2010年8月







時間って



誰もが24時間を一日として



与えられているけれど



過ごし方はそれぞれで



それによって



24時間が長く使えている人と



その逆もあったり・・・



数年前何かの実験で



24時間時計をセットし



動いて過ごす方と



ずっとおうちで過ごす方が



24時間後時計を見ると



動いて活動していた方の方が



数秒ではあるけれど



24時間まで時間が長くなっていたの



確かに退屈して



過ごしている時などは



とっても時間が長く



楽しい時には



体感時間がとっても短く



感じる事があるから



きっとそんな感覚なのかなって



感じていたの



この間友人が



インターネットの



何かのコミニティに参加をし



楽しく過ごしていた事を



教えてくれたのだけれど



ある時仲間から



すぐに返信をくれないからなのか



合わないみたいという



メッセージをもらい落ち込んでいたの



友人が表現するには



そのコミニュティに参加されている方は



お仕事を持たれていない方や



子育てもなく



たぶんずっとPCの前に一日中いたり



携帯電話をずっと見つめ



過ごされているから



みんなが自分と同じように



すぐに返信しあう事で



仲間意識を感じる人が多かったようで



それを聞いて



自分には不向きな



コミニティに参加しちゃった事を



後になって感じたようなの



それからは



もっとゆったりと繋がりあえる



コミニュティに参加して楽しんでいるようなの



友人の話を聞いて



改めて24時間の過ごし方について



考える機会を与えてもらったの



今の時代は繋がりあいたいと思えば



すぐにでも誰とでも



繋がりあえる時代だけれど



その事が時代に



フィットしている部分と



真逆の部分が組み合わさっているように



感じていたの



いつも誰かと



繋がりあいたい気持ちはあっても



人によっては



それが1時間に一回の人もいれば



週に1回の人もいたり・・・



でも一度繋がりあうと



どちらかが気を使い無理をしてまで



相手のペースに合わせ



必要以上に忙しく感じ



楽しめないという事も



あるんじゃないかなって感じていたの



私の場合は



ありがたい事に



このHPで自分のペースで



繋がる事が許されているので



心の負担などは全くなく



ありがたい事に幸せなことだけを



たくさん与えていただいているけれど



友人のように毎分



毎時間繋がりあわなければ



続かないような



コミニティなどに参加をしたならば



きっとにぎやかな楽しさよりも



ちょっぴり寂しいけれど



一人で過ごす事を選んでしまうと思うの



私の友人はチャレンジャーなので



新たなものにはまずチャレンジするという



姿勢を持っているので



流行りのものには詳しく



自分が体験し



その後感想を教えてくれるので



私自身遠回りせずに



様々なことを知る事が出来るので



とってもありがたい存在なの



よく今の時代は



近くのコミニティが保たれていない事で



様々な事件や心の病が多くなったと



表現される方もいるけれど



私はそうは思わないの



昔の方が深く人と繋がっていた分



ルールがきっちりと決まっていて



自由を許されていないという事もあったり



今よりも建て前と



本音がきっちりとあって


人間不信になるようなことも



多くあったと思うの



今の時代は昔と違い



自分という存在を見つめ過ごす



スタイルの流れになっているので



誰かのせいにして物事を



終える事もできなくなっていて



すべて自分で考え



判断する事が求められているけれど



そのぶん



昔よりも様々な生き方が許されていて



私はとても素晴らしい時代の幕開けを



感じているの



今までならば



絶対的に力を持つ方の意見を



受け入れなければ



そのコミニティで過ごせなかったり



生きてゆけない事もあったけれど



今の時代は大きく



広く心の成長を時代と共に



育み過ごされている方も多いので



場所や人が変われば



どんな生き方もできると思うの



ただ年齢に関係なく



今でも昔の常識や



価値観の中で過ごされている方も多く



その方たちにとっては



今の時代の変化や早い流れは違和感があり



どうしても毎日不満や愚痴などが



生まれやすいと思うの



少しお話は違うのだけれど



私は脳について書かれた本が大好きで



よく読むのだけれど



その中には頻繁に



脳の働きによって見えてくるものが



現実に違ってくる事が書かれていて



脳に自分が見たいものや



望むものの信号を送っているのは



自分から溢れる言葉や感情で



その送られた信号によって



見えてくるものが違い



それを引き寄せや類友と



私たちは感じているそうなの



心で楽しいとか幸せだと感じると



脳はそのままの思いを



信号として受け取り



その方にとって幸せ感じる物事に



気づけるよう



クローズアップしているようなの



たとえば今まで毎日通っていた道なのに



ある時初めて気づくものや



出来事があると思うのだけれど



それは今の自分の脳の状態に



フィットしたものだから



見えるようになったことだと思うの



人間の脳は



関心のない事や必要のないものは



脳の中のスペースを無駄にしないために



蓄積してしまわないよう



実際には瞳に映っていたとしても



意識して記憶しないように



なっているそうなの


なので自分の思いや感情が変化するだけで



いくら毎日



見慣れているはずの場所であっても



初めて見つけられることも



多いそうなの



そう思うと



時代の変化によって



今までとは違う価値観を



受け入れ過ごす事が



出来ない方にとっての現実は



自ら見える世界を



辛いものにしていっているという事に



なるんじゃないかなって



感じているの



私もすぐに感情的になりやすいタイプなので



最近ではいつも



「私は幸せになりたいのか」



「私は怒りたいのか」と



自分に問いかけながら過ごしているの



そうするとほとんどの時は



「自分は幸せになりたい」となるので



それならば脳にどのように



信号を送ったらよいのかを考え



感情が収まるような答えを



すぐに出すようにしているの



この間真夜中に



夏ならではの



大きな音を立てて一台のバイクが



なぜだか町内の周りを



グルグルとしていて



感情がすぐに反応する私は



「うるさい!なんなの!」と感情と言葉が



続いてしまうタイプなのだけれど



ここでこの事に反応し怒ってしまうと



このバイクが去った後にも



私はその感情のまま



脳に信号を送ったままになってしまうから



不愉快な事ばかりが見えてきたり



感じてしまうか持って思い



大きな音が響く中



冷静になろう言葉や感情を



考えていたの



その時脳について書かれていた



もう一つの事を思い出したの



その中には人類はすべての人の脳の中に



勝ち負けにこだわるのではなく



誰かが喜ぶという発想の時に



脳はとても素晴らしい働きををすると



書かれていた事を思い出していると



となりですやすやと眠っている



パートナーの姿が映り



自然な形で



「今この時間多くの方が幸せな眠りについていて



私のように起きている人は



誰かの寝顔を見て



幸せな時間を過ごしているの



だからこの幸せな時間が



静かに長く保たれると嬉しいな」って



心の中で唱えていたの



そうしたら数分後大きな音で



一定の場所に来ると



力いっぱいふかしていたバイクが



急にエンジンがかからなくなったようで



何度エンジンをかけようとしても



止まっているような音がしていたの



今までは



誰かが行う行動はあきらめるか



時には巻き込まれる形ではあるけれど



感情をぶつけけなければ



変化させる事が



できないと思っていたのだけれど



こんな形で変化させられる事を体験して



とっても言葉絵は表現できない大きな勇気を



受け取った気がしたの



そしてその後



バイクを押してその人は帰ったの



それ以来



毎日走っていたバイクは来る事もなくなり



静かな夜が幸せなの



そして脳が幸せ信号によって



幸せなものを見えるようにしてくれている事と



プラス不思議な力が重なり



今小さな幸せが毎日届けられているの



人間の脳はまだまだ未知な部分も多く



どんな時代の流れが訪れても



ちゃんと適応できるようになっているのだから



自分がすべてを監視し




針金で無理やり型にはめなくっても



自分の感情がいつも幸せを感じたりすることさえ



大切にしていたならば



望む事は運ばれてくるんじゃないかなって



感じているの











以前ターコイズが



ご縁で出会った方がいるのだけれど



その方にずっと前から頼んでいた石が



いつ手にできるかわからないと



海外から電話をいただいたの



その方はとっても



責任感が強い方のようで



待たせている事を



とても気にしてくださっていたようで


その後



お手紙も頂いたの



その中にはターコイズについての



知識や歴史など



様々な事が書かれていたの



そこには私が大好きな波動を持つ



アリゾナのターコイズの事が書かれていて



多くの鉱山は閉鎖されていたり



今は銅などの採掘がメインで



その際に採掘されたタイプが多く



どうしても小さなものが多かったり



美しく漂白や



着色が施されたものが多い事などを



教えてくれるものだったの



ここ数カ月



ターコイズの存在感を感じ



楽しんでいる私は



今改めてターコイズの個性を



そのかたのおかげで学んでいるの



まるでチョークのように柔らかな



ターコイズもあったり



価値としては網目模様が多く入ったものが



ランクインしている事を知り



それでもやっぱり社会的な価値だけではない



自分のフィーリングや



心惹かれるものもあって



奥の深さを感じているの



回その方にお願いしているのは



以前ターコイズのブレスレットを



2個だけ制作した時に



使用した丸玉タイプの



パイライト(黄鉄鋼)が入ったもので



今まで知らなかったのだけれど



元々入手困難なものだったそうなの



もちろん価格を気にしなければ手にする事は



出来るとは思うのだけれど・・・



このタイプのターコイズと数ヶ月前に出会い



特に深く考える事無く手にした時から



ターコイズってこんなにも



パワフルに働きあっけてくれるんだって



感じられる出来事が多くあって



その話をしていたら友人も



心惹かれたようで



そのターコイズを使ったブレスレットを



身につけたいという事になって



友人も身につけるようになったの



それからしばらくすると友人も



今まで持っていたターコイズは



何だったんだろうというくらい



ターコイズからの



無言のメッセージを感じているようで



二人でしばらく



ターコイズの話ばかりしていたくらいなの



ただ最近はどんなパワーストーンも



ナチュラルなものと



そうではないものの区別が難しいほどに



加工技術が発達しているので



譲ってくださる方が信頼できる方で



そして自分が手にした感覚だけが



鑑定基準になるくらい難しいと思うの



以前インターネットで購入した石に



ちゃんと鑑定書もついていたのだけれど



どうしても何も波動を感じられず



使用する事をためらい



その方に鑑定書の確認と



発行した所を尋ねると



あいまいなお返事で



返金返品してくださる事になった事があって



それ以来鑑定書に



全面的な信頼を置く事はなくなり



自分の感覚と共にその石が導いてくれた



信頼できる方との出会いを大切に



今も様々な石とふれあっているの



この事は人間関係にも



とっても当てはまる事のように感じているの



その方の経歴や持っているものだけで



その方の人格を決めてしまうことがあるけれど



必ずしも素晴らしい経歴だから



素晴らしい人格とは限らず



その時々恵まれた環境の中で



何となく手にした経歴もあったり・・・



そして社会の中では高い価値あると



伝えられているものであっても



それが自分にとっては



どうなのかという事も



あるんじゃないかなって



感じているの



たとえば幼い子供に



スーパーブランドの洋服を与えても



幼い子供にとっては



ただの自分の体を



保護するものでしかなく



遊ぶたびに汚れて



怒られるくらいならば



ノーブランドの方が



幸せだと感じると思うの



ただこの幼い子供が話す内容を



理解できる年齢の場合は



その服の価値や素晴らしさを伝える事で



今まで感じなかった高級感や



喜びを感じるようにはなると思うの



それくらい人は



誰でも自分の超感覚よりも



物に宿るストーリーなどを



知識で受け入れるという



能力も備わっているから



時には流されやすい時もあると思うの



ただ最近は多くの方が



心の豊かさを求め



社会基準で伝えられている



高い価値にとらわれることなく



自分の好きなものを手にし



自分が心地の良い時間を



過ごされていると思うの



以前にも書かせていただいた友人で



10月に屋久島にゆくという



モチベーションを高めてくれるための



着地点がある事で



今休みの日には



どんなに暑い日でも雨の日でも



山登りに出かけているの



友人は山登りの前にはなぜかいつも私に



電話やメールをくれるのだけれど



何だかその事が



言葉には表現していないけれど



私を全面的に信頼してくれていて



連絡がつかない時には



私がどうにかしてくれるという



彼女の中で感じる安心を



広げるための行動なのかなって思うと



改めて血縁関係はないけれど



前世や魂で繋がれた



大切な人なのだと感じているの



その友人が山に登る感覚は



フィットネスに夢中だった私には



少し理解できる気がしたの



山に登る楽しみは人それぞれで



登らなければ見れない景色や



草花が楽しみの方もいれば



わざわざ自分から大変な事を選択し



登ってすぐの時には



日常の思い煩う事を思い出したりと



心身にも余裕があるけれど



登り進めてくると身体が疲れてきて



何も考えられなくなる事があると思うの



それが無の状態で深く瞑想した



感覚と似ていて



そして登りきった時



小さな達成感といつもは謙遜から



自分を褒めてあげる機会が少ない方でも



心の中で



「よく頑張ったねっ」て



がんばりきった自分を褒めながら



自分を大好きだと



認識できる素晴らしい体験だと思うの



この体験は言葉や知識を超えて



頭も心も魂も身体も



すべてがひとつの答えに一致し



周りに自分の評価を求めたり



決められる事を恐れず



そして自分の内側でも



すべてが疑いもなく



一致している心地よさに



きっと友人は楽しみを



見つけたんじゃないかなって



感じていたの



幸せって人それぞれだけれど



事柄や出来事は違っていても



このような心の体験をしたくって人は



様々な人生の体験を



しているんじゃないかなって感じているの



たとえば



人間の意識は



一つに向かうとその事を脳に信号を送り



他の事をはっきりと



認識する労力の節約し



一番意識が注がれている事が



ピックアップされ



時には他の小さな出来事や心の動きを



見えなくしてくれる事も



あると思うの



それゆえに人によっては無意識に



わざわざ問題を解決しない動きをしたり



わざわざ人生に大変な事を持ち込み



過ごされている方もいると思うの



そうする事で



一番見たくないものを



見ずに済む事もあって



人からは理解が難しいような



自分を救う形の方もいると思うの



やがてその一番意識が注がれたものが



消化されたり



解消されると



今まで見えなくしていたものが



普通に見えるようになってくるので



急に身体や心の痛みを



感じられる方もいると思うの



その時



人は一番最近あった原因に繋がる事を



答えとして



考えてしまう事があるけれど



本当はずっと気づかないほど



意識がある一つに向かっていたから




感じなかっただけで



急にその様な事が



生まれているわけではない事も



多いと思うの



よくあることだけれど



慢性的に腰痛などの痛みがある方は



その腰痛に



日頃から意識が注がれている事もあって



何かしらの方法で解消されると



今度は肩や背中が



痛くなったという方もいるのだけれど



一番大きな痛みに



脳は反応しているから



小さな痛みの信号は



あまり感じないようになっていると思うの



心でもそうなのだけれど



意外と問題なく



穏やかな日々を送っている方の中には



驚くほど不満を感じ



過ごされている方もいるの



それは大きく意識が注がれる



出来事がない事もあって



身近な小さな



些細なすべてが見えていて



そのすべてが



気になってきてしまうからだと思うの



私自身も自分にとっては重要な事を



良く母に話すたびに



「あんたは幸せだね



幸せすぎるから



どうでもよい事を考えるんだよ



余裕がありすぎる証拠だよ



小さい事が気になっている時は



それ以上の



大きい悩みがないってことだから



自分が幸せなんだと思いなさい」って



伝えられ



改めてそうかもしれないなって



感じていたの



私にとって最大の悩みは



身体の事が



大きなスペースを占めていて



それ以外の事は



視野に入らないくらいの時も



あったけれど



今は結論ははっきりと



出ている事もあって



急に今まで感じなかった



些細な事が気になったりしていて



表現は少しおかしいかもしれないけれど



次に意識が注がれる着地点を



自分で見つけていきたいなって



感じているの



本当に小さな事なのだけれど



この間友人と



温泉小旅行に行ったのだけれど



1か月前に予約を入れてから



友人と私は



次に待っている予定が思いのほか



楽しみになって



その相乗効果で



友人はその間の仕事も苦にならず



私は私でその日までの一日一日が



ワクワクしていたの



その時どんなに小さな事であっても



ちょっと先の予定に楽しみ事があると



そこに辿り着くまでの間



人それぞににモチベーションが保たれ



次々と未来へと進んでゆけるんじゃ



ないかなって感じていたの











最近怖いほど予感というのか



霊感的なもの知うのが



高まっているようなの



ただ今でも体験が先で



知識がついてきていない事もあって



すべて行動が先なの



しかも理解の経路が少し個性があって



少し後にならなければ



わからない事が多いの



ある時急に



私が幼いころ大好きだった



歌手の人の歌を



インターネットで偶然見る機会があって



そこから自分でも理解できないくらいに



毎日見たい気持ちと



見なければ落ち着かない思いがあって



数日続けて見ていた時



ふっとその幼いころの記憶の



扉が開いたようで



ある方がずっと気になりだしたの



でもその方は



特に親しかったわけでもないのになって



思いながらも頭から離れず過ごしていた時



たまたま実家へ足を運ぶと



その方が天国へと



旅立った事を伝えられたの



その時何となく



数日の出来事が納得できたの



それと同時に



もっとちゃんとした能力の高まりがあれば



こんな形で感じるのではなく



すぐに受け取れるのになって



感じていたの



ただ今回スピリチュアルな存在たちが



私に伝わりやすい形で



教えてくれていたのに



鈍い私には数日かかったのかなって



思ったの



そしてまたある時には



わけもなくある特定の場所が気になり



インターネットで検索し



見ていていたのだけれど



次の日に友人から電話があって



その友人が今日足を運ぶ場所だったり・・・



時にはパートナーについて



気になる事があって



それを早く済ませる事を伝えても



パートナーは後回しにしていたのだけれど



その数日後私が気になっていた事を



会社のトップから指摘されたようで



驚いていたり・・・



日に日に高まっている事は



感じているのだけれど



その高まりとまるで反比例するように



身体のエネルギーの消耗がすごくって



今毎日栄養ドリンクを



飲んで過ごしているの



自分の魂レベルがシフトしてゆく時って



魂の高まりに追いついていない肉体は



誰でも疲労がすごくって



人によってはわけもなく眠っても眠っても



眠さがいつもあったり



中には呼吸するのを忘れてしまうほどの



疲労が伴う方もいたり・・・



私の中では



今までに体験した事がないほどの感覚で



少し心配になったけれど



この感覚に近い事が



数年前にもあったので



また新たなステージの始まりに



備える時なのかなって



無理をしないように過ごしているの



このような現象って無意識に



誰もが体験していると思うの



たとえば良き事のために



動き始めた時に限って



あまり好ましくないような



現象ばかりが訪れたりして



そんな時を過ごしていると



良き流れのための



行動自体が良くないのではって



思ってしまい後戻りしたい気持ちに



なる事もあるとは



思うのだけれど



それは心も体の人生も同じで



何となくどうにかしたい思いがあっても



そのままにして過ごす事をやめ



自分が見える幸せのヴィジョンに従い



変えようと思えば



心も体も魂も不必要に



なったものを取り除き



その慣れ親しんだ感覚から



新たな感覚に慣れるまでの間には



自分が感じていたもの以外にも



たくさん蓄積したものを



デトックスする事が必要になっているだけで



新たに好ましくないものを



生み出しているわけではないように



思うの



様々な変化に伴い



人それぞれではあるけれど



心が後についてくる方もいれば



身体が後についてくる方もいると思うの



ただ多くの場合



人間はすべての環境に



すぐに適応できる能力を



持っていることもあって



ほとんどの方が後に



ついてくる身体の変化で



シフトチェンジが行われている事に



気づきやすいと思うの



もっと人間的な例でいうと



私の知り合いに



たばこをやめた方がいるのだけれど



初めのうちは頭痛やせきなど



たばこをやめた事から始まった



現象に不安になり



やっぱり自分にはたばこが合うから



やめない方がいいのかなって



何度も表現するようになり



ある時



元々違和感があった足までも痛み出し



大きな不安の中にいたの



その方もたばこをやめる事は身体にとって



良いはずなのにどうしてって



疑問があったようなのだけれど



ある一定の時期から



驚くほど体調が良くなり



今はよかったと思い過ごしているの



身体に良い事をスタートさせた事で



今までのデトックスが進み



収縮していた血管が広がり



その時少々痛みが



生まれたりするけれど



時を重ねるごとに今まで忘れていた



爽快な感覚が戻ってきて



やっと新たな志から



人生を再スタートしようと思った



自分の心と体が



一体になったのだと思うの



このような現象が



人生の中にもいくつもあって



良き流れのために動き出そうとすると



どうしても今まで纏っていたものを



脱ぎ捨て



新たに見合うものを纏うには



どうしても通らなければならない



流れだと思うの



人生の流れの中には



一見立ち止まっているように



映る事であっても



それは真逆で



感じ取れない部分の修復のために



感じ取れる部分は



活発に映らないだけで



実際には歩みは



止まっていないのだと思うの



人間は肉体と言う乗り物に魂や感情を備え



この地球上で過ごせるように整えられていて



いつもそのすべてが同じ方向を見つめ



動き出せるように



無意識にセルフメンテナンスを



行っているんじゃ


ないかなって感じているの










ここ数年自らこの世を



リタイヤされる方が多く



そのたび何となう感じている事があるの



少し不思議な表現に



なってしまうのだけれど



その中の多くの方は



地球という星で過ごす事は初めての



魂を持つ方が多いんじゃないかなって



感じているの



もちろん証明できるものは



何もないのだけれど・・・



その様な方は



何かどこにいても



誰と過ごしていても



孤独感が強く



無意識にこの地球で暮らす事に



未練がなく



ある時には



地球で当たり前のルールや教えにも



違和感があって



何かのきっかけがあると心の中で



「みんなどうしてこんなこともわからないの」と



怒りや失望感が



何度も感じていると思うの



ただ地球で何度も



転生されている方からすると



逆にその感覚に違和感を感じ



自分は善で



自分以外の方は



そうではないという表現や



自分は何でも知っていて



優れているけれど



他の方はそうではないという



表現に伝わってしまい



歩み寄れなくなっている部分も



あるように感じているの



今この地球には



様々な星で過ごした魂が



人間の肉体を借りて



地球で新たなる学びが行われていると



思うのだけれど



初めての地球は



きっと思っていたのとは違い



一番驚いてしまうのは



争い事だと思うの



ある意味で



人間的なことなのだけれど



他の星では



感情が複雑に絡みあう事が



ない事もあって



ストレートに見つめ



受け止めてきた魂には



自分の使命を果たす前に



その使命さえ忘れてしまうほどに



地球での適応に疲れてしまう事も



多いと思うの



そんな時に問題が運ばれてきてしまうと



地球に何度も転生している



魂の方とは違い



もう一度やり直したい思いが強く働き



執権衝動的に映る形で



この世から



リタイヤしてしまうんじゃないかなって



感じていたの



私がそう感じたのは



いつも行っている瞑想中に



別に入ってきて



その意識が



その様な事を



頭の中でささやいていたからなの



私自身特に驚く事もなかったのは



友人のお姉さんがある時友人に



自分がきた星の名前や



地球での違和感を語られたそうで



友人は理解が出来ず違う意味で



お姉さんの事が心配になって



私に相談してきた事があったので



そういう感覚を



すべて忘れていない人も



いるんだろうなって



知っていたので



瞑想の中で具体的に伝えられ



やはりそういう感覚で過ごされている方が



他にもいるんだなって感じたの



ただ多くの方は



自分が地球以外からきた



魂を持った存在だと



知らないまま



ただ置かれた環境や



状況に適応しようと努力を重ね



表現ができない違和感を持って



過ごされている方の方が



多いんじゃないかなって



感じているの



その様な方の中には



漠然とこの世から去りたい思いや



ここではないどこかへゆきたい衝動が



何度も生まれていたりすると思うの



他の星から来た魂は



地球よりもある意味で進化した星から



来ていることもあって



何度も地球に転生している方よりも



託されている使命もあって



この星を自ら選んだ事を



忘れてしまっている事が



この世からリタイヤしたい



大きな要因となっていると思うの



なぜならば自分の力を必要とされ



引力の力によって招かれたのに



その託された事を



クリアできていない魂が



自分の感情とは別に満たされない思いを



いつも抱いているからだと思うの



地球以外の星からきた魂の多くは



もっとまっすぐに



物事を見つめる勇気と



地球でしか叶えられない



素晴らしい体験を



多くの方に伝えたり



体験させてあげる



ガイドとしてきた方が多いので



今置かれている状況の中で



ほんの少しでもその様な働きをされるだけで



孤独感や違和感などが消え去り



地球での体験で最も大切な



喜びの共感や共有を



してゆけるようになると思うの



そしてその時魂が任務を果たし



今の自分だけの意識が働き



何かの感覚が重なるような



混乱は減り



自分という存在の本当の意味での幸福が



実現されてゆくんじゃないかなって



感じているの










お盆の時期には



終戦記念日と重なる事もあって



多くのメディアでは



過去を思う機会を



与えてくれると思うの



今回たまたま



戦艦大和について知る機会があって



今でも深い海に沈んでいる事を知った瞬間



とても深い悲しみと怒りを



なぜだか感じてしまったの



そしてその映像を見つめていると突然



後頭部がとても強い痛みが走り



最後まで見る事が出来なかったの



この船が



沈んだままになっている事実を知って



改めて



日本という国の考え方が



わかった気がしたの



今の時代では



大きな費用がかかってしまう事もあって



すぐに引き上げる事が



出来ないようなのだけれど



日本は80年代には



経済大国となりお金の使い道を探すほど



豊かだった時代があったのだから



なぜその時に引き上げる事に



心が向かなかったのかなって



感じているの



よく愛国心を語られる



トップの方が多くいるけれど



その様な方たちは言葉ではなく



なぜ行動を起こさなかったのかなって



とっても不思議な気がしていたの



数日前には青森の十和田湖の湖底で



戦時中の1943年に



墜落したとされる旧陸軍練習機の機体が



67年ぶりに見つかって



その時にも



墜落した事をずっと昔にわかっていて



青森の方はずっとその事を



気にかけていらした方も



多くいたようなの



でも国は同じ志を持って進んできた人たちを



67年間もの間



探す事もせずに



過ごしてきたのかと思うと



とっても悲しくなってしまうの



よく戦後から



人は物質の豊かさと反比例するように



心が貧しくなっているというような



表現と共に



誰もが自分だけの事を考え



生きるようになったと



善を語られる方がいるけれど



そのような流れになったのは



国の姿勢をずっと見つめてきて



それぞれが



自分たちの穏やかで平和な人生を作るために



必要だと思い



国に委ねる生き方をやめ



その様になってきたんじゃないかなって



感じていたの



時代は変わったとはいえ



今の時代でも



一生懸命に志同じく



過ごしてきた方であっても



必要価値が感じられるかどうかの基準で



人を見捨てて



その後その方の人生にはあまり関心はなく



もしも手を差し伸べるとしたならば



その時は



その企業やその方にとって良いイメージが



有効に働く時であったり・・・



でももほとんどが話題性がある初めだけで



解決するような流れまでは



関わってはいないようなの



政治などは勉強不足の私には



詳しくわからないけれど



今の日本があるのは間違いなく



過去の大変な時代を



支えてくださった



多くの命のおかげだと思うの



魂はその場所を離れ



家族や大切な人たちの元へ



何度も訪問してはいるとは思うけれど



歳を重ねこの世での時間に限りを感じている



ご家族や大切な人たちにとっては



魂は瞳に映せない事もあって



せめて日本の土に抱かれ



休ませてあげたい気持ちで



過ごされているんじゃ



ないかなって感じているの



どんな出来事であっても想いを残したり



先延ばししても



生まれ変わりがあるとしたならば



次の自分になった時



大きな一つの問題を



抱えて生まれ変わらなければならないのだから



できれば今現在存在する人たちの事を思うと



早くにほっとした想いで



新たな旅立ちをさせてあげたい思いで



いっぱいになるの











毎年のように訪れるお墓参りに



今年も行ったの



毎年この時期は



とっても不思議な小さな喜び事が



体験できる時期で



今年は前の日から始まっていたの



お墓参りに行く前の日



明日の予定を



パートナーと話している時



私にとって



お墓参りの一番の恐怖があって



それは大きな蜂がいつも



ブンブンと飛んでいて



数年前には



お墓の前に行けないくらい



だったことがあって



パートナーに



その恐怖があるから



今年は行かないかなって



話していたの



そうしたらパートナーから



「じゃーどんな状態ならいくの?」って



尋ねられたので



「雨が降っていたら



蜂は飛べないからいなくなるの



でも雨が降っていると



お参りできないから



ミスト状の雨だといいかもね」って



伝えたの



でも私の場合出かけると予定すると



ほとんどが晴れる事もあって



難しいとパートナーも言っていたの



それでパートナーと私は



雨がほとんどない



今時期の夏の北海道なのだから



雨が降ったならば待っていると理解して



足を運ぶ事にしたの



そうしたら私たちの暮らす地域は



晴れ渡っていたのだけれど



天気予報で足を運ぶ場所を見てみると



雲と傘マークがあったので



もしかしたら



これは待っていてくれているのかなって思い



足を運んだの



そうしたら気持ちが良いほどのミスト状の雨で



何か姿が見えない



祖父や祖母・伯父と



繋がっているのを感じていたの



そしてお墓参りを済ませ観光をしていると



小さな町のお祭りがおこなわれていて



そこで何かを食べようと思い購入すると



伝えたよりも多くの量だったので



「これは間違っているのでは?」と伝えると



店員さんは



「あ!ほんとだ!でもいいよ」って頂いたり



次に足を運んだ場所では



ただ見ていただけなのに



その商品をプレゼントしていただいたり・・・



夜は夜で食事をしようとお店に入った時



とても込んでいて



年齢を重ねたカップルと



相席になって注文に迷っていると



そのカップルの方が



「食べきれないほど頼んじゃって困っているんだけど



もしよかったら



これまだ手をつけていないから



食べてくれると助かるな~食べる?」って



伝えてもらい



喜んで食べていたり・・・



私とパートナーは



お店に入ったのに何も頼まないのは



少し気が引けるので



ジュースだけを頼み



相席の方から頂いたお料理を頂いたの



その時何となく感じたのは



祖父や祖母・伯父がお墓で眠っているけれど



もしも生きていたならば



形あるものでもてなす事が出来るけれど



その様にできないから



誰かの姿を借りて



私たちに



「よくきたね」「いつもありがとう」って



表現してくれているんじゃないかなって



感じていたの



お墓参りの時期には



このような不思議な小さな喜び事が



いつも手渡されることもあって



改めて姿形はもうないけれど



魂と言う思いは存在しているのを



感じるの











友人と話す時はいつも



携帯電話が多いのだけれど



昨日は長くなるとの事で



おうちに電話をもらったの



そして話していると



友人の会社の人が思いもよらない形で



会社を去る事になったようで



その経緯を教えてくれたの



その会社の方は



とっても責任感が強くまじめで



仕事を覚えられない人がいると



自分のお休みをとることなく



仕事にも出られていたようなの



そして数日前



会社の人たちとその方にあった時



他の霊感がある方が



「なんか線香のにおいがするけど



何か大丈夫?最近変だよ」とか



表現されていたようで



友人も霊感はないけれど



少しボーっとしているのが



気になっていたようなの



そんな時



自分のテナントが入っているデパートで



レジを通さずに



物を持ってきてしまったらしいの



その後すぐに



警備員がきたようなのだけれど



本人は憶えていないようで



状況にあわててしまい



おかしな行動や



言動をしていたらしいの



それから友人と



マネージメントの方が話していた時



マネージメントをしている方が



「あの子は前から



憑依しされやすいところがあるから・・・」と



何気なく言葉があふれていたようで



友人はその言葉でとっても不安になり



私に電話をくれたようだったの



その方はそんな事をするような人でもないし



良い人なのに憑依されるってことは



いつどんな時に自分にも・・・って



思ったようなの



私が感じているのは



人はいつでも善ではないし



時には不満や愚痴などもあふれるけれど



その思いが長く強く続く事がなければ



大丈夫なんじゃないかなって思い



友人に伝えたの



その方の場合は



肉体的な疲労がピークにあって



意識が働かなくなっていた事もあって



その様な事になったのではないかなって



感じていたの



憑依というのはきっと



魂はあるけれど



魂だけでは想いを



果たせない事もあって



肉体を持つ人間の中で



入りやすい波動になっている人に



スッーと入ってしまうもののように



感じているの



なので自分の意識が



停止してしているのに



周りから見ると



衝動的に映ったりするような



行動もあったり・・・



後になると



「なぜ自分が・・・」と



行動した自分が一番



不思議な思いに包まれたり・・・



ただ憑依といっても



好ましくないものばかりではなく



ある時期瞬間的に



大きな力が働いたとしか



思えないというような



出来事も時もはあって



夢を果たしたい思いのままの魂が



その魂と同じような志や波動の時に



その肉体を借りて



魂の思いを果たす事もあると思うの



ただ多くの場合浮遊し行く場所もなく



魂の輝きではなく



情念が強く働き



自分と同じような



不幸を理解してもらおうと



行きすぎた事を



行うものもいるとは思うの



なのでよく友人とかに



表現するのだけれど



地下鉄や電車などのホームにいる時には



考え事をしたりせず



できるだけ楽しい事を



考えるように伝えているの



はっきりとした形で示す事は



できないのだけれど



たまにしか乗らない私にとっては



時々足を運ぶと今まで過ごしていた場所と



急に空気が変わるのをよく感じるので



きっと魂の想いを果たすために



必要な肉体を探している霊が



その場所には多くいるのかなって



感じているの



あと場所だけではなくお酒などを飲んで



意識を停止させるときにも



良く憑依される方が



多いように感じているの



それはアルコールに



酔ったというものとは違い



生死に関わるくらいの行動を



衝動的にしてしまうような時には



自分の意思ではなく別なものの導きで



その様になっているように思うの



私の周りは



霊感とは無縁な人が多いのだけれど



それでも何かしらの



あまり好ましくないエネルギーが



流れている場所に行くと



頭が痛くなったりするようで



そのたび行った場所を尋ねると



やはりそうだったという事が多いの



魔除けと言うものが



古来から世界中にあるけれど



清められたスペースには



入り込みたくっても



入れないよう結界のようになって



守ってくれるので



場所であったならば



お掃除によって清めたり



身体ならば清潔に保ち



もしも毎日お洗濯できないものならば



香りで清めたり・・・



初めて足を運ぶ場所が



どんなところかわからない場合には



清めのお塩を包んで持ってゆく事や



そのような事を忘れてしまいそうな時には



光るものなどを



持参してゆくとよいと思うの



光るものは鏡の効果もあって



跳ね除けてくれるようなので・・・



そしてもしも



パワーストーンのブレスレットなどを



お持ちの方は左手に



身につけられる事で



肉体に入ってくる事を阻止してくれるので



それだけでも大丈夫だと思うの



霊的な事だけではなく



人間関係にも応用できて



ちょっと心が疲労してしまう相手と



会わなければならない時にも



左手に身につける事で



相手の邪念などから守ってくれて



会った後まで



その方に対して想いを



曇らせる事がなくなると思うの



そして逆に心通い



大好きな人たちと会う時には



右に身につけつける事で



自分の思いも伝わりやすく



そして相手から実りある会話や



思いを吸収できるようになると思うの



今は自分の身を守護してくれる



アイテムの効能を



多くの方が知っている時代なので



どこかから返ってきてちょっとでも



違和感があったならば



お塩やパワーストン・お掃除などを



自分のひらめきで行ってみると



よいんじゃないかなって



感じているの











やっと手術の日程が決まり



リアルな不安と共に



長い間病のために



心を優先できなかった事が



これから実現してゆける希望で



心がいっぱいになっているの



この病のおかげで



傲慢で思い込みが強かった私が



物事を様々な角度から



見つめられるように



少しはなれて



自分が知らない世界で



苦しまれている方が



たくさんいる事も知って



振り返ってみると



崖や緑あふれている場所など



次々と用意されている長い登山をして




過ごしていたような



時間だったように感じているの



その当時



仲が良かった方たちとの



楽しい計画でさえ



病がいつどのタイミングで



訪れるのかが予測できないので



突然キャンセルする事も多く時には



「生理ぐらい薬を飲めば



大丈夫なんじゃないの?」と



伝えられ



友達をなくす事を怖れていた私は



無理を重ねていた時期もあったり・・・



でもこの友人の姿はまるで昔の私のようで



悪気はなく



自分と友人と楽しみたい思いが強く



そして何より自分自身が健康なので



病と言うものに対しての知識や



想像力を持っていなかった事で



このような事が



多かったように思うの



でも病が自分だけの思いでは



どうする事も出来なくなった時



今度は決断や



選択と言う学びが多く私の元に届けられ



今までのように



相手が望む事を叶えてあげる行動から



自分が望んでいる事を叶える事へと



シフトせざるおえなくなって



様々なものを手放す決断と選択を重ね



改めて日本人的なDNAの中では



自分の思いを優先し行動する事で



相手が笑顔にならない事が



思っていたよりも



とってもとっても辛く



自分を責めた事もあったり・・・



でもこの体験は前よりもちょっぴり



自分を強くしてくれて



そして自分を大切にしてあげる事を学べた



素晴らしい体験だったように



今は感じているの



その頃



私の中でのキャパシティを感じる



機会でもあって



人によってその範囲は



違うと思うのだけれど



私の場合は



深く心重ねられる人の数が何人と



まるで決められているかのように



それ以上の数になると



なぜだかトラブルが多かったり



心曇る事が多かったりしたの



そしてたまたま



その頃とっても仲が良かった友人と



何となく会う機会が少なくなった時



まるでそのスペースが空くのを



待っていたかのように



別の友人とよく会う機会が訪れたり・・・



その様な体験を重ねて感じたのは



友人や人との繋がりを失う事を恐れ



様々な思いを抑え込まなくっても



その時々必要な知恵や



光をもたらしてくださる方は



ちゃんと空いたスペースに



来てくれる事を感じたの



そう思うとあまりにも



心通わない相手と



寂しさから無理に繋がるよりも



新たにどこかで待っていてくれる誰かを



迎え入れるスペースを作った方が



いいんじゃないかなって



思えるようになったの



それからは



ありがたいくらいに



優しさあふれた方たちと出会い



人生ってなんて



豊かで素晴らしいのだろうと



心から感じられるようになったの



ただ類友の法則というものがあるから



今まで思いやりを持たず



自分と違った状況や環境の方への



想像力が持てなかった私だから



同じような方たちとの出会いも



多かったようには思うの



類友の法則って面白いもので



一番軸となっているものが



一致している以外は



まるで違うタイプの人との



出会いもあるので



瞬間的には類友とは思えない



繋がりもあると思うの



特に夫婦などの人生をいつも



平行に歩んでいる相手の場合は



友人などとは違い心惹かれる会話も



歩みのペースも違っている事が



多いと思うの



なので毎日小さなペースの違いなどで



心が揺れたりイライラしてしまう事も



あるかもしれないけれど



人生を長い時間平行に歩む場合には



アクセルを踏むタイミングや



ブレーキをかけるタイミングが



違うからこそ



おだやかなライフスタイルが



過ごせることも多いと思うの



よく夫婦の間では



パートナーがあまり



話を聞いてくれないという感覚で



友人のように楽しく弾まないと不満を



感じやすいかもしれないけれど



女性の場合はとっても



多くの情報量から溢れる話題と



その時々



その話題に感情や思いを重ね



話される事が多く



後になると



その時はそう思っていたという



流れるような順応性の中で



過ごされている方も多く



もしもパートナーがひとつずつ



真剣に受け止めていたとしたならば



すべての言葉に責任を問われ



「あの時にこういっていたよね」って



臨機応変に過ごす事が



難しくなってしまうと思うの



なのでパートナーは



いくつもある話題や情報の中で



とっても大切なことだけを



共に考えてくれたならば



それで良いんじゃないかなって



感じているの



そして心と心を繋ぐ類友の法則は



表面的なことではなかなかわからず



一番自分が大切に思う



価値観を共有できる相手と



結びつき



惹かれあうものなんじゃないかなって


感じているの











最近いつも


今日一日こうしようという



テーマを決めて過ごしているの



その中で感じた事は



意識してみると今まで



無意識に過ごしてきたこともあって



何気ないテーマが



とっても難しかったり・・・



ある時には



「今日はどんなことも



ネガティブに受け止めない」という



テーマにして過ごしていたのだけれど



あらゆる何気ない所で



正義感からなのか



何かの記事を見た時



「こんな事をするなんて信じられない」と



当事者でもないのに怒りを感じたり



さらにその事が



気になってさらに調べては



心の中で



疑似体験しているようなくらいの思いが



広がっていたり・・・



後になって冷静に見つめると



自分が怒りを共有したからといって



何も変えられなかったり



さらに深く見つめると



自分が発信する思いは



瞳には映らないけれど



どこかで誰かに



手渡してしまっていたりするのだから



怒りがたとえ



正義感であったとしても



それが行動に



結びつかないのならば



あまりよいエネルギーでは



ないんじゃないかなって



感じていたの



でも面白いもので



自分の行動を意識しだすと



すぐにつまずいてしまうたび



自分が思っていたよりも



まだまだな自分には笑ってしまうの



以前何かの本で読んだ



心理学の本に書かれていたのだけれど



人間は無意識に自分を善としてとらえていて



他者は自分よりも



良くない人という感覚が



刻まれているそうで



自分がたとえ同じ行動を



していても気づかないのに



他者がしている行動の



善ではないものを見つけるのは得意で



許したり・受け入れたりする事は



とっても難しい事のようなの



そのような部分が自分の中にあるのも



意識して見つめてみると



恥ずかしいほどいっぱいあるの



ある時には



友人と久しぶりにいっぱい話したいと



大好きなラウンジに行く約束をしたの



その時遅くなる事を想定し



自分の中で友人を思いやり



私のパートナーが迎え送る事を提案したの



そうしたら友人は


「ありがとう



もしも雨が降るようだったら



お願いするけど


雨が降らないなら



自転車で行くからいいよ」って



伝えてくれたの



その時



私は言葉では表現できない複雑な思いが



自分の中にあるのを感じたの



それは自分が善で



その善を喜び受け入れてくれなかった



友人に対してだと思うの



そのような形で



自分が善だと感じたいために



おしつけるような時には



多くの場合



自分が描くストリート違うと



心の中で表現できない思いが



広がるものだと思うの



ただ私にとって友人は親友とも思える



大好きな相手と言う事もあって



そのような思うは



数分ですぐに消え



逆に彼女の自由を奪うような提案を



押し付けてしまったかなとか



彼女は誰かの行動によってもしも



自由に帰れなくなったリした時



私のせいにしないためにも



自分で思うように行動できる形に




してくれたのかなって思ったり・・・



私は少し依存傾向があるので



よく周りに合わせているつもりが



ただ自分で選択し



答えを出す事を避けて



いつも心の片隅に



責任逃れをできるように



自分から何かを提案する事を



しないようにして



過ごしてきたように感じているの



依存傾向がある方は



いつも誰かの表現や行動によって



必要以上に感情が



左右されてしまうようなので



依存傾向を和らげて行くためには



どんな結果になろうとも



自分でちゃんと考えて自分が納得する形で



良い意味で人から自立したスタイルで



人と繋がりあってゆく事が



大切だと思うの




私自身も



最近では自分が



答えを出さなければならない



人生の選択をする機会が多く



体験できた事もあって



少しずつではあるけれど



相手の自由も



自分自身の自由も



受け入れられるように



なってきてるかなって



思えるようになったの









友人とこれからの



楽しいプランについて



話していた時友人が



「さーちゃんの今年の占い当たっていたね



今年は今まで



運に支えられていた人には



大変な年で等身大の自分を



体験するっていってたけど



来年はどうなの?」って



尋ねられたの



私は毎年1月に



何となく



今年のメインテーマとなるものを



書かせていただいているのだけれど



年明けからいつものように瞑想し



その瞑想の中で



毎日変わりなく現れるものを



書かせていただいていて



そのメインテーマは



1月中旬くらいにならないと



確信が持てない事もあって



いつもその時期になってしまうの



よく瞑想について



尋ねられるのだけれど



私自身・本格的なものが



どんなものなのかもわからないので



具体的にお答えできないのだけれど



私の場合は不安になる



要素をまずクリアにし



(私の場合は明かりが



ついていないと不安なので明るくし)



予測できる些細な事に



意識が注がれてしまわないように



身の回りを整え



静寂の中でお布団などに横になり



第三の眼とも伝えられている眉間に



愛用している球体の水晶を置き



手のひらを上に向けてリラックスして



できるだけ何も考えない



無の状態にするために



呼吸に意識を向けて過ごすの



その様な時間が数分流れてゆくと



自分の意識が感じられなくなっていて



その無の中に突然



自分の体験とは関係のない想像にも近い



映像が浮かんだり



メッセージ性の感じられる言葉などが



次々と届けられるの



ただその時「え!そうなの」などと



自分の感情や意識が反応してしまうと



すぐに無の状態から覚めてしまうので



何度も何度も同じような事を繰り返し


その時


得たものを書き写し後で



繋ぎ合わせてみると



何となく理解ができる



メッセージになるの



ただ私の瞑想方法が



正しい方法なのかは



わからないのだけれど



私の場合には



とってもフィットした形になっているの



メッセージやヴィジョンを



受け取りたい時には



第三の眼とも伝えられている



眉間に球体の水晶を使うのだけれど



エネルギーを送りたい時や



自分の内にあるヴィジョンを



形にしたい時には



先のとがった柱方の水晶を



眉間に置いて使用しているの



どちらも同じテーマが一つ終えたならば



浄化とパワー充電をするために



水晶のクラスターの上に



最低でも3時間は休息させ



次のテーマに備えるようにしているの



瞑想と言うととっても難しい感じがすると



思うのだけれど



私が体験した中では



運動もほんの少し大変かなって思うレベルで



行った時と言うのは



とっても瞑想状態に近く



少しレベルが高い運動は



楽にこなせない事もあって



必死にその時間過ごすので



気がつくと無の状態になっている事が多く



それまで色々と考えていた事から



その時間解放されていて



運動を終えられた後



爽快感を感じられるのも



達成感だけではない



無の効能なんじゃないかなって



感じた事があったの



何かに夢中になっている時などに



ひらめきが降りてくるのも



自分の意識と離れている無の瞬間が



もたらしてくれる宝石だと思うの



様々な思いや考えが溢れていて



自分では考えるのを



やめたいと思っていても



なかなか頭からその事が



離れない方は



少し長い時間



歩きながらおもいっきり考えたり



悩んだりしてみるのも良いと思うの



悩みや考え事は



頭だけで考えている事も多く



身体は休息しているという



不一致から



スッキリとした答えを導き



出せない事も多いので



身体も動かしながら



すべてが一致した状態で過ごしてみると



自分でも思いつかなかった解決方法や



良い意味でのあきらめなどが生まれて



心が解放されて



次のステージへ進む事が



出来ると思うの









この世界には



優しさ思いやり溢れた方も多く



そのような愛溢れた方の中には



直接人の役に立つお仕事に就く事が



一番先に思い浮かび



そのたび今の自分の状況や環境の中では



少し難しいかなって



すぐに光溢れた想いが



曇ってしまう方もいると



思うのだけれど



人が与えてもらいたい愛情というのは



必ずしも専門的な知識に



基ずくものではなく



逆に何気ないことばの交換だったり



ふっとした時に与えあう



「ありがとう」だったりするものなんじゃ



ないかなって感じているの



私がたまたま



足を運んだお店などで



その事をよく学ばせてもらう事があるの



本来はレジ打ちというのが



お仕事なのだけれど



私が出会った方は



特に意味は持たないのだけれど



レジを打ちながら



「今日は暑いですね」とか



「涼しそうな素敵な洋服ですね



見てる方も



涼しくなってありがたいな」とか



多くの方に一言を手渡しているの



その様な言葉が心地よく



そのお店の中では



みんな何となくにこやかさったり・・・



この間はあるお蕎麦屋さんに入った時



パートの方らしき女性3人が



私がお会計していると近寄ってきて



「爪とっても素敵だけど



お店でやってもらうの?」と



尋ねてきたので



自分でやっている事を伝えると



こで売っているのかなどを聞きながら



メモする姿に容姿は人生の歩みを刻んでいても



心の中は少女のように映り



とても素敵な時間を



過ごさせてもらった気がしたの



そんな風に



自分が与えられたスペースで



今の自分が出来る形で



人に愛情を与える事も



立派な社会貢献だと思うの



少し角度を変えて見つめてみると



もしも自分と出会った瞬間は



あまり心の状態が



良くなかった方がいたとしても



ふとした瞬間に



何気ない優しさや愛情を受けとり



もしかしたらなら



その事が命を救っていたかもしれないし



あらゆる犯罪を



防いでいたかもしれないと思うの



それくらい愛情や優しさは



生きてゆく希望になるものだと思うの



ただはっきりとした評価はないので



本当の愛情や優しさを持っていなければ



あまり意味を感じないかもしれないけれど



人はみんなそんな風に



瞬間瞬間誰かから優しさや愛情を受け取り



立ち上がり



また人生を歩みだしているものだと思うの



そして多くの辛い体験や



悲しい思いをされた



体験を持たれている方は



実感から生まれる共感能力が



優れている事もあって



表面的に癒す事だけではなく



同じ共感の中で愛情や優しさを手渡せる



黒帯を取得しているようなものだと思うの



その様な体験を重ねてきた方の多くは



専門的知識や職業的なものを超えた



ヒーラーとして人を癒す使命を



託されている場合も多いと思うの



でもその能力に気づかず



自分が救われる側だと



思い込んで過ごされている方もいて



人生がスムーズに流れて



行くない方もいるようなの



本当は本などでは学ぶことも



お医者さんやカウンセラーが癒せない事も



その様な体験をされてきた方には



癒せるのに・・・



私自身も病になって初めのうちは



初めての事で



よくわからなかった事もあって



お医者さんからのアドバイスだけが



すべてだったのだけれど



お医者さんは専門書によって知識を



一般の人よりも知っているという存在なだけで



専門書に書かれていない事は



まるでわからず



病から生まれる



些細な小さな事にまで



知識はないと感じた時



私が相談したのは無意識に



じような病になった方たちや



それによって手術をされたかの



感想だったの



もちろんそれも個人差があるから



すべてではないけれど



専門書には載っていない



心の共感は



私にとって大きな癒しと



支えになってくれたの



そんな時



今度は私と同じ病の方がいる事を



知っただけで



何も語らずとも



どれだけの心身の痛みと複雑な思いを



体験されているのかが



理解できるようになっていて



無意識にそういう方の心の曇りを



少しでも取り除く



お手伝いができたらいいなって



思っていたの



そうすると不思議なもので



知り合いや友人の友人の中に



子宮疾患がある事が



わかって急に人生に焦りと不安に包まれ



今まで考えもしなかった



家族計画を見つめ



年齢的なものや経済的な事で



あきらめなければならない事を



あきらめるくらいなら



生きていたくないと



追いつめられている方が



いる事を友人に聞き



会わせてもらう事になったの



その方も初めてのホルモン治療中で



精神的に不安定で



その姿はまるで数年前の私を見ているようで



胸がいっぱいになったの



そして感情も言葉も



くるくると変わるその方に



友人は理解できないようだったのだけれど



私は自分も同じような体験があったので



気がつくとその方と同じタイミングで



涙が溢れていたの



その方には会う前から



友人が私も同じ病だと告げていたので



初めから心許してくれていたの



それは私も同じような思いが



初めのころあって



どんなに優しく愛情あふれた言葉を



手渡されても



薬の副作用もあって



ネガティブになっている事もあって



「でもあなたは健康だから



私の気持ちはわからない」と



いつも感じていたので



今回はあえて友人に予備知識として



私の事を伝えてもらっていたの



その友人のおかげもあって



その方は



「会えてよかった」と言ってくれたの



その時私の方こそ



今まで早く忘れたいくらいの体験で



辛い記憶しかない



嫌な出来事が



こんなにも人のために役立つ事を



教えてもらい



よく聞く言葉だけれど



本当に人生には無駄はないんだなって



学ばせてもらった気がするの



私は学歴も職歴も知識もないから



人を説得するだけの経歴を



作る事は難しいけれど



何気ない日常で



お互いが笑顔になれたり元気になれたり



「ありがとう」って言葉が溢れる時間を



作って行けたならば



私にも生きている意味があるのかなって



感じているの