や言葉だけではなく


今は順調に暮らしている方であっても


人間は漠然とした不安を抱えていて


究極に様々なものから見放されても


この世界に唯一


絶対に受け入れてくれる人として


思い浮かべられたのが


マザーテレサだと言う事だと思うの


それと同じようにどんな境遇になっても


羽根を休める場所は人には必要で


実際に長い間頼り依存するという事ではなく


心の問題だと思うの


拠り所となる人や場所があるというだけで


人は前に進めたり


明日を生きてゆけるものだと思うの


それを形にこだわり消してしまうのは


どうなのかなって


何となく感じているの








気がつくと


今年も残りわずかになってしまったのだけれど


毎年特に大きな変化もないのだけれど


それが私にとってはとってもありがたい気持ちなの


病になって過ごした期間が長かった事もあって


その期間は


自分の思いや意志以上に


身体のコンディションがすべてで


毎月女性だけが体験する日を迎えると


目覚ましを3時間おきにかけて


そのタイミングで薬を飲まなければならず


ちょっとでも眠たいからと


目覚ましを止めて寝てしまったならば


今度は激痛で目を覚まし


そのあとお薬を飲んでも効かなく


飲み過ぎてしまわないようにひたすら我慢して


またタイミングをみながら


お薬を飲んで・・・という


私にとっては慣れ親しんだ時間から


やっと解放され


それだけで幸せだった今年は


人生の中で一番したい事ができた


一年だったように感じているの


ただその事で急に忙しくなり


今までゆっくり過ごしてきた


私の身体はびっくりしてしまったのか


四十肩というものになり


大好きで取り組んでいた運動にも


制限ができてしまい


ちょっぴり落ち込んでいるの


やっと慣れてきて当たり前のように


習慣にする事ができたのに・・・


トレーナーの方に相談して


私用にメニューを作っていただいたのだけれど


その多くは肩に負担をかけない


ありがたいものだったのだけれど


そうなると今まで大好きだった


プログラムなどには参加できず


言葉では表現できない気持ちに包まれているの


でも周りの方に聞くと


「それが年をとるって事だよ」と


みんな冷静に自分の体験と重ね合わせながら


アドバイスをしてくださるの


そう思うとこれから迎える更年期というものも


どんなものなのかちょっぴり怖くなっているの


女性の場合


身体の事は母親からの遺伝が多いそうで


以前子宮の病になった時も


母がやはり若い頃から病で


心身が自分でコントロールできず


幼い頃の私は


安定しない母の行動言動に


たくさん傷ついた記憶があるけれど


私が病になった時


私も無意識に母と重なる行動や言動をしてしまい


周りにいる方を傷つけ


そのたびに反省と後悔と罪悪感で


いっぱいになるのだけれど


痛みが大きく広がると辛くって


また同じことを繰り返すたび


母を許す気持ちが生まれたり


その逆に


何で健康じゃないのに私を産んだの・・・とさえ


恨みに近い感情が生まれてきた事もあったの


そして日々生きる事とは逆の事ばかり


考えるようになって


気がつくとその様な方法が書かれたサイトを見ていたり・・・


でもそんな時


様々な方からアクセサリーの注文メールや


メッセージなどを頂く事で


私が生きたい意味がゆっくり築かれて


痛みでその様な事を


考える機会がなくなっていったの


よくありがたい事に


私の未熟な表現に


心和らぎ何かを見つけてくださった方から


お礼のメッセージを頂くたび


メールを読み終えてから


「私の方が救われています・ありがとう」って


気がつくとつぶやいていたの


今もそうなのだけれど


このHPという私に許されたスペースがあるおかげで


私は生きてこられたし


小さな光となる希望をいつもどんな時も


感じられているの


私はよく家族や友人に表現しているのだけれど


「私のHPはもしかしたら


日本の住んでいるもっとも優しく


理解が深い魂を持った方ばかりが


来ているんじゃないかなって思うほどなの」と


表現すると


「そうだろうね


何でもあきやすくやめてしまうはずの人が


10年近く同じ事を続けられているんだから・・・」と


言葉が返ってくるの


私の両親はインターネットというものは


テレビなどの情報の印象でしか理解していなく


ニュースなどではインターネットで


繋がった方が起こした


事件などが伝えられる事も多く


初めは心配していたのに


私がHpに来てくださった方などの話をする機会が多く


時にはおいしいものを送ってくださった方の思いを


おすそ分けしたくって


実家でみんなで食した時には不思議そうに


「会った事もない人が


こんなに良くしてくれるものなの?


ありがたいね


会ってお礼を言いたいくらいだよ


親は24時間あんたの力には


なってやれないから


そういう人がいるだけで親からすると安心だよ」と


伝えてくれたの


そして母特有の変な儀式めいた(笑)動きが始まり


頂いた方の署名に手をかざし


何か念を送っていると


父や弟は「また始まった(笑)」と冷やかすと


母は真剣な顔で


「思いは通じるもんなんだよ


ばかにしているけど


あんなtの父親が・・・」と過去の体験を


長い間話しだし


そうなると父や弟は「わかった・わかった」と


いつもの流れになるの


元々母方の祖父は村の小さな神社を守り


どこから聞いたのか遠方から


今でいう占いだと思うのだけれど


見てほしいとよく人が訪ねてきていたらしく


母のお姉さんが失明しそうな時にも


病院には行かず祈りだけで治したのを


母は見て育っているし


自分自身も体調が優れない時には


「氣」のようなもので治してしまうのか


未だに出産以外で病院には行った事がないの


その母が私の病を治そうと


いつも会うたびに手をかざし長い間


「氣」を送ってくれたのだけれど


治らない事に納得がいかなかったようで


ある時


「あんたは治りたいと思っていないんじゃない?」って尋ねられて


「そんなわけないでしょ」と答えると


「それなら治るはずだよ


あんたは○○(パートナーの名前)と二人で


ずっと一緒にいたんだよねきっと


だから無意識に家族を求めていない


そしてあんたの過去の嫌な事は


女に生まれたから起こった事ばかりだから


その感情が女性にしかない


子宮に来たんだよ」と伝えられたの


その様に何かを感じて表現する時


母は表現できない顔色と表情になっていて


その様な時にはさすがに


父も弟も無言でいるの


私にはよくわからないけれど


母が伝えてくれている事も一理ありかなっとは


その時思ったの


生まれ変わりについて


友人やパートナーと話す事があるけれど


色々考えた結果


私はパートナーの子供に生まれたいという


答えに行きつくの


その理由はもしもまた夫婦だった場合


子供を持つ事が出来なかった場合


自分自身は大丈夫だけれど


今でも私を選ばなければ・・・という


申し訳ない思いと


私と結婚していなければ


きっと素敵なパパになって


子供のために色々と忙しく楽しげに


過ごしていたんだろうなって


パートナーの事を思うと


涙が溢れるの


もしもまた夫婦で生まれたならば


そうならないとは思えないから


もっと深い縁で繋がれる彼の子供がいいかなって


思ったの


そして何よりいくら食べても太らない遺伝子を


受け継げるし(笑)


夢で何度も見たのは


スイスのような風景の中


パートナーは私の父親で


私は5人兄弟の末っ子と言う事もあって


前世のパートナーはかなり年を重ねていて


まだ幼い私を残し


天国からのお迎えが来たの


その夢の記憶は今でもっはっきり覚えていて


もしかすると幾つもの生まれ変わりの中では


そのような繋がり方もあったのかなって


思っていたの