2011年11月





人はみな幸せになるために


この世で過ごしているけれど


多くの方が幸せを実感できず


過ごされているように感じているの


その多くは自分の心や魂が求める幸せに気づかず


誰かが幸せだと表現する事や形に


自分をあてはめて比較し


その形にフィットするかしないかで


自分を計られているからなんじゃないかなって


感じているの


人は周りの様々なものに影響を受け


その時々考え方や価値観を


新たなものに書き換えながら


その時代にフィットしながら生きているけれど


それでもその方それぞれに内蔵された軸は変わらず


その部分がその方それぞれの個性で


人生の使命や生まれてきた意味だと思うの


そしてその内蔵された軸は


どんな時にも


その方の人生をその方に合う人生へと軌道修正するので


その軌道修正が行われている時


人は様々な感情が生まれてくるように思うの


自分以外の周りの方はすべて


今の自分を知るため存在してくれている


大切な存在なだけであって


相手と自分を比較して


優越感を感じたり劣等感を感じるために


存在しているんではないように思うの


よく「平均」というキーワードが


多くの方にプレッシャーとなっている事があるけれど


実際には同じ年齢であっても


同じ性別であっても


その方それぞれに違うドラマがあって


それぞれ主役として人生を生きているのだから


見えるもの・受け取るものも違っていて


当たり前だと思うの


昔何となく自分が幸せになるための条件的なものを


何けなくノートに書いていた事があって


その多くは自分がそう思うというものではなく


何となく周りが望むものを書いていて


忘れた頃見て見ると


そこに書かれたほとんどのものを


私は手にしてはいなかったけれど


その頃の私は瞳に映る形では


見せる事が出来ない幸せの中にいて


その時私自身が何を幸せと感じ


何を大切に思うのかを知った事があったの


若かった私は自分が心から幸せを感じる事よりも


人にうらやましがられたい思いや


劣等感からなのか


目に見えた形で


周りからこう見られたいという思いが強くあって


時には人にうらやましく思われる時があったけれど


私自身はいつも周りの視線や


周りからどう見られるのかばかり気にしていて


今度は今手にしているものを失う恐怖と不安ばかりで


楽しい気持ちではいられない時もあったの


その頃の自分の人生を振り返ってみると


自分が気に入って使用しているものも少なく


ただ人からうらやましがられるために持っているブランド品や


高級なものたちに囲まれていたけれど


やがて今の自分にたどり着くターニングポイントが訪れたの


それは今のパートナーとの出会いで


パートナーは驚くほど報酬が少なく


共に過ごすためには


お互いが今持っているものをお金に換えてゆかなければ


過ごす事が出来ないほどだったの


その頃ありがたい事に手放すものがいっぱいあった事もあって


次々と私の周りにはスペースが出来ていったの


それと同時に見栄があった私は


思い煩う事をささやかれるのを感じ


多くの方との縁も卒業していったの


そうして残ったのは今の親友とパートナー


そして本当に気に入って大切にしているものたちだったの


人は半強制的に体験というものを与えられないと


変われない事もあるんじゃないかなって


その時感じたの


人間は進化したい・成長したいと望んで過ごしてはいるけれど


今特に苦難の中で過ごしているわけではなかったならば


自ら変わる方向へ選択したり


今まで選ばなかった事へ踏み出す事は少ないと思うの


上手に言葉では表現できないのだけれど


だからこそ私たちにとっては


大変そうな体験や悲しい体験にしか映らないような事ではあるけれど


本当はその真逆の意味で


進化と成長を遂げてゆくんじゃないかなって


感じているの


誰でも静寂の中で


自分の人生を振り返る事が出来たならば


多くの悲しい体験や大変だった経験の多くは


今のい分へと導くための


大切な大切なきっかけとなっている事に


気づかされると思うの


私自身


あまりスタンダードな歩みではなかった事もあって


人と共感できる事柄も少なく


たんたんと事実と結果だけを


無意識に見つめていた事もあって


少し情に欠ける部分があったように感じているのだけれど


病と言う自分ではどうする事も出来ない人生にとって


大きなイベントがあった事によって


今更ながら人には心があって


頭でわかっているけれどできない事や


ただ立ち止まっているしかできない時もある事を知り


昔よりは人へあたたかい瞳を向けられるようになったように思うの


昔は母によく


「人と付き合う時には


必ず逃げ道を作ってげなければだめだよ」と伝えられていたの


私は若い頃


変にこだわりが強く


相手がうそをついていると思うと


それを認めるまで問い詰めていた部分があって


そんな時母にそう言われたのだと思うの


母は「嘘だと自分でわかったならば


もうそれ以上問い詰める必要はないんだから」とか


「たとえ相手が間違っていたとしても


相手もそれに気づいているとわかったら


それ以上相手が降参するまで問い詰めてはいけない」など


よく伝えられていたの


それ以来


友人や知り合いと話す時やパートナーとの会話でも


自分を納得させるために


相手を追い詰めるような表現は消えていったの


私は未熟で気づいてはいなかったけれど


私と人生でクロスした方の多くはきっと


私に逃げ道を残し


問い詰める事もなく許し付き合ってくれていたと思うの


だから私はいつも自分の思ったままに


過ごす事が出来ていたと思うの


多くの方が私のスローな学びとは違い


学生時代にすでに学び終えた事が


私には今の年齢で気づいたり学んだりしているようで


パートナーや親友には良く笑われているの(笑)


そして幸せの形も変わってきたけれど


本当は自分に内蔵されている軸が


何度も軌道修正してくれて


本当に自分が幸せを感じるものへと導いてくれたと感じているの


そのおかげなのか


何も自慢できるものを持たない私に


「いつも楽しそうだね」と伝えてくれるの










よく今の時代は先が見えないというような


表現をされる方がいるけれど


今までもこれからも


未来と言うものは誰にもわからないし


初めから見えるものではないんじゃないかなって


感じているの


今までは何となくスムーズに時が流れていったならば


こういう場所にたどり着けるという


自分の予測であって


その様な予測のままに過ごされている方の方が


今までも少なかったんじゃないかなって


思うの


社会・健康・友人etc・・・


様々な事は変化し自分自身もその時々


無意識に変化を遂げているのだから・・・


以前何かの本で読んだフレーズなのだけれど


車である目的地へ向かう時


遠くまで照らし見る事は出来ず


見えているのはごく近い先だけではあるけれど


ある一定の時間になれば


ちゃんと目的地にたどり着くように


方向さえわかっていたならば心配する必要はなく


その時どんなに遠い目的地を見たいと思っても


それは時が流れなければできないように


私たちの人生も同じで


確実な何かを受け取りたいと思って


目的地にばかりこだわっていると


方向性を見失ってしまうと思うの


人生には色々な事柄・体験が用意されていて


私たち人間は神様が書かれた


物語を先読みする事は出来ないのだから・・・


今たとえ悲しみや不安に包まれ過ごされている方であっても


数日後には


予期せぬ幸運が運ばれてくる事もあるし


またその逆もあるのだから・・・


3月の震災の時


多くの方が大きな学びと気づきを与えてもらい


何気ない日常がどんなにありがたいかを感じ


人生観にまで大きな影響を与えられた方もいたと思うの


私の知り合いに実家が震災にあった方がいるのだけれど


今回被害が少なく済んだのは


何十年もさかのぼる事がきっかけだったようなの


その知り合いの父親がまだ若く独身の頃


両親と共に住んでいた家が今回のような災害で


すべて流され


その時新たにまたその場所に家を建てる事になたそうなのだけれど


若かった父親は


また同じことが起こるかもしれないと反対し


家族が同意しないならば自分一人でも


そうすることを強く伝えたようで


その時代長男の意見はとても守られていた事もあって


納得はしなかったけれど


みんなが若かった父親の意見に沿う事になって


今の実家があるようで


今回の災害では


若かった父親がある意味


その地域では大切にされている


先祖からの贈り物にこだわらず


直感にも似た感覚を大切にされたからこそ


何十年後に誰も予期しなかった事から


救われたんじゃないかなって


感じていたの


今まで住み慣れた所から離れるという事は


様々なことが新しくスタートしなければならない事もあって


きっと大変ではあったとは思うの


言葉では上手に表現できないのだけれど


若かったお父さんとはまた逆に


別の角度から


先を考えた家族からすると今まであったものを


立て直す方が少しは楽に元の暮らしに戻れると思い


なかなか納得できない部分もあったとは思うのだけれど


未来から過去を見つめていると


その時の若かった父親の決断が


今に繋がっていると思うと


安心が安全を保障してくれるわけではなく


ただ慣れた習慣が安心を育んでいるだけの時もあると思うの


少し表現は違うかもしれないけれど


車を運転される方ならば


なんとなく想像できると思うのだけれど


カーブが多くちょっとあぶない道の方が


意識して走っている事もあって安全に運転し終えるのだけれど


一見見通しもよく


まっすぐの直線道路の方が


何となく先も見えているしと変に余裕を持ちすぎてしまい


危険な時もあると思うの


きっと人生もある部分では


似ている所があるんじゃないかなって感じていたの


今振り返ってみると


世界中


その時代常識と伝えられていた事は


未来へ辿りついている


私たちが見つめると驚くほど非常識な事も多かったり


なぜこうしなかったのかなって?って


疑問に思う事もあるけれど


それはこれからさらに時が流れ


何十年も先の未来の人から見つめたならば


今私たちが過ごしている


今という時代も


きっと同じ感覚に映るくらい


様々なものが変化しているんじゃないかなって


感じているの








今私の友人は小さな恋をしていて


私はその話を聞くたびに


私まで楽しい気分に包まれているの


彼女にはパートナーや子供がいるのだけれど


彼女の話を聞いていると時々


小さな恋の相手が前世で繋がりがあるんじゃないかなって思うほど


様々な偶然が重なり


互いに惹かれあう機会がもたらされたんじゃないかなって


感じているの


ただ彼女自身もすべてを手放し


小さな恋の相手へと駆け寄るつもりはなく


まるで前世の続きを楽しんでいて


その間に何か秘められた魂の癒しによって


消化されてゆくように


私には感じているの


まるで10代の少女のように


毎日が楽しいようで


「今日彼を見かけたの」って嬉しそうなの


前世に思いを残し現世に送り出されている多くの魂は


姿や立場は変わっていても


必ず想いを消化するために巡り会うものだと思うの


彼女の場合は


身分違いで今と同じように距離がありながらも


お互いに好感を持っていた相手だと思うの


そしてお互いに相手の幸せを考えて


それ以上の発展を望む事なく


淡い恋心のまま過ごしていたと思うの


そして間接的にの互いに良い影響を与えあいながら


それで心が満たされる


エゴのない関係のように感じているの


前世って確かめる事は難しいけれど


時々自分の意識がお休みしている時に


ふっと魂の働きによって


特に理由もなく感じる事があると思うの


私がよく足を運んでいるサロンの方も


霊感などは特にないのに


共に働いている上司の女性は


お姫様か何かで自分はその方にお使いしていた


一人だったような気がする時があると


表現していて


そう思うまでには長いストーリーがあって


その会社を一度やめた事があったらしいのだけれど


辞めてからも何度も偶然に街で会ったりして


近況を伝えあう機会があったり・・・


その様な流れの中で会社が縮小する事になって


多くの方が辞めその上司だけで


新たなスタートとなった時


またまた偶然に街で会い


その話を聞きながら


強くこの上司の方の力になりたいと思ったそうなの


そうしたら数日後その上司の女性から電話があって


力になってほしいと会社に戻る事を望まれたので


戻り今は二人でサポートしあいながら


過ごしているの


私が見ていても会社の上司と部下以上の関係で


言葉を交わしていないのに


お互いが相手の望む事をまるでわかっているように


行動されている姿を見つめるたびに


彼女は表現していたように


本当に前世で繋がりあっていて


魂が呼び寄せた関係なのかなって


感じていたの











人との縁ってとっても不思議で


思い出を思起こすと


その時々自分のそばで


誰かの笑顔も思い出すけれど


あの時あんなに仲がよく


多くの時間を重ね過ごしていたのに


何度思い出しても


縁が終わったきっかけも


理由も思い出せない事があったり・・・


そのような出会いって


今になって思うと


その時同じ事を同じタイミングで学ぶために


引き寄せ会った縁だったのかなって


感じたり・・・


恋愛の場合だったならば


出会いも終わりもなんとなくどちらかが


そのようなシグナルを感じあい


始まりと終わりがはっきりとしているのだけれど


同性の場合は


自然な流れで


共感し合ったり心支え合ったり


喜怒哀楽をいつも互いに感じあいながら


大切な大切な思い出の中に


終わりがわからないまま


何となく生きていて


ふっと今どうしているのかな?って思ったり・・・


アルバムなどを見ていると


私も10代の頃


いつも隣で笑っている友人がいるのだけれど


その友人の事を思い出したり


その当時知り合った方たちの笑顔と共に


色々と浮かんでくるのは


気がつくと共通しているメッセージだった事を


最近になって気がついたの


それはいつも私が私らしくいられるために


たくさんの時間と様々な支えによって


未来へと続く私までと


送り出してくれていた事なの


私が日々何気ない事で自信が消えそうになった時や


無理に自分を抑え過ぎて


自分らしくいられなくなるたびに


言葉では上手に表現できないのだけれど


私の人生は私だけのものではないのだから・・・という


思いが溢れて


自暴自棄をとても短い時間で


終える事ができているの


よく自暴自棄などを過ごした方ならわかると思うのだけれど


自分の人生なのだから・・・と


自分自身を大切にしてあげる気持ちになれない事ってあるけれど


ゆっくりと人生の光となる思い出を


見つける事が出来たならば


その思い出に寄り添うように


誰かが自分の笑顔のために


多くの時間を注ぎ支えてくれていて


今日と言う日を迎えられている事を


感じられると思うの


私たちの人生は


深まる縁ばかりではなく


それ以外にも


何となく小さな言葉で大きな愛を手渡し


明日へと踏み出す力を与えてくださった人や


逆に人に頼りすぎず


一人で自分の人生と向き合えるよう


厳しく接してくれた人など


それぞれが自分の人生に


様々な役柄で登場してくれていたと思うの


自分にとって好ましい事は


何となく良い関係で


好ましく思えない関係は


人生に必要のない事のように感じる事もあるけれど


時が過ぎて見つめる事が出来たならば


出会いのすべてが


今の自分を作るのには必要な栄養になっていると思うの


特に人生の中で辛いと感じた体験や


悲しいと感じた体験の中には


その体験があったからこそ


深く人を思いやり愛する慈愛の種があったり・・・


人は本や人からのアドバイスで


多くの知識がストックされているけれど


そのほとんどは


知識として秘めているだけで


実感として自分独自の思いは重なってはいないから


知っているって部分でストップしているのだけれど


どんなに小さな体験であっても


自分が体験すると


そこから思いや考えが重なり


未来へいかせる知恵へと生命が宿り


次の出来事に選択できるアイテムとして


ストックしておけるようになるように思うの


もちろん同じ体験でも


人それぞれの答えの出し方があるから


誰にでもフィットする愛の形ではないかもしれないけれど


そんな方との出会いでも


その方が愛を与えようとしている気持ちは理解できるから


相手が愛を手渡そうとした時


それをどのように許し受け取ったらよいのか


わかるようになると思うの


魂が高まると時々


その思いに合わせた言葉が選べないほど


感覚的な能力の方が前にある事ってあって


そのようなすべてが同時進行し高まる感覚は


やはり自分が体験するのが


一番良いんじゃないかなって思うの


言葉でちゃんと説明できる時って


何となくなのだけれど


物事の方が先にあってそれを見つめながら


語ると思うの


言葉では上手に表現できないのだけれど


時々宇宙と繋がり高まりがある時って


すべてが同時に動いていて


言葉の速度がついてゆかないというのか


自分の内から生まれる感覚が


次々と更新されていて


その事を上手に言葉で人に伝える事が出来なくなって


自分の中で理解を深めるしかない時があると思うの


そして時の流れと共に


その加速が落ち着き


ひとつずつ紐解き理解してゆく流れになってくるように感じているの


なので高次元に包まれている今の時代は


ちょっとしたきっかけで


高まりやすくなっている事もあって


ふっと気がつくと言葉にする事を忘れ


行動や考えが無意識に優先されている方もいると思うの


今年は人の秘めている様々な器官が


もっとも冴えわたっている時で


色々なものが自分のアンテナに届き


それゆえに迷いも多いかもしれないけれど


一つの目安としては


大きな不安を感じる事の多くは


もっと深く見つめる事が出来たならば


ちゃんと自分で答えが出せる事が多いと思うの


今の時代は人類全員が


自分が意識をしていなくっても


魂レベルが引き上げられているので


以前のように時が過ぎて行くまで


不安に包まれすべてが終わるまで待つ必要はなく


ほとんどが答えを望めば


与えられる次元の中にいると思うの


一見


自分が望んでいないような出来事であっても


その出来事は自分の未来のために


与えられている出来事だったり・・・


その渦中にいる時には


なぜ私だけが・・・と悲しくなったり


不安になったりする事もあるかもしれないけれど


私たちはその時人生のひとつのピースしか見えていないだけで


もう少し時間を進めて見たならば


そのピースはとってもとってもなくてはならない


ピースである事に気づいたりできると思うの


平凡な人生はこの世に一つもなく


その方それぞれに人生のドラマがあって


周りから見つめて


何もなさそうに映る方の人生であっても


その方にとっては大きな事と感じる出来事があったり・・・


人にはそれぞれの価値観や魂レベルなど


様々なものによって


届けられる出来事は違うから


たとえ同じ出来事であっても同じ重さではないと思うの


以前ある方が


裕福なのだけれど病の方がいてその方が


「あなたは健康でいいわね


変われるものならばあなたの人生と交換したいわ」と


私の知り合いに伝えたそうで


その知り合いは


「変われるものなら変わりたいわ(笑)」と


笑いあった話を伝えてくれたの


私の知り合いは健康なのだけれど


経済的に大変なので


健康がもしも売れるならば売りたいくらいだというほど


健康を意識せずに過ごしているの


私も以前ならば知り合いのように


思ったかもしれないけれど


自分が病を体験しているので


どんなに魂レベルが高くっても


どんなに経済的に恵まれていたとしても


人間として肉体を持ちこの世で過ごしている間は


すべてのベースとなっているのは健康だから


そのベースが揺らぎだしてしまうと


他に恵まれていても


生きたい気持ちを持つ事さえも難しくなってしまう事を知り


当たり前にある健康が


私の中では一番大切なものとなっているけれど


人によってはそうではない事もあると思うの


命以上に大切なものがある方もいるし・・・


世界は今


新たな目覚めを迎えていて


その目覚めと共に


私たちは益々自分の中で消化されないまま


次々と届けられる出来事によって


引き上げられてゆくけれど


何も心配する必要はなく


ちゃんと時期が来たならば


すべて自分らしい形の答えへと消化できると思うの


今は自分にとっての真実に従い


過ごす事が大切なんじゃないかなって感じているの










人は時に


自分以外のエネルギーの影響を受けすぎてしまい


一人になりたいと望む事があるけれど


一人の時間は


短いからこそ貴重に感じ


長すぎてしまうと自分一人で古いエネルギーを抱え込み


新たな循環が行えなくなってしまうように感じているの


以前脳について書かれた本の中に


老化の始まりについて書かれていたのだけれど


肉体的な細胞の老化だけではなく


脳がすべてのベースになっていて


目をつぶっていても行えるくらいの慣れ親しんだ時間ばかり


過ごしている事や


身なりを気にしなくなった時


老化のスイッチが入っているそうなの


それは年齢だけではなく


脳はいつでも新たな事や考える事によって


進化してゆく不思議な器官だからなのだそうなの


確かにそうか持って感じる事はあって


私はいつも足を運んでいるフィットネスクラブでは


見てすぐに入入会して間もない方とそうではない方が


わかる事があるの


入会するまではきっとおうちで


どこにお出かけするわけでもないからと


そんなに身なりを意識されて過ごしてはいなかったと思うの


初めのうちはその雰囲気を重ねたまま


通われている方も


時間と共に知らない人とはいえ


一日に何人もの方と出会い


人の瞳に映る自分が気になりだすのか


時間と共にとってもきれいになってゆくのを


何人も見てきた事もあって


いくつになっても


人との出会いや人がいる場所で過ごしていると


自分の意識に変化が起こり


それはきっと脳が退屈から解き放たれて


活性化されたからなんじゃないかなって


感じているの


そして年を重ねると日常ではあまり体験する事のない


憶える・学ぶという事を


その空間で繰り返す事によって


初めは肉体的な向上を求め足を運んでいた方たちも


無意識にそれ以上のものを


手にして笑顔で過ごされているのを見るたびに


改めて何でも年齢のせいにして


あきらめてしまう必要はない事を感じているの


今では私の母親世代の方の方が


かわいいウェアを着ていたり


レッスンが終わるたびに


お化粧を直されていたりする姿を見つめながら


この方たちは今


日常の様々な役割を忘れ


自分自身を感じ幸せなんだろうなって感じる事もあるの


その空間では


今まで私が知っている勝手な思い込みで決めつけていた


年を重ねることと言う概念を


良い意味ですべて溶かしてくれているの


でも一歩外へ出ると


年齢が若くっても心身に老化を感じる方もいたり・・・


昔は老化と言えばしわやしみなど


そういう意識があったのだけれど


最近はその方が輝いていると


そういう部分が意識にはいらない事もあって


本人が気にしているほど


周りは気になってはいなく


全体から溢れるオーラやエネルギーで


その方の魅力や若さを感じるんじゃないかなって思うの


脳は新しい事が大好きだから


何気ない日常の中でも


ほんの小さな新たな事を作るだけでも


脳の栄養になってくると思うの


たとえば今までならば見なかった雑誌を見て見たり


いつも通り過ぎるだけで


入った事のないお店に入ってみるというだけでも


脳にとっては活性スイッチが入ると思うの


年齢を重ねると色々なことが予測できる範囲でしか


行動をしなくなり


どんなに小さな事であってもその様に行動していて


無意識に自分の世界を退屈にしてしまっていると思うの


年齢を重ねると


楽しそうな事よりも


恥をかきたくないという思いから


慣れ親しんだ事や知っている事の中からしか


選択しなくなってしまう事もあるけれど


たとえ恥をかいたと自分が思う事があったとしても


冷静にその事を見つめてみると


それは恥ではなく勇気という場合が多いと思うの


恥と思う事はできない事に出会った時や


知らない事に出会った時生まれる事が多いけれど


どんな分野の専門家であっても


知らないことやできない事は数えきれないほどあって


「そんなこともわからないの~」とか


「こんなこともできないの~」と


表現される方の多くは


自分自身が知っている・できる事の枠から出ずに


自分が無知で臆病だという事を知らないだけなのだから


気にする事はないのだと思うの


私の母は昔今とは違い


とっても狭い価値観の中で生きていて


人が楽しんでいる姿を見ては


心良くない表現をよくしていたの


そして母自身


人を否定している以上に自分を否定しながら生きていたと思うの


人へ完璧な表現をする以上


自分も間違いや恥になる事をしないよう過ごしていたのか


新たな事は絶対にせず


得意なことだけをしていて


中には昔取得した車の免許があるのに


2回運転して以来運転する事もなく


行動範囲が狭い自分を嘆いていたの


私の母は父よりもあらゆる経歴など


優れているという意識があって


父がどんなに母よりもできる事が多くっても


「そんな事が出来たからって意味がない」と表現していた手前


今度は自分自身が


人から見て意味のないと思われることはできなくなっていったと思うの


ある時には知り合いが車の事故を起こしてしまった時には


「車を運転するからでしょ


だから私はしないの」と自分の行動を肯定したり・・・


そんな母を見つめながら


私は色々と学ぶ事があったの


母のように間違いがなく歩んでいても


それが幸せかどうかはまた別で


毎日訪れる時間の長さに辛いとつぶやくようになって


気がつくと身なりも気にしなくなり


そうなってくると今度は外へ出たくなくなり


益々人との交流もなくなり


時には心配になるほど物事を覚えていられなくなった時


とても心配になった事があるの


そんな時弟の元に授かった天使たちを


預かる機会が多くなり


今までならば交流する事のなかった


近所の同じ世代のお子さんがいる方たちと


話す機会が多くなって


初めは嫌がってはいたのだけれど


気がつくと身なりも気にするようになり


一人では循環できないエネルギーが循環できているのか


会うたびに新たな話題や情報について話すようになって


実家に行くと新たな今の時代のものが


いくつもあったり・・・


そんな中で母は少しずつ柔軟になってきて


今まで絶対にしなかった様々な事に


チャレンジしているの


ある時には何かのテレビ番組で見たらしく


鏡などを造花で飾る事に心惹かれたようで


いくつも作っていて


私にもくれたの


それは若い女性が持つような手鏡で


小さなカバンには収まりきれないの(笑)


でも言葉では上手に表現できないのだけれど


すべて計算し生きてきた母が


あえて機能性はないけれど


ただ綺麗と言うものに心惹かれている姿に


私はとても感動していたの


そんな母を見つめながら


人は生きている間


幸せになるのには


いくつからでも遅い事はなく


いつからでも取り戻せる事を知ったの








時々


昨年の今時期の事を思いだしながら


友人たちと話す機会があるのだけれど


その時の事を考えるたびに


改めて神聖な何かが存在している事を


感じているの


手術を望みながらなかなか


どこの病院にしたらよいのかを決められず


様々な方からの情報を頂いたりしながら過ごしていたの


そんな時


市からがん検診の無料配布チケットが届き


市内のほとんどの病院でけられるのを知り


何となくそのうち行こ~っとって思い


いつものようにインターネットをしていた時


病院の評価などが書かれたサイトを見ていたの


ただ書かれているコメントは


どの病院も評価が良く


ここって決めるだけの何かはなかったの


なのに今でもよくわからないのだけれど


行った事もなく家からも遠い


ある病院がとても気になりだし


結局その病院で手術を行う運びとなったのだけれど


今思うとこれって


私が見つけて自分で決めたように見えるけれど


私自身はそう思ってはいなくって


私と共にいてくれている神聖なる存在が


私にそうさせるために


すべてのタイミングを整え


導いてくれたんじゃないかなって感じているの


ありがたい事に


私は術後


今まででは考えられないくらい元気になり


もしかしたら


女性だけが毎月迎える日を重ねるようになってから


初めて感じる


何ものにも遮られる事のない


人生の太陽を浴びているような


何気ない毎日の喜びを感じるくらいなの


でもこの間同じ時期に手術をした


友人の友人は


今も寒くなってくると傷が痛んだり


必要以上に身体を労わる思いから


行動をする事を制限してゆくうちに


容姿にも変化があり


病が改善したはずなのに


心身にはまだまだ癒しが必要な事を聞き


改めて色々な存在に感謝でいっぱいになるのと同時に


少し距離のあるその方の事がちょっぴり心配で


何かできる事はないかなって思ったり・・・


どんなに周りが気にならないと伝えてくれても


女性って自分自身への評価が一番厳しく


自分なりに納得した自分の姿を


鏡の中に見つけるだけで


朝から幸せな気持ちになったり


その逆の気持ちになったりする事もあるから


きっと彼女は病とは別に


心の痛みを感じているのかなって感じているの


私自身も病と共に過ごしている時には


薬の副作用や


心が様々な事に耐えられず


みるみる私が私ではないような姿となり


外へ出かける事も少なくなり


ごく親しい友人などとしか会う事もなくなった時


たまたま近くのショッピングセンターにお買い物に行った時


そのショッピングセンターで


私の名お呼ぶ人がいて振り返ると


昔数少ない社会勉強のために


知り合いのお店で働いた時に知り合った方で


その方はとても驚いた表情で私に


「どうしちゃったの?


私いつも会うたびに素敵な洋服着ていて


スタイルも良くて


あなたの事あこがれていたのに・・・」と表現されて


返す言葉もなく黙っていると


「結婚したんでしょ子供は?」と


その頃の私にとっては明るく答えられない


問いかけが多くって


「今急いでるのじゃ~またね」と伝えるので精いっぱいだったの


そのあとすぐに帰りたい気持ちになって


家に向かっている時


急に涙が溢れてきてしまった事があったの


それから数日は家から出る事もできなくなって


そんな姿の私を見てパートナーや家族は


私を励まそうと色々と言葉を手渡してくれていたけれど


その言葉を私の心が吸収できない


コ―ティングが厚くされていて


すべて跳ね除けていたの


客観的に考えたならば


そんなに気になるならばダイエットしたら良いのにって


思う方もいたようで


色々アドバイスを頂いた事もあったのだけれど


ホルモン治療は脂肪をため込んでしまう作用もあったり


変に我慢できないくらいの食欲が湧いてきたり


通常のように自分でコントロールできなかったり


私の場合は子宮にちょっとした刺激が伝わってしまうと


痛みが始まり


その時々数日もその痛みが続いてしまったりする恐怖から


必要以上にふれたり動いたりする事をしないように


過ごしていた事もあって


したいのにできない事ばかりで


心がつぶれてしまいそうだったの


病って身体にはっきりとした症状が現れる事だけに


スポットをあてるけれど


病が見えない部分にも


同じ波動のものを広げ


心も同じように病になってしまう事もあると思うの


今は生まれて初めて腹筋をしたりできる自分が嬉しくって


がんばれる自分が嬉しいの


ずっと長い間


運動らしい事をしていなかった私は


つい今までの癖で


本当はまだまだできるのに


ストッパーをかけてしまう所があるのだけれど


フィットネスクラブで仲良くなった方が


いつも私を誘ってくれる事もあって


そのおかげで自分が思う以上の運動が出来たり


がんばれたりして


そのたびに改めて


新たなステージに行く時には


その時々まるでガイドのような存在の方が


人生には登場してくれるのかなって


感じているの


誰にでもきっと必ず守護霊のような存在が


いつも寄り添い過ごしていると思うのだけれど


時々意識してあげると


きっとそれだけで繋がりが強くなり


守護霊自体のパワーも上がって


守護霊が力になれる事も多くなるんじゃないかなって


思うの