2011年10月





成功とはただひとつ


自分独自の生き方が


できることであるという言葉があるけれど


その言葉を受け取った時


私はまだまだだなって感じていたの


成功と言う響きは


何となく誰でもが瞳に映せるものという感覚があるけれど


本当の意味での成功とは


その方それぞれが


自分らしく生きているかどうか


なんじゃないかなって思うの


自分らしく生きる事は


相手への配慮や思いやる形を


いつも意識し


そうしなければならないと教えられてきた日本人には


少し難しい事もあったり


時には自分を優先し


自分の人生を大切にする事は


誰にとっても大切で間違ってはいないのに


気がつくと自分を後回しにしてしまう事もあると思うの


その様な事をよく体験する方にとっては


自分のためにある人生なのに


自分の人生が


いつも周りの状態によって変わるから


自分の意志で人生を変えられるのかなって


不安を感じる事もあるんじゃないかなって思うの


私自身もつい自分の予定を後回しにして


相手が希望する時間を作るために


行動してしまう事がよくあって


勝手に積もり積もった言葉では表現できない思いを


深い部分に治めてしまい


最終的に意志が弱く自己表現ができない自分が原因なのに


つい相手のせいにしてしまう事さえあるの


日本では空気を読む事を


とても大切だと表現される事があるけれど


その多くは


もしかすると私のように自分が思う事を


表現できない方が日本には多いから


相手がその思いを悟ってくれる事を望み


伝えられている事なんじゃないかなって


感じていたの


でもこれからの時代は


今までふれあった事のない価値観や考え方


環境の中で育った方とは


出会う事のなかった方たちとも出会えるほど


様々に存在していた世界が近くなっている事もあって


相手に自分の思いを悟ってもらう事を願うだけでは


辛くなりすぎてしまう事も多くなってきてしまうので


自分の思いを頑張って


伝える事も大切なんじゃないかなって


感じていたの


私は学生生活も少なく


社会経験がほとんどない事もあって


小さな小さな世界の中で


今までいろいろ学び


様々なものを受け取ってきたのだけれど


自分の行動範囲が広がれば広がるほど


様々なコミニティで過ごされる方と出会うたび


日頃の生活では感じられない


自分が何を大切に感じていて


自分はどのような価値観を持っているのか


そして


自分の周りの方への感謝など


おだやかに流れる時間の中だけでは


実感として感じる事のない


様々な事を感じる事があるの


ある時にはプールで


80歳少し手前の女性と話す機会があって


その女性がとってもかわいい色とデザインの


水着を着ていたので


その思いを伝えると


「あなたもいつもスタジオで頑張っているの見かけて


若いって素敵だなって思って思っていたのよ


でも年だからってあきらめるばかりでは


いやだから


私も頑張ろうって思ってたのよ


それで


プール以外も最近は少しずつ挑戦しているのよ(笑)」と


伝えてくださって


私も嬉しくなって


「私も自分よりも年齢を重ねた方が


元気で輝いている姿を見ていると目標になります」と


お互いに笑顔で話していたのだけれど


そこに別の女性が気がつくといて


その方は60代のようなのだけれど


話しの内容が私にとっては重く


その場を去ろうと思ったのだけれど


その時80代の女性が


上手にその場を去ってしまい


タイミングを失った私は


その方が終わりのない話しの聞き役となり


気がつくとジャグジーの中に2時間近くいて


もう限界かなって思った時


その女性は別の話を聞いてくれそうな方を探し


移動してくれたの


その女性は昔よくいた価値観を持たれた方のようで


ある時には


自分の友人の常識のなさをどう思うかと


相手に問うような表現があったり・・・


その方の言動とフィ―リングと合わない方たちは


その方が自分の事をよく思わない事を覚悟して


自分の思いを表現し


距離を作っていたの


私も周りを見習って


違うかなって思った事はがんばって


表現しようと思い


会った時


いつものように何かのきっかけで話す機会があり


「私が仲良くしている○○さんは


私がいつも何かをあげても


お礼の電話もお返しも一切しないような


常識のない人で


この間○○さんに突然


重くなるような付き合いはやめようって言われて


都会の人って


なんかあやつけてかっこつけて


人と関係を持つ事をしないよね」と伝えてきたので


私はがんばって


「その場でお礼はちゃんと伝えているんだから


それで十分だと思いますよ


それ以上に見返りを求められるのは


重いんじゃないですかね


私も都会の人間だからなのか


○○さんの伝える事はよくわかりますよ


都会には色々なスタイルで過ごしている方が多いから


相手が言わない事は聞かない思いやりをみんな


持っているから


情がないように映るだけなんじゃないですか?」と伝えると


その方は少し怒り気味に


突然敬語になり


「あなたの考えは間違っていますよ


そんな風だから今の若い人は・・・」と始まり


冷静に考えたら


その場から立ち去ればよいのに


そうできない私は


その様な場面に出会うと


言葉では上手に表現できないのだけれど


きっと幼い頃の母と私のポジションのような


錯覚に包まれ


身動きが出来なくなってしまうんじゃ


ないかなって感じていたの


嫌な空気なのに


長い間母と私の繋がりの中で


このような空気感はよくあったこともあって


慣れすぎていて無意識に


苦痛を感じないように


幼いころから自分で防衛本能からなのか


その流れが収まるまでつい待ってしまう所が


あるんじゃないかなって


何となく感じていたの


でも今はもう大人なのだから


自分の意志で


どんな時間へも移動する事はできるのだし


どんな人とも繋がりあえるのに・・・


そう思うと三つ子の魂百までという言葉が


日本にはあるけれど


幼いころに体験した事や


感じた感覚は


人生を終えるまで寄り添いながら


存在しているんじゃないかなって


感じていたの


そしてその方と出会う事で最も感じたのは


今私と繋がっている方すべてに


改めて


「ありがとう」という感謝の思いだったの


私の周りには様々な価値観の方が当然いるのだけれど


自分の価値観を強く押し付けてくる方もいないし


言葉への配慮を何気なくされていて


たとえ違う価値観だと相手がわかった時でも


「そうなんだ私は古い人間だから


違うセファイの人の話は勉強になるね」と


表現しいたり


相手がどんな状況であっても


原因を探るでもなく


「健康だったらそれでいいんじゃない(笑)」と


すべてを笑いで洗い流す言葉を持っているの


その事で互いに考えすぎてしまったり


誰かと比べて苦しくなったりする事もなく


良い意味ですべてを相手のためにも


自分のためにも笑う機会にしようと


高い知恵を持っているのを感じたの


それは今の私の年齢よりも


その上の年齢の方のほうが


そのような心に至るまで


大きな努力と意識の革命的変革を重ね


今の時代にフィットした価値観や考え方を


持たれたんじゃないかなって


改めて感じていたの


先を歩む世代の方たちからすると


きっと下の世代が選択する事は


「そんなことしたらこうなるのに・・・」とか


「今は若いからいいけど年をとったら・・・」と


つい昔の習慣で溢れそうになる思いは


ないわけではないとは思うの


でもそれよりも


どんなに年齢を重ねても悟りきった先生という


スタイルを維持する事よりも


今の時代の生み出す新たな知恵を受け取りながら


楽しさから生まれる


学びや喜びを体験しようと思いで


過ごしていて


姿こそ年齢は重ねているものの


心はいつも少女のようにキラキラした瞳で


毎日楽しんで生きているのかなって感じていたの


そしてそんな方と出会えた事に


改めて感謝が生まれていたの


最近様々な小さなコミニティの中で


人と触れ合う機会が多いのだけれど


実際には常識も価値観も


そのコミニティによってまるで違っていて


みんなそれぞれ自分が信じた通りのものを受け取り


人生と言う形になっているように


感じていたの


その様な体験を受け取るたびに


他者の価値観に振り回されないよう


自分を信じて歩むことの大切さと


もっと自分の心の強さを養わなければいけないなって


感じているの


そして年齢を重ねれば重ねるほど


その方の歩みすべてが姿形や


言葉の中にちりばめられてゆくように思うの


よく顔は親からもらったものと表現されるけれど


表情が作り出す顔は


年々その方のライフスタイルにあった顔になっていたりする事を思うの


素敵だなって思う方の多くは


笑顔が多い生活をされているからなのか


顔を見つめながら話していると


こちらが元気をもらったり・・・


一般的な美意識では測れない


人間的な美しさを感じ


美の基準がもっと深い部分から


自分も感じ受け取る事もあるの


私たちが知っている自分って


鏡を通して知る事が多いけれど


鏡で自分を映す時には


無意識に表情を作った姿だったり


誰かと話す時表情を作っている自分だと思うのだけれど


人が見つめる自分は


その表情を作った自分ではない


自分だから


自分が思っている以上に


日常が溢れた表情になっていて


言葉などで自分をその時演出しても


それぞれの方が心の辞書の中にセットされた


基準から相手を判断しているのだと思うの


無理に作り笑顔の多かった方は


自分を好きになれない違和感あるシワが深かったり


イライラする機会が多い方は


その感情が作り出す表情が


イライラしていない時にもわかるような表情だったり・・・


若いころよりも


感情が長い時間かけて


その方の顔を作っているのだと思うの


年齢を重ねると


一つ一つのパーツの美しさよりも深い


その方から溢れるエネルギーやオ-ラを


無意識に読み解き


素敵だと判断したりできたりするようにもなるから


素敵だと思う美しさの基準の広さと深さが増してきて


若い頃とはまた違った美意識が生まれてくるんじゃないかなって


感じてたの


そしていつも感じるのは


自分が好意的に相手に対して思う思いは


言葉で表現しなくっても


魂や心で響き合っているのか


瞳が合うと笑顔で話しかけてきてくださったりして


どんな思いも納めておけない私は


「いつもスタイルが良く


素敵なウェアを着ていて


私もこうな風になりたいなって思っていたんです」と


伝える機会が与えられたり


心の中でこの方のプログラムは大好きだと思って


ヨガのプログラムを受けていると


なぜか私だけ丁寧に何度も


ポーズを直しにステージから降りてきてくださり


ありがたい気持ちで終えた後


またいつものように


どんな思いも納めておけない私は


「この施設のプログラムで一番○○さんの


プログラムが楽しみで
運動苦手な私も


通う癖がつきました


ありがとうございます」と気がつくと


伝えていたり・・・


その様な体験を重ねるたびに


思いを心と魂で響き合わせているのと同時に


私が感じるのはきっと


心で思う感情が


自分の無意識の時に溢れていて


その表情を受け取った方が


同じように良い印象を感じているんじゃないかなって


感じているの


言葉に表現しないのだから


心で何を思ってもわからないと


思う方もいるかもしれないけれど


人間には太古から秘められている


数秒で様々なものを判断するという能力があって


その時には直感にも似た早さで


説明のできない判断によって


年を重ね歩んできたと思うの


一見直感的なものよりも


長い時間かけて分析した方が正しいものを


受け取れそうな気がするかもしれないけれど


私個人的な体験の中では


長い時間かけて分析して選択した時の方が


自分らしくない自分的には合わない選択をし


最終的には初めの直感的な答えの方が


良かった事に気づく事が多いの


それはきっと長い時間かけて分析してゆくうちに


自分の体験だけではなく


見聞きしたものや思いこみ・決めつけなどから


様々なものを見えなくしてしまうからなんじゃないかなって


感じていたの


今のように情報が溢れていると


一見良い答えが見つけられそうだと感じる事もあるけれど


必ずしも情報が多いから


最善の答えを導き出せるとは限らず


すべての答えは自分の中にあって


すべての情報はそれを引き出すための


きっかけでしかないんじゃないかなって思うの


そして自分と深く繋がりあう良い意味での類友以外の方と出会うと


心の疲労はあるものの


後になってみると


そういう自分とは違った価値観の人と出会えなければ


自分の気持ちには気づけない事もあると思うの


自分の価値観と違う方との出会いは


今自分がどの位置に立っているのかや


進歩がないと自分を思って見つめていた方であっても



自分が成長している実感をさせてくれたりして


すべては正しいどうかばかりにこだわり


相手を批評するために与えられた事でもなく


ただ自分と言う存在がどう感じるのかを


体験するために与えられている事なんじゃ


ないかなって感じているの









今日本各地で


冬眠を迎えるために食料を求め


動物たちが山里から降りてきているのが伝えられていて


私が暮らす北海道では


今までならばありえないくらい街に近い場所に


熊たちが現れ


様々な場所が閉鎖されていたり


ハンターの方などが活動されているの


以前にも伝えた事なのだけれど


なぜかこのような動物のニュースは


いつも私の心がとっても泣きそうになり


自分でも驚くの


昨年も同じようなニュースが良く伝えられていたのだけれど


何もできずこのような出来事を


ただ聞くだけしかできていない自分が悲しくなってしまうの


私のその様な思いを知っている友人やパートナーは


このようなニュースが届けられるたびに


多くの方が当たり前なのだけれど


人間としての立場で


自分たちの領域を心配し


熊を怖れ早く解決する事を語り


その思いを聞きながら


私の思いが違った感覚で孤独を感じないように


共感してくれているような意見や思いを


すぐに伝えてくれるの


私自身いつも不思議なのだけれど


何でこんなに特に熊などに思いれを持つのか


自分でもわからなかったのだけれど


色々調べて見ると


ネイティブアメリカンにとって熊とは


勇気と力の象徴で人々を真実へ導いてくれる


指導者として崇められていたり


アイヌ民族の間では神と崇めていたり


世界中で熊は動物の中でも


特別な意味を持つ存在らしく


殺めると1年良い事がないと伝えられていたり・・・


そんな知識を見るたび


私の中で自分が不思議なくらい熊に対して


心動かされるのは


きっと自分の意識とはまた別に


何億年もの記憶が刻まれている別の領域で


感じている感覚なのかなって


感じていたの


私があまりにもしずんだ表情をしているのを


少しでも明るくしようとしてくれたのか


いつも仲良くさせてもらっている方が


「熊が言葉を話せたら大変な事になるよね


人間は勝手にくまちゃんの土地を奪って


今度は見つけたらころそうとするなんて


くまちゃん話ができたら


裁判沙汰だよね(笑)」といって


笑わせてくれたの


その方は小さなワンちゃんを5匹も共に暮らしているせいなのか


今回被災地の動物たち現状についての情報にふれるたび


溢れそうな涙をこらえながら


見るのも聞くのも辛くなるから


見ないようにしている事を伝えてくれたの


そんなある日


何気なくいつも通る道を歩いていると


今まで美しく緑の葉を茂らせ


元気にいつも存在していた木々が


伐採されていて


トラックで運ばれてゆくのを見ていると


偶然に近くの方と話す機会が訪れ


その時「木を切ってましたけど何かあったんですか?」と


尋ねると


近くの方は


「何となく見晴らしがよくないから頼んだみたいよ」と伝えてくださり


その時またくまちゃんの時のように


ちょっぴり悲しい気持ちになったの


言葉を話せないだけで生きているんだけどな~・・・って。


人間は生まれた時から


積み深いと誰かが表現していたけれど


その通りだなって感じていたの


そして


意識はしていなくっても


多くの命に支えられ


自分は生きる事が続けられているのだから


とにかく大きな感謝を感じ


自分が自然にお返しできる事を


何かできたらなって


とっても強く感じ


今色々と探しているところなの


でもこんな話を幼いころからしていた私は


良く父親に


そんな事で悲しんでいる弱い心では


生きてゆけないぞ!と良く言われていて


その頃から漠然と人間社会って厳しいものなんだと


思っていたの


その頃はまだ自分と同じ思いを持つ方には巡り合えず


思いを表現する事はなかったのだけれど


自分が過ごすスペースが広がれば広がるほど


小さなスペースでは出会えなかった


価値観を持つ方と出会う事が多くなり


孤独感から解放され


少しずつではあるけれど


自分の思いを表現できるようになって


そうする事で相手の方も


躊躇していて表現できなかった思いを伝えてくれたりして


ありがたいくらいに


嬉しくなるの






いつも足を運ぶサロンの方とは


魂で響き合う価値観を持っているのか


気がつくとスピリチュアルな話しになり


その方が知っている知恵を


いつも教えてもらっているの


この間は


お財布やお金についての知恵だったの


その方が伝えてくれたのは


購入したお財布と同じくらいの額のお札を


いつもいれていられるくらいの金額の


お財布が大切なのだそうなの


その理由としては


どんなに立派で高価なお財布でも


背伸びをし無理して購入したりした場合


身分不相応だという事になり


お金の居心地が悪く


長い間お札が居たがらないそうなの


なのでいつもお財布と同じ額くらいのお札を


入れられるくらいの価格のお財布を


持つ事が大切なのだそうなの


お財布やお金にまつわるお話はたくさんあって


私も昔どこで誰に聞いたのかは


思いだせないのだけれど


10代のころからお財布を買い替える時には


新たなお財布をスタートの時から


レジでお金を使ってしまうのは縁起が良くないようなので


自分ではレジには行かず


友人などにレジで払ってもらったり


他には


今人生が豊かに笑顔に包まれ過ごされている方に


お願いしたり・・・という事にしているの


ある方に聞いたのは


お札はすべて逆さに収納するほうが


出ていかないという事を実践している事を教えてくれたり・・・


みんな色々なお金にまつわる知恵を持っていて


話しているだけで


なんだか豊かになれそうな気分になっていたの(笑)


お財布の中見って


小さなスペースだけれど


その方のライフスタイルすべてが入っていて


人それぞれにお守りになるものを入れていたり


良く通うお店などの会員証やポイントカードが入っていたり


お財布の中身を見ると


何となくその方の過ごし方がわかるくらい


色々納められていると思うの


お金を望む理由って様々だと思うのだけれど


大きく見つめると私が感じているのは


人生を豊かに自分自身色々な選択肢を楽しみながら


体験を重ね


時には誰かと笑顔で過ごしたい思いからだったりすると思うの


なので私からするとまだまだの私にとっては


経済的に豊かであれば


多くの事が満たされ心にもゆとりがもっともっと持てると


考えていたのだけれど


この間フィットネスクラブで出会った方が


一般的な豊かさを超えて


家などでもローンを組まずに


幾つか持っている方で


その方自身も高学歴で優秀らしく


初めて会った私に必要以上に


そういう事を話されるので驚いたのだけれど


その方自身幸せそうではなかったの


気持ちに余裕が持てていないのか


すべての事柄をすべて悪意にとり


そのせいなのかご本人は友達が欲しくって


フィットネスに来ているようだったのだけれど


誰もあいさつ程度で


それ以上話す事はなかったの


その方を見ていて感じたのは


お金の意味についてだったの


その方は一般的な方が求める


家や車・貯蓄・子供・家族色々なものがあるのに


満たされていない事が不思議だったの


その時家に帰って一人になった時


日頃考えないお金について考えて見たの


私の場合だったら


どんなにお金があってもきっと一人では


あまり意味がなく


家族や友人とどこかへ行きたいとか


おいしいものを一緒に食べたいとか


同じ体験をしたいとか


無意識ではあるけれど


すべて誰かといるために必要に思いながら


お金に対する価値観と重ねているように感じていたの


でもその出会った女性は経済的にも豊かで


家族も子供もいるのに・・・と


思ったのだけれど


私とその方に違いはきっと


私はありがたい事に自分個人の幸せと言う軸が満たされていて


そこに重なるように


大切な人たちとの時間があるから


後は経済的な豊かさだけになっているけれど


その方の場合は


個人的な幸せの部分が消えていて


宙に浮いたように誰からもうらやましがられる


幸せが築かれているから


無意識に個人的な幸せを


必死に満たそうと行動されているのかなって感じていたの


個人的な幸せとは


年齢も性別も人からの評価も関係なく


ただただ自分が幸せを感じる感覚を


与えてくれるものだから


本当に人それぞれで


ある意味そこに個性があると思うの


その方は何が幸せを感じる事なのかは


わからないけれど


私からするとその経済的な豊かさがあれば


選択肢はたくさんあるのにって思ってしまうの


私たちは時々


あれさえあればうまくいくのに・・・とか


生まれつきだから・・・と言うフレーズで


すべてをあきらめたりする事もあるけれど


すべての条件が整っていても


それが必ずしも幸せになる条件にはならず


特に誇れるものがなかったとしても


今笑っているとしたら


間違いなくその方は幸せなのだと思うの


人生ってとっても不思議で


人間が頭で考えた


幸せになるために必要な条件はなく


幸せは心の状態で決まるだけなのだと思うの


今おししいものを食べて


「おいしい~」って感動したり喜べたり



綺麗なものを見て感動できる


豊かな感性が


幾つも重なった時


ふっと気がつくと


自分って幸せなんだなって感じるのであって


あれとこれがないから幸せではないという事では


ないんじゃないかなって感じていたの



女性の人生に大きな影響を与えてくれる


女性ホルモンは


一生でティースプーン1杯だといわれていて


その方の過ごし方によっては


いくつになっても注ぎ足されるそうなの


ティースプーン1杯と思うと


とっても少ない量だけれど


女性の情緒を大きく左右して


人生がバラ色に感じたり


その逆だったり・・・


年を重ねるごとにその女性ホルモンは


その方の過ごし方によって


注がれる量も違うそうで


トキメキや喜び・心地の良い時間を


意識的に作る事で


注ぎ足されてゆくそうなの


私がいつも足を運ぶフィットネスクラブでは


ホルモンを全身に満たすよう


意識してなのか


小さな恋心を持ち


少女のように瞳を輝かせ


過ごされている事を感じる方が多いの


フィットネスクラブには


若くて素敵なインストラクターが多く


年齢を重ねた女性たちは


大きな発展を望むわけではないのだけれど


その場所だけでときめき


楽しそうに過ごしていて


日に日に美しく素敵になっているの


もしかすると中には


運動が苦手な方もいるとは思うのだけれど


その方と会いたい思いが


嫌な事を乗り越える原動力になっているのか


がんばっているのを見つめていると


小さな一つの喜びが


すべてを乗り越えるほどの力を


女性には宿っているのかなって


時々感じているの


言葉では上手に表現できないのだけれど


その様に過ごされている方は


初めの目標を果たすために


その時々モチベーションを高めてくれる何かを見つけて


人生を輝かせてゆけるのかなって


感じていたの


私が仲良くしている女性も


瞳をキラキラあるインストラクターと会話を交わすのを


楽しそうにしているのを見るたびに


なんだか可愛いなって


うらやましくなってしまうの


昔から恋は女性を美しくしてくれると伝えられているけれど


恋をする事で


女性ホルモンのスイッチは入って


そうなるんじゃないかなって思うの


たとえそれが疑似恋愛だったり


妄想の範囲だったとしても・・・


恋愛以外にも


自分が心地が良いふわっとした感覚を感じる


時間を作ったりする事でも同じ作用があったり


女性ホルモンを増やしてくれるそうなの


私が病と共に過ごしていた時


女性ホルモンがどれほど


自分が自分らしくいるために必要だったかを


とても感じた事もあって


今では意識しながら優しく穏やかな時間の中で


過ごすようにしているの









いつも仲良くしているサロンの方と


だんだんと会う回数を重ねてゆくうちに


相手の方も心を開き


様々なお話をしてくれるのだけれど


この間は家族のお話しで


その方のお姉さんがうつ病になられた話しで


そのお姉さんは昔からアウトローな生き方で


エネルギー溢れ


穏やかな方ではなく


その当時は家族もお姉さんの存在によって


バラバラになりそうなくらい大変だったそうなの


そのお姉さんがある日突然


まるで別人のように静かに


落ち込んでいるような姿で家にいて


家族が話しかけても反応もなく


みんなは何か悩みでもあるのかなって


かるく考えていたようなのだけれど


数カ月たっても同じような状態で


ある時自ら命を終わらせようとしたそうで


家族は急いで病院へ連れて行くと


うつ病だと診断されたそうなの


でもこれといった原因はなく


どうする事も出来ない家族は


とりあえずしばらくの間


お母さんがお姉さんをずっと見守る事にしながら


過ごしていた時


私の仲良くしているサロンの方


お姉さんに何か良い方法はないかと


方々に尋ねていた事もあって


偶然にある占い師の方を紹介されたそうで


お姉さんと見てもらいに行ったの


そうするとお姉さんには


首つりでなくなった同じ年代の女性がついていたようなの


そのお姉さんはアウトローな生き方をしていた事もあって


友人たちと真夜中


問題の多い場所によく足を運び


以前にも誰かを連れてきてしまった事があったらしく


よく連れてきてしまう体質だったそうなの


ただ今回は時間がたつにつれて


離れていった今までとは違う事もあって


初めてお祓いをされたそうで


お祓い後ご供養のために


海に流しに行く間


ずっと嵐のようにすごく荒れた天気になり


後日にしようかと迷うほどだったそうなのだけれど


その日にするように伝えられていたので


がんばってご供養をしたそうなの


そうしたら帰り道には


信じられないくらい空が晴れ渡り


ふっとお姉さんの顔を見つめて見ると


以前のような元気溢れた表情で


自分が今まで何をしていたのか思い出せない事を


伝えてくれたそうなの


その話を聞きながら


何度も何度もこのような体験を聞き


ふれてきたのに


相変わらず疑り深い私は


色々と話を尋ねながら


人間が考えられない事が


やっぱりあるのかなって感じていたの


私が疑り深いのは


本当の事に出会いたい思いからで


誰よりも神秘的な世界を信じているからこそ


確信を受け取りたい思いからなの


私が10代の頃は


不思議体験が当たり前に日々あって


空を見上げれば星とは明らかに違う


三角形に早い動きの光を幾つも見たり


ある時には私には普通に人がいるように見えているのに


友人や周りには見えていない事を教えられて


はっとしたりする事はよくあったのだけれど


そのたびそのまま受け取ってしまうと


怖がりな私は一人でいられなくなってしまう事もあって


いつも気がつくと


自分に問題があると答えを出し終わらせていたの


でも私が出会う方の多くは


私が特にスピリチュアルなお話をしていないにも関わらず


そういうお話をしてくるので


間接的に私に何かを伝えてくれようとしているのかなって


いつも感じているの


20代からはパワーストーンの存在を知り


それからは毎日パワーストーンを身につけていないと


落ち着かなくなり


お出かけの時に忘れた事を気づくと


取りに戻るくらいなの


それでも一人の方だけは


会う時には毎回パワーストーンのブレスレットが切れたり


石が欠けて


その場で石が落ちたこともあったの


その方の事は以前にも書かせていただいたのだけれど


極力思いだすのも話すのもしない方が良い気がして


長い時間その方の事を思い出す事はないの


こうして書かせていただいている間も


その方の姿は思い浮かべず


そこにあったものや現象だけを思い出しながらしか


書けないくらいなの


その方に宿る何かが信じられない力がある事を


まだ知らなかった私は


色々と悩む彼女にアドバイスをしている時


ウェイターの方がコーヒーを運んでこられたのだけれど


その時私の手が勝手に動き


そのコーヒーを払いのけて


自分の方へこぼしてしまったの


その時自分の意思とは別に身体が動く事など


体験した事がなかった私は


驚きのあまり彼女に


「あなたには何かよくないものが重なっているんじゃない?」と


今思えば失礼な表現が


すぐに出てきたの


そうすると彼女は戸惑いながら


自分の人生・家族に起きたあらゆることを話してくれて


彼女はその事で多くの方が離れていった


体験からできるだけ


自分に起きる出来事などを隠していたようだったの


その話を聞いた私は


怖い思いよりも


彼女の気持ちを元気づけたい思いと


私も大きさや形は違うけれど


不思議な体験を何度も経験していても


人に話すと???と周りがなってしまう事で


孤独を感じていたから


気にせずに仲良くしようと思っていたの


でもある時色々と話しこんでいる時


私が何気なく


「あの消えている電球つける事できるんだよ」と


ちょっぴり得意げに伝えると


彼女は「そうなんだ~


怖がらないでほしんだけど


私は通る道にある電柱の電気が割れるの


でもなんでか分かんないし


いつもそうなるわけじゃないんだけど・・・」と表現したので


好奇心あふれていた私は


わくわくしながら


外の道を歩いていたの


そうしたら明かりが消えている電柱があったので彼女に


「私が通ったら明かりがきっとつくよ」と伝え


その下を通るとぱっと明かりがともったのだけど


その瞬間彼女が歩いた時


とった電柱の電気が次々と割れて


それまで好意寄進溢れワクワクしていた気持は消え


恐怖の方が広がり


何も話せなくなってしまった私は


すぐに帰る事にし


元々霊感が強い母にその事を伝えると


もう会うのはやめたほうがいいと伝えられ


今まで友人関係で


母がその様な表現をする事は一度もなく


どんなに問題があると伝えられる友人と出会っても


つきあいをやめるように表現する事がなかった事もあって


このアドバイスは


きっと深い意味があるように感じた私は


その方には申し訳ないのだけれど


それ以来連絡を取らないようにしたの


私の中ではこの出来事は


どんな心霊話よりも怖く


そして疑いようのない事実で


その方と会っている時


どれだけのパワーストーンが割れたか


わからないくらいなの


その方と出会うまでは


自分の錯覚や勘違いと思えば思えなくもない


ふわっとした体験ばかりで


パワーストーンに対しても


お薬のようにすぐに痛みが消えるように


わかりやすい作用ではない事もあって


ただのおしゃれアイテムの一つとしか


考えていなかったのだけれど


その体験の間中


私をガードし耐えられなくなって形をなくす姿を


何度も見つめた事もあって


パワーストーンに宿る力を


信じるようになり


今ではなくてはならないものになっていったの


パワーストーンとの付き合いは長いのだけれど


パワーストーンを身につけている方によっても


同じ石の種類なのに


まるで違った表情になったり


伝えられている効能とはまた別の反応があったりして


そのたびに人間と同じで


日本人はこういう性質って決めつけられている事もあるけれど


ミクロで見つめると


みんなそれぞれ違うように


パワーストーンも同じで一粒一粒


微妙に個性が宿っているのを感じるの


ある友人は恋愛に趣を置いていて


いつも恋愛に効果があるものを


私にオーダーしてくれていたのだけれど


そのたびに1ヶ月くらいたつと石がゆがみ


時には割れて


元も形とは少し違ってきてしまい


何度も新たに作りなおしても


その状態は変わらず


石がかわいそうになった私は


彼女にも申し訳ないとは思ったのだけれど


お作りしない事にしたの


そうしたら彼女が「みんなこういう風になるものなの?


この間友達からもらった石は全然大丈夫なんだけど・・・」といって


かばんの中から


友人からもらったパワーストーンが連なった


ブレスレットを見せてくれたの


知識のない私にはちゃんとした事はわからないのだけれど


すべて名もない石に


着色した石たちで


本当の姿ではない事もあって


パワーが外に出せない分


身につける方の思いにも反応しないので


とっても丈夫におしゃれを楽しめるアイテムのように感じたの


でもせっかくお友達が贈ってくださったものなのだから


何も感じていない友人に


わざわざ自分が思う事を伝えるのは


違うかなって思い何も伝えなかったの


それでも友人は自ら色々と調べ解明してゆくうちに


自分は恋愛に趣を置いていたけれど


その前の段階が整っていなく


その前の段階に必要なものをまずは身につける事が


必要だと感じたらしく


今までふれあった事のない石や色合いで


もう一度私にオーダーしてくれたので作ってみると


今度は割れる事もゆがむ事もなく


そして私の手元にあった時よりも


光り輝いていたの


その時使った石たちは恋愛とはまるで違う


仕事や人生をサポートしてくれるような石たちだったのだけれど


それから2年くらいたった時


仕事で知り合った方と結婚され


気がつくと最終的には


彼女が最も求めていた恋愛を成就させていたの


その時私自身


大きな気づきと学びを


友人のおかげで得られたの


私たちは時々ピンポイントで


願う事を叶えたいとだけ意識を向ける事があるけれど


その叶えたい事の前に


必要な段階がある事もあると思うの


その事を飛び越えて


今自分が感じる願いを叶えようとだけしても


難しい事もあるんじゃないかなって


感じたの


そんな事を石を通じて長い間


教えてもらい


今ではなくてはならないアイテムとなっているの