20010年12月





私たちはいつも周りに漂う波動に影響を受け


時々自分が望むものや


魂の成長とは別の方向へと


流れてしまう事があるんじゃないかなって


感じる事があるの


その事で様々な選択に迷い


決断できない事も多いように思うの


たとえば世の中で表現されている幸せを


自分も幸せだと共感し


納得するのだけれど


その後その事が自分の人生を幸せにしてくれる


出来事なのかそうではないのかは


魂レベルで判断し


自分と重ねる事なく


自分にはない幸せを


幸せに感じ過ごされている方をあたたかい気持ちで


繋がりあえる方と


その逆に人が感じる幸せに共感した後


その事が自分の幸せだと認識し


本当は自分の魂の成長や人生に必要がないものを


永遠と追い求め


自ら幸せになれないような選択をされる方もいるように思うの


そしてそういう方は


よく自分を否定される事も多いようだけれど


そういう方は


自分では気づいてはいないかもしれないけれど


とっても心が広く


あらゆるものの中に宿る素晴らしさに


共感してしまう事もあって


何が良いのか?何を自分が望んでいるのか?


時々見えなくしてしまう事があるように思うの


人生の中で辛い体験やかなしい体験をされた方の多くは


自分が人を選ばずつきあったからとか


類友の法則に自分の体験を重ね


最終的に自分の人を見る目のなさに


落胆される事もあったとは思うのだけれど


私が感じているのは


そういう方は


あらゆるものの中に宿る小さく輝く素晴らしさに


初めに心の瞳を向けてしまう


天使のような清らかさを持っていて


あらゆるものに対して分け隔てなく繋がりあう事も多く


自分が好む好まざるにかかわらず


すべてを受け止め


人間関係でも


自分が自ら傷ついてしまう関係と


多く繋がりやすいんじゃないかなって感じているの


人はだれでも


危機管理スステムを秘めていて


自分の小さな人生体験から


新たに出会う人々を判断し


自分が傷つかないように防御しているのだけれど


そのすべてが必ずしも正しいわけではなく


もしかすると時には自分の勝手な思い込みもあって


素晴らしいご縁を拒絶してしまっている事もあると思うの


ただその危機回避能力によって


運ばれている縁の多くを受け入れない事持って


その分心曇る体験は最小限にできているとは思うの


よくトラブルに出会う方に対して


多くの場合「そんな人と付き合うから・・・」とか


「あんな場所に行くから・・・」など


トラブルで傷ついている方がすべての原因のように


表現される事もあるけれど


すべてがそうだとはかぎらないように感じているの


私の知り合いに


ボランティアなどで溢れる愛情を


様々な方に手渡し過ごしている方がいるのだけれど


その方はとっても尊敬できるくらい


素晴らしい方なのだけれど


その方の人格とは別に様々なトラブルや


心曇る出来事に包まれて過ごされているの


それは彼女の天使のような優しさや心の広さから


多くの人に宿る素晴らしい光を


誰よりも早く見つけ出す


その素敵な資質にあるように感じているの


とっても失礼な表現なのだけれど


通常では近寄る事を避けたくなるような方たちとも


あえて関わりをもち


その相手がこのようになるまでの人生に背負った


様々なものを思い


優しくふれあっているの


それでもやはり心身がゆがみという殻に包まれている彼らは


エネルギー溢れ輝く彼女に


理由なく拒否反応もあって


彼女の思いとは違う方向へ流れてしまう事も多いようなの


それでも彼女は


「誰にだって人生をやり直す権利はある」という信念から


ボランティアなどを続けられているの


多くの方とかかわりが多ければ多いほど


悲しみやトラブルなども人の数だけあるけれど


それでもお世話した方の中には


立ち直り素晴らしい人生を歩まれる方もいるようで


その笑顔に出会うたび


生きている喜びを感じるそうなの


彼女の生い立ちも複雑で幼いころ両親が蒸発し


残された彼女は施設で育ったのだけれど


その施設で出会った愛情あふれる方たちのおかげで


両親を恨む時間を短く過ごし


救われた命を誰かのために何かしたいと考えたそうなの


そして施設にいた頃


初めのうちは


心身が荒れて


数年の間に周りが離れてゆく中


それでも優しくいつも抱きしめてくれる方がいたそうで


彼女にとってはそのたった一人の方のおかげで


今の自分があるといつも感じているそうなの


そして彼女はよく


「人はたった一人でも自分を愛し


心配してくれている人がいる事を知ると


自分のために頑張れなくっても


その人のためにがんばれるものなの


だから私も誰かにとってそんな人になりたい」と


言葉を表現しているの


そのお話を聞き


私も反省する事が多くあったの


たとえばトラブルは自分が招いているものと決めつけ


傷ついている人をさらに傷つけてしまっていた事も


多くあったから・・・


人生には自分の予測を超えた事が


自分の意識とは別に


魂の成長のために与えられる事もあるのだから


必ずしも本人のせいばかりではないように感じているの


そして誰もが自分を幸せにしたいと願い


小さな選択を繰り返してきたはずだと思うの


それがたまたま様々なタイミングで


思うように形にならず


そのうち人生がどうにでもよくなるほどに


落胆してしまっただけだと思うの


今の時代は多くの方が


今までの歩みとは違う流れに戸惑い


漠然とした不安に包まれて過ごされている方が増えているけれど


どんな時代も・どんな事柄も


たとえ良き流れになるであろう事であっても


シフトしてゆく時には不安なものだと思うの


人間はだれでも


未知なるものに不安と好奇心がいつも重なっていて


コンディションが良い時には


好奇心の方が広がり


コンディションが良くない時には


不安の方が広がるものだと思うの


そして人はどんな事でも


確実なものが欲しくって結果を焦る事があるけれど


本当はどんなものにも確実なものはなく


保証もないものだと思うの


たとえば確実な保障がほしくって


愛する人とただ一緒に過ごすのではなく


結婚という形を望み


相手の気持ちのペースを考えず


なんとか自分の思う形にたどり着いたとしても


愛を確実にするものでも保障するものでもなく


形の変化でしまないから


一生添い遂げるかどうかはわからないと思うの


私の知り合いには10年以上も共に暮らし


とっても仲が良く幸せなカップルがいたのだけれど


なぜか結婚したとたん数年で


別れたカップルがいるのだけれど


彼女が表現するには


結婚という安心がほしくってそうしたようなのだけれど


安心した事もあってなのか


共に暮らすだけの時とは違い


思いやりやときめきが消えていたそうなの


そのお話を聞いて


私も結婚しているから


何となくわかる気がしたの


結婚して安心したかった彼女の気持ちもわかるし


その安心って愛情が形を変えた


紙によって拘束できる安心感もあったのかなって思うの


恋人の時も夫婦になってからも


人と人が共に寄り添いながら


過ごすことには変わりはないけれど


きっと恋人の時には


寄りかかるのではなく本当に寄り添う歩みで


夫婦になってから


寄りかかりすぎた事で


相手が距離をもちたくなってしまったのかなって思うの


そして夫婦というのは


寄りかかりすぎてたとえ共倒れしそうになっても


簡単には距離をもつ事が難しいと考える事もあって


良い意味でもそうではな意味でも


甘えすぎてしまう事もあると思うの


そう思うと知り合いの場合は


大人同士という事もあって二人仲良く


流れのままに過ごしていた方が


幸せだったのかなって思うの


そして今ではまた友達のように付き合い


仲良くしているようなの


彼女は自分の幸せの形は結婚だと思っていたのだけれど


ずっと結婚のタイミングが整わなかったのは


魂の目的とは違っていたからなんじゃないかなって


感じているの


彼から学び心支えられよいソウルメイトだと思うのだけれど


それは結婚という形では成し遂げられなくなってしまう


何かがきっとあるんじゃないかなって


感じているの


そしてその事は意識ではお互いにわからないことだけれど


魂は共鳴し合い


この広い世界で引き寄せあい


出会えた人たちだと思うの


自分を幸せにしようとし


その事が時にエゴと重なるものであったならば


それは自分を幸せにする思いトは真逆の逆らう流れとなり


結果魂が軌道修正してくれるのかなって思うの


その事は違う角度から見つめると


まるで同じ事を繰り返しているように映り


懲りない私として映るかもしれないけれど


それは自分にとって正しい幸せへと


軌道修正されたからだと思うの


なので一見同じ道をもう一度歩んでいるように


感じるだけだと思うの


この世に生命がある限り


何度でも方向転換も思考も変えられるのだから


周りの波動にとらわれることなく


もっと自由に翼を広げ


人生を羽ばたいてゆけたならば


それぞれが人の価値観とは違う


自分が感じる幸せを描いてゆけるんじゃ


ないかなって感じているの











私のいつもの良くない癖で


自分が伝えなくっても誰かが気づいて


やってくれるだろうという


思いが


様々な場面である事を感じていたの


私の住むマンションは宅配ボックスがあって


不在の時でも帰ってくると受け取れるので


とても便利に感じていたのだけれど


数ヶ月前からすべてのボックスが


空のまま閉めたままになっていて


とても不便を感じていたの


私も引っ越してきて初めて宅配ボックスを利用した時


closeからopenにつまみを回し


中のものを取り出した後


つまみはopenになったまま閉めるのを知らず


つまみをopenからcloseにしてしまい


ロックしてしまった経験があったので


使用方法がわからないままの方が多く


気がつくとすべてのボックスが


使えなくなっていたと思うの


以前はささいな事でも大家さんに伝えに行ってくださる方がいて


マンションの不具合や


宅配ボックスが今回のようになった時には


すぐに使用できるように


伝えてくださっっていた方がいたので


いつもの私の良くない癖で


きっと誰かが気づいて直してくれるだろうと思っていたのだけれど


気がつくと数カ月の月日が流れて


そんな時私は見えない相手との我慢比べをしてしまい


自分で行動をしようとしない所があるの


でもよーく考えてみたら


もしかしたら私と同じ考えの方もいて


みんながみんな見えない誰かに期待を続け


不便を共有するのは


何か違う気がしたの


そしてこの問題も


私の課題となっている


「自分の意見を伝える」という学びなのかなって


感じたので


大家さんに伝えに行ったの


そうすると快くすぐに使用できるようにしてくださり


ホッとしていたところに


宅配の方がきて宅配ボックスに荷物を入れたの


そして私は部屋に帰ろうとした時


同じマンションの方が帰ってきて


早速宅配の荷物を出そうとしたので


「私も知らなかったのですが


closeからopenにつまみを回し


中のものを取り出した後


つまみはopenになったまま閉めないと


使用できなくなるそうですよ」と伝えたの


そうしたら「あ!そうだったんだ


ずっと使えなくって不便だったの


ありがとうございます」と伝えられ


勇気をもって行動してよかったって


小さな事だけれど


自分をいっぱい褒めてあげたの


人に意見を手渡し時って


その方の心のコンディションや受け取り方もあるから


とっても難しくって苦手で


つい誰かが伝えてくれたらな~とか


誰かが気づいて直してくれないかな~と思う


日本人独特の


物事にかかわりさえもたなければ災いを招くことはないという


意識がどこかにあって


たとえ伝えたい事改善したい事があっても


誰かが行動してくれるのを待ち


どこか責任逃れできるポジションにいつもいたように思うの


でもそれって本当はとっても怖い事のように感じたの


今回のような小さな事ならば特に問題はないけれど


その様な考えをもち人生を歩むという事は


すべて周りの流れで自分の人生が決まり


自分の人生なのに


自分の意識が反映されない不思議なものとなってしまうような


気がしたの


どんなに責任逃れをしても


自分の人生なのだから


誰も責任を負う必要も義務もないのだから・・・


今まで自分は恵まれていて


気がつくといつも


私の事を変わりにしてくれる人がその時々現れて


長い月日を過ごしてきたのだけれど


今回生まれて初めて


誰かに代わってもらう事の出来ない


手術というものを体験して


手術の数日前には押しつぶされそうな不安と


不安に押しつぶされないよう


痛みから解放されるという思いが支えとなって


その日を迎え


痛みに弱い私は極力手術以外での痛みは


経験したくなかった事もあって


看護師さんには申し訳なかったとは思うのだけれど


何度も注射をうまくできない方を


他の方に変えてもらうよう伝え


その方自身は傷つかれ方も知れないけれど


いつもの私だったら


伝えられた方よりも


伝える自分の方が心が痛くなるのだけれど


その時は何をするために私はここにいるのかという


明確で強い思いがあった事もあって


その様に行動できたと思うの


そして後に心やさしい瞳に映らない聖なるものの計らいで


医療関係の方がと話す機会があった時


何気なくそのお話をしたら


「その人の技術的な事や


注射などはなぜか相性があるから


あまりうまくできない人に当たったら


変えてもらった方がいいよ


それにみんなが我慢して黙っていたら


犠牲者が増えるしね(笑)」って伝えていただき


小さな持つ必要のない罪悪感から解放されたの


そしてその時


私の小さな体験ではあるけれど


自分が思いを伝える事で


出会う事のない誰かのためになっているんだって思うと


とても大きな勇気になったの


それからは出来る限り


自分から生まれる思いを表現したり


行動しようと思ったの


私にとって手術は


当たり前の事が出来る奇跡と喜びを教えてくれると同時に


自分の人生はどんなんに誰かに責任転換しても


自分の人生は自分でしか変えられない事を


改めて教えてくれた気がしているの


そして入院中


健康というベースとなるものが揺らいでいると


その上に築いてゆくあらゆるものが


どんなに美しく素晴らしいものであっても


自分よりも価値のあるものがない事を感じたの


たとえ目の前に素晴らしく美しいものがあって


何よりも大切に思っていたものであっても


それに」ふれる自分がいなければ意味を持たず


健康という自分のベースがあって


様々なものに命を宿しているように思うの


そして日常で不平不満が生まれる時って


自分ではなかなか気づけないけれど


本当は幸せな時なんじゃないかなって感じたの


入院中


初めての事ばかりで余裕がない私は


その事をひとつずつ受け入れてゆくのが精一杯で


本当ならばいつもよりも大変で


不平不満が生まれてもおかしくないのに


そんな余裕がなかったように思うの


よく本当に悲しい時には


涙も出ないという表現があるように


少しでも心の余裕というスペースがあるから


色々な感情が生まれるんじゃないかなって


感じたの


そして不平不満が生まれる時って


変われるのに変わらない自分に向けて


表現している事が多いように思うの


不平不満のターゲットは周りの誰かだったりするかもしれないけれど


よーく耳を澄ませて聞く事が出来たならば


自分がやれる・やらなければいけない事を


しない自分に向けたものも多く


それを相手にさせようと思い気持ちや


してくれるだろうと思っていた期待から


生まれているものも多いように思うの


私たち人間は自分が思っている以上に


本当は多様な可能性と大きな勇気を持っているのに


楽をしようとした事で


実は苦痛を味わっている事も


あるんじゃないかなって感じるの


この世に誕生した意味の中には


自分に与えられた様々な要素があって


その要素を可能な限り使うために与えられているのに


使わないままでいると


初めはできると思っていた事さえ


退化しできなくなってしまう事もあるように思うの


どんなに大変な体験が目の前に運ばれてきたとしても


神様はその人に解決できない問題は


運んでこないと伝えられているのだから


大変な問題が大きければ大きいほど


ある意味では神様に人間的な大きさを


認められているという事だと思うの


あとは前に進む勇気と


どんな人生も周りが与えてくれるのを待つのではなく


自分で選び受け取れる事を信じる


強さが大切なんじゃないかなって


感じているの









私たち日本人の多くは


与えるという事には慣れ親しんできたけれど


受け取るという流れには少し


違和感や罪悪感・借りのような気持ちが生まれ


少し難しく感じる事もあるんじゃないかなって


思うの


いつでも対等でいるために


できるだけ貸し借りのようなものを作らない思いは


とても大切なことではあるけれど


時にはその方それぞれが


手渡したい思いまで拒否してしまう形に


受け止められてしまう事もあると思うの


人はみんな意味があって出会う人を


この世に誕生する前から決めて出会っていると


伝えられている事を思うと


言葉では上手に表現できないのだけれど


現世では貸し借りに映る事も


その前から考えると今回カルマを解消するために


どうしても施しや愛情を注ぎたいと


行動する事を


自分にも周りにも許し


受け入れる事も大切なんじゃないかなって


感じているの


そして逆のパターンで


自分にあまりよくない思いを手渡す方も


その法則で見つめてみると


その方があまりよい思いを手渡さない行動をすることで


前世の自分の良くない行いが溶かされて


カルマが解消されているとしたならば


その方の行動を許すひとつのきっかけともなると思うの


人とのご縁は不思議なもので


人によってはわざわざ未来に繋がる幸せと


程遠い事が想像できる相手であっても


どうしても心惹かれ


大切な時間を長い間注いでしまう関係に


進んで行かれる人もいると思うの


そんな姿を見つめる方たちからは


やめるように伝えられたり


自分自身が冷静に見つめてみても


何の得もなくて


なぜ自分がそうするのかもわからない事って


ある事だと思うの


その様な関係の場合


多くは自分の意思や考えとは別に


カルマを解消する良い機会として


魂が感じ


その様な時間を過ごされている事も


多いんじゃないかなって感じているの


人との出会いは不思議な要素がいっぱいあって


初めて会ったのに


とても懐かしい気持ちにさせてくれる方や


逆に知り合って何十年もたつのに


気がつけばその方について心良くない思いや言葉が


溢れるほど


心温めあえなかったり・・・


昔仲が良かった友人に


「人は生まれた時から不公平なもの


それが当たり前」と伝えられた事があって


その頃の私はその言葉に変に正義感をもつ年代だった事もあって


わけもなく反発した事があったのだけれど


今になって考えてみると


その言葉の深い意味がわかる気がしたの


現実には上も下もあり


不公平に映るけれど


現世に辿るつく前のあらゆることを照らし合わせ


この世に送り出されたとしたならば


不公平に映る事も


長い時代を見つめてみると公平で


当たり前の流れなのかなって


感じているの


この事で恐怖や不安を感じられる方もいるかもしれないけれど


私の場合は


ある意味このような教えは


自分wの納得させる事が出来る


ひとつとなったの


それまでは自分が満たされないものを


幾つも持っている方を羨み


なんでこんなにも違うの・・・って


悲しい気持ちになったりもした事があったり


ある部分ではすべて人のせいにして


過ごしていた事もあったのだけれど


このような教えを知ってからは


私よりも満たされ恵まれている方と出会っても


この方は私よりもきっと良い行いをしてきたのだろうと


その方を妬む事もなく


そして周りの環境のせいにしたりすることがなくなっていったの


もちろん生まれ変わりは


調べる事も証拠もないから


本当かどうかは確かめようがないけれど


私がいつも大切に思うのは


スピリチュアルな教えで本当かどうかは二の次で


私にとって人生を豊かにしてくれる知恵かどうかを


大切に考えて


受け取りたいものを受け取るようにしているの


以前はどんなに素晴らしい教えであっても


スピリチュアルな教えを伝えてくれる人の人格を


必要以上に見つめ判断し受け取っていたのだけれど


人格はその方と今後付き合うかどうかになった時


考えればよい事であって


素晴らしい教えと出会う機会があった時には


できるだけ受け取っているの


その事で自分の心が軽くなったり


自分の大切な人が悩んでいる時に


ほんの少しでも心に灯をともすことができたら


それだけで十分意味のある事にできると思うの


どうしてもスピリチュアルなインパクトとしては


予言・断言が


人の心を引く事もあって


その様な場合は当たっているのか正しいのか


そうではないのかの判断は必要だし


大切ではあるけれど


知恵というのは


人類で共有するために


誰かの肉体や言葉を使い残されている


聖なる者たちからのメッセージだと思っているの


時々能力に優れた方ったいが勘違いしているのは


何となく自分が他の人よりも優れているという


感覚をもたれるようなのだけれど


そうではなく


あくまでも姿なき聖なる者たちの


スピーカーのような役割として


もたらされている能力であって


その能力も急に消えてしまう方も多く


その方自身が優れているかどうかは


また別ように感じているの


そしてその様な能力は誰にでもその時々


その役割がもたらされる事はあるように感じているの


人が人を見て


接し方を変えるように


無意識にその方に必要な


そして伝えたい事を


手渡すように


誰の中にも聖なるものは宿り


その働きが長く強く働く人を


私たちは特別な能力がある人と


感じているだけだと思うの


今現在無事に呼吸をし過ごされている事自体が奇跡で


今日という日にたどり着くまでに


自分でも気づいていない危機は多くあったはずなのだけれど


すべて霊感や直感によって


避けられてきたり


大が小で済んでいるから


今日命の灯が消えることなく


学びの中にいるように感じているの


そして望まない出来事に出会うと


自分には霊感や直感が働かないと感じたり


あまりよいエネルギーではないのかなって


感じたりするかもしれないけれど


私が感じているのは


人には宿命や運命として


どうしても通らなければならない出来事があって


それはどんなに素晴らしい人格であったり


素晴らしい波動であっても


与えられる出来事だから


避けては通れない事もあるように思うの


ただその出来事をどのように受け止め


消化してゆくかによって


次の展開が変わってゆくという流れはあると思うの


望まない出来事が訪れない方は


この世界中に一人もいなくって


形は違っていても


その方それぞれに刻まれた宿命や運命はあると思うの


なのでそれは誰のせいでもなく


どのように避けて通っても


その事が運命ならば必ずタイミングを変えて


出会うものだと思うの


私たち人間は原因があって結果があるという


現実的でもっとも答えを出しやすい数学的な理論が


深い部分に刻まれているけれど


人間の人生はそんなに単純ではないし


逆にその様に答えが出せるならば


悲しむ人はいなく


みんながみんな思い通りの人生を歩んでいるはずだと思うの


そうならないのは


人生は数式とは違い


自分の心のエネルギーが


発電機のように道を照らす力があって


その時々心のコンディションによって


見えてくるものまでも変わってくるくらい


人生に影響を与えるものが何増にもなっていて


時には自分の思いや意思とは違う


行動をする事さえあると思うの


言葉では上手に表現できないのだけれど


今の自分という意識はそのひとつの層であって


すべてではなく


前世からの層や時代や地球・遺伝などから


果たしてほしい使命が


宿されている層などもあるように感じるの


人の人生には複雑にインプットされた


自分以外の働きもあるのだから


自分の行動や言動によって


失敗したと思うような形になる事があっても


本当にそれが失敗だったかどうかは


今の自分が判断しているだけで


本当は成功だったかもしれない事も多いと思うの


ある側面から見つめると


その行動によってカルマが解消されていたり


ある言動から地球や時代に


小さな波動を伝える事が出来ていたりして


ちゃんと意味のある役割を果たしている事もあるんじゃ


ないかなって感じているの


よく仕事について


好きではないけれど仕方なく


生活のために仕事をしているという表現があるけれど


それも自分の思いではそう感じているけれど


その事も冷静に考えてみると


世界中にはたくさんどんな仕事もあるのに


無意識とはいえちゃんと別の意識が働き選び


その場所を与えられているように感じるの


どんな仕事にもしたい人はいるのだし


それでもその仕事をできない人もいる事を思うと


自分の無意識が選んだことと共に


何か別の働きによって選ばれて


与えられているその方のスペースだと思うの


仕事という形でなければ


学べない事や出会えない世界がたくさんあって


与えられた事のように思うの


仕事は経済だけではなく


トータル的に見つめてみると


様々な出来事が溢れている事もあって


短時間でカルマの解消や


人間としての知的レベルや心の成長を


高めてくれる時間のように感じているの


そしてそのスペースで高まる事によって


自然な形で


次にシフトする機会が与えられ


次の自分にふさわしいスペースへと運んでくれるんじゃ


ないかなって感じているの


私の友人は周りが「これしかもらえないのだから」と割り切り


必要以上に働く事はなく


マニュアル通りの言葉を無表情に声にし


過ごす中で


友人はいつも心のどこかで


この仕事が必ず人生に役立つはずという思いで


様々な仕事をしてきている事もあって


そこに働かなければ知ることのできる事は


何でも積極的にしてきて


どこで働いても評判が良かったの


ただ本人としては思うように報酬に繋がらない事以外は


どんなときにも充実していたようなの


そんな中たまたま見つけた仕事で


今までよりは報酬が良かったクレーム対応の仕事になり


毎日毎日自分の事ではない事で謝り


相手の望むに耳を傾けたり


心静める事に意識を注ぎぐったりしていたのだけれど


ある日


クレームを伝えてきた方のお宅へ伺った時


友人の対応がとてもよかったようで


その事に感動されたその方が


自分の会社に来るよう勧めてくれて


今ではその会社のトップの方たちと共に


様々なことを提案したりしながら過ごしていて


報酬も数年前の3倍にもなっているの


そして今までアルバイトの時にはなかった休暇などを使って


旅行へ行ったりして過ごしているの


その友人の姿を見つめながら


数年の間はこんなにがんばっているのに


なぜ?って思う事もあったのだけれど


与えられたスペースで


知らず知らずのうちに与えられている魂からのノルマーを達成し


そして多い出会いの中で


カルマを解消していったんじゃないかなって


感じているの


そしてまるで重く硬い鎧が外されたように


やっと今の自分本来の層がメインに


なったんじゃないかなって感じたの


そして今度は友人にお返しをしたいと


前世から繋がっている方たちと出会い


今驚くほど恵まれているんじゃないかなって


感じているの










今の時代はあらゆるものが


新たな時代に向けてチェンジしていて


初めてシフトチェンジしてゆく事を体験してゆく


多くの方ったいにとっては


予測がつかず


とても不安に映るかもしれないけれど


新たな時代は今よりも


多くの方が過ごしやすく


楽しみの多い時代となるように感じているの


社会の中ではモノが売れない事で生まれる


あらゆる不安要素などが伝えられているけれど


それは今まではモノを販売して


経済を生み出すサイクルの中で


長い間人間は過ごしてきて


それが当たり前の流れとして過ごしてきた事もあって


モノが売れない事は


お金を生み出せないという思いがあるのだけれど


私たち人間にとっては


これからの時代は形あるものにこだわらない


気持ちを満たしてくれるモノや時間に


大切な経済を使う時代に


シフトしてきているように感じているの


気持ちを満たしてくれるものは


人ぞれぞれに違うけれど


ほんとに大切に感じる事にだけ


経済を注ぐようになるように思うの


そして今までこの年齢ならば持っていて当たり前と


表現されるものや


ステータスシンボルとしてのモノなどにこだわらず


自分の人生にとって必要価値を感じる事に


誰もが意識が注がれるんじゃないかなって


感じているの


昔は所有する事にこだわり


時にはかなりの無理を重ねてまで手にしていたモノによって


自分の人生の自由が奪われたり


健康が保たれないほどがんばって


過ごされていた方も多かったけれど


今の時点で多くの方が目覚めていて


「私はこんな事をするために生まれてきたのかな」って


疑問に感じ


ライフスタイルを見直されていたりしていると思うの


そして心の幸せは


必ずしもみんなにうらやましがられるものを所有しなければ


感じられないものではなく


自分の心で感じるものだという


真実に気づき始めていると思うの


そしてその事を今の若い新たな世代は


無意識に知っていて


次の時代へとゆっくりと進み


時代を変化させているように感じるの


今の若い世代は消費をしない世代という事で


消費によって支えられている企業からは


あまりよい評価をされていないのだけれど


若い世代が消費をしない事によって


新たに存続を考えている企業は


価格を抑え商品開発や


無料で楽しめるあらゆるものを生み出したりと


社会に次の時代へシフトするよう


無言で表現しているように思うの


大会社が大会社でいられるのは


顧客がいてこそだという事を


多くの会社が認める時期を迎えていて


今までの時代のようには


運ばなくなってきているように思うの


私たちが今過ごす時代は


とてもあらゆることに恵まれているけれど


それもきっとこのようなシフトチェンジを


何百年も繰り返し


今の時代が整ったように


次の時代も今よりも


豊かな時代になっているように感じているの


昔の娯楽は紙芝居や本だった頃には


動く映像やお芝居を見るにはお金を払い


映画館や劇場へ足を運んでいたのに


やがて新たな時代を迎え


テレビというものが開発され


今まででは考えられない夢のような時間がもたらされ


どこの家庭でも無料で毎日動く


映像を見られるようになったようになったように


その時には思い浮かばないような流れが


次々と生まれてくるように思うの


数年前までは携帯電はの無料通話など


夢のように語る事はあっても


現実になる事などは考えられなく


その当時電話は通話料が収入源なのだから


無料にしてしまったならば


収入はどうするのか?という疑問ばかりだったと思うの


それと同じように


今の時代はモノが売れないと収入源が・・・としか


思いつかないけれど


きっと次の時代には


売買だけが収入源のメインではなくなるように感じているの


そして報酬が少ない方でも


今よりもあらゆる体験が楽しめるシステムも


これから生まれてきて


豊かさを感じられるようになるんじゃないかなって感じているの


そうすると今までのように


定年まで自分の人生を待つことなく


日々自分の人生を過ごす時間が作られ


本当の意味での豊かさに満たされる方が


増えてくるように感じているの


競争を煽るのは


ひとにぎりのトップの方の豊かさのために


その様な流れが作られてきたけれど


次の時代は競争から得られるものよりも


失うものの方が多い事を知った


世界中の多くの人たちが


新たな時代へ向けて歩み出すので


流行というものにも大きな変化があり


大量生産のものが売れなくなってきて


ある意味でみんなと違う個性的な


自分らしいスタイルの方が増えるように感じているの


そして人からの評価よりも


自分がどう感じたいのか


自分がどう感じているのかを大切に


与えられた人生を歩まれてゆくような


気がしているの











私の周りの35歳~40代後半の知り合いや友人は


最近人生を見つめ


新たな事を始めている人が多いの


たとえば幼いころに置き忘れてきたままになっている


夢やあこがれを思い出し


バレエを始めたりする人


ずっといつかは行きたいと思ったままだった


場所へ足を運んだりする人


ずっと幼いころからぽっちゃりしていて


人生の中で一度は美しい自分に出会いたいと


真剣にダイエットを始めたれたりする人など・・・


バレエを始めた知り合いの場合


家族や周りからは


「どうしちゃったの?


今からバレリーナにでもなるつもりなの?」とか


「無駄使いじゃない


もっと意味のある事をしたら」と


あまりよい言葉を手渡されないそうなのだけれど


私と友人たちは


バレエ始めた事を聞いた時みんな


「なんか素敵だね」って表現した後に


その話を聞いたので


改めて感じ方って色々あるんだなって


感じていたの


私も一時フィットネスに通い


その時間に受け取る小さな達成感が


今までにはないくらいに心地よく


多くの時間を過ごしていた時


どのような予定でもフィットネスを優先し


その後予定を入れていた時に


「そんなに大切なことなの?


今からオリンピックでも出るつもり?」とか


「スポーツクラブに通うなんて優雅だね


そういえば実家に暮らしてるんだもんね」と


意味もなく不快な気持ちになるような音で


言葉を伝えられた事があったので


今回バレエを始めた知り合いが


周りから手渡された言葉のニュアンスは


理解できる気がしたの


バレエを始めた知り合いが表現していたのは


「人生の中でいくつもある


やりたかったと後悔したまま思っていた事を


どこまでできるかわかんないけど


ひとつずつやってみたいの」と表現していたの


その方が伝えてくれたのは


幼いころバレエも親の経済的事情でできなかったと


ずっと両親のせいにしていたけれど


人間って本当にしたいと思えば


いつでもできるのに


誰かのせいにしてやらなかった自分を


慰めるけれど


そういう生き方をずっと続けてきたように感じ


言い訳をしても幸せにはなれない気がして


一番初めにバレエを始めたそうなの


だから特別上手になって何かをしたいわけでもなく


自分を納得させながら


前に進む一つだったようなの


そのお話を聞きながら


確かに努力をしたからすべてが形となるとは限らないけれど


努力は自分を納得させ


前に進む大きな原動力になるし


努力した分だけ必ず


人生の選択肢が広がるから


自分がした行動というものの多くは


大きく見つめるとすべて意味があって


無駄にはならない気がしているの


そして人は自分の肉体と思考だけでは歩んでは行けず


様々な支えとなるものが必要で


その支えを大きくしてくれるのは


喜びや希望・自信だと思うの


自信は多くの場合


努力を重ねる事で育まれてゆき


喜びや希望は


本当に自分が心惹かれる事の中に宿っていると思うの


他の知り合いは良い意味で


自分が今まで仕事というものに


多くの時間を注いできたのだけれど


どんなに努力してもここまでというラインが見えたらしく


良い意味で仕事へ注ぐ思いを


今度は自分の人生に注いで行きたいと思い


今まで行きたかった場所に


次々と数日お休みができると足を運んでいるの


そしてその土地土地で


何かを感じリフレッシュし


明日へのエネルギーを育み


人生を満たしているの


その知り合いも以前は


将来への不安を解消するために


仕事に打ち込み


多くの心惹かれる事を我慢して


貯金をし過ごしてきたようなのだけれど


精神的な病になって


自分がどれだけ様々な事を我慢し


どれだけ人に合わせて


自分の思いを我慢してきたのかを考えたそうなの


人に合わせて我慢していても


それが人には伝わってない事も多く


いつも笑顔で明るいイメージだから


何でも言いやすいのか


「わがままだよね」とか「気分屋だよね」と


自分が思ってもいない評価をされ


そのたびに笑顔で答えていたのだけれど


ある時急に人と話す事も会う事も嫌になり


毎日生きているのも辛くなっていったそうなの


その様な時間を長く過ごす中


「どうせ合わせても私を好きじゃない人は好きじゃないんだし


好かれようと思っていたり


みんなは私を好きだろうって思うから


そうじゃない時に傷つくわけだから


良い意味で初めっから


私って人に嫌われやすいんだって思う事で


作る必要もなくなったし


それで自分に好意的な人に出会うと


100倍嬉しいからそう思う事にしたの」と表現していたの


そのお話を聞きながら


改めて気づかされる事も多かったの


確かに誰でも人に愛され好意的に思われたい気持ちと


ここまで自分が合わせているのだから


好意を持ってくれていると自分が思っているのに


そうではなかった時には


とっても傷ついてしまったり


落ち込んでしまうのだから


その方が表現するように


初めっから私は人からあまり好意を持たれないと思っていたら


相手の反応を気にしすぎる事もなく


自分らしくいられるのかもしれないなって思ったの


人が強く反応する時って


自分が思っている反応とまったく違う時が多くって


たとえば心の中で自分はとっても頭がよく


何でも知っていると思っている場合


相手が何気なく「こんな事も知らないの?」と


軽い表現に急にいら立ちを表現したり


人によっては知らない事も知っているふりをしながら


無理に何でも知っているように振る舞い


疲労してしまう事もあると思うの


人は自分が思っている自分の姿を


相手にも伝えたいという思いが働いて


時々自分らしさが消えてしまう事もあるように思うの


ならば自分はまだまだも知らない事がいっぱいあると


思っていれば


その様な表現がされても


「やっぱり」って良い意味で


相手の評価に傷ついたり


過剰に反応せずに過ごせるんじゃないかなって


感じたの


私の親友は独身で


多くの自由を謳歌し過ごしているのだけれど


数年前までは


周りから手渡される


「結婚しないの?」


「そろそろ子供産むにはタイムリミットなんじゃない?」


「将来ひとりじゃ寂しいよ」って言葉に


ひとつずつ相手にわかるように


自分がどれだけ幸せなのかを伝えていたのだけれど


その姿に自分自身が惨めな気持ちになってきて


「私は独身で寂しくかわいそうな人」と


周りはそう思っている事を受け止めようと思い


そう思う事で


今までのように周りから


その様な言葉を手渡されるたび

「きたきた」って


つい笑ってしまうみたいなの


そして冷静に「あの頃自分が幸せだと


みんなに必死に説明していたけど


今思うと


そう思われたくない気持ちがきっと強かったんだろうね


今は別に寂しい人に見えても


そうじゃないこと自分が一番知っているから


それでいいかなって」表現していたの


私も形は違うけれど


病と共に歩みながらも


どこかであきらめきれない母親になる気持ちがあった頃には


過敏に反応しているのに


傷ついた思いを悟られないよう


自分らしくない表現も多くあった気がするの


人は気にしてないと自分で思っていても


無意識の自分が一番気にしている事や


図星の時に


とても大きく反応し心が揺れ


傷つくもののように思うの


この間術後初めて実家に足を運んだ時


あれほど両親の事を思いなかなか手術に進めずにいたのに


手術を終えて嬉しさに包まれている私は


何を表現されても気になる事はなく


今までは恥ずかしさとてれなどで


表現できなかった両親への感謝と


ちょっぴりのごめんなさいを


表現できている自分に驚いたの


両親の前で


「私の子供を見たかったとは思うけど


私はやっと自分の体を取り戻せた


喜びでいっぱいなの


生まれてきてこんなに幸せな気持ちになれたのは


親のおかげだと思っているの」と伝えると


父が


「とにかく良かった


お前が元気じゃなきゃその先はないんだから


それが一番なんだ


俺はお前にあげられる


財産もないし名誉も何もないけど


体力と健康だけが取り柄だから


それをお前にやれた事は良かった」って


とっても喜んでくれていたの


母も長かった私と病の歩みを知っているだけに


話しの間何度も「よかったね」と何度も伝えてくれていたの


その時


自分が自分らしくなるために


がんばってきてよかったって思ったの


術後一カ月検診に行ったときにも


お医者様から


どれほど大変な手術だったかを改めて聞き


そして術後の回復に少し人よりも時間がかかるかなって


思っていたようで


あまりにも元気がよい私を見つめながら


何度も何度も「よかった・よかった」って


とても喜んでくださり


その姿を見つめながら


パートナーや両親・お医者様・友人が


私が健康に元気あふれる姿を見つめ


喜んでもらうと


たとえ自分の身体であっても


自分だけで保たれここまで来たわけではなく


先祖から受け継ぎ父から宿された体力であったり


心を支えてくれた友人やパートナー


そして再生するために力を貸してくれたお医者様など


多くの人の力で生かされている事を感じていたの


今私の知り合いや友人などが


自分の人生を見つめなおし


様々な事を始めたり行動しているように


私もいつからか忘れたままになっている事や


置き忘れてきたものを


思いだしながら


人生を満たして行けたらいいなって


思っているの










私たち人間は


本能的に人類の進化の種子を


手渡すという使命を持っているように


感じているの


それは意識的に感じる事はないとは思うのだけれど


ずっと長い年月人は


そうして今の未来を創造してきたように思うの


そして今なぜインターネットが


多くの方に普及したのだろうって


考えてみると


それもある一定レベルまで人の進化が進み


達成したからなんじゃないかなって


感じているの


遠い昔は小さな周りの社会から


自分が生きるための知識や知恵を受け取り


過ごすという形だったけれど


それはまだ満たしていないスペースがいっぱいあった


人間たちが吸収し学ぶ時期だったように思うの


そしてテレビの普及が広がり


今までの小さな周りの社会ではいないような方たちの


知恵や知識を多く受け取れるようになって


世界観も広がり


周りの小さな社会では無理だと伝えられていた事や


様々な思い込みから


新たなモデルを瞳に映せるようになって


個人個人が周りと違っていても良いんだって


認識し


夢を育む時期だったように思うの


そして次の時代は


流れるように手渡されるものを吸収し


満たされたスペースから


手放したいもの解放したいものが多くなり


新陳代謝の時期が与えられている気がするの


あらゆるものには


納められるスペースが決まっているから


吸収した分


今度は


自分らしさという考えを重ね


伝えたい思いが強くなり


今まで吸収した事を


手渡したい本能が働いて


そのニーズにフィットしたのが


インターネットのように感じているの


その事によって


自分から生まれる思いを


多くの方に伝えたり手渡したりできて


無意識に人類の進化の種子を


手渡すという使命を


ハイスピードで果たせる時代になったように思うの


私たち人間は自分の意識とは別に


すべての人と繋がりあい


何かを手渡し受け取り


同じ時代を作ってきていて


自分が語っている事も


無意識にどこかで手渡された知恵だったり


人から耳にする言葉が


遠い昔自分が語っていた事だったりすると思うの


私が思うのは


何か大きく働きかける方でなくっても


その方がこの地球に存在している意味は


そこにあって


たとえ友人がいなくっても


恋人がいなくっても


仕事をしていなかったとしても


社会との接点が何もない方であったとしても


この世に存在して心で何かを感じるという


それだけで社会に影響を与えていると思うの


2次元3次元の頃は


物理的に人と話さなければ伝えられない伝わらないと


思っていた事も


今の時代はそうではなく


遺伝子レベルで


私たち人間の中にすべての人と繋がりあう


スペースを持っている事を


多くの方が知るようになってきているのだから


孤独を感じる必要はないように感じているの


誰かが自分の何かに影響を受け


時代を受け継いでいる事も多いと思うの


ただそれは知ることなく


静かに流れているので


自分の存在価値を確かめられない事もあるとは思うけれど


良い事もそうではない事も


世界中のどこかで受け取り


それを人はひらめきやインスピレーション


時には自分で考えたこととして感じているけれど


私が感じているのは


誰かが思い考えたエネルギーを


今の自分と同じ波長のものとして


受け取っているだけのように感じているの


だから私たちは共感できる人を見つけると


知り合いではなくっても嬉しかったり


心強く感じたりするのは


無意識に繋がっている感覚が満たされるからないかなって


感じているの


今までの時代は逆で


実際には人々の中にいて


人とふれあう時間が多くあったけれど


だからといって必ずしも繋がりあっている感覚を持てず


寂しい思いに包まれている時間も


多くあったように感じているの


そう思うと形がない


エネルギーを誰もが感じられる能力があって


ふれられない何かを多くの方が


意識している時代だと思うの


今までの時代は


伝えられている事が自分のライフスタイルと


寄り添うことなく


違い遠くで起こっている事には


他人事のような感覚で受け止めているい方も


多かったけれど


今に時代はインターネットの普及もあって


たとえ遠い場所で起こっている事であっても


自分の意識や思いを重ねて


何かを感じられる方が増えていて


今まででは考えられないほどのスピードで


会う事も話す事もない方たちの心に


何かを伝えあっているように感じているの


今までは住む世界が違うと互いに割り切り


上が決めた事に


不満はあっても従う社会が長い間続いてきたけれど


今は繋がりあう人たちが


それぞれの社会の中で導きあい集まり


それぞれが持っている能力を働かせ


対等になれるような社会へと移行してきているように感じているの


少しお話は違うのだけれど


ある時友人がある著名な方の発言について


教えてくれて


ゲイの方は遺伝子レベルに問題があるような発言や


生殖能力のない女性は生きている意味がないような


発言をされたそうで


友人は優しさから怒っていたのだけれど


私はその事を教えてもらい


改めて新たな時代がスタートしたのではなく


もうすでに広がってきているのを感じていたの


なぜならばこのような発言は


昔ならば当たり前のように表現する人は


今よりももっと多かったし


今の時代であっても


ある一定の年齢を重ねた方たちの間では


言葉にしないにせよ


その様な思い込みや差別的な考えを持った方は


多いと思うから・・・


勝手にゲイの方は


遺伝子に問題があると思いこんでいるようなのだけれど


実際にはそうではなく


育て方に問題があるわけでもない事は


医学的に証明されている事なのだけれど


新たに伝えられる情報に追いつく事が出来ていない方には


間違った情報のままの方もいると思うの


今まで何か問題があると


すべて家系など血にこだわる日本人ならではの解決法だから


私は特に驚く事はなかったの


そして生殖能力がない女性が生きている意味がないとの発言も


特に心揺れる事もなく


この事もすべて家系など血にこだわる日本人ならではの強い思いで


今の時代でも言葉にははっきりと表現しないけれど


そう思われ過ごされている方も多いと思うの


私自身10年以上もの間


痛みに耐え過ごしてきたのも


心の深い部分で自分の意識では感じない部分で


命のバトンを手渡す事を本能的に使命として感じ


少なからずそう思う部分があって


そうしてきたのかもしれないから・・・


ある歴史の本を読んだ時


女性は若い時にはその若さという


大きな力によって生きられるのだけれど


年を重ねてゆくと男性から愛されない恐れがあり


美貌や若さでは繋ぎとめてはおけず


女性のポジションを保つために


母という形でたとえ男性に愛されなくなっても


子供をストッパーにしたり


たとえ男性と縁がなくなったとしても


次は子供たちに養ってもらえる保証ができるという


流れが定着していたようなの


なのでそのようにして長い月日


過ごしてきた女性史があるから


急に今の新たな時代に頭を切り替えるというのは


人によっては難しく


まだまだ時間が必要な方も多いと思うの


今回のような発言に心動かされた方の多くは


もう今の新たな時代にフィットしている事もあって


違和感を感じ不快に感じたり


怒りを感じたのだと思うの


時代はゆっくりと変化していて


多くの場合は無意識に自分の考えや価値観が変化していて


気がついた時には


その時代にフィットした言葉や考え方を自然にされていて


時代の変化の始まりは感じないので


変化の時にはとっても大きな違和感だけを感じながら


シフトしてゆくんじゃないかなって


感じているの


少しお話は違うけれど


知り合いや友人などが何気なく家族の事を話され


特にお父さんの話をする時には


聞く方もリアルに理解・共感できるくらい


同じようなお父さんを持つ人が多く


そのたびにその時代背景から


生み出された価値観に生き


みんなが同じ方向を見つめ同じ生き方をせざるおえなく


個性を持つ事を許されていなかった事を


いつも感じるの


でも今の時代は周りの既婚者の方と話すと


それぞれのパートナーが個性を持っていて


すべてが良い意味で理解・共感をすることなく


その違いに面白がったり


自分たちとは違う考えを持つ家族を知る機会も多いの


でも日本人のDNAを持つ私は


無意識に自分との違いを認められないスペースを


きっと持っているから


その部分は意識しながら


広がりゆく幸せの形に微笑んでいられるようにしたいなって


感じていたの










今日久しぶりに髪を30センチも切ったの


ちょっぴり勇気が必要だったのだけれど


手術を受けた事で


数十年ぶりに薬を飲まずに過ごせた今月


何かあらゆることを


新たなものにしたくって


その第一弾が髪の毛だったのかなって


自分では感じているの


30センチが伸びる間って1年以上の月日がかかるから


髪の芯まで記憶と薬がしみ込んでいるような気がして


手放すという事を


実感するには瞳に映るものからって思ったの


美容師さんには何も話していなかったのに


髪を触られた時


「ところどころぼこぼこしているんだけど


1年くらいの間に体調悪くした?」って尋ねられて


やっぱりわかる人にはわかるんだなって


感じていたの


鏡を見るたび身なれない自分に


思いきりすぎたかなって思いながら


いつも足を運ぶ郵便局へ行った時


今まで一度も言葉を交わした事のない方から


「あれ?昨日も来ていましたよね」と尋ねられて


「はい」と伝えると


「髪型が違うから全然違う人かと思いました


なんかかわいいですね」と伝えてくださったの


その女性はいつも顔を合わせてはいたけれど


声を聞いた事がなかったので


とてもうれしいハプニングだったの


人と言うのは不思議なもので


特に親しくないのに


何度も会っている人や見かける人に


何となく親しみを感じるもので


ちょっと見かけなくなるとどうしたんだろうって


ふっと心が感じたり・・・


そのたびにいつも改めて


やっぱり人って繋がりあって生きているんだなって


感じているの


そして何となく何かを受け取ったら


何かを手放す事を意識しているからなのか


今日喜びを受けっとった私は


無意識に友人に電話をかけ楽しい会話と言う形で


気持ちを循環している自分に気づいたの


最近「断捨離」という言葉を良く耳にするのだけれど


これは今まで精神世界などで語られてきた知恵を


そうではない方たちにわかりやすく


受け入れやすいよう書かれたもののようで


モノや心から様々なものを手放し過ごす事の素晴らしさが


表現されているようなのだけれど


今まであらゆるところで受けとり吸収する事を


得・豊かさ・安心と思い込んでいたけれど


実際にはそうではなく


今の自分にはもうふさわしくないものや


持ちきれないもののために


自分の自由が制限されている事に気づき


このような流れが出来たのかなって


感じていたの


それもある意味で社会の不景気というネガティブに映る事のおかげで


与えられた時間なんじゃ


ないかなって感じているの


景気の良い時代は誰もが忙しく


お仕事が終わっても人との付き合いなどで


自分の人生を見つめる機会がなく


その流れに乗ってさえいれば


何となく辿りつけるゴールがあったけれど


今の時代はそうではなく


しっかりと自分の人生を見つめ流される生き方ではなく


自分で選択・判断してゆく時代だから


気がつくと自分の周りを見つめる機会も多いのかなって


感じていたの


整理整頓というとモノばかりに意識が向かうけれど


私が感じているのは


一番困難で一番効果的な


人間関係の整理整頓がとても大切なように感じているの


私の知り合いで友達がいないと


はっきりと公言している方がいるのだけれど


少し前ならば友達がいない人には何か問題があると


思われていたかもしれないけれど


その方はとても魅力的な方で素敵な人なの


その方が表現するには


「人に良い顔をする事に疲れたの」という


自分の心の声を受け取り


何で疲れるのかを紙に書き出してみたそうなの


そうしたら


友達知り合い20人が思い浮かび


冠婚葬祭やつきあいで


家賃並みに大切なお金がいつも必要とか


ライフスタイルが昔とは違いすぎて


会っていても実りのない時間に


笑顔とお金を注ぐ自分に疲れた


などなど


自分の心のままに書き出してみると


色々見えてきたそうなの


そう思うようになってきたのは


今後仕事から得られるものの範囲がわかってきた時


そろそろ自分の人生をちゃんと見つめなきゃって


思いそうなって


友達付き合いがなくなったそうなの


でもその方が表現するには


「日本って学生時代じゃない限り


人と会うにもお金が必要だし


お金を別な方向に使いたいと思えば


自然に友達と言われる人はいなくなるよ」と教えてくれたの


確かに学生時代や小さなお子さんを育てているママ友以外は


おうちで話すよりも


日頃から行きたいと思っているお店などに


せっかくだからと友人と行く事が


多くなってくるように感じたの


そしてその方は心のままにいきたいと思い


趣味を大切に過ごしていて


一時は今までいたたくさんの友人を手放し一人だったけれど


今は趣味で知り合った方と


それぞれのお宅で趣味のものを見せ合い


時々会うのが気楽で楽しいそうなの


その事を聞きながら


勇気を持ってリセットするのも


人生には大切なんじゃないかなって感じたの


そしていくら昔仲が良かったとしても


大切なのは今で


それぞれに求める幸せや心惹かれる事


大切に思う事が違いすぎているのに


付き合いを続ける事は


お互いにとって


新たに入ってくる風を遮断してしまう事にも


なってしまうから


人生を見つめなおし


様々なものを整理整頓し


手放すものは手放し


新たに受け入れるものと交換するのは


大切なんじゃないかなって


感じたの


私j自身も数年前までは


たくさんの友人がいて時間が足りないほどだった時もあったけれど


多くの場合


周りの方の話題に合わせて


その空気をこわさず


そこで過ごす事に意識を注ぎ


自分勝手にふるまう友人に笑顔で合わせていたのだけれど


急に「私は何をやっているんだろう」って


心で思いが広がり


少しずつ断るようになっていったの


断る理由を病のコンディションもあったのだけれど


そのたびに


「そんなことばっかり言ってたら友達いなくなるよ」と伝えられ


私の中で決心がついたの


その友人のおかげで気づいたのだけれど


私はその言葉やそうなる事を強く恐れていて


自分の気持ちを無視し続けてきたの


幼いころから自分の心惹かれる事を表現したり


自分の個性を少しでも表現してしまうと


変わっているという受け止め方をされ


みんなと溶け込めない事が何度もあって


人と付き合う事は


自分を表現しないことだと思い込み


違った努力を重ねてきたの


それでもこのようになってしまうのならば


もういいかなってふっきれたの


その時は人といた時間がすべてなくなり


何だか寂しく感じたのだけれど


不思議なもので空いたスペースにちゃんと


時が来ればまた出会いが用意されていて


今はまた違う個性的な知り合いや友人との


お付き合いで楽しく過ごしているの


人がモノ・人との関係を手放せないのは


心の深い部分で


もしかしたらもう手にできないかもしれないという


怖れが多いように思うの


でも本当はそんな事はなく


逆にスペースがいっぱいな事によって


新たなものが入らなくしているだけなのだと思うの


そして精神世界でよく語られているように


思いが現実化するように


もう手にできないと強く思う事で


自分は望んでいないけれど


その事が現実化してゆくんじゃないかなって


感じているの


大人になると幼い頃のように


深く何でも心開いたお付き合いはないかもしれないけれど


実りある楽しい時間を与えあえる


知り合いや友人は


ちょっとしたきっかけでできるもので


みんなそういう関係を持ちたいと望んでいる方は多いのだから


無理に自分の意識とフィットしない方たちとの


関係を間違った形で努力を重ね


付き合う事はないんじゃないかなって


感じていたの


それには自分の心に様々な形で尋ねてみるといいと思うの


自分が本当にしたい事など・・・


頭で考える安心安全が今の時代は


必ずしもそうではなく


自分の心が一番自分が一番


自分が深い場所で望んでいる


幸せにしてくれる方法を知っていたりするので


いったん頭の働きを休めて


一見夢物語のように映るかもしれないけれど


絶対に失敗しないならばという前提で


怖れを持たずに


なりたい自分やしてみたい事などを


書き出してみるのもいいんじゃないかなって感じているの


そうすると頭で安心安全を計算し導きだす答えではなく


心から望んでいる姿が見えてくると思うの


そして書き出してゆくうちに


必ず今の自分には現実ではどのようにしても難しい事も


書き出している部分もあると思うの


その場合は本当は望んでいるのではなく


あこがれや夢を描いただけなので


そうなれなかった自分を後悔したりを悲しむのではなく


今ある幸せを思い出ししてみて


「それと引き換えに私がこちらは受け取らなかった」と


自分に伝えてみるの


そうすることで結果は同じかもしれないけれど


与えられなかったのではなく


自分が今の幸せを選んだと納得し


もっと幸せが増してゆくように思うの


そして少し背伸びをしたらできそうな事などは


続けられるかな~とは


やらない理由を考えずに


始めてみる事が大切なように思うの


そして合わないなって思えば


いつでもやめられるのだし・・・


そうすることでやらずに後ろ髪惹かれる


無駄に流れていたエネルギーが


別の方向に注がれてゆくようになり


何より自分の人生を自分が納得させ


歩んでいる事が実感できるようになると思うの


人間はできない夢は


初めから見ないというのか


見えないものだというから


もしも見えているものならば


行えるんじゃないかなって思うの


少しお話が違うのだけれど


人間ってとても優れた能力があて


今自分がもしも人ごみにいたとすると


そこにいるすべての人の顔や服装などを


頭の中に事細かにインプットされているそうなの


でもそのすべてを意識に登らせてしまうと


他の事を考えたりできなくなってしまうので


自分が見たいものだけを瞳に映していると


認識し記憶しているそうなの


でも本当はすべて見えているのだけれど


見たくないもの・見る必要がないと


深い部分の自分の中で思うと


記憶しないようになっているそうなの


なので時々人と話している時に


同じ体験をしたはずなのに


思い出が違うのは


その方にとっては必要のない事として


記憶が書き換えられていたり


消されているからだそうなの


それと同じように同じ時代・同じような環境の中で


過ごしていても


見えるものが違う事は


特に変わった事ではなく


幸せに思う事のレベルも人それぞれになると思うの


そして様々な体験をされた方の中には


実際に周りから見て幸せな体験じゃない体験をした人を


不幸だと決めつけてしまう事があるけれど


その不幸に映る体験があったから


良い意味で幸せ指数がさがって


誰もが当たり前に感じている事も


幸せに感じたりありがたく感じられたりと


その方にとっては日々が幸せになる方もいると思うの


幸せ指数を周りに合わせて上げ過ぎてしまった方は


幸せを感じずらくなっている事もあって


どんなに満たされていても


幸せを感じられず


何かむなしささえ感じてしまう方もいると思うの


でも究極には人が望む幸せって


自分と大切な人たちが健康で


いつも笑顔で過ごせることだと思うの


それをいつの日からか


あれがないとこれがないとと


自分以外の外の力によって笑顔を維持しようと


依存しすぎてしまったように思うの


でも多くの方はその人から湧きあがる


何かによって笑顔になりたいし


笑顔にしたいと願っていると思うの


でも私たち人間は現実の時間ばかりではなく


心も早いスピードの社会の中で忙しすぎて


慢性疲労しているので


自分から与えるにエネルギーが少なく


与えてもらいたい事に


意識が広がってしまっていると思うの


なので人から思うような言葉を受け取れなかったり


人が思うように動いてくれないと


心を鎮める事が出来ず


長い間その思いから離れられなかったり・・・


その様な中で迷子になることなく


自分の人生を大切に満たしてゆくための方法が


人生の整理整頓なのかなって


感じているの










人にはそれぞれに


備わり与えられた運のようなものがあるけれど


その運と表現している分野も


はっきりとはわからなくっても


なんとなくみんな感じ取りながら


その事を大きな自信としていたり


その逆もあると思うの


私の場合は何となくなのだけれど


結婚してから


何度も引っ越しを経験しているのだけれど


そのたびに形は違うのだけれど


隣人に問題のある方が多く


その多くはゴミや騒音というものなのだけれど


その事を精神世界的に何度も考え見つめるのだけれど


なぜか解決せず


引っ越しを重ねていて


その様な事が多くあると


もしかして私は不動産運がないのかもって


思うようになったの


ただ独身の頃は真逆で


自分が思っていたよりも良い場合が多く


人が訪ねてきても


みんながリラックスし


人が集まる家となっていたり


物音ひとつした事がないので


深く瞑想できたりして良い事が多かったの


そんな私を長く知っている友人は


「結婚に運を使い果たしたんじゃない」と表現したり


私自身もそうなのかなって思っていたのだけれど


今日ある方と話していた時に


何気なく「私は不動産運がないかも」っていう話になり


その流れを話していたら


その方が


「それは不動産運がないんじゃなく


それだけ引っ越しをして解決いしないのだから


購入しなさいって事なんじゃないの」と


あまりにもシンプルに表現され


今まで考えた事もない答えに


気づく事も多かったの


多くの方は何度も何かにチャレンジして


思うような形にならないと


その部分に運がないとか縁がないのだと思う事があるけれど


本当はそうではない事もあるんじゃないかなって


感じたの


たとえば異性の事でも


私は男運がないと思っている方であっても


それはただ周りが表現する幸せの形に当てはまらないだけで


その異性がきちんとしていない人だから


自分がやらなければという気持ちが育まれて


仕事や生活がハリのあるものとなっていたり


今子育て中の方は


子供が思うように行動してくれず


周りのお子さんを見ても


自分のうちの子供が手がかかり


時には将来が心配になる事もあり


子供との相性に恵まれなかったのではないかと


思い込まれている方もいるかもしれないけれど


実際にはそんな事はなく


私の小さな体験ではあるのだけれど


子供は人生トータル的な分量でしかわからないもので


幼い頃手がかかったお子さんほど


大人になると親思いの良い人間に成長している事が多く


最近ニュースなどで問題になる方の多くは


逆に幼いころから大人が望むとおりに行動し


大人から見るとよい子が多いと思うの


そう思うと子供との相性がないと思い込んでいる事は


真逆で素晴らしい子供に恵まれている場合も多いと思うの


私たちは運を図る時に


何となく何度もスムーズに運ばない分野を見つめて


その運が不足していると考えるけれど


本当は運がないのではなく


自分の心の視野を広げてみると


実はうまく運んでいないように映る分野が


大きな運が宿っている事もあるんじゃないかなって


感じていたの


私たち人間は良い意味でもそうではない意味でも


人生を果たすために


慎重に物事を見つめ


時には慎重すぎて一歩も前に進めない事さえあるけれど


さすがに何度も何度も思うように行かなければ


違う方向の道を探したり


心の方向転換をし出すから


そのようにして背中を押されたりしながら


それぞれが本来の秘めている運命を


果たせる道に軌道修正してくれているんじゃ


ないかなって感じているの


私の知り合いに今年パートナーが天国へ


旅立った方がいるのだけれど


パートナーが生きている頃はよく


「この人さえいなければどれだけ楽だろう」と


いつも表現するくらいに


その方のパートナーは何もしない方で


知り合いが良く言うのは


「この人には良いところが何一つないけど


唯一顔が良いところ(笑)」と表現するほど


そのパートナは素敵な人で


知り合いは周りから何十年もの間


「男を顔で選ぶから失敗するのよ」とか


「男運がないよね」って表現されていたの


でも今回パートナーが天国へと旅立ち


自分は男運がないどころか


男運にとても恵まれていたように感じたそうなの


彼女自身


彼と出会うまでは


一般的に幸せだと多くの方が表現するような人生を望んでいて


恋愛マニュアルなどに書かれている事を


実践し「できる女はかわいくない」という事を


いつも意識し


何かチャレンジしてみたいと思っても


男性を超えるような事は縁遠くしてしまうと思い


あえて何もできない女性になっていったの


そんな時にそのパートナーと知り合ったそうなの


そして共に生活してゆくうちに


彼だけに頼っていたら大変って思うようになってきて


様々な資格やキャリアアップのために


努力されたそうなの


そのたびパートナーは


「お前はすごいな。俺はいい女と結婚したよ」と


よく表現していたようなのだけれど


彼女の方はそのたび嬉しさもあるけれど


周りの御主人と比較して


「あんたがもっとしっかりしてくれれば


こんなに大変じゃないのよ」と伝えていたようなの


でもそのような月日を長く過ごし


互いに年を重ね


彼の方が先に天国へ旅立った時


ある方から「あなたは良い相手と巡り合ったわね


寂しさはあるかもしれないけど


彼がいなくなっても一人で生きてゆけるよう


彼があなたに与えてくれたものは大きいわよ


私は一人になってどうしてよいかわからず


今でも毎日早くお迎えが来ないかと


考えてばかりなんだから・・・」と伝えられたそうなの


その時彼女はハッとし


周りから見つめるとかわいそうに映っていたかもしれないけれど


彼女自身は


彼とだから自分の才能や能力をフルに生かすことができ


一人になっても絶望することなく


人生第二章が開かれたんじゃないかなって


感じていたの


一見恵まれていないと感じる運は


見つめる角度を変えて見る事が出来たならば


多くの場合


運があるからその運をフルに使えるよう


与えられている不調和や困難の場合もあるんじゃ


ないかなって感じていたの









今まで出会った方たちの姿や行動から


様々な事に気づき


学ばせて頂いた事を


改めて感じる事があるの


そしてその多くは


心地の良い関係ではない事からの方が


多かったように思うの


私の小さな経験の中で


とても印象に残る方がいて


容姿も美しく


社交的でいつも人々に囲まれ


憧れる方がいたの


そしてその方は自己啓発的な教えや


精神世界の知恵をいつも実践し


過ごしていたの


私が彼女と繋がりあうきっかけも


精神世界的な話題からだったの


ただ何年も付き合うようになってから


とっても不思議だったのは


彼女が求める豊かさがいつも不足しているようで


私からすると何でも簡単に手にできる資質に恵まれているのに


どうしてなんだろうって思っていたの


そして深く付き合ううちに


それがどうしてなのか何となくわかる気がしてきたの


たとえば経済的な豊かさを求め


1日の大半を仕事に注いでいたのだけれど


いつも経済的に困っていたり


社交的でいつも毎日多くの友人と


会い過ごされていたのだけれど


だんだんとその数も減り


彼女は日々イライラしていたの


その要因はすべて自分の都合に合わせて


無意識に自分を満たすアイテムのように


していた事のように感じたの


私が彼女に強く惹かれたのは


多くの方がまじめに受け止めてくれない


精神世界のお話をいつもまじめに聞いてくれた事が嬉しくって


繋がりあっていたの


とっても難しい事なのだけれど


彼女は自分が求める豊かさを人に与える事ができず


得る事だけに意識が注がれていたように思うの


そうなるとエネルギー波動が


豊かさと言うものとは真逆のものとフィットしやすくなり


たとえ自分の周りに豊かさが届けられていても


自分の空間に納められないと思うの


それはまるで磁石のように


フィットしたものを引き寄せ


その逆のものを跳ね除けてしまうように・・・


彼女と過ごした時間の中で


私自身


本や頭の中でわかっている事とは違い


実感するという

貴重な体験を与えてもらった気がしているの


私自身


認めたくない嫌な思いを時々


自分の内に感じ取ることがあって


そのたびに


だから私は幸せを受け取れないんだとか


目安になる計りを


その方から受け取った気がしているの


その当時


その事を感じた私は意識的に


心から人の喜びを共に喜ぶ事が


自分が幸せになる方法だと思い


実践していたの


そうしたら本当に驚くくらいの奇跡的な出会いや


体験が次々と届けられたの


普通に考えるとありえないと思う事も


ちょっとしたきっかけで


あまりにも簡単に実現可能なところまで


運ばれて・・・


ただそこからはいつもの自分の自信のなさから


発展する事を望まなかったのだけれど


奇跡に包まれた日々だったの


その頃色々な体験があって


その中で感じたのは


人の悲しみに寄り添う事は


私たち人間には簡単にできる事なのだけれど


人の喜びを心から自分の事のようにう喜ぶ事は


とても難しい事なんじゃないかなって


感じたの


そしてその事を無意識に多くの方が感じているからなのか


その当時私が心から相手の喜び事を


「よかったね・よかったね」と喜んでいると


相手も今まで感じた事のない波動を感じるせいなのか


良い意味での違和感があるようで


瞬間的に戸惑った表情をしたのだけれど


時間と共に


その心地の良い波動に包まれ


相手も惜しみなく豊かさを私に分け与えようと


無意識に私が望んでいる事を聞いてきたり・・・


そのたび特に何も望んでいなかった私は


昔夢見た事や望んでいた事などを


夢を見るように語ると


多くの場合


それをしている人知っているから紹介するよとか


そこのオーナーを知っているから自由に使えるよなど


思わぬ展開に驚く事も多かったの


言葉では上手に表現できないのだけれど


人間は誰でも大小はあるけれど


誰かに役立つ情報や人々との


縁を持っているのだけれど


それを手渡したい相手があらわれるまでは


しまったままにしている事もあると思うの


そして出会うすべての人が


意味あって出会っている事を思うと


出会うすべての人が


自分の内にある


幸せが収められている宝石箱を開けてくれる


カギを持っていると思うの


ただそのカギはその方の幸せ波動が


高まらなければ


受け取る事が出来ないように感じているの


そして人は無意識に退化したとはいえ


波動を感じる能力を秘めているから


見えない心の声を


言葉以上に感じ取るものだと思うの


ただどうしても相手の幸せを望めない相手はいるもので


その場合は


初めからその方の事を考えない事が良いんじゃ


ないかなって感じているの


考える事によって自分の心が曇り


望まない波動に自らしてしまう可能性があるから・・・


初めは本当に自分が大切に思う人など


身近な方で意識的に


相手の幸せを自分の幸せのように喜ぶ事をしてゆくと


良いと思うの


それならばわりと自然にできることだから・・・


そうすることが自然にできるようになった時


今度は友人や知り合いへと広げ


やがては今日初めて会った方にも


そうできるようになると思うの


そうしてゆく事で


今の自分で考える限界を簡単に越えられる


様々なものが宝石箱から溢れだし


人生が輝きだすと思うの


先に書かせていただいたように


容姿やあらゆる資質に恵まれていなければ


幸せになれないのではなく


人は自分に見合ったものしか


受け取れないという事のように思うの


人の喜びを自分の喜びとして


心から感じる事は


とても難しく感じられる事もあるかもしれないけれど


そのパワーは何でも可能にしてくれるほどの


エネルギーを自分に与えてくれると思うの


たとえば私たちは欲しいものがあると


まずはじめに自分が購入する事を


選択肢の中から選ぶのが習慣になっているから


そこで他の選択肢は見えないのだけれど


波動が高まる事を意識し過ごす事を


何よりも大切に過ごしていると


そうではない形で自分の元に運ばれてくる事を


体験できると思うの


波動を保ちながら過ごしていると


自分自身の意識ではわからない事なのだけれど


自分の深い部分では


すべてのベストタイミングが計られているかのように


何気なく話した相手が


自分の望むものをもう必要としていなくわけてくれたり


波動が高まり始めた頃には


まだそこまでのベストタイミングではなかったとしても


話した相手がその話題をもって


誰かに話してくれて


思いもよらぬ方向から


私自身独身の頃


様々な事情があって一人暮らしをした時


今思うと無謀だとは思うのだけれど


仕事もしていなくわずかにあるお金だけで


スペースを手にしたけれど


生活に必要なものは何もなかったのだけれど


その頃精神世界を学び心を支えていた事もあって


不思議なほど不安はなかったの


その中でも自分の心が曇らないように


その事だけを大切に思い過ごすうちに


気がつくとあらゆるものが様々な形で届けられ


快適に暮らせるようになっていたの


その頃今よりも精神的な高まりと


波動レベルが高かった事もあって


思う事がすぐに現実化するのが早かったの


そしてその頃経済的にゆとりがあったわけではなかったので


購入するという


今では当たり前の流れの意識がなく


望んでいるというだけのものだったの


でも半月後には生活に必要なものがそろい


食事でさえも食べたいものを何気なく考えただけで


数時間後には友人が遊びに来て


そのお土産がその食べたいものだったり・・・


昔の事を思い出してみると


今の自分がたとえ幸せに過ごしていても


以前よりも様々な部分でレベルがダウンしている事を


改めて感じているの


きっと自分の外の世界に頼る事の方が


自分の内側を意識し整え保つ事よりも


容易いから


容易い方へと少しずつ少しずつ傾いているのかなって


感じていたの


今ちょうど親友が人生で体験がないほど


魂レベルで高まっているようで


精神世界の知識や体験がない親友は


戸惑いながらも思いの高なりを


私に伝えてくれるの


そのたび尋ねられた事に精神世界の知恵で答えるたびに


無意識に自分が学ぶ事をお休みし


現実社会での経験を重ね学ぶうちに


忘れていた感覚を呼び起こしてくれているの









私は幼いころから


なぜクリスマスというキリストの誕生日を祝う日なのに


多くの人たちはおいしいものを食べたり


素敵な場所で過ごしたり


大切な人と時を過ごすんだろって


不思議だったの


でも大人になって何となく感じたのは


瞳に映らない神々が最も喜ぶプレゼントになるのは


私たち人間がそれぞれに楽しく


笑顔で過ごしてくれる事だから


人は無意識に自分を楽しませる日として


過ごしているんじゃないかなって


感じたの


こだわりを持たれる方たちにとっては


宗派などにこだわらない日本人の多くの方が


不思議に映るようなのだけれど


私が感じているのは


日本人は表面的な事よりももっと深い部分で


様々な事を無意識に超越していて


このような形になってきたように思うの


世界中ではこだわるあまり


その事が戦争や差別など


わざわざ生み出してしまっている事もあると思うの


でも人類は本来宗教がない頃には


魂の高い方たちは


自然から様々なことを教わり気づくという形で


魂を磨いてきたように思うの


でもそれだけでは高められない人もいて


中にはあまりにも自由に振舞い


みんなが安心して人生を果たせないと考えられた方が


きっと初めに自然よりも具体的な神々を


みんなに想像できるよう伝えられたんじゃないかなって


感じているの


日本人の深い部分には


今でも自然崇拝に近い感覚が宿っていて


無言の木々や太陽など自然から


何かを感じ日々暮らしていると思うの


だからあえて宗派にこだわらない


平和な過ごし方を選択して


今のような流れがあるんじゃないかなって


感じていたの


そして私たち日本人は学ぶ種族だと


日々感じるの


よくニュースなどではそんな日本を


世界は理解できないような表現がされているけれど


それも一部の人から受け取った意見で


尋ねられない一般的な方たちの多くは


日本と言う国や日本人に信頼と安心を寄せていて


生まれ変わる事があるならば


次は日本人に生まれたいと


私の周りでは良く耳にする事が多いの


その理由は幾つもあるのだけれど


その中でも一番印象に残ったのは


自然の流れに任せる勇気と受け入れる大きさだと


表現していたの


その方の国では大きな声をあげた人が時に正義になり


黙っているとそのまま追い込まれたりするので


いつも相手の欠点を把握して


何かあった時にはその事を用いれるようにしているような


人間関係もあるのに


日本では内気なその方でも


誰かが手を差し伸べてくれたtりして


本当に神々のすむ国だと感じているそうなの


私たち日本人にとっては当たり前の事であっても


外から見つめると


それは特別な愛情の表現だったりするんだなって


教えてもらう事が多いの


この間友人と幼い頃の話をしていた時


友人が暮らしていたのはあたたかい地方だった事もあって


私の幼い頃の話を楽しそうに聞いてくれたの


私が暮らす北海道では冬によく


道路で車が抜かって動かなくなっていたりするのを見かけると


急いでいない限るは


知らない人同士であっても


声をかけて車を押して車を出してあげたり


今でもそうなのだけれど


冬はお母さんたちがお買い物した物や子供たちを乗せているので


自分がお店などに入った後も


ドアを抑えてあげたりすることが


普通になって


私にとっては冬の日常のなのだけれど


友人には大きな優しさと映ったようなの


ただ日本中もっと親切な町はきっとあるとは思うのだけれど


北海道の優しさは特定の相手ではなかったり


相手が重くなるようなものではなく


常識やルールと言うものではなく


自分が今できる事を無理なくできる事をするだけのように思うの


なのである意味団結力と言うものは


他の地域の方があるとは思うのだけれど


私はほどよい優しさにふれられる北海道が好きなの


クリスマスは神々が最も喜ぶ贈り物として


自分をいっぱい笑顔にしてあげる日なのだから


この日だけはしたくない事を後回しにして


今一番したい事をする事が


神々へのギフトとなるように感じているの