2010年5月






人によって楽だと感じられる事や



幸せだと感じられる事は



本当に様々だと思うの



私の周りは様々なライフスタイルの人が



まるで違う選択肢の中で



過ごしているはずなのに



特に違和感なく



仲良くさせてもらっているの



ある知り合いは



自由を愛し



自分の思いを大事にするあまり



その時々



パートナーと結婚・離婚を



何度も繰り返し




そのたびに



本来ならば様々な大変な事を乗り越えて



人生に退屈することなく



生きていたり




そしてまたある知り合いは



様々なプレッシャーの中で



仕事を続けてきて



ちょうど人生を考える時期



特に大好きだったわけではないけれど



支えになってくれると感じた



パートナーと結婚し



天使も授かり



あんなに仕事命の方だったのに



今では素敵なお母さんになっているの



彼女が無意識に



漠然と抱えていた将来の不安が



家族を持つ事で解消されたみたいで



自由は少ないけれど幸せそうなの



女性が自由に生き方を



選べる時代とはいえ



それがまだまだスタンダードとはいえず



その時々の心が選ぶものと共に



ライフスタイルを選び



過ごす事は少し難しいけれど



それでも自分と言う存在を見つめ



自分が本当に望んでいる事を



実現されている方も



広がっているとは思うの



それにはとっても勇気が必要で



人に幸せだと見られたいという



女性特有の幸せの演出ではなく



逆に人から少し



かわいそうに映ってしまう形であっても



幸せかどうかは



本人が決める事なのだから・・・



どんな生き方であっても



否定的な表現をする方もいるけれど



それはたんに



その方が満たされない思いを



自分で肯定するために



無意識にそうしてしまうだけだったり



自分が満たしたいものを



満たしている方が



うらやましい場合もあると思うの




その言葉だけに



反応する必要はないように



感じているの



よく聞く言葉なのだけれど



たとえば一人で過ごされる方で



自分を満たしていない方は



結婚されている方や



シングルマザーの方に



「今はいいけど



いずれ一人になった時は



どうするの?」など



不安の種を手渡されたり



逆に結婚されている方や



シングルマザーの方は



一人で過ごされている方に



「今は一人で楽しいかもしれないけれど



年をとった時どうするの?」と



同じニュアンスの



不安の種を手渡されたり・・・



結局形は違っていても



誰でも未知なる未体験の事には



漠然とした不安があって



その部分にスポットが当たってしまうと



漠然とした不安に包まれて



本当に自分が望むものが



見えなくなってしまう事もあるんじゃ



ないかなって思うの



でも私が思うのは



今まではある一定年齢になると



結婚されている方の方が



していない方よりも多かったけれど



これからの時代は同じ数に近づき



良い意味でバランスが整ってくるように



感じているの


なので今までには作られていなかった



ベースが見直され



一人の方であっても



今考え思うほどの不安的な展開には



ならないように



感じているの



なぜならば世界はビジネス的な展開を



人の求めるニーズで測り



新たに様々なものが創造され



時代というものが



変わってくるのだから・・・



そして今までのように



スタンダードな幸せの形に



いる方たちにも



今よりは様々なものが見直され


今までのように良い意味で



人が多すぎない事もあって



ひとり・一人が大切な存在として



子供たちにも多くの可能性を



受け取れる時代へと変化してゆくように



感じているの



確かなものは今の自分の気持ちだけで



将来に様々なものを備えても



未来は未来で普遍的に



今よりも変化していて



あらゆるものの価値も変わっているのだから



未来に確かなものを築いてゆく事は



難しいんじゃないかなって



感じているの



今の自分の心が定める



様々な選択が



未来と繋がっているだけで



そこを飛び越えて



未来に何かを築く事はできないんじゃ



ないかなって



思うの



将来に後悔しないためではなく



今の自分が後悔しないものを



受け取ってゆくと



最終的には自分らしい幸せな人生が



創造されてゆくんじゃないかなって



感じているの












この間知り合いたちと



年を重ねる事について



話していたの



女性は容姿や体調



そして家族の事など



年を重ねるように



たくさん思う事があるけれど



私自身は年齢を重ねてゆく事の



歓びをここ1~2年実感として



感じているの


年齢が重なるほど



人が持つイメージというものがあって



30代の頃は年齢を



あまり表現しなかったのだけれど



40代になったとたん



聞かれてもいないのに



「私40代だから」と



表現しているの


そうすると40代の割には・・・と



つくのだけれど



「肌がきれい」「若い」など



嬉しい言葉を手渡してもらえるの



そしてそれ以上に



私の人生に


光をもたらしてくれているのは



ごあいさつがわりの



「子供を産まないの?」という言葉も



一般的なイメージとして



40代の方には



表現しないようで



その答えに困る事もなくなったの



その事が自分で思っていた以上に



人と会う事を軽くしてくれていて



そのたびに年を重ねても



いい事はちゃんと



用意されているんだなって



改めて神様に感謝しているの



両親ともこの間



何気なく話している時



私が年齢を表現すると



「芸能人など有名な人は



高齢出産しているけど



一般的には40代になったら



誰も期待はしないよ



産む事はもっと年齢が



上でもできるけど



実際大変なのは子育てだから」と



表現していたの



人によっては



高齢でも望みを持ち



努力を重ねている方ならば



このような表現は



あまり好ましくない言葉だと



思うのだけれど



私の場合は



手術のネックになっていた一つに



両親の無言の期待もあったので



少し大げさだけれど



翼が生えたように



軽い気持ちになり



後は納得した形で



手術を考えられるので



ありがたい気持ちに包まれていたの



知り合いは年齢を重ねるごとに



柔軟になっている自分に



我ながら驚いていると



表現していて



昔ならば



絶対に自分と考えが違う人に



自分の考え方の正しさを証明するために



議論をし



時には



自分と考えの違う人を



会っていない間も我慢が出来ず否定し



「あの人みんなに嫌われていると思う」と



大多数の人が



自分の意見と同じだと



納得させなければ



気が済まなかったようなのだけれど



最近では



思いもよらず考え方や見方が



面白いとさえ感じ



人と付き合い事が



苦痛ではなくなって



人とのふれあいが



楽しめるようになったようなの



私は知り合いのように



まだまだ柔軟ではないけれど



そんな友人を見つめながら



年を重ねる事で失うもの以上に



得るものもいっぱいある事を



気づかせてもらっているの












自分の幸せってなんだろうって



何となく考えてみると



今の私にとっては



ただただ心のままに



過ごせることだと



感じたの



病になってからは



どんなに気持ちが強く持っていても



やはり身体のコンディションに



お伺いを立てなければ



行動できず



時には身体も心も自分なのに



いつもふたつの答えが



フィットしなければ



前に進めずに過ごしてきたので



今は先導してくれるのが



いつも心や気持ちでいたいかなって



思っていて



そう考えると解放される日が



今は心の支えとなっていて



不安よりも楽しみの方が大きいの



そんな中



ふっと感じたのが



無意識や間接的ではあるけれど



自分の幸せを作ってゆく時



誰かの望む形を



消してしまう事も



あると思うの



私の場合は



両親が孫を抱く夢を



持っているのだけれど



自分の幸せのためには



その夢をかなえては



あげられなくなったり・・・



他の事柄でも



そういう事ってあるんじゃないかなって



感じているの



昔とっても仲が良かった友人がいて



その友人は将来のヴィジョンを



早い段階で持っていたようで



一人で生活できるよう様々な角度で



不安に思う事を



解消していたのだけれど



その頃何気ない会話の時に友人が



「年をとったらお互いに大変なだから



同じマンションに住まない?」とか



長い時間



私が過ごす大切なスペースにも



通おうかと考えている事を



伝えられていたのだけれど



そのたび私は


「将来の事はまだわかんないな」と



伝えていて



その頃



今のパートナーと暮らすようになって



ある意味で



友人が描く夢は



消えてしまったと思うの



そう思うと



自分の幸せを手にする時には



本当の意味で幸せにならなければ



いけないような



気がしていたの



立場は違っていても



誰でも自分の描くヴィジョンの中に



相手がある場合には



その方の幸せの形もあるのだから



できれば



それは認められる自分で



いたいなって思ったの



この間性同一障害で



男性から女性になった



知り合いと話していた時



とても共感してくれて



「自分の幸せを通すために



大切な人を悲しませるのだから



絶対に幸せにならなければって



いつも自分を



笑顔にしてあげる事を指揮している」と



表現していて



本当にその通りだなって



感じていたの



そして誰でも自分の価値観で考え



相手の立場だったらと考えて



行動する事があるけれど



必ずしもその価値観が



フィットする事ばかりではなく



逆にあまり考えないで



何気なく表現した言葉に



人は救われたり・・・



それが相性だったり



その人の心のコンディションによって



その時はフィットしなかったり・・・



人は繊細で複雑な生きものなので



その繊細で複雑なタイミングをすべて



読み解く事は



とっても難しいと思うの



だから周りの動きや空気を読みながら



自分の幸せをあきらめてしまっては



いけないように感じているの



そして自分の幸せを受け取る事に



罪悪感を持つことも



必要のない思いだと思うの



言葉で上手に



表現できないのだけれど



誰もがただただ



自分の幸せを築くために



形は違っていても



がんばっているだけで



必要以上に



うらやましがる必要もないし



妬む必要もないと思うの



自分のコンディションのバランスが



整っていない時には



自分が持っていないものが



何となくとっても輝いて見えて



その持っていないものを持っている方を



意味なく僻んでしまったり



自分の人生が



意味なく思えてきたりする事も



あるけれど



心のバランスが整い



冷静になった時に



同じ事を考えてみると



本当は自分が持っていないものを



必要としなかったから



追い求めなかった



自分の姿が見えてきて



これでいいんだって



思えてくると思うの



なぜならば



自分の幸せは



自分にしか分からないもので



誰もが誰かの人生を



変わってあげることも



変わってもらう事も出来ず



自分しか受け取れないのだから・・・










私たちの人生は



時々自分が考えもしなかった道を



歩み始める事があると思うの



始まりのきっかけは自分の意思で



決めてスタートするけれど



その流れの中で



自分が考えていた以上のものを



ギフトとして受け取ったり・・・



そうしてゆくうちに



改めて自分の感情に気づき



自分が求めていたものが



見つかったり・・・



人生には必ず誰もが



必要な何かを満たすために



生まれ変わってきているけれど



その満たすためのものに



自分の意識だけでは



なかなか気づく事は難しいので



神様がちゃんとそちらの方へと導き



その方それぞれに



フィットした進むきっかけを



与えてくださっているように



感じているの



以前も伝えたことだけれど



神様は完璧な存在なのだから



その完璧な神様が創造した人間は



たとえ失敗を重ねてしまっても



それさえも神様の完璧なプログラムだと



感じていて



忘れたい出来事であっても



その方にはそんな辛い体験に耐え



人生に必要な何かを



満たすヒントや答えを



見つけ出す力があるからこぞ



そのスペースへ



導かれていると思うの



その方だからこそ



辛い事を辛いという現実だけで



見つめずに



何かを見つけられる事を



神様は知っているから・・・



たとえ現実の目の前に



自分の事を理解してくれる人が



たとえいなかったとしても



ちゃんとどんな時も見つめ



見守ってくれている存在がいるのだから



自分の正しさを一生懸命に



誰かに証明する必要もないし



自分らしく今過ごすスペースで



できる事を消化し



自分の心のささやきに



できる範囲で



正直に歩んでゆけば



それで十分なんじゃないかなって



感じているの



私事だけれど



独身の頃



いつもありがたいくらいに



私の自由のために



サポートしてくれている人がいて


何でもその人を当てにして



動いていたのだけれど



たまたまその人がある日用事が



急に入ってしまった事があったの



でもその日は数日前に借りた



レンタルビデオを返さなければならない日で



しかも遠い町で借りてしまった事もあって



歩いてゆく事も出来ないし



タクシーに乗って返しにゆくには



あまりにも高額になってしまう事もあって



私の頭の中は少しパニックになって



責められる立場でもないのに



相手を責めてどうにか



自分の思いを実現しようとしたのだけれど



どうしても無理だったの



そして一人でどうしようかと



あれこれと考えながら思ったのは



私はいつも勝手に



自分の描くストーリーのまま



相手の都合までも考えられず



行動してしまった事が



原因なんじゃないかなって



感じていたの



そしてこれからは



自分でできる範囲で



物事を考え行動しようと



やっと当たり前の事に



気づいていたの



そして今回は



同じ事は起こらないのだから



自分でタクシーに乗って



返しに行こうと



決めたの



そして用意をしていると



ずっと会っていない友人から



日帰り温泉のお誘いがあって



その場所に行く途中に



レンタルビデオ屋さんがあるので



友人に寄ってもらってよいかを尋ねると



「私も借りたいのあるからいいよ」と



いってくれたの



電話を切ってから



ふっと神様が



だたしい答えを良く見つけましたね



わかったならば



それでいいのよって



助け船を出してくれた気がしたの



事柄は違っていても



このような形で



色々な事に気づかせてくれると思うの



今回書かせていただいた事は



私以外の方にとってみれば



当たり前すぎて



初歩的な事だとは思うのだけれど



私にとっては



このような形のレベルの方が



理解しやすいと



神様は


お考えくださったことだと思うの



一般的な年齢相応の



レベルというイメージは



あるかもしれないけれど



私は多くの方のように



学校や社会経験のベースがないので



その事を神様はちゃんと



わかってくれていて



私にわかるように人生を満たす



手助けをしてくれているんじゃ



ないかなって



感じているの



私は自分のわがままから



よくパートナーが



自分の人生を満たし歩もうとする時



自分の考えや行動を



押し付けてしまっていた事が



あったのだけれど



そんな時に病になり



今まで漠然と神様は



私が悲しむ事はしないと



思っていた気持に疑問が溢れ



自分が自分ではないような



考えばかり



するようになっていた事も



多くなって



どうする事も出来ない思いを



パートナーにぶつけていた事が



あったのだけれど



そんな時いつもパートナーが



「さーちゃんは運がいいよね



ちゃんと神様が俺みたいな人を与えて



自分一人で何でもしなくって



済むようにしてくれているんだから」と



笑いながら伝えてくれたの



その言葉は



私が漠然と信じている神様が



私を見放したわけではない事と共に



人に頼る事が幼いころから苦手で



思いをパートナーにぶつけながら



罪悪感いっぱいになっている私に



思ったままに



無理せずにいていいんだよと



教えてくれているように感じたの



それからは



人に頼ることのありがたさと



傲慢な自分に恥ずかしくなっていたの



よく両親はパートナーの事は



「神様が与えてくれた人」と



表現するので



今では様々な出来事はあるけれど



私の人生に多くのものを



与えてくれる存在だと思って



この人生で出会えた事に



感謝しているの









仲が良い友達は



時々仕事などで



フラストレーションが



抑えきれなくなってしまうと



私に



「さーちゃんのように



学歴・職歴もなくのんきな人は



絶対に社会で生きていけないよ




だってetc・・・」と



表現する事があるのだけれど



以前はその言葉だけに反応し



事実なのに



落ち込んでしまったり・・・



何でこんな事を



言われなければいけないのって



思っていた事が



あったのだけれど



ある時



違う角度から見つめてみると



私がないもの



すべてある友人であっても



社会の中で大変なのだから



人から見つめて



色々なものを持っていない



私ではあるけれど



笑顔で過ごせているのだから



上出来なのかなって



感じるようになったの



私の場合



怒りや落ち込みが



生まれるタイミングって



事実であっても



それを受け取ってしまうと



まるで駄目な自分を



自分が認めてしまうんじゃないかと



感じて



怒りや悲しみで



蓋をしていたと思うのだけれど



見つめる角度を変えてみると



受け取ったからといって



だめな自分を



認めているというわけではなく



人からそう見えてしまうくらい



困難なはずなのに



毎日何となく幸せでいる事自体が



もしかしたら奇跡的なんだよって



教えてくれている機会なのかなって



思うようになったの



そして無意識に



相手に自分への評価を



過度に期待していて



その期待数値が大きければ大きい程



違った評価になると



落ち込んでしまったり



悲しくなってしまったりするのだと



思うの



そして



自分が求め望む言葉が表現されるまで



まるで連想ゲームのように



何となく誘導する言葉を



表現してしまっていたり・・・



どんな事であっても



見つめる角度を



ほんの少し変えただけで



実は自分がどんなに恵まれ



素敵な人生を



過ごしてくれているのかを



知る素敵な時間へと



変えて行けると思うの



私の世代は



バブル世代という枠になるのだけれど



私と同じ世代の方の多くは



とっても前向きで



今日よりも明日



何か発展している時代を



歩んできた事もあって



無意識に周りにも自分にも



進歩を求めすぎてしまい



わざわざプレッシャーやストレスを



生み出しやすい世代のように



感じているの



でももう少しゆっくりと



人生を見つめてみる事が出来るならば



焦って色々な事を



人生に詰め込んでも



すべてはタイミングや



そこで起こるハプニングによって



実際には



そう変わらないものだという事を



事実として受け止められたならば



今までは何かをしていない自分を



受け入れられなかったり



落ち込んでしまう事が





今度は過度な期待がない分



小さな出来事が嬉しくなったりして



毎日が小さな奇跡で溢れてくると思うの



スタートラインの



底上げをしていた事実に気づき



良い意味で現実的なスタートラインに



設定してみるのも



決してネガティブな事ではなく



とっても前向きな事だと思うの



何となく私たちの中には



何も考えず進む事が前向きな人で



その逆がネガティブだと思いがちだけれど



本当はそうではないように感じているの



私の周りには



前向きと映る方がいるけれど



冷静に見つめてみると



自分の都合で考える事をせず



そのあとすべて誰かが



その方の事をサポートしているの



そしてそのサポートを



されている方たちは



その方と接するたびに



逆にネガティブになっている姿を



見つめていると



私が感じる本来の



前向きな思考とは思えないの



人はだれでも共鳴し合うという形で



繋がりあっているから



本当に前向きな方と出会うと



自然に自分の心が軽くなったり



何か間接席にインスピレーションを



与えてもらったりしながら



最終的に出会えてよかったと



感じあえるものだと



思っているの



私の知り合いにはその方とは逆に



ネガティブな思考の方がいるけれど



その方は不思議な魅力があって



彼がマイナス思考で話せば話すほど



周りが知らず知らずに



プラスの言葉が溢れてきて



とっても皆笑顔になり



エネルギーが溢れてくるの



きっとその方は



誰もの中に宿っている



前向きな思考を目覚めさせる能力が



あるんじゃないかなって



感じているの



人間は誰でも



前向きがマイナスよりは



良い事は知っているけれど



時には押しつけのように



良い言葉や考え方を



伝えられても



素直に受け取れない事もあって



ポジティブな言葉を表現する自分に



酔っているだけの場合も



あると思うの



その感覚を



多くの感性豊かな形は



感じ取ってしまうものだと思うの



人間の中に宿るものはそう変わらず



たまたま心身のコンディションや



心の状態によって



働いているスペースが違うだけで



本当はそう変わらない気がしているの



誰でも立ち上がる力は備わっているし



教えられなくっても


わかっている事も



いっぱいあるけれど



その時・その時



力となる



言葉やサポートの形が違っていて



それがその人の個性として



映っているように



感じているの



ある意味



意識が強くまっすぐに



歩んでいる人ほど



何かのきっかけで


戻るののが困難になったりするけれど



一見優柔不断に映り


はっきりとした自分を



持っていないように思われる人の方が



柔軟でユラユラとしながらも


しなやかに



自分の定位置に戻る事が



あると思うの



それはまるで



地震などの耐久研究で用いられた



方法にとっても



似ているように感じているの



最近の橋や建物は


少しの振動でも



あえて揺れるように設計されていて



大丈夫かなって



思うような揺れを



感じる事があるけれど



そのおかげで揺れに身を任せ



衝撃をそのまま



受けてしまわないようになっていて



昔よりも逆に



長持ちする事を知って



人の歩みにもその様な部分が



必要なんじゃないかなって



感じていたの












この間



今天使の予約が入っている知り合いと



話していた時



様々な事に気づく



素敵な機会を



与えてもらっていたの



友人は懐妊してから



食べ物の好みが変わり



自分は好きではないものなのに



それが食べたくって仕方なく



食べないでいると



体調がすぐれなくなるので



食べている話をしていて



初めての事なので



とっても不安そうだったの



その時



ふっと私が



母から聞いた話を思いだし



友人に



「母親が私を妊娠した時



無性にトマトが



食べたくって食べたくって



毎日大量のトマトを



食べていたみたいなの


でも母親は



トマトは好きではないので



おいしいとは



思わなかったみたいだから



その子供が求めているものを



与えているだけだから


きっと心配ないよ」と



伝えたら



何となく納得して



今から誕生する天使を楽しみに



その御一緒にベビー服などを



見に行ったの



その後おうちに帰ってみると



他の知り合いから電話があって



もらったミート缶や



トマトを宅配ボックスに入れたから



食べてって



たくさんのトマトとトマトの加工食品を



受け取ったの



私の周りでは



トマトがあまり好きではない人が多いので



誰かから



トマトやトマト製品をもらうと



すべて私のもとに届けられるので



ありがたいくらい



トマトな毎日を過ごしているの



その時ふっと



他の角度から感じるものがあったの



少しお話は違うかもしれないけれど



私たちは経済の豊かさを求め



その大きな理由は



欲しいものを経済と



交換し得られる事を



知っているからだと思うの



そして時には元々の理由を忘れ



経済数値が大きくなければ



不安を感じたり



自分は豊かではないと感じ


何も手にできないような



錯覚に包まれる事があるけれど


本当は欲しいものや



必要なものを満たすための



必要な経済なのだから


どんな形であっても



手にできていたならば



それは経済を手にしたのと



同じ事だと思うの



だって経済を手にしたならば



それを手にするために



経済と交換するのだから・・・



私たちは時々


すべてに限界を



自分で作ったりして



ひとつの思考しかできない事が



あると思うの



たとえば経済を得る方法として



一番先に思いつく形に



こだわりすぎてしまい



他の流れのパイプを



閉じてしまっていたり・・・



私たちが大切にしなければならない事は



自分が何を求め



そうなった自分を



イメージしたりする事であって



それがどのような形で



叶えられるかまでの



ストーリーは天にまかせた方が



自分が考えるよりも



ベストなタイミングを



知っている天にまかせている方が



結果的によい形になる事が



多いように



感じているの



そしてすべてを



自分だけの力や思考だけで



進まなければ



安心できない方もいるとは



思うのだけれど



過去を少し振り返ってみると



偶然のようなタイミングで行った事で



人生が開かれたり



幸せを感じられる結果になった体験を



持っていると思うの



それは経済でも同じで



計画通りに経済数値を高めた時に限って



予定になかった事で



そこに流れてゆく事もあると思うの



言葉では上手に表現できないのだけれど



今お財布に入っている紙幣の枚数が



自分の経済数値ではなく



もっとマクロ的に見つめたならば



本来紙幣と交換しなければ



得られないものを



自分が予想もしなかった形で



受け取っているという事に



気づかされると思うの



そう思うと



現実的紙幣の枚数だけが



自分のすべての豊かさではなく



その豊かさ無意識にを引き寄せている



自分に気づく事が出来ると思うの



大切なのは



その豊かさを引き寄せている自分を



高めたまま



様々な事をイメージし



そのイメージするものが



運ばれてくる道筋までは



決めつけず



過ごす事なんじゃないかなって



感じていたの







この間大切な知り合いが



珍しく落ち込んで



電話をかけてきたの



知り合いはもう5年くらい心の病を



自らコントロールし



過ごしていたのだけれど



何かちょっとしたきっかけで



また発病したようだったの



そのきっかけは


ほんの些細な人格否定された亊が



スイッチを押したようだったの



話を聞いていると



心が元気な私にとっては




何でもない事なのだけれど



知り合いにとってはふれたくない



忘れたい幼いころの事までが



そのキーワードによって



蘇ってきたようだったの



知り合いは自分が今落ち込み辛いのに



そんな中でも私に



「こんな話聞く方も疲れちゃうよね」と



気遣ってくれていたので



私は「全然大丈夫!



もう長い付き合いだから



あなたの事は



心にカルテが出来上がっているから安心して」と


伝えると



少し笑ってくれたの



知り合いにとって



心の薬になるキーワードや話などは



長い間の付き合いで



何となくわかっていたので



伝えていたの



知り合いが



人格否定されたと感じた言葉を



手渡された方は



決して特別



悪気があったわけではない事も



友人はわかっていたようなのだけれど



ある意味で人に恵まれていて



今までその様な方との



縁がなかった事で



友人の心が少し



びっくりしてしまっただけだったように



感じた私は



「今まで人に恵まれていて



見えなかったものが見えたでしょ



小さな世界で過ごしていると



友人の不満も時には



あったかもしれないけれど



今思うとあなたの周りは



みんないい人だと



気づけたんじゃない?



その人はきっと



正しい事を言っていたけれど



必ずしも正しい事が



すべて人のためになるわけではなく


ゆるい感じの人の方が



言葉では語らないけれど



優しさを持っている事もあると思うよ」と



伝えると



友人は何か心の深い部分に届いたようで



「今回は今周りにいる人の良さに気づくために



良かった事なんだよね」と



初めのころよりも元気になり



そのあととっても言いづらそうに



以前私が作ったブレスレットを



1か月前に無くし



探していたけれど



もう諦めてまたお願いしたいと



伝えてくれたの



そして



「そのブレスレットをしていた時には



正直効果があったかどうかの



実感はなかったけれど



無くしてすぐに



こんな風になってしまって



やっぱり効果があったのを感じたよ」と



伝えてくれて



電話を切ったの



なんだかいつもの元気がほんの少し



心に広がってきているのを感じ



嬉しくなっていたの



それから次の日



友人からメールが届き



「あんなに探していたのに



なんでか職場にありました



でも新たなものは



そのままお願いします」と



メッセージがあって



その時



知り合いとの話の中で



私自身も気づく事が多くあって



改めて先延ばしにしていた事を行おうと



次の日早起きしたの



数年前からメールや



お手紙など頂いた方への祈祷を



お願いしている知り合いの



神主さんがいて



今までは頂いたメールは印刷し



お手紙やはがきは持参し



お焚きあげをしていたのだけれど



お手紙やはがきは



私にとって何度も読み返し



元気をくれるものなので



お焚きあげしてしまうのは



戸惑いがあったので



神主さんと相談し



その方たちの住所や指名を記入し



それをお焚きあげさせてもらう事にしたの



知り合いという事もあって



とてもリーズナブルな計らいと


一人ひとりお名前と



住所を読みあげてゆく作業なので



とっても時間がかかってしまうので



神主さんのお休みの日に



いつも祈祷してくださっているの



ちょうどその日は



お休みと言う事だったので



朝から急いで一人ひとりの記入を済ませ



神主さんに祈祷していただいたの



その間私は心の中で知っている範囲で



その方の望む事を願い



最後にありがとうと念じていたの



私はよく知り合いやパートナーに



「私の所にはまるで世界中から良い人だけが



選りすぐられ



集まっているのかと思うほど



素晴らしい人ばかりなんだよ」と



表現していると



パートナーも



「それはそうだろうね



だってすぐにあきてしまうさーちゃんが



こんなに長く続けているんだから



間違いなく



その人たちのおかげだろうね」って



表現しているの



今回友人の落ち込みによる気づきから



私自身も改めて



周りに寄り添い



過ごしてくださっている方たちの



素晴らしさに感謝で



いっぱいになった日だったの












最近読んでいる本の中に



とても興味深い事が



いっぱい書かれていたの



その本は脳について



書かれているのだけれど



とってもスピリチュアルな知恵にも



繋がるような事が



いっぱいだったの



その中で



誰かに伝えている言葉は



相手に伝えているという行動ではあるけれど



脳の方では



発する自分の脳が



その言葉を受け取り



その言葉に対しての反応が




心身に指令を出し



自分の意識とは別に送り出すそうなの



なので自分が表現する言葉は



どんな言葉も相手のためではなく



自分のためになる言葉を表現するよう



意識するほうが良いと



書かれていたの



どんなに正しい現実事であっても



夢や希望を閉ざす言葉を表現したり



誰かの良くない話題を話している時



話しながらも心が曇るという



体験をされカた事が



ある方も多いと思うの



人へ手渡す言葉は



自分の脳も受け取る言霊だと思うと



言葉では上手に表現できないのだけれど



人のためという意識から解放され


思いやりや愛情を


言葉に乗せて手渡したのに・・・という



してあげたというような思いにはならなくなり



思いが曇る事もなく



自分に良い言霊を伝えられて良かったって



すべての時間が



思えるようになるんじゃないかなって



感じているの



脳ってすごいなって思う事が良くあって



以前・歯のホワイトニングのために



個人輸入したものがあって



数回使用したのだけれど



私には少し合わなかったようでやめて



もう忘れていたの



そしてそれから1年くらいたった時



お掃除中に漂白剤の入ったボトルを倒してしまい



その周辺が漂白剤の香りで



いっぱいになった時



瞬間的に歯が急にしみるような痛みが走り



え?!なんで?って思いながらも



拭いていたのだけれど



その時1年前に使用したホワイトにングの事が



その香りによって思いだしたの



その歯の痛みは



私が思い出す前に



脳の方では体験から得た記憶を



私の身体に送っていたのかなって



感じていたの



人間の脳は



知識や体験から得たものを



すべてストックしていて



その時々



その記憶を呼び起こしているんじゃないかなって



感じているの



以前読んだ脳について書かれていた本に



とても面白い事が書かれていたのだけれど



日本人の多くは



梅干しをイメージしていると



すっぱいイメージと共に



口の中に唾液が出てくるのだけれど



外国の方に目の前で梅干しを見せても



同じような反応にはならず



その事からも



イメージだけでも



身体や心まで左右するほどの力があって



イメージの大切さなどが書かれていたの



そしてイメージした時



そのイメージと繋がる記憶や



体験を持っていたならば



よりリアルに心身にまで伝わり



それはまるで本当に体験しているような感覚にまで



あると思うの



脳は現実とイメージの区別を



つけられないという伝えられているので



何気なくイメージした事が時には



昔の本当の記憶と重なっていて



自ら違う記憶を



作ってしまっている事もあると思うの



たとえば好意を持てない方の事を考えた時



事実だけを見つめるならば



数分で終わる嫌な思いも



そこからあれこれと



過去の体験から得た記憶が引き出されて



その嫌な気持ちが数時間・数日と



無意識に長く辛い時間を



作ってしまう事もあると思うの



逆に考えると



その知恵を生かす事が出来たならば



自ら記憶の書き換えも



できるんじゃないかなって



感じているの



危機回避のために



ストックしている記憶や思いは



大切なものではあるけれど



もう必要のない記憶や



体験から得た思いも多いと思うの



時代は変わり



平均寿命も長くなり



昔の定義が



当てはまらない事もあると思うの



昔の方たちから繋いできた知恵は



とてもありがたいし



大切なものもたくさんあるけれど



冷静に見つめてみると



多くは語られる方の不安や心配を重ね



少し過剰なほどの備えについて



語られている事もあると思うの



私の知り合いがお年ごろと言う事もあって



年齢を重ねた方たちに会うたびに



ごあいさつのひとつとして


「結婚は?」と聞かれ



「していません」と答えると


「将来ひとりじゃ寂しいよ」とか



「身体が動かなくなった時どうするの」と



言葉が続くそうなのだけれど



私も事柄は少し違うけれど



「お子さんは?」と聞かれ



「いません」と答えると



「将来だんなと二人じゃ寂しいよ」



「だんなさん死んだらどうするの」と



葉が続く事があったので



知り合いがその言葉に共鳴し



急に不安になったり様々な思いに包まれるのが



とっても理解できたの



でもよーく考えてみると



どんな事であっても



どんなに様々なものが整っていたとしても



人はだれでも見えない先について



考え出したら



あれこれと



不安を抱いたりしてしまうものなんじゃ



ないかなって感じているの



そしてその言葉を表現されている方は



自ら語る言葉によって



脳がその言葉に反応し



益々不安が募り



伝えられた側よりも伝えた方の方が



まだ起きてもいない不安に



心身が反応し



言葉通りの未来がその瞬間・瞬間



創造されているんじゃないかなって



感じているの



誰でも見えない先は不安ではあるけれど



わざわざ今その部分について



考える必要はないように



感じているの



昔ある本に書かれていた言葉なのだけれど



人は先の不安を持っているけれど



れは車の運転に似ていて



夜真っ暗な中ヘッドライトだけで



ほんの少しだけしか見えない中であっても



目的の場所をわかっていたならば



目的地まで照らされていなくっても



ちゃんとたどり着けるものだという事が



書かれていたのだけれど



人生も同じなんじゃないかなって



感じているの



今日・明日の事は



何となく予定も立てられたり



よほどの事がない限り



想像の範囲で過ごせるけれど



20年・30年先の事は



想像を超えすぎていて



不安の方が大きくなるかもしれないけれど



今どのように考えようとも



順調であれば必ず



その未来にはたどり着くと思うの



不安というものは



心身に緊張とストレスを生み



わざわざ自分にダメージを与えているのと



同じような作用があるのだから



そこは昔の方の知恵を頂き



「考えてもなるようにしかならない」と



自分で自分を不安から解放してあげる



呪文が必要なんじゃ



ないかなって感じているの



人間は動物たちとは違い



様々な生きる知恵や知識などを



与えてもらえる存在なので



上手に脳の反応を使いながら



自分にとって幸せを感じる生き方を



作っていける存在なのだと思うの



私たちがこの世に誕生してから



本当の自分が思っている事・生み出した事は



実はほんの少しで



無意識にその瞬間・瞬間



誰かの意識や思いを自分だと



思い込んでいたりすることも



あると思うの



たとえば



仲が良い関係の人と話している時



自分の意見を通そうとするとき



無意識に自分の両親の価値観や



好ましくない言い回しと同じだったり



時には幼い頃



最も自分が傷ついた言葉や行為を



自分が表現している事に



ふっと気づかれる方もいると思うの



気づくという力を持たれている方は



もう次のステージへと進む



準備が整っている方だと思うの



なぜなら



自分を包むいくつもの存在に気づき



自分と言う存在が



はっきりと意識できているだから・・・



脳は私たちの意識を超えた反応で



私たちの人生に寄り添ってくれているけれど



すべて行き先を



無意識とはいえ決めているのは



私たちで



いくつもの自分が表現してきた言葉や行動が



脳の中にストックされていて



そのストックの中からしか



私たちは選択できないという現実を受け取ると



自分が人へ向ける言葉は



すべて自分の人生のその時々



答えとしている事を感じられると思うの



そう思うとできるだけ



自分が求める幸せのイメージに



近いものや知恵を



自分の中にストックする事が大切だと



感じられると思うの



言葉やイメージには



意識するしないにかかわらず



大きな力が宿っているから



すべての言葉やイメージは



自分に送るものだと



意識して過ごせたならば



人にも自分にも



優し愛情を重ねた言葉やイメージを



生み出し手渡してゆけるんじゃ



ないかなって感じていたの