2010年2月



人とのコミニュケーションの形って



それぞれが持っていて



その形は



いつも無意識に



表現しているんじゃないかなって



感じているの



よく出会うコミニュケーションの形は



その場所にいる方たちとの共通の話題を



見つけ縁を深める



コミニュケーションのくせとして



悪気はなく



その場所にいない人について



快くない話題をあえて



表現する形だと思うの



このコミニュケーションの形って



幼いころ身につけてしまった



人との縁を深める形として



もっとも有効に働いてくれた記憶と共に



大人になってからも



無意識に秘密を共有しているような形で



続けられているのだと思うの



表現されている方は



そんなに深く悪口だとは



思ってはいないのだけれど



本人の目の前で



表現できないという事が



あまり良くない表現をしている証だと思うの



人はだれでも



コミニュケーションの形を持っていて



ストレートに



人の笑顔が嬉しくって



無意識に自分のだめなところを表現したり



必要以上に頑張ってしまい



その反動で



一人になるとホッとされる形もあったり・・・



人と繋がる話題って



何となく



周りや自分が幸せだというお話よりも



距離が程よくあって



安全な場所から



幸せではない状況の人の会話の方が



大きく意識が注がれ



時には



そんな方たちを見つめては



自分の幸せを自覚してしまったり・・・



でも本当は



自分よりも幸せではない方を見つめてしか



幸せを自覚できないということは



その方と何も変わらないほど



心は幸せで満たされていないのだけれど・・・



私の知り合いで昔クリエイティブなお仕事をされていて



何気ない会話の中で



「誰と話してもつまらない」という表現をしていて



よく孤独感を感じていると言っていたのだけれど



その頃の私たちは



その方が表現する意味が良く分からず



その言葉を受け取れず



「自分を勘違いしているんじゃない」など



あまり良い印象を持っていなかったのだけれど



数年ぶりに会った時には



その印象は私たちが勝手に作ったもので



その方が表現したかった事は



当たり障りのない会話や



いつも誰かになろうとする人との関わりが




何も生み出さない



実りのない時間だという事を



その頃感じていたようなの



私たちは逆に



昔の方が協調性があって



輝き楽しんでいたと思っていたのだけれど



その方が言うには



年齢を重ねて良い意味で



自分のカラーが出ていて



誰かのマネもできないししない



ずーずーしさがいい(笑)って



伝えてくれたの



確かに若いころは



自分が話したくない事でも



コミニュケーションのひとつとして



共に人に対して快くない話題も



多かったと思うし



本当は好きなテイストではなくっても



今は流行っているからと



いつも選び取っていたし



会話も本当は精神世界に心惹かれていた私は



その様な会話をしたかったけれど



変だと思われる事を怖れ



特に興味のない当たり障りのない会話を



していたように思うの



でも今は



年齢を重ねてくる事で



色々な体験を通して



自分が何が好きで



どんな事が嬉しくって



どんなものが好きだという事を



わかってきているので



ちょっと我が昔よりも強いかなっと



思うくらいに



譲れない価値観が



生まれているの



その方はクリエイティブなお仕事をされているので



人の中に持つ個性的な部分に触れるたびに



インスピレーションが湧き上がるようで



その事で作品ができると



何もしていない私たちに



お礼だと言っておいしいものを



プレゼントしてくださるの



私もお仕事というほどの事ではないのだけれど



空や自然にふれたりしていると



無言のメッセージを感じ



それがアクセサリーとなっているので




ほんのちょっぴりはわかる気がしていたの



その方が良く表現していたのは



「何も生み出さない時間は人生の無駄」という言葉で



どんなささいな事であっても



心動き



自分を良い方向へ導いてくれるような時間ならば



テレビの話題であっても



誰かの噂話でも良いけれど



結果心に残る思いが



あまり良いものでなければ



意味がないと言っていたの



その方が人の事を話題にする時は



人の良いところを褒めた言葉が多く



誰かを傷つけたりも



そして自分を傷つけてしまう事もない



優しい会話のように感じていたの



私も体験あるのだけれど



人の事を快い言葉で表現せず



その時は盛り上がっていても



一人になってみると



あまり良い感情が保てず



反省しちゃう事もあったり・・・



時々感じる事なのだけれど



正義感から自分が正しいと思う事を



表現し貫いた亊で



逆にその時には窮地に追い込まれ



正しい事はわかっていても



どうしても譲れないまま



自分の正義を貫いた時って



その時には



困難を自ら作ってしまって



自分に呆れたり



応援してみたりと



心が行ったり来たりしていて



失敗だったかなと思うような事であっても



未来まで時間を進めてみると



上手に言葉では表現できないのだけれど



そのような過去が



未来の自分の心の大きな支えに



なってくれている事って



あると思うの



その逆もあって



誰もが忘れた遠い過去の出来事であっても



自分が自分を悔い



責めてしまう事をした記憶は



未来の自分の苦しみとなる事も



あるんじゃないかなって



思うの



未来は今作られていて



今この瞬間が10年後の自分の大きな支えとなる



記憶作りの時だとすれば



人からの評価ではなく



自分が自分を誇れる



過ごし方ができたらいいなって



思っているの














良い流れというものが



スタートする時って



私たちが考えているように



初めからバラ色の時間とは限らず



人によっては



半強制的に整える時間が



与えられると思うの



それはまるで



幸運を予感させるように



お掃除をすべて終え



すがすがしく心地が良い気分に包まれていた時



ほんのささいなきっかけで



引き出しを落としてしまい



せっかく綺麗になった床が台無しに



なってしまったり・・・



そんな時私たちは




一瞬にして心地の良い気分が



怒りに変わり



「せっかく綺麗にしようと思ったのに・・・」とか



「良い事をしようと思ったのに・・・」と



良き流れをスタートした事が



あまりよくなかったようにさえ感じてしまう事があるけれど



もしも心ほんの少しスペースが残っていたならば




冷静に見つめてみると



自分が気付かなかったものまでも



気づかせてくれて



良き流れが本格化してきている事に



気づかされると思うの



私たちは何か良き流れを



自分で意識してスタートしようとすると



多くの場合は



過去から繋がる様々な解毒が



必要になってくるのだけれど



つい良き流れを意識して過ごすと



すぐに今この瞬間から



バラ色の時間になるように想像してしまうのだけれど



一見良き流れに思えない事であっても



自分の心が良き流れを求めて



行動していたならば



時間差はあっても必ず



自分の望む形に近い



幸せな流れが整ってくると思うの



人間は少しせっかちなところがあって



自分の行動・言動が形にならないと



意味がないように感じる事もあるかもしれないけれど



私たちは日々忙しく時間を過ごしている事もあって



自分の行動や言動さえも忘れていて



良き流れが訪れたのは



偶然として流してしまったり



運だけに左右されているように



受け止めてしまう事もあるけれど



今もしも幸せな気持ちで過ごしているのならば



それは数週間前・数ヶ月前・数年前に



自分が播いた幸せの種だという事を




思いだしてみると



良いんじゃないかなって



感じているの



人に対しては謙虚さというものは



大切だけれど



自分が幸せなのは



自分が撒いた幸せの種だという事に



自信を持って



自分の人生の責任を果たしている



自分を褒めてあげてほしいの













今日久しぶりに



実家へ足を運んだの



その中で



いとこのパートナーが



自らこの世を去った事を知らされたの



その方はいとこのよりも



10歳くらい年上の女性で



私が若いころから



美しい大人の女性だった事を



記憶していたの



その頃から



いとこの両親や親戚から



子供を作る事を義務のように



いつも強制されていて



その頃若かった私は



周りが強制する思いや



強制されるその方の辛い思いはわからず



能天気に



「そんなことどうでもいいじゃん」と



表現し



気づくとみんなの攻撃が私の方へ



向ってきていた事を懐かしく



思い出していたの



あまり親しくしていた方ではなかったので



数年に一度会うだけではあったのだけれど



なんとなく



その方の思いを考えてしまうと



悲しい気持ちに包まれているの



今ならば



いっぱい・いっぱい気持ちをわかってあげらるから



守ってあげたれたかもしれないって・・・



母から話を聞くと



いとこもパートナーを失いうつ病になり



いとこの母も



救ってあげられなかった自分を責め



うつ病になっているようで



とても大変な時期を過ごされているのを聞いて



改めて感じる事も



いっぱいあったの



人はだれでも



この世に誕生した瞬間から



無意識に頑張って呼吸をし



がんばって立ち上がり



がんばって皆が表現するルールに



自分を合わせ



がんばって今過ごす世界を修正しながら



過ごしているのに



そこへさらに頑張る事を



強要されると



荷物がいっぱい・いっぱいになって



どんなにがんばっても



一歩も前に進めず



その立ち止まった瞬間



様々な心の病が生まれ



人生に光を見つけられなくなる事は



どんなに明るい性格の方であっても



ある事なんじゃないかなって



感じていたの



私亊ではあるけれど



私を知っている方ならば



私が心の病になるという事は



絶対にありえないと思うほど



良い意味でもそうじゃない意味でもわがままで



周りの評価も気にせず



わが道を行く



悩み一つない人に映ると思うのだけれど



そんな私でも



結婚し本人は幸せだと感じ



過ごしていたけれど



ある時期から



周りから子供の誕生を望まれ



その様な時期と重なり



自分の病を知り



治療が始まった頃



ルモンバランスが整わず



ひとつ・ふたつと



自分を支えていたものを失い



気がつくと



軽い落ち込みが続き



今思うとそれが心の病だったんじゃないかなって



感じているの



その頃は自分では自覚できず



今になって



両親やパートナーから



その頃の私の事を教えてもらうたび



まわりや



ここにきてくださる方たちのおかげで



わずかな光でも



その光が見えるように



いつもわたしのそばを照らしてくれて



いた事を感じ



涙が溢れるほど感謝でいっぱいなの



その頃の私は



自分の身の回りを整理し



整ったならば自ら・・・と思う気持ちも



時々流れるようにあたのだけれど



その様な時に限って



まるで神様が



自分の思いと繋がれる人たちを使って



私に次に果たさなければならない事を



用意し



どこか責任感がある私は



じゃーその事が終わったら・・・と思って



自らこの世を去るという



その様な思いを後回しにし



気がつくと



その時その時一生懸命になれる事を



多くの方に与えてもらい



気がつくと



心の病が



どこかへいってしまっていたの



でももしも私もいとこのパートナーのような状況で



避難場所となるものを



誰にも与えてもらえなかったならば



同じような事があっても



不思議ではなかったように感じているの



女性という存在は



太古の昔から



子孫繁栄のためだけに



存在を肯定してもらい



その事が当たり前のように受け取られ



その当たり前の事が



難しい状況にある方は



どの時代も



せつなく過ごされてきたと思うの



今は時代が変わったとはいえ



まだまだ女性の自由選択には



厳しい方や難しいスペースも多くあると思うの



たとえ子供を授かっても



女性の人生はそれだけではないので



そのあとその子供たちのために必要な



経済のために



社会で過ごしたいと考えても



瞬時に変化する子供のために



せっかく受け取った仕事を休まざるおえなくなり



その様な事が重なると



社会で過ごす事が難しくなったり・・・



時代は優しく良くなってきてはいるけれど



まだまだ



女性の選択肢は少なく



子供がいても今までの一個人としての人生が



続けられる



女性が豊かな思いを



育めるようにならなければ



今よく社会で問題になっている事は



解決が難しいのではないかなって感じているの



今話題になっている婚活というものも



私が感じているのは



本当はごく一部で



しいていえば



子供を授かりやすい年齢のタイムリミットに足しては



何度も考えてはいるけれど



結婚をどうしてもしたいというよりは



縁あって運命を感じる方との出会いは



人生にあったらうれしいという



軽い気持ちはあっても



TVなどで伝えられるほど



深刻ではなく



私の周りの独身の方たちは



誰も焦ってもいないし



逆に自由を謳歌し



楽しそうなの



ほんの少し前に独身で子供がいない女性を対象に



負け犬という表現が



広がっていた事があったけれど



その言葉もマスコミが



受け取り間違いをしていて



その言葉だけが広がり



独身の女性や子供のいない女性に




惨めない気持ちを感じてもらい



そこから脱出したい気持ちを煽るために



広げた言葉なだけで



作者は良い意味で周りからの思いに対し



がんばって幸せを伝える事はやめて



自分が幸せを感じているのならば



それでいいんじゃないかという意味をこめて



良い意味で



開き直るためにその言葉を



用いていただけだと思うの



婚活も同じで



結婚しないのではなく



できないという



惨めない気持ちを感じてもらい



そこから脱出したい気持ちを煽るために



マスコミが作り上げている



ブームだと感じているの



そして若い世代は



情報の選択は難しい事もあって



流れる情報に



適応しようと



まだ焦りなどを感じていないのに



予防線のために



結婚相手を探す流れが出来ていて



今のブームがあると感じているの



日本人は素直で



とっても美しくやさしいメンタリティ―を持っているから



良い事もそうではない事でも



すべて受け取ってしまい



その空気感に順応しようとしてしまう所があるから



今の時代は特に



混乱してしまいやすい事も多いと思うの



そして日本人には言わない文化というものがあって



避難されている人の言葉に



どんなに共感していても



共感を表現してしまうこわさを知っているから



他の思いがあっても



表現しないだけで



本当は人の数ほど意見や思いがあっても



不思議な事ではないように思うの



言葉では上手に表現できないのだけれど



大きな声を出した方を



ふっと振り返って見つめるのに


とっても似ていて



みんなの意識が注がれたから



正しいのではないと思うの



私自身無力で



何もできない人ではあるけれど



同じ時代に生まれてきて



そして奇跡的に縁がある方だけでも



自分らしい



瞳輝く



人生が創造してゆけたらいいなって思い



今日いつもよりも長く



祈りをささげていたの








新たな行動が



脳の刺激にとっても良い事を



数年前に知ってから



小さな事ではあるけれど



初めての事を見つけては



受け取っているのだけれど



今回はいつも足を運んでいる美容室を



新たなお店にしてみようと思い



足を運んだの



そこで私を担当してくれた



若い男性はとっても秘めた個性の持ち主で



とても楽しい発見がいっぱいあったの



接客というものがプラスされた



技術職の方は



何よりも大変なのは人と話す事や話題だと



良くいいていたのだけれど



私を担当してくださった若い男性も



とても大変そうに私に



話題を提供してくれていたの



ただその方は頭の中で一生懸命に



問題のない



誰でもわかる話題を考えながら



溢れる話題は



無難に芸能人の話題だったの



残念がら私自身



あまりそのような分野は詳しくないので



互いに言葉がスムーズに流れないので



私の方から



少し踏み入った事を



彼に質問という形で



言葉を送ったの



このような仕事は長いの?とか



どうしてこのような仕事を選択したの?など・・・



そうすると



今までとても重かった口が



急にエネルギー溢れるものとなり



自分が選択した仕事への情熱や知識・夢を



語りだし



言葉のあいだ・あいだには



今までその様な言葉を語るたびに



否定されてきた人の顔が浮かんできたのか



「偏ったこだわりを持っているので



みんなに引かれちゃうんですよね」と



伝えてくれていたの


確かにその方は


みんなで楽しめる話題には



心惹かれていなく



専門的な美容的なものに



多くの時間を注いでいるようなので



接客という事が



大変そうだったの



ただ私も彼とは違う分野ではあるけれど



とてもこだわりを持っていることもあって



そのこだわりはわかる気がしたの



私はせっかくだから



自分が気になる化粧品の事や



今使っているものに対して



尋ねてみると



「○○という成分は本当は医薬部外品で・・・」と



専門的な成分の話にまで流れてゆき



わからない私でも



メモをとりたくなってしまっていたの(笑)



ただ私が感じていたのは



一個人としては



話題など楽しい空気には



らないかもしれないけれど



んな仕事であっても



こだわりとプライドを持って



そして



何より大好きな仕事を



多くの方に選択してもらいたいと



感じてたの



その方は自分の仕事が大好きだから



お休みの日も



有名なスタイリストの講習や



容で有名な方の公演などに



遠くまで足を運んでいるようだったの



その方の情熱を感じながら



様々な分野でその様な思いの方が



広がってくれたならば



社会の中で広がる



偽装やリコールなどが少なくなり



昔の日本の誇れる



職人さんの技術と信頼が



蘇ってくるんじゃないかなって



感じていたの













改めて様々な出来事の中で



人それぞれに



えねるぎーとなるものがある事を



感じていたの



たとえば心が曇っている方へ



元気を与えたいと思った時



「あなたならば大丈夫だよ!」という言葉で



元気が湧き上がる人もいれば



人事だと思って・・・と受け取られる方もいたり・・・



もちろん与え・受け取る方の間での



相性などもあるとは思うのだけれど



本当に人の数ほど



受け止め方・伝え方が必要な事を



感じていたの



この間パートナーと話していた時



俺が悩んでいる時



いつも元気にしてくれたから



こうして生きているけど・・・という



ニュアンスの事を伝えてもらった時



私の中では



パートナーをどんなときにも



優しく包んで揚げていない自分を反省していたので



とっても意外な言葉だったの



よく心が曇って



元気がない方には



色々な心の荷物をおろしてあげる事が



大切だと伝えられていつので



その真逆の言葉ばかりを



伝えてしまう私に



感謝を伝えてくれた事が



意外な驚きと



歓びを感じていたの



パートナーの場合は



必要とされる事が負担になるのではなく



逆に大きな喜びと原動力になるタイプの人のようなの



なので彼が落ち込んでいる時に



私が表現してしまう



仕事が忙しいという事は



多くの方の必要とされ愛されていて



そしてあなたならばできるという事を



周りが認めているから



与えられるんだから



もっと自信を持ちなさいよ!という言葉が



負担ではなく



エネルギーになる事を知ったの



でも同じような言葉でも



その様な言葉がフィットしない方や状況の方もいるから



すべての人の原動力には



ならないと思うの



私の母は自分の思いを嘆き悲しんでいても



そこで励ましや



母が恵まれている状況を伝えたり



様々なアドバイスは求めてはいなく



ただただ



共感し理解してほしいだけなの



私の周りには



とっても個性的な方がいっぱいいて



驚くほどカラーが様々なので



社会生活の少ない私ではあるけれど



小さな社会が



私の周りにはあって



色々な事を



学ばせてもらっているように感じているの



話は少し違うのだけれど



人間の人生というのは



本当に帳尻があっていて



その瞬間だけでは測れないけれど



人生を早回しできたならば



その方の器にあった



喜びや幸せが用意されていて



ずっと恵まれない



救いのない人生はないように感じているの



人生のパーツだけを見つめて



何となく悲しくなったり



人生を悲観したりしてしまう事はあるかもしれないけれど



自分が消化してきた分は



必ず時間差はあっても



大きな徳として



後に受け取れるよう準備がされているように



感じているの



その逆にその瞬間人のご厚意で



徳が出来た事に感謝を忘れ



得る事だけに意識が向かうと



時間が先へ進んだ時



逆に手放し失うものに溢れ



人生の帳尻合わせの時期が



訪れるように感じているの



私の周りでも



その様な方がいて



その方たちから



その様な事を間接的に



教えていただいた気がしているの



私の母はよく



できる時にはできる事を



人にしてあげなさいという事を



よく私が幼いころから表現していて



そのたび幼い私は



その様な行動がとっても損なきがして



母が好んで苦労をしているようさえ



映っていた事もあったのだけれど



最近の母を見つめていると



充実した時を重ねていて



科学や知識では測れない



人生の計算式がある事を



感じているの



その逆に昔は人の御好意を



いつも受けて恵まれていた方



年齢を重ねてから



今度は受け取ってきたつけを



払う時期を迎えている方も多く



真逆の方たちを見つめながら



今になって



母が表現していたように



自分ができる時には



できることを誰かにしてゆこうと



思ったの



力量が少ない私は



きっと気づかないくらいの



小さな事しかできないとはおもうのだけれど



それが自分の精一杯ならば



それはそれで良いかなって



感じているの









よく今の時代は



人情がななくなったと



表現される方もいるけれど



私はそうは思っていないの



ただ形が変化しただけで



今でも誰の心の中にも



自分以外の人を思う



優しさは溢れていると



感じているの



昔の日本人の多くは



志高くプライドを持ち



その事もあって



辛い時でも何かに頼ったり



弱音を表現する事が出来ない事を



周りが理解していて



その気持ちを傷つけないように



助け合ってきて



その優しさを受け取られた方も



ありがたく感謝したりして



優しさを手渡された方は



役立つ自分に喜びを



感じたりしていたと思うの



優しさを受け取られた方は



ありがたい気持ちを持って



過ごしてきたのだけれど



時代の流れの中で



誰にでも優しさを手渡してこられた方たちが



今までの流れではない



出来事を何度も受け取り



自分の優しさを優しさとしてではなく



その気持ちを利用したり



当たり前のように



受け取る方の存在を



重ね体験してゆくうちに



無意識に自分の中で



学習し



誰にでも優しさを手渡す形から



人を見て



手渡す形へと



変化しているだけなんじゃないかなって



感じているの



優しさを手渡す方たちは



決して見返りを期待して



そうしているのではなく



ちゃんとした形で自分が役立つ方法を



選択しているのだと思うの



そして何より



優しさが優しさで受け取ってもらえず



自分が傷つくのは避けたいと



考えているからだと思うの



とても残念なことだけれど


時代と共に


損得にたけた人が多くなり



中には



得ができれば



相手をだますことに



心痛まない人も



存在しているから



防衛の一つとして



誰にでも人情を表現できなくなっただけなんじゃ



ないかなって



感じているの



大昔外国人の方が日本に



来た時の印象を書かれた本があって



そこには日本の素晴らしさが



書かれていて



その中には盲目の方が



一人で道を歩いている事が書かれていて



その事を



その方はとても驚かれたようなの



私は意味がわからなかたのだけれど



読み進めてゆくと



その方から見つめると



無防備な存在なのに



誰ひとりとして



その盲目の方に何か良くない事をすることもなく



普通に声をかけ



挨拶をされていたりしたことや



その盲目の方も職業を持って



社会に馴染んで過ごされている事が



感動的な日本の印象だったそうなの



でも日本人の私からすると



何も不思議な事ではなく



逆に何か困った事があれば



助けとなれれば・・・という気持ちこそ



あれど



無防備な方に何か良くない事を



しようなどとは



思いもつかないので



逆にそのような印象をもたれたその方の



見つめ方に



はっとさせられたの



それくらい現代に生きる私でさえ



言葉では説明のできない



特定できない愛情や人情はあるのだから



今でも人の心には



人情や愛情は



あると思うの



私事ではあるけれど



私の父は無条件で血縁関係を



とっても重んじ大切に思う人なので



自分の兄弟に対しては



深い優しさと思いやりがあって



私たち家族から見つめると



少し心配になるほどだったのだけれど



数人の兄弟は



今でもありがたい気持ちと



感謝を表現し



自分のできる範囲で



お返しをし合う関係だけれど



中には父の優しさを利用し



返すのに生涯の半分はかかるくらいの借金を



背負わせたまま姿を消した方もいたりして・・・



その時父は



その借金の大きさにも驚とき絶望をしていたけれど



それ以上に



自分が幼い時から



共に育ち絶対的な信頼をしていた人からの



裏切りに



立ち直れないほど



悲しみに包まれていた事があったの



それ以来




誰にでも大きな優しさや思いやりを



手渡してきた父も



人を見て



手渡す優しさの便量を調整するように



なったの



だからといって性格が変わるわけではないので



ほんの少し無理をしても



人のために動いてしまう人なのだけれど・・・



ただありがたい事に



今は周りが父の優しさや思いやりを



そのまま受け取ってくれる方ばかりなので



互いに笑顔が広がり



幸せそうなの



人間はその時おかれた状態や



育ってきた過程で



自分なりに解釈し学んできたものがあるから



時に本能的に



自分が助かる事だけに



意識が注がれ



人の気持ちを考える余裕を持てない人もいるけれど



時間がたてば



必ず自分の人生を振り返り



まっすぐにすべての出来事を



見つめなければならない時が来て



その時その方が



自分で自分を裁く日がくるんじゃないかなって



感じているの



なぜならば



人はみんな心があるから・・・