2010年6月






ここ数年



自分の意識とは別に



様々な学びが訪れていて



そのすべての答えのサインが



身体にサインとして



受け取る事が多いの



たとえば



私は人と会う事が大好きで



会うという事が


目的となっているので



会った時に交わされた言葉の中に



あまり心地の良くない言葉があったとしても



私自身はその事は気にしていなく



楽しかった思いに



包まれているのだけれど



おうちに帰って数時間くらいたつと



少しずつ身体の調子が保たれず



急に横になりたくなり



数日お布団の中で過ごす事があるの



その時私は



はしゃぎすぎたかなって



軽く考えているのだけれど



何度も同じような体験があったので



ゆっくりと冷静にその時の事を



考えてみたの



そうしたら私自身は聞き流しているけれど



言葉は私の耳を伝って



きっと脳に伝わり



その言葉からダメージを感じていて



私の意識が強く働いている時には



現れないけれど



ホッとした時などに



それが現れていたのかなって感じていたの



私自身自分の意識と不一致する感覚を



幾つもの場面で持っているようで



自分の事が今でもわからない事が多いの



そのひとつの中には



私が大好きな牡蠣との関係があって



物心ついたころから漁をされている



知り合いから頂いて食べていた



牡蠣が大好きで



旬の時期になると楽しみに



食べていたのだけれど



あるときから急に



私の思いとは別に



身体が受け付けなくなってしまい



何度チャレンジしてもそのあと



意識を失うほど体調が優れなくなり



今では心で求めていても



身体の声を優先して



食べないようにしているの



その感覚が私にとって



人間関係とも似ているような



感覚を感じているの



意識では大好きで一緒に



過ごしたいと思っているのだけれど



意識とは別の魂などの別次元では



どうしても距離を保とうと



がんばっていたり・・・



その逆もあると思うの



私の友人がよく



何かのレベルが下がっている時



私に会うとひどく疲れるらしく



その目安として時々私と会うらしく



私と会って元気が増したり



楽しいと思える時には



様々なバランスが整っている時で



その逆の時には信じられないほど疲れて



おうちに帰ってから



何も考えられなくなり



すぐ眠る毎日が続き


その後はすっきりするのでどっちにしても



良い反応を感じると伝えてくれるので



とてもうれしく



私もその友人と会うと



言葉ではない何かパワーを受け取り



前向きな気持ちになるので



その友人とは意識も魂などの別次元でも



とてもフィットした関係だと感じているの



でも大好きなのに



何か説明のできない違和感と言うのか



体調が優れない感覚は



何を意味しているのかなって



時々ふっと考えてみるの



そうすると自分の中に



長い間無意識に



人を嫌いになってはいけない感覚が宿っていて



良い部分ではあると思うのだけれど



人の良いところをすぐに見つけ



そこで嫌だという意識を消してしまう部分を



持っている事に



気がついたの



それは一見良い事なのだけれど



ある部分では直感的なものを



瞬間的に打ち消し



何も感じないように



過ごしてしまうので



時には本来ならばわかっていたはずの問題を



避けられたはずなのに



避けられなかったり



問題を大きくしてしまったり



してしまうこともあるの



嫌なものは嫌でよいのに・・・



元々常識や当たり前の事も出来ない私なのに



その事を表現される事を一番怖れていて



変なところで



無理をしてしまう事があるようなの



いつも皆と



足並みをそろえなければいけないような・・・



ただ私の場合はありがたい事に



その様な感覚を感じる機会は



一年に数回なのだけれど



社会の中で繋がり過ごされる方たちの場合は



その様な感覚は日々訪れていて



大変だと感じているの



やはりみんなすごいなって



そんな時にいつも感じているの



父にその様な事をついこの間話したら



「お前はまじめすぎるんだ



皆誰でも嫌なものは嫌だけど



腹の中で違う事考えたり思ったりしながら



その場が終わるのを我慢しているんだ



お前はそれができないだけで



特別変な人間ではないから心配するな」と



伝えられて



なんだかほっとしたの



よく私のような人間を判断するときに



親に甘やかされて・・・などと決めつけた



判断をされがちだと思うのだけれど



私の世代の多くはそうだと思うのだけれど



今思うと驚くほど親は厳しく



時には感情的で理不尽な時も多く



それでもその中で様々な事を考え



育ってきたので



良く表現されるような



甘やかされてというような事とは



真逆だっと思うの



人間の心理を計るときには



よく大雑把な分類で語られるけれど



同じ出来事であっても



受け止め方は人の数ほどあって



私の場合は両親の生き方・歩みから



何かを感じ



自分らしく歩める自由になれる日を



幼いころから待っていて



その自分らしく自由になれる瞬間から



何よりもその自由が大切で



その自由が揺らぐような



強制などを少しでも感じると



もしかすると拒否反応として



心身に心のサインが現れるのかなって



感じているの



ストレスや緊張などが続くと



身体の中では



カルシウムやマグネシウムが消費され



筋肉が痙攣したりという反応があるように



心の動きによって



その心の動きから心身を守ろうと



様々な栄養分が消費されたり



逆に脂肪をため込もうとしたりと



人間の体は驚くほど



心と繋がり反応をするから



無理をしちゃいけないなって



感じているの










私のおうちの向かいに



ノスタルジックなアパートがあって



そのアパートは高齢の単身者の方が



何世帯か暮らしていて



その中の



一人暮らしの70代くらいの



男性がいるのだけれど



毎日見かけるたびに



鼻歌を歌いながらお布団を干していたり



自転車でお出かけされているの




その姿を見つめながら



本当の幸せについて



教えられている気がしているの



その方の事は詳しくはわからないけれど



思いこみや常識などからで



判断される方から見つめれば



家族もいなく持ち家もなく・車もなく



特に深くかかわる親友がいるわけでもなく



寂しくかわいそうに



映るかもしれないけれど



その方よりもいっぱい・いっぱい



持ち切れないほどの宝物を



持っている私を含めた方たちが



その方のように朝目覚めてから毎日



鼻歌が自然に出てくるほど幸せかと言うと



少し考えてしまうの



もちろん大きな不満があるわけではないけれど



鼻歌が自然に出てくるって



本当に気分が良い幸せな時だと思うの



そう思うとその方よりも



豊かなのに何が違うのかなって



考えてみると



その方はきっと自分を受け入れ



その中で感じる幸せに日々感謝と喜びを



朝を迎えるたびに



感じているんじゃないかなって



感じていたの



過度な期待が不満を生み



自分が見えなくなるほど



いつも誰かの事が気になっていたり



孤独になる事を怖れいつも



自分らしくない自分でいる事も



その方にはないように感じるの



だから誰からどのように評価されようとも



本人が幸せなのだから



間違いなく幸せなのだと思うの



私にもそんな強さが欲しいなって



その方を見つめるたびに感じているの



そして朝を当たり前に迎えるのではなく



毎日当たり前に迎えている朝が



本当はとっても特別な事だと気づく感覚を



私の中にも育んでゆきたいなって



とても感じているの



人は人の事を語り



自分の人生を肯定したり



時には自分の問題から目をそらしたいために



解決を望まない誰かのの事を心配したり



いつも何かに意識を



向けながら過ごしてしまう



弱さを秘めているけれど



その方のように自分の幸せをまっすぐに見つめ



誰かの基準の幸せの尺度ではない



自分の幸せの尺度に合わせられる強さが



ほんの少しでも持てたならば



毎日自然に鼻歌を歌ってしまうのかなって



感じていたの












数年前に霊能者を引退し



今は穏やかに過ごされている



私が信頼を寄せている方と



久しぶりにお話しする機会を



与えていただいたの



その中で具体的に



伝えていただいた事が多く



おうちに帰ってからその意味を



自分なりに解釈しながらまとめていたの



その方が表現するには



2000年を迎えてから年々



今まで低下していた地球エネルギーの



波動が修復へ向かい



そのエネルギーはとても大きく強く



その地球上に暮らす私たち人間にとっては



ある意味で半強制的に



波動を上げる学びや気づきを



求められていて



その波動にフィットしない人は様々な形で



この地球上では存在できなくなるそうなの



ただその事だけを思うと



少し怖いように感じてしまうけれど



そう怖がる事ではないようなの



地球レベルで波動が上がってくると



ある意味で豊かで優しい時代が



訪れるそうなの



なぜならば地球がもともと



持っている引力が修復される事で



引き寄せる力が増し



豊かさを欲やエゴではなく素直に描ける方には



豊かさがもたらされ



人との関わりに対して怖れや不安ではなく



喜びを描ける人には



人からもたらされる



喜びが届けられるそうなの



なのである意味で貧しい人たちが少なくなり



権力闘争などの古い思考の人は



存在できなくなるそうなの



だから今からでも自分の中で



認めたくない感情に気づけるのならば



その部分を修復し



瞬間的には損だと感じられたり



するかもしれないけれど



人へ与えられるだけの愛情を感じたり



手渡してゆく事が



最終的には自分のためとなるそうなの



確かに年々



すべての事柄で二極化が進み



一見逆転現象のような事も



多く見受けられているけれど



本当はその方に見合ったその方そのものが



現実の世界に映し出されているのかなって



感じていたの



今の時代はどんなに大きな会社であっても



自分たちが使っていると



下に見ていた人たち数名によって



会社の命運が左右されてしまう事もあるくらい



個人の力が広がっているのを感じているの



昔ならば考えられない事だったと思うの



たった数名の声が



今ならばかき消されることなく



ちゃんと受け止めてくれる愛に基づいた



生き方をされている方も



多く存在しているのを感じているの



一人ひとりの事を考えてみると



その霊能者の方が伝えてくれているように



地球レベルの波動が上昇してくると



人間にとっては肉体・精神の波動上昇を



半強制的に求められるので



身体に病のような不調和を感じられる方も多く



その病によっては大きな意識変化によって



波動上昇が進み



まるで生まれ変わったように



眠っていた素晴らしい自分の資質が



目覚める方のいるそうなの



女性の場合は婦人病などによって



女性のシンボルと言われている



子宮の病や手放す方が



増えたりもするそうなの



その事にも理由があるようで



輪廻の繰り返しの中で



様々な学びや宿題をこなし



次の高いハードルとして性別を超えた学びが



与えられる時期を



迎えている方が多いからだそうなの



なので最近男性が女性のような姿や思考で



過ごされる方が多いのも



そのような意味があるそうなの



だから病になったからといって



過去世の行いが悪いとか



子宮がんの種類によっては



男性関係が多い事が原因のように



誤解を受けている病も多く



心身共にダメージを与えられている人も多いけれど



すべては知恵のない人間が短絡的に



考えた亊ばかりなのだそうなの



知恵の浅い人間は



人に対する愛がなく



人を傷つけ自分よりも不幸な人間がないないと



救われない憐れな人間なのだそうなの



なのでそうのような方は



これからの時代益々ある



意味で自分の波動と見合った



不満や悲しみ・苦しみ溢れた



人生になってゆくそうなの



ただ今は地球の波動と共に



人間の波動が急激に上昇しているので



今までの古い殻を破る痛みは



多くの方が体験されるそうなので



嫌な事に出会ったからと言って



自分が引き寄せてしまったのかと



思い煩う必要はないそうなの



今までの時代はその時代・



時代のリーダーが決めた事が



常識となりルールとなってきたけれど



本来は人間同士がなんの格差も差別もなく



助け合い・愛し合う事を学びとるために



何度もこの地球に生まれ



変わってきているそうなの



でもまだまだ様々な分野で偏見も多いけれど



いつの時代もその偏見がもっと先を進むと



常識になっている事も多く



偏見を持つ方たちはまだ



理解できるレベルにないそうなの



なので偏見を受けている方や



自分のしたい事を否定されている方は



自分のために



その人たちを許してあげる事が



大切なのだそうなの



その霊能者の方はかなり年齢を



重ねられている方なので



時々ご自分が歩んできた



体験の中で感じたことも



話してくださって



女性が今はお化粧や髪を



美しく整えたりしていて



本人も周りも楽しまれているけれど



昔はその様な事をするのは



娼婦の方だけだったそうで



オシャレをする事自体が



良くないこととして



教育されていたのだけれど



実際には愛する男性たちは



夜の世界の華やかな女性の方へと向かい



その様な悲しい事を何度も



体験してきた女性の中で



現実や事実をはっきりと



見つめ感じた方の中には




急にお化粧されたり



髪を美しく整えたりする方が



広がってきていて


それでも非難する方は多かったけれど



今では常識となっていて



逆に今では女性なのに



オシャレや化粧をしていないと



心配される時代になって・・・(笑)と



具体的なたとえ話をしてくださったの



人間が作った根拠のない



常識やルールも多くあって



私のパートナーの父親や私の母方の祖父は



男性が台所に入る事はよくないと



教育されていた時代だったのだけれど



単純に愛する妻の負担を



少しでも減らしたい思いから



すべての事を手伝い過ごしていて



そのたびに「男はどっしりと座っていろ!」と



表現され



そのあと必ず



妻たちは



「あんなたがそうさせているのか!」と



心ない言葉を手渡されていたようなの



それでも私のパートナーの父親や



私の母方の祖父は



その形が帰った後



「好き同士で一緒になって



助け合うのがそんなにいけないのか?」と



怒っていたそうなの



私の父も数年前までは



何でも母にさせていて



それがかっこいいと思い込んでいたようで



私のパートナーが私のために手助けしているたびに



「男にそんな事をさせるな!よその人から見たら



男に甲斐性がないから



そんなことさせられているって



思われるんだぞ」と



表現された事が何度もあったけれど



たまたま出会う方たちが



愛あふれた方が多かったこともあって



パートナーが私の手助けをしている姿を見るたびに



「いいわね。優しいご主人で



私も次結婚する時にはあなたの



御主人見たい人にするわ(笑)」と



言葉にしてくださる方も多く



その様な言葉を



何度も耳にするようになった父も



だんだんと意味のない思い込みが



溶かされてきたようで



今では恥ずかしそうに母の手伝いをしているの



自分の行動や言動を変える事は



まるで信念を変えるような気がして



なかなかできない事もあるけれど



そのような愛に基づいた変化は



信念を変える事とは違うと思うの



本来秘めていた優しさに



外から纏わされた鎧を



自ら脱いだ勇気ある人になっただけだと思うの



今の時代は



とってもシンプルになってきていて



必要なものとそうではないものが



整理整頓されてきていると思うの



この間お付き合いのある宝石屋さんと



お話をしたときにも



までならば婚約や結婚・記念日には



女性が望み男性が宝石を



求めて購入していたそうなのだけれど



近の女性の価値観の変化を感じているそうで



人に自慢を前提に高価なものを



求める女性は少なくない



今の自分が毎日身につけられるものを好み



人に自慢するのではなく



自分自身が嬉しくなるようなものを



背伸びしすぎない生き方と



重ねて過ごしている事を語られていたの



なのでその方が表現していたのだけれど



「今までの自分の生き方も見つめて


もっと自分にも優しくしてやろうと思ってる



そして生まれてきてよかったと思う事を



これからしていこうと思っている」と



表現されていたの



その方はその思いでお店をやめて



新たな事をスタートされる事を



話してくれたの



そのたびに



その方それぞれに愛に基づいた生き方を



選択し始めているのを感じていたの










最近友人が



とっても瞳輝きいきいきとしていたので



理由を尋ねてみると



新たなプランのために過ごしている事を



伝えてくれたの



それは一見



思いつきのような事なのだけれど



急に屋久杉が見たくなったらしく



詳しく調べてみたら



その杉を見るためには何時間も山を



登らなければならない事を知り



その事で目標・目的が生まれ



今までただ美容や健康維持のために



通っていたフィットネスも



はっきりとした目標・目的が見えた事によって



今まで以上にその時間が意味のあるものと



なったようなの



そして近くにある山に



できるだけ登りに行っているようで



その中で発見した事や感動を伝えてくれたの



友人は太ってはいないのだけれど



自分のイメージしている



自分の姿とは違うようで



いつもスタイル維持に対して



様々な努力を重ねていたのだけれど



なかなか効果を感じられず



今回その一つの目標・目的のためだけに行動していたら



無意識に自分が思い描く



スタイルになってきたようで



喜びが増えていたの



その姿を見つめながら



色々な事を感じていたの



人間はある目標・目的をイメージした瞬間から



自動的に身体や思考が



そちらの方向へと向かい



その目標や目的が無理なものではなく



自分の中で楽しみになっていたり



喜びと結び付いていると



いままでただイメージしていた事までも一緒に



叶えてくれるんじゃないかなって



感じていたの



この事が途中でたとえやめてしまい



目標や目的が変わったとしても



前に進むためには必要な事な事だと思うので



たとえ思いつきに終わっても



意味のある喜びの体験だと思うの



人間は幸せに満たされていたとしても



さらなる変化を求め



前進する事を無意識に



求めていると生き物だと思うから



今までに体験してない事や



足を運んだ事の場所へ



行こうと思った瞬間から



心身が活性化されて



ゆくんじゃないかなって



感じていたの



そして自分でも思ってもいなかった



何でもない事から



急に生まれてきてよかったと感じたり



生きてきてよかったと



瞬間的に心が感じることもあると思うの



でもそれが本当の意味で生まれてきた



意味と繋がっている



一つの人生のパズルのピース



なんじゃないかなって



感じているの



人に理解・共感してもらえる形ばかりではなく



自分自身が全身全霊で



生まれてきてよかったと思える瞬間が



何よりも大切なんじゃないかなって



感じているの



友人は今回1年に一度帰郷する日を



屋久杉を見るための休日として過ごすようで



その言葉から



私個人的なものへの答えも頂いた気がしたの



いつも新たなドアを開けるたびに



強く吹いてくる風が



めんどうになりそのままにしていた事も多く



過ごしていた私には



とっても勇気が湧く出来事だったの



私がいつも感じているのは



自分が心の耳をすませ



向き合う相手との間で良いハーモニーが



生まれている時には



その相手を通して神様がいつでも


メッセージを与えてくれると思っていたので


神様が私に友人を通し


何かの始まりを伝えてくれているのを


感じていたの


その友人とはタイミングやバイオリズムが


いつも重なる部分が多く


この間は私の病についての最終段階として


今の病院で良いのかと何度も考えていた時


何気なく友人とその事を話していると


友人の友達が子宮筋腫で手術をされたそうで



その手術のの前に



幾つもの病院に足を運んだらしく



その中に私の選択肢に入っていた病院があって



私は友人にその事を伝えていないのに友人が



「そこの病院は経済的経営の関係なのか



手術がいっぱいに埋まっていて



半年後になるらしく



そのあと色々説明してくれたけど



心ない事ばかり言われてあまり



いい印象がなかったから



別の病院にしたんだって」って



教えてくれたの



その事を聞いて



私の中では



どうしようと益々迷いが生まれてしまったの



でも友人から聞く事によって



時間を無駄にする事がなくなった事は



とってもありがたく感じているの



私が通っていた病院は



元々シスターが常駐していて



特に何かをするという事ではないのだけれど



しずんでいると話しかけてくださったり



時には聖書を頂いたり



ある時にはホルモン剤の副作用で



どんどん変わってゆく自分の体形と心に



大きく苦しんでいた私のそばに来て



「あなたはグラマーでうらやましいわ



私なんて骨と皮しかないのよ(笑)」と



何気ない会話が嬉しかったり・・・



でもこの数年経営的に元々



豊かではなかった病院なので



どこかの病院が経営を握り



不安定なまま務められている方や



先生たちも変わり



気がつくとシスターの姿も見る事がなくなり



何かその小さな変化に決断をなかなかできず



今日まで来てしまったの



なので今も本当にここで良いのか



毎日情報が届けられるのを待っていて



できるだけその問題を心にとめて



人から何気なく溢れる言葉や会話に



意識を集中して過ごしているの



私の周りはありがたいくらい



病院と縁がない方が多いので



どうしても体験された方の情報が少なく



時には私独自の考えなのだけれど



ある方にとっては合わなくっても



私にとっては合う場合もあるし・・・との考え方が



逆に複雑にしてしまっていたり・・・



結局いつものようにアドバイスや知識よりも



自分の体験が全ての所があって



何でも遠回りになってしまうの



でもそれが私の弱さをカバーしてくれている



もののように感じているの



私は弱い人間だから



誰かの導きのまま行動し



もしも思うように形にならなかった場合



私はきっと人のせいにして



自分の失敗には瞳を向けられない人だと思うの



だから誰のせいでもなく



自分の人生は自分のもので



自分に責任がある事を感じ歩んでゆくためには



自分が納得する形でなければっていう思いが



いつもあるのかなって感じているの













最近パワースポットが



ブームになっているけれど



特に大きくメディアに紹介は



されていない場所でも



昔からのパワースポットは



日本全国に幾つもあるの



ただ多くのパワースポットは



人が多く集まるようになってから


エネルギーを感じられなくなった場所も



多ように感じているの



ある神社の片隅には



湧水が湧いていて



ある方はそこのお水を飲むと



身体の調子が良くなると



表現していたので足を運んでみると



みんな自分に必要な分量で早く



次の方に譲れるようにしていたのだけれど



ある時何かのメディアで紹介されたようで



人が溢れていて



時には怒鳴りあうような声が響いていたり



次の方の事を考えず



一つしかない湧水が湧く



場所にいくつもポリタンクを用意し



昔から足を運んでいた方たちは



あきらめて帰っていたの



私も何となくその空間が心地よく感じられず



別の日にまた来ようと思い帰ったの



そして数週間



もう多くの方のブームも終わったかなっと思い



足を運んでみると



近くで工事がありその事で湧水が



泥水に変わってしまい飲めなくなった事を



教えていただいたの



その時直接の原因は近くでの



工事かもしれないけれど



何か深い意味があるようにさえ



感じていたの



お話は少し違うけれど



この間家族と森の中に足を運んだの



今北海道は自然の恵みに溢れていて



その恵みを頂こうと森に行き



そこでは聞いた事のないような鳥のさえずりや



木々のゆれる心地のよい音と光に包まれ



とっても幸せな気持ちだったの



そして母は動く事があまり得意ではないので



座る場所を



探しちょうどよい感じの岩を見つけ



座っていたの



その時母が「この岩太陽の熱であったかいの



私みたいに冷え性のは気持ちがい」と



表現していて



その時私がいつも足を運んでいる



岩盤浴の事と重なり



改めて自然は人間に必要なものをすべて



この地球に用意してくれていて



あとは直感的に見つけられたり開発され



人間が使えるようにする技術の知恵も



自然の神々が私たちに



与えてくれているんじゃないかなって



感じていたの



昔から人間の都合だけで



木々を切り倒すと様々な災いがあるというのも



こんなに進んだ現代でもあって



ある場所には不自然に木を避けて



道が作られていたりするのも



木々に宿る精霊を知っていたり



感じられる方たちが



大切にされているからなんじゃ



ないかなって感じているの



私たち日本人はよく宗教心が



世界の中でもあまり強くなく無宗教な事に



あまりよくない思いを持たれている方も



いるようなのだけれど



私が感じているのはその逆で



特定のこだわりや思いを持ったりすることで



対立という愛のない世界が生まれる事を



深い部分で知っていて



目に見える形のものにすがるという事ではなく



この地球が誕生した時からある



太陽や自然の存在する木々




石や岩・精霊などから



直感的に学び・感謝し



日々太陽が見返りを期待しない



どこまでも注いでくれる光に



人間の思いを重ねたり



特定のものでなくっても



日本人は気づき学び



精神の成長をさせられる優れた能力が



備わっているのだと思うの



だからこそ今日本では



個性的な価値観を持っていて



世界基準では



価値のないものであったとしても



自分にとって大切というものを持っていて



日本と言う小さなスペースでも



様々なものが発展しているのだと思うの



そして今の時代は



人がそれぞれ持つ個性を許し合い認め合う事が



ゆっりと実現されていて



一色に染まる危険も



息苦しさも小さくなってきてると思うの



今でもあるスペースでは



自分と歩みが違う人を



意味なく否定しなければ



自分の生き方を肯定できない方もいるけれど



その事にも意味がない事を



多くの方たちは気づき



あの人はあの人



私は私



違うものを探し合ったり



その方にないものを見つけダメージを与えたり



自分のあるもので優越感をもつのも



その事で自分が幸せになれるものではない事も



深い部分で多くの方が



気づいてきていて



良い意味で自分に意識を



向けられている方も多いと思うの



なので逆に



今まで見つめる事のなかったものが



一気に溢れだし



劣等感を感じたり不安を瞬間的に



感じられかたもいるかもしれないけれど



どっちにして遅かれ早かれ



解決しなければならない亊なのだから



心の体力がある時に



その様な問題と向き合えた事は



本来幸運なタイミングなのだと思うの



そしてそのスタートラインから前に進んだ時



何となく気を紛らわせ過ごしてきた1年と



心の問題と向き合い瞬間的ではあるけれど



心の嵐を体験した1年では



きっと結果はまるで違ってくると思うの



気を紛らわせいつも過ごしていた場合は



次から次へと終わる事のない



小さな問題がいつもあって



その原因を見ないように過ごし



続けなければいけないと思うの



でも心の嵐を体験し過ごされた方にとっては



自分と言う存在が抱えている



重荷の正体を知り



あとは自分の決断で



どんなふうにでもなる事がわかり



最終的には大空に大きな虹がかかった



晴れ渡る心の世界が



広がっていると思うの



誤解してほしくないのは



これは苦労をかってでもするという事ではなく



どんなに周りの動き



周りの空気を読む事をしてきても



最終的にはすべての人が



最も知らなければいけないのは



自分自身の事だと思うの



一見わがままに映る事であっても



自分の真理と重なるのではれば



その事を通してもかまわないと思うの



ある落語家の方が昔表現していた言葉で



「いい人と言うのはそいつにとって



都合のいいやつ」という



表現をされていて



その言葉はある意味では



当てはまる部分もあると思うの



良い人と表現される方は



懸命に自分の思いを抑え込み



相手が望む事をいつも感じ取り



その様に行動し努力されていると思うの



でも実際にその良い人が大変になった時



皆が同じように望む事を感じ取り



手渡してくれるとは限らないと思うの



そのように少し



心に氷のようなものを



ひとつ入れてあげる事で



冷静に自分が自分らしく



生きるための選択が


見えてくるんじゃないかなって



感じているの












どんなに世界中が



危険に包まれていたとしても



自分で何一つ



コントロールできなかったとしても



幼子にとっては



母親に抱かれる



その小さな小さな世界は



無条件でやすらげる



安全地帯だと思うの



そして私たちはその感覚を



自分の意識が目覚める前に



本能的に内なる深い場所に刻まれていて



幼子の頃母親に抱かれていた頃の感覚を



いつでも無意識に探しているんじゃ



ないかなって感じているの



人によっては



その感覚を自分以外の誰かに求め



人との関係での距離を保つことが



難しくなってしまったり



ある人は



自分の深い意識と繋がる事で感じたり・・・



私は自然の中に身を置くときに



いつもまるで幼子だった頃



母親に抱かれているような安心感を感じるの



そしてその自然が無言ではあるけれど



私に分かる形で



様々な事を伝えてくれているのを感じるたびに



様々なものがリフレッシュされてゆくの



しばらく自然に身を置く時間が作れず



久しぶりに都会から足を運ぶと



初めは自分の小ささに気づかされたりと



反省する時間が与えられ



その様な時間をしばらく過ごしていると


今度は



「どんな時もあなたのままでいいんだよ」



「あなたは愛されているんだよ」って


反省によって



たくさんあいてしまった心のスペースに



新たなあたたかい



パワーを注いでくれるの



昔から虫の知らせという言葉があるように



自然の中では



生き物や木々などの植物などが



奇跡的なタイミングで



私にわかる形で歓迎してくれているのを



感じられたり・・・



人はだれでも



ほんの少し意識を



研ぎ澄ましてみると



自分のために与えられた



素敵な贈り物に



気づく事が出来ると思うの



すべては偶然のような形ではあるけれど



よーく考えてみると



ほんの少しタイミングが違えば



見れなかった事



感じられなかった思いがあると思うの



そして時々良い流れを願い



すべてのアクションが何となく



幸せの始まりを



感じさせてくれていたのに



自分の高い魂の知恵や



導きと反比例した事が



次々と繋がり訪れる事もあると思うの



その多くは今まで重ね貯めてきた



今の自分にはフィットしない



ネガティブなものを



手放すよう初めの流れで



与えられる事があると思うの



その時間も



いずれは本格的な



幸せへと移行してゆくから



何も心配はいらないと思うの



そしてもう一つのパターンは



自分のシナリオや考え方で見つめると



良くない流れのように



映るかもしれないけれど



もう少し時間が進むと



自分のシナリオや考え方では



思いつかなかった形で



思いが成し遂げられてゆくのを



感じたりもすると思うの



今の自分がとても良い思考や



心地の良い選択をしていたならば



その思いと反比例した方向に



辿るつく事は



ないんじゃないかなって感じているの



ただその経過が人それぞれで



すぐに光を感じられる方もいれば



言葉では上手に表現できないのだけれど



本来未来に消化してゆく分まで



心の体力を神様に見初められ



消化している方もいたり・・・



私が感じているのは



人から見る形は違っていても



その方それぞれに大変さも悲しみも



乗り越える機会は与えられるけれど



そのタイミングや形が違うだけで



人間の幸・不幸は一生涯にちゃんと



経験し消化し



過ごしていると思うの



だから人を必要以上に



うらやましがる事から



生まれる妬みを持つ必要もないし



自分より大変な人を見て



必要以上に安心感や



優越感を持つ必要もないように感じているの



ある友人は



自分の周りの友達がとっても



経済的に恵まれていて



ビジネスの援助や家を



持つときの援助などを



けている方が多いそうで



そのたびに



自分が何となく



惨めな思いに包まれるようで



「やっぱり親がお金持ちだと



すぐに何の努力もなく



夢がかなっていいよね」って



落ち込んでいたの



でもそれから数年がたつと



ご両親からの経済的援助を受けていた方たちは



なぜか様々なトラブルや



問題が訪れたようで



すべてを手放したそうなのだけれど



何度もサポートできるだけの



経済力はなかった



ご両親たちも今度は



自分たちでどうにかするよう



諭したそうなのだけれど



今まで何でもご両親が必要以上に



手を差し伸べてもらえた方にとっては



自分の力で急に何かを考え行動する事は


とても困難で



今はとても辛い時期を



過ごされているそうなの



そして私の友人は


初めから


両親にサポートしてもらえない事を



認識していたので



初めは惨めな気持ちや



投げやりな思いもあったようだけれど



すべて自分でしっかりと考え選択し



人生を歩んできたこともあって



年齢を重ねてゆくたびに



新たに人生が充実してゆく楽しさを



感じているようで今では



「いっぱい体力のあるときに



色んな苦労してきてよかったと



思ってるよ



今の歳で急に問題が与えられたら



ちょっと生きてゆけないかも



私の良いところは人を



必要以上にあてにして



自分の人生を誰かまかせにしないところだと



気づいたの」と



表現していたの



その言葉を受け取った私も



様々なことを教えられた気がしたの



私も数年前までは



思うようにならない身体や心に



表現してはいけない言葉だけれど



この世界から消えたいと何度も思ったり・・・



そんな時に限って



光り輝く幸せに包まれた人の話が届けられ



うらやましがったり・僻んだりしても



どうしようもない事を



頭ではわかっていても



どうしてもどんどんと溢れだし



その思いの波動と同じようなものを



引き寄せてしまうのか



さらに自分を傷つける言葉を



手渡されたり・・・



でも今にして思うと私を傷つけようと



表現していた言葉ではなく



あいさつ程度にかわした言葉であったり



元気づけようと



言ってくれた言葉ばかりなの



でもこころがいっぱい・いっぱい悲しみや



妬みなどで



埋め尽くされていた私にとっては



その言葉は



私の心に収まる大きさではなく



ただただこの世から消えたい思いを



大きくする機会でしかなかったの



でも今では自分にないものに



意識を向け無くて済むくらい



体調がゆるやかな状態になって



今は笑ってしまうほど夢で神様が私に



様々な事の予行練習をさせてくれているの



ある時には私は手術のために入院していて



本当にいいの?とどこからか声がして



そのたび私は



「私が決めた事だから後悔はしない



私は人に負けたくないという意地や



根性はないけど



たとえ後悔しそうになっても



私が決めた事なら納得できるし



納得させる自信はある」と



泣きながら答えるの



そうしたらぱっと夢から覚めたり



ある時にはなぜだかたくさんの



出産を待つ方たちに囲まれ



たくさんの幸せなお話をされるのだけれど



夢の中でも



その話を本当に澄んだ心で聞き



共に子供たちのとって良い社会を



メージしながら話していたの



その時にも



本当にいいの?とどこからか声がして



このような夢を何度も見ていた私は



「もうわかったよ!私の事を心配して



私が私の本心に



気づくようにとしてくれているんだろうけど



本当に後悔しないって!」って



答えてからは



もうこのような夢は見なくなったの



その時にもありがたいという言葉は



少し違うかもしれないけれど



私が本当に後悔しないために夢で



何度もシュミレーションさせてくれた事に



感謝しているの



このような機会を与えてもらい



改めて自分が本当に手術を望み



今進んでいる事を



感じさせてもらった気がするの



このように瞳には映らないけれど



その存在が誰の元にも存在していて



次元の違う世界に住む母のように感じ



私は今毎日母親に抱かれているような



やすらかな気持ちで過ごしているの









今の時代は昔とは違い



良い意味でもそうではない意味でも



様々な意見や知恵が溢れていて



迷いが多くなられた方も多いと思うの



ある本にはこれがいい!と



書かれていたと思うと



別の本には真逆の事が書かれていたり・・・



様々な分野でその様な事が見つかると思うの



そのため何を信じたらよいのかと



迷われる方の多いと思うの



私が感じているのは



今の時代がもたらしてくれている豊かさは



きっと自分の感覚を信じる事の大切さを



教えてくれているんじゃないかなって



感じているの



この間友人が歯医者さんに足を運ぶと



放っておいた事を叱られ



友人の気持ちを聞く事もなく



歯を抜く事を伝えられ



「え!?」って思った友人は



他の歯医者さんにも



足を運んでみようかなって思ったようで



これから長いお付き合いができそうな



歯医者さんを探す事にしたようなの



そうしたら歯医者さんによって



治療方法も様々で



その分野の素人にはどれが良いのか分からず



しばらく悩み



結局自分の直感で決めたそうなの



その話を聞きながら



とってもわかる・わかるってうなずいていたの



私の子宮の病に対しても



早急に手術を勧めてくる方もいれば



温存を進められる方もいたり・・・



そのどちらも結局は正しいのだけれど



どちらが良いかは



その方それぞれで最終的には



自分の感覚を信頼する事が求められると思うの



そして自分はどうしたいのかで



治療方法に違和感を



感じたりもすると思うの



私の場合は初めての診療で



手術しかないような事を



伝えられて驚いた事があったけれど



その時には病だった事だけでも



ショックで



その事をパートナーに伝えた時の



なんとも言葉にできない表情を見た私は



その後の事など考えられる



状況ではなかったので



その時には



その先生の流れはフィットしなかったけれど



逆に今の私に温存治療を進め



また薬を手放せない



治療法を勧められても



ちょっと違うかなって



思ってしまうと思うの



なのでやはりその時々の自分が



自分にとって良いと思える



選択をしなければならない



機会が与えられると思うの



今の時代は一色の情報以外にも



様々な選択肢を持てるほどに



様々な分野の方が様々な良き知恵を



与えてくださるのは



決して不安にさせたり



迷わせたりするためではなく



何度も何度も自分を信頼する感覚を



養うためなんじゃないかなって



感じているの



今の時代は過去のデーターが



あまり信頼できなくなってきている事もあって



新たに個人個人が書き換える時代に



なってきているように感じているの



今までならば



同じ体験から感じた事や流れがあって



それを聞いた方は体験することなく



失敗しないだろうと思われる



選択をしてきたけれど



その事が必ずしも同じ思いや



流れにならない事もあると思うの



その事で無意識に選択した自分ではなく



体験から感じた事や流れを伝えた方に



責任転換してきた事もあった時代だけれど



これからは



「あのひとはこうだったけれど



私はこうしようと思うの」って



自分を信頼する歩みが始まっているんじゃ



ないかなって感じているの



昔から日本では人を信頼する



素晴らしさを表現されてきたけれど



時々本当の信頼とは違い



自分が責任を問われたり



持ったりする事を避けるために



誰かに委ねていた事も多かったように思うの



でも今の時代は



その様な流れではいつの間にか



自分が望まない方向へと



流されてしまうと思うの



私自身も



ほんの小さな些細な事であっても



人に言えず時には



自分さえ我慢したらそれでいいかもって



思う事もあるのだけれど



この事も一見



相手を思いやり選択した行動のように



感じられるかもしれないけれど



私の場合はきっといつも



そこから問題が生まれてきたら



対処に困る自分が想像つくから



何もしない事が良いと



自分を納得させているだけだと思うの



自分が行動する事から



すべてが自分の責任になる事を恐れて



いつも真ん中にいようとしているだけのように



感じているの



なのでそんな私には



いつも自分の思いを伝えなければならない機会が



宿題のように届けられ



どうしようって困っていると



パートナーに「別に嫌われてもいいんだから



思った事を伝えた方がいいよ」と



伝えられ



私が「だってこれ以上問題が大きくなったら



その事にいつまでも関わらなければならないし



私の責任が増えちゃう」と言うと



パートナーが



「え?責任って何?誰かがいる問題なら



お互い自分の事だけに



責任を持てばいいだけで



何で相手の責任まで抱えちゃうの?



わけがわからない」と



笑われてしまうの



きっとパートナーは



心がちゃんと機能していて



その様な環境で育ってきたのだと思うの



私の場合は



意見を表現しようとすると



言い訳と受け止められる



環境で育ったので



ある部分ではとっても偏った心の機能が



時々ある分野で顔を出してしまうので



自分を追い込んでしまう事がある事を



パートナーの何気ない言葉から



教えられた気がしたの



昔から



人に物事を頼める方



がいつもうらやましくって



私も時には



お願いしたいなって



思いはあるのだけれど



お願いされる事には慣れていても



お願いする事には



少し不慣れなの



その時ふっと人は自分の心の視界からしか



すべてを見る事が出来ないと



伝えられている事を思うと



私自身



人に物事を頼まれ受けているけれど



本当は嫌な時もあって



その思いがわかるから



人にお願いできないんかなって



ふっと感じていたの



逆に人に物事を頼める方は



頼まれても快く引き受けられるから



人もそうだと思っているのかなって



感じたの



だから罪悪感を生み出すことなく



自分が出来ない事やしてほしい事を



表現できるのかなって思うと



私って逆にとっても嫌な人なんじゃないかなって



感じたの



でもそう思うと優しさや思いやり・



責任と思いこんでいるものが



本当はそうではなく



優しさや思いやり・責任がない私だからこそ



その部分にこだわり



その部分を問われる事を



怖れているのかなって



感じていたの











よく人生が人から見て輝いていない方を



何かのきっかけで表現する時に



「あの人は努力が足りないから



あのような生き方になった」とか



「あの人は努力が足りないから


人生がうまくいかない」などの



表現がされる事があるけれど



本当にそうなのかなって



時々感じているの



私が感じているのは最終結果が整った時には



どんな形であっても努力をした結果だと



原因と結果の答えを導き出すけれど



それはそれ以外の原因を



特定する事が難しいから



一番わかりやすい形で表現していたり



逆に最終結果が整った方への祝福も込めて



その様な言葉を



表現しているだけだと思うの



そこで運やタイミングだけが



良かったと表現してしまうと



その方の努力や行動を



否定してしまう事になってしまうから・・・



だからといって



最終結果が整わなかった方が



努力をしていないかと



言うとそうではなく



その方それぞれに考えられる形で



努力や行動を重ねていても



実を結ばなかっただけだと思うの



別の角度から見つめると



人生の中では努力が



必ずしも実を結ぶとは限らず



その方それぞれに現世に持ち込んだ



強い使命や意味もあると思うから



努力だけでは越えられない壁は



どうしてもあると思うの



でも努力した事の意味は



もう少し後になれば



必ず役立つ日が訪れるのだけれど



人はその時・思いが遂げられたか



そうではなかったかで測ってしまうから



努力が実を結ばないと



自分の人生を悲観してしまったり



世の中の不公平感に



光が見えなくなることも



あるかもしれないけれど



人生は帳尻があっていて



形やタイミングは違うけれど



悲しみ喜びの分量は同じように



調整されていると思うの



上手に言葉に表現できないのだけれど



ただ何よりも自分を



闇の中に閉じ込めているのは



自分が理想と思いこんでいる事に



努力を重ね



人が望む道を歩んでいる事に



気づけない自分だと思うの



誰かが提案している幸せを



何の根拠もなく自分の幸せだと思いこみ



そのスペースに収まっていないと



自分がだめだと



思いこんでしまっている方もいると思うの



でも冷静にゆっくりと心穏やかに



自分の事を見つめる時間を持てるのならば



その時改めて人の意見や考え方は別にして



自分が求めている幸せの形や



日頃自分が笑顔になっている時間を



思い出してみると



多くの場合は人とは違った



個性的な幸せや喜びを



見つける事が出来ると思うの



その中には本当は努力と言う形の時間を



注ぐに値するものもあるはずだと思うの



その思いがフィットしていたならば



自分でも思いもよらないほどの



実り多き充実感があると思うの



私が感じているのは



努力をしたからとか



努力をしないからというのは



本当はあまり関係なく



自分に適していたかどうか?



人生に本当に必要だったのか?



自分が本当に望んでいるのか?の



違いだと思うの



少しお話は違うけれど



私の友人はとっても歯を大切にしていて



食事あとはもちろん



カフェなどで飲み物を飲んだ後にも



歯を磨いているの



でも私の周りのだれよりも虫歯が多く



いつも不思議に思うくらいなの



かと思うと



とってもおおらかで



時間がない時や夜飲んで帰った後に



そのまま寝てしまい



頻繁に磨く事がない友人は



歯医者さんとの



ご縁はほとんどなかったり・・・



このようなことと似たような事が



人生にもあるんじゃないかなって



感じているの



このように努力したら



必ずこのよな結果になるという



保障があるのならば



みんなが同じ結果になると思うの



でもその方それぞれに持った



個性の違いで



努力の形も結果の形も



違うものなのだから



努力だけが原因や要因ではないと思うの



だから何かに努力を重ね



その事が思ったような形に



整わなかったからといって



自分を責めることも



誰かを責める必要もないように



感じているの