2010年4月



最近ふっと


特にトラブルもなく



自分が思うように過ごせるのは



アピールをしないけれど



譲ってくれていたりする



思いやるのおかげなんじゃ



ないかなって感じていたの



人間はどんなに大好きな人であったとしても



100%重なるものばかりではないのだから



もしもそのたびに



どちらも譲らなければ



そのたびに立ち止まり



進んでゆけないと思うの



それを感じたのは



ある方との出会いだったの



その方はとっても



自分の気持ちに正直な方なのだと



思うのだけれど



自分と違う価値観や思いを



表現する方を許せないようで



いつもふれあう人とトラブルが多く



私自身も



その方と話すたびに



自分を否定されている事を感じ



気持ちが曇ってしまうの



その時初めは怒りや



その方を否定する思いに包まれたのだけれど



少し気持ちが静寂に包まれた時



ふっと勝手に自分とフィーリングが合うと



何でも自己表現させてもらい



笑顔で過ごせるのは



その方の瞳には映らない



優しさや譲る思いやりの



おかげだったんじゃないかなって



感じていたの



人はつい自分がした我慢や



譲った出来事などが



印象に強く残ってしまうけれど



相手も形は違っていても



同じように



小さな我慢と譲る優しさを



重ねてくれていると思うの



そう思うと



そのような方ではない人との出会いのおかげで



今ある大きな優しさに



気づく事が出来たような気がしたの



その方は今話題の方の教えを



実践されているそうで



自分がしたくない事は



できるだけ断り



過ごしているようなのだけれど



その事で自分が楽になりよかったと



表現されていたのだけれど



そのたびに



自分がしたくない事を行ってくれる



頼まれた方への配慮を感じられず



何か私は違和感を感じていたの



確かに自分の気持ちを大切に



人生を創造する事は



とっても大事な事だけれど



言葉では上手に表現できないのだけれど



何かが違う気がしていたの



友人の職場にも同じようなタイプの方に



時々出会うそうで



友人も何かその様な流れが流行りなのかと



前に私に訪ねてくれたのだけれど



私自身よくわからなかったので



答えられなかったのだけれど



知り合いの方で会社のマネージメントを



されている方がいて



やはりそのような流れがある事を



教えてくれたの



ただその知り合いが表現しているのには



最近分野は違うのだけれど



「なりきり」という繋がりを感じているそうで



実際にはまだ仕事を覚えなければならない



ポジションにいるのに



まるで自分は部署のトップになりきっているように



要求と希望だけが多く伝え



自分ができる事さえもしてくれない人がいて



とても困っていて



その知り合いはとっても優しい方なのだけれど



会社のトップから管理を任されているので



すべての責任が自分に重なってきてしまうのと



なりきりさんがしない仕事を頼まれる



他の方たちの事を考え



辞めていただく形に持っていったそうなの



私が感じているのは



何にその様に影響を受けられたのかは



良くわからないけれど



すべてに言えることだと思うのだけれど



同じ教えであっても



とらえ方が違えば



驚くほど違った使い方をされてしまうと思うの



スピリチュアルな世界でも



自分の気持ちを大切に



できるだけ自分の気持ちに正直に



そしてなりたい自分をイメージして



過ごす事の大切さを伝えられている方も多いけれど



それは決してエゴイストに



なりなさいという事ではなく



優しさや思いやりがいっぱい・いっぱいのベースがあり



その様な方でなければ



わからないもつ必要の罪悪感などから



自分を少しでも解放してあげる



生きやすさへののアドバイスとして



伝えられている知恵であって



その本来の知恵とは違い



言葉だけが違った受け止め方をされている方も



多いんじゃないかなって感じていたの



特にこの10年くらいの間は



思いとは別に



言葉だけがピックアップされ



責められたり責任問題になったりする事が多く



少し違和感を感じる事もあるの



言葉というものは大切なエネルギーだけれど



言葉の使い方は



育った環境や地域・年代によっても



ニュアンスが違っていて



表現された方も



自分が思っていた事が伝わらず



違った方向に流れ



驚かれる機会もあったように思うの



大切なのはその言葉に込められた思いであって



最近はその思いを心の瞳で



見つめられない方もいて



そのたびに



改めて誤解されない日本語を



まだまだ学ばなければって



再確認させられるの



今の時代は



様々な変動が重なり



人も社会も安定期までは



色々な体験をするとは思うのだけれど



すべての軸は



自分自身だと思うの



たとえどんな時代であっても



未来がある限り



未来のために自分が受け取りたいものの



種をまき



そしてお水や栄養となるものを



与えてゆけばいいと思うの



そして自分がお水や栄養となるものを



忘れてしまったときでも



誰かが枯れないように



そっとお水や栄養となるものを



与えてくれている事に



気づける感性を持ちながら



感謝できたならば



きっと未来は愛に包まれた



あたたかい空間で



笑顔で過ごせているんじゃないかなって



感じているの









人生に何となく焦りを感じ



瞬間的にすべてを整えようと



行動しても



すべてはタイミングと



自分に今必要かどうかのバランスが



瞳には映らないエネルギーによって


計られ



すべては



定まってゆくものだと



とても感じているの



私の友人で何年も自分の好きな仕事の面接に



足を運んでも



なかなか決まらず



そのたびに落ち込んでいた事があったのだけれど



さずがにずっと決まらない事もあって



良い意味で今ではないのかもという



あきらめが生まれ



その夢と生活を支えるために



今の仕事をしようと



良い意味で



割り切り



そのおかげで



友人の場合は



まじめすぎて負担だった様々な事が



その割りきりの気持ちが逆に



好きではなかった仕事も



生活と夢を支える



一時的な仕事として受け止められるようになって



軽くなり



仕事も今までよりもスムーズにできるようになり



一時的な仕事だと思っていたはずの



仕事の中にある楽しさに目覚めたようで



この間私が



「夢はどうしたの?」と尋ねてみると



「うまく言えないけど



自分の視野が狭かっただけで



今の仕事が私好きかも」と伝えてくれたの



そして夢は変更されたのだけれど



その会社が子会社を作る事になり



友人はトップとして別会社を



播かされる事になったの



そう思うと確かに一時的な仕事として



その場所で過ごし



次へとステップアップしていったので



彼女の望む形ではあったように思うの



そして友人が語っていたのだけれど



うまくいかないときは



そこにとどまる必要があるのだから



焦る必要もないし



そこでできる事をしていたならば



すべてのタイミングがそろった時



道は開かれるというのが



今ではすべての流れになっているそうなの



そして冷静に考えてみると



自分で経営する事がずっと遠い夢だった事に



気づき



もしも面接を受けた会社に



どこ採用され就職していたならば



実際には夢をかなえていない事を



自分の何かが感じていたのかなって



伝えてくれたの



その友人はスピリチュアルな



考えの方ではないのだけれど



何か深い部分で



そのような知恵に繋がるものを



とっても感じたのかなって



思うの良い意味でのあきらめと




今の等身大の自分を受け入れた時



奇跡が生まれるのかなって



感じていたの



そして逆にその時うまくいかなかったと



思っている事は



時間を先に進めてみると



自分の小さな計算を超えて



うまく運んでいる事も



多いんじゃないかなって



感じていたの










今年は



気候病を体験されている方が多く



自分の体調に



どうしちゃったんだろうって



感じられている方も



多いんじゃないかなって



感じているの



気圧・気温・湿度などによって



日頃は感じていない



本来自分の中の



弱い部分が



その気候を敏感にキャッチしていて



体調の変化を与えているようなの



私自身も気圧のせいなのか



片方の耳が



まるで高い山に登った時に



体験するような



音をシャットダウンしたような



不思議な状態になっているの



この間友人が教えてくれたのだけれど



人は春になると



無意識にウキウキしたり



新たにものを新調したりしたくなるのも



私たちに体が



光や気温などから



春を感じ



ホルモンの働きで



心身がコントロールされているからだそうなの



そう考えると改めて



人間は地球上に暮らす



たくさんの生命体と同じく



自然と共に



生きているんだなって感じているの



そしてこの時期は



気候の変化が急速に働くので



人間にとっても



まるで動物が冬眠から目覚め



デトックスが必要な時期でもあるから



無理を重ねない事が



大切なんじゃないかなって



感じているの












最近一人の時間の中で



自分について



考える事が多いの



その機会をいつも与えてくれるのは



お正月など



日頃会う事のない



宿命の家族や縁のある人たちとの



交流によって考えさせられるの



私自身はありがたい事に



類友の法則のまま



自分の意識とは別に



気がつくと



お互いが相手の自由を許し



相手がありのままで過ごす事を



当たり前に受け入れ



良いかそうではないかという



基準で裁かない関係の人たちが多いので



お正月などは



私にとって何度体験しても



別の世界に身を置く感覚なの



私にとっては異空間だけれど



迎え入れる宿命の家族や縁のある方たちは



逆に平和で穏やかな空間に



違和感のある人が



やってきた感覚なのだと思うの



私はその異空間で過ごすたびに



「私は存在していていいのかな」とさえ



感じてしまうほど



自分が持つ必要のない罪悪感と



疎外感を感じてしまうの



でもこのような感覚は



幼いころから



自分の中に宿っていたように感じているの



いつも人に合わせながらも



心から楽しめない事や



自分を表現してしまう事の恐れなどから



いつも人との心の距離を



感じていたように感じるの



でも周りに演じている自分でさえも



否定されてしまうと



どうする事も出来ず



最終的には相手が望む人



(何でも相手と同じ意見行動をする)



人として過ごしていると



やはり相手は満足し



私に好意的に感じ



評価をしてくれるの



でもそんな事を重ねていた時



ふっと「私って何?」



「私はなんで生きているの?」など



初めて自分にささやきかける



機会を受けて



その中で自分の内側から


与えられた答えは


「あなたはあなたでいる事に意味がある」と



いう亊だったの



世界中にこれだけたくさんの人がいるのに



同じ人が一人もいない事が



すべての答えだと・・・



もしも誰かが表現するように



みんなが同じ価値観の元過ごし



「あの人変だよ」とか



「あの人間違っているよね」というような人が



一人もいなければ



もしかしたら理想的かもしれないけれど



大いなる存在から見つめると



それでは良くないから



そうならず



人間の進化のためには



心を震わせる人や揺れ動かす人



様々なタイプの人がいなければ



ならないんじゃないかなって感じているの



そしてすべての人が



その方がありのままの姿でいる事を許す亊の



大切さと意味を



受け取る必要があるんじゃないかなって



感じているの



そして相手を変えようとする



思考から



自分を変化させてゆく事を



学んでゆくんじゃないかなって感じているの



だからといって



相手のありのままの姿を許すという事は



自分を抑え込んで



相手を自由にしてあげるのではなく



その方とのご縁を続けるかどうかは



最終的に自分の自由意思で



決められるものなのだから・・・



自分の罪悪感を和らげ



自分を守るために



相手の良くない部分を



周りに表現し



正当化する必要もなく



このような体験は



自分の心の中で



自分を知るための宿題として



消化したらよいのかなって思うの



誰でも人間は人に愛され



人に称賛され


瞳に映るあらゆる豊かさを持ち



過ごしたいという思いが



心の深い部分に宿されているけれど



そのすべては



自分を動かす原動力として



神様が宿したもので



本当はその事自体を周りに



望んでいるのではなく



自分が自分に与えてあげる事を



神様は望まれているんじゃないかなって



感じているの



私の周りにはとっても素晴らしい経歴と



実績から



人から称賛され



そして瞳映る豊かさを持ち



多くの方からうらやましがられていた方が



いたのだけれど



その方は



最終的に自ら人生をリタイヤし



天国へと旅立たれてしまったの



後からその方の遺書が見つかり



そこには



私たちがうらやましいと思う気持ちと



程遠い人の人生をうらやましがり



称賛されている名誉や



瞳に映る豊かさが



まるで背負い込んだ荷物のように感じていたようで



周りに演じている幸せに疲れ



本当の自分が望む幸せを持てない



自分に悩まれていたようなの



その事をきっかけに



私自身も周りが評価する



立派な生き方や無難に過ごす事に



価値を置いていた自分に



疑問を感じ



「私らしさ」について



意識を注ぐようになったの



それからは何気なく



友達に「それは変だよ~」と



表現されても



「でも私らしいでしょ」と



言葉を伝えると



みんなうなづきながら



笑顔になるようになったの



言葉では上手に



表現できないのだけれど



人間は自分の脳が組み立てた設計図通りに



過ごしているだけで



本当は自分でも



それが正しいのかそうではないのか



わかっていない部分があって



自分が何気なく言葉にした事や



思いを脳へ送りそのメッセージに従い



脳がそれに合うものだけを



取込み



統一させてゆく作業をしているのだと思うの



なので



初めに自分が作った価値観を



変える事はとっても難しく



新たに進化してゆくには



ちょっぴり努力が必要なんじゃ



ないかなって感じているの



多くの方は



幼いころ正しいかどうかの



判断もないままに



そばに寄り添う大人から



様々な社会のルールを



教えてもらったけれど



冷静に考えてみると



その多くは



伝えたその方の価値観が多く含まれていたのだけれど



幼子は判断ができず



スペースがいっぱい用意されている



幼子はすべてを自分の中に納め



やがて物心ついた頃には



誰かの価値観を



自分の価値観としてベースが整い



自分だと思い込んでいる



思考などが作られてゆくのだと思うの



もしもそのベースとなるものが



違う価値観を持つ



大人から学んでいたならば



また違う価値観を



自分だと感じ過ごしている方も



多いと思うの



もちろん成長してから



いくらでも



新たな価値観や思考は



生み出されるけれど



人間の中には統一して矛盾なく



過ごそうという無意識の働きがあるから



初めに



自分の中のがんこくん(笑)と



折り合いをつけてゆかなければいけないんじゃ



ないかなって



感じているの












人は答えが見つけられない時



誰かにその答えを求め



アドバイスを受ける事が



あると思うのだけれど



そのアドバイスによって



急に心にそよ風が吹く時もあれば



初めの頃よりも



心が嵐のようになってしまう事もあると思うの



心が嵐のようになってしまう時の多くは



無意識に自分が求めていた答えとは



違っていたり



期待していた言葉ではなかった事が



多いと思うのだけれど



そんな時には元々迷いパニックになっている心が



もっとそのようになったように



感じてしまうかもしれないのだけれど



本当は初めの迷いやパニックから



自分に立ち返るきっかけとなっている事が



多いんじゃないかなって思うの



なぜならば



自分が求めている答えと違う時点で



答えは自分の内にあったわけで



その答えを誰かの口を伝って



聞き確かめたかっただけだと思うの



そして違う事によって



答えをまっすぐに見つめられない自分を



アドバイスを与えてくれた方に



今度は転写し



無意識にアドバイスをくれた方に



共感を求め



いら立ちを手渡してしまったりしてしまう事も



あると思うの



どんな問題であっても



本当は自分の内に答えがちゃんとあるのだけれど



まっすぐに見つめられない理由が



様々にあって



その答えを見つけてしまうと



自分の弱さまでも認める事に



なってしまうのではないかと



感じてしまったり



本来勝ち負けはないのに



何となく負けを認めてしまうようで



答えから遠くへ遠くへ



意識を向けて



別の答えを探してしまったり・・・



私はよくパートナーから



様々な相談をされる事があるのだけれど



そんな時よくこのような事を感じる事があるの



本当はこうってもらいたんだろうなって



わかるのだけれど



その問題は長い間パートナーと過ごしている間



何度も訪れている問題・課題だったので



パートナー自身が



その答えに気づき



消化してゆかなければ



いくら私がアドバイスをしても



その時だけの荷降ろしにしかならない気がして



ちょっぴりきつい表現だとは思うのだけれど



「人生には法則があって



この問題を求めていないのならば



もっと自分の心に正直になったほうがいいよ」と



伝えると



「じゃー俺が悪いってこと!」といら立ち



「そっちだってこの間・・・」と



いら立ちを私に手渡し



無意識に



同じ波動で共感を求めてくる事があるのだけれど



どんなに大切な人であっても



どんなに多くの時間寄り添い過ごしていても



人生に与えられている課題や使命は違い



過ごしている空間がすべて同じではないのだから


どうしても手助けしてあげられない事も



あるのを感じているの



もちろん逆の場合も同じで



私のとってとっても大切な問題であっても



パートナーが解決できない事もあったり・・・



そばにいる方ができる事は



そっと相手が答えにたどり着けるよう



支えてあげたり



ヒントを与える事しかできないと思うの



出会うすべての人は



自分の人生の使命や課題を紐解くための



気づきやエネルギーを与えてくれるっ人であって



人生を肩代わりしてくれる人ではないのだから・・・



少しお話が違うのだけれど



この間友人が話してくれた事なのだけれど



友人はペットと共に暮らしているのだけれど



同じようにペットと共に過ごされている



職場の上司の方がいて



ペットの病に悩んでいたりした時



一緒によい方法を考えてあげたり



その後ペットが天国へ旅立った時に



毎日のように電話があったのだけれど



きっと寂しいのだろうと



友人はいつもあたたかい言葉を



手渡していたようなのだけれど



やはり友人も一人の大切な時間があるので



距離を保とうと



毎回電話に出る事をやめ過ごしていた時



きっと毎日話したかった上司は



仕事の話を理由に毎日話さなければならなくなって



友人はだんだんと疲れ



そんな中で様々な事に気づき



学んだそうなの



友人はとっても冷静に自分を分析できる能力に



優れているので



その体験の中



人との心の距離を保つ事に大切さと



過去の自分はいつも色々な問題から



目をそらし紛らわすために



毎日誰かと話さなければいられなくって



時には自分勝手に



たまたま忙しくって話を聞いてくれなかった人に



逆恨みしていた亊などを



反省したりしたそうなの



それ以来不思議と



その問題は解決し



今では人と心地の良い距離で



繋がりあい



感謝の多い日々を過ごしているの



つい人間は感情という豊かなアンテナを持っているため



そのアンテナが強く反応してしまい



他が冷静に見つめられなくなる事があるけれど



ほんの少し自分を客観的に



つめられたならば



多くの問題の始まりや



答えを見つけるのは



とっても簡単な事なんじゃないかなって



感じていたの












日本人は



幼いころから



周りの空気や相手の思う事などを



読み・悟る事を



何となく訓練されていて



多くの方が何となく



リーディングのような事を



日々無意識に行っていて



空気のように漂うものを



読み解きながら



過ごしていると思うの



その事が時には



自分を助け守る事も出来てはいるけれど



その様な時間が多くなっている場合には



自分と向き合い



心を解放してあげられず



周りからの評価は高いのに



自己評価はそれとは真逆の場合が



多いように感じているの



なぜならば



世界中に同じ人がいない



自分という個性や意味を表現しずらくなり



同化してゆかなければならない事から



自分の内なる存在が



その事に抵抗している事を



無視しながら


過ごさなければならないからだと思うの



人間が秘めているものは



表現こそ違いがあるかもしれないけれど



そんなには違いはなく



嫉妬や妬みというような



認めたくない思いも



美しい心に織りなされていて




出会う方が表現するカラーに合わせて



いつも自分も合わせてしまうからだと思うの



無意識に語るセルフトークの時には



人は潜在意識が開かれている事が多く



昔幼い頃から刻まれてきた



価値観や思い込みなど



様々な思いが溢れていて



その開かれた潜在意識に



セルフトークしながら



さらに自分の価値観や思い込みを



強化してしまう会話を重ねる事を



しながら



無意識に自分の中で



正しい事もそうではない事も



統一する作業を行っているので



本当は



せっかく潜在意識が開かれている時に



新たに求めている価値観やものなどの



お話をしたり



なりたい自分について語られると



その時は違和感があっても



潜在意識に入ってしまうと



あとは自動的に



その価値観や思い込みが自分を導き



気がつくと



自分が何気なく表現した事が



叶っていたという事を



体験できると思うの



人はリラックスしている時



潜在意識が開かれている事が多く



その逆に緊張や怒りなど



感情が優先している時には



顕在意識が働くので



たとえば



「私はがんばる!」とか



強く思えば思うほど



逆の法則が働き



思ったように進まない体験をされる時には



「私はがんばる!」という言葉で



心に負荷がかかってしまい



その事で逆に自分の心が



プレッシャーになったりしてしまう場合には



リラックスできないので



なかなか思うようにならないけれど



「私はがんばる!」という言葉に



モチベーションが高まり



元気がわき上がる場合には



潜在意識と繋がっている事を



示してくれていると思うの



同じ事であっても



自分の潜在意識に納められているものによって



感じ方が違うから



一番大切な事は



自分の潜在意識に納められている



価値観や思い込みに気づく事なんじゃ



ないかなって感じているの



それは感情的に受け止めるものではなく



静寂の中で



瞬間的にふっと



感じる事が多いように思うの



自分の思いが叶わない時には



無意識に潜在意識の中に



叶えたくない思いや



叶ってほしくない価値観があって



はっきりと感じる自分の思いと



フィットしていない事もあると思うの



良く語られる会話なのだけれど



たとえば宝くじを購入される方は



宝くじが当たったらいいなと思い



イメージすることの大切さを



そこで思いだし



言葉にしたり思い描いたりされる事が



あると思うのだけれど



そのイメージや思いよりも



強く働く潜在意識の中に



宝くじが当たって幸せになれなかった方の物語や



お話が納められていたりすると



無意識にそのイメージや思いと共に



当たった後の心配が大きく広がり



すべてのイメージや思いを



消し去ってしまうのだと思うの


そういう場合には



心では当たってほしいと思いながら



潜在意識の中では当たってほしくないという



建設的な考え方ができあがっているので



そちらの方が強く働いてしまうものなんじゃ



ないかなって思うの



少しお話は違うけれど


私の友人の中には結婚や出産を望み



様々な形で努力を重ね



過ごしている友人がいるのだけれど



いつも恋人はいの



でもそばで見つめている私から感じているのは



容姿も素敵だし



いつも異性が何気げなくアプローチしてきているのに



そのすべてをまるで感じ取っていないように



過ごしているの



そして相手に求める条件が



驚くほどに高いの



そのたびにみんなに



「そんな人いないよ」と表現され



「そうだよね」と爆笑しているの



その姿を見つめながら



友人は心と潜在的に刻まれている事が



本当は違うんじゃないかなって



感じていたの



友人は自分がこの世に誕生し



数カ月後に



お母さんが自らこの世を去ったので



その衝撃的記憶が



きっと深く刻まれいて



それはあまりにも辛い記憶なので



自分の意識では引き出せない場所まで



深く深く遠い場所にしまいこみ



自分の意識にも感じないくらい



思いだすこともほとんどないと思うの



でも大切な人生の選択や決断の時には



その部分が働いているんじゃないかなって



感じたの



そう感じた私は



友人と楽しくリラックスしながら



会話をしている時に



「本当は結婚とか出産とか



したいと思っていないんじゃない?」と



言葉を手渡してみたの



そうするとすぐには言葉が出なくって



しばらくすると



「もう無理かなって思うの」と表現したので



「結婚しない自分の未来予想図が



もうできているんでしょ?」と言うと



結婚に対するネガティブな思いと共に



家系的な事を表現しだしたの



その時言葉では上手に表現できないのだけれど



友人にとっては



やっと自分の思いと潜在的な思いが重なったのを



感じたの



それから友人はあれほど結婚や出産への




願望を表現することなく



本当に自分が求めている生き方へと



導かれるように



幸せに過ごしているの



友人はみんなが当たり前に思う事を



初めは思っていたのかもしれないけれど



自分の中にある



記憶の決断との折り合いに



無意識に迷い



時には心の病にもなった事があったけれど



今では周りや社会が



どう表現しようと



自分の深い部分が導く



自分に合った幸せへと



何のストッパーもなく進んでいるの



その姿を見つめながら



改めて



自分を導く深い部分にある決断に気づき



自分の心とフィットさせてゆく事の



大切さを



教えてもらった気がしたの














アクセサリーを作っている時



様々な感覚の復習に重ねながら



楽しい時間を



多くの方に与えていただいているの



色は肌から吸収しチャクラや



オーラに影響を与えているのだけれど



それを確かめるために



特定のカラーを一週間身につけ



出かけてみると



そのカラーや石によって



同じような出来事があったり・・・



そのたびに益々色や石の



神秘を感じ



石とのふれあいが楽しくなっているの



私の場合は



なぜだかターコイズを身につけている事で



自分が本来持っている運というものを



強化してくれているようで



見知らぬときに足を運びたくなり



行ってみると



素敵な出会いがあって



自分がこの世にいる喜びを



感じさせてくれる事が多いの



そのお話を霊能師から引退した



知り合いの話したところ



私のアクセサリーを見つめ



アリゾナで産出されたターコイズは



過去世と繋がりながら



今の運命がどのように作られているのかを



様々な行動によって



瞬間的に感じ取りながら



運命に必要なものと



どんな行動をすると



繋がってゆくのかを



教えてくれる石だそうなので



だから



いつも背中を押され



様々な場所に足を運び



その土地や行動によって



今自分が生かされている事の



歓びを感じられるんだなって改めて知ったの



そして私の過去世から



現世に持ち込んだ



思いや使命なども



きっととってもとっても



小さな事だけれど



過去世では研究や宗教関係の活動などで



ある意味で自己実現し満たされたから



現世はその時味わう事の出来なかった



人との関わりや



ある意味で自分の弱さを体験し



学問や理屈ではない部分から



人を見つめたいと



感じているのかなって



漠然と感じていたの



私の過去世は



きっと心や感情に流されることなく



自分の判断で物事を進め



たまたま運よくその事が評価され



過ごしていたように思うの



それはずっと過去世できっと一緒であったであろう



友人が何気なく



「さーちゃんはずっと私の上にいた人だったと思う」と



伝えてくれた事で何となくそう感じたの



そのような感情に流されず



自分の思いのままに進んでゆく



かずかな過去世の記憶のかけらは



時々感じていて



反省することもあったりするの



でも現世の自分の意識は



迷いも多いし



当たり前にみんなができる事にさせ



心に大きな負荷がかかってしまい



ダメな自分との折り合いに




大変だったり・・・(笑)



霊能師を引退された



その知り合いがよく表現することなのだけれど



運命は変えられるけれど



過去世と繋がり与えられた宿命は



変えられないのだから



否定したくなるような行動や



言動をした人を許してあげなさいと



アドバイスしてくださるの



それは互いに宿命の中で



与えられた事なのだからと・・・



そして宿命は乗り越えてゆくしか方法はなく



その乗り越え方を一緒に考えてあげるのが



友人であったり



家族であったり



恋人であったり



大切な人なのだそうなの



宿命の上に重なるようにある運命は



自分の意思でどうにでも



変えられるけれど



宿命的に与えられた事は



一般常識をあてはめても



意味がないそうなの



たとえば人によっては



なぜそうするのかな?というような



選択をされ



人生を生きてゆく事さえ



大変な方もいるけれど



それは宿命手になもので



運命とは別なのだそうなの



その方が選択しているようで



本当はそうではなく



宿命として受け入れ



クリアにしなければならない事が



その様な行動からしかできない



プログラムを持っているのだから



優しい瞳で見つめてあげる事が大切だそうなの



私自身



あまりアドバイスを必要としていない事や



私のスタンスとして



自分が体験し深く感じる事が



現世の課題の一つと言う事もあったようで



あまり私にはアドバイスはないのだけれど



今回色々聞いてみたい気持ちに溢れてきて



様々な方向で色々尋ねてみたの



そうしたら「あなたは過去世から



引きずっているものは



今の自分では信じられないほど



古い固定観念なの



その古い固定観念を



すべて消化するために現世は



とっても大変な選択ばかりしてきたはずなの



そして自分がその固定観念から



外れた人間になる事によって



過去世から引きずってきた



偏見などもなくなってきているの



そして決定的だったのは



子供が産めないという事だったの



その事によって



あなたの運命・宿命にとっては



良いダメージだったのよ



あなたの過去世は傲慢だったから



何でも思い通りにできたし



できると思っている記憶があるから



今回の出来事で



人から受けた固定観念の重みや辛さを知り



もうあなたは人に対して



固定観念を持ちこまなくなっているの



現世の自分としては



不安もあるかもしれないけど



そのうち60代や70代でも



輝く生き方をしている人を



神様があなたに見せてくれるよ



そしてその人を見て



生き方の幅を持てるようになるから安心してね」と



伝えていただいたの



カフェで話していた私たちは



涙あふれる私を見て



少し不思議に映っていたかもしれないけれど



これは涙と言うよりは



心の氷が溶かされ



溢れてきたもののように



感じていたの



そしてこれからの私自身が



今よりもパワーが増してゆく



出来事が訪れてきて



出会う人たちが変わり



アクセサリーは今まで通り作るけれど



それは人にエネルギーを与える一つの形であって



もっと本格的に流れてゆくそうなの



今回嬉しかったのは



私はいつも占いの方やセラピーなどに



足を運んでも



アドバイスを受ける事が



ほとんどなかったので



とても的確に伝えていただけて



嬉しかったの



ただあまり本格的に見ていただくと



もう引退されている霊能師の方を



疲れさせてしまうので



いつもは会っても



今回のような流れにはならず



友人たちと話すような会話なので



今回はごめんなさいと



ありがとうと言う気持ちで



いっぱいなの













石とのふれあいは



私にとって毎日の



ライフワークになっていて



アメジストや水晶を身につけていると



なぜだか



相談ごとをされる事が多く



そんな時には



自分の価値観にこだわらず



石から感じる波動にまかせ



アドバイスさせてもらったり・・・



それと同時に



この石はセラピストなどの



人の心を開き癒される方に



とてもフィットする石なんじゃないかなって感じ



メモしたり・・・



そして人とのふれあいが多く



自分の心のささやきが



聞きとりにくくなっているなって



感じた時には



まるで心の補聴器のような役割をしてくれる



白い色に助けてもらい



浄化と新たなパワーを与えてくれる真珠を



身につけてみたり・・・



結婚される花嫁さんが



白い色に包まれるのも



きっと過去を浄化し



新たなエネルギーを吸収してゆく



現れを表現されているのかなって



感じているの



スーパーホワイトなどは多用すると



相手に緊張感を与えてしまうのも



相手が無意識に



自分の持つ価値観を清算する事を



求められているような感覚を



感じてしまうからなのかなって



感じたり・・・



精神的なものが色に影響を受ける事を



見つけられた方たちが



研究を進め



今ではカラーセラピーや



ビジネスの分野でも多用されていて



その空間が何を演出しているのか?



その方は何を求めているのか?など



なぞなぞのように



説いてゆく事が最近では友人との間で楽しく



友人に「あの色は何を表しているの?」と



尋ねられたり



「あのひとのブレスレットに使われている石は



何に効果があるの?」と



興味を持って聞かれる事が多くなっているの



そのたび今までは



ちょっとおかしな人とか



変わった人と表現されてきた



自分の心注いできた



過去のすべてが肯定されるようで



とっても大きな幸せをもらっているの



そして年々



自分を表現する事に戸惑いも



少なくなり



出会う方たちに感謝が多くなっているの



この間は何気ない会話の中で



子宮の手術を望み



心と流れのタイミングを整えている私は



思わず



「宇宙人ってコードな技術があるっていうから



私が眠っている間に



わからないうちに子宮を持って行って



くれないかな



そして定期的に病院へ行っているから



その時検査中に先生から



あれ?手術されました?って



いわれたいなそうしたら簡単なのに」と



表現すると



みんな爆笑しながらも



話が広がり



不妊治療中の友人は



「知らない間に旦那と私の



赤ちゃん宿してくれないかな」とか



ダイエット中の友人は



「身体に余る脂肪を




研究のためにと持って行ってくれないかな」と



広がるユーモアに



その場が笑うセラピーのように



なっていたの



海外では定期的にセラピストに通われる方も多く



その中には



何でも笑うというキーワードのもとで



様々な病を癒している方法が



用いているところもあるそうなので



笑う事はお薬のように



効果があると思うと



笑う場所を提供してくれる友人たちには



ありがたい気持ちになるの



そういえば年齢を重ねた方たちが



話している言葉は普通の事なのに



間・間に



まるで面白い事を話されたかのように



笑う事があるのだけれど



それも無意識に


自分を癒すために


脳がさせている行動なのかなって



おもったの



脳の分野では



面白いから笑うのではなく



笑う時に使われる筋肉の刺激が



脳に伝わり



歓び楽しさの時に溢れる物質を出してくれて



そのあと気持ちが益々



幸せに包まれてゆくそうなので



その脳の作用を使って



面白い事がなくっても



声を出して笑ってみるとか



頬骨の部分を指圧してあげると



そのあと気持ちがついてきて



本当に楽しくなってゆくんじゃ



ないかなって感じていたの



大人になると自分に特に必要がない事であっても



深刻で楽しくない話題に



詳しくなり



笑う機会が少なくなりやすいと思うの



論理建てて否定する言葉は



たくさん覚えるけれど



それと同じくらい



幸せを感じられる言葉を



知り覚える事の大切さを



時々感じているの

















最近白い影のようなものが



私の周りにいつもいるようで



ふっとした時



瞳を横切ったりしているの



この間は真夜中



玄関の



ドアノブをガチャガチャと1分くらい



回す音がしてすぐに



玄関へ足を運んでみたのだけれど



そうしたらすぐに回すのが終わったの



その時は誰かが酔って帰ってきて



お部屋回数を間違ったのかなって



思いながらも



その場からなぜか部屋に帰れなくって



耳を澄ましていても



エレベーターが動く音も



どこかのお部屋のドアが開く音もせず



とっても怖くなっていたの



私はこのような不思議な体験を



何度重ねても



やっぱり受け入れられず



驚きと恐怖の方が大きくって



いつもその現象の意味がわからないまま



ただただ怖いの



でも今回は何となくではあるけれど



弟夫婦のもとに宿った天使が



今月この世に誕生するので



またまたご挨拶に来ているのかなって



感じているの



以前にも書かせていただいた事なのだけれど



初めて弟夫婦のもとに



天使が宿り誕生する日に



天井にまるで光を集めた鏡の反射のような



円形の光がゆらゆらとしていて



反射しているものがあるかどうか



周りを見つめてみると



反射するものがなかったので



何となく話かけてみると



ゆらゆらしてきたので



「あなたは私の弟の所に来る子なの?」と



尋ねてみると大きく揺れていて



その時はいつもとは違い



お昼だった事もあって



恐怖はなく楽しんでいたの



そしてヒーリング音楽を聴きながらという事もあって



神秘体験を楽しんでいた時



急にその光が横に早いスピードで消えてしまい



あれ?っと思っていると



今度はヒーリング音楽をかけていた



CDプレーヤーの電源が



バチンと切れたの



その瞬間弟から電話がかかってきて



「今子供が生まれた」と



今までにない弟の感動が



声に乗せて届けられたの



その時のように



今回もなぜか私のもとにあいさつに来てくれる



天使たちには



社会の大人としての意識が広がる前に



様々な神秘的世界の事を



聞いてみたい気持ちでいっぱいなの



多くの場合は



5歳から10歳くらいの間に


生まれる前の記憶が消えてしまい


そのスペースに社会で生きてゆくための


ルールや常識などが納められてしまうから


様々な能力も感じなくなってしまうので・・・



最近父が話してくれた事なのだけれど



孫を怖がらせようと



怖い話をした所



怖がることなく



「あそこにサーちゃんのお友達がいたよ



おじいちゃん



そういうお話はさーちゃんに聞いた方がいいよ



さーちゃんは人間じゃないんだよ」と返され



逆に父の方が怖かったそうなの(笑)



お話は少し違うのだけれど



この間



パートナーと二人で



大好きな秘境風のお蕎麦屋さんへ



足を運んだ時にも



静かな空間で大人の方たちは



ただただおそばが



出来上がるのを待っていたのだけれど



私はその空間で心惹かれるものがあると



つい座ってじっと待っていられない事もあって



ちょうどそば打ちを始められたのが見えたので



ずっとその姿を見つめ



パートナーにも一緒に見ようよと



勧めたのだけれど



パートナーは静かに座ったまま



本を読んでいたので



一人でそば打ちを見ながら



無意識に「すごい!」とか



「よかったここにきて」とか



声があふれていたようで



遠くからそれを見つめていた



3歳の男の子と5歳の女の子が



「ほんとだ!すごいね」と



私のそばに寄ってきたの



その幼子たちは



そばがあまり好きではなかったようで



親や祖父祖母が勧めても



泣きながら食べ残していたのだけれど



そのそば打ちを見つめながら



私が



「なんかさ~出来上がるの見ると



ありがたさがふえて



おいしく感じちゃうね」と表現すると



二人の幼子は「うん!」といい



ずっと見つめていたの



出来上がる頃には



その子の親や祖父祖母は食べ終わり



「帰るよ」と呼びに来たのだけれど



今度は「おそば食べたい」と泣きだしたの



その姿を見つめながら



子供も大人もその物に宿る



物語を理解し



瞳に映る物質として以外の



思いやエネルギーを感じ取る感性が



あるのだから



その物語を知ることの



大切さを感じていたの



人には聴覚の感性が優れた方や



視覚がの感性が過ぎれた方



そして言葉で表現できない



感覚的能力が優れた方がいて



その方によってその分量が違うのだけれど



大切に作られたものには



この三つがすべて満たされるものが



宿っているんじゃないかなって



感じていたの



私の周りにも



すべて違う感性に過ぎれた方たちがいて



同じものを見つめても



感じ方がまるで違い楽しいの



視覚的感性が豊かな方は



目から伝えられる情報が



大きなスペースを占めているので



見たものを見たままに受けとり



その後それに伴う説明書きなどを



しっかりと読まれ



判断し



聴覚的感性が豊かな方は



そのものから感じる音を良く確認し



特に意味はなくその物をさわったり



音で何かを確認しているの



そして言葉では表現できない



感覚的能力が豊かな方は



一見衝動的ものごとを決めているようだけれど



その方なりの理由を持っていたり・・・



お買い物などに行くと



みんな購入する者に対しての



スタイルがあって



その姿から友人へ物事を伝える時



もっとも理解してくれるかなって



思う方法を用いているの



一般的には人間は視覚的情報量に


大きなスペースが作られているので


百聞は一見に如かずで


人の話を何回も聞いたりするよりも


自分の目で確かめる事に


大きな信頼を持っているので


視覚に頼りすぎてしまったために


違う能力が少し退化してしまっている部分もあると思うの


この間友人たちとお買い物に行った時


ちょうど様々な地域の職人さんが作られた


日用品が販売されていたのだけれど


その時まだ価格も貼られていなく陳列前のものが


置かれた場所があって


そこにあった食器やお箸などを見つめていたの



その時視覚的能力が豊かな友人は



中国製の大量生産ものを手にとり気に入っていたの



その時聴覚的能力が豊かな友人は



その食器同士をかるく触れさせると



「これは安物だよ」と表現し



言葉では説明のできない



感覚的能力が豊かな友人は



「これには魅力もないしエネルギーを感じない」と



三様の表現があったの



確かに瞳に映る形は



職人さんが作ったものと



大量生産のものにはそんなに違いはないのだけれど



細部を見つめてみたり



使用してゆくうちに良さが感じられるという



大きな違いがあると思うの



物だけではなく



人を判断する時にも



三様で視覚的感覚が豊かな友人は



その人が身につけているもので



無意識ではあるけれど



その人を判断し



聴覚的能力が豊かな友人は



その方の声であったり言葉使いなどに



とても敏感で



でもたとえ言葉使いが良くなかったとしても



声が自分が判断する基準で



心地が良ければ



良い人と判断し



感覚的能力が豊かな友人は



「なんかわからないけれど



あの人いい人な気がする」と



自分なりのアンテナで判断しているようなの



この三様の能力は誰にでもあるのだけれど



その分量を知る事が出来たならば



聖なる者たちから



本当は届けられている



メッセージも受け取りやすくなると思うの



聴覚的能力が豊かななのに



聖なる者たちからのメッセージを



瞳から受け取ろうとすると



「なんだ・何にも感じない・何にもないじゃない」と



感じてしまったり



視覚的能力が豊かなのに



頭の中であれこれと考えてしまわれる方は



実際に様々に日常の中で



誰かの姿を通して届けられている



メッセージに気づけなかったり・・・



どんな場合でも


自分に宿る優れた能力に



気づく事が大切なんじゃ



ないかなって感じていたの















今日久しぶりに



子育てで忙しく



ずっと会っていなかった友人と会って



楽しい時間を過ごしていたの



そして何気ない会話の中で



友人が「いいよね子供がいないから自由で」と



言葉を表現したのだけれど



友人の表情から



その言葉は私を気遣い



表現している言葉だと感じたので



「でも幸せでしょ?



お互いないものを満たしていて



ないものを欲しがっているけど



お互い幸せで良かったよね」って



表現したの



少し前ならば



様々な言葉に敏感になってしまっているくらい



心身が追いつめられていた事もあって



今回のようには



表現できなかったので



静かに自分らしさと



相手の幸せを嬉しく感じれた自分を



おうちに帰ってから



いっぱい褒めてあげたの



私の母が幼いころから中が良かったいとこと



ささいな一言で疎遠になった事があったのだけれど



いとこの方が若くして



パートナーをなくし子供がいなかった事もあって



自分の人生のために一生懸命働き



パートから社員になり



役職になるまでになられたのだけれど



そのフラストレーションを



心許し中が良かった母に



電話で聞いてもらっていた時



「子供いる人がいて子供が熱を出すたび帰るから



私の仕事が増えて困っているの」というような



ニュアンスの表現をされたようで



それを聞いた母は



子育てを経験した事もあって



私に「あの人あんな冷たい人だと思わなかったよ



やっぱり子供のいない人は



人として未熟だよね」と表現したの



私は微妙な立場で



なんとなくいとこの方が表現することも



友人が社会の中で活躍しているので



同じ悩みを持っているので



わかる気もするし



母のようなことを表現される方の言葉は



子供を宿せない私にとっては



とっても辛い言葉だったので



何とも表現のできない思いに包まれていた事がったの



でも最近そのいとこの方から



数年ぶりに「元気!」って電話があって



その事が母にはとっても嬉しかったようで



すぐに私に話してくれたの



「相手は子供いないから



こっちも気を使ってきたけど



あんたが気遣いが人を傷つけることも



あるっていってたから



気を使うのやめて



子供のころと同じ○○ちゃんと○○ちゃんに



戻る事にしたんだ」って嬉しそうだったの



でも母は本来気を使うポイントが



人とは少し違うので



相手を気楽にさせようと



「うちの娘も子供出来ないんだ



だから子供いなくったって



何にも不幸じゃないんだよ」と



いとこの方に表現していたのだけれど



なんか言葉では上手に表現できないけれど



その重ねるような言葉が



逆に相手が気にしてしまうのでは・・と



母の変な気遣いが



私の笑いのつぼになっているの(笑)



そのいとこの方はとっても美しく



私の親戚とは思えないほどで



幼いころ



その美しさに幼い私は興味を持ち



「何を食べているの?」とか「毎日何をしているの?」とか



尋ねていたそうなの



そして結婚式の時には


「大好きな人とこれから毎日一緒にいるの



恥ずかしくない?」とか



そのいとこの方にとっても興味を持ち



尋ねていた事を



憶えていらして



私と会うのを今でも楽しみにしてくださっているの



母といとこの方を見つめていて感じる事は



相手を気遣い



相手を建てているつもりが



社交辞令であったり



時には女性特有の見栄などから



なんとなく距離ができる事があるけれど



昔から表現されているように



女性の敵は女性だけれど



一番理解してくれるのも女性なんだなって



改めて感じていたの



今では互いに自分を表現しているようで



母は母で



「○○ちゃんみたいに旦那がいなくって



働いているといきいきして



今でもこんなにきれいなのを見ると



今度生まれ変わったら



もう結婚はしないで



○○ちゃんみたい人生絶対に送りたいわ」と表現し



いとこの方はいとこの方で



「私は平凡な主婦になって



耳鳴りするくらいにぎやかな家族に囲まれた



人生にしたいな」と



笑いながら話しているの



女性には良い事ではあるっけれど



人生の生き方の選択が



幾つも生み出されたいまでも



女性のとって子供を持つ人生と



そうではない人生のふたつに悩み



どちらを選んだとしても



形は違っていても



幸せと孤独はあって



ちょっと男性には理解できない



心の動きがあるんじゃないかなって



感じているの



ただ最近母が発見した



子供がいない人を励ます言葉の中に



必ず



「私の娘も子供産めなかったんだから



それでも幸せだから大丈夫よ」って



言葉があるのだけれど



当人の私からすると



とっても複雑なのだけれど



母は気の使うポイントが人と少し違うので



気づいてはいなの(笑)















人によって楽だと感じられる事や



幸せだと感じられる事は



本当に様々だと思うの



私の友人には様々なライフスタイルの人が



なぜか上手に組み合わさっていて



まるで違う環境の中で過ごしているはずなのに



違和感なく



仲良くさせてもらっているの



ある友人は何のあてもなく



ただただ自分が思ったままに



過ごしたい一心だけで



パートナーに特に問題があるわけではないのだけれど離婚し



本来ならば様々な事が大変になるのだけれど



その大変さよりも



小さな自由を楽しめる事の喜びの方が大きいらしく



離婚した事を良かったと



自分の選択の正しさに



益々自分を信頼できているようだったの



そしてある友人は



様々なプレッシャーの中で仕事を続けてきて



ちょうどそのタイミングで



特に大好きだったわけではないけれど



自分が望む人生を作ってゆくのに



支えになってくれると感じたパートナーと結婚し



天使も授かり



毎日が仕事以上に忙しい毎日なのだけれど



彼女が無意識に漠然と抱えていた不安が



家族を持つ事で解消された



幸せの方が大きいようで



自由は少ないけれど幸せそうなの



女性が自由に生き方を選べる時代とはいえ



それがまだまだスタンダードではなく



表面的な成長期と言う事もあって



臨機応変に



心の成長と共にライフスタイルを選び



過ごす事は少し難しいけれど



それでも自分と言う存在を見つめ



自分が本当に望んでいる事を



実現されている方も多いと思うの



それにはとっても勇気が必要で



人に幸せだと見られたいという幸せの演出ではなく



逆に人から少しかわいそうに映ってしまう形であっても



幸せかどうかは



本人が決める事なのだから・・・



どんな生き方であっても



否定的な表現をする方もいるけれど



それはたんに



その方が満たされない思いを



自分で肯定しなければいられないほど



辛いから



無意識にそうしてしまうだけで



自分が満たしたいものを満たしている姿が



うらやましいだけの場合もあるのだから



その言葉だけに反応する必要はないように



感じているの



よく聞く言葉なのだけれど



たとえば一人で過ごされる方で



自分を満たしていない方は



結婚されている方やシングルマザーの方に



「今はいいけどいずれ一人になったらどうするの?」と



不安の種を手渡されたり



逆に結婚されている方やシングルマザーの方は



一人で過ごされている方に



「今は一人で楽しいかもしれないけれど



年をとった時どうするの?」と



同じニュアンスの



不安の種を手渡されたり・・・



結局形は違っていても



誰でも未知なる未体験の事には



漠然と不安があって



その部分にスポットが当たってしまうと



考えてしまい



本当に自分が望むものが見えなくなってしまうんじゃ



ないかなって思うの



確かなものは今の自分の気持ちだけで



将来に様々なものを備えても



未来は未来で普遍的に今よりも変化していて



あらゆるものの価値も変わっているのだから



未来に確かなものを築いてゆく事は



できないんじゃないかなって感じているの



今の自分の心が定める



様々な選択が未来と繋がっているだけで



そこを飛び越えて



未来に何かを築く事はできないんじゃ



ないかなって感じているの



将来に後悔しないためではなく



今の自分が後悔しないものを



受け取ってゆくと



最終的には自分らしい幸せな人生が



創造されてゆくんじゃないかなって



感じているの
















私にとって結婚から



学び知る事がとっても多いの



私と言う存在が本当に求めている事も・・・



私は幼いころから



心から両親に甘えられなかったので



その部分が今になって溢れていて



時々ふっと



私は両親にこうしてほしかったのかなって



感じることも多いの



そしてひとりでは体験できなかった



心の葛藤なども・・・



私は独身時代



本当に悩みが少なく



自分で決めた事にまっすぐに進み



たとえその事が思った形にならなくっても



笑って次に進める力を持っていたように



思うのだけれど



結婚してからは相手がいるので



ほんの小さな妥協やゆずるという事に慣れるまでは



その小さな積み重ねが



苦痛にさせ感じていた事もあったの



ひとつ・ひとつは



小さな小さな事なのだけれど



その小さな事が毎日毎日



たくさんあって



私はやがて自分の事を考える心のスペースを



持てなくなり



気がつくと家族の事・パートナーの事



友達の事などを考え



過ごしていたの



ある時何気ない会話の中で



「さーちゃんはどうする?」と尋ねられると



自分の事を日頃考えられなくなっていた私は



気がつくと



「何でもいいよ」「皆と同じでいいよ」「どっちでもいいよ」など



自分で考える事を



あきらめ過ごしている事に気づいたの



でもそのおかげで



誰ともぶつかり合うことなく



付き合いやすい人にはなっていたと思うの



そしてパートナーと過ごす中でも



私さえしたい事やタイミングを



表現しなければ



心が揺れ動き嫌な思いを



お互いせずに済むと考え



過ごしていた事もあったのだけれど



その時ふっと「私は何を怖れているのだろう」という



言葉が私の中に浮かんだの



そうしたら「孤独」というキーワードが浮かび



さらに自分への問いかけを深めていったの



「孤独」ならば今まで一人の頃の方が「孤独」なのでは?」と



私の深い部分に問いかけると



「孤独」というのは表面的な



私の心の蓋になっていただけで



自分自身への信頼を持てていない事



そして自分の力が試される事を



とっても怖れていると



私の深い部分から届けられたの



その恐怖と向き合わないで済む



結婚はどんなに大変な事があっても



それよりも私にとっては



良かったようなの



ちょっと人事のように書いているけれど



瞑想や深い問いかけの時には



自分の意識を切り離し行う事が多いので



自分の思う事と違う答えも多く



自分の意識とは違う誰かが



まるで伝えてくれているような感じなので



そうなってしまうの



人はだれでも意識できるキーワードは



表面的な部分で



そのキーワードが蓋のようになっていて



もっと深い部分にしまいこんだものが



あったりするんじゃないかなって



感じているの



その深い部分にしまわれたものは



もう意識に上る事はあまりないので



気づかないけれど



その部分が自分の信念や強い意志のようなものを



支えている事も



あるんじゃないかなって感じているの



その深い部分にしまわれたものが



溢れるタイミングは



パニックになった時など



自分で考えられなくなった時などに



最終的に答えを生み出す場所だと思うの



その深い部分には



まだ自分の考えがしっかりと形になる前の



幼いころの教えであったり



価値観だった・・・



私の友人にとっても心が広く



陽気で楽しい方がいるのだけれど



悩み事があまりにも大きなものを抱えた時



まるでいつもの彼女とは違う発言や表現が溢れ



驚いた事があったの



何気ない会話の中で



人を見下すような価値観や



まるで昭和の前の世代が表現するような



女性らしさへの偏見だったり・・・



その時ふっと彼女の御両親は



とっても厳格な方で



彼女はその両親から負のスパイラルを



どうにかしようと



自分なりに努力をし



家族の中では珍しいほど陽気で



心が広い自分の描く



自分を作っていったのかなって感じたの



それでちょっと尋ねてみると



やはりそうだったらしく



彼女がどれだけの努力で



この素晴らしい人になっているのかを感じたら



胸が熱くなったの



他にもみんなから経済的に



あまりにもしっかりしていて



快くない言葉を言われていた方がいたのだけれど



その方の場合は



幼いころ借金によって



彼を置いたまま



両親がどこかへ行ってしまい



彼は施設で大切に育てられ



その中で学びとた思いがあって



両親の負のスパイラルから逃れるために



とってもとっても頑張ってきたんじゃないかなって



感じたの



誰もが両親から受け継いでいる



負のスパイラルから進化してゆくために



大きな努力を重ね



自分という存在を