2009年7月





今日お部屋を掃除している時


よくあることなのだけれど


つい雑誌や本などに


心惹かれて


読んでいた時


昨年のファッション雑誌の中に


とても心響く言葉があったの


それはテニスプレーヤーの伊達公子さんが


現役復帰に思いめぐらせ


大きな不安に包まれていた時


レーシングドライバーのパートナーが


「今、公子に必要なのは


若い選手たちに


負ける覚悟だ


過去は過去


実績にすがっていてはいけないよ


それよりも37歳という年齢で


チャレンジすることに意味があるのだから


それにたとえ負けたとしても


公子は公子なのだから」と


伝えたそうなの


その言葉が伝えるものに


言葉では表現できない


心震わすものを


感じていたの


一般的暮らしの中で


過ごす方たちであっても


無意識に現状の形が


こわれないように


そのことを日々意識しながら


行動を選択している部分があるんじゃ


ないかなって


感じているの


そして輝かしい実績が


過去にあればある程


新たなことにチャレンジして


過去を傷つけてしまうのでは・・・と


人生を満たすことよりも


周りからの評価が


最優先で・・・


でもそれぞれが自分の人生を満たすために


地球というスペースに誕生し


顔や指紋あらゆるものが


だれとも違う


一人ひとり個性を持っているのも


みんなが


自分でいることに意味があるように


感じているの


もっともな意見を語る事は


だれにでもできることだけれど


それを実行することには


労力・勇気・決断etc


様々なものは必要で


たとえ失敗しても


一歩踏み出した方は


周りが何と表現しようとも


踏み出さなかった方よりも


充実した時間を過ごされ


去年の自分よりも


成長・進化を遂げたことになると思うの


あきらかに大きく人に


迷惑がかからないことであれば


ほとんどのことは


行動することに意味があると思うの


この世の学びが終わり


天国に旅立つ時に


やった過去の失敗よりも


やらなかった後悔の多い


人生にはできるだけしたくないなって


日々思いながら


小さな事ではあるけれど


新しいことを探しては


ワクワク瞳を輝かせているの










人生の中では


時空のタイミングの流れが


ほんの少しずれることがあると


感じているの


ある時には


自分がイメージしたものや


瞳に映したものが


すぐに現実化する


ジャストフィットしている時期と


何か意味があって


時空のずれが生じて


どんなに良い教えやイメージをしていても


まるで何もなかったように


別の事柄ばかりが


届けられたり・・・


そのような日々が続いてしまうと


どんなに素晴らしい教えであっても


無意味に感じて


よいとは思わない自分の作ってきた


癖や習慣に


戻ってしまうこともあると思うの


でも本当は


その時空のずれのおかげで


もっと人生を深めてくれていると思うの


それはまるで


あらゆる物質にゆとりという


遊びがあるのに


似ていると思うの


すべてがぴったりとしすぎてしまうと


きっと思った以上に


心身が疲労してしまうと思うの


そしてその時空のずれのおかげで


一時のマイブームとして


楽しみ


短期間で


次に進むこともできると思うの


そして


無意識ではあるけれど


人間はみんな退化してしまっただけで


本来直感・霊感という


生きてゆくのに必要な能力が備わっていて


気づかないうちに


未来の準備をしていることもあると思うの


たとえば何となく心惹かれ


購入したはずなのに


おうちに持って帰ったとたん


心離れてしまい


使うこともなく


新古品のまま


月日が流れ


忘れていたころに


必要になって


「あ!そういえば」と


必要な時が訪れたり・・・


本なのでもそうで


その時何となく人に勧められたり


話題になっているものを手にして


おうちに帰ってから


何度も読む機会を作っても


読み進まず


そのままになっていたものが


月日が流れてから


急に読みたくなったり・・・


私が感じているのは


それはすべて未来の準備だと思うの


そして多くのものは


自分の成長に合わせて

新調されてゆくものだと思うの


おもしろいことに


本や音楽などは


読む時期・聴く時期によって


受け止め方も違い


時を重ねる事で


自分値も上がっているので


もっと深く理解できたり・・・


なので無理をして


心惹かれないのに


無理に良いものだからと


詰め込むことはしないほうが


いいんじゃないかなって感じているの


学校へ通っているころには


はっきりと自分の学びや成長に対して


数字で瞳に


映すことができたけれど


大人になると図るものがなく


つい周りと比較して


上下を感じたりしてしまうけれど


大きく見つめると


人生の寿命が人ぞれぞれなのと同じように


ゴールも


全員が同じゴールを求めて


競うあうものではないと思うの


だからどんな時も


自分らしく過ごせることができた日には


自分を褒めてあげてほしいの


だって自分らしく過ごすって


意外と難しくって


とても勇気も必要なことなのだから・・・












私の友人の知り合いが


この間


保健所で犬を2匹


家族として迎え入れたようなの


そしてそれから月日が流れ


そのワンちゃんが


何をしたのかわからないのだけれど


骨折してしまい


歩けなくなったようで


そのことでどうしようと


友人にメールがあったようで


友人はもちろん病院へ行っているものと思っていたら


ずっと連れて行っていなかったようで


友人は涙ながらに


そのような判断をする知り合いに対して


怒りと悲しみに包まれていたの


病院へ連れて行ってあげたいらしいのだけれど


高額の医療費がかかてしまうため


今その方は


また保健所に返そうかと


考えられているようなの


そのお話を聞いて


私も友人も


いろいろと考えさせられたの


友人は


「その人の行動はひどいと思うけど


じゃー大金を必ず用意できる人しか


ペットを家族として


迎え入れてはいけないとしたら


ほとんどの人が飼えないよね


子供を産む産まないに対しても


同じようなことをいう人がいるけど


そんなに万全な人ばかりじゃないし・・・


一緒にしてはなんだけど


子供もペットも


育ててくれる人によって


人生が大きく決まっちゃうんだよ


やっぱり悲しいし


許せない」と


やさしい友人は泣いていたの


私も話を聞いていると


やりきれない思いに包まれるけれど


もしも私が保健所に足を運んだとしたら


私の一存で


数日後には消えてしまう命が救えるのならばと


自分の力も考えずに


大変なことになってしまっても


不思議ではないから・・・


そう思うととても複雑だったの


そしてあれこれと


友人と話しながら


最終的にはお互いそのワンちゃんを


救ってあげる力がないこと


そして今自分の家族として迎え入れた


ペットには


できる限りのことをしてあげたい気持ちが


改めて


再確認させてもらった


愛の再確認の機会として


お互いに受け止めることにしたの


私たち人間の多くは


どんなに幼いころ


大変な環境で生まれ育ったとしても


ある時期から


自分の判断と努力で


自分が望むライフスタイルを


創造してゆけるけれど


動物たちは


どんな意味があるのかは

わからないけれど


ほんのささいな分かれ道によって


すべてが決められてしまう


とても厳しく


無情の世界だと思うの


今のみゃーと鳴く


娘のみゅーを迎え入れる時


とてもそれを感じたの


人懐っこいかわいい動物たちは


すぐに家族として


迎え入れてくれる人たちが決まり


そうではない動物は


想像を超えた範囲で


命が消えて行ってしまうと思うの


もしも人間ならば


容姿に自信が持てない方でも


笑顔が作ることが苦手な方でも


必ず良いところを


見つけあい


縁がつながれていったり


ここが合わないと思えば


別の場所もあったり・・・


生き方が上手でなくっても


どうにか


人生を満たしてゆけるとお思うの


友人はよく動物の無情の世界について


疑問を持っていたり


発展途上国の貧しい人たちについても


同じように


「どうしてあの人たちは


あのような暮らしをしなければならない


場所に生まれたんだろう?」


「なぜ私はここに生まれたんだろう?」と


考えているようなの


その問いには


私もどのようにも答えられず


「不思議な因果でしか


答えが出せない問題は


世界の中にいっぱいあるけれど


今精一杯


がんばっている人に


過去の行いがとか


前世での悪行がって


見てしまうのは


よいことだとは思わないよ」としか


答えを手渡せないの


前世の悪行が・・・とか


過去の行いが・・・というのは


自分自身が人生の中で


何かの出来事を


原因と結果の流れで見つめ


すべては自分自身が


生み出したこととして反省し


ある部分では


自分でどういう風にでも


人生を変えて行けるという


教えなのだと感じているの


一時期多くの方が

スピリチュアルなことに知識を


深められた時期があって


それから


前世の悪行が・・・とか


過去の行いが・・・と


言葉はよくないのだけれど


わかったようなことを


語る方が増えていて


別な意味での差別が


広がってしまうのではないかと


とても心配した時期があったの


たとえ前世に何があったとしても


過去に様々な体験の中で


人を傷つけてしまったり


よくない事をしてしまったとしても


多くの方は


誰かに裁かれなくっても


十分長い時間


自分で自分を


裁いてきたと思うの


そして前世も過去も


戻すことはできないのだから


これから迎える明日以降の未来の亊のほうが


大切だと思うの


前世も過去も


すべては自分を知る目安として


本人だけが


感じ取ればよいだけだと思うの


世界中で大昔


このようなスピリチュアルな知識によって


大きな差別が生まれ


調べようもない答えに


生まれた環境・心身の病・容姿etc


あらゆる部分で


恵まれていないと


その家の先祖の行いが・・・と


周りから批判的な瞳で


見つめられるので


辛く悲しい人生を


わけもわからないまま


受け入れ過ごされてきた方も多いと思うの


もうそのような歴史は


この時代には


フィットしないと思うの


前世の行いや過去の行いだけで


様々な事を


判断されるけれど


私たち人間の多くは


無意識の間に


様々な罪を重ねて歩んできていると思うの


たまたま人間が考えた


ルールの範囲のことだから


罪とは判断されないだけであって


ミクロで見つめたならば


きっといっぱい良い行いもしてきたけれど


それと同じくらいに


良いとはいけない行いも


あったと思うの


以前何かの本で読んだのだけれど


人間がマックスまで


魂が向上すると

もう生まれ変わることがいと

書かれていたのが本当だとすると

小さな範囲で


上下を比べているけれど


みんな同じ


魂の向上のために


この時代・この地球に生まれ


学んでいる仲間だと思うの







最近


今までになかった体調の変化を感じて


久しぶりに


病院へ足を運んだの


そして初めて


今まで調べていなかった


子宮のがん検査を行ったの


検査場所によって


痛みを伴う検査があったりして


思わず泣いてしまったり・・・


病院に足を運ぶたびに


調べていた子宮がんは


知らぬ間に終わっていたので


今回は少し恐怖さえ感じて


この場所の検査は


あまり望まなくなってしまうんじゃないかなって


思いながら


おうちへ帰ってきてから


友人やパートナーに


話していたの


そして1週間くらい経った頃


ハガキで検査結果が届き


まさかの再検査が必要という文字が


書かれていて


言葉では表現できない


思いに包まれていたの


確かに私の持つ病の


子宮腺筋症は


がんとの区別が難しかったり


今は良性でも


悪性に変化するとは


知っていたので


もしかしたらとの確認のための再検査かなって


思いながらも


心が揺れてしまい


友人やパートナー・両親などに


電話で溢れる思いを


伝えていたの


その時


みんなの愛情がありがたいくらいに伝わり


どんな薬よりも効果のありそうな


愛情薬が


体全身に広がってゆくのを


感じていたの


そして


友人やパートナー・両親


それぞれ愛情の伝え方が違っているのに


伝わってくるのは


深い愛情だったの


友人は私の心と


同じテンションではなく


笑い飛ばすくらいに


「さーちゃんにはありえない」と


断言してくれたり


両親は


DNAというもので


私に自信を与えるために


「なんだかんだいったって


遺伝ってあるんだから


大丈夫!


私たちも病気一つしていないし


じいちゃんばーちゃんも


病気で亡くなったわけではないんだから・・・


あんた最近


まじめな生活しているんじゃないの?


遊びに行ったりしなさい」と


普通に聞いたら


え?と思われる方もいるとは思うのだけれど


私には深刻に受け止めない


まわりの言葉や対応が


ありがたかったの


パートナーは


私を気遣いながらも


やはり会話の中に笑いがあって


「主婦は会社員とは違って


意識的に病院へ行かなければ


行く機会がないから


大ごとになることも多いんだから


細かく調べてみたら


だれだって大なり小なり


何かあるものだよ


逆にさーちゃんは今の病気があることで


意識的に病院で検査する


機会があるんだから


それはそれでいいんじゃないの


安心のための再検査なんだから


安心するために


気楽な気持ちでいってきなよ」と


伝えてくれたの


そしてつい笑顔になってしまったのは


全員が共通して


「遊びなさい」という事を


話した時だったの


私は幼いころから


祖母に同じようなことを


伝えられていて


その意味がよくわからなかったのだけれど


そのキーワードには


言葉を見つめるだけではわからない


深い意味が


込められていたのだと


今は感じているの


自分が心躍る時間を過ごしていると


人はだれでも


無意識に様々な陰の気を


浄化し


免疫力が上がり


自然に邪気を招くことなく


過ごせるという


基本的な方法を


知識ではなく


感覚的に感じている方たちは


伝えてくれていたのだと思うの


そして人間にとって


どうしても必要な時間ではない


遊びという時間に


本当は


人生にとって


最も大切な学びがあったり


記憶に残る思い出が作られたり


その大切さを


その一言にはあると思うの


年齢を重ねた方の中でも


いつも楽しげに


ユーモアあふれた形が


元気なのも


心躍る時間を


自分で探し過ごしているからだと思うの


そしてそのような方たちを


「年甲斐もなく・・・」とか


「年もを考えないで・・・」と


批判している方たちのほうは


自分が心躍る時間よりも


周りから批判されない生き方を


選択する方が多いせいか


元気がなかったり・・・


私の祖母は


様々な角度で


批判されるような人生を


歩んできたけれど


今の時代から見つめてみると


最後まで元気で


人の手をわずらわせることを


必要としなかった


祖母は子供孝行・子孫こうこうだったんじゃないかなって


よく両親に伝えているの


祖母はストレスにによって


あらゆる部分に異変があって


最終的にはすごいスピードで


年相応になり


天国に旅立ったのだけれど


もしもそのストレスがなければ


永遠に生きているんじゃないかなっていうくらい


エネルギー溢れた方だったの


人間はつい瞳に映るものに


意識を注ぎ


瞳に映らないものへは


配慮できないこともあると思うの


たとえば


女性ならば


お顔にシミやしわが


作られると


気になって


急いで対処しようとするけれど


内臓などには


色々と無理をさせてしまっていたりしても


大きなサインがない限り


いわたる事が少ないと思うの


肉体的なことだけではなく


エネルギーという


瞳には映らないものに対しても


同じだと思うの


見えるものには確かに


大きな説得力があるから


そのような方には


意識が流れてゆくけれど


本当は瞳には映らないものにこそ


自分の人生を大きく変化させる力が


あるんじゃないかなって


感じているの






パートナーが私の心身を心配して


電話を何度もくれたの


そしてその中で


必ず伝えてくれたのは


「どんな状況であっても


さーちゃんの勘はすごいから


自分の勘を信じて


進んだ方がいいよ」って


言葉だったの


その言葉を受け取り


あれこれと考えてみたのだけれど


どんな結果が出たとしても


本来は昨年に手術を受けようと


決断したことを


やはり実行しようかなって


思っているの


奇跡的に体調が回復し


状態もほんの少しとはいえ


改善していたようなのだけれど


完治しなければ


この問題が


どんなときにも


私の人生と寄り添い


そのことが


私の人生を支配してしまうのは


私自身望まないことだから・・・


数年前は


あまりに早い決断だったこともあって


自分自身の心の揺れや


周りの家族の心の揺れが


大きくって


考えれば考えるほど


涙が溢れたりして辛かったけれど


今はその課題は


私も周りの家族もクリアできているようで


子供を産み育て


母となった


スタンダードな人生を歩めなくっても


それも私の人生なのだからと


受け入れているの


ただ弱虫な私は


大きな痛みを毎月体験しているはずなのに


痛みにとても弱く


その恐怖を想像することで


何もしていない


今から瞳をウルウルさせてしまうの


私自身


この地球での学びに


強く後ろ髪をひかれる事は


昔からあまりなかったので


いつも浮足立った行動のようで


「地に足をつけて生活しなさいと」と


周りから伝えられるほどだったのだけれど


唯一私がこの世界に残りたい理由は


大好きな人たちと


新たな言葉を交わしたり


していたいからなのだと思ったの


そして


私という存在を受け入れてくださる方との


出会いを重ねてゆくことで


この世に誕生した時から


多くの大人たちに


否定されて刻まれた


様々な傷が癒される喜びに


この上ない幸せを感じられる


今が大好きなのだと思うの


そして逆に


自分の幼い心が


人生を歩む中で


多くの方を傷つけ


もう償う機会をなくした私に


形を変えて


償いのまねごとをさせてくださる機会を


与えてくれる人たちへの感謝で


何か大きくスペースが空いたままになっていた


心を満たしてくれる


時間を手放すことができない感情から


様々な葛藤が生まれ


良い意味で


この世での学びが


続けられてきたように感じているの


文明の発達が


人の心に良いものとそうではないものを


生み出してきたと


伝えられるけれど


私の場合は


文明の発達をした今だからこそ


感じられる幸せを


日々受け取っているの


本来ならば


その日・その日


瞳に映る人にも限りがあって


言葉を交わす人たちにも


見えない制限があったのに


今はインターネットという


思いやイメージを


すぐに形とし届けてくれるアイテムがあるおかげで


今更ながら


こんなにも地球が広いことを感じ


自分の思い込みで語っていたことが


事実ではない事を知ったり


逆に目の前に映る世界では


常識に収まっていないと否定されることであっても


自分と同じ思いで


それでいてもっと多くの知識や


智恵を持ち


教えてくださる方もいたり・・・


なんてありがたい時代なのだと


日々感じているの


そして最も大きい


私にとって実りとなっているのは


自分が思っていた以上に


人間の秘めている素晴らしさにふれる亊が


できたことだと思うの


身近な人だけで


判断し決めつけていた


無知な私が


インターネットを通して繋がれた


素晴らしい愛を持つ人たちと出会い


そのおかげで


今まで以上に


この地球が守護され


その方たちの笑顔が


守られてほしいと


強く思うようになれたのは


素晴らしい愛を持つ人たちと出会いの


おかげだと思っているの


そして何より


本来ならば一人で向き合い


解決の答えを見つけ


言葉では表現できない思いの中


時が解決してくれる流れを


待つ辛い時間を耐えるだけだったはずの


問題であっても


こうして


私事なのに


心に吸収し


案じてくださる方


自分に置き換え生かせることを


見つける智恵にしてくださる方など


様々な方がいてくれることで


私自身


幸せに包まれながら


いつも自分の心を整理してゆくことが


できていることに


日々気づかされるとともに


感謝でいっぱいなの


弱虫の私といつも繋がり


応援してくださる


すべての方のおかげで


私は自分の存在価値を


受け入れ


生かされていることに


言葉を超えた感謝を


感じています


本当にありがとう









今回も


パートナーとどのような流れにしてゆくのかを


話していたの


数年前から病との付き合い方で


何度も話し合ってきたので


今回は復習のまとめのような流れになっていて


話している間中


ずっとお互いがお互いを


思いやっていることが


問題の解決へスローなペースに


していたのを感じていたの


私の答えは決まっていても


彼は彼で


結果私が女性として


必要以上に劣等感を


持ってしまうんじゃないかなと


心配していたり・・・


私は私で


私が決断してしまうと


彼を父親にしてあげられない事が確定し


彼が希望を持てないくなってしまうのではと


ずっと痛みに耐えていたり・・・


でもお互いずっと相手を見つめてきて


今回は


相手を思いやることの大切さよりも


自分の思いをお互いに


伝えあってみると


「俺は結婚してから


毎月痛みに耐える奥さんを見ていて


何もできない自分を責めてしまうことにも


もう疲れた


ずっと元気で色んなことを


二人でしてきたい」と


伝えられ


私は私で


「もう痛みのない世界で


自由になりたい」と


表現したの


そのことで


今回どのような結果になっても


今の状態からシフトしてゆくことを


お互いに納得して


行うことになったの


人は思いやりや愛が深すぎると


自分がどんなに辛くても


相手には辛い思いをさせたくない気持ちから


自分が全ての


心身の痛みを


受け止めてしまうものだと思うの


数年前に手術を希望する私の決断を


いつも止めていたのは


両親の夢や希望を


見えなくしてしまうのではないかという


思いだったの



それでその当時の担当の先生に話していた時


その先生に


「両親が辛い思いをするというけれど


本当は一番痛みで


辛いのはあなたでしょ」と


伝えられた時


自分でも驚くくらい


その場で声が溢れてしまうほど泣いた


その出来事が


今でも忘れられないの


私自身周りが思うほど


肉体的な事への執着は


毎月重ねる痛みによって消えていたので


解放されたい思いだけだったの


でも私が解放されると同時に


両親は私から生まれる孫が見れなかったり


パートナーは父親になれないなど


周りを悲しませたくない思いが強く


今までの私らしくない


優柔不断な対応の中


過ごしていて


そのすべての思いを


その先生が理解してくれたような


喜びがその時あったの


周りが聴いたら


え!って思うかもしれないけれど


親友も私の思いを知って


悩ませないように


簡単に


「取っちゃいなよ


さーちゃんは前世でずっと男として


生まれていて


初めての女性体験したんだから


もういいいんじゃない


がんばらないくっても


次に何か待っているよ」と


あえて複雑に言葉を


伝えてはこないの


人はそれぞれ相手を思いやる時


共に涙してくれる方


逆に不安にさせないために


軽く伝える方


逆の角度から見つめ


あえて自分が悪者になってもいいから


結果を出してくれる方など


様々だと思うの


逆にどんなに素晴らしい言葉を


伝えられても


何も響いてこない時もあって


やはりすべては


その言葉に愛を乗せて


手渡してくれているかの違いなんじゃ


ないかなって


感じていたの


そして多くの方は


愛のセンサーの働きによって


言葉だけでは測れない


愛を日々受け取り


自分の中に住む


神の存在と


繋がりあっているんじゃないかなって


感じていたの







ここ数日


ありがたいことに


様々な不安や迷いよりも


喜びと感謝の方が


大きく広がり


幸せな気持ちで過ごせるようになったの


それはもちろん


あたたかな言霊を


手渡してくれた方たちのおかげで・・・


本当にありがとう


ずっと昔に


全身麻酔で手術を体験した時


とても不思議な体験をしたことがあって


もう一度その体験ができるかなって


今から少し


楽しみなの


ただその時の状況を


目覚めた時母に聞くと


輸血が必要な状態で


とても心配していたようなの

母が心配していることを知らず

眠りの中手術を受けている時

私は

まるで永遠に続く

滑り台のようなものに流されていて

私を挟んで前後に


白い服を着た存在が一緒にいてくれて・・・


でも不思議とこわくはなく


ただ漠然と


いつまで続くのだろうと


思っていたの


そして今でも夢なのか


現実なのか分からないのだけれど


滑り台の場面を終え


気がつくと


私を囲むように


白くまぶしい光の中


たぶん数名の方が何かを話されていて


私は一生懸命に


その話を聞こうとしているのだけれど


はっきりと聞き取れず


光が急に弱くなり


曇り空のような色に変わった時


私は目覚めたの


今回もしも


同じ状態になったならば


意識離脱した体験を


もっとちゃんと見てみたいなって


思っているの


ただちゃんと今の世界に戻れるように


思い残す事をいっぱい作って


ちゃんと思いを


こちらにたくさん残し


帰れるようにしておかなくっちゃって


思っているの(笑)


今回具体的に知りたいことも多く


病について調べていたら


驚くこともたくさんあったの


それは婦人科の病になる方が


通常よりも若く


そして


決断されることも


早い段階で行われている方が


多いことだったの


その時

今の時代を感じていたの


今の時代に誕生してきている


天使たちは


幼いころから


将来の希望がはっきりしていて


自分が進む道を決めている方も多く


それに必要な方向を


早い段階から選択され


若い世代でどの分野でも


プロとなっている方も多く


そのため


スタンダードに進む歩みを


意味のあるものとせず


ストレートに


辿り着く必要な場所へ


進まれている方が多いのと


同じ感覚を感じていたの


私の世代は


まず自分を納得させることに時間が必要で


そして


様々な角度からシュミレーションし


ある程度


方向性が見えるまで


はっきりとした決断を


なかなかできないけれど


今の時代は


すべての時間が早巻きになっているから


それに意識がフィットしているのかなって


感じていたの


他のことであっても


そうだけれど


私の世代は


今ではそんなに遠くない夢であっても


否定されたり


無理だということを


永遠と伝えてくる方や


本人もだんだんと自身を保てず


普通と表現される世界で


満足はしていないけれど


大きな不満もない


日常を選択される方も多かったけれど


今の時代は


え!って思う夢であっても


驚くくらいに


簡単に叶えられる方や


はっきりと叶わなかったとしても


とても近くまで


近づくことができたり・・・


私の周りの若い方は


少し前に


「いつか本を出版するのが夢なんだ~」って


表現していたと思ったら


2年後にはそのような流れになっていたり


ある方は不安いっぱいではあったけれど


夢を持って東京へ行き


数ヶ月だけ自宅でサロンのよなことを


行っていたのに


気がつくと雑誌などで


見かけるようになっていたり・・・


とても展開が早いの


きっとそれは


夢列車に乗るタイミングが


グッドタイミングだったからなんだろうなって


感じているの


そして時々感じているのだけれど


木魂や精霊・聖霊が


急にその方に宿り


その方の人生をすべて


良い方向へと変換して


ものごとが


驚くほどの成果を


あげてくれるという事もあるので


その場合は


誰にでもチャンスはあるので


木魂や精霊・聖霊がもしも宿った場合


できるだけ


長く寄り添っていたくなるよう


過ごす事が


大切になると思うの


私の知り合いの夢をかなえ


今も輝き過ごしている方たちは


そのような知識はないのだけれど


見つめていると


毎日のように自分を喜ばせていたり


常識にとらわれず


そしてどんな状態であっても


人を否定した発言はせず


何かわからないけれど


毎日・毎日が


幼子のようにワクワクしているように


私には映っていたの


私が感じているのは


今年はその


木魂や精霊・聖霊がなぜか


移動しやすく


今まで大きな幸運に恵まれていた方たちは


木魂や精霊・聖霊が


長く寄り添ってくれるよう


今まで以上に意識することが


大切だと感じているの


そして逆に今まで


あまり良い流れではなかった方たちには


木魂や精霊・聖霊が頻繁に


移動している年なので


急に運気が向上することもあると思うの


その時には


木魂や精霊・聖霊の存在を意識し


好ましい環境を整えるために


感謝や愛を保てるよう


自分を喜ばせ


大切にしてあげることが


望まれると思うの









今年の初めにも


お伝えさせていただいたことだけれど


今年のキーワードは


「過去」だから


過去に思い残してきたことや


自分が意識するしないにかかわらず


過去を振り帰り思い起こす機会を


与えられる年だから


様々な形で


未来に向けて歩んでいた速度が


緩やかになり


過去を振り返り


未来へ必要なものや


過去に後悔したことを取り戻す時期だったり


すべてが過去という


キーワードで繋がっている


年だと思うの


私の場合は


気がつくと痛みと寄り添い


人生を支配していた事に


強く意識が向かっていて


答えを出しているけれど


事柄は違っていても


過去の清算・過去に置き忘れてきた


今必要なものを


新たに受け取られたり・・・


様々な形で


過去とふれあう事が


多くなっている方もいると思うの


私の知り合いの方で


とてもお忙しく


いつも前に前に進み


過ごされている方がいるのだけれど


この間


なぜかまだ5歳の大切な大切な犬が


急に天国へ旅立ち


何かしらの変化にも


気付けなかった自分を責めたりしながら


過去のかわいい子犬だった頃の


写真を見ながら


楽しかった思い出を振り返りながら


今度は「今までありがとう」と


思いを往復させながら


今は前に進む速度を緩やかに


新たな家族と巡り合える日を


待ち望み


そんな中


大切な犬との思い出の公園へ


足を運び


佇んでいる時


その犬と同じ犬種の犬を


散歩させている方がいて


ずっと見つめているとその方が


彼女が犬を散歩しているのを


何度か見ていたようで


「今日はワンちゃんは一緒じゃないんですね」と


声を変えてきたようなの


それで状況を説明すると


その方もお気持ちがわかるのか


その犬種が多くいるペットショップを


教えてくれて


一緒に行くようになり


気がつくと


その方に心寄り添うようになり


来年結婚する運びになったの


不思議なご縁を


繋いでくれた犬の存在を


彼女は大切に思い


今も良い意味で


過去を振り返り


今年のキーワードの過去から


素晴らしい贈り物を


受け取っているの


何となく人間の生き方の中で


過去を振り返る事や


過去の楽しかった思い出を


話すことよりも


未来について語る事や


未来に夢を馳せる事の方が


とっても素晴らしいことのように映るけれど


どのように歩んできたとしても


過去がなければ


今の自分はないのだし


過去に感謝する事や


過去に置き忘れたものを


見つける時間も


人生の中ではとっても大切な時間だと思うの


社会ベースでのデーターとは違い


過去の中には


自分だけのオリジナルデーターが


いっぱいあるのだから・・・







様々なことを学び


頭の中では理解できる範囲も


年を重ねると共に


広がってきていて


表面的には


とても成長しているように


感じていたのだけれど


よ~く自分のことを


見つめてみると


一番大切なものが


知識に埋もれているのを


感じていたの


知識が深まるまでは


自分でいっぱい・いっぱい体験し


その中から


「受け入れる」という


大切な知恵を受け取り


たとえその時の現状が


自分が望む形ではなかったとしても


ありがたく感謝できるものを


見つけ


受け入れる事ができた時


次にシフトしてゆくという


プロセスを


歩んでいたの


それは自分なりに感じて


生み出した


幸せへの歩みで


今の現状を受け入れる事が出来ないければ


次に届けられるものはもっと


受け入れることが困難なものなんじゃ


ないかなって


なんとくなく感じていたからなの


そして


今でもそうなのだけれど


現状に感謝していれば


たとえその現状に満足できなかったとしても


その感謝の思いに見合ったものが


届けられ


気がつくと


喜び多い時間に


包まれ


過ごせると


確信じていたの


でもあらゆる知識を深め


その中で様々な誤解が


自分の中にあったことで


「受け入れる」という


大切なことが


とても難しくなっていたのを


感じていたの


数年前に


私が大切にしている


「受け入れる」というプロセスの中


過ごしている時


ある友人と話していた時に


何かの会話の中で


よく「そんなんでいいの!


もっとがんばりなよ」とか


「満足しちゃうから


それで終っちゃうんだよ


前向きにがんばんなよ」というような


言葉を伝えられ


私の中でも誤解が生じて


「そうか


満足していちゃだめなんだ!」と思い


がんばる姿勢は良かったのかもしれないけれど


その副作用として


現状を受け入れられない不満に


溢れてしまったことがあったの


ほんの少し前までは


何も変わっていなかった現状でも


感謝し


出会う人たちとも


幸せに過ごしていたはずなのに・・・


その時このような歩みって


本当に前向きというエネルギーなのかなって

疑問に感じたの


そして現状に感謝できないことって


ある意味で


自分を根拠もなく


高みに保ちすぎているんじゃ


ないかなって


感じていたの


そして受け入れられないという抵抗力は


自分が思っている以上に強く


まるでヴィジョンとして


想像し


願う力よりも強く働いてしまうから


逆に現状を


良い方向へは


導かれないと思うの


そして人は学び気づくために


人生を営んでいるのだから


届けられた出来事の中にあるものから


ピンポーンと正解となる答えを


出す事が出来なければ


同じ問題が


形を変えて


何度も何度も人生の中に


届けられ


前に進んだように感じていても


またバックしてしまうこともあると思うの



私自身


そのことを何となく忘れて


受け入れ感謝するという


最も大切にしていた事を


今回


改めてまた思いだす事が出来た気がしているの


私の人生は


どちらかというと


一歩・一歩ゆっくりと歩むとうよりは


3段飛ばしくらいで


駆け上がってきた歩みで


それでも自分の意思とは別に


足をくじき


その場所で立ち止まり


その場所から学ばなければならない


機会は与えられていると思うの


それが私にとって病というものだった


気がするの


よくドライブをしていると


すごいスピードで走る車がいて


自分たちがとてもゆっくりすぎるのかなって


感じることもあるけれど


あるとき


ふっと横を見ると


信号待ちで同じ場所に止まっていたり・・・


人生もそのような現象に


とても似ていると思うの


そして「前向き」という言葉だけが


何かとても人を


エネルギーに溢れ


素晴らしく映る魔法の言葉のように


表現されるけれど


本当に前向きな方たちは


その意識が当たり前すぎて


意識することなくそうだから


言葉にはしないんじゃないかなって


感じているの


笑ってしまうのだけれど


私の知り合いには


後ろ向きな前向きな方がいるの(笑)


いつも穏やかで


がんばろうというようなエネルギーはなく


人の意見や言葉を


いつもうんうんとやさしく聞かれ


特に願望もなく・・・


そして彼と話した人たちは


「何でそんなに夢がないの?


私なら・・・」と


自分の話をされてるの


その様子を見つめていて


彼は自己表現したりしないけれど


無意識に


周りの人を元気にしているんじゃ


ないいかなって


感じたの


上手に言葉で表現できないのだけれど


みんな彼を元気づける気持ちが


溢れてきて


気づくと


自分の心を見つめ


「私ならばこうするよ」とか


無意識に前向きな言葉にあふれていて


それは彼が無意識に引き出している


前向きな言葉なんじゃないかなって


感じていたの


自分が日ごろ


意識することなく表現している


言葉の中には


相手に伝えているようで


自分にエールを送っている言葉も


本当は多いんじゃ


ないかなって感じていたの


「受け入れる」という事は


何回復習しても


また忘れたころに


届けられると


とっても難しいものなんだなって


とても感じていたの





今日久しぶりに会う


知り合いが


とても深いお話をしてくれたの


その中で


最近スピリチュアルな世界から


距離を置いていることを


話してくれていたの


その知り合いは


スピリチュアルな知識溢れる方で


そのような知識あふれる


繋がりを持つ方の仲間も多く


たまたま人生の中で


初めて立ち止まり


心揺れる出来事があって


悩んだり考えたりする機会の中


過ごしていて


その時ふっと


自分自身が語っていた言葉や


周りが語っていた言葉を思い出し


愛について


ちょっと考えさせられたようなの


よくスピリチュアルな知識の中に


運のない方・ついていない方とは


付き合わない方が良いというような


表現があって


そのような事を

自分や周りが当たり前に表現していて


いざ自分が心揺れて


誰かに相談したり


来てもらいたいと思った時に


彼女はふっと


自分が弱音や思い悩んでいることを


表現してしまったら

周りが距離をおこうと


思ってしまうのではないかと


思ったら


何か複雑な思いが広がったようなの


確かに


スピリチュアルな智恵の中には


幸せのおすそわけがあるのだから


逆の角度から見つめると


そのような知恵があるのはわかるけれど


人間の人生は長いので


周りのせいでもなく


自分のせいでもなく


特に原因もなく


どんなに幸運の方であっても


バイオリズムで


上っているばかりではないから


バイオリズムの動きだけで


距離お置かれるのは


確かにさびしいなって


思うの


その知り合いがすごいのは


自分が表現してきた言葉に


違和感を感じたことだと思うの


自分という存在は


近すぎて見えないけれど


周りは程よい距離があるので


周りの方の事はしっかりと見えるけれど


自分の事は見えなかったり


見ないようにしてしまうので


自分の事を


まっすぐに見つめ


受け入れている姿に


とても尊敬していたの








最近


色々と頭では理解していた出来事を


実感として


体験させてもらう機会が多いの


その中で


自分からあふれる涙で


まるで


チェーンのように繋がなければ


辿りつけない場所がある事など・・・


過去を振り返っても


そのようなことが多かったことを


改めて


感じているの


変わりたいのに変われない自分を


好きじゃなかったけれど


受け入れることから

すべてがスタートしてゆくことを


様々な出会いから


教えてもらった気がしたの


そして自分の心が帰る場所を


いつも保ってくれている


多くの方に


改めて


感謝が溢れているの


この幸せはきっと


たくさんの涙があったからこそ


心に映す事が出来た


美しい虹なのかなって


感じているの


ありがとう









自分が過ごす


すべての空間に


天使や神々は


素敵な偶然を


いつも用意してくれていると思うの


それは自分が


ほんの少し意識するだけで


受け取れる


天使や神々からの


贈り物だと思うの


この世界には


たくさんのもので溢れているけれど


すべてを瞳に映し


ふれることはできないように


その時々

自分に必要なメッセージや物質


様々なものを


素敵な偶然という形で


届けてくれていると思うの


感性豊かな方は


何気ない」日常の中でも


それは魂や心で


無言のメッセージとして受け取れたり・・・


良く感じる方法としては


見慣れた景色や場所なのに


瞳に映したものが


必要以上に気になるとき


そこには天使や神々からの


メッセージが用意されていることが多いと思うの


たとえば


いつもならばお花が植えていなかった場所に


お花が咲いていたり・・・


そのような時には


無言の励ましがあって


「あなたの笑顔が好きだから


笑顔を見せて」っていう


メッセージだったり・・・


偶然と思うことも


ベストなタイミングが重ならなければ


見つめられないのだから


それは自分が見つめるために


用意された


素敵な偶然だと思うの


この世界には


人間が生きてゆくうえで


必要なものを


神々は用意し


私たちをこの世に


誕生させてくれているのだから・・・


人間が生み出したものでさえ


その知恵をインスピレーションとして


与え


創造させていたり・・・


始まりはすべて


ひとつ「愛」から


生まれていると思うの


歌は人の情緒を保つために存在し


花は人の心に


笑顔を生み出すために存在し


月や太陽は


心の孤独感を光で打ち消し


どこまでも歩いてゆけるように


そして人間に必要なすべてのものへ


エネルギーを


与えるために存在し・・・


そして霊的に目覚めた方たちが


次のステージとして必要な


パワーストーンを地球が


何億年もかかって育み


発掘される日を待っていたり・・・


そう思うと


何て神秘的な世界に


私たち人間は過ごしているんだろうって


感じているの


毎日が平凡だと感じられている方も


それは見慣れた空間で過ごしているから


頭の中で次の展開がわかるので


すぐに答えを出している


頭の良さがそのように


感じさせているだけで


ほんの少し


いつもと違う空間に


一歩踏み出してみると


何気ないことも


初めてという事で


頭もすぐに答えを出そうと処理をせずに


ゆっくりと流れ


神秘的な世界を


体験できると思うの


私たちが10代のころ


あんなに一日が長く感じ


今でも強く記憶に刻まれているのは


きっと毎日が初めてのことで


流れる時間に追いつくことで


いっぱいだったからだと思うの


でも年齢を重ねると


その時々たくさんの経験があって


行動する前に


頭の中でシュミレーションができてしまうので


時間を追い越してしまい


時間を持て余すくらい


平凡に感じてしまったり


逆に頭で理解して行動をしているつもりでも


現実の行動が追いつかず


時間がいつも足りなく


感じたりしてしまうと思うの

時間というのは


現実には24時間だけれど


体感時間というのは


年代や人によっても様々で


その時間の流れは


自分でコントロールできると思うの


以前何かの書物で


読んだのだけれど


移動・行動している方と


一か所にずっと過ごす方で


実験をしたら


行動をした方の方が時間の流れが緩やかで


一か所にずっと過ごす方は


とても速い速度で


時間が流れて行ったようなの


よく誰でも体験があると


思うのだけれど


心身を休めようと


何もせずにいるよりも


逆にリフレッシュをかねて


どこかへでかけると


心身が疲労しているはずなのに


何か満たされた感覚が


ある事ってあると思うの


言葉では上手に表現できないのだけれど


行動はいっぱい・いっぱい行っているけれど


時間の流れはゆるやかで


しっかりと多くのものを見つめたり


頭の中でも


新たな学習にワクワクしていて


心身がよみがえっているからなんじゃ


ないかなって


感じているの


人と比べる表現は


あまり良くないかもしれないけれど


一人ひとりが


何気なく体験していることも


体験したいと願っても


できない方もいると思うと


それはやはり時間の中で


一人ひとりに与えられた


贈り物だと思うの







この季節になると


毎週末のように


花火大会が


様々な場所で開かれているの


ただ数年前から


経済の関係から


行わない会社もあったりする中


多くの方の瞳を


楽しませるために


頑張って続けられている


会社もあって


今回は素敵な重なりで


同じ時間・同じ日に


花火大会が行われることが多いようで


ありがたいことに


私のおうちのベランダから


複数の花火を瞳に映す事ができて


幸せな忙しさを


体験していたの


その中で


直接ふれあう方でなくっても


誰かを喜ばせたい


笑顔にしてあげたいという


誰もが秘めている


心の最も尊い


感覚を


受け取った気がしたの


この世界は


自分が意識していなかったとしても


無意識に多くの方が


心の秘めた尊さが保たれているから


保たれていて


みんなが自分の人生のプログラムを


ひとつずつ消化してゆけるのだと思うの


たとえ自分自身が強い意志と


行動力があっても


周りの存在している


多くの方に


心の尊いものがなければ


ルールなどが保たれず


いつも緊張して過ごされなければ


ならなくなってしまうと思うの


そのことに多くのエネルギーを注ぎ


ひとり・ひとりが


幸せを感じることも


難しくなってしまうと思うの


そう思うと


一人・ひとりの幸せは


瞳には映らない方であっても


誰かの幸せを支え


この世に生きているんじゃ


ないかなって


感じているの










最近


地球の再生力を


とても感じているの


ここ数年温暖化が問題になっていて


様々な角度で


見つめられているけれど


人間のエゴに耐えられる力と


再生力を持っているのを


とても感じているの


今年は驚くほど


私の暮らす北海道は


寒く


晴れやかな日も少ないの


でもニュースなどでは


北海道以外の場所は


猛暑で


夏を満喫されているようで


とてもうらやましいの


その中で


ちゃんと地球はバランスを


整えていて


寒冷化と温暖化を


作っているのかなって


感じているの


人が地球上に増えると


温暖化になり


その部分が問題になっているけれど


別の角度から見つめると


人が増えると


食物なども同じだけ


多く必要になるから

逆に

温暖化にならなければ


食物を多く育てる事が出来なくなるから


本当は理にかなっているんじゃないかなって


感じていたの


地球は


私たち人間の学びの場として


耐久力と再生力が


どの星よりも優れているように


なんとなく感じているの














2000年を迎えたころから


教師として何かを教える事と


生徒として学ぶ事の


バランスが優れた方たちが


様々な形で


魂の進化の速度を速める智恵を


伝えてくださっているので


データーなどだけではない


感覚というもので


様々なものを見極める事が


多くの方にも


備わってきていると思うの


その中で


何よりも大切な基本となっている


ありのままの自分を受け入れ愛する事から


すべてが始まり


瞳に映るものを


そのままに見つめられるんじゃないかなって


感じているの


ありのままの自分を受け入れ


愛することの大切さは


頭では理解していても


とても難しくって


世界中のだれよりも


自分を厳しく


プロデュースしているのは


自分だから・・・


「なぜこんなこともできないの」とか


「私が求めているのは


こんなポジションじゃない」とか・・・


予定を自分で立てたのに


その通りできない自分を


許してあげられなかったり・・・


何も行動しない日には


何か漠然と持つ必要のない


罪悪感から


自分という存在が歩む人生がまるで


意味のないように感じ


説明のでいない


悲しみと不安感に包まれたり・・・


かと思うと


必要以上に自分という存在価値を


無理にテンションをあげ


ふれあう方たちにアピールし


一人になった後


むなしく感じたり・・・


すべて自分らしく


ありのままでいる事を


自分自身が否定しているから


いつも自分が


何かを演じたりしていて


まるで自分の出番が


いつまでたっても


訪れないむなしさから


広がる

「自分を愛して」という


心からのサインだと思うの


私自身も


年を重ねるごとに


様々な経験も無意識に重ねていて


相手を思う思いと


心のどこかで


必要以上に人に愛されたいという思いから


自分らしく過ごす時間が


少なくなっていたと思うの


誰かと会っていても


どこかそのような部分があったり・・・


それだけ努力を重ね


愛されようと


無理を重ねていても


思うように思いが返ってこないと


今度は自分を責めてしまい


「私ってみんなに


迷惑変えてしまっているのでは・・・」とか


「私って誰からも必要とされていないのでは」など


心のすべてが


外からのリアクションによって


決まってしまい


わけもなく辛くなっていたことがあって


あまりのつらさに


ある時から


一人で過ごす事が楽に感じ


いつも一人で過ごすようになったの


そうしたら


今まで自分がどれだけ


自分を大切にせず


無理させてきたのかを


感じる機会が多く訪れて


思わず「ごめんね」と


心の中で何度も


つぶやいていたの


そして自分が自分をありのままに受け入れる事が


できていないから


周りの評価が気になりすぎたりして


自分らしくいられなかったのだと思うの


周りは


自分が自分に対して接する思いや


態度と同じように


接し方を決めると


伝えられているので


自分を受け入れ


大切にしなければ


周りの方も


自分を受け入れ


大切に接してくれない事を


知ったの


私自身


長い月日


少し人とは異なった体験や


心惹かれたりしてしまう事もあって


「変わっている」「へんだよ」と


伝えられることが多かったので


そのことで


できるだけ自分のカラーを出さずに


人と接しなければ


受け入れてもらえないとの思いから


そのようになっていったのだけれど


今の時代は


やさしい時代で


多くの方が心広く


そしてユーモアがあるので

逆の楽しんでもらえることもあるので

心に影を作る事は


なくなっているの


理想とする自分を持つことは


とても素晴らしいことだけれど


そこに意識を強く注いでしまうと


今の自分を受け入れられない


気持ちが強くなってしまうこともあるので


何もできなかったとしても


どんなときにも


一番大切なのは


「ありのままの自分を受け入れて


自分を愛し


たいせtにすること」ということを


忘れないことなんじゃ


ないかなって


感じているの







昨日年に一度


楽しみにしていたお祭りがあって


友人と足を運んだの


そのお祭りは


商店街が夜遅くまで


お店を開き


驚くほど


リーズナブルで商品を販売されていたり


お外ではあちらこちらで


ビールやワインが


¥100で提供してくれることもあって


通りを歩かれる方たち


みんなが日々の脳疲労を


解放し


大きな笑顔を咲かせていたの


お外ということもあって


用意されている席があまりないので


立ったまま飲まれる方や


様々な場所に


ハンカチを敷いて

座られたりしていて

私も友人も

座るところに困っていた時

いつもお参りしていた

小さな神社が設置されている場所を思い出し

そこに座りながら


友人とお祭りならではの


陽気なエネルギーを


楽しんでいたの


納められている神様の前に


座っているせいなのか


お参りされる方たちに


関係者と思われていたのか


あれこれと納められている神様の


拝み方を尋ねられていて


ゆっくりと座っていられなかったの(笑)


海外からの旅行者の方もいて


片言の英語で伝えたりしながら


楽しんでいたの


その時横に座られた御夫婦と


話しているときに


「てっきり巫女さんかと思っていたんだよ」と


伝えられ


友人が私の顔を見つめ


「ほらやっぱり」と


つぶやいたの


ただ不思議なのは


白いお洋服を着ていたわけではないのに・・・


その御夫婦と私たちは


ずっと様々なことを話しながら


こういう風に


知らない方たちと


心繋いでくれるのが


本来のお祭りなのかなって


感じていたの


次々に人が流れては


私たちとわずかな時間


縁あって話をする機会を


楽しんでくださり方たちが


自然に輪になっていて


その時


古代から神々が


人間に与えてくれているものの存在を


感じていたの


いつもならば


本来ならば恥ずかしがり屋の方も


アルコールという


心の薬によって


もともと秘めている


人間としての素晴らしい個性を


自然な形で表現できていて


人間ってやっぱりいいなって


改めて感じていたの


そして多くの方が


本当は心の豊かさをもともと


誰でも持っていて


その日はお祭りということもあって


様々なものがリーズナブルなので


知らない方から


ビールをプレゼントしていただいたり


周りを見つめても


友人や家族・上司・部下etc


様々な関係の方たちが


日ごろの感謝を


形にされているのを見て


言葉では表現できない


感動を感じていたの







今日友人と


とっても久しぶりに


占いを見ていただいたの


友人の事はとても当たっていて


適切にアドバイスをされていたのだけれど


やはりいつものように


私の場合は


「運勢がとても良いけれど


エネルギーが強すぎるから


抑えてくださり


できるだけ控えて」と


私と目も合わさずに


伝えてくださったの


このような事には


慣れているので


やっぱり!って


思いながら


いつものように数分の鑑定だったの


そのあと友人と


食事をしながら


占いの事を話していて


友人が


「さーちゃんと会うと自分の状態が


すごくわかるんだよ


自分が弱っているときに


さーちゃんと会うと


すごくエネルギーに押されるのがわかるの


そしてその日ぐったりするくらい


疲れるの


でもそれって好転反応みたいで


次の日にはずっきりするの


そして自分が元気あふれているときには


さーちゃんと会うと


それが何倍にもなるのを感じて


何でも可能なんじゃないかと思うくらい


テンションあがりすぎちゃうの(笑)」と


私の事を具体的に


分析してくれたの


私はよく占い師の方に


控えるように


表現されることが多いのだけれど


服装もお話も


十分に控えめななはずなのに


何かわからない溢れるものを


感じ取られているのかなって


感じていたの


私はずっと母には


「あんたは人よりも


エネルギーが強すぎるから


フィットネスに行ったりして


疲れてやっと


ちょうどよいんだから


動きなさい」と


伝えられていたので


何となく理解していたの


10年以上も前に


占い師の方に見ていただいた時には


「あなたはエネルギーが強いから


そのエネルギーを上手に発散しないと


人よりもエネルギーが内にたまり


肉体的に問題が出てくるから


そのエネルギーを発散するような


習慣を持ちなさい


本来は多くの人に会って


あなたの元気を


多くの人に分けてあげるのが


理想なんだけどね~」と


伝えられたことを思い出し


私はその言葉を実行することなく


時を過ごしてしまったこともあって


肉体的ダメージを


自分の中に作ってしまったのかなって


反省していたの


ただ控えめにの意味や実行の仕方がわからず


一時期は


友人に会っても


極力自分発信で会話をせず


相手が提示することに


同意しながら過ごしていたのだけれど


そのような私を見つめ


とても心配し


「さーちゃんがこの世からいなくなったら


悲しいよ」と


私が思ってもいない


深刻な反応になってしまい


エネルギーの抑え方というのか


消し方に間違いがあったんじゃないかなって


思い


それからは


つい相変わらずの私になっていたの


今もそうなのだけれど


エネルギーが溢れすぎているせいなのか


2日に一度数時間


眠るだけで十分の睡眠サイクルなの


昔は有り余る時間を


どう過ごしたらよいのかとか


わけもなく


真夜中になると


この時間はみんな眠っているのに・・・と


孤独感を感じたこともあったのだけれど


今はそのことが


自分にとってのメリットでもある事を


感じさせてくださる


アドバイスをHPで繋がれた御縁ある方たちから


伝えていただき


そう思うようになってから

いっぱいある時間を

ありがたく思い

様々な事をしているの






私たち人間は


豊かさに溢れた中で


過ごしていると


逆にその豊かさに気づけないことが


あるんじゃないかなって


感じているの


以前TVでスキープレイヤーの


三浦雄一郎さんが


山へ登る時に持ってゆくものなどを


紹介されていて


その中に生きるために絶対に必要な酸素について


語られていて


その時持ってゆく酸素ボンベが


6時間使用できるもので


6万円ということを語られていた時


ふっと


私たち人間は


当たり前になりすぎているものに


意識を注ぐ機会があまりないので


その当たり前のものが


当たり前ではない状況になって


初めて気付かされる


豊かなってあるんじゃ


ないかなって


感じているの


当たり前に揃ったものよりも


今ないものにばかり意識を向けて


自分は恵まれていないのではとか


運がないとか


判断してしまうことがあるけれど


当たり前にそろったものが


ひとつも失うことなく


何年も過ごせていること


それだけで十分豊かで


恵まれ


運があるんじゃないかなって


感じているの


少し話は違うけれど


私の母は子育てに向いていない人で


それでも


子供を愛し


自分のできる方法で


子供を愛してはいたのだけれど


きっと人よりも


一人で静かな時間を望んでいて


時には子供への愛情よりも


その気持ちが大きくなた事も


あったと思うの


そして子供が幼いころには


早く大きくなって


自分の責任を果たす日を


楽しみにしていたようなの

でもいざ子供たちが


母親を必要としない


大人に成長してみると


わずらわしいくらいに


自分を必要とし


耳がいたくなるほど


にぎやかだった


過去が今振り返ると


自分の人生で一番輝き


素晴らしい瞬間だったと


よく伝えてくれるの


母にとって子育ては


長い月日をかけて


いつのまにか


当たり前になっていたもので


自分の判断とは別に


自分の色々なものを支えてくれていたものだと


気付かされたようだったの


私は母からそのメッセージを受け取ってからは


パートナーと過ごしていることが


当たり前になっていて


様々な問題が生まれるたびに


一人になっちゃおうかなって


自分の心の避難場所に


自分を置くことがあるけれど


当たり前の喜び・幸せを


与えてくれるのは


パートナーなんだなって


すぐに立ち返れるようになったの


誰でも人と過ごしていると


自由という素晴らしさが


とっても輝き


素晴らしものに感じるけれど


人が人を求める事は


双方が一致しなければ


続けられないことで


自分以外が作った扉以外からも


風を届けてくれる


素晴らしい機会だと思うの


一人でいると


何でも思い通りになるけれど


そういう時間は


求めているときが


本当は一番幸せなんじゃ


ないかなって感じていたの


幸せの中心にいる時には


無意識に物足りなさから


今の自分の足りないものに意識を向ける事が


あるけれど


実際に今当たり前にそろっているものを


手ばなさならなきゃならない状況になった時


自分の豊かさに


気づく事がないように


日々今の自分に与えられたものに


感謝することが


大切なんじゃないかなって


感じていたの