2009年9月





毎年毎年


気がつくと


私の大好きな秋が巡ってきていて


そのたび


穏やかに流れる時間に


感謝したり


逆にこれといって


記憶に残る何かを


成し遂げていない自分を反省したり・・


ただこれが幸せなのかなって


うたた寝しながら感じたり・・・


昔よく家族と暮らしていた時


若かった私は


たった一日予定がないだけでも


とても退屈に感じたり


逆に漠然と過ごす自分に


焦りを感じ


「あ~退屈」と表現すると

いつも父に


「おまえは幸せだな


退屈だとか平凡だとか


感じている時は


何も困った事がない証拠なんだから」と


伝えられていて


今でも一人で静かに


過ごしている時


その言葉が


私に改めて


今幸せなんだよって


教えてくれているの


少しお話は違うのだけれど


私の実家で20年近くも


家族として共に過ごしていた猫が


2年前に天国へ旅立ち


その時


思ってもいないほど母が寂しそうにしていたの


母はあまり動物などは好きではなく


一緒に過ごしているころから


そんなにかわいがっていた


記憶もなかったのだけれど


その寂しさが年々広がっているようだったの


母の世代の女性は


何でも言いたい事をいい


元気に生きているように映るけれど


本当はいいたいことの半分は


飲み込み


家族のために多くの時間を注ぎ


人といると無意識に使ってしまう


気疲れに


ほっとさせてくれる唯一の存在だったのが


家族として存在していた猫だったんじゃ


ないかなって


感じていたの


何気なくふっと見つめると


いつもそこにいて


無言の癒しを与えてくれる存在だから


母もその癒しを強く受け取っていたのだと思うの

そんな母を見つめて


弟夫婦や私たちも


新たに家族としてペットを迎え入れたら?と


伝えるのだけれど


今からだと自分の方が


早くこの世を去った場合の事を考えると


もう飼う事はできないと


いつも言葉にしているの


その言葉を聞いて


改めて考えさせられたの


母はきっととても責任感が強く


自分の寂しさよりも


共に過ごすものの事を考え


今過ごしているのだけれど


果たして


私がこれから先


今共に過ごすみゃーと鳴く娘がいなくなった場合


その空白を


そのまま過ごせるのかなって・・・


この事は最近よく友人とも話していて


友人も私も


幼いころから


何かしらのペットと共に暮らしてきて


私の場合は


結婚して5年の間は


パートナーと二人の暮らしで


その時は特に意識はしなかったのだけれど


様々なバランスが保たれなかったのか


次々と病になり


今になって思うとその空白が


私の中で


大切な支えがなかった時期だったように思うの


今のみゃーと鳴く娘を迎え入れてから


心身が気づかぬうちに


晴れやかになり


今は改めて


いてくれるだけでやすらぎを感じる


大切な存在に


感謝しているの


でも友人も私も


今共に過ごしている存在がいなくなった場合


私の母のように


決断する事は難しいねって


話しているの


そのたび私も友人も


自分のエゴだとは分かっていても


最後の最後まで


大好きな存在と一緒にいたい気持ちの方が


強かったの


最近ではこの世を去った後


財産と共にペットの生涯をみてくれるという


事業があるとはきているのだけれど


私も友人も


少し疑る深い所があるので


安心できそうもないし・・・


今・友人と私にとっては


その事が唯一


心重くなる悩みなの







今日会うたびに


色々な気付きを与えてくれる


知り合いと会い


またたくさんの気付きを


与えていただいたの


その中で印象に残ったお話があったの


女性は香りに敏感で


幼いころは父など


近い存在の香りが


最も不快に感じる時期があって


それは配偶者が見つかるまで


続くそうで


その理由は


子孫を残そうとする女性の体に備わったもので


もっとも自分の遺伝子と遠い人と


ご縁を結び


自分の遺伝子にはないものを


プラスするためだそうなの


そして配偶者が見つかると


今度は様々な新たな経験を重ね


不安定になる心を保つために


今まで不快に感じていた香りが


安心の香りになってゆくそうなの


女性は人生の中で出会う


様々な体験に応じて


必要な対処能力が


たくさん備わっていて


まただま気付いていない


能力もいっぱいあるみたいなの


よく伝えられているのは


女性が天使を宿すと


そのあと必要な対処能力を


無意識に働かせ


母乳が出る方もいたり


天使を育てるのに


適した心身へと整えられ


多くの方は天使が誕生してから


数年の間は聴覚にも変化があって


今までよりも


大きな声や音に耐えられるよう


小さな音が聞こえないよう


まるでフィルターが一枚かかったように


変化するそうなの


なので天使を宿して数年の方とそうではない方だと


同じ音でも聞こえる音量が違うの


なのでよく独身の友人が


子供の声などが聞こえると


大きく聞こえるので


席を移動すると


天使を宿した友人が


「子供なんだからしかたないよ


子供ができると心広くなるよ」と


表現した事があるのだけれど


独身の友人が心が狭いのではなく


たぶん同じ音でも


大音量として耳に響いていたのだと思うの


ただこの音量調整も


天使が少年・少女になるころには


元に戻るので


天使を宿された方たちも


ダイレクトに音が聞こえるので


様々な音が気になってきて


その変化を気付かれると思うの


女性は太古の昔から


その時々必要なことを


自ら作り出し


生命をつないでこられたと思うの


無意識に意識を張り巡らせている範囲も


一人の時から


二人・3人と


どんどん広がってゆくので


それをすべて瞳に映し管理する事は


難しいから


女性の方が


どちらかというと勘が強かったり


小さな変化にも気付く能力を


秘めているんじゃないかなって


感じているの


ただ女性の人生は


スポットのように小さな範囲に


すべてを注ぎ過ごされる事が多いので


小さな事は見えないかもしれないけれど


大きな動きに敏感に反応する


男性を必要としていたのかなって


感じているの


人間って長い間の進化の過程で


様々な変化をし


その時々を生きてきたのを感じると


改めて


人間自身が宇宙なんだなって


感じていたの








よく出会う人と話すたびに


自分の価値観を確かめるために


表現する言葉に


意識を向けているの


人は無意識に


自分にエネルギーを満たすための


癖を持っていて


人によっては自分と真逆の方の表現を


批判しながら


自分の正しさを確認し


エネルギーを満たされる方もいたり・・・


ただ出会う方の中に感じる


不快さや違和感は


必ず自分の中にも同じものが


宿るから感じている感情だったと思うの


違うと思っていても


本当に違っていたならば


心動いたり


心揺れたりはしないと思うの


私自身


病によって


未来に天使を産み出し


共に過ごす


女性としてのスタンダードな人生を


歩めないかもしれないと思った時


新たに輝き過ごす女性たちと出会い


心の曇りが晴れてきたと


感じていた時


たまたま出会う方たちが


悪気はなく


あいさつのように


将来子供を持つ事の大切さや


時にはがんばる事を


伝えられるたびに


心が嵐になり


「なぜあの人はあんな事をいうの!


私はほかにも素晴らしい道があると思う!」と


強く心で思いながらも


ふっと今になって思うと


自分の中にその方たちと同じ価値観があるから


そこにふれた言葉が


ダイレクトに反応していただけだと思うの


以前


友人が何かを話している時に


美容関係の仕事をされている方が


瞳に映る美しさも財産の一つと表現したときに


「人は見た目じゃないよ」と


表現していたの


でも


自分の容姿には


強いコンプレックスを持っていて


その時美容関係の仕事をされている方が


「あなたは人は見た目じゃないと言いながら


自分の容姿に


コンプレックスを感じているという事は


見た目で判断する人と同じ感性を


自分の中にもあることに


気づかなければならないんじゃない?」と


いった言葉が


時々私の中に流れる事があるの


お話は少し違うのだけれど


私はあまりにも早い決断と


早い行動が


自分にとって


とても素晴らしいという


根拠のない思いの中


ずっと過ごしてきた時


パートナーと出会い


パートナーは真逆で


とてものんびりしていて


いつになったら始めるの?って思うような


時間の流れを持っていて


その事がせっかちな私には耐えられず


よく喧嘩をしていたの


もちろん私は自分の正しさを


いつも押し通し


パートナーの生き方を受け入れてはいなかったの


でも人生初めて


自分が病になって


自分の思いがすぐに形にできない時が訪れ


そんな自分に怒りや悲しみを感じ


心を包んでいた時


パートナーは


私を責める事もなく


「たまにはゆっくりすることもいいでしょ?」って


つぶやいたの


そしてその頃パートナーが


おたやかに物事を大切に見つめ


考え


生きている人だと気づいたの


私の浅い考えで


すぐに決断し行動する私は


ポジティブで


スローではっきりとすぐに決断できない


パートナーはネガティブと


勝手に区別していた


自分が恥ずかしくなったの


物事ひとつ・ひとつを


大切に見つめ


考えていたら時間がかかるよねって


それからはそう思えるようになったの


社会の中は比較の世界が


あちらこちらにあって


その中で過ごしていると


無意識に大きな恐怖があって


人が感じる思いと同じものを感じていなければ


おかしいと思われてしまうかもとか


あの人はできるのに私はできないとか


様々な事を比較している世界に過ごしていると


自分らしさを表現できず


いつも心が曇り


まるで水の中にもぐっているように


息苦しさを


感じ過ごしてしまうと思うの


でもそんな時


私が母に伝えられた言葉を


いつも思い出しているの


母は陸にすむ動物も


海にすむ動物もいて


どちらかが我慢して


陸にあがったり


海に潜ったりすると


死んでしまうの


だから歩み寄れる場所まで


あゆみよればそれでいいって表現していて


それ以上


求めるのも


求められるのも辛いものだと


言っていたの


人には歩み寄れる場所やスペースが


違っていても


強制してはいけないと


その言葉を思い出すたび


感じているの


でも私たち日本人は


深い思いやりと愛を持つ国民なので


つい無理をしすぎてしまい


相手の笑顔のために


自分を犠牲にしてしまう事を


素晴らしいと感じてしまうよう


長い間


教えられてきたので


この感覚を身につける事は


少し難しいと感じられる方も


多いと思うの


でも少しずつ


思いやりや愛情の表現も


自分の無理のない形で


表現する事に


罪悪感を持たない知恵が


多く伝えられているので


これからは


みんなそれぞれが輝きあえる


光の時代を迎えるんじゃないかなって


感じているの









お誕生日を迎えた時


何気なく


昔パートナーと過ごした誕生日を


思い出していたの


私とパートナーは


ただただ一緒にいたくて結婚したので


その後思ってもいないほど


経済的に大変で


お誕生日を迎えても


これといって何かしてあげられず


お互いにその時できる範囲で


祝福していたの


ある時には


お財布の中にお札も銀にのの貨幣もないので


パートナーはずっと大切にしていた


CDをお金に換えて


私にバラのお花と小さなケーキひとつを


贈ってくれたり


私も前もってケーキ屋さんにお勤めの


友人に頼んで


販売できない失敗したケーキスポンジをもらい


とってもとってもシンプルなケーキを


作りささやかに


ろうそくの炎を灯し


その光に浮かぶ


笑顔を見て嬉しかったり・・・


その頃からずっと仲良くしている方もいるけれど


多くの場合


自分の見栄や


彼を守りたい気持ちから


付き合いが疎遠になった方も多いの


その頃


とても前向きでバイタリティ―溢れる


知り合いが多く


(以前は私もそうだったから)


結婚して豊かな暮らしをできない


私に


「こんな状態でなんとかしようとしない男って


どうなの?


別れてしまえば」とか


「男で収入が少ないという事は


男としての価値がないよね」など


表現する方が多く


会うたび


私自身持つ必要がないみじめな気持ちや


彼に対して責めてしまう自分がいて


その時


ふっと


これでは一緒にいたいと叶えたものが


こわれてしまうと思い


みじめだと思われても


自分にとって価値のある時間を


大切にしようと思い


疎遠になっていったの


その頃の知り合いには


たくさんの事を


学ばせてもらったと今でも


感じているの


結婚して初めて


一個人ではない


それぞれのパートナーの役職や収入などで


ライフスタイルが彩られ


会話が何となく進み


気づけば


誰かが誰かの子育て方針に


自分の価値観を押し付けたり


私の場合は


パートナーがおうちの事を何でもする姿を見て


「男の人が何でもするのは


甲斐性がないないからだと思われるよ」とか


伝えられたり


自分が思ってもみなかった方向から


アドバイスされ


こういうことが小さな社会の中で


繰り広げられている世界なのかなって


結婚して初めて感じた


息苦しい世界だったの


言葉は適切ではないかもしれないけれど


女性ならではの独特な感覚があって


その世界が小さければ小さいほど


比較対象になっていたり


場合によっては


自分が満たされない思いを


無意識に


他の方にもっともらしい理由をつけて


混乱を手渡していたり・・・


「わたしならこうする」という


価値観を押し付けてきたり・・・


今思うと


私自身も人に悪気なく


同じような事を


独身の頃表現していたかもしれないなって


反省をする


良い機会となっていたの


私は母が父の事で


満たされない思いを表現するたびに


「自分で選んで結婚したんでしょ!」とか


「私はあなたのようにはならない」と


母の事を全面否定していたように思うの


本当に優しさのない


自分に反省・・・


ただいつも感じている事なのだけれど


自分が行った事や播いた種は


時期が色々だけれど


収穫する時が与えられて


その収穫に受け取りたくないものがあったとしても


早い時期ならば


それに越したことはないと思っているの


なぜならば


なぜこうなったのか気づけるから・・・


気付かないほど年月が過ぎてから


思わぬ形で与えられた収穫は


大きくなりすぎて


自分ではどうする事も出来ない事が


多いと思っているの


人は気づく事で


一つの問題がクリアにされて


次にシフトしてゆけると


感じているの


そしてあらゆる問題は


自分が気づくまで


終わりはなく


何度も何度も形を変えて


気付くまで


届けられると思うの


そして気づく亊


受け入れる事は恥ずかしい事でも


負けを認めることでもなく


大きな勇気と


神々と繋がらなければできない


尊い事だと


いつも感じているの


そう思いながら


いつも


過去の出来事を


癒しているの








よく幸せのおまじない的なものが


見つかるたびに


様々なものや事を


伝えてくださる方から


今回も素晴らしいものをいただいたので


皆さまにも


幸せのおすそわけできたらいいなって思い


ここに載せさせていただきますね

この画像は


「神の眼」といわれる星雲で


数千年・数百年に一度現れる


とても珍しく貴重な現象で


このの瞳を見つめながら


七つの願いを唱えると


叶うと伝えられているそうです


星に願いが


届きますように・・・








ゲーテの言葉で


「自分一人で石を


持ち上げる気がなかったら


二人でも持ち上がらない」という


言葉があるのだけれど


改めて


自分の心に重ねながら


反省していたの


私は未熟な人間なので


どんなに魂が高まり


ハイヤーセルフと繋がっている


時間が長くあったとしても


ふっとある意味


人間らしい感情的な時間に包まれ


イライラしたり


大きな怖れを


自ら生み出してしまう事があるの


その多くは


自分のリズムが


何かのきっかけでスムーズに


流れない時が多の


私は一日の流れを


何となく予想して


時間を組み合わせているのだけれど


その中でもっとも


問題となっている事にも気づかず


自分のリズムの流ればかりに


意識が注がれ


自ら不快な思いを


作りだしていたの


私は勝手に


自分の予定を


パートナーにお伺いを立てず


私がこうしている時


彼にこれをしてもらったら


2倍の事が行えると


いつも勝手に自分の予定の中に


彼の事も組み込んでいて


急に彼にお願いすると


彼には予定があったり


予定はないけれど


のんびりと過ごしていたりしていて


恥ずかしいことなのだけれど


私は自分のエゴに気づきたくないために


無意識に


彼の過ごし方


彼の良くない部分を


あれこれとアドバイスと称して


表現し


無意識に


自分の流れに従うよう


説得に多くの時間を


注いできたの


そのような流れの中にいると


お互いに気が乱れ


良いものが生み出せない事は


わかっていても


私自身が信頼という


大きな愛の中で


依存・甘えというものの方を


大きく育ててしまい


感謝できないようになっていたからなんじゃ


ないかなって


感じているの


もしも自分一人で物事を行おうと


決めていたならば


相手への必要のない押しつけや


期待に変わり


手を差し伸べてくれたものが


どんなに些細なものであっても


感謝できたのだと思うの


人間関係の中では


そのような事って


よくあることだと思うの


人間はとても頭がよいから


自分で意識しなくっても


2歩先を無意識に予測してしまい


その流れが同じでないと


何か心地がよくなかったり・・・


私の友人も


職場でのポジションが上になり


一緒に働く人たちの事も


自分の動きと同じように


見つめていないと


さらに上から心地の良くない


アドバイスがあり


報酬にも反映されるので


今まで以上に意識を張り巡らせている


エリアが広がっていることもあって


心身が疲労していたの


そして優しい友人は


相手の気持ちになって考えたり


私が同じ立場だったらと


あらゆる方法を考えて行動していたようなのだけれど


この間会った時には


そのストレスがピークだったようで


頭痛や胃の痛みがあるようで


辛そうだったの


そんな中で友人は


「いくら相手の立場になっても


同じ事を考えるわけではないし


人は甘えられる相手には


どこまでも甘え


そうできない相手には


裏で文句を言いながらも


従うんだよね


そしてこの苦痛から自分を


解放するには


相手を同じ人間だと思うと


あれこれ期待してしまったり


これくらいわかるだろうと


こっちも思って疲れるから


言葉は悪いけど


人間に進化したばかりの動物だと思う事にした」と


表現していたの


私は彼女がとっても優しい人だという事は


知っているので


ここまでの答えを出さなければ


もう耐えられないくらいの


状態なんだなって


感じていたの


このような話になるたびに


彼女は独身で


私は社会経験があまりないけれど


形が違っていても


とても共感し合える


一つの話題となっているの










独身の友人はよく


多くの結婚した友人を見つめ


そのたびに


「結婚って大変だよね


私は結婚しなくってよかった」と


表現していたの


その時ふっと


私の中の認めたくない醜い心に


気がついたの


それはとても受け入れられない


自分の醜い部分だったのだけれど


その時自分の思いを表現する事を


とっても躊躇するはずなのに


気がつくと


思わずその思いを友人に


表現していたの


それは


友人と共に幸せになりたい思いの方が


強くあったからだと思うの


「私もあなたも


自分の持っていないものを持つ人で


幸せではないように映る人を


見ては自分の選択の正しさを


実感したり


自分を慰めていたのかもね


私は昔


子供を持てない事を


実感した時


子育て中で大変な人ばかりを


無意識に見つめては


自分の幸せを確認していた事があったの


でも今は違うんだよ


だってどんなに自分よりも


大変な人と比べていても


その人よりは幸せっていう根拠のない


基準であって


自分が幸せかどうかという


基準にはならない事に気がついたの」と


伝えていたの


そうしたら友人は


「ありがとう


さーちゃん


自分の醜い部分


受け入れたり表現する事って


辛いよね


私ももっと素直に


しない理由を探さないで


したくないならそれだけでいいんだよね」と


伝えてくれたの


私はとっても嬉しくなり


私の中でとても表現しがたい


様々な思いが溶かされていったの


人はあらゆる場面で


自分が表現する言葉で


自分も傷つけたくない思いから


もっともらしい理由を探したり


相手を納得させる答えを


提示したりするけれど


よーく考えてみると


誠実でいなければならない相手は


自分に対してであって


相手の判断を仰ぐ必要は


ないのだと思うの


私は長い間


友人とは形は違うけれど同じように


周りから人生に対する歩みを


アドバイスされてきて


心のどこかで


誰もが当たり前にできている事が


形となっていない事に


持つ必要のない劣等感があって


これ以上このままでは・・・と思い


自分心身を守るために


そして相手を納得させるために


そのようなにしていたんじゃないかなって


思うの


私も友人も


今では誰かがどのように思われても


自分が自分に誠実に


過ごす事を大切にしている事もあって


私は私で


幸せそうな親子を見つめるたびに


もし機会があれば


地球のカラーを決めてゆく


未来の子供たちに


ほんの少しでもお役にたてる事があれば


素敵だし


瞳映る結果を何も残せない私自身が


救われるかなって


感じているの


人の心の中には


宇宙空間のように様々なものが


漂っていて


気づいていても


気づきたくない思いから


そのままにされている事や


本当にまだ気づく段階になっていなくって


そのタイミングじゃないときに


人から指摘されて


必要以上に傷ついたり


大きな反発が生まれる事もあると思うの


それでも


ゆっくりと天の宇宙と同じように


良い意味での刺激が加わり


進化していっているんじゃないかなって


感じているの











人との出会いって


本当に神秘的で


その事に意識を向ける事が出来たならば


すべての人から手渡された


エッセンスによって


今の自分が作られていった事を


感じられると思うの


この間パートナーと


話していて


私が前世について話していた時


パートナーに自分は


どのような状態の前世だったと思う?と


尋ねてみたら


とても誠実で不確かな事を語らない


パートナーは「わからない」とだけ表現し


ただただその時


私が語る前世について耳を傾けていたの


私の前世に登場する


人物はパートナーも知っている


私に友人も多く登場するので


まるで何かを持いだすように


話に参加してきて


気がつくとまるで軽い催眠に入ったように


「俺は前世で溺れて死んだと思う」と


急に言葉にしたの


私は少し驚いて


その後「あなたはもしかしたら


前世でとても優秀で


夢に近づいていたのに


水というものに未来を奪われてしまったのかもね」と


伝えると瞳がうるみ


「だからさーちゃんと出会って


水泳を始めたのかもしれない


人はそんなに頑張って


今からオリンピックでも出るのかって


笑うけど


俺にとっては大切な事なんだ


そこに意味があるんだ」と


強い口調で表現したの


その時ふっと


その事を思い起こしてみると


私は独身時代


特に強い志があるわけでもないのに


フィットネスライフに


多くの時間を注ぎ


言葉では上手に表現できないのだけれど


生きている喜びを


その時間の中で感じていたの


でもあるときから


その情熱が別のものに向かい


驚くほどのスピードで


フィットネスライフでの情熱が


消えていったの


その時のことを思い起こしてみると


ちょうどパートナーが真剣に


水泳を始めてからだったように思うの


そう思うと


私はパートナーに


パートナーにとって大切な


この世に誕生した意味のひとつを


手渡すために


フィットネスに強い情熱を注ぎ


過ごしていたのかなって


感じたの


それまでは海やプールへ


パートナーといっても


いつもパートナーは怖がり


水に触れようとしなかったの


でも私と共に過ごす中で


水は不可欠で


海や川・湖・プールなど


きっかけがあれば


足を運ぶので


ほんの少し恐怖がやわらぎ


私とフィットネスを共に通うようになって


それでも泳がないパートナーに


またすぐに敏感に反応する私は


「なぜ泳がないの!」とイライラしていて


一緒にいると


私の方までイライラして


フィットネスで過ごす意味がなくなるので


離れて過ごしていたの


そうしたら


彼もどうしてよいのか変わらないようで


周りをきょろきょろ見ていた時


偶然に水泳の初級コースが


始まる事を知ったようで


参加していたの


そのあと


とても晴れ晴れとした顔で


無口な彼が今までの思いを語り始めたの


「今まで泳ぎを一番マスターしたかったけど


初級といっても


色んなレベルの人いるだろうなって思って


水に顔さえつけられない自分が


参加しても恥をかくだけだから


ずっと見ているだけだったんだけど


一回自分はここまでしかできませんって


恥をかいたら


もう平気になっちゃった(笑)って


嬉しそうに話してくれて


それ以来毎日何年も


続けてている


彼の人生の支えとなっている


大切な時間なの


誰でも振り返って


見つめてみると


今大好きなことも


今自分が過ごす場所も


誰かからの影響やメッセージによって


導かれて


自分の意志だけではない


不思議な力が加わって


過ごされていることも


あるんじゃないかなって


感じているの


たとえば洋服一つにしても


そのブランドが好きになるきっかけが


誰かの影響だったり思い出だったり・・・


何となく入ったカフェで


そこで手にした雑誌に書かれていた事から


違う場所を知るきっかけになったり


また新たなメッセージとなる言葉を


見つけたり・・・


すべて偶然の重なりのようだけれど


本当はその方それぞれのタイミングで


必要なものを招き寄せているんじゃないかなって


感じているの


少し違う角度のお話だけれど


この間私は創業60年以上のお店に


足を運ぶ機会があったのだけれど


そこは数えきれないほど


幼い頃から


今まで通っていた道で


今回必要があってインターネットで調べて


初めて知った場所だったのだけれど


インターネットの地図で見つめていても


こんな場所にあったかなって


思うくらいだったの


それはきっと無意識レベルで


瞳には映していたのかもしれないけれど


それを必要としていない私には


ないものとなっていたのだと思うの


でも必要になた時


こんなにも近くに


自分が望むものが用意されていた事に


驚きと感動を


感じていたの


私たちの人生には


このような事がすべて偶然だと


思ってしまうけれど


もしかすると前世から


今の自分として誕生するときに


必要になるものはすべて


ちゃんと自分の手の届く場所に


整えて


この世に誕生してきたんじゃないかなって


感じているの


その事に気づくためには


今の自分が求めているものに気づいた時


次々と自分が招き寄せている事をを


実感できるんじゃないかなって


感じているの