2010年7月





私はよくパワーストーンの




秘めている効能や



ささやきを感じるために



持ち歩いたりしながら



その石の持つ力を受け取り



その後アクセサリーとして



使用させてもらっていて



最近は夏にいつも心惹かれる



ターコイズを様々な産地から受け取り



不思議な体験を重ねているの



ヨーロッパやアジア・アメリカなどによっても



本などで伝えられている効果とは違った



個性などを感じているの



ヨーロッパのターコイズは波動が穏やかで



自分のマインドや行動に



影響を与える力が少なく



アクセサリーとして他の石と組み合わせても



あまり問題なく楽しめたり



アジアのターコイズは



細かく砕かられた石を練り直してあったり



染色されているものが多いので



パワーストーンとしての効能よりも



普通のアクセサリーとして



楽しむ方に向いていたり・・・



アメリカ特にアリゾナのセドナにある



スリーピングビューティー鉱山から



採掘された



ターコイズは
過去から



繋がっている様々なものを



思い出させてくれたり



引き寄せてくれたり



言葉では上手に表現できないのだけれど



とっても心・魂に



何か感じるものがあるの



ある時には



偶然入ったカフェで店員さんの顔を見た瞬間



その女性がきっと過去世の大昔



どこかの民族として



一緒に過ごしていたような



変な想像のようなものが



瞬間的に浮かんだの



そして数秒後彼女が



コーヒーを入れてくれる時



服の裾から大きなターコイズの



ネックレスとブレスレットが



瞬間見えて


何か同じ魂・感覚を



持たれている事を感じたの



そうしたら彼女も私が身につけている



私が作ったターコイズのピアスと



ブレスレットに気づき



「素敵ですね・どこで買われたんですか?



私ターコイズ大好きなんで欲しいな」って



声をかけてくださり



私が作っている事を伝えると



電話番号を教えてくださり



後日改めてお話をし



作らせていただく事になったの



その電話の時に



少し戸惑いはあったのだけれど



彼女に対して感じている印象と



繋がりを感じる理由を何となく伝えると



相手の方も



大昔にも私にアクセサリーを



作ってもらったような



変な感覚が重なる事を伝えてくれたの



この出会いはきっと



ターコイズが招き寄せてくれたことだと



何となく私も感じていて



この偶然のような贈り物に感謝しているの



今までアリゾナのセドナにある



スリーピングビューティー鉱山から採掘された



ターコイズは



他のターコイズより



高価で希少になってきている事もあって



なかなかご縁がなかったのだけれど



昨年アリゾナに暮らす方とご縁ができて



今年になって初めて



ふれあう機会を与えていただいたの



そうしたら



今まで身に着けていた



ターコイズとはまるで違う



秘めた力を感じて



今はこの石に夢中なの



私の親友もターコイズが大好きで



私が身につけている



ターコイズの球体を見つめ



何か惹かれるものがあったようで



ブレスレットを作ってほしいという事だったので



その一粒を使って



ブレスレットを作って手渡すと



「見れば見るほど惹かれちゃう」と表現し



「いつかはすべてをこのターコイズでブレスレットを



作ってもらえるくらい



収入アップできるようにがんばろうっと」と



とっても前向きだったの


数日後



友人に何か感じる事があったか尋ねてみると



少し闘争心というのか



強い前向きな気持ちが



生まれてきている事を



伝えてくれたの



そして友人は



今年の9月には前から行きたかった



屋久杉を見るために



今から体力作りしていたり



その間に今度は



高校生の時にランクインしていた競輪を生かし



大会に出たり



将来的には



トライアスロンに出られるようにしたいと



信じたれないほどにパワフルなの



私自身も手術を行ってもらう



病院の情報がなく迷っていたのに



急に直感的に感じる病院があって



そこに決めようかということを



何気なく友人に話して



その日は終わったのだけれど



次の日その友人から電話があって



お互いの共通の知り合いがその病院へ運ばれ



手術と入院をする事になった事を



伝えてくれて



様々な良い情報が運ばれてきて



これはきっとそこの病院でいいよって



神様が伝えてくれているのかなって思い



今はその病院へ足を運び



日程を決める運びになりそうなの



なぜか不思議と大きな不安よりも



その不安の向こうに待っている



解放感が待ち遠しいの



今更なのだけれど



石といってもその採掘された土地や



運ばれてくる過程で重ねた波動によって



自分にこんなにも



フィットするものがあるのかと



パワーストーンの奥深さに



日々感動しているの









時々



病によって閉ざされた出来事と同じくらい



様々な出来事の盾となってくれていた病の



比率が同じくらいの大きさだった事に



気づかされているの



私は人に甘える事や



何かを頼む事が少し苦手で



長い間過ごしてきたのだけれど



病によって



人に頼らなければできない事も多くあって



ふっと気がつくと



人の優しさに包まれながら



人と人とが支え合う喜びを知る事が



出来たのだけれど



私は元々は弱い人間だから



支え合う喜び以上に



甘えが強くなっていたようで



最近自分が何かをしたくない時



したくないと



ストレートに表現したら良いのに



病のせいにし



やってもらおうとしている



自分に気がついたの



その時ふっと



もしかしたら



私は意識の上では病を手放し



元気になりたいと思っているけれど



深い部分では



様々な問題の盾となり



みんなから優しさを注いでもらえる



正当な理由となっている病を



無意識に手放したくない



自分もいたのかなって



感じていたの



これからは



ある意味で



いいわけになるものがなくなる分



自分の気持ちをちゃんと人に伝える



練習をしてゆかなければいけないなって



感じているの



その時母の事がよぎり



母は私が幼いころからずっと子宮の病で



いつも体調が整わず辛そうだったの



母の場合はすべての出来事は



受け入れるという姿勢で



人生のどんな痛みも



困難も受け入れるというか



あきらめるというような過ごし方で



ある部分では



そんなところにとても強さを感じていて



私もどこかで痛みに耐える自分を



ほめたたえるような気持ちもあったと思うの



そして今になると母はもしかしたら



幼いころから両親に



愛情を注いでもらえていなかったという



思い込みがあったから



みんなから心配され



大切にしてもらいたい気持ちがあって



無意識にお守りのように



病を持っていたのかなって



感じていたの



私が病になった時



様々な方に相談したのだけれど



その中に一人で渡米し



仕事を成功させた方がいて



その方は日本にいる頃に子宮の病になって



それと同時に渡米の話があったそうで



すぐに手術をし渡米されたそうなの



その方が表現するには



「日本人は痛みに耐える



自分に酔っているところがあって



その痛みから自分を解放する事は



何か逃げるというような



イメージがあるようで



その頃の病で知り合った仲間からは



いちぬけたって感じで



すぐに痛みのない世界に言った私は



あまりよくいわれなかったの



なぜならみんなで



痛みについて共感しながら過ごすだけで



良かったんだと思うの



別に解決はしなくってもよいんじゃないかな



だって



解決方法があるのに



そう動かないわけでしょ」って



伝えられた事があって



その当時はまだ



心が強く揺れているころだったこともあって



よく表現している意味がストレートに



感じ取れなかったのだけれど



何となく今ならば



その方が表現していた事もわかる気がしたの



ただ病に限らず女性特有の感性としては



解決だけを求めて



言葉としている事ばかりではなく



逆に何気なく



言葉にしている自分の言葉から



改めて自分に気がつく事もあったりして



女性の場合は



初めのスタートから絡まっている糸を



解きほぐしてゆくような



人生の歩みがあるから



どうしてもすぐに答えを求める



スタイルではない部分もあって



決断力のある方からすると



その行為が不思議に映る事も



あると思うの



人を説得するよりも



誰もが自分を説得し納得させるために



多くの時間が



必要なものなんじゃないかなって



感じていたの









独身の頃の5年くらいの間



私の中でのマイブームが



和や着物だったこともあって



よく着物を着る機会が



届けられていた事を



思いだし



久しぶりに知り合いの頼み



着物を着せていただいたの



その時特に大きな何かが



変わるわけではないのだけれど



何気ない日常が



とっても特別なような日に



チェンジしてゆくのを感じていたの



特にその日は



予定があるわけでもないのに



着物をすぐにぬいでしまう事が



もったいないという感情から



思いつく場所へ足を運んだり



わざわざその日に友人と食事に行ったりと



着物に包まれる時間を



自分で増やしていたの



その時感じたのは



自分にとって少しもったいないとか



贅沢だと感じる事を手にした時



豊かな気持ちと共に



もったいない事や贅沢な事を



無意識にどうにか意味のあるものにしようと働き



結果幸せな気持ちが重なり



そのもったいないと思う事や



贅沢だと感じているものや事よりも



自分と言う存在が特別なのだと



改めて感じさせてくれるんじゃないかなって



感じていたの



女性はバランス感覚が



優れている事もあって



生活ベースを軸とし



すべてを見つめ選択し



行動をされる方が多いので



逆に小さな幸せを作り出したり



心豊かな気持ちを生み出しやすいと思うの



生活ベースを軸として見つめると



特に生きてゆく上で



どうしても必要のないものは



すべて贅沢・もったいないという選択になるので



そういうものを手にすると



とっても豊かな気持ちに



なりやすいと思うの



家族と共に過ごされ方は



無意識に持つ必要のない罪悪感から



正当だと感じるみんなで楽しめるものや



時間に瞳を向ける時間が



無意識の習慣になっている事もあって



自分だけが使うものや



時間を手にする事に



持つ必要のない罪悪感が



同時に生まれる事もあって



生活に必要なものや時間に



多くの紙幣を注いでしまうので



いつも心満たされない時間を



重ねてしまいやすく



生活に必要なものは



満たされているけれど



それとは逆の不足感も



多く感じていると思うの



でも少し客観的に見つめてみると



自分が共に過ごす相手がどんなに正当な形で




家族のために過ごしてくれていても



笑顔が広がることなく



献身的愛情と同じくらいに不平不満が溢れていたり



自分自身に関心がなく



輝きが消えてしまっていたならば



愛情を注いでもらっている



家族も嬉しくはないんじゃ



ないかなって感じているの



私のパートナーの母はあまりおしゃれに



興味がないようだったのだけれど



私が偶然どこかのショップで



とってもかわいいフリルがいっぱいの



ルームシューズがあって



おうちならばいいかなって思い



プレゼントした事があったの



そうするととっても喜んでくださり



チェストの上に飾り眺めていたので



「お母さんちゃんと履いてね」って伝えると



「もったいないから誰かが家に来るとき以外は



飾って眺めているわ」って



伝えてくれたの



それ以来そのシューズは



特別な日にお母さんの足元で



お役目を果たしているの



ただ驚いたのは



そのシューズがきっかけとなったんか



今までお洋服などは



購入する事がなかったお母さんが



会うたびに嬉しそうに



「これ素敵でしょ」って私に着ている服を



みせてくれるようになったの



そして最近では



化粧品とか使わなくなったものでいいから



あったら持ってきて」って



伝えられ



勝手に自分がお母さんは



おしゃれなどには興味がなく



そういうスタイルが好きなのだと



思い込んでいたけれど



本当はそんな事はなく



どんなに年齢を重ねても女性は



美しいものが大好きで



たとえ自分にしか分からない変化であっても



自分がほんの少しでも



美しく感じる瞬間は



とっても幸せなのだと思うの



話は少し違うのだけれど



ほとんどの毎週末には



温泉に足を運んでいるのだけれど



この間足を運んだ温泉に



きっと80代かなって思われる



少しおしゃれな女性がいたのだけれど



その女性が私の行動をずっと見ていて



そばに寄ってきて



「温泉顔にずっとかけているけど



そうしてるから肌がきれいなの?


あなたおいくつ?」と



突然聞かれ


驚きながらも


「年齢は40代ですよ


効果はわからないですけど



お肌の水分が増して



しわになりにくいように感じますよ」と



伝えると



その女性はいっぱい・いっぱい温泉のお湯を



顔にかけながら「ありがとう」と



別の湯船へと去っていったの



その少女のような感性がかわいくって



なんか素敵だなって感じていたの



人生を長く歩んでいると



女性として生まれた事で



傷つくこと・デメリットも



多く体験していると思うのだけれど



せっかく女性として



この世に誕生したのだから



女性として生まれた喜びや楽しさを



この世を去るまで体験してゆきたいなって



その女性と出会ってとても感じたの













猫って信頼している人に



お尻を向けて過ごす事が多いのだけれど



その姿勢はなんだか人間の心の姿にも



似ているように感じていたの



猫はとっても警戒心が強いので



どんなにくつろいでいても



小さな音にも反応したり



周りの状況に意識を注ぐこともあって



いっぱいエネルギーを



使わなければならず



その中で唯一意識を向けずに



安心している人にの方向には



意識を向けずに過ごしているように



感じているの



それはとっても



人間の心の姿にも似ていて



相手の事がわかっていて



信頼関係が持てていると



わかってくれるだろう



わかっているだろうと思い



つい後回しになっていたり



意識して心使いをしなかったり・・・



でも本当は信頼し大切に思っていて



唯一気を注がなくっても済む相手だと



そうなってしまう事があると思うの



家族でも友人でも



一番親しく近くにいる人ほど



意識して優しい言葉を手渡したり



喜ばせてあげていない事も



あると思うの



そして少し距離のある人へは



互いに深く信頼関係が



繋がれていない事もあって



会うたびに意識して仲を深めたり



輝く笑顔にするために



様々な体験を重ね合ったりしていると思うの



でも一番近くにいて



相手の事がわかっていて




自分の事もわかっているだろうと思い



信頼関係が深く繋がれていると思っていても



やはり優しく微笑んでほしいし



互いに喜びを共有したいと



人は思っているんじゃ



ないかなって感じているの



人はどうしても無意識に



甘えられる相手には



感謝し合う事を忘れ



してもらいたい希望や期待で




相手と過ごしてしまう事もあって



不平不満が多く溢れてしまう事も



あると思うの



でも冷静にゆっくりと見つめてみると



いつも一番近くにいてくれる人たちは



少し距離のある方たちよりも



多くの愛情と時間を



注ぎ過ごしてくれているはずだと思うの



その大切さはその方がいる間は



なかなか気づけないかもしれないけれど




いなくなった時



その大きさを感じるものだと思うの



私の友人や知り合いの中には



両親ととっても中が



良くなかった方がいて


価値観の違いや



共に過ごす上での



大変さをよく語っていたのだけれど




数年前ご両親が相次いで天国へと旅立ち



様々な事を整理し終えた時



急にうつ病になってしまったの



その時私はとっても不思議に



感じ彼女と話したのだけれど



彼女が表現していたのは



両親が生きていて思うように



行かない事も多くあったけれど



両親の存在そのものが



彼女の原動力になっていて



大きな荷物のように感じていた



部分もあったけれど



彼女の場合は



本来強い人だったこともあって



その負荷が元気の素になっていたようなの



そしてその頃同じように



うつ病になった知り合いがいて



その方の場合は



大事な親友を病で失い



それまではどちらかというと



天国へ旅立った友人よりも



別の友人との方が



楽しく遊びにいっていたりしていたので



その事で



うつ病にまでなるとは



思わなかった私は



彼女に尋ねてみると



他の友達には気を使い仲良く



時間を過ごしていたけれど



天国へ旅立った友人とは



いつも何か困った時や暇な時に



いつでも嫌な顔ひとつせずに



付き合ってくれていて



大切な人の一人だったけれど



ほっておいても付き合いが



なくなるような事がない人だからと



自分の中ではそんなに重要な人だという



意識はなかったそうなの



でも彼女がいなくなって初めて



彼女が友人にとっての大きな力を



授け支えてくれている事に



気がついたそうなの



他の友人には



相談事やちょっとした愚痴なども



表現できないようで



その思いが積もり積もってしまったようなの



私たちは



自分はいつも自分の思いと行動だけで



今という時間まで辿りつき



幸せな時間を過ごしていると



思ってしまう事もあるけれど



きっと気づいていないだけで



様々な人に支えられているんじゃないかなって



感じているの



そしてもしも気づけるのならば



相手の事がわかっていて



信頼関係が持てていると



わかってくれるだろう



わかっているだろうと思い



つい後回しにしていた人に



ほんの少しでも感謝を表現してみる事も



大切なんじゃないかなって



感じていたの










若いころ



大人が見た目などで判断された事があって



強い抵抗感があった事があったのだけれど



年齢を重ねてくると



その事も少しは理解できるような気がしたの



美しいかそうではないかではなく



何にも相手の事がわからない時には



その方の姿に映る



あらゆるもので



自分の中にある経験や体験から



相手を判断してしまう事はあると思うの



人は無意識に



ライフスタイルや



その時心注いでいる事からの影響などが



姿形に映し出されていて



体系やファッションなど様々なものに



その波動を重ねているものだと思うの



何か夢と希望に溢れている時には



たとえ整った容姿ではなかったとしても



輝く何かを人は感じ取るものだと思うの



よくあることだけれど



結婚式などのフォーマルな装いをする



場所へ足を運ぶと



何となくいつもスーツなどを着て



仕事をされている方と



そうではない方がわかる事があるけれど



そのような感覚に似ていると思うの



年齢を重ねてくると若いころよりも



自分の人生を作る時間が長い事もあって



自分のライフスタイルに必要な姿に



なっているのだと思うの



私の友人はパン屋さんで



仕事をしているのだけれど



重い小麦などを



毎日ずっと運んでいる事もあって



若いころにはなかった筋肉が備わっていたり



農業をしている知り合いは



学生のころでは考えられないくらいに



がっちりとした



たくましい体系になっていたり・・・



逆にもう10年くらい



世の中と接触がない知り合いは



瞳に輝きはなく



毎日お気に入りのパジャマを着て



過ごしているせいなのか



時々人と会う機会があって



おしゃれしても



やはりパジャマが似合う



雰囲気を重ねているの



姿からすべてが



読み取れるものではないとは



思うのだけれど



多くの人は退化したとはいえ




直感的なものを誰もが秘めているので



初めて会う方の時には



分にとって問題がないのかという判断のために



その直感が働くものだと思うの



毎日何気ない時



瞬間・瞬間



人は霊感や直感ですぐに判断し



選択しながら



過ごしているものだと思うの



私たち人間は



元々自分では気づいていないけれど



前向き遺伝子を秘めていると思うの



言葉では上手に表現でいないのだけれど



前向き遺伝子を秘めているからこそ



気づかない事もあると思うの



逆にネガティブに物事を見つめてみると



朝目覚めてから



何気なく選択した朝食が



選択ミスなどがあったならば



朝からおなかをこわし



予定が進められなくなったり



通勤などで使用している



交通機関の時間の選択が



少し違っただけで



ニュースになるような事があったならば



大変な事になってしまうし・・・



こうして朝のほんの少しの時間を



見つめただけでも



当たり前のように流れる流れを作っているのは



自分の直感的選択のおかげだと思うの



本来人間は自分を幸せにしたい・しようという



遺伝子レベルで刻まれた



本能があるように感じているの



その自分を幸せにしたい・しようという働きが



様々な判断と選択をし



毎日を過ごしていると思うの



時々生きている事に意味が感じられなかったり



この世から消えたいと思う気持ちが生まれるのも



本当はその思いとは反比例して



本能的に無意識に



自分が自分を



幸せにしてあげてない事への罪悪感と



本当はこうじゃない!という



選択ミスを感じ別の道を



探したいのに探せない時に



そう感じたりするんじゃないかなって



感じているの



人は与えられた場所で



自分を幸せにするために



あらゆる努力を重ねていると思うの



その努力が年を重ねてくると



姿に重なるものだと思うの



人間の身体も心も様々な経験や



過ごし方によって



カラーを持っていて



苦労して報われた人生の方は



努力する事の大切さが



大きなカラーになっていたり



逆に努力ではなく



人脈に恵まれ幸せを感じている方は



人と人を繋ぐ心や気遣いを何よりも



大切に思う価値観が



大きなカラーになっていたり・・・



そのカラーが姿や行動に重なっていて



人が自分を判断する時に



何かを感じ取るんじゃないかなって



感じているの










やっと病院も決まり



手術が具体的になってきているの




そんな中で自分の心の動きや



いくつもある優先順位と決断を



重ね過ごしているの



数年前手術の話が整いそうになっていた時



私の意識では



早く痛みから解放されたい気持ちが強いと



思っていたのだけれど




実際に婦人科へ足を運び



生まれて間もない幼子を抱く方を見ると



泣きたくなる気持ちがいっぱいに広がり



自分の意識できる思いと



秘めている気持ちの違いが



あったのだけれど



この間手術について



お話をさせていただくために



新たな病院へ足を運んだ時には



幼子を抱く方や



これから天使との



人生を歩まれる方の姿を見ても



ストレートにいとおしい気持ちと



応援したい気持ちに



あふれている自分に気づいたの



数年前ならばパートナーに何度も何度も



「子供がいると本当の家族になってゆく幸せを



味わえるよね」と



次にパートナーから返ってくる




「そればかりじゃないよ」という言葉を



期待して表現していた自分も



今はいなくって



素直に「かわいい」って言葉が溢れていると



パートナーが



「自分が産まなくっても



世界中の子供が自分の子供だと思えたら



素敵だよね



その子供や子供を支える大人に



自分が何かできたら



それでいいんじゃない?」って



思ってもみなかった



素敵な言葉の贈り物をもらったの




私自身大人になりきれない大人なので



その欠点をある意味で



これから生かしながら



歩んで行けたらいいなって思っているの



人生って改めて感じるのだけれど



その瞬間・瞬間で



物事を判断する事があるけれど



時間を先送りし未来に進まなければ



本当に良い流れなのかどうかは



わからないなって



感じているの



同じ事を選択していても



数年前ならば



もしかしたら後悔が大きく



今の自分にまで



影響を与えていたかもしれないけれど



いっぱい考えて



悩んで時間を重ねたからこそ



今だからよかったって思える事も多いの



数年前医療関係の方と知り合い



その方は



心臓の手術を何度か体験されていて



医療の進歩について



教えてくれて



「待てる病気なら待つのもいいよ



だって医療は驚くほど進歩しているから



数年で全く違う方法も出てくるから」と



伝えてくれていて




今回その言葉を改めて感じる機会があったの



10年前までは最新医療で



成功ばかりではない



手術方法で



成功しなかった経験を持つ方の話なども



多く聞いていたのだけれど



今は多くの病院で開腹せずに手術をし



入院も早ければ5日くらいだったりするようで



話を伺いながら驚いたの



もちろんすべての方に



適応するわけでもなく



途中で開腹手術に切り替えられる場合も



あるそうなのだけれど



そのような形のものが数年で



スタンダードに近づいてきているのを感じ



感動していたの



少しお話は違うけれど



最近遺伝子の9番目が女性の子宮に関わる病に



関係がある事がわかり発表されていて



この事で将来的には発病前から



修正できる日も来るのかなって



期待しているの



それと同時に女性特有の病は



伝わり方に誤解も多く



頚がんなどは



ウィルス感染からなる病という



イメージが大きく伝わり



その方の人生の歩みまでも誤解を



受ける事もあると思うのだけれど



私が感じているのは



もしも



それだけが本当に要因なのだとしたならば



特定の相手ではない方と



毎日のように



肌を触れ合う仕事の方は



みんな頚がんになっているはずだと思うの



でもそうならないのは



そればかりではなく



今現時点ではそう思われているという事



なんじゃないかなって



感じているの


よくどの分野でも



表現されていることだけれど



誰でも知ることのできる情報というのは



そんなに重要ではなかったり



先を急ぎすぎるために



なんとなくそうかなって事だけが



先に伝わる事もあるので



これからまた時間が進んでくると



別の要因が発表されてくるように



感じているの



そうなった時



様々な病の偏見や思い込みが消えて



病をもたれた方たちも



素直に心の痛みから解放されると思うの



どんな分野でも



専門家や地位がある方が表現すると



何となく無条件で



信用してしまう事があるけれど



今振り返ってみると



あらゆる分野で



真実・正しい・常識として



伝えられていた事も



今の時代に照らし合わせて検証されていて



その多くは違っていたり



根拠のないものだったり・・・



その当時では



答えを急ぐあまり出された答えだった李



そこまでしかわからなかったという事も



多いと思うの



でも今では様々な角度で検証され



少数意見にも耳を傾けられる方も多く



常識や真実にも



多くの形があると思うの



言葉では上手に表現できないのだけれど



よく誤認逮捕などがあった場合



多くの方の瞳には



逮捕された瞬間だけが



イメージとして残り



たとえ事情聴取だけを受けただけでも



あまりよくないイメージを持つ方もいるけれど



その後その方がどうなったのか?



間違いであった事は



ニュースなどでは伝えられず



私たちの記憶の中には



逮捕された人として



認識している方も何人もいると思うの



その事ととっても似ていて



一度正しいと



伝えられたままになっていた事柄が



新たに変更された事を知らないまま



誤解している事も多くあるように



感じているの



以前も書かせていただいた事なのだけれど



今でもハンセン病などについて



信じられない偏見を持ている方がいて



驚いた事があったの



昔は血縁関係にハンセン病だけではないのだけれど



あらゆる目に見えて



病とわかる病気になった方が生まれた場合


呪われた家系といとして



受け止められる方や



移らないのに移ると



どこで誤解したのかわからない知識があて



病になられた方たちは家族などから見放され



ハンセン病の場合は特定の島に送られたり



他の病の方も隠れて暮らしていたそうなの



その始まりも



病の専門家や霊能者など地位などがある方たちが



表現した事で始まったそうなの



でも今の時代は移らないことも証明され



多くの方が人との交流を持ち過ごされているの



それでも新たな情報を持たない方の中には



今でも昔のままの知識によって



心ない言葉を表現される方もいるの



その時



私自身も事柄は違ってても



知っているつもりで語った言葉で



もしかしたら



人を傷つけてしまっていたかもしれないなって



反省していたの



どんなに様々な体験を重ね



年齢を重ねても



知らない事はいっぱいあっても



知らない恥ずかしさよりも



わかったつもりになっている事の



恥ずかしさもあるのだから



知らない事は知らないって



表現できる自分でいたいなって



感じていたの











私たちはみんな



同じ時代・同じ世界に暮らしているけれど



見えている世界は様々で



その時々届けられる体験によっても



世界が違っていると思うの



知り合いや友人と何気ない話をしていた時



独身の友人が



「結婚っていうリスクは怖くって体験したくないな



だってすべてだんなに人生によって



道ずれになるんだよ



しかも旦那が死んだらどうするの



特に仕事してきていないんだし



働きたくてもその時になったら仕事ないんだよ



こわすぎる(笑)」と表現していて



確かにそうだなって



私は感じていたのだけれど



他の結婚している知り合いが



「リスクは同じだよ



独身でいても元気なうちはいいけど



働けなくなったらどうするの?



その時終わりじゃない



こわすぎる(笑)」と伝え



またそれもそうだなって



納得していたの



そう思うと誰でもそうだけれど



未来の事はわからないからこそ



違う生き方をしていても



一生懸命に



自分の与えられた世界で



過ごしているんじゃないかなって



感じていたの



そして違う生き方を選んだ女性ではあるけれど



不安に思う事は同じで



その不安を抱えながらも



人生を自分で選びとってゆく女性すべてが



きっととっても



前向きな細胞でできている存在なんじゃ



ないかなって感じていたの



冷静に見つめたならば



すべてリスクがだらけで



ある時にはあるものを手放し



その時大切なものを受け取り



その繰り返しが人生の中ではいっぱいあって



実際に周りの瞳映る姿は



そんなにうらやましがるほど



幸せではなかったとしても



本人はとっても幸せなこともあったりして・・・



幸せってみんな同じ形ではない事を



誰もが知っているのに



つい意味のない事で女性特有の意識が



表れてしまう事もあると思うの



多くの女性は男性とは違い



社会の中で誰から見ても



わかる評価を受ける場所から



離れて暮らす事が多く



その事もあって自分を確かめたい気持ちから



相手になくて自分にあるもので



優越感を持ち



自分の今を支えなければ



過ごせない方もいると思うの



そしてその逆の場合は



とっても落ち込んだり・・・



もっと広く心の窓を広げてみると



自分よりも恵まれた人もいっぱいいるし



自分よりも大変な時間を



過ごされている方も



いっぱいいるのだから



いつも誰かよりは自分が幸せで



誰かよりは自分の人生は大変なのだと思うの



その線引きのない基準に



心が揺れてしまうのは



やむ事のない嵐の中で



過ごすようなものだと思うの



今ではとっても恥ずかしい事なのだけれど



私はずっと長い間



優秀な弟と過ごす中で



親戚や周りの方たちから



比較されてきたのだけれど



幼いころはそう気にはしていなかったの



なぜならば



歩む世界が違う事を



感じていたのと共に



当時は自分が毎日楽しく



満たされていた事もあって



周りの言葉は吸収していなかったの



でも同じベースとなる結婚を



互いに経験している時



あきらかに弟の方はすべてが豊かで



それは経済だけではなく



家族も年々増え



笑顔が大きくなっていったの



その頃病が見つかり



心身が保てなくなっていた私は初めて



自分の人生がとっても



意味のないように感じ



その始まりとして人生の扉を



開いてくれた親までもうらみ



弟の人格的な事までも



否定した表現をいつも繰り返し



自分の人生の責任転換をしなければ



心が支えられないくらいに



なっていたことがあったの



すべてが病のせいではないのだけれど



病になって心細くなり



心が今以上に幼子のように



戻っていた部分があって



そんな中



年々家族が増えてゆくたび弟は



両親に大きな喜びを与え



私は自分に意識を向けたい思いが強くなっていて



幼子のように無邪気に



人を傷つけてしまっていたと思うの



でもありがたい事に



「私はここにいるよ」っていう



発信を受け止めて



心重ねてくれる方たちのおかげで



恥ずかしいくらいに自分の心と向き合い



何年も過ごす事が出来て



誰かを基準に計る幸せではなく



心から私は幸せだと感じられた事で



元の自分に戻れたように感じているの



人や周りは目安であって



すべての基準を計るものではないのだから



たとえ誰かよりも劣っていても



見る角度を変えれば



誰かよりも優れているはずなのだから



どこに自分が立っていたとしても



自分は自分でしかいられないのだから



そんな自分を愛してあげる事が



大切なんじゃないかなって



感じていたの










ふたたび新たな病院で



手術のために検査を受けて



また新たな決断と



選択が与えられているの



私の病はまるで人の心のように



矛盾した感覚があって



身体を温め血流が良くなると



身体は心地よく調子が良いのだけれど



子宮は痛くなってきてしまうので



今度は逆に血流を良くしないでいると



体調が整わず



他の部分が痛くなってしまう事もあって



そのバランスがとっても難しく



ここ数年は



全体的バランスの方を



大切にしていた事もあって



思っていた以上に



子宮が大きくなっていて



開腹手術ではない方法を



選択していた私には



すぐに手術はできないそうで



またホルモン剤を行い



小さくしてからの手術という事を



伝えられたの



その場では



他の多くの方が



受診を待っていることもあって



ホルモン剤を受け取り



かえってきたのだけれど



どうしても数年前の苦しさや恐怖から



使う事をためらって



すっと私の事を見つめてくれていた



パートナーの相談したり



ずっと仲が良く



本人もホルモン剤を経験している知り合いに



どうしたらよいのかを相談したの



それと同時に



開腹手術以外の最新医療について



調べてみると



たとえホルモン剤で小さくなったとしても



実際に見てみなければ



わからない事も多かったり



高度な技術が必要な分野なので



手術中に急遽開腹手術に移行する場合も



多い事を知って



大変な思いを乗り越えても



その瞬間までわからない事を



考えると迷いが生まれ



私自身



いつも何かを選択する事であまり



誰かに相談する事は



なかったのだけれど



私の気持ちが正しい選択になっているのかを



確かめたい思いもあって



尋ねてみたの



そうしたらホルモン剤の使用は反対していて


知り合いは



「私ならば保証もない事のために



また半年も



大変な思いはしたくないな



傷が残っても



何かのコンテストにでも出るわけでもないしさ(笑)



だったら前向きに考えて



踏み出した想いを大事に



私なら早く結果を出して次に進むよ」と



後押ししてくれたの



その言葉は



私が考えている思いと



同じだったこともあって



従来通りの方法で行う事を決めたの



独身の頃



不思議な体験を重ねていたけれど



それにともなう知恵や知識がなかった私に



スピリチュアルな知恵を



初めて教えてくれた友人の事を



ふっと思い出していたの



その友人は様々な分野から見つめた



知恵や知識が豊富で



実際に海外にも



足を運び学んでいたのだけれど



その友人が表現していた知識の中に



前世で煩った病や傷などを



現世に持ち込み



生まれ変わっている人も多く



前世では切られた場所もしくは



自分が人に負傷させた場所を



もう一度体験する機会がある事を



表現していて



その頃から何となく



毎月辛い痛みを体験していた私に



自分でも意識できない深い部分で



女性に生まれてきた事を否定していて



前世では女性を低く見つめ女性に対して



とても冷たかったように思うよって



伝えられた事があったの



確かに幼いころから



女性に生まれてきた事で



本来ならば



体験しなくっても



よい悲しみもあったので



無意識にそう思う事もあったのかなって



感じていたの



ただ年々年を重ねてくるたびに



女性として誕生したことの楽しさや幸せも



見つけ受け取れるようになってきたので



意識できている自分と



内なる深い部分の意識がフィットしてきていて



早く新たな自分に生まれ変わりたい思いが



整ってきているのかなって



感じているの



痛みに包まれていた頃には



なぜ?私だけ・・・と



何度も何度も答えの出ない思いに



涙が溢れ



何となく自分は



不運で恵まれない人生のように



映っていた事もあったのだけれど



病院などに足を運ぶ事で



自分の知らない病も



いっぱいある事を知り



今は特に原因がなく



年齢も様々な病があって



根治しない事を受け入れ



過ごされる方が多い事を知って



逆に今までその中の病に



該当しなかっただけでも



奇跡的な事を感じられたり・・・



出来事も人もすべて



上も下もきりがないほど



存在しているのだから



あとは自分の心が幸せだと感じたり



感謝が生まれる位置に



自分を導いてあげられたならば



誰と比較したとしても



間違いなく自分は幸せなのだと思うの



健康な頃は痛み止めなどを飲む知り合いに



よかれという思いと浅知恵で



「薬飲むのはよくないよ」と



よく表現していたけれど



そんな事は誰でも知っている事で



でもそうしなければ



自分が自分でいられないほどの方もいる事を



私は後になって知る事になったの



自分が病になって



痛みが自分の思いでコントロールできる



痛み止めの恩恵を感じたり



先生から痛み止めを我慢する事で広がる



他の知識を教えてもらい



様々な事の見方が



新たに生まれる機会を与えてもらったの



言葉では上手に表現できないのだけれど



病になって良かった部分が



もしも一つだけあるとしたならば



それはきっと



痛みがないのが当たり前



病がないのが当たり前だと思い



過ごしてきた時では感じられなかった



当たり前が当たり前ではい事を



知った事で感じられる



幸せんじゃないかなって



感じているの








最近新たな体験が多く



訪れているの



それはほんの小さな出来事なのだけれど



新たに通う病院は



私の暮らす地域よりも遠い事もあって



どのように行こうかと調べてみたら



JRだとすぐに行ける事知って



10年くらいぶりにJRに乗ったの



私が暮らす場所はJRが近くにあるのだけれど



あまり意識していなく



実際に乗ってみるととっても便利で



改めて自分が暮らしでいる場所が



恵まれている事を感じていたの



そうしてひさしぶりにJRに乗ってみると



私の中の記憶が止まってままのものが



ひとつずつ更新されてゆくのを



感じていたの



小さな事だけれど



席の並びが変わっていたり



スペースが広く作られていたりと



新しくなっていて驚いたの



その時ふっと



何となく年齢を重ねてくると



感動や楽しい事が少なくなると



良く表現されるけれど



それは本当に初めてのものの中から



驚きや感動を探そうとするからであって



過去の記憶の中にも



まだまだ感動できるものや楽しい事を



探せるんじゃないかなって感じていたの



大人になると若いころとは違い



初めてのことが溢れていた体験を吸収し



さらっと広く



何でも知っている感覚に包まれ



ある部分では決めつけたり



思いこんでしまっている思いもあって



何となくわかったように思っている事も



あると思うのだけれど



実際には社会も時代も動いていて



昔体験したままになっているものの方が少なく



過去に体験したものの中にも



たくさん新しいものが



見つかるんじゃないかなって



感じているの



過去に足を運んだ場所であっても



行く人によっては



まるで違った楽しさを体験できたり



過去の自分では気づかなかったものが



今の自分だからこそ



気づけるものもあったり・・・



そして記憶と言うのは



とってもあいまいなもので



自分が記憶しているものが必ずしも正しく



記憶に刻まれているとは限らず



時には悲しい体験だと思っていた体験も



何かのきっかけで



引き出す事が出来たならば



自分で捻じ曲げていた事に気づき



修正する機会ともなる事もあると思うの



そして様々な体験を乗り越えた今だからこそ



過去を修正したり書き換える能力も



備わっているのだから



今後未来に必要のない



思い出すたび悲しくなる想い出は



意味のある体験として



書き換えることもできるんじゃないかなって



感じているの



人と繋がりの中で



嬉しかった事と同じくらいに



悲しかったこともあるけれど



そういう心の経験があるからこそ



人にやさしい言葉を



手渡せるようになっている



自分に気づかれたり



悔しい事があって頑張ったからこそ



何かを形にできたきっかけとなってくれた



出来事もあったように思うの



すべてのジャッジは自分が出来るのだから



これから歩む道を照らすためにも



ただ悲しい出来事や辛かった出来事を



痛みだけでしまっておくのは



自分のためにも苦しい事



なんじゃないかなって思うの



事実は事実ではあるけれど



その事実には必ず意味があって



与えられているように思うの



私が漠然と感じているのは



失ったものの大きさが大きければ大きいほど



それと同じ大きさだけの喜びや幸せが



ちゃんと次には空いたスペースに収まるように



用意されているように感じているの



そしてその逆もあって



大きな喜び事が



続いている時には



良い意味で気をつけて



浮かれすぎてしまい優越感などから



人への配慮を忘れないように気をつけることも



大切だと思うの



運のバイオリズムは誰にでも備わっていて



瞬間・瞬間だけ見つめて



幸運かどうかを計るけれど



トータル的にはさほど



変わらないもののように



感じているの



幼子とは違い



人はすべての出来事の感想を



人に語るわけではないから



人が抱える多くの悲しみや苦しみを知らず



うらやましがって妬む思いが



生まれる事もあるけれど



多くの方が



もしも幼子のようにすべての出来事を



語ったならば



みんないとおしいく



抱きしめたくなるくらいの努力で



様々な事を乗り越え



今日という日を迎えているのを知る事が



出来ると思うの



それでももっとがんばれって毎日毎日



自分に負荷をかけ



何も予定通り行えなかった自分を責めたり



逆に何かをできた時には



小さな達成感に幸せを感じたりと



自分が決めたラインによって



自分の存在価値を決めたりしているだけで



本当は自分が自分で存在しているだけで



それだけで誰かに何かを与えている



なくてはならない存在なのだと思うの



良い事であってもそうではない事であっても



人は周りにいる誰かから学び



それぞれの人生に生かしているのだから・・・



様々な啓発本などを読んで



イメージの大切さを理解していても



なかなかリアルに想像できず



実践することが難しく



その事を意識しすぎて



人生が楽しめない方もいるようなのだけれど



私が感じているのは



イメージや想像は



脳に進みたい方向性を教えるために



とっても大切なことではあるけれど



無理に考えたりイメージしたりしてしまうと



楽しい波動よりも力が入ってしまい



ただ考え込んでいるのと



同じ波動になってそまうから



あまり形にならず



別の方向から見つめると



意識して思い描かなければ



イメージできない事は



自分の人生には



そんなに必要ではなかったり



大切なものではない事を



自分の深い部分がわかっていて



あえて遠回りしないように



思いつかないようにしている事も



あるんじゃないかなって感じているの



本当に必要なものは



無意識に



自動的に考え瞬間的にイメージして



行動していたりして形にしていると思うの



イメージや想像によって



招き寄せる事の多くは



疑いが生まれる事なく



時にははまるで思いつきにも似た感覚の事も多く



その事を考えていた事さえ



忘れていると思うの



そして忘れたころに



偶然のように受け取っていたりしていると思うの



少しおかしい表現なのだけれど



神様は人間に神様の法則的な事を



すべて理解できないように



あえて複雑に



この世の中を包んでいて



解明できないようになっているように



感じているの



神様の法則に近いづいたかなって思うと



今度は望まない事が届けられたりして



わからなくしているように思うの



だから神様の考えを解明するのではなく



神様の遺伝子を受け継ぐ



自分自身を知り



歩む事で



ある時には



神様と共にいる事を感じられたり



神様の意思のようなものを



感じられたり



すべては自分の中に



備わっているんじゃないかなって



感じているの














今日何気なく導かれるままに



ふっと足を運んだお店の中で



以前教会で出会った名も知らない方と



久しぶりに会ったの



私の方は申し訳ないのだけれど



どこかで見かけたかなって思うくらいしか




憶えていなかったのだけれど



その方は憶えてくださっていたようで



優しく声をかけてくれたの



そして近くにあったカフェにで



少しお話をしたの



その方は昔お子さんを天国へと



見送った悲しい過去を持っていたようで



その頃同じような悲しみを



体験していた方の勧めもあって



教会へ通われるようになり



心救われるようになった事を



教えてくれたの



私は私でこれから手術をする事で



漠然と持つ事が出来た母親と言う



選択肢がなくなる事と



自然の流れとは違う自分の決断によって



開く未来への不安を伝えたの



そうしたらその方が昔から何かあるごとに



読んでいた言葉が書かれたカードを



私に手渡してくださったの



そのカードは



「私の願い~ある兵士の祈り」と書かれていたの








成功するために



神に力を願いましたが



与えられたのは謙虚さでした



従う事を学ぶために



善行をするために健康を願いましたが



与えられたのは病気でした



より善い行いをするために



幸せになるために富を願いましたが



与えられたのは貧しさでした



賢くなるために



人から尊敬されるために



能力を願いましたが



与えられたのは弱さでした



神を必要とするために



人生を楽しむために



すべてのものを願いましたが



与えられたのは命でした



すべてのものに感謝して生きるために



私がほしいものは



何も与えられませんでしたが



声にも出さなかった祈りが聞き届けられ



私はだれよりも豊かで



祝福された人間となれたのです



そのように書かれていたの



このカードの言葉の作者は不明で



アメリカのある兵士が



病院の壁に書き残したものらしいの



私に力を与えてくれようと



手渡してくれたカードなのだけれど



その事以上に



手渡してくださった



この方が抱えきれないほどの



大きな悲しみの中



何度も何度も読み



心に光が差し込むまで



心の内側から固く閉ざされた



心を砕いていったのかを



考えると胸がいっぱいになっていたの



時に人は言葉では伝えきれない思いを



誰かの言葉を借りて



手渡すことがあるけれど



その言葉以上に



瞳には映らない思いが重なり



表現できない



ありがたい気持ちになる事も



あるんだなって感じていたの



この出会いも神様が用意してくれていて



決して偶然ではないと思うの



言葉では上手に表現できないのだけれど



この物語は



その方と私の出来事だけれど



インターネットなどや



電話などで何気なく表現している中で



心で何かを感じてくれる



人がもしもいたならば



それは私とその方だけの物語ではなく



たまたま今回は間口が私だっただけで



誰かが誰かに直接的なものだけではなく



間接的だったりという形で



何かを伝えあっているんじゃないかなって



感じていたの



私たちは誰かを通して



知らない世界を知ったり



時には自分の小さな体験が



間接的に誰かの知恵になっていたりと



すべての人が繋がっているように



思うの


少しお話は違うのだけれど



手術の事などを



両親には伝えないでいようと



思っていたのだけれど



つい最近実家に足を運び



何気ない会話になった時



父に「お前最近変わった事無かったか?



お前が病院に入院している夢を見たから」と



表現したので



思い切ってその様な運びになる事を伝えたの



そうしたら思っていたよりも



表情が曇る事無く



母は



「あんたが決めた事ならそれでいんじゃない



あんたの人生なんだから



私のこれからのテーマは柔軟性なの



歳をとるとがんこになってくるから



もっといろんな事を知って



柔軟になろうと思って



あんたの病気の事も本で読んだし



それで苦しんでいる人も



いっぱいいる事も


やっとわかって



あんたが痛いのを



私の考えだけで我慢させていた事は



本当に申し訳ないと思ったの



だからこれからはもっと柔軟に物事を



見ていく事に決めたから



私の事は気にしないで



分がいいと思ったようにしなさい」と



伝えてくれたの



その時今までいろいろあったけれど



やっぱり私の母だなって感じて嬉しかったの



私もそうだけれど



どんなに色々な経験をしても



まだまだいっぱい知らない世界はあって



見聞きだけでは



体験できない心の経験もあって



時には自分が体験して



初めて理解できる事もあったりして



人生って退屈する暇がないよう



神様が様々なものをお与えになっているんじゃ



ないかなって感じていたの